10月15

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戻ってくるんだ、モリーナ!エスポーツ
頑張れ、モリーナ!ムンド
君なら止められる!マルカ
モリーナの体内に癌発見!アス

バルサに関するどうでもいいニュース、例えば冬の移籍市場ニュースだとか、プジョーの契約更改問題だとか、新聞を売るためのいい加減ニュースはぶっ飛ばし、フットボールなんて小さいところを越えたところにある重要なこと、それはモリーナの健康問題だ。Cancer testicular(睾丸ガンとでも訳すのだろうか?)と戦うために一時的にフットボール界を離れ、治療に専念する決意を語った昨日の記者会見。すべてのスポーツ新聞紙が、すべての一般紙が、すべてのメディアが、モリーナに幸運を、というコメントを掲載している。いくつかのタイトルの中で何と言ってもマルカ紙のが最高だ。
「君なら止められる!」
そう、モリーナならガンをも止められる。頑張れ、モリーナ!

それは突然の記者会見召集だった。デポルティーボ・デ・コルーニャから記者会見の召集を受けたジャーナリストたちは何に関するものかを知らないまま記者会見場にあらわれた。クラブ側が用意したテーブルにはクラブ会長のセサー・レンドイロ、クラブ医師のセサー・コビアン、そしてこの日のつらい主役となるホセ・フランシスコ・モリーナがいる。モリーナがしゃべり始めようとする。だが緊張感のあまり声が思うようにでない。明るさを見せようとするものの、表情は神経質なまでに硬く引きつっていた。

「すいません、ちょっと神経質になってるもんで・・・」

彼の記者会見での第一声。声は震えている。その後に意を決してしゃべり始めた彼の発言内容はすべての人々を驚かせるものだった。彼の体内から悪性腫瘍が発見されたのだ。まず話は彼がコルーニャに移籍してきた最初のシーズンである2000−01の時代にさかのぼる。2001年の春、彼の体内から最初の腫瘍が発見されている。コルーニャの医師たちの診断によれば悪性のものではないので、シーズンが終わるまで除去手術を延ばそうという結論に達した。そしてシーズンが終了した2001年6月18日、腫瘍摘出手術がおこなわれる。

「命にも関わる重要なことだったので、クラブの了解を得て信頼するバレンシアの医師にも診断してもらった。結果はクラブ医師のだしたものと同じだった。だが彼らの予想と違ったこと、それは摘出した腫瘍を分析したことろ悪性のものとわかったことだ。だが幸いにも他の部分への転移が進んでおらず、医師たちの判断によれば普通の生活を続けながら様子を見続ける以外することはないというものだった。それ以来、2か月か3か月ごとに精密検査をする生活が始まった。」

この記者会見が始まったのは昨日の13時30分。この瞬間まで、チームメイトは誰一人としてモリーナに起きてきたことを知らなかったという。ましてジャーナリストもそのような事実を知らない。モリーナの親友中の親友と家族、それ以外は誰も知らない事実だった。モリーナとはそういう男だ。

「先週の水曜日(10月9日)も、これまでやってきた普通の検診日だった。だが翌日に医師が下した診断結果はショッキングなものだった。再び悪性の腫瘍が発見されたということだった。というわけで週末は苦しい時間が続くことになった。どうするか、どうするか、そう結論は一つしかないのに、迷っている自分があった。医師団が1日24時間の手当が必要だというのに考えることなんかは本当はないんだ。そんなことはわかっていても、やはり考えてしまった。家族と相談してから出した結論はバレンシアで手当を受けようということだった。家族に近いし、何にせよ今の自分にはたくさんの援助が必要だと思ったからだ。そのためには家族に近いバレンシアが一番良い。」

記者会見が終了し間もなくしてモリーナ一家はバレンシアへと旅だっていった。急なことだったので同僚の選手たちとの挨拶もなしだった。彼にとってあくまでも「一時的な」フットボール界からの離脱であり、病との戦いが終了次第戻ってくるつもりだ。だからアディオスは必要なかった。記者会見での最後の言葉は次のようなものだった。

「そのうち、そう、そんな遠くない将来、あなた方とこのように再び会えることを期待しています。」


アームストロングとペネフ

ツール・ドゥ・フランス、世界最高の権威をもつ自転車競技で今年も優勝し、驚異の4連勝を達成したランス・アームストロング、そしてストイチコフの同僚であったルボ・ペネフもまたモリーナと同じガンの診断を受けたスポーツ選手だ。だが彼らは病に勝利した。彼らに可能だったことがモリーナには不可能だと誰がいえるだろうか。

●ランス・アームストロング
彼のガンとの戦いは壮絶という言葉に尽きる。1996年、悪性腫瘍が発見されて以来、各所に転移したガンとの戦いが始まる。アームストロング25才の時だった。この年の2月にガンが発見され睾丸摘出手術をおこなったアームストロングだが、その時点ですでに肺と脳へのガンの転移が発見されていたのだ。そして彼は再び転移してしまったガンへの戦いを、インディアナ医院というアメリカで一番権威のあるところでおこなうことを決意する。肺と脳の手術がおこなわれる。手術後3か月たつまで、実に4回の化学療法がおこなわれた。副作用が一番心配な化学療法ではあるが、医師団は転移を防ぐためにこれが一番と判断。彼の毛髪は落ち、身体のいたるところの筋肉が衰え、歯も抜けていく。

そして1996年12月13日、最後の化学療法がおこなわれた。そして驚くことにこの最後の治療から何日してから、アームストロングは自転車に乗って練習を始めたのだ。1998年1月、US Poatalチームに移籍したアームストロングは、奇跡の復活を達成する。自転車協議会における神話を作り始めるアームストロングの復活だった。

●ルボ・ペネフ
バレンシアに所属していたペネフがクラブがおこなう定例健康診断を受けたのは1994年の2月のことだった。ペネフは27才になろうとしていた。その検診により、彼にも悪性腫瘍が発見されることになる。それ以来ペネフは親友のストイチコフの薦めでバルセロナのピグベルト医院での化学療法を受けることにする。5か月間にわたって続けられたこの療法にストイチコフの姿が常にあった。そしてそれから9か月後、彼は再びバレンシアの白いユニフォーム姿でファンの前に登場することになる。

だが彼のプロ選手としての最高の喜びは翌年にやって来る。At.マドリに移籍した彼は1995−96シーズンにリーグ優勝とカップ戦の優勝というAt.マドリにとって歴史に残るシーズンを迎えることになる。奇しくもこのシーズンではモリーナと同僚というシーズンになった。


■イルレッタ
彼の存在は常に我々の心の中にある。早く戻ってきて欲しい。

■ヘスス・ヒル
彼は偉大なファイター。勝利は間違いない。

■レシャック
グランドの中では常にパワーを示してきた選手。グランドの外でも同じことを期待したい。

■サビオラ
我々バルサの選手は彼が必要とする援助があるならば何でもする用意がある。

■メンディエタ
大丈夫、彼は大丈夫さ。

■カシージャス
これが彼の現役引退ということにならないと信じている。

■ガスパー
我々は彼のためになることなら何でもする用意がある。

■トリスタン
彼は強い人間。彼の勝利は間違いないと信じている。

■デュキック
彼の精神の強さは病に対しても同じだ。

■マヌエル・パブロ
大丈夫、彼なら回復する。

■バレロン
すべてのことを忘れて病に勝つことを目指して欲しい。