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8月24日
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これがガンペル杯? 1966年、当時のバルサ会長であったエンリック・ラウデのアイデアによりジョアン・ガンペル杯が生まれた。その趣旨はもちろんクラブの創始者を讃えるものであった。今から36年前にはプレステージでの試合のテレビ中継など考えられない時代であり、もちろんチャンピオンズ予備選など存在しない時代である。したがってこのガンペル杯はシーズンが開始される前の大きなフィエスタとなっていた。だが時代は変わってきている。それも大きく変わってきている。ガンペル杯も根本的に見直さなければいけない時期に来ている。 古くからのバルセロニスタであるならば、かつての華やかなガンペル杯を懐かしく思うだろう。シーズン到来を前にして、バルサの選手を初めて見ることを可能にしたガンペル杯。以前から在籍する選手はもちろん、新たに加入してきた選手がバルセロニスタの前で初めてプレーする、したがって正真正銘のプレゼンテーションとなるのがガンペル杯だった。もちろん、それは常に華やかなフィエスタとなっていた。だが時代は変わっている。我々はもう21世紀に入っている。プレステージの練習風景、プレステージでおこなわれるすべての練習試合、チャンピオンズの予備選、我々はそういう試合をすべてテレビを通して見られる時代に生きているのだ。 昨日のガンペル杯はまさにいくらでもある「親善試合」の一つに過ぎなかった。すでにバルサのプレゼンテーションはチャンピオンズ予備選の試合でカンプノウでおこなわれていた。そして試合に出場した選手は、多くの選手がシーズンが始まればよくて控え選手、あるいはベンチにも入れない選手たちによるスタメンの試合だった。だがそれはバンガールの責任ではない。わずか2日前におこなわれた各国代表の親善試合が一つの原因となっている。しかも5日後にはチャンピオンズ予備選のアウエーの試合まである。8月という季節でありながらビッシリと詰まったスケジュールを前にして、その空いている時を利用してガンペル杯をおこなわなければいけなくなってきているのだ。 まさにプレゼンテーションの意味もなく、しかもベストメンバーも用意できないで、相手はエストレージャ・ロハというチームとの試合となってしまったガンペル杯。そのような悪条件の中で、バンガールは最良の方法を取ったと言っていいだろう。チームのプレゼンテーションとはならなかったが、若きカンテラのプレゼンテーションにはなったからだ。ディフェンスの3人を見てみればまさにカンテラグループだ。右にオレゲール、真ん中にトルトレーロ、そして左にナバーロ。そして2人のピボッテもジェラールとガブリのカンテラ組み。 試合内容に触れる必要もないだろう。非常に退屈な試合ではあった。後半にリケルメからのフリーキックに合わせてロッケンバックがこの日唯一のゴールを決めた。年ごとに寂しくなってくるガンペル杯だが、せめての慰めは若い活きのいい選手が見られたこと。そしてシーズン中では不可能な4人の外国人(リケルメ、ロッケンバック、ジェオバンニ、サビオラ)が一緒にプレーしたことぐらいか。 |
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●裏でなにやらゴソゴソとガスパー ●第一候補はハッセルバイン ●ババンジーダ、テラッサへ
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