今から29年前にこの世に誕生してきた息子について、母親のマリア・メルセ・クレウスが語る。
「体重は3キロ350グラムもあったけれど、比較的楽な出産だった。おしゃぶりは嫌いで、紙で作ったボールやミニチュアカーと遊ぶのが好きな子だった。その子がいつだったか、私に車を買ってあげるから好きなタイプの車を選んでくれと言ってきた。その時に初めて、ああ、時間のたつのは早いなあと実感したのを覚えている。」
父親の名はホアキン・エルナンデス、今から20年ほど前にはフットボールスクールのコーチをしていた。
「チームの仲間たちすべてがボールのある方向に走り寄っていくのに、息子だけはボールを追いかけないで、周りを見ながら突っ立っている。試合が終わってそのことに触れると、『相手の攻撃を防ぐためには、誰かが必要なところに残っていなければならないと思うんだ。』と、こう私に説明するんだ。まあ、それは確かにそうだ。私は彼に技術的な細かいことを教えたことはないが、いつも執拗に言ったことは、仲間とはうまくやれ、それだけだった。そして彼はその教えを忠実に守ってくれたと思っている。」
その少年が10歳となり、地元のテラッサというクラブのアレビンカテゴリーでプレーするようになる。バルサ伝説のスカウトマン、オリオル・トルト氏は一目見たときから彼に注目し、バルサインフェリオールカテゴリーでプレーさせてはどうだろうかと両親に相談。そして、翌シーズンからバルサでプレーするようになった。今から18年前の1991年のことだ。学校の授業が終わると、クラブが出したタクシーに乗ってラ・マシアに向かい、練習が終わると再びタクシーに乗ってテラッサの自宅に戻るという毎日が続くことになる。1998−99シーズンに、バンガールバルサでデビューすることになるが、フットボールの世界で注目を集め始めたのは、1999年のムンディアルU20の大会に出場し、優勝を飾ってからだろう。
チャビ・エルナンデス、この選手がプレーしているのを初めて見たのは、フベニルカテゴリー時代だったと思う。たぶん、今から13年前、あるいは14年前のこと。線が細くタッパもないこの選手のポジションは、背番号4番となるピボッテ。決してデラ・ペーニャのように冒険を好むタイプの選手ではなく、ペップのようなカリスマ性を感じる選手でもなく、アルテッタのようにリーダーシップを持った選手でもなく、まして、その後登場してくるイニエスタのような才能の固まりというイメージは伝わってこない選手だった。だが、もちろん彼ならではの特徴も持ち合わせていた。短いコースへの的確なパス、ボールタッチの柔らかさ、そして不思議にもなぜかボールを奪われることのないプレースタイル。それは、彼の11年間にわたるエリート選手としての基本的なプレースタイルとなっている。そしてこの間、人気のある選手だったかというとそうでもない。特にカンプノウに足を運ぶバルセロニスタにとって、まるで空気のような存在となっていたシーズンが多くあったことは否定できない。
だが、今シーズンのチャビはこれまでの彼とは一味も二味も違う。基本的なプレースタイルそのもには変化はないものの、ボールを取りに足を突っ込んだり、選手間同士のもめ事に突っ込んでいったり、若手選手に対して大きなジェスチャーで指示をだしたりするシーンが、いままで何回かカンプノウで見られた。ユーロ2008最優秀選手、世界ナンバーファイブ優秀選手(FIFA)、ヨーロッパ最優秀セントロカンピスタ(UEFA)というような賞を獲得して自信がついたのか、リーグ戦試合出場300試合達成というような記録を作って自覚が生まれたのか、あるいはペップが新監督となっての現象か、いずれにしても何か変化が起きているような気がする。たまにはチャビのことを褒めてもバチは当たるまい。
2009年1月25日、ヌマンシア戦の翌日29回目の誕生日を迎えたチャビ・エルナンデス。フェリシダーデス!
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