4月11日



世紀の対決!

これ以上のカードは望めない。チャンピオンズ準決勝でのバルサーマドリ、このような対決が毎年あるものでもないだろう。ヨーロッパ内はおろか、世界中を探してもこれほど魅力的な対戦はない。スペインの二つの代表的なビッグクラブによる、ヨーロッパ制覇にむけた事実上の決勝戦。それがカンプノウとサンティアゴ・ベルナベウで戦われる。
これまで不安定な戦いを続けてきているバルサにとって、今シーズンの成功をかけた大きなチャンスだ。バルセロニスタにとって、宿敵マドリを敗っての決勝戦進出は偉大なシーズンとして記録されるだろう。そして一方レアル・マドリはクラブ創立100周年をむかえる今年、彼らにも願ってもないプレミアとしてユーロクラシコだ。宿敵バルサを敗っての決勝戦進出。これ以上に豪華な100周年記念試合があるだろうか。まさにこのユーロクラシコは、空から突然舞い降りてきた今世紀最大のプレゼントだ。

ミュンヘンでの試合に続き、ベルナベウでもバイエルンを大きく上まわる戦いを展開したレアル・マドリ。リーグ戦で首位を走るのを見るまでもなく、今シーズン快調にここまできていることを認めなければならない。だが、いかに彼らが良いチームであろうと、我々バルサが恐れることは何もない。我々は自らの力でこの準決勝まで進んできたのであり、じゅうぶんにこのユーロクラシコに勝利できる実力もあるのだから。

今シーズン、バルサはマドリと2回対戦している。ベルナベウで2−0と敗北し、カンプノウでは1−1の引き分けとなっている。つまり新人監督レシャックは2回の経験を積んできているのだ。彼はこの2試合の内容を正しく総括しなければならない。もう彼は多分わかっているだろう、していいことと悪いことの区別が。決して相手のペースに合わせた戦いをしてはいけないこと。決して相手にのまれてはいけないこと。決して及び腰で戦ってはいけないこと。決してほんのチョットの勝利に満足してはいけないこと。

もしカンプノウでのわずかな得点差の勝利に満足するような戦いをしたならば、それは昨日のバイエルンの二の舞となることを学ばなければならない。ユーロクラシコは事実上の決勝戦だ。恐れを抱いてはいけない。攻撃は最大の防御だということを忘れてはいけない。勝利にむけた信念をもって戦わなければならない。サビオラやリバルド、そして最高の選手たちを起用して戦えば我がバルサに恐れるものなどないということを示してやろう。

4月23日、その日は偉大な日としなければならない。奇しくもその日はカタルーニャのパトロンであるサン・ジョルディの日だ。我々のパトロンを祝う日に、カンプノウでユーロクラシコが戦われる。この日を最高のフィエスタとする条件はすべて揃っている。カンプノウは10万バルセロニスタで埋め尽くされるだろう。カンプノウでユーロクラシコの行く末を決定してしまわなければならない。


ユーロクラシコ、42年ぶり

両クラブのこれまでの長い歴史において、ヨーロッパカップでの戦いはこれまで2回しか記録されていない。しかもそれを振り返るには、1950年代の終わりから1960年代の最初の時代までさかのぼらないとならない。ヨーロッパ準決勝、準々決勝でそれぞれ当たっている両クラブの勝敗は1勝1敗となっている。

■ユーロクラシコ、その1(1959−1960)準決勝
レアル・マドリーバルサ 3−1
バルサーレアル・マドリ 1−3

2試合にわたってバルサを敗ったマドリ。当時のバルサの監督は今では神話の一人となっているエレニオ・エレーラだった。リーグ優勝を決めたバルサだが、多くの問題を抱えてサンティアゴ・ベルナベウに乗り込んでいる。試合前1週間、多くの選手が年俸の引き上げ要求をクラブに対しおこない、ストライキが起こる可能性もあってのユーロクラシコだった。
ベルナベウでのゴールはディ・ステファノが2本決め、プスカスが1得点をあげている。バルサのゴールはマルティネス。
そして1週間後にカンプノウでおこなわれた試合はやはりプスカスが2得点を決め、ヘントも得点を記録している。バルサは地元でも1得点しかあげられなかった。

■ユーロクラシコ、その2(1960−1961)準々決勝
レアル・マドリーバルサ 2−2
バルサーレアル・マドリ 2−1

ユーロクラシコその1からわずか1年しかたっていない状況で、再び両チームが激突することになる。前回は準決勝であったが今回は準々決勝での対戦であった。前年の復讐を誓うバルサの選手はベルナベウで2−2と引き分けに持ち込み、すべての期待をカンプノウでの試合にかけていた。この試合でバルサは2−1と勝利しマドリを沈めている。準決勝にも勝ったバルサは、クラブ初のヨーロッパカップ決勝戦進出となるが、そこには逸話となっている「ベルナの悲劇」が待つことになる。


ガッツ・エンリケ

闘争心と才能、そしてゴール。パナシナイコス戦で再びバルサの原動力としての存在を示したルイス・エンリケ。バルセロニスタと選手間に響き渡るハーモニー。その中心にいる選手が、96年の夏にバルセロナを新たな生活の拠点とすることを決意したルイス・エンリケだ。

火曜日の試合が終了し、多くのバルセロニスタが合唱する「ルイス エンリーケ、ルイス エンリーケ、ルイス エンリーケ!」の余韻がまだ耳の中に残っている。それは「ヒーロー」に対する尊敬の念からおこる合唱だ。だがその合唱がまだ耳に残っているルイス・エンリケは、決してヒーローなど存在しないと言い切る。
「フットボールにヒーローなんて存在しないさ。あるのは人並み以上の努力とほんのチョットした幸運、これが他の選手との違いを示すことはあるかも知れないけれど、それはヒーローとは言えない。」

彼は「フットボールにヒーローなんて存在しない」とは言うが、現実の世界でのヒーローというのは実は普通の人間なのかも知れない。必要なときに突然あらわれ、あるいは状況が限界をむかえているときに突如としてあらわれ、それまで培ってきた才能と努力とほんのチョットの幸運で物事を処理してしまう。そのような人物を我々はヒーローと名付けてしまうのかも知れない。そしてこのような人物には、ほんのチョットした幸運が絶対必要なことも確かなようだ。ゴールがキーパーを避けることができるか否か、ボールがゴールポストに当たって外に出るか中に入るか、あるいはいかにゴールの嗅覚を持っていようが彼にゴールを決める幸運に恵まれなければならない。

我々の「ヒーロー」はクラブ歴史における最も高い移籍料で獲得した選手ではない。最高額の年俸をとっているわけでもない。ましてカンテラ出身の選手でもない。だが9万人のバルセロニスタが喉をからして叫び続けるその選手には、逆境に耐える強い精神力とそれを乗り越えようとする根性がある。だからスター選手がよくつけるような背番号を背中につけてなくとも彼をグランド内で見つけるのはそれほど難しいことではない。周りの選手を励まし、90分にわたって怒鳴り続けている選手が我々の「ヒーロー」だから。

「試合開始早々、0−1となったとき俺は思ったね。『またかよー』と。『相変わらずのハンディー戦になっちまいやがった』。でもそれは一瞬のこと。1秒後には俺は勝利者なんだと言い聞かせていた。ゴールを決めてやるとね。いや、俺じゃなくてもいいんだ、誰でもいいんだゴールを決めるのは。とにかく勝利できればゴールを決めるのなんて誰でもいいんだ。俺が好きなのは、もちろんゴールを決めるのも好きだけど、試合終了と共にイムノが流れそれを歌いながらバルセロニスタが選手全員にむかって拍手をする、あの雰囲気なんだ。」