40 マラドーナ最初のシーズン

プレゼンテーションの目玉は何といってもシュステルとマラドーナではあったが、このシーズンは何人かの重要な選手が入団している。

まず、At.マドリからマルコスとフーリオ・アルベルトが来た。そしてサラゴサからはピッチ・アロンソがこの年に来ている。またレアル・ソシエダーからはペリーコ・アロンソ、エスパニョールからはウルバーノ・オルテガが入団。この年にかけるバルサの意気込みが感じられる補強選手の多さだ。そしてこの年、バルサソシオが10万3千人と膨れあがっていた。

13節を終了した段階で首位のレアル・マドリに4ポイント差となっていたバルサは、11月27日サンティアゴ・ベルナベウでのマドリ戦に0−2と快勝し、次のソシエダー戦にも勝つことにより待望の首位に躍り出る。だが首位に立つと同時にバルセロニスタには悪いニュースが待っていた。マラドーナが肝炎にかかり、3か月の間試合出場不可能というニュースだった。クラック選手を失うという思わぬ状況を迎えたバルサは次の2試合に敗北する。

だがシュステルを先頭に、キニー、マルコスなどの活躍によりバルサは再び立ち上がる。オサスーナ、バレンシア、バジャドリ、セビージャ戦で4連勝したあと、サラゴサ戦には引き分けたものの、再びAt.マドリ、エスパニョールに勝利し首位に返り咲いた。マラドーナの突然の不在という状況を乗り越えて、バルサは久しぶりのリーガ制覇の可能性を見せていた。

1983年2月26日、カンプノウでのサンタンデール戦で0−2というスコアーで思わぬ敗北を喫する。よくある、つまずきの敗戦というものに過ぎないものだった。だが、バルサ会長ヌニェスは突然の記者会見を次のサラマンカ戦の2日前に召集し、監督であるウド・ラテックの解任を発表する。まだリーグ戦が8試合も残っている段階での突然の解任劇である。

ヌニェスは会長に就任した1978年からこの年1982年までの5シーズンにおいて、実に5人の監督交代劇を演じている。これまでクラブの財政建て直しという意味ではずば抜けた才能を見せていた会長だが、肝心のフットボールに関してはシロウトそのものであった。結果がでないとなると、監督交代というショック療法によって事態を乗り切る方針をとっていた。だからバルサの監督に就任した人々は、将来のチーム作りという悠長なことは許されず、ひたすら結果を要求されたのだ。

後任監督は1978年のアルゼンチンワールドカップで主催国を優勝に導いた、セサール・ルイス・メノッティであった。

メノッティの監督就任は奇しくもマラドーナの復帰時期と重なる。だが監督交代というショック療法はいつものことながら功を奏さない。残りの8試合を不安定な試合展開で戦うバルサは、首位のビルバオに6ポイントと差をつけられ4位に終わっている。

悲観に暮れるバルセロニスタにとって一つの明るい材料は、国王杯の決勝戦進出であった。相手はレアル・マドリ。ただでさえ宿敵同士の戦いとなる上に、両クラブとも不本意な形で終わるシーズンを救う唯一のチャンスだった。1983年6月4日、場所はサラゴサのホームグランドであるロマレーダで決勝戦がおこなわれた。バルセロナからは実に2万5千人、マドリからは1万3千人のファンがロマレーダに集まっていた。試合前、ヌニェスは選手を前にして次のように語っている。

「このマドリ戦は、我が祖国をかけた戦いとしてあることを認識した上で戦って欲しい。あなた方の団結と力によって、素晴らしい結果を生むことを期待しています」

この試合の最初のゴールは、マラドーナの見事なパスを受けたビクトールによって生まれた。前半32分のことだった。試合は一方的なペースでバルサ有利に動くものの、前半はこの得点だけで終わっている。そして後半、バルサ守備陣のつまらないミスによって同点にされる。後半5分、ディフェンスからのキーパーへのバックパスを奪ったサンティジャーナがバルサキーパーのウルッティの横にゴールを決めたのだ。そして試合はお互いにもつれ合いながら試合終了間近となり、多くの観衆は延長戦での決着を予想し始めていた。だが89分、フーリオ・アルベルトから出たセンターリングでマルコスが劇的なゴールを決める。この瞬間、ロマレーダを埋めていた2万5千人のバルセロニスタと、カタルーニャでテレビにかじりついていた何百万という人々は勝利を確信した。そしてバルセロナのあらゆる通りに、このゴールの1分後に人々が飛び出して勝利を祝うことになる。

マドリを敗っての国王杯優勝に喜ぶバルセロニスタであるが、彼らにとって今のバルサはそれ以上の結果を期待できるものとして写っていた。その声を代表するかのように、ラ・バンガルディア紙が現実を厳しく直視した記事を載せている。

「我々バルセロニスタは自分たちにおめでとう、バルサにおめでとうと国王杯制覇に関しては素直な気持ちで言おう。だが我々が今シーズンのバルサに望んでいたものは、こういうものではなかったことも明らかにしておきたいと思う。我々は自分たちに嘘をつく愚かなことはできない。そう、最も重要なタイトルであるリーグ優勝はいつになったらやって来るのだろうか。今の選手を見る限り、我々にはじゅうぶんにそれが可能かと思われた。ヨーロッパチャンピオンになれる可能性だってありそうなメンバーではないか。一体いつになったら我々が必要としているタイトルがやってくるのだろうか」

そう、国王杯というのはバルサにとって、いつも悪かったシーズンを救うものに過ぎなかった。