45 コンパクトなバルサを目指して 

バルセロナの地を踏んだ瞬間から、ベナブレスは多くのメディアによって注目されている。噂には聞いてきたが、バルサの監督に就任することがこれほど社会的影響のあるものだとは思っていなかった。
「とんでもないところに来てしまったか」
イギリスではジャーナリストに囲まれることはせいぜい試合のある日ぐらいだ。だが、挨拶するためだけによったバルサのオフィス前には、彼の到着を30人以上のジャーナリストが待ちかまえていた。
「練習が始まったら、どのような騒ぎになるのか」
ベナブレスの自問自答は続く。

「夜が深く更けるころ、マラドーナの大マンションにあるプールには大勢の友人たちが毎日のように集まっていた。マラドーナの個人的な友人や選手たち、そして同じ数の女性たち。プールの周りに置かれたテーブルにはシャンパンやワインが並んでいる」
前もってベナブレスが聞いていたバルサというクラブの雰囲気はそのようなものだった。だがベナブレスが実際に目にしたバルサというクラブは、まったく彼の聞いていたものとは違っていた。

ベナブレスを驚かしたもの、それはクラブを構成する人たちの徹底的なプロ精神とチームカラーへの愛情だった。クラブ首脳陣はもとより少年部を含む選手たちまで徹底されているものだった。例えば少年部に所属する子供たちは、ラ・マシアという寮で共同生活をし勉学と練習を両立させることを義務づけられていた。朝から夜までびっしりとつまったスケジュールが組まれており、もし学校のテストで落第でもしようものならラ・マシア追放ともなる厳しい環境だ。そしてもう一つ、ベナブレスが試合を重ねて行くごとに感心したものがある。それはファンと選手のおこないだった。

バルサの監督就任というのは、彼にとってドーバー海峡をわたっての初めての外国での仕事だ。カンプノウにフーリガンがいないことにまず感心した。グランド警備員とファンがもめているところを監督就任中に一度足りとして見たことがなかった。そして選手たちのおこない。それは彼が知っているイギリス選手のそれとはまったく違うものだった。ベナブレスは語る。

「例えば、飛行機の便が悪いところへの遠征をバスを使って、それも7時間も8時間もかかって移動するとする。バルサの選手は行きも帰りも水しか飲まないんだ。私はバスの遠征には慣れている。なぜならイギリスにいたときはほとんどがバスでの移動となるからね。イギリスの選手も行きはバルサの選手と同じように水かあるいはコーラしか飲まない。ところが試合が終わってからの帰りのバスの中では必ずと言っていいほど宴会になる。ビールを浴びるほど飲みまくるんだ彼らは。しかしここの選手はシーズンが終了して何らかのタイトルを獲ったときに初めてバカ騒ぎをするんだ。イギリスでは毎週末のことだっていうのにね。」

ベナブレスが時間の経過と共に街や人々を、そしてバルサというクラブを理解してくるように、バルセロニスタもベナブレスそのものを理解し始める。

多くのバルセロニスタは、このイギリスからやって来た新監督が目指すフットボールは、例の「ロングダイレクトパス」による退屈なフットボールを想像していた。だがベナブレスフットボールが展開するに連れて、そうではないということに気がつく。彼の目指したチーム作りは非常にコンパクトにまとまったものだった。噂に聞いていたプレッシング・フットボールは実際に目にしてみると、ミケルスのころのトータルフットボールとはそれほどの違いが感じられないものだった。

ベナブレスはディフェンスの最後の要となる、いわゆるスイーパーを排除した。その分を中盤におけるプレッシングにまわす。前線には3人のデランテーロを配置した。この3人のデランテーロはゴールプレーヤーであると共に、相手ディフェンスにプレッシャーをかけることを義務づけられた。

ベナブレスの考えるフットボールでは、個人技はできるだけ抑えなければならない。ドリブルで相手を抜くよりは、ノーマークの選手への素速いパスが要求される。もちろん彼のフットボールにボール支配率などは無関係だ。中盤と前線での相手選手に対する強いプレッシャーをかけてボールを奪う。前線の3人に加えて中盤の選手が加わり、5人から6人での攻撃となる。ひたすらコンパクトなフットボール。ロングダイレクトパスは、最終的な手段に過ぎない。伝統的なイギリスフットボールとは明らかに異なるものだった。

1984年9月2日、ベナブレスの指揮のもと新星バルサが1984−85シーズンのスタートを切る。あらゆる意味でベナブレス・バルサの将来を決めるテストとなる初戦の相手はレアル・マドリだった。それも敵地サンティアゴ・ベルナベウでのクラシコとなる。

9月2日とはいえ、まだ真夏の夜が続くマドリッド。この日も30°以上の気温という熱帯夜の中でのクラシコがおこなわれた。新監督に元マドリ選手のアマンシオを迎え、すでにベテラン選手となったカマッチョを中心に一昨年デビューしたブートラゲーニョや新税ミッチェル、そしてこのシーズンからアルゼンチン選手であるバルダーノがサラゴサから移籍してきていた。そしてテリー・ベナブレス率いるバルサは次のようなスタメンでマドリと戦う。
ウルッティ、サンチェス、ミゲーリ、アレサンコ、アルベルト、シュステル、カルデレ、ビクトール、ロッホ、カラスコ、そしてアーチバル。

夏休みの余韻をまだ楽しんでいるかのような人々にとって、シーズンの初戦にいきなり「決戦」がやってきてしまったが、それでもベルナベウはもちろん立錐の余地もないまでにファンで膨れあがっている。

グランドに登場してきたバルサの選手の顔ぶれを見ると、前シーズンとほとんど変わりがない。マラドーナの代わりにアーチバル、そしてマルコスの代わりにカンテラ上がりのカルデレが出場しているだけだ。だが審判の笛が吹かれるや、昨年との違いがはっきりしてくる。前半は0−0で終わるものの、マドリがバルサの選手の迫力に押さえ込まれているのがマドリディスタの目から見ても明らかな試合展開となっていた。ボールを持つとプレッシャーをかけられ、ボールを奪われるとバルサからの怒濤の攻撃を受けるマドリ。後半に入り、マドリディスタのイヤな予感が現実となる。後半開始早々バルサは1点を奪う。そして終了間際の5分間に2点を加え0−3で勝利したバルサだった。

マドリディスタにとって、この試合の光景は10年前の0−5を思い出させた。マドリにとって雰囲気の悪いシーズンが、そしてバルサにとってこれ以上は望めない好スタートを切るシーズン初戦となった。