43 早すぎる終焉 その2

リーグ戦では惜しかったとは言え再びビルバオにタイトルを獲られ、ヨーロッパ戦でも姿を消しているバルサに残された道。それはいつものように国王杯であった。そしてその相手は、今や宿命のライバルというよりは「敵」そのものというイメージのビルバオだ。国王杯決勝戦の1週間前にリーグ優勝を決めていたビルバオである。

1984年5月5日、バルサはベルナベウで国王杯の決勝戦を戦う。クレメンテ、メノッティ、そしてマラドーナによる試合前の舌戦は壮絶なものだった。三者とも度を外した攻撃が続く。

クレメンテ「マラドーナは単なるバカじゃない。あいつは大バカだ。マラドーナみたいな大金をとっているスター選手が、人間性のかけらもなく果てしなく大バカであるということは残念なことだがね」
マラドーナ「クレメンテは俺の顔を見ながら、俺のことをバカにする根性はない腑抜け野郎だ」
メディアと通して試合前日に交わされたコメントである。

否が応でも熱くなる国王杯の決勝戦である。しかも戦う相手はバルサとビルバオ。そして試合前の壮絶な舌戦。誰もが尋常な試合に終わるとは思わなかったとしても不思議ではない。

バルサのメンバーは次のようなものだった。ウルッティ、サンチェス、アレサンコ、フーリオ・アルベルト、ミゲーリ、ビクトール、カラスコ、シュステル、ロッホ、マルコス、そしてマラドーナ。試合開始後13分、ビルバオのエンディカがバルサのゴールを割る。事実上これが決勝点となる貴重な1点だった。バルサは執拗に攻撃するものの、ビルバオのキーパーであるスビサレッタの固い守りの前に、ついに得点をあげることはできなかった。試合はもちろんクレメンテが計画したとおりのファールの多い、激しい試合であった。

審判の笛が吹かれビルバオ選手たちが抱き合って喜んでいる。貴賓席に陣取るカルロス国王も立ち上がり、両チームの選手に対し拍手を送っていた。だが、ビルバオの1人の選手が悲観に暮れているマラドーナに挑発の仕草をしたのをマラドーナは見逃さなかった。マラドーナは疾風のようにその選手のところに飛んでいき羽交い締めにする。それを見たビルバオの選手たちは、マラドーナを止めるのではなく攻撃にでた。もちろんその中に「ビルバオの屠殺人」ゴイコエチェアがいた。彼はマラドーナの背中に向かって強烈はキックを見舞う。それを合図にバルサの選手が入り込み、壮絶な殴り合い蹴り合いとなってしまう。ベルナベウに集まった7万人の観客の他に、テレビ観戦をする何百万というフットボールファンが見守る中でのスキャンダルであった。そして国王も為す術もなくこの「戦争」を傍観していた。

挑発した選手、その挑発にのった選手、それに加勢した選手、すべての選手の責任であった。

翌日の「SPOTS」紙が主張する。
「我々はすべての暴力行為に反対するものである。ましてスポーツの世界において昨日のような事件がおこることは、非常に嘆かわしい事態だといわなければならない。何百万という、もちろん子供たちも含めた多くのフットボールファンが見守る中で、あのようなことは絶対あってはならないのだ。すべての関係者が責任を感じなければならない。クラブ関係者、選手、そして我々ジャーナリスト、すべてが責任をとらなければいけない。これまで自由を勝ち取るために、お互いに兄弟として戦ってきたバスク人とカタラン人である。なぜ我々同士が戦わなければならないのか。一つ言えることはお互いのチームの中に、それぞれのクラブに相応しくない選手がいたという事実だろう」

この試合の2日後、メノッティは一身上の都合という理由から、今シーズン限りで監督を辞任すると表明する。

マラドーナはディステファノやペレ、あるいはクライフと比較されるほどの超クラックであったことは間違いない。また、世界ナンバーワンの選手として評価されても何の不思議もない。バルサでの短い、余りにも短かった選手生活の中でも時間の経過と共に実力を見せつけた選手であった。だが度重なる不運、肝炎などの病気や負傷などを差し引いたとしても、バルセロニスタの中で偉大なアイドルとはついになり得なかった。アイドルとしての見本には決してならなかった、彼のグランドを離れてからの乱れた日常生活。そして彼を取り巻く「マラドーナ一族」の存在。それらがファンからの距離を必要以上に遠くしてしまった。

バルサ会長のヌニェスにとって、もう迷いはなかった。ベルナベウでのスキャンダルな事件だけでもマラドーナを追放するのにじゅうぶんな理由だった。この年の7月、マラドーナは10億という記録的な移籍料でナポリへ出発する。

もしマラドーナに度重なる不運が訪れず、シーズンを通してバルセロニスタに夢を与えるような活躍をしていたらどうなっていただろうか。きっとバルセロニスタは、選手の日常生活のことを許していたかも知れない。あるいは、それでもヌニェスとの確執が何かをきっかけに爆発していたかも知れない。そしてマラドーナを取り巻く一族が、より経済的な有利な条件を出すクラブへの移籍工作に走っていたかも知れない。だが、もしバルセロナに残っていたなら、少なくともコカインへの本格的なのめり込みは避けられたことは確かだろう。

メノッティはその意味をも含めて語っている。
「マラドーナがバルサを、そしてバルセロナの街を離れたことは、バルサの損失ということだけでなく、フットボール界の損失であったと思う」