Gabriel Garcia de la Torre
●ガブリ● |
|
生年月日 1979年2月10日 出身地 バルセロナ 身長・体重 175cm 72kg 1993年、14歳でバルサ入団 |
|
1993−94 インファンティルA・カデッテB 1994−95 カデッテA 1995−96 フベニルB 1996−97 フベニルA 1997−98 バルサB 1998−99 バルサB 1999−00 バルサB・バルサA 2000−01 バルサA 2001−02 バルサA 2002−03 バルサA 2003−04 バルサA 2004−05 バルサA 2005−06 バルサA 2006−07 アヤックスに移籍 |
|
「自分をバルサに連れてきてくれた今は亡きスカウト責任者オリオル・トルト氏に、フットボール選手としてだけではなく1人の人間として成長させてくれたカンテラ組織関係者に、そして14年間住み続けたバルサというクラブに感謝したいと思う。」 2006年5月29日、カンプノウ内にある記者会見場でバルサ選手として最後のものとなるコメントを残してクラブを去っていった。だがこの段階では彼の移籍先はまだ決まっていない。コルーニャやエスパニョールなど国内のクラブから来ているオファーに加え、いくつかの外国クラブから来ていたオファーを検討中だった。そしてこの最後の記者会見から1週間後、彼はアヤックス入団を決意することになる。フラン・ライカーの右腕として働いていたテン・カテが新監督となるアヤックスへの移籍だ。 シドニーオリンピック準優勝、1999ワールドカップU−20チャンピオン、スペインリーグ優勝2回、チャンピオンズカップ優勝、そして1999−00シーズンにバルサAチーム選手としてデビューしてから194試合に出場し14ゴールを決めている。バルサ選手としてのガブリを特徴づけるのは、この7年間に彼がこなしてきたポジション数の多さだろう。左右ラテラル、セントラル、ピボッテ、左右インテリオール、左右エストレーモ、チーム状況や試合状況によって多くのポジションをまかされてきた便利屋の彼だから、今回の移籍探しもそれほど苦労していないようだ。セビージャ、ベティス、サラゴサ、エスパニョール、マンチェスター・シティーなどからのオファーがあったが、最後まで絞られたのはAt.マドリとアヤックス。そして最終的にテン・カテ監督の強い要望が彼のアヤックス行きを決めたといわれている。契約期間は3年間、年俸は手取り150万ユーロ。 アヤックス行きを決めたことで今年の夏休みは短いものとなっている。7月に入ればすでに練習が始まってしまうからだ。このクラブにはテン・カテ以外にもジュニアーチームの監督をしているフラン・デ・ボエルという知り合いもいるが、クライフの推薦で入団してきたルジェーも一緒だ。ガブリ18番、ルジェー14番というコンビが誕生する。 スエルテ、ガブリ! |
|
参照記事 「La Masia 物語 ガブリ編」 「Aチーム ガブリ」 |