65 再び逆転優勝(92−93)

1993年6月20日、カンプノウでは10万観衆が今か今かと試合開始を待っていた。その中にクラブ会長夫人のマリアの姿も見られた。彼女は前シーズン最終戦の時と同じ靴を履いてきていた。副会長のカサウスはウエンブリーでの試合と同じネクタイを締めていた。そしてレシャックは昨シーズン最終戦と同じジャージを1年間洗濯しないまま着用していた。観客席では「テーネリッフェ! テーネリッフェ! テーネリッフェ!」コールが湧き起こっている。2年続けて奇跡がおこるのだろうか、熱烈な期待と一抹の不安が交叉する10万観衆。しかもこの試合に至るまでの“状況”が、バルセロニスタに不安の方を強くさせていた。

一つの事実。それはこのリーグ優勝を決める“決勝戦”のわずか4日前、バルサはマドリに敗れていた。それも地元カンプノウでの試合で敗れていた。

6月16日、カンプノウでは国王杯の準決勝がおこなわれている。まずバルサにとってはアウエーとなるベルナベウでの試合は1−1という結果を残していた。したがってこの日のホームでの戦いで0−0の引き分けかあるいは勝利さえすれば、国王杯決勝戦への進出が決まることになる。カンプノウでのマドリ相手のリーグ戦では10年以上も敗北を知らないバルサだ。当然ながら有利と見られていた。だがベニート・フローロ率いるマドリは大方の予想を裏切って勝利をおさめる。1−2というスコアーでバルサを沈めたのだ。この勝利は、4日後に控えたリーグ最終戦に関してマドリ選手の士気をを非常に高いものとしたことは語るまでもない。マドリメディアは楽観的な見方をし、カタルーニャメディアは悲観的な予想を繰り返していた。それは無理のないことだろう。地元カンプノウでマドリに敗北するという衝撃的な事件が起きてから4日後の試合なのだから。

そしてもう一つの事実。それはグアルディオラのローマへの移籍話しがここに来て急上昇していたこと。ローマはすでに1200万ドルのオファーを提示していた。さらにストイチコフのラッチオへの移籍はグアルディオラのそれ以上に本格化していた。イタリアメディアもスペインメディアも、ほぼ二人のカルッチオへの移籍を既成の事実として取り上げているほどだった。決してバルセロニスタを包む雰囲気は良くなかった状況での試合となる。

1993年6月20日
リーグ最終戦
バルサーソシエダ
19時きっかり、テネリフェとバルセロナという4千キロ離れた街で、それぞれのリーグ優勝をかけた戦いが開始された。バルダーノ率いるテネリフェ対ベニート・フローロ率いるマドリ、そしてカンプノウではクライフ率いるバルサ対トシャック率いるレアル・ソシエダーの戦い。昨年と同じようにこの最終戦の90分の戦いを通じて、これまで37試合戦われてきたリーグの行方が決定されることになる。

バルセロニスタの不安が大いなる希望に変わるのに時間はあまり必要なかった。昨シーズンの最終戦では、後半25分を経過したときに初めてバルサが事実上のチャンピオンとなったのに比べ、今回は試合開始からわずか13分でバルサが首位となったのだ。

試合開始13分、テネリフェのアルゼンチン選手デルティシアが先制ゴールを決めたのがラジオを通して10万バルセロニスタに伝わってくる。そしてそれから1分後、目の前でもおこなわれている試合でも得点が入る。チキとストイチコフによる壁パスが見事につながり、ストイチコフが待望の先制点をあげたのだ。テネリフェでは1−0で、カンプノウでも1−0。バルサにとって都合のいいように試合が展開されていく。テネリフェのゴールによりすでにバルサ優位となっていたが、さらにストイチコフのゴールが10万バルセロニスタのバルサ優勝の確信をさらに強いものにした。そして19時42分、つまり前半42分に再びテネリフェゴールのニュースが流れる。カンプノウを埋め尽くしている10万人バルセロニスタのフィエスタが早くも始まった。

「カンピオ〜ン、カンピオーン、カンピオ〜ン!」
「バルサ、バルサ、バ〜ルサ!」
「カンピオ〜ン、カンピオーン、カンピオ〜ン!」
「テ〜ネリッフェ、テ〜ネリッフェ、テ〜ネリッフェ!」
「カンピオ〜ン、カンピオーン、カンピオ〜ン!」

夜の9時まであと6分というところで、昨シーズンの奇跡が再び現実のものとなった。テネリフェは2−0というスコアーで再びマドリを沈めていた。カンプノウでは1−0のスコアのまま審判のガルシア・レドンドが試合終了の笛を吹いた。奇跡の2年連続最終戦逆転優勝の瞬間だった。しかも逆転した相手は再びレアル・マドリだ。そしてクラブ史上初の3年連続リーグ優勝となった瞬間でもあった。

この1992−93シーズンは予想外の早さでコパ・デ・ヨーロッパの戦いから脱落し、インテルコンティネンタールでも敗戦を喫し、そして国王杯では地元カンプノウでマドリに敗れたバルサ。しかも唯一タイトル可能となったリーグでは常にマドリ、コルーニャの下を行くバルサだった。2年連続リーグ優勝、クラブ初のヨーロッパチャンピオンに輝きながらも“辞任”要求がソシオからなされたヌニェス会長。そしてこのシーズンを境に徐々に表面化してくるヌニェスとクライフの対立。さらにクライフとの個人的な対立を噂される何人かの選手。グアルディオーラやストイチコフの移籍話し。これらの複雑な問題が、この最終戦勝利によってすべて一時的に消滅することになる。

この試合が終了し翌日の地元テレビTV3の番組に招待されたストイチコフ。彼はこの番組で多くのバルセロニスタに最高のプレゼントの言葉を送る。
「もうイタリアに行くのは止めた。バルサに残れば経済的にはかなりのマイナスになるけれど人生は金だけじゃない。俺はバルサに残ることに決めたんだ。来年のリーグ戦やコパ・デ・ヨーロッパの戦いに勝利するために俺は残る。」