31 スーパースターの登場 

1973年10月28日、バルセロニスタが待ちに待ったスーパーアイドルの登場であった。シーズンは既に始まっていたものの、オランダからの移籍証明書がスペインフットボール協会に到着せずクライフの公式出場はこの試合が初めてのものとなった。相手はグラナダ。翌日のカタルーニャ紙は見出しを「クライフ」として、その模様を次のように表している。

「ヨハン・クライフという一人の存在が、カンプノウを立錐の余地もなく満員にしていた。1973年10月28日、この日はクラブの歴史の中に刻み込まれる記念日となるだろう。ヨーロッパにおける最優秀選手、近代フットボールにおける最高のテクニックを持つ選手、いくら形容しても足りない大スターが我らFC.バルセロナのユニフォームを身につけカンプノウに立っている。アスールグラーナとして、今日は彼にとって最初の公式試合なのだ。そしてこの偉大なクライフの登場により、今までには見られなかった新たなチームの誕生となった。力強く、俊敏に、しかも自信に満ちた選手たちが何かから解き放たれたように自由にプレーしている。こんなFC.バルセロナを今まで見たことがあっただろうか。確かにクライフは、リーダーとしての資質を天性としてもっていた選手だった。彼は自分の栄光を求めるだけではなく、選手を動かし働かせることも知っている。その彼から発せられる光が周りの選手を浮かび上がらせ、チーム全体が一つとなって機能していく。我々の輝かしい未来は、今始まったばかりだ。」

この試合を境にして、FC.バルセロナは快進撃を続ける。クライフの存在が、たった一人の選手の存在が、これほどまでにチームを変えてしまうのかと思われるほどの快進撃であった。試合を重ねるごとにフットボール・マシーンと化してくる11人の選手たち。今やクライフ率いるFC.バルセロナを止めるチームは存在しなかった。

リーグが折り返し地点に入っても、FC.バルセロナは快調に首位を走っていた。一方のレアル・マドリは不振なシーズンを送っている。そんなおり、ベルナベウでのクラシコが戦われる。いくらマドリが不振とはいえ、ダービー戦に関しては順位表もチームの調子も関係なく、地元有利とみなされる試合だ。

1974年2月17日、ベルナベウに乗り込んだFC.バルセロナのメンバーは次のようなものだった。モラ、リフェ、コスタス(現二部監督)、デ・ラ・クルス(現第三コーチ)、トーレス、フアン・カルロス、レシャック(現監督)、アセンシ、クライフ、ソティル、マルシアルの11人。

翌日、バルセロナのジャーナリスト、アントニオ・エルナエズは次のような記事を書いている。
「FC.バルセロナのチームが、これほどまでに完璧な試合をしたのは何十年ぶりであろうか。それは中盤の選手といわずアタックの選手といわず、とにかく攻撃的な布陣をしいたチームだった。レアル・マドリ対クライフのFC.バルセロナの戦い。この戦いが歴史の中に残ると共に、このチームも歴史の一ページを埋めることになる。例え一試合だけの、栄光ある試合結果だけであったとしてもだ。レアル・マドリのスタディアム、サンティアゴ・ベルナベウでの5点をあげての勝利は、どんなに古くからのバルセロニスタであろうと記憶にはないであろう。」

アセンシの2ゴール、クライフ、ファン・カルロス、ソティルのそれぞれの得点により0−5の勝利。どんな楽観主義者も予想できなかった結果である。この試合を終了した時点でまだ12試合残しているリーガであるが、FC.バルセロナの優勝を疑う者はすでに一人としていなかった。

この試合のテレビ中継を見ていたバルセロニスタの人々。彼らはバールから、家から、レストランから、そしてテレビが設置されている可能性のあるあらゆる場所からいっせいに通りに飛び出していた。ディ・ステファノ騒動を覚えている世代は、新たなオランダ人のディ・ステファノの登場を祝い、優勝という経験のない若い世代の人々はすでに現実としてその喜びを分かち合っている。いつの間にかランブラス通りに自然発生的に集まった人々はアスールグラーナの旗を持ち、そして市民戦争終了後初めてと言っていいであろうカタルーニャ旗まで登場していた。その数は数万人と膨れあがっていた。

この日の様子を見たニューヨークタイムスの特派員が次のようなテレックスを送っている。
「このクライフを主人公とした90分にわたるドラマは、カタルーニャ解放を願う地下活動者が何年間にもわたっておこなってきたどのような活動よりも効果のあるものだった」

優勝が現実となる日がやって来た。4月6日のスポルティング・ヒホン戦である。この試合に勝利すれば5試合残した段階でのリーグ優勝となる。そして実に14年ぶりの偉業となる。

前半34分、レシャックのゴールでFC.バルセロナはリードする。後半に入りヒホンが2点を返しリードをはかるものの、FC.バルセロナは大反撃に打って出てアッという間に3点を獲得する。試合終了してみると2−4でFC.バルセロナの勝利に終わっていた。失望と落胆が続いた14年の歳月が、まるで嘘のようなFC.バルセロナの強さであった。24試合連続負け知らず、リーガ最高得点の68ゴール、最少失点の19ゴール、2位のAt.マドリとサラゴサに11ポイント差をつけての堂々とした優勝であった。

ディ・ステファノが加入してからのレアル・マドリが、その後何年間にもわたってスペインを、そしてヨーロッパを制覇したように、クライフの加入によってFC.バルセロナに起こるであろう未来をバルセロニスタは思い描いた。