11月5

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アシスト王・ロマン誕生

出場回数もプレー時間も「選ばれた11人の選手」たちに比べれば圧倒的に少ないホアン・ラモン・リケルメ。だがそれでも彼の「最後のパス」を出す能力はバルサの選手の中で際だっている。これまで4つのアシストを記録しているロマンはバンガール第二次政権バルサのアシスト王だ。

相手ゴールポストから40m以内で出されるロマンのラストパス。クルイベルやサビオラなどのデランテロにとって、そしてゴール前に飛び込んでいく中盤の選手にとって、ロマンから出されるラストパスはゴールの合い言葉となりつつある。それは彼の右足から蹴られるフリーキックやコーナーキックにしても同じようなことが言える。ラーシング戦ではナバーロに向かって放たれたフリーキックが同点のゴールにつながった。しかし彼のラストパスの恩恵を受けたのはナバーロだけではない。これまでデ・ボエル、クルイベル、そしてジェオバンニまでが彼のパスをゴールにつなげている。

これまでのロマンのアシストはリーグ戦で2回、チャンピオンズリーグで1回、国王杯で1回と記録されている。アシスト数2位につけるのは3回を記録しているサビオラとチャビ。これまで出場時間数が短いことを考えれば、非常に効率のいい数字を残していることになる。具体的な数字で表せば79分に1回の割合で彼のアシストが記録されている。

バルサに入団してわずか3か月。当然ながらスペインフットボールやバンガールシステムにとけ込むためにはまだ短い期間ではある。だがそれでも彼の能力は限られた時間の中で最大限に発揮されている。週末のビジャレアル戦、そして来週のガラタサライ戦でスタメン出場が予想される彼にとって再びその才能の片鱗を披露するチャンスが訪れる。


エストレーモ王・オーベル復帰

5月11日のサラゴサ戦を最後に、負傷のため現場から遠ざかっていたオーベルマルスがついに戻ってきた。引き分けに終わったラーシング戦とはいえ、彼の後半からの出場はバルサに非常に明るい材料となっている。バンガールが待ちに待った本格的エストレーモの復帰だ。

バンガールにとってオーベルマルスは常に必要な選手の一人だった。第一次バンガール政権時にも彼の獲得を狙ったものの、アーセナルに一足早く彼を持っていかれてしまった。そしてバンガールの終焉と共に、皮肉なことにそのオーベルマルスがバルサに入団を果たすことになる。バンガールが再びバルサの監督として復帰をしたとき、その愛しいオーベルマルスは負傷中の身。だが今ようやく相思相愛のこの二人が一緒になる時がやって来た。

2000−01シーズンに多くの期待を受けながらバルサにやって来たオーベルマルス。だがこれまでのところ期待外れと言うしかない。79試合に出場を果たし、わずか9ゴールしか獲得していないオーベルマルスは、彼の大事な仕事の一つであるアシスト数も期待されたようなものとなっていない。「バルサクラブ史最高の移籍料選手」というレッテルは、彼がバルサに在籍している間は常につきまとうだろう。だがそれらのことを忘れて再生オーベルマルスに期待することが大事だ。過去のことは忘れよう。負傷から完全に立ち直ったオーベルマルスをバルサは必要としている。

ブルッハス戦では、ジェオバンニがエストレーモとしてもデランテロとしても期待外れのプレーぶりを見せている。バンガールがオーベルマルスの復帰により、彼のシステムの原点であったエストレーモの存在を含んだものにするかどうか、それは時間だけが解決してくれる。オーベルマルスの体調が完全に戻ってくるまでは彼にどのくらいの期待がもてるのかは確かとはならない。だがラーシング戦ではわずかな時間ではあったものの、彼の登場はチームにリズムの変化を生み出した。彼が100%の状態に戻ってきた時には誰が彼の代わりに抜けるのか。疑問は多くあるものの、とりあえず本格的エストレーモの復帰を祝おう。


嘘つき王・フィーゴ再び

昨日、30歳の誕生日を人並みに迎えたルイス・ペセテロ・フィーゴ。これまで30年間の彼の人生の中で「幸せな5年間」を送ったバルセロナでの生活を省み、その幸せに満ちた生活を破壊したのはバルサ首脳陣の責任という言葉を最後に、楽しい楽しい誕生日を祝った。

花の都に移ったものの、どうしてもバルサのことが忘れられないルイス・ペセテロ・フィーゴ。多くの(あえて、すべてとは言うまい)バルセロニスタがまるでカンテラ出身の選手のように彼を愛し、彼がカピタンマークをつけることを賞賛した。そしてクラブは特別な待遇でほぼ2年ごとに「年俸見直し」交渉を繰り返し、新たな契約書を作成することで彼とその一味ベイガ一派を甘やかしてきた。

そのバルセロニスタとクラブに対し、フィーゴは再び攻撃を開始している。嘘つき王フィーゴの語ることをイチイチ相手にすることはないものの、事実とはまったく違う当時の状況分析。彼がバルサを出たのはクラブが彼を正当に評価しなかったことと、クラブが資金が必要であったため自分を売らなければならなかったということだ。
「マドリへ移籍することに決めるのは簡単なことではなかった。最終的に決意したのは会長選挙がおこなわれた前日。非常に難しい決断だったがよく考えての結論だった。もし自分の人生で同じ状況が生まれたとしたら同じことをするだろうと思う。自分が所属しているクラブが自分を正当に評価してくれないことが我慢できなかった。」

マドリ事務所で彼の移籍が発表される直前までバルサを離れることはないと繰り返し語ってきた嘘つき王フィーゴ。
「バルセロニスタの皆さん、安心してください。私ルイス・ペセテロ・フィーゴは決してバルサを離れることはありません。ましてライバルのマドリに行くことなんか決してありませんから。」
この発言をエスポーツ紙の親友の記者に「独占インタビュー」として掲載させたのは、移籍正式発表がおこなわれるわずか数日前のことだった。そして今また嘘つき王フィーゴの登場だ。
「バルサの首脳陣は資金が必要だった。自分かリバルドを売らないとクラブがやっていけない状態にあったんだ。だから自分がマドリに移籍したのは彼らの責任でもある。」
アヤヤヤヤア〜、嘘つき王フィーゴは一生嘘つき王フィーゴです。


「11・23・ペセテロこなごな粉砕実行委員会」より資料提供
ルイス・ペセテロ・フィーゴがバルサに入団したのは1995年のこと。正確に言うならば、彼はその時点でユーベと仮入団契約、パルマとは本契約を結んでおり、それを知ったイタリアフットボール協会が二重契約ということで2年間のカルッチオでのプレーを禁じていたため、バルサに間借りしたという方が正しい。しかも彼の代理人のベイガはマドリとバルサに売りに行っており、金のあるバルサが勝ったということに過ぎない。

そのペセテロがバルサと本契約を結ぶのは翌年の1996年。バルサがパルマから彼の権利を買うことにより、4年契約ということで100%バルサの選手となった。

そしてその翌年、つまり1997年、本契約を結んでから1年しかたっていないにも関わらず、ベイガ側の要望で年俸引き上げ交渉がおこなわれ新たな契約を結んでいる。今度は5年契約(2002年まで)で年俸は倍近くまで上がった。

それから2年後の1999年、やれイタリアのどこどこのチームが彼に興味を示しているとか、マドリが狙っているとかで再び年俸引き上げ交渉が要求される。ここでも彼はさらに5年契約(2004年まで)を結ぶことに成功し、もちろん年俸もさらに上昇した。この席で彼の違約金が例の100億ペセタとなる。

そしてその翌年の2000年5月、わずか新契約を結んでから半年しかたっていない時期に、再びベイガ側が値上げ交渉を要求し、クラブ側に断られることによって最終的にペセテロはその夏マドリに魂を売ることになる。1995年夏にバルサに来てから2000年夏に「裏口」から出ていくまで、本契約を含めて3回の新契約を結び4回目を要求することになったわけだ。それにしても、改めてこうやって思い出してみると、この回数ってかなり異常だ。

「クラブは自分を正しく評価してくれなかった。しかも経営難で誰かを売らなければならなかった」
ヤツが裏口から出ていったのはわずか2年チョット前。「アウシュビッツなんて存在しなかった」という、半世紀前の出来事を消そうとするネオナチの言葉を信用しちゃうノータリンがいるかもしれないけれど、2年前の出来事は教科書に載っていなくても誰でも覚えていることだ。

さてさて、ペセテーロよ、今年こそはカンプノウにいらっしゃいませませ。いつかみたいに、決して逃げようなんぞとは思わないように。「11・23・ペセテロこなごな粉砕実行委員会」はあなたとの再会を心の底から楽しみにしております。数日遅れの誕生日祝いをドハデに用意しておるっちゃ。