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セルジ Sergi

2002年5月27日、セルジ・バルジュアンはそれまでの人生の半分以上を過ごしてきた「バルサ家」での終焉を告げた。彼の退団により、これでクライフ時代を過ごした最後の選手がバルサを去ることになる。

1993年11月20日にセルジはバルサBでの最後の試合をおこなうことになる。当時まだ二部Aに所属していたバルサBは、エスパニョールとのダービー戦を戦っていた。試合終了5分前にセルジは二枚目のイエローカードをもらって退場となる。悔しさのあまり泣きじゃくるセルジにむかい監督のキケ・コスタは「セルジ、落ち着け。お前の選手生活は始まったばかりだ。これから何回も泣くことになるだろう。だがそれ以上に喜びの方が多い選手生活を送ればいい。」

そしてその4日後、彼はチャンピオンズの試合でいきなり一部デビューを果たすことになる。いきなり大きな喜びがやってきた。

かつてアモールの負傷がグアルディオーラを、あるいはバッケロの負傷がオスカーをデビューさせたように、ゴイコの負傷が彼をデビューさせることになる。この試合でチームの中で誰よりも良い試合をしたセルジは、さらに4日後のラージョ戦にも呼ばれ急激にスタメン出場を獲得していく。当時のクラック選手、例えばクーマンやストイチコフ、ラウドゥルップ、あるいはロマリオでさえ絶対のスタメン選手とはいえなかったにも関わらず、セルジは「絶対」のスタメン選手の位置を獲得していく。

アテネでのミラン相手のチャンピオンズ決勝戦で敗北することにより、一部での初の「涙」を体験するセルジ。だがもちろん大きな喜びも何回も経験することになる。UEFAの準決勝進出をかけたPSV戦で、彼はプロ選手となってからの最高の仕事をすることになる。中盤でボールを奪ったセルジはそのままゴールにむかい、何人かの選手を抜いたあと勝利につながるゴールを決めている。

彼をデビューさせたヨハン・クライフが去り、ロブソン、バンガールと監督が変わっていく。ロブソンとはうまくいったセルジだが、バンガールとうまくいっていたとは決していえないだろう。その証拠にもしバンガールが3年目を終えたところで辞任していなければ、グアルディオーラやルイス・エンリケ、そしてリバルドなどと共に放出選手候補にあげられていたことから見ても明らかだ。だがバンガールは4年目を経験することなく去っていった。そしてセルジは我が家に残ることになる。そして今、そのバンガールが02−03シーズンのバルサの監督に就任してきた。今回、出ていかなければならないのはセルジだった。

5分間にわたる「お別れ記者会見」の最中に、彼の脳裏をよぎるものは何だったのだろうか。悔しさか、あるいは不条理に対する怒りか。いずれにしてもこの記者会見で、バルサ選手としての最後の涙を見せることになるセルジだった。

2002年5月27日、セルジの「お別れ記者会見」全文掲載

クラブ関係者と話し合いをもった結果、今シーズン限りでバルサを離れることを決意しました。来シーズンから監督に就任する方が、自分を構想外の選手として位置づけていることがはっきりしたのでバルサを去ることを決意したのです。クラブ側はもう1年の契約を提案してくれましたが、監督が構想外としている以上チームに残ることはできません。個人的にはまだ何年もバルサでプレーできる自信はありますが、それはプレーすることが可能となって初めて証明されることです。したがってバルサ以外の場所でそれを証明していこうと思っています。

15年もいたクラブにサヨナラを言うのは簡単なことではありません。多くの経験と多くの友人が生まれたこの15年間。そして自分はこの長い期間の間に、大きな夢を実現しました。カンテラ育ちの選手として一つずつ階段を上り続け、そして一部のチームでデビューを果たす。カンテラ育ちの選手としては夢のまた夢としてあるカピタンにまでなりました。この偉大なクラブのカピタンとして世界各地でプレーできたことは、言葉では表せないほどの大きな誇りであります。そういう意味ですべての人々にお礼を言いたいと思います。カンテラ時代に知り合った選手たち、すべてのカテゴリーでの監督たち、多くのことを彼らから学び、そして何よりも人間として成長させてくれた人々。この場をかりてヨハン・クライフに特別の感謝の言葉をおくることを許してください。自分の9年間にわたる一部でのプレーを可能にしてくれた監督です。彼には特別な感謝の言葉をおくりたいと思います。

そしてもちろん忘れてならないのは、ソシオとバルサファンの人々のことです。彼らには心からありがとうと言いたい。彼らなくしてバルサは存在しないのはもちろんだし、彼らは嬉しいときはもちろん苦しい時も常に我々側にいてくれた人々です。彼らのクラブに対する要求はいつも厳しいものがあります。でもいつも我々を応援し続けてくれるのも彼らです。

クラブ職員の方々にもお礼を伝えたい、そしてあなた方(記者たち)にもお礼を言いたいと思う。自分はあなた方の仕事のことを尊重してきたつもりだし、あなた方も選手としての自分を尊重してきてくれた。こちらからあなた方を助けることもあったし、あなた方が自分を助けてくれたことも何回かありました。本当にどうもありがとう。

そして最後に自分の家族に感謝の言葉をおくりたいと思います。彼らの援助なくしてセルジ・バルジュアンは何者でもありませんでした。苦しい時に自分を強くしてくれたのは彼らです。もし自分に何かの価値があるとすれば、それはすべて家族の援助のおかげです。

自分はバルサを離れます。でもどこにいても心はバルセロニスタです。自分の心は常にバルサと共にあります。そしていつもバルサが勝利し続けることを願っているでしょう。タイトルを獲得することを期待しているでしょう。バルサのベンチの中には多くの異なる文化があり、そして異なる言語があります。でもこれまで自分が経験してきた限りでは、心は常に一つでした。すべてをバルサのために、そういう思いでベンチが一つになっていました。バルサに残る人々、つまりクラブ理事会の人々やコーチ陣、そして選手や職員の方々、すべての人々に心から幸運を祈ります。とてつもなく大きな幸運を祈ります。バルサとセルジ個人にとっても良いシーズンが訪れることを祈ってやみません。

本当にありがとう!


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