8月16日

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ニューアイドル誕生

カンプノウに新たなアイドルが生まれた。その名はフアン・ロマン・リケルメ、水曜日の夜にカンプノウでデビューを飾った若きアルゼンチンクラック。この日、長い間の夢であったバルサの選手としてのデビューを果たし、ゴールまで決めたリケルメ。わずか30分という短い時間の登場ではあったが、7万バルセロニスタの心を掴むのにはじゅうぶんな時間だったようだ。

彼にとって「永遠のクラブ」であったボカで難しい状況を迎えているとき、リケルメは常にバルサでプレーする瞬間のことを想像していたという。噂に聞く巨大なスタジアム、カンプノウでのデビューの瞬間、初めてゴールを決めたときの瞬間、そして試合に勝利し同僚と楽しく夕食をとっている瞬間。その「想像の瞬間」がわずか1日にして、現実となった水曜日だった。監督の判断によりベンチスタートとなりながらも、そんなことはまったく気にならなかったと語るリケルメ。チャンスは必ずやって来るという強固な自信が彼にはあった。

試合前日の予想でも彼のスタメン出場は絶望視されていた。だがリケルメ自身は少なくとも途中での出場があると思っていたのだろう。だから娘のフロッピーの写真をプリントしたアンダーシャツを用意することも忘れてはいなかった。バンガールに呼ばれルイス・エンリケとの交代を告げられると用意したアンダーシャツを着るリケルメ。ゴールチャンスがやって来るかどうかはわからない。だがやって来るかも知れない。

そしてそのゴールチャンスは彼がグラウンドに登場してから22分後にやって来る。左サイドでボールを受け取ったリケルメはスルスルとゴールエリアの白い線に沿って右に移動する。ほぼゴールポストの正面までたどり着いた瞬間、彼はキーパーを一度も見ることなく強烈なシュートを放った。そのボールはキーパーが決して止めることのできないゴールポストギリギリのところに突き刺さる。7万バルセロニスタで埋まるカンプノウが興奮のるつぼと化す瞬間でもあった。新たなアイドルの登場。歴史に残る瞬間であった。

「長い間の夢がついに実現した。すべてがうまくいった感じ。これもすべて同僚の選手たちのおかげだ。自分の周りには偉大な選手が多くいるし、人間的にも素晴らしい同僚たちばかり。しかも彼らの協力なくしてこれほど早くグループに馴染めることはできなかっただろうと思う。クルイベルやサビオラ、そしてルイス・エンリケなどとの理解度もほぼ完璧さ。もちろん観客席からの応援も印象的だった。これほど暖かく迎えてもらえるなんて想像もしていなかった。偉大な同僚たちや、そして暖かいファンの期待を裏切るようなことだけはしたくないと思う。」

30分間にわたってグランドでプレーしたリケルメだが、バルセロニスタが彼をアイドルとしたのはもちろんゴールのせいだけではない。これまでテレビの画面でしか見られなかった練習試合でのプレー、つまりラウドゥルップやデラ・ペーニャ並みのパスや、バケーロ引退以来欠けていたチーム内のリーダーとしての才覚を彼に見たからだ。彼にはまるでプレッシャーという言葉が存在しないかのようだ。
「自分はボカというブエノス・アイレスではもっとも重要なクラブから来た選手。世界中のビッグクラブがそうであるように、常に勝利を義務づけられたクラブから来た。だからバルサでもプレッシャーなんか感じない。いつも勝利を目指してきたのが自分の選手としての経歴の一つ。しかもプレッシャーというのは今日の生活にも困っている貧しい人たちのみが持つものだ。フットボールにプレッシャーなんか存在しない。」

バルサの歴代クラック選手

■ヨハン・クライフ(1973−74)
デビュー戦・バルサーグラナダ(2得点)

ヨハン・クライフは1973年10月28日、シーズン第8節のグラナダ戦でデビュー。ここまでバルサはリーグ最下位争いをするまで落ち込んでいたが、彼の登場により23試合負け知らずという成績を残し、リーグ優勝を勝ち取るという大逆転劇のシーズンとなった。

■ディエゴ・マラドーナ(1982−83)
デビュー戦・バレンシアーバルサ(1得点)

マラドーナのデビューはカンプノウとはならなかった。1982年9月4日、ルイス・カサノバでのバレンシア戦でデビューを飾ったマラドーナはバルサ唯一の得点となった1点をあげている。だが試合に勝利するまでには至らなかった。

■ウリスト・ストイチコフ(1990−91)
デビュー戦・エスパニョールーバルサ(1得点)

1990年9月1日が彼の公式デビューとなる。いまはなきサリア・グランドでのエスパニョールとのダービー戦。この試合バルサの勝利につながる貴重な1点を稼ぎ出している。このシーズン、クライフバルサにとって初のリーグ優勝を飾ることになる。

■ロマリオ(1993−94)
デビュー戦・バルサーソシエダ(3得点)

デビュー戦からしてスペクタクルだった。1993年9月5日、カンプノウでのソシエダ戦。いきなりのハットトリックを決めたロマリオは、このデビュー戦からバルセロニスタのアイドルとなる。だがその幸せな日々は1年と半年しか続かなかった。

■ロナルド(1996−97)
デビュー戦・バルサーAt.マドリ(2得点)

At.マドリ相手のスーペルコパがデビュー戦となる。1996年8月25日、モンジュイクスタジアムでおこなわれたこの試合で、2本のゴラッソを決めている。カンプノウでのデビュー戦となったエスパニョール相手の試合では無得点に終わっている。

■リバルド(1997−98)
デビュー戦・バルサーレアル・マドリ(0得点)

彼もまたスーペルコパでデビューを飾る。1997年8月20日、相手はレアル・マドリ。リバルドはこの試合ゴールを決めていない。ナダール、ジオバンニが得点を決め2−1でマドリを敗っている。

翌日のアルゼンチンメディア

■OLE紙
グランドに登場するやいなやボールを要求するロマン。彼の持って生まれた才能、それは彼がプレーすることにより周りも機能し始めるということ。ロマンはバンガールが示した彼用のノートブロックの決まりを忘れ、ボールを拾いに中盤の奥深くまで下がる。そこはノートブロックをはみ出した場所だ。プレッシャーを受けながらもワンタッチ処理でボールを回していくロマン。少しずつバルサはスペースを見つけていく。スタメンで出場したルイス・エンリケとリケルメを比較することは無駄なことだろう。この日のルイス・エンリケは決して良くなかったとはいえ、それは比較できない理由とはならない。なぜならルイス・エンリケだけではなく、ロマンと比較できる選手など存在しないからだ。ロマンが一瞬のうちに行動に移すことを、他の選手は3時間はかかってしまう。
それにしてもカンプノウの人々は何とロマンに飢えていたのだろう!
それにしても素晴らしい歓迎風景ではないか!

そしてリケルメは彼らの期待に見事に応えた。果たしてバンガールはこれでもロマンを控え選手にする理由を作り出すことができるのだろうか?

■CLARIN紙
バルソビアはほとんどの選手が守りに入りながらも、いくつかのカウンターアタックを試みていた。カンプノウは時間の経過と共に歓声が聞こえなくなってきていた。バルサの攻撃をみてもはっきりとしたゴールチャンスを生み出すものとなっておらず、バルセロニスタの心配がこの現象を誕生させていたのだろう。突然の歓声が沸きあがるのは、ロマンがベンチから出てきて走り込みの練習を始めた瞬間だった。そしてそれから2、3分後、その歓声は大歓声となってリケルメを迎える。彼がグランドに登場したのだ。
この瞬間、バルセロナの街に、すべてのバルセロニスタに、そしてもちろん多くのアルゼンチン人に、大きな喜びを提供してくれる選手がデビューを飾ることになる。これまで最後の詰めを欠いていたバルサの攻撃がロマンの登場により、さらに鋭い攻撃態勢となり相手ゴールを脅かす。そして気がついてみればロマン自身が決めたゴラッソの誕生だ。
その選手はバンガールが「走れ!そしてボールを奪え!」と毎日のようにうるさく「教えて」いる生徒のロマンだった。