Iago Falque Silva
ヤゴ

1990/01/04
Vigo(Galicia)
173cm 62kg
Centrocampista
Juventus

星の観賞(映像)

星の軌跡
2001年、11歳で入団

1999 - 00 Benjamin
2000 - 01 Alevin B
2001 - 02 Alevin A
2002 - 03 Infantil B
2003 - 04 Infantil A
2004 - 05 Cadete B
2005 - 06 Cadete A/Juvenil B/Juvenil A
2006 - 07 Juvenil A
2007 - 08 FC Barceona B
2008 - Juventus

星の輝き
2002年12月におこなわれたカナル+TV局主催のフットボール7大会で一躍注目を集めることになった少年。かつてイニエスタもこの大会で活躍しMVPに輝き注目を浴びたが、彼もまたイニエスタとまったく同じ道を歩むことになる。そして、アルバセテ出身のイニエスタがすでに地元では有名な少年となっていたように、ヤゴもまた地元ビーゴでは名の知れた少年フットボーラーだったようだ。8歳の時にはすでにUMBROというスポーツメーカーのスポンサーが付いていたという。そしてこのヤゴ少年の獲得競争も激しいものだった。レアル・マドリとバルサのスカウトの戦いが繰り広げられたからだ。

ヤゴの父親の名前はブエナベントゥーラ、母の名はカメーラ、彼ら両親にとってスペインの二つのビッククラブからオファーが来ることは非常に迷惑だったようだ。なぜならまだ少年のヤゴを、自宅から離れたところに住ませて家族バラバラ状態となることを嫌ったからだ。11歳のヤゴに対し連日のようにレアル・マドリとバルサ関係者からの連絡が入ってくるものの、ブエナベントゥーラは丁重にお断りしている。だが両親の固い決意を動かすことになるのはヤゴの、これまた固い思いだった。
「どうしてもバルサに入団したい。」
それがヤゴ少年の固い意志。もしバルサに入団することを許してくれないなら、もうフットボールを辞める、そうまで言い切るヤゴ少年。ブエナベントゥーラ、カメーラ、この両親はついにヤゴ頑固少年の前にギブアップ、両手をあげて降参、それが2001年のことだ。バルサのオファーは次のようなものだったらしい。ビーゴで教師をしていたブエナベントゥーラをバルセロナに呼び教職で得ていた年俸と同じ額のものを与る。もちろんマンション代はクラブ持ち。やはり教師をしている母親のカメーラはビーゴに残ることになるものの、月に1回のビーゴ→バルセロナ→ビーゴ往復飛行機代をクラブが持つ。そしてヤゴの年俸は11歳の少年としては異例の額となって支払われる。

レオ・メッシーのプレースタイルがアイマールタイプとするならば、ヤゴのそれはロマンタイプと言っていい。常に同じカテゴリーでプレーしてきているボージャンのゴール数の多さは、このヤゴの存在と決して無関係ではない。彼の左足からだされる想像力豊かなパスは、たった1年しか見られなかったロマンからのパスによく似ている。バルサ期待の明日の星ヤゴ、まだ14歳。(04年09月)


チキート参照記事
「カンテラ 明日のキラキラ星
「ニュース」