そして、無実が証明された(2007/10/25)

2001年11月23日からスタートし、2002年3月25日に一時的に終焉をみた“ペップ 無実を証明するまで”コーナーは、5年と半年間にわたり“過去ログ”の中に深く静かに眠り続けていた。そして今日2007年10月25日木曜日、たった一日だけではあるけれど、このコーナーの本当の終焉をはかるために復帰させてみよう。事件が発生してから約6年後、ついにペップの無実が証明されたからだ。

2002年3月24日、4か月の出場停止処分期間が終了し、ペップ・グアルディオラはブレッシアの選手としてグランドに戻ってきたところで、このコーナーは長いシエスタに入っている。だがその後も、自らの無実を証明するためのペップの行動が止まっていたわけではない。イタリアフットボール協会の上告委員会が下したこの“判決“を不服とする彼は、一般裁判所まで持ち込んで戦っていた。そして2005年5月12日、第一審の判決が下りている。それは彼の期待を再び裏切るものとなっていた。4か月の出場停止処分と2000ユーロの罰金刑を認めただけではなく、7か月の懲役(執行猶予付き)処分が科せられた。当時、石油のなる国のクラブに在籍していたペップはこう語っている。
「イタリアの裁判関係者はいつの日か、僕の目をまともに見られない日が来るだろう。自分は無実であることを知っているし、そしてそれを証明する日が来ることも知っている。」
そしてこの第一審を不服として控訴することになる。

2001年10月21日のピアチェンサ戦、そして同年11月5日のラッチオ戦前にナンドロローナを服用したとして当時のフットボール界を賑わせることになった“ペップ・ドーピング事件”。いま考えてみれば、セリエAでナンドローナ事件の嵐が吹き荒れた中での出来事だった。2001−02シーズンだけで、コウトやスタン、あるいはダビッツなど、実に11人もの選手がナンドロローナ事件に巻き込まれている。だが、誰一人として、ペップをのぞいて誰一人として、己の無実を証明するために戦い続けた選手はいない。多くの選手は出場停止処分を不服としながらも、その期間が終わりをみると同時に、過去を清算するように“事件”そのものを葬ってしまっている。だが、ペップの戦いはまだ続いていた。最後の最後まで、つまり最高裁判所の判決が下されるまで終わりを見ないものとなっていた。

2007年10月23日水曜日、ブレッシアの最高裁判所はペップの無罪を認めることになる。6年間続いた長い戦いがついに勝利の3ポイント、ではなく無罪というペップとしては当然の結論に到達することができた。
「ドーピング疑惑をかけられたことで、失ったものをいまさら取り戻すことはできない。だが、それでも、人生の中で必要な、とても大事なことを教えられた気がする。例えどんなことであれ、自分が間違ったことをしていないという自信があるのなら、そしてそれを証明することがいかに難しいことであれ、最後まで戦わなければいけないということさ。それが世界すべてを相手にする戦いであったとしてもね。」
世の中、常に正義が勝つと決まったわけではなく、幸運にも勝利することができた人間の言葉ではあります。

フェリシダーデス!ペップ!


ペップの復帰(2002/03/25)

ペップが戻ってきた。しかもキャプテンマークまで腕につけての復帰だった。これまでブレッシアの選手としてわずかな試合にしか出場していなかったペップ。だがグランドに足を運んだブレッシアファンは大きな拍手でペップを迎える。まるで彼がブレッシアのカンテラ上がりで、人生の大半をこのクラブで過ごしてきたかのように。

90分間にわたっての彼のプレーを見る限り、ペップが4か月の間1試合にも出場していないことが嘘のように思えた。彼の復帰はブレッシアにとってボールの復帰でもあった。チームの指揮者としてペップから適材適所にボールが配分される。そう、それはかつてバルサでプレーしたときと同じようなリズムでボールが散らばっていく。ブレッシアの選手がまるで生き返ったような感じで動き始める。これまで地元で2勝しかしていないことが信じられないかのように選手たちは動きまわる。もちろんそれはオーケストラの指揮者が戻ってきたことが一番の原因だった。

ブレッシアの監督マッゾーネは語る。
「ペップがいるかいないか、それはブレッシアにとっては非常に大きい問題だ。彼みたいな選手は現在のカルッチオには存在しないからね。しかも4か月という期間を感じさせないプレーをしていた。キャプテンマークを彼にあげたのは、彼の復帰を讃えてのもの。それだけの価値のある選手だからだ。ドーピング問題は彼個人と彼の経歴そのものに大きな汚いシミを作ってしまった。そして我々は彼が無実であることを信じている。彼が戻ってきた日、それは今日になったわけだが、その日に彼がキャプテンマークをつけるのは以前からのプランだったのさ。そして彼は復帰日に、見事に期待に応えて頑張ってくれた。いかにフットボールとは単純なゲームかということも示してくれただろ?そう、彼が入ると本当にフットボールとはシンプルであって、決して複雑なものじゃないということがわかる。もっともそれは彼に難しいことを簡単にやってのける能力があるからだが。」

ペップはドーピング問題が起きた時と同じように、この試合でも決して主役になることを拒否していた。したがって正式な記者会見も断っている。
「今日の試合に勝ったのはブレッシアであって僕ではないよ。もっとも、ゴールを入れた選手が勝利に関しては一番メリットがあるだろうけれどね。とにかく一生懸命、自分の知っていることだけを今日はやってみた。そして心地よい疲れを感じている。とても幸せな気分だ。」


カルッチオにペップが戻る日(2002/03/24)

バジャドリ戦が始まる5時間前、バルセロニスタ注目の試合が開始される。バルセロニスタにとってもう一つの重要な試合、それは元バルサキャプテンのペップの試合だ。ブレッシア、この小さな街にあるグランドに今日ペップが戻ってくる。

ペップのいるレッシアには自然がたくさんあり、その自然から学ぶ多くの諺が古くから言い伝えられている。その中の一つに次のようなものがある。
「健康な人間はイヌのように小便をする」
文字通り、今日のペップはその諺を地でいかなければならない。試合開始前と試合終了後におこなわれる2回の「尿検査」が待っている。だがそれは強制的におこなわれるものではない。彼と彼を弁護してきた人々が再び起きるかも知れない「アクシデント」に対する予防線のためのものだ。

ペップが恐怖感を抱いているとしても何の不思議もないだろう。なぜなら彼はドーピング検査にひっかかった以前と同じものを摂取しているのだから。元NASAの研究員で現在バルセロナ大学に勤めるドクターが用意してくれる複合ビタミン剤を今でもとり続けているペップ。だから彼の弁護士たちは一つの予防線を張った。独自に試合前と試合後にそれぞれ試験管にペップの尿をとり、それをバルセロナ大学で検査するという予防線を。また「アクシデント」があった場合に証拠として使用できる可能性を。あらゆるイマジネーションを使用してペップを守らなければならない。そう、イタリアでは何が起きても不思議ではないのだから、

ペップの復帰という事実は、バルサの選手たちにも決して無関心ではいられない。すべての選手がペップ個人の復帰を祝い、そして2部落ちのラインにいるブレッシアを救い、できればワールドカップに出場して欲しいと思う。ペップの心境を一番理解しているのは、やはり同じ境遇におかれたデブーであろう。
「僕の場合は幸運にも夏のバケーションの間に出場停止期間が含まれていた。だがペップの場合はシーズンの真っ最中の停止処分だから、彼にとっては非常に辛かったと思う。そういう意味で彼の復帰は自分のことのように嬉しい。そして外国でプレーすることの難しさという意味でも、彼にはこれから頑張って欲しい。自分の国で成功しても外国に行けばゼロからのスタートとなる。そしてペップはいまだにそのゼロ地点に立っているんだ。残り試合は少ないようだけれど、しっかり頑張ってワールドカップにも出場できるぐらいのプレーをして欲しいと思う。」

チャビにとっても今日は特別な日だ。
「ペップが通過してきた地獄のような日が今日終わるんだ。少なくてもプレーできるという意味ではね。我々バルセロニスタにとっても今日は特別な日だし、フットボール界にとってもそうであると思う。」

今日の試合に復帰してくるコクーもペップのプレーを期待する一人だ。
「忘れることはできないだろうが、一日も早く過去を忘れるようにし、プレーに専念できればいいと思う。フットボールを愛し、プロ選手として活躍する人間にとってプレーできないことほど辛いことはなかったと思う。すべての幸運がペップのもとに、そしてブレッシアを救う救世主となることを祈っている。」


「権力と恐怖の存在を知った」(2002/03/22)

ペップ・グアルディオーラにとって今日は特別な日となる。ナンドロローナによる陽性反応が出てから出場停止になっていた彼にとって、今日22日がそれから自由の身となる日だからだ。神話が戻ってくる。外見の変化は髪の毛が伸びたことだけだが、心の中には大きな傷跡を残して今日戻ってくる。

これでやっとあなたの好きなフットボールができますね。

想像してごらん、たった1日という出場停止処分でも納得いかないのに、4か月という長い期間だったんだ。僕には永遠に思えた期間だった。

最初の何週間かが最も苦しかったと想像できますが。

もちろん。特に最初の週は自分の心がどこかにいってしまって、何が何だかわからない状態だった。自分では何も悪いことをしていないという自覚があるんだから、それは当然だったかも知れない。

この経験から何か肯定的なものが生まれるということはあるでしょうか。

それはまったくないだろうと思う。心の傷を生涯引きずっていくということだけだ。例え裁判で僕の無実を千回にもわたって宣言されても、自分に加えられた危害は消えることはないだろう。唯一、個人的にプラスになったものがあったとすれば、この事件をきっかけに何人かの素晴らしい人たちと知り合えたことだと思う。今後の自分の人生の中で、こういう立派な人々と知り合いになれたことが大きく作用するかも知れない。この4か月という期間の中で、栄養作用だとか薬の調合だとか、薬そのもについてもずいぶんと詳しくなった。個人的には何の必要もない知識をね。そして何よりも「権力」と「恐怖」の存在を知ったような気がする。

自分では無実と信じながらも裁判では有罪になる。一般裁判でも同じような境遇の人が刑務所に入っていたりしますが。

自分のケースとは比較することができないけれど、もちろん彼らの心の中のことは理解できる。少なくてもこの事件が起きる前よりは理解できる人間になっていると思う。いわれのない罪で自由を拘束されている不幸な人々のことがね。

以前「無実が証明されるまでグランドには戻らない」と語っていましたが、今度の日曜日にはプレーすることになりますね。

そう、それは次のような理由から決心したことです。自分は、契約してくれたクラブに対してまだ何もそのお返しをしていないという、単純なことからです。ブレッシアは僕にかけてくれた。でもまだ僕はその期待に何も応えていない。しかもブレッシアの人々にとって、僕の個人的な裁判は関係ないものでもある。だから裁判は裁判としてこれから最終的な決着がつくまで戦っていくつもりだけれど、今できることはしておかないとまずいと判断したんです。

1年の出場停止処分という求刑が4か月に減ったということは、少なからずあなたに理解を示したというようにも考えられます。

そうですね、中途半端な形だけれどそういうことでしょう。でも言わせてもらえば、彼らには僕を完全な形で無罪にする勇気に欠けていたのも事実でしょう。自分がドーピングをしたか、あるいはしなかったのかという単純な問題なんです。そして僕はドーピングはしていない。少なくとも彼らも「意識して」ドーピングしたとは言えなかった。いずれにしてもこの問題は、一般の裁判で決着がつくでしょう。

多くの人を驚かした事の一つに、イタリアメディアの「厳しさ」というイメージがありましたが。

メディアの厳しさというものもそうですが、彼らのフットボール界内部への侵入度の深さも驚いたことの一つです。自分がこういうことになったのを知ったのはプレスからの連絡ですからね。新たな進展の情報もすべてメディアからのものでした。関係者内部からの情報漏れというのは日常的な国なんです。新たな局面を迎えてこちら側の弁護を検討しようとする。そうすると翌日には参加メンバーから検討内容まで新聞に発表されるイタリアは恐ろしい国です。


ペップの戦いはまだ続く 下(2002/02/10)

ペップのコメントは続く。

「我々フットボール関係者は、今こそ真剣にドーピング問題を考えなければといけないと思う。ドーピングとはいったい何なのかということを調べなければならないと思う。ドーピング検査にひっかかった選手を取り調べる際、今よりも根本的な調査が必要だ。検査によって見つかった物質がその選手にとっていったいどのような意味があるのか。科学的な手段によるその物質の検査が絶対必要だ。例えば、禁止物質を使用するということは、そのことによって選手の肉体的な部分を強化をするということだと思う。だが僕の場合、ナンドロローナという禁止物質は、僕の肉体を強化することには全然なっていない。それは科学的に証明されていることでもある。それでもドーピングしたというこになるのであろうか。残念ながら、規律委員会とか上告委員会というところには法律家はいても科学者や医者はいないんだ。私たちが揃えたすべての科学的な事実に基づいての証拠が何の役にもたたなかったことは非常に残念だ。そういう意味ではイタリアのアンチ・ドーピング関係者におめでとうと言いたい。彼らは目的を達成したんだからね。それも被告人となった人間に、自分を防御するチャンスをほとんど与えないイタリア方式の勝利と言ってもいいだろう。だが、僕は最後まで自分の無罪を証明するために戦うつもりだ。必要であるならば一般法廷にでてもいい。解決を見るのは、そうこの手の裁判は時間がかかるだろうから、僕はもうフットボール選手だはないだろう。そして規律委員会や上告委員会のメンバーも代わっているだろう。それでも最後まで戦おうと思う。」


ペップの戦いはまだ続く 上(2002/02/09)

昨日、イタリアフットボール協会の上告委員会によって発表された「4か月の出場停止処分」と「5万ユーロの罰金」という判決は、ペップにとってもちろん納得のいくものではなかった。

これからペップの戦いは次のようなものになると予想される。まず、
イタリアオリンピック協議委員会内にある調停委員会(イタリアオリンピック協議委員会内に去年の夏に創設された新たなセクション。だがこれまでドーピング問題でこのセクションに問題を持ち込んだ選手は一人もいない。これまでは偽パスポート問題だけを扱ってきた組織だ。したがってドーピング問題では、ペップが最初の選手となる)に、調停を申し込むこと。だがその名前が示すように、この委員会の働きは基本的にイタリアフットボール協会とペップとの「調停」をすることに留まる。したがって彼が最後まで「無実」を証明するためには、もう一つの、そして最後の手段、一般法廷である「最高裁判所」への訴えということになるだろう。もちろんこれまでフットボールの歴史においてあり得なかった行為である。だが無実を証明するためには時間がかかろうが、現役生活から離れていようが最後まで戦い抜くというペップにとって、前例は問題ではない。

記者会見でのペップ
「上告委員会の判決が1日の出場停止処分だったとしても不満足だっただろう。それが4か月なんだから、不満足もいいところだ。僕はイタリア式のこの手の話のおもちゃにされたような気分だよ。他に何を言うことがあるだろうか。裁判官が決めたことは、それが何であれ尊重しないといけないのは民主主義に生きている我々の原則だ。僕だってもちろん尊重する。規律委員会が僕に4か月の出場停止処分を下したとき、イタリアのメディアは厳しくそれを批判した。それは短すぎると批判したんだあなた方は。それが上告委員会へのプレッシャーになったのかどうか知らないけれど、彼らが下した判決は4か月という出場停止処分をそのままにするということだった。これまでのあらゆる前例を見てくると、必ずその期間が短くなっているにも関わらず、僕の場合はそうはならなかった。でもそれはどうでもいい。問題はそんなことではないのだから。」

(コメントが長いので明日に続く)


バーゲンはナシ!(2002/02/08)

2月8日の午後、イタリアフットボール協会の上告委員会が開かれた。もちろんペップとスタム側によって申請された上告内容を審議するためである。
その結果、ペップには判決通りの4か月の出場停止処分、スタムは1か月(5か月の出場停止処分が出されたいた)短くなり4か月となった。いずれにしてもこの最終的な結論により、ペップは3月22日から試合に出場可能となった。


お節介なFIFAが突然登場(2002/02/06)

イタリアフットボール協会の上告委員会が2月8日に開かれ、ペップとスタムに対し最終的な出場停止期間が決定されようとしている今、FIFAが「ペップは4か月、スタムは5か月にわたってすべての国際試合(親善試合も含む)の出場停止を命じる」という発表をした。

この突然のFIFAの発表は、親善試合の出場停止というところまで及んでいることが驚きではあるが、いずれにしてもある国でドーピング検査にひっかかった選手を国際的に罰しようという意図のようである。またこの出場停止期間はドーピング検査にひっかかった時点からということであり、ペップの場合はワールドカップの参加には影響を及ばさない。


2月8日、上告委員会が開催(2002/02/02)

イタリアフットボール協会の上告委員会は2月8日に開かれることに決定した。

1月24日に公表された規律委員会の判決を納得できないとして提出されていたグアルディオーラ選手とスタム選手上訴内容と、同時に検事側から出されている同じ趣旨による上訴内容を検討することになる。規律委員会が決定したペップへの試合出場停止処分は4か月、スタムは5か月となっている。これを短くするか、あるいは完全無罪とするか、それはすべてセサーレ・マルテリーノを会長とする上告委員会の検討次第となっている。


上告戦争の始まり(2002/01/26)

ペップのナンドロローナによる陽性反応問題はいまだ終わりを見ていない。4か月の試合出場停止処分がイタリアフットボール協会から告知されたペップは、すぐさま上告委員会にこの判決を不満として控訴している。だが検事側も黙ってはいない。アンチドーピング委員会のジアコモ・アイエロ検事はこの4か月という刑が軽すぎるとして検事側としても控訴する準備をしていると昨日発表している。

木曜日の判決はペップにとって最初の勝利ではある。1年の求刑が開廷日の午前中に9か月に検事側が縮小し、しかも判決は4か月になったのだから。だがこれが最終勝利でないことも明らかなことだ。彼の目指すものは、最初から「完全無罪」の戦いであるとされていたのだ。それが判決後の上告委員会への控訴という形になってあらわれた。一つは無罪を勝ち取るために、そしてもう一つは(現実的な意味で)4か月という出場停止期間の縮小を狙ったものである。これまで過去の多くの例が示すように、上告委員会は刑の縮小をおこなってきている。ペップにとっても可能性が大きいことは間違いないだろう。4か月の制裁は今のところ3月22日からの試合出場を可能にしている。だが、もちろん早ければ早いほどいいにきまっている。

ペップに下った「4か月の出場停止処分」というのは、これまでのドーピング裁判では例を見ない短いものであったが故に、検事側の控訴も予想されたことだ。ジアコモ・アイエロ検事の趣旨は、彼が求刑した9か月という出場停止期間になるべく判決を近づけることにある。通常、この上告委員会の結論は、控訴してから2、3週間かかるものとなっている。


検事側も上告予定(2002/01/25)

アンチドーピング委員会のジアコモ・アイエロ検事は、イタリアフットボール協会が昨日ペップ・グアルディオーラに科した4か月という出場停止処分は軽すぎるとして上告する考え。


判決の翌日(2002/01/25)

ペップ・グアルディオーラは、まず最初の戦いに勝利した。だがこの昨日の勝利は、彼にとって「一時的勝利」としてしか意味をなしていない。なぜなら彼にとってこの戦争は「完全無罪」を勝ち取った時に初めて最終的勝利となるからだ。つまり、決して禁止物質など獲らなかったことを証明して初めて勝利とされる戦いなのだ。
「もちろん満足はしている。規律委員会のオフィスに入る前には1年の出場停止処分という状況であったし、それが終わってみれば4か月ということになったわけだからね。我々は、つまり弁護士、ドクター、そして代理人、すべてのメンバーが緻密な作戦のもとに勝ち取った一時的勝利と評価していいだろう。」

次の戦いの勝利のためにも、今日にも新たな作戦が実行に移される。ローマにある上訴委員会に対し、判決を不満として上訴手続きをとることになる。
「遅かれ早かれ自分の無罪を証明できると思っている。なぜなら、自分は無罪なんだからね、簡単な理由さ。我々は科学的な証拠を持って、新たな戦いに入りたいと思う。」

上訴委員会における「恩赦としての刑減」の可能性について、
「難しいだろうね。でも挑戦してみる価値はあるだろう。それが完全勝利に向けた第一歩となる可能性もあるからね。だが、この戦いは難しいものであることは認識しているつもりだ。被告人に一度加えられた判決に対し、裁判官がそれを短くするということは何らかの理由があってのものであるはずだ。だが同時に4か月という制裁を加わえられたということも、彼らは何らかの理由を見つけているということになる。もし刑が短くなったとしても、それさえ難しいことではあるけれど、根本的な問題は解決されていない。だからこの戦いは長いものになることは間違いないよ。」

だがこの4か月という制裁期間により、ペップのワールドカップ参加の現実性もかなり濃くなってきた。彼もその事実を認めながらも、慎重にいきたいと語る。
「カマッチョはバカじゃない。日本には彼が適任と思われる選手を連れていくことになる。名前だとか経験だとかは別として、ワールドカップでの試合に最適と思われる選手をね。今の自分の現状を見れば、ワールドカップはまだまだ遠い先のこと。だって僕は、試合出場を禁止されている立場の選手であることには変わりがないんだから。確かにカマッチョは僕を信頼してくれている監督の一人だ。でも現在プレーさえできない人間を、今の段階で彼が考えるわけがない。3月に復帰してそれ以降良いプレーができるるようになって、それでカマッチョが呼んでくれれば最高。でももしダメだったら諦めるしかない。それはそれでしょうがない。」

ペップはこう語りながらもワールドカップへの出場は彼の夢だ。非常に誇りに感じることであるとも思っている。だが今の彼にさらに重要のことは、「最終的な勝利」を勝ち取ることだ。彼はフットボールをしにイタリアに来たのであり、ドーピング問題での主役になるために来たわけではないのだから。彼の4か月という制裁は3月22日にきれる。


ペップ、上訴へ!(2002/01/24)

イタリアフットボール協会の規律委員会によって4か月の出場停止処分を受けたペップは、すでに上訴の準備を始めている。
「まだ試合の前半が終了しただけだ。この前半は耐久力を争う試合だった。結果にはそれなりに満足している。だが、後半戦がこれから始まる。今度の相手は上訴委員会。4か月という処分だったから上訴するわけではないよ、有罪だったから上訴するんだ。もしこれが1日の出場停止処分だったとしても上訴していたと思う」


ペップ、4か月のみ!(2002/01/24)

イタリアフットボール協会はペップに対し、4か月の出場停止処分を言い渡した。これでペップのワールドカップへの出場の可能性はにわかに大きくなった。またスタム選手は5か月の出場停止処分。


求刑を1年から9か月に(2002/01/24)

1年間の出場停止処分を要求していたイタリアオリンピック競技会は、今日の訴訟で3か月少なくした9か月の出場停止処分を委員会に請求した。その理由は「ペップは意識的にドーピングしたとは思えない」というもの。

まずスタートはよし。


将来をかけた日(2002/01/24)

予想される今日の訴訟手続き

●一切のメディアは排除
関係者以外は出席が認められていない。ペップは二人の弁護士(コル・ヘリングマン、トマッソ・マルチェッセ)とドクターのコスタンソ・モレッティ、そして彼の代理人であるオロビッチと一緒に出廷することになっている。

●委員会の責任者としてはステファノ・アザーリが出席する。まず最初に、弁護士のコル・ヘリングマンがペップの弁護を始め、その後ドクターのコスタンソ・モレッティが医学的見地から発言。さらにもう一人の弁護士であるトマッソ・マルチェッセが弁護を始める。最後に委員会側からの要請があれば、ペップも発言することになっている。

●委員会側が必要とするいくつかの質問がおこなわれた後、訴訟手続きは終わりをみることになる。閉廷後、委員会側が集まり会合を開いた後、最終的な判決が発表される。これまでの例を見ると、閉廷後2、3時間後に発表されるのが普通だ。

予想される今日の弁護

ペップの肉体的な特徴、もちろん医学的見地から見た彼の特徴を、これまでの検査をもとに公表する予定。例えば、ペップの体から摂取した脂肪資質からはこれまでドーピングにひっかかるような物は一切発見されなかったこと。またバルサ時代からラモン・セグーラ医師が彼に与えていたという「複合ビタミン剤」には検査の結果、何も怪しいところは発見されなかったこと。またカタルーニャとチリ戦の親善試合後に自主的におこなわれたドーピング検査の結果は、陽性反応は現れなかったこと、などであろう。


あと4日(2002/01/20)

最終判決が下される今月24日のイタリアフットボール規律委員会は次のようなものになる。ペップの弁護士が2人、そして規律委員会からの出席者は4人。ペップの2人の弁護士が提出する16ページからなる陳述書には、専門ドクターの証言から彼のこれまでの日常生活についての細々とした分析が書かれている。

アンチドーピング委員会において「ナンバー114/2001」の訴訟手続きと記録されているペップのナンドロローナによる陽性反応問題だが、この訴訟手続きの最高責任者であるジアコモ・アイエロ検事は最終判決には参加しない予定だ。なぜなら彼の仕事は、ペップに対し「1年の出場停止処分」をイタリアフットボール規律委員会に提出した段階で終わっているからだ。そしてそれが、エドガー・ダビー(ユーベ)、フェルナンド・コウト(ラッチオ)、ステファノ・トリッシ(パルマ)と同じように「4か月の出場停止処分」と縮小されることも暗黙の了解事項となっている。だが一つ違いがあることも確かだ。

例えばダビーの場合、リーグ戦では7試合欠場したにとどまっている。コウトは8試合の欠場だった。だがペップの場合は昨年の11月22日以来、判決が下りる前の「臨時的出場停止処分」により実に13試合(リーグ戦9試合、カップ戦4試合)も欠場を余儀なくされているのだ。したがって24日にどのような判決が下りようと、ペップに対してはカルッチオで起きたこれまでのドーピング問題では最高の「刑」がすでに執行されているということだ。


苦い味の誕生日(2002/01/19)

昨日1月18日、ペップの31回目の誕生日だ。今年の誕生日ほど彼にとって苦い味のするものはなかっただろう。午前中はブレッシアの仲間といつものように「明日の試合のための」練習ではなく「プロ選手としての義務」の練習をこなしたペップだ。そして午後に、人生初めての故郷を離れての誕生日を迎えた。それは楽しさと寂しさが同居した、家族だけの参加による初めての誕生日パーティー。そして何よりも彼の心を重くするのは、神でさえ信じていないであろうナンドロローナ陽性反応による出場停止処分中の身だ。もし神が存在していればの話しだが。

最終判決の下りる24日まであと少しだ。誕生日を迎えたペップに、楽観主義的な発想は今のところ存在しない。

これまでのペップの誕生日

●1991年
1990年12月16日のカディス戦でデビューをかざり、それから約1か月後に誕生日を迎えた。デビュー後は一部と二部と行ったり来たりしていたので、多くの試合には出場していない。だがこのシーズン、クライフバルサの初優勝となる記念すべき年ではあった。

●1992年
彼にとって、バルサにとってすべてを獲得した年だ。リーガ優勝、ヨーロッパチャンピオン、スペインスーパーカップ、バルセロナオリンピック優勝。そして忘れてならないのが、ミランのアルベルティーニと争って勝った「トロフェオ・ブラボー」賞。

●1993年
3シーズン連続リーグ優勝。そしてスペイン、ヨーロッパスーパーカップ優勝。

●1994年
最終戦でコルーニャのジュキックが外したペナルティーにより、バルサが4年連続優勝した忘れられない年。

●1997年
ロブソン政権となってからの、バルサの苦しい1年目だった。だが国王杯、カップ・ウイナーズ・カップ優勝、スーパーカップにも勝利しペップには忘れられない年である。

●1998年
バンガール政権1年目。多くの批判を浴びながらもリーグ優勝と国王杯を征した。ヨーロッパスーパーカップ優勝も果たしながらも、バンガールへの批判は続く。

●1999年
ブラウグラーナとして最後の優勝カップを高々と上げることができた年。


「判決」まで後10日(2002/01/15)

1月14日、イタリアフットボール協会が主催した「ドーピング問題」に関する会合にグアルディオーラが呼ばれた。ミランにあるホテルの会議室を利用しておこなわれたこの会合の目的は、現在イタリアで問題になっているドーピングについて色々な角度から分析するためのものだ。この会議を招集したのはイタリアフットボール選手組合の責任者を務めるセルジオ・カンパーナ。参加した選手たちはグアルディオーラの他に、アルベルティーニ、カンナバーロ、トマッシ、シンヨーリなどの選手たち。

4時間にわたっておこなわれたこの会議では、グアルディオーラの個人的問題を語ることはなかったと言うセルジオ・カンパーナ。あくまでも一般的な「ドーピング問題」について意見が交わされたという。いくつかの問題が提起されたが、グアルディオーラが語ったのは次のようなことだったという。
「一般的な裁判というものは、訴えた側が被告人の有罪を証明しなければならないが、ドーピング裁判というのは訴えられた側が無罪を証明しなければいけないという矛盾があると思う」

当然、複合ビタミン剤の問題も話された。ビジネス的関心から、多くのビタミン剤供給会社が存在すること。また複合ビタミン剤そのものの成分の明確な説明がなされていない場合もあること。

ペップはいずれにしても10日後に迫った「判決」を前にし、あらゆる可能性を考えてその後の準備を進めていくつもりのようだ。


少し明るいニュース(2002/01/11)

カタルーニャ代表対チリ戦がおこなわれた12月28日。ペップは試合後、自主的にドーピング検査を受けていた。そしてその結果が昨日明らかになった。陽性反応は現れなかったのだ。

だが、この検査結果はあくまでも参考資料としかならない。今月24日におこなわれるローマのイタリアフットボール規律委員会での最終審査ではそれほど役立つものとは言えないだろう。いずれにしても、その日に何か月かの出場停止処分がでたら控訴することをすでに決めているペップ側としては、その控訴時に一つの参考資料として提出する可能性はある。


インテルの選手たち、ペップの無罪を信じる(2002/01/11)

寒いミラノでの練習を避けて、一昨日からマジョルカでミニ合宿をはっているインテルの選手がペップについて語っている。

コンセイサーオ「最終的な判決が下りる前に、すでに仮の出場停止期間を定めるのはおかしいことだと思う。しかも対象とされている選手たち、ペップ、スタムみたいなもうこの世界で成功している選手が、自分の意志で禁止物質をとるというのは変な話しだよ」

このコンセイサーオが語るまでもなく、少なくても意識的にペップが禁止物質をとるわけがないということをインテルの選手たちは信じている。元バレンシアのファリノスも語る。「何かがおかしいんだよ。普通では考えられないことだからね。状況的にワールドカップの1年前にこういうことが起きるというのも、なんかひっかかるな」

アルゼンチン代表のサネッティも、どうもよく理解できない問題だと語る。
「偶然の要素が多すぎると思わないかい? ほとんどが外国人選手であること。そしてまたほとんどが最近イタリアに来たばかりの選手たち。そしてワールドカップの1年前。なんかおかしいよね」


判決は24日(2002/01/09)

2回のドーピング検査でナンドロローナによる陽性反応がでたペップに対するイタリアフットボール規律委員会による判決は、今月の24日にだされることになった。

ペップはこの日、ローマにある規律委員会のオフィスにて、朝の9時半からおこなわれる最後の供述をおこない、その後規律委員会会長のステファノ・アザーリ氏により最終的な判決がおりる。またオランダ選手のスタムに対する判決も、この日に同時にだされることになっている。

多くの関係者が見るところによればペップはスタムと同様に、最少制裁期間である4か月の出場停止処分となりそうだ。だがフランク・デブーやコウトの場合と異なり、夏休み期間がはさまれないため実質的な4か月の出場停止となる。


最近の研究(2002/01/06)

オランダオリンピック競技委員会が独自に「複合ビタミン剤に禁止物質が含まれる可能性」をテーマに研究をおこない、最近その結果が発表された。

それによれば、すでに合法化されている複合ビタミン剤のうち実に25%のものが、ドーピング検査にひっかかる可能性があるとのこと。問題は、そのビタミン剤を取った後にコーヒーとかコーラを飲んだ場合に体内に禁止物質が製造されるということで、ビタミン剤だけを調べただけでは禁止物質は出てこないということだ。
オランダオリンピック競技委員会がこの調査をおこなった理由は、今年の冬季オリンピックが開催されるソルト・レーク・シティーに参加するであろう自国の選手をドーピング検査から守るためだたという。

研究によれば、55種類の合法化されている複合ビタミン剤を調べたところ、ビタミン剤そのものだけを分析した限りでは禁止物質は発見されなかった。ところがいくつかの飲み物と混ぜたり、急激な温度の変化を与えると禁止物質が発見されることがわかった。また注目すべきことは、高度の変化にもビタミン剤そのものが変化する可能性も発見されていることだ。ソルト・レーク・シティーは高度1425mの所に位置している。

一方、1月2日の「ゴイコエチェア引退試合」に参加したペップは、試合終了後ブレッシアの戻り、すでに練習に参加している。彼に対する最終的な制裁が決まるのは今月の末と見られている。だが、その判決に対して控訴する可能性もじゅうぶんあり得るので、いまだに彼の弁護士やドクターたちは新たな無罪証明に向けて準備中である。