4月28日 水曜日

■1チャンネル(1.5MB)
クラシコの試合前に“ひっそり”とアトーチャ駅にいくはずだったラポルタを中心としたクラブ首脳陣。目的は3月11日のテロ被害にあった人々への追悼だ。だがこういう情報はすぐに知れわたってしまうことになる。ラポルタ御一行を待つかのように多くのマドリ市民がすでにアトーチャ駅に来ていた。もちろん“プータ・バルサ!”と叫ぶためではなく“グラシアス、バルサ”を表明するためだ。

■2チャンネル(1.4MB)
こういう風景を見るのはこれが最初ではないし、そして最後でもないんでしょう。それにしても松葉杖が似合うようになりましたなあ。

■3チャンネル(1.1MB)
「マドリに勝利したことからリーグ制覇も夢ではなくなったけれど、いずれにしても難しいことにはかわりがない。やるだけやってみようじゃないか。」
「ギャラクシーなんて聞いてあきれちゃうよな。マドリでギャラクシーな存在は会長のフロレンティーノだけじゃないか。クラシコでの試合での観戦態度の悪さはまさにギャラクシーだったぜ。」

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ルイス・フィーゴから泣き虫ペセテロへ

■写真撮影・1998年4月19日
■撮影場所・サン・ジャウメ広場
■主役・我らがヒーロー、ルイス・フィーゴ

“ブランコ、泣き虫ブランコども、我々カンピオンに頭を下げろ!”
“ブランコ、泣き虫ブランコども、我々カンピオンに頭を下げろ!”
“ブランコ、泣き虫ブランコども、我々カンピオンに頭を下げろ!”

サン・ジャウメ広場に面するバルセロナ市役所バルコニーから6千人のバルセロニスタを前にして叫んでいるのは当時の名をルイス・フィーゴ、現在の名は誰もが知るペセテロ・フィーゴ。髪の毛をアスールグラーナ色に染め、右手にはバルサマフラーを高々と振り上げての絶叫が3回続けられた。そしてそれから6年という歳月が流れ、ルイス・フィーゴの叫びが正しいことが再び証明されることになった日曜日のクラシコ戦後のペセテロ発言。
「審判は悪意を持って笛を吹きに来たとしか考えられない。すべてとは言わないまでもほとんどの笛が我々に不利に吹かれていたことがそれを証明している。プジョーに対するタックルだって決してファールでもなかったし、したがってカード制裁を受けるものでもなかった。」
そう語りながらも試合後のプジョーとの個人的な対話では負傷させたことの謝罪をおこなっているペセテロ。二枚、いや三枚以上ある彼の舌が、すべての発言を可能にするギャラクシーなペセテロ、ここにあり。

ペセテロだけではなく多くのレアル・マドリの選手たちは泣いている。ルイス・フィーゴが6年前に叫んだように泣き虫ブランコどもは泣いている。今シーズン、彼らが受けてきた笛吹童子によるお助け試合を振り返れば、単純に計算しても13ポイントものエクストラポイントをいただいているにも関わらず、その笛吹童子を悪者として非難し泣いている。オエ〜ン、オエ〜ン、オエ〜ンと泣いている。オエ〜ン、オエ〜ン、オエ〜ン。

サンティアゴ・ベルナベウでの試合後に観客席から離れようとせず、本当に泣いていた何人かのマドリディスタたち。彼らの涙は本物の涙だ。シーズン成績などとは関係なく常にブッ倒さなければならないバルサに負けた悔しさが彼らの目に涙をうかばせていた。それはカンプノウでの20年ぶりの敗戦を目の前にしたバルセロニスタの涙と同じように純粋なものだった。だがペセテロを中心に、笛吹童子を攻撃対象として泣いているマドリ選手の涙は松田聖子なみの偽物であることは明らかだ。フィジカル的にもメンタル的にもギリギリのところに来ているマドリ選手であり、そして何よりも選手層の薄さという、シーズンが最後に近づいているこの段階ではどうにも修復できない大きな問題を抱えているチームであることを認めようとしないレアル・マドリ。もしそれを認めてしまえば、それはフロレンティーノがおこなってきたギャラクシー作戦の崩壊を認めることになる。

我らがカピタンにしてこれからも長い間バルセロニスタの心の中に存在するであろうガッツ・エンリケと共に、先日の試合が最後のクラシコとなるであろうペセテロ・フィーゴ、そう、いつまでも泣いているが良い。気の済むまで泣き続ければいい。だがその涙とあの日の涙と決して同じだと思ってはいけない。あの日の涙、それはカンプノウに白いユニフォームを着て初めてやって来たときの、多くのバルセロニスタと多くの子供たちの涙。それと同じにしてはいけない。オエ〜ン、オエ〜ン、オエ〜ン、いつまでもウソ泣きを続けるがいい、ペセテロ。