sCarles Puyol Saforcada
プジョー


強くあれ!カピタン!
(06/11/04)

ジョセップ・プジョー、息子の一人がプロのフットボール選手でありながら決してその世界に興味を示したこともない人物。その証拠にカンプノウでの試合観戦に駆けつけたことは一度たりともなかったという。彼は生涯を通じて畑と家畜業に生きた人物であり、太陽が登り始めると共に仕事に就き、日が沈む頃に家路につく、典型的な“土地”に生きた人だった。

例外中の例外となったたった1回の試合観戦、そう、最初で最後となってしまった試合観戦、それはサン・ドニでのチャンピオンズ決勝戦だった。それも彼の友人たちが必死になって説得して、初めて実現した試合観戦だったという。リトス、幼少時代からの彼の友人たちはジョセップ・プジョーのことをこう呼ぶ。プジョーと同じラ・ポブラの出身であり本来は弁護士を本職とし、今ではプジョーの選手代理人を務めるラモン・ソステレスもリトスへの説得に努力した一人だ。その彼とリトスの奥さんにしてプジョーの母親にあたるロサと共にパリに飛び、チャンピオンズカップを高々と掲げる息子の姿を見ながら涙した父親。その彼がわずか56歳という若さでこの世をあとにした。2006年11月3日午後16時48分、仕事中におこった悲惨な事故が原因だった。

ア・コルーニャに到着しこの悲惨なニュースを知ったフラン・ライカーが、直接プジョーに伝えている。もちろん彼はバルセロナから乗ってきた飛行機にそのまま戻り、故郷であるラ・ポブラへの悲しくも重たい帰路についている。
「何と表現していいかわからないし、うまく言葉が見つからない悲しいニュースだ。すべての選手たちが悲しみに包まれている。スポーツ選手であると同時に一人の人間である彼らだから、父親をすでになくした選手もいるだろうし、家族の一人を失った経験を持つ選手もいるだろう。この悲しみをすべて“強くあれ!カピタン!”とかえて、心の中で叫んでいると思う。この悲惨なニュースが試合中での彼らにどのような影響を与えるか、そんなことには個人的に興味はないし、彼らに何も特別なことは望まない。試合の内容がどうであれ、そして結果がどうであれ、我々の心の痛みは消えることはない。人の不幸はスポーツなどの結果など遙か超えたところに存在しているのだから。」
そう語るフラン・ライカー、立派です。

プジョーのコメントはいっさいメディアに登場していない。この国では不幸があった人物にメディアが近づいてコメントをとるということなど決してない。日常生活においてメディアが占める存在が大きくなった現在とはいえ、当人がメディアの前に自主的にあらわれて発言するまで決してコメントなどとらない“人間的”な慣習がまだ生き続けている。

ア・コルーニャとの試合を戦うバルサの選手たちは黒い腕章を巻くことになるだろう。そして試合開始前の1分間の黙祷、毎日の練習がどれだけ大事なものであるか、常に謙虚に生きることがどんなに大事なことであるか、そしてどのように成功した人間でも毎日の努力というものがどれだけ大事なものであるか、それらを我らがカピタンの肌に染みこませた彼の父親リトスに対する黙祷がおこなわれる。

Ahora mas que nunca, todos con el Capitan !
Animo Puyol, estamos contigo !
Descanse en paz.

こちらカピタン」より