Bojan Krikic Perez
ボージャン


今シーズン選手評価(下)
(09/05/24)

ボージャン・ケルキック イエェー!

バルサエリートチーム2年目とはいえ、まだ18歳の選手。デビューしてきた昨シーズンはやたらと出番が多いことにビックリしたが、2年目となる今シーズンは彼の実力に相応しい出場時間となっている気がする。だが、短い出場時間内でそれなりの活躍をしたとメディアは評価しているが、個人的には非常に物足りなく感じている。18歳の選手に期待の持ちすぎだと言われれば確かにそうなのだが、それでもなにか、うまく表現できないが物足りない。普通の18歳のスペイン人はもう大人ぶっているというのに、ボージャンの場合はいつまでたってもガキっぽいところも、なにか気にくわない。一丁前の選手になるためには、ひょっとしたら、この坊やは一度両親の元を離れた方がいいのじゃないかと、そう思ったりする。来シーズンには、まずピチャピチャしたしゃべり方をやめること、ネチャネチャした態度をやめること、そして例えばイスラエル・パレスティナ問題のことでも考えてみよう。

「こちらカピタン」より


ボージャン18歳 その2
(09/02/01)

インファンティルカテゴリーから見続けている選手だけに、そしてゴールの嗅覚という、デランテロに欠かせない才能に関しては、やはり同じような年齢から見始めたメッシーを越えていた印象があっただけに、昨シーズン彗星のごとくデビューし、ゴールを決めまくっていたボージャンの活躍に驚きはなかった。個人的には、以前からの彼の活躍の延長線上にあるに過ぎないように思えた。だから、今シーズンが始まる前にもその延長線は更に伸びるだろうと、シロウト予想をしてしまった。シーズンが半分ばかり終わった今、そう簡単には問屋が卸してくれない状況を迎えている。

プレステージでの試合とはいえ、若干16歳でライカーバルサの一員としてデビューし、17歳の誕生日を迎えてすぐに、一部デビューを飾ったボージャン・ケルキック。メディアからは彼に対する尋常ならぬ“持ち上げキャンペーン”が嵐のごとく発生し、そこから必然的に“ボージャンブーム”まで誕生してしまった。ブームになったことなどない人間にはわからない世界ながら、17歳の少年にとって決して良いものであるとは思えない。だが、エリート世界に生きようとする若者にとっては、避けられない道であるとも言える。異常なまでの“ボージャンブーム”が徐々に過ぎ、平常さが戻ってきた今、ラ・マシアから初めて生まれたゴレアドールが苦しみながら成長していく課程に入ったのだろう。エスパニョール戦の前々日におこなわれたエル・パイス紙でのインタビューを紹介。

あなたにとっては、見知らぬ世界でそれまで経験したことのないようなスピードで物事が進んでいった昨シーズンではなかったか?

そう、恐ろしい速さでいろいろな風景が過ぎ去っていった感じだった。自分を取り巻く世界がアッという間もなく変化していく、そんな毎日だった。

今シーズンはそんなことはないと思うが?

うん、スピードという観点から言えば、自分の目で一つ一つ確認できる普通のものとなっている。恐ろしいほどの速さではなく、落ち着いたスピードで物事が展開していくようになった。

とは言うものの、昨シーズンより出場試合数が減ってきている。活躍の場が与えられないことに関して悔しさがあると思うが?

それは一つの現実として受け止めるしかないと思っている。冷静に分析してみれば、昨シーズンと今シーズンでは比較の対象にはならない。途中交代して自分がグラウンドに登場してくる時の状況が、どうしてもゴールが必要とされる試合展開となっていたのが昨シーズンだとすれば、今シーズンのそれは、すでに前半で勝負が決まっている展開の試合がほとんどだった。試合終了20分前に出場できたとしても、昨シーズンと今シーズンでは自分に要求されることに違いがある。

今の状況に満足しているということか?

試合にあまり出場する機会のない選手に、満足という言葉はあり得ない。昨シーズンは自分なりに非常に満足できるものとなった。それは出場する機会が多かったからだ。

それでも昨シーズンはプレッシャーがきつかったのではないか?

プレッシャー?そんなものはカンテラ時代から常にあったし、言ってみれば自分の“友人”に過ぎない。確かにそういうものがあったかも知れないが、自分としては気にならなかった。昨シーズンはプレーする機会があることだけで満足だったが、今シーズンは明らかに状況が異なっている。チームは理想的にうまく機能しているし、自分の学習内容も違うものとなっている。

ラウルと比較されることが多いが、それをどのように受け止めているか?

ラウルのような選手に近づいたと思われる日が来れば最高だと思っている。外部の人はともかく、自分としては彼と比較したこともないし、彼のような選手になることは不可能だ。もちろん自分をラウルと比較されることに誇りを感じるが、自分はボージャンであって決してラウルではないと思っている。

ユーロコパを辞退したことを後悔しているか?

いやいやとんでもない。辞退したことは正解だと今でも思っている。フィジカル的にもメンタル的にも限界にきている時期だったから、ここは止まらないといけない、そういう判断で辞退したことに間違いはなかったと思っている。ルイス・アラゴネス監督に自分の状態を説明して、彼も理解してくれた。正しい判断だったと信じている。

マラガでおこなわれたイタリア代表との試合に招集されたのが大きなプレッシャーとなり、同時にメンタル面での疲労を呼んだのだろうか?

繰り返すことになるが、プレッシャーはまったく関係ない。プレーしている時に、これまで一度足りとしてプレッシャーを感じたことがない。それらしきものを感じるのは試合前と試合後のことだ。したがって個人的には、メンタル面の疲労とプレッシャーとは、まったく関係ないことだと思っている。ただ、自分は16歳でエリートチームに足を突っ込むことになったから、好むと好まざるとかかわらず、環境の変化に戸惑ってしまうことが多かった。例えば、これまで同年齢か一つか二つ上の選手と一緒にロッカールームを共有していたのが、突然のごとくロナルディーニョとかデコとかと一緒になってしまったことに対する戸惑い。友人たちとパーティーに参加したり、映画を見に行ったり、レストランに行ったりするときに、途中で大勢のファンにサインを求められたりすることへの驚き。自分はまだこの世界に入ったばかりの新米だと思っているのに、ファンの人々にしてみれば自分は“あのバルサの”立派な選手の1人としてうつってしまう。はっきり言ってブーム以外の何ものでもないとは分かっていたけれど、この環境の変化には戸惑うことが多かった。ただ、監督やチームの同僚たちの助けがどれだけ力強かったか、その意味では彼らに非常に感謝している。

バルセロニスタにとってあなたは“目の中に入れても痛くない”存在となっているからこそ、ブームが生まれたのではないだろうか?

うん、確かに彼らが自分を大事に思ってくれていることは肌で感じている。ただ、昨シーズンは異常だったと今でも思っている。そのブームが自然に下降線を描くようになった今シーズンは、昨シーズンと違い、これまで通りの自然な自分で生きていける環境になっているように思う。

ペップはあなたを信頼していると思うか?

もちろん彼は自分を信頼してくれている。プレーする時間は少ないけれど、信頼感は持ち続けてくれていると思う。今の自分はあくまでも学習時期。そのうちプレー時間も増えてくることを信じているし、ゴールもこれまでのように決めることができると思う。

「こちらカピタン」より


イマイチの週末
(08/11/26)

1994−95シーズンに、彗星のごとくデビューしてきたレアル・マドリ選手ラウル・ゴンサレスの幸運は、第二プンタという同じポジションのブトラゲーニョが、年齢的なものによる衰えを見せ始めていたことにある。17歳でデビューを飾ったバルサ選手ボージャンと同じように、彼もまたこのデビューシーズンには30試合近く出場している。そして翌シーズン、すでに30歳を越えていたブトラゲーニョはほぼベンチスタートが宿命となり、第二プンタのポジションがラウルのものとなって、多くの試合に出場し始めることになる。ブトラゲーニョの衰退時期と同じくしてデビューすることができたこと、そしてプンタだけではなく、第二プンタというポジションがシステムとしてあったことがラウルの幸運だったとすれば、ボージャンの不幸は、ペップバルサにはエトーという文字通り絶対のプンタがおり、そして第二プンタというポジションが存在しないことにあるだろう。

ライカーバルサでデビューを飾った17歳ボージャン。彼は9番(プンタ)として起用されることもあれば、7番や11番としても起用されることがあった。1999年にバルサインフェリオールカテゴリーに入団してきて以来、常にプンタというポジションでの絶対的な選手として起用され続けてきた彼が、サイドの選手として起用され始めた。だが、今シーズン監督となったペップは、彼をプンタ・プンタの選手として考えているようだ。つまりサイド選手ではなく、典型的な9番の選手としてとらえている。それはペップのこれまでの発言で明らかだ。例えば、ヘタフェ戦後にも次のようにボージャンに関して語っている。
「あなた方ジャーナリストが批判するほど、ボージャンは悪いプレーをしたわけではない。監督としては、彼のプレーには非常に満足している。彼はプンタ・プンタの選手であり、それであるにもかかわらず、サイドのポジションに置かれても要求どおりの仕事をしてくれている。もし彼が今日のプレーで落ち込んでいるとしたら、我々皆で彼を助けなければならないだろう。なぜなら、彼が落ち込む必要などまったくないのだから。」

ペップ監督にとって絶対のプンタはエトー以外あり得ない。それは、これまでの起用方を見れば明らかだし、なによりもエトーが出してきている数字が、ペップ監督のアイデアの正しさを証明している。したがって、プンタ・プンタのボージャンが起用される時は、絶対プンタのエトーが出場しない時に限る。だが、イニエスタとメッシーの負傷が、ボージャンの7番、あるいは11番起用という、苦肉の策となってあらわれた。監督にとってボージャンの最善のポジションではないと知りつつも、他の選手よりはマシだという発想からだろう。そして55分間プレーしたボージャンの出来は、シロウト目にも決して褒められるものではなかった。他の多くの選手と同じように、そう、他の多くの選手と同じように、決して良い出来とは言えなかった。昨シーズンのジョバニに対する冷酷なブーイングよりは圧倒的に小さかったものの、かすかに聞き取れるぐらいのささやかなブーイングがボージャンのプレーに対して投げつけられていた。う〜ん、厳しいぞ、厳しすぎるぞ、バックスタンド北側ゴール近くブーイング命族。

  ーー 後略 ーー

「こちらカピタン」より


ボージャン18歳
(08/08/29)

ちょうど5年前の今ごろ、つまり2003年の夏、“こちらカピタン”にバルサカンテラ最新の宝石と題して、彗星のごとく?ボージャンの名が登場してきている。

「ゴールを奪うことがボクの仕事。もしそれがうまくいかないときはイライラするんだ、自分に対してね。でもゴールは自分だけの力で生まれるものじゃない。チームが一つになったときに生まれるものなんだ。」
これが今年12歳(注・実際には13歳。5年前の間違いはもう時効だ)になるバルサカンテラ最新の宝石ボージャン・ケルキック君のお言葉だ。

彼の名前を初めて聞いたのは2年前。ヤゴが話題になったときにヤゴからのパスをよくゴールしている選手がテレビに写されていた。それがボージャンという名前だった。

一番下のカテゴリーであるベンジャミンカテゴリーで226ゴール、アレビンBで69ゴール、アレビンAで92ゴール、そして昨シーズンはインファンティルBで36ゴール、バルサカンテラのすべての記録を塗りかえたボージャンはこれまで合計で423ゴールを決めている。そしてこれらの423ゴールの思いではすべて彼のノートに記録として残されているという。ゴールの感触を忘れないために、ゴールするごとにその夜にノートをつけるボージャン。

お母さんはプジョーの生まれ故郷であるレイダ県の人、そしてお父さんは元レッド・スターの選手だったというユーゴスラビア人。ボージャンのアイドルは二人、一人はパトリック・クルイベル、そしてもう一人はカルラス・プジョー。クルイベルはデランテロとしての見本となる選手であり、多くの批判がありながらもヨーロッパ最高のデランテロだと思っているという。そしてプジョーはカンテラの鏡であり、将来は彼のようにバルサエスクードを肌に染みこませてグランドを走り回る選手になりたいから、なそうな。パトリックのようなデランテロセンスを持ち、カルラスのようなハートを持った選手、これは凄いぞ。

この最新の宝石を見つけたのは誰か、そう、それはもちろん、今は亡きオリオル・トルトさんだ。彼が生前に見つけた最後の宝石だ。

そしてそれから4年たった去年のちょうど今ごろ、バルサ一部デビューを飾り“ボージャンデビュー”と題して、次のようにボージャン家にかんして触れてみた。

今からほぼ4年前、フベニルカテゴリ以下のチームが使用していた、いまは無き第四スタディアムでインファンティルAの試合を観戦に行ったとき、噂に聞いていたボージャンという坊やがプレーしているのを初めて見る幸運に恵まれた。インファンティルAチームを構成する選手たちはだいたい13歳程度の少年たち。したがって、みな小さい。当然ながら、このようなカテゴリーにあって特に目立つことになるのは、運動量の多い選手とかフィジカル的に恵まれた選手となる。だが、このチームはなかなか個性あふれる選手が何人かいることに気づく。

8番の背番号をつけた、背は高くないもののやたらと頑丈な感じがするフラン・メリダという選手や、運動量も多くなくフィジカル面でもごく普通ながら、やたらと目立つ動きをする11番ヤゴ・ファルケ、そして誰よりも小さいながら非常に運動量が多いだけではなく、ゴールをバシバシという感じで決めまくる9番ボージャン・ケルキック、この3人がとてつもなく印象に残るチームだった。

この年から2年ぐらい前にはメッシーという少年が、そして1年前にはジョバニという少年がこのカテゴリーでプレーしている。たまに彼らのプレーする試合を観戦に行くと、とても人の良さそうな印象を受ける40歳前後の男性が、いつも同じ場所に座っていた。ある時には奥さんと思われる女性と一緒だったり、ある時は友人と思われる人々に囲まれて座っており、そしてある時は一人で試合観戦している。その熱心なカンテラファンだと思われた人が、ボージャンの父親だとわかったのはこの試合が終了したあと、すぐにボージャン少年がやって来て彼の隣に座り、次のカデッテAチームの試合を見始めた時だ。こういうシーンはボージャンがフベニルカテゴリーに上がってくるまで見られることになる。

父ボージャンは息子ボージャンに、時間が許す限りバルサインフェリオールカテゴリーの試合を観戦するように教育している。その教えを守っていたからこそ、どんなカテゴリーの試合を観戦に行っても必ず彼の姿が見られた。もちろん、父ボージャンの姿も同じように観客席に見られることになる。もっとも、彼の場合は息子の試合観戦という父親としての楽しみと、バルサカンテラ組織職員としての仕事観戦でもあっただろう。

それから時がたち、父ボージャンはミニエスタディへと観戦場所を変えていく。今年の初め頃から、彼はバルサBの試合を観戦する父ボージャンと変貌している。さらに今シーズンからは、彼の試合観戦場所はカンプノウへと移り行くことになるだろう。

昨シーズン、ミニエスタディ観客席で父ボージャンの姿を見ることはやはりなかったと記憶している。カンプノウは広いのですれ違うことは一度もなかったし、まして我ら貧困族が陣取るゴール裏3階席で見かけることはあり得ない。それでも、父ボージャンは奥さんと一緒にパルコ席あたりに陣取り、息子の成長を見守っていたのだろう。息子がライカーバルサの一員となってからはバルサTVの試合解説をすることもなくなったし、メディアの前にもほとんど出てこなくなった。だが、フットボール界に生きた先輩として、そして何よりも父親として、することはしているようだ。

原点を忘れないこと、初心を忘れないこと。ファンの目に触れる公開の場ではイヤホンを付けていることと、携帯を使っていることを彼の母親が禁止させたのはすでに有名(?)な話だが、父ボージャンの方は違う形で息子に“地に足をつけ”させている。2008年に入ってから、彼のもとに4つのスポンサーオファーが来ていたという。そのうちの1つは有名な食料品関連企業であり、もう一つは、やはり有名な自動車企業からのオファーだったらしい。だが、それらをすべて丁重にお断り申し上げた父ボージャン。エリートチームに到達したばかりの、それもまだ17歳の選手にスポンサーは不似合い。頭の中をいっぱいにするのは学業のこととフットボールのことだけでじゅうぶんであり、個人スポンサーをいただくのは大人になってからで良いだろう、というのが父ボージャンの発想だ。

若い選手がエリートチームにはい上がってきた時に常に言われる言葉がある。
「一部デビューをすることは比較的簡単なことだが、その状態を維持することこそが本当に難しいこと。」
エリートチームデビューを飾って2年目となる今シーズン。9番選手の獲得こそなかったものの、彼の前にはエトーというクラック選手が立ちはだかっている。昨シーズンと同じように、彼にとって難しいシーズンとなることは間違いない。だが、それでも、彼はそういう難しい状況を劇的なゴールで打ち砕いてきた選手だ。インファンティルカテゴリーで、カデッテで、フベニルで、そしてバルサBで、難しい試合を勝利に導いてきたのは常に彼の劇的なゴールだった。そのゴールシーンが脳裏に焼き付いているからかも知れないが、彼はそういう星の下に生まれてきた選手だと信じている。シーズンが終わってみれば何気なく15ゴール。予想ではなく確信。

2008年8月28日、ボージャンようやく18歳。
スエルテ、ボージャン!

「こちらカピタン」より