17 シンコ・コパス(5つのカップ) その1

1951年9月9日、バルサファンの大きな期待と共に1951−52のシーズンが開幕する。

しかし開幕第一戦、サリアグランドでおこなわれたエスパニョール戦ではいきなりの敗北であった。クバーラはエスパニョールの3人のディフェンスに常に囲まれ、90分間のフラストレーションのたまる試合となる。

第二戦、ラス・コーツスにビルバオを迎える。

さてビルバオは、当時のスペインリーグの中にあってバルサと並んで最も強豪とされていたクラブであり、そのライバル意識は現在のマドリーバルサのそれと同じようなものであったという。もちろん地元メディアもファンと同じ歩調をとることも現在と変わらない。特にバスク地方のメディアはファシストで固められており、他の地方に比べもっとも辛辣であった。

「エル・コレオ・エスパニョール」紙のジャーナリスト、ホセ・マリア・マテオのクバーラに対する批判は、まさに度を超えていた。
「スペインには、共産主義者の国から来た選手など必要ない。そもそも、スペイン国籍とはそんなに簡単に買えるほど安っぽいものなのだろうか」

彼の度重なる反バルサ・反クバーラのシュプレヒコールは、スペイン中に響き渡ることになる。ファシスト政府の心臓部であるマドリッドでも、もちろん例外ではなかった。

さてビルバオ戦、クバーラはこの試合唯一の得点をあげ、チームの勝利に貢献している。クラブの公式歴史書には「センターラインでボールを持ったクバーラは、ドリブルで相手ディフェンスを抜いていき、唖然とする観衆の前で強烈なロングシュートを決める」とある。クバーラにとってリーグ公式戦での初のゴールは、まさにファンの度肝を抜くものであった。

9月23日のマドリッドでのAt.マドリ戦は、ジャーナリト・マテオの望む通りの反響を呼ぶ。試合開始直後からのクバーラに対するヤジは異常なものであった。試合中もクバーラがボールに触るたびに、怒濤のようなブーイングが沸きあがる。この雰囲気の中で、選手や審判が影響されても不思議ではなかった。At.マドリのクバーラへの強烈なタックルが繰り返され、審判はファールさえとらない状態だった。

クバーラはこの試合、かろうじて負傷はしなかったものの、それは時間の問題であった。彼は次のバレンシア戦で激しいファールにあって途中故障退場することになる。まさにクバーラの歴史は、負傷との戦いの歴史でもあった。ただ彼が伝説的な選手として歴史の中に名前を残すことができたのは、ひたすらケガに強い選手であったからだろう。

FCバルセロナはリーグ前半を折り返す段階で、同ポイントで首位を保つレアル・マドリ、At.マドリ、ビルバオ3チームに、1ポイント差でつけていた。

FCバルセロナの快調さを証明したのは、敵地でのビルバオ戦であった。この試合では例のジャーナリスト、マテオが貴賓席に陣取っていた。クバーラは故障で出場していない。だがマテオは「外国人どもめ! ここから出ていけ!」と試合中怒鳴っていたという。彼にとって、カタラン人は外国人であった。この試合、FCバルセロナは0−3と圧勝する。

1952年2月10日、クバーラが久しぶりに登場する。彼は負傷した後、驚くべき早さでチームに復帰してきては、また負傷にみまわれるというパターンを繰り返していた。さてラス・コーツスでのヒホン戦に復帰してきたクバーラ、いきなり歴史を作ってしまう。この試合9−0で勝つのだが、クバーラは何と7点も入れている。スペインリーグでの1試合に一人で決めるゴール数として、未だに破れない記録である。

彼の復帰でさらに勢いづいたFCバルセロナは、その後も勝ち続け4月6日地元にラス・パルマスを迎える。結果は7−0の圧勝であった。そして最終戦を待たずにリーグ優勝を決めたのだ。

カップ戦はさらにスペクタクルであった。まずAt.マドリに敵地で2−4で勝利し、ラス・コーツスでは5−1で勝ち、次のステップに進む。またしても敵地からの試合となったマラガ戦では0−7と圧勝する。この試合、ボールに触るごとにブーイングが起きていたクバーラに対し、試合の結果がほぼ決まった後半に入ると、個人技の素晴らしさに対し拍手まで起こるようになった。それほどクバーラのプレーは素晴らしかったのだ。
地元でマラガに6−1で勝利した後、セミファイナルはバジャドリを地元に迎え5−0で、これまた相手を寄せ付けない。バジャドリに行っての試合は、決勝戦に進むほんの手続きにすぎなかった。

決勝はバレンシア戦となる。

場所はマドリッドであった。フランコが政権をとってからカップ戦の決勝戦は、3回の例外を除いてすべてマドリッドでおこなわれた。その3回とは1957、1963、1970年におこなわれた決勝戦。それは、決勝戦の日が偶然フランコのカタルーニャ訪問の日と重なったときであった。この3回はバルセロナで決勝戦がおこなわれている。