14 サラマンチの分析

フアン・アントニオ・サラマンチ。フランコ崇拝者として知られ、スポーツ界に太い人脈をもち、将来の国際オリンピック委員会の会長になるカタラン人である。バルセロナに来たことがある人なら気がついたかも知れないが、街のいたるところにミロデザインのヒトデマークがシンボルの銀行「ラ・カイシャ」というのがある。その銀行の会長でもある。

バルセロナの裕福な家庭に育ったサラマンチは、市民戦争開始以前から超保守的なイデオロギーを持つ人物であった。戦争勃発間もなく、彼はフランコ支持に回る。当時のバルセロナの新聞「ラ・プレンサ」も同じ思想だった。サラマンチは当時、スポーツジャーナリストではなかったが、おりあるごとに「ラ・プレンサ」にコメントを載せている。かれの書いた「レアル・マドリ対FCバルセロナ戦の真実」もそういうコメントの一つであり、カタラン人から高い評価を得た数少ない彼のコメントの一つでもある。

テウスが評した「勝利の凱旋」プロパガンダ・コメントに対し、サラマンチのそれは、純粋にスポーツ的見地から見たものだった。

サラマンチが試合前の「二組の訪問者」の事実を知っていたとは思えない。だが彼はこの試合を「歴史的に例のない、何かに怯えた11人の選手の試合」と結論づける。そしてそのような状況の下で「これらの選手がプレーする事自体、不可能であったのではないか」と付け加えている。

「もしレアル・マドリの勝利が例えば4−0ぐらいであったなら、バルサのあの選手が悪かっただとか、この選手がイマイチだったとか言うことができるだろう。しかし11−1というのは10点差の結果の試合だ。どの選手が悪かった、良かったとかいう次元の問題ではないことは明らかだ。例えバルサがどうしようもないひどい試合を展開したとしても、10点差の結果になることの説明は不可能だろう。唯一、説明可能なものがあるとすれば、それはバルサがまったくプレーしなかったということだろう。」

「事実、バルサの選手はプレーしていなかった。レアル・マドリの選手のほんのちょっとしたタックルにも、接触を恐れて逃げ回っているように見えた。仲間同士で指示を出し合うことも一度もなかった。彼らは試合中、まったく無口だったのだ。試合開始直後から、まるで一分でも早く試合が終わらないかと期待しているような感じを受けた。それは今まで見たこともない異常な試合だった。」

「レアル・マドリが全員一丸となっての、見事な試合をしたことは認めなければならない。しかも意図したプレーが、ほとんど成功する効率性の良さもあったことを認めよう。確かに、すべての意味でレアル・マドリのプレーはすばらしかった。」

「しかし冷静にあの試合のことを考えてみると、一つの結論にたっする。スポーツの試合で、相手が『存在』していないのなら(そう、ジュニアーのチームでさえ、もっと一生懸命のプレーをしていたであろう)、どんなことでもうまくいくのは当たり前ではないだろうか。」

サラマンチはこのコメントを掲載した後、「ラ・プレンサ」から追放されている。しかし彼には大した問題ではなかった。彼はスポーツ界にじゅうぶんすぎるほどの強いコネクションを持っていたし、政治家でもあった。彼はフランコ政権の中でスポーツ大臣を務めたあと、国際オリンピック委員会へと移っていく。

仮に、FCバルセロナがレアル・マドリに勝てなかったとしても、ホームでの3点差をバックに総合点でレアル・マドリを上回り、決勝戦に進んでいたとしよう。その場合、国家権力は本当に「亡命選手」たちを国外追放なり、刑務所に収容していたのだろうか。ファシズム独裁政権が発足して間もない頃のことだから、何が起きても不思議ではない。だが、バルサベンチを訪れた警察官にしても、そして選手たちにしても確かなことなど何もなかったのかも知れない。だが「脅し」と「最悪なことがおこる可能性」だけで、試合を捨てる理由としてはじゅうぶんだったのであろう。

このスペインを代表する2つのビッグチーム間の異常なまでのライバル意識は、半世紀以上たった現在でも変わらない。フランコ独裁政権が崩れ、中道政権、社会党政権、そして現在の保守民衆党時代と、国家の政治状況が移行してきても常に存在してきたものだ。この試合に限ってはどちらのホームグランドで戦おうと、同じように興奮の渦がグランドを取り巻く。ファンにとっては、試合内容も重要な問題ではない。勝利するかしないかが唯一の問題であった。

ヘネラリシモカップに話しを戻そう。この試合後、スペインフットボール協会は両チームに罰金を言い渡す。そえぞれのクラブに2万5千ペセタの支払いを命じたのだ。FCバルセロナ側としては、まったく納得のいく罰金ではなかった。彼らはレアル・マドリのグランドで、しかも自分たちのファンがまったくいない場所でおこなわれた試合で、何の問題もおこさなかったわけであるから当然納得のいく裁定ではなかった。

FCバルセロナのエンリケ・ピネイロ会長は、国民スポーツ協議会に長い手紙を送る。その内容は、FCバルセロナがマドリッドで受けた「侮辱的な扱い」に対する抗議と、会長辞任要請の手紙であった。国民スポーツ協議会は、彼をFCバルセロナに会長として送った組織であった。そこに彼は抗議の手紙を送る。だが協議会は「辞任は認めない」という判断をくだす。

それからしばらくして、エンリケ・ピエイロは会長職を勝手に辞任している。権力から送られてきた会長でありながらも、時間の経過とともにクラブに心から親しみ始めたこの会長に、バルサソシオは惜しみない賞賛を捧げたという。