2月27日


     

CAPELLO - REXACH

3 - 0

カペーロ株、急騰

「バレンシア戦の二の舞は踏まない」
そう語ったレシャックは、確かに違うスタートメンバーでローマ戦にのぞんだ。だが「二の舞」を踏まなかったのはスタメンの選抜だけで、戦いの精神はバレンシア戦と同じものだった。一方カペーロは、彼のイタリアンスタイルがバルセロニスタに受け入れられるかどうかは別として、彼なりの仕事を見事に成し遂げた。

我々は20年以上にもわたってレシャックとのつき合いがある。そして我々が知っているレシャック、それは「良いフットボールをすれば勝利する確率が非常に高くなる」というアイデアを持っている人物であったはずだ。だがここ半年の彼の仕事を見た限り、そのフィロソフィーのかけらも見られないことも一つの事実である。彼が変わったのか、あるいはそのフィロソフィーが何らかの理由で実現できないのか、それは我々にはわからない。唯一わかっていること、それは今のバルサは「良いフットボール」もしていなければ、彼の目指す「フットボールのスタイル」さえ見られないことであろう。

レシャックが言うように確かに良いフットボールをすれば勝利する確率は高いと信じる。それはクラブの長い歴史の中でバルサが目指してきたものだし、バルセロニスタに好感をもたれてきたフィロソフィーでもある。だが長いリーグ戦において、現実的には悪いフットボールをしながらも勝利しなければならないときもある。選手たちも人間だ、常に同じレベルのプレーが続けられないこともあるだろう。だがそれには「幸運」も必要だろう。そしてその「幸運」は探さなければやって来ないと言ったのはクライフだった。

昨日のローマ戦は「良いフットボール」もなければ、「幸運」を探そうというイメージも伝わってこないバルサだった。それと比較し、ローマは彼なりの試合を90分にわたって繰り広げてきた。何の面白みのないフットボールでありながら、実に効果的な方法で勝利を追求するイタリアンスタイルである。

クライフ率いる全盛期の「ドリームチーム」が、ミランと戦ったアテネでの決勝戦を思い出す。ミランはすでに下降線をたどっているチームだった。だが結果はカペーロ率いるミランが4−0でバルサを沈める。クライフのバルサが、それから一気に下降線をたどる原因となった痛恨の敗戦。これまでのカペーロとバルサの戦いは、このアテネでの4点、先日のカンプノウでの1点、そして昨日のローマでの3点、合計8点をもぎ取られ、バルサが得たゴールは1点にしか過ぎない。クライハートの言う「超保守的、守備的」カペーロが、攻撃力を自慢とするバルサよりも7点も多く獲得している事実を我々はどのように考えなければならないのだろうか。


ロナルド・クーマンの分析

レシャックが「もし試合を見ていない人がこの結果だけを見たら、さぞ一方的な試合だったと思うだろう」と語っていたが、私もこういう経験が何回もある。自分のチームが明らかに相手チームに優っているのに、終わってみれば3点も4点もとられて負けていたという経験がね。そして昨日の相手は、ましてイタリアのクラブだった。ディフェンス的に非常に統制がとれていて、自分たちの目的がはっきりしているチーム。それだけなんだが、彼らはそれでじゅうぶんなんだ、試合に勝利するためには。

ガラタサライとリバプールが引き分けに終わったから、バルサは依然として次のラウンドにいくチャンスがじゅうぶん残っている。個人的には、大丈夫だと思う。だが心配なのは、イレギュラーな試合展開もさることながら、攻撃力の貧弱さだ。ローマ戦、バレンシア戦、そして再びローマ戦でバルサは1点しか獲得していない。いや得点数以上に心配なのはそのゴールチャンスの少なさだ。本来のバルサのイメージとはほど遠いものとなってしまっている。

昨日の試合で驚いたこと。それはモッタとリバルドを右に、ジェラールとクライハートを左に配置したことだ。クライフの時代、ストイチコフを右に、ラウドゥルップを左に配置し、それぞれ利き足でシュートを打ちやすいようにポジショニングしたことがある。でもそれは緊急事態の場合が多かった。明らかに自然のポジションではないんだからね。それに3人も4人も逆のポジションに選手を配置すると全体的なバランスが悪くなるのは目に見えている。オーベルの加入でそれが少し調整されたが、彼は100%のできではなかった。

前半に関して言えば、非常にお粗末な試合だと言って良いだろう。カペーロが3人のデランテーロを用意したものの、実際彼らが攻撃参加した場面はほとんどなかった。バルサにしても攻撃するのか守るのか、それさえはっきりしていない状況だった。もちろんローマの戦い方は普段でもあんなものなのだろうが。

もし私がバルサの監督であったとしたらリバルドは起用しなかっただろうと思う。いや、もっと具体的に言えば、100%でない選手はリバルドという名前であろうと太郎という名前であろうと使うべきではないというのが私の持論だ。それがいかに重要な試合であろうとね。

この試合を変えたのはデルベッキオに代えてモンテーラが入ってきてからだろう。このへんはさすがカペーロという感じ。スペクタクルのかけらもないチームだが、彼らには彼らなりのフィロソフィーがある。監督も試合の流れを読むことに冴えていた。

バルサはもう居直るべきだろうと思う。クラブとしての根元に帰り、何をしなければいけないのか、何をしてはいけないのか、そこをはっきりすべきだろう。


4つの疑問

1.なぜ引き分け狙いのような試合をしたのか
バレンシア戦のでの「精神」は繰り返さないと語ったレシャックの言葉は何だったのか。バレンシア戦での総括は「引き分け狙いは敗北につながる」ということではなかったのか。ローマ戦開始1分から、我々に伝わってきたバルサ選手のイメージは、何らバレンシア戦と変わらないものだった。そして結果は、そう、やはり同じだった。完膚なきまでの敗北。しかも相手チームが凄かったかというと、決してそうではなかった。

2.なぜ逆のポジションでプレーしたのか
ジェラールの何か月ぶりかのスタメン出場も驚くことだったが、それ以上に彼とモッタのポジションに驚かされたバルセロニスタ。我々がこれまで教わってきたフットボール界の常識は、左利き選手は左へ、右利き選手は右のポジションへというものではなかったか。ブラボー、レシャック!

3.なぜサビオラがでなかったのか
再び歴史は繰り返された。カンプノウから離れたグランドでのサビオラの控えがそれだ。後半に攻撃要員としてオーベルが入ったが、なぜサビオラは最後まで出場しなかったのか。オーベルがどんな調子かレシャックはいまだに理解できないのだろうか。いずれにしてもサビオラを90分にもわたってベンチに座らせておく贅沢はバルサにはないはずだ。

4.なぜ簡単にゴールを許してしまうのか
多分、ローマが入れたゴールの罪をレイナにかぶせるのは適切ではないだろう。だが同時に、肝心なところでのチームを救う活躍を見せていないのも明らかではないだろうか。打たれたシュートがすべてゴールにつながる最近のバルサ。モンジュイクでのタムードのゴールにより、スタメンから外されたボナノの復帰があってもいい頃だと我々は思う。