10月13日 月曜日

■1チャンネル(1.5MB)
“クアレスマ デ バルセロナ〜 オレッオレッ!”
“クアレスマ デ バルセロナ〜 オレッオレッ!”
“クアレスマ デ バルセロナ〜 オレッオレッ!”
バルセロナの街の北の方にあるグラシア地区には多くのヒターノ(ジプシー)が住んでいる。ヒターノのお父さんを持つクアレスマは自らの血統を大事にしようとする。バルセロナのヒターノとの対面。

■2チャンネル(0.9MB)
トーレス「アイドルはキコ」
キコ「もちろんグアルディオラさ、パン、パン、パンとボールを回す天才だ」
グアルディオラ「アイドル?それはシュステル」
シュステル「ヨハンさ、ヨハン・ニースケン」
ニースケン「一言、ケンペス、マタドール・ケンペス」
ケンペス「それはもちろんディ・ステファノ」
ディ・ステファノ「トーレスはまるで若いときのヨハンみたいだ」

■3チャンネル(0.7MB)
カナルチキートでのみ拝めるこれぞ貴重な画像シリーズ第四弾。
バルサ・ラグビー・セクション

(映像を見るにはQuickTimeが必要です。ダウンロードはこちらから)


フェルナンド・コウトの思い出

「これまでのプロ選手としての経歴において、バルサというクラブのユニフォームを着られたことが最大の誇りだと思っている。わずか2年という短い期間でありながら、フットボール選手として最も素晴らしい期間を過ごしたのがバルサだったし、そしてそのクラブに在籍できたことを一生の誇りとしていくだろうと思う。」
すでに15年間にもわたってプロの第一線で活躍し続けているフェルナンド・コウト。彼は昨日のポルトガル・アルバニア戦で代表選手として100試合出場を記録している。多くのポルトガル人ジャーナリストから一つの時代を築いた彼に対して多くの質問が投げかけられた。その中で彼は15年間のプロ生活の中で最もプロとして誇りに感じた期間はバルサ在籍中のものだったと語る。

1996年の夏、ボビー・ロブソンの願いがかなりパルマから移籍してきたコウト。4年間の契約を結びながら2年目にやってきたバンガールとの確執により、バンガール政権2年目には放出されることになった。もちろんバンガールに関する質問がでたときにはいい顔をしないコウト。
「肌に合わないと言えばいいのか何と言えばいいのか、とにかくバンガールとは最初からうまくいかなかった。と言っても、彼のフットボール理念は好きだったんだけれどね。でもどうしてもうまくいかない関係というのはどこにでもあるさ。それでも2年しかいなかった自分より、もっと悔しい思いしている多くの選手がいると思うよ。カンテラ育ちの選手や長いことクラブにいた選手が大量に意味なく放出された時期だからね。」

バンガールはバンガール、彼を放出した監督とバルサそのものとは関係ない話しと割り切るフェルナンド・コウト。良い思い出はわずか1年間しか続かなかったものの、そのクラブに在籍できたことを最大の誇りと感じるコウトだ。なぜならバルサというクラブはこれまで彼が在籍してきたクラブとは明らかにスケールが違うし、存在基盤そのものが違うと語る。
「いまだにセンチメンタルな部分が残っている唯一のクラブだと思う。いかにビジネスに流される時代になっても、人々のセンチメンタルな部分がクラブを支え続ける可能性がある唯一のクラブだ。それはたぶんカタルーニャという国とその人々に支えられているクラブだからだろう。まさに“クラブ以上の存在”というのがその通りという感じのクラブさ。」

クラブを去るときに、多くのバルセロニスタが暖かい言葉をかけてくれたことを今でも忘れていない。バルセロナという街にも溶け込んでいた彼にとってクラブを去ることは非常に悲しい出来事だったようだ。
「クラブを去る決断をするには多くの時間が必要だったさ。2年目に入って出場チャンスがどんどん減ってくるし、そして何よりも監督が計算外だと考えていることが明らかだったからクラブを去ることが唯一の自分の道だったんだ。もう28歳だったし、ベンチで指をくわえている年齢じゃなかったからね。多くの熱狂的なバルセロニスタと別れることや、住み慣れたバルセロナを離れることは本当に悲しかった。でも今となっては一生忘れられないことだね。バルサというクラブに在籍できたことがプロ選手フェルナンド・コウトとしての最高の誇りとなっているんだから。」