フアン・アントニオ・ピッツイ無許可監督の巻

テネリフェやバレンシア、そしてもちろんバルサで活躍したフラン・アントニオ・ピッツイ。彼がバルサに入団してきた年は若きロナルド入団と同じシーズンだったため、ベンチスタートという試合が多かった。それでもわずか1年でバルセロニスタの心をつかむことになったのは、後半の残り少ない時間に登場してきて期待通りのゴールを決めてくれる“お祭り”選手だったからだ。現役引退後もバルセロナに住居を構えていた彼にアルゼンチンはコロン・デ・サンタ・フェというクラブから監督就任のオファーが来たのはつい最近のこと。ピッツイはまだコーチライセンスを持っていないことを知った上でのオファーだった。

ピッツイにはこのオファーは断れない。なぜならコロンは子供の頃からの憧れのクラブであり、10歳を過ぎた頃にはコロンのカンテラ選手でもあったピッツイだからだ。ライセンスを持っていないからベンチに入って指揮を執れない彼は、親友でもありコーチライセンスを持っているチェマ・デル・ソラールを誘ってアルゼンチン入りする。ソラールを仮の監督としてベンチにおき、ピッツイはすぐ横の観客席から指揮を執ることになる。

プレステージ期間中は練習試合でも良い成績を残しコロンファンからの大きな期待が寄せられていたらしい。そしてシーズンがスタート、だが第三節を終了した段階でコロンはまだ1勝もしていない。3戦3敗、もちろんどうしようもない成績であるものの、シーズンは始まったばかりだ。だが、対立する二つの派閥によって構成されているコロン理事会は、これは良いチャンスだとばかりピッツイ獲得を実現した理事会派を追及、そしてピッツイはたった3試合経過したところでクビになってしまった。厳しい、厳しい、監督業。(2005/03/07


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