4月20日

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1 - 1


ガッツ、ベルナベウをのっとる

この試合前の1週間、カタルーニャだけではなくマドリッドでも話題になったバルサの練習風景。どのテレビのスポーツニュースにも4人の主役が登場する。ガッツ・エンリケとオーベルマルス、そしてモッタとクルイベル。この主役となった彼らが何と言おうと、普段では決して見られないピリピリした練習風景。エンリケがオーベルに、モッタがクルービーに、殴り合いとなる寸前のシーンが何回も映されていた。そのシーンはバルセロニスタとっても、“混乱したチームワーク”や“神経質になっている選手たち”という雰囲気を感じさせるものだった。だが、ただ一人違う見方をしていた人物もいた。ラドミール・アンティック、彼は次のように笑いながら“事件”を総括していた。
「あれは一人一人の選手の闘争心から生まれるものだ」
彼は正しかった。クラシコの90分の戦いが終わり、アンティックの考えが決して間違っていなかったということが証明された。

■最初が肝心
バルサの選手がまず最初にベルナベウスタディアムの芝を踏む。7万5千人の観衆で埋められたベルナベウ。ほぼ100%がマドリディスタであることは間違いない。その彼らから強烈なブーイングがバルサの選手たちに送られる風景もいつものものだ。ブーイングの嵐の中、グランド中央に並び両手をあげてファンに挨拶するバルサの選手たち。だが一人だけ両手をあげて挨拶する“儀式”を拒否する選手がいた。10人の選手たちが両手をあげて挨拶している最中、彼一人が腰に両手をおいて無視だ。だが、それは彼にとってこの試合に限ったことではない。過去何回もバルサの選手としてベルナベウに来ているときも同じだ。本当の“敵”には挨拶しない。“敵”には塩もやらなければ水もやらないしアメもチョコレートもやらない。まず最初が肝心だ。“お前らと俺の違い”それを態度で示さなければならない。例えチームのカピタンマークを腕に巻いて選手の代表という立場におかれようが、個人ルイス・エンリケの思いと態度には変わりはない。彼は決してメレンゲなどには愛嬌は振りまかないのだ。

■ロナルドの敗北、ルイス・エンリケの勝利
愛嬌を振りまかなければならない一人の選手がいた。マドリディスタへの“人気取り”を狙うロナルドにとってこの試合は最大のチャンスと言ってよかった。彼のゴールによってバルサを沈めることができるなら、これまで再三にわたって彼に浴びせられてきたブーイングは過去のものとなるだろう。マドリディスタがもっとも嫌うバルサというクラブを、例え過去に在籍したクラブであろうと、そのクラブをバカにする発言も試合前に再三おこなってきた。もちろんマドリディスタに喜んでもらうためだ。この試合を彼のゴールで決めてしまえば、もうマドリディスタのハートは射止めたも同然。そして彼は念願のゴールを決めた。マドリ先制点となる貴重なゴール。だが最終的な彼の目的である“マドリディスタの人気取り”に成功したかと言えば、彼にとっては残念ながら不可能なことと終わってしまった。彼は試合終了までプレーするもののゴールを決めたあとは完全に消えてしまったからだ。いつものロナルドの姿がそこにあった。“走るナイキ広告塔”の彼にマドリディスタは相変わらず冷たい視線を送り続けることになる。彼にとってこの試合は敗北者のステージとなったと言って良いだろう。そして最大のチャンスを逃したロナルドは試合後に語る。
「バルサは偉大なクラブであることを証明した感じだったね。でももし我々の側にゴールの女神がいれば勝利できる試合だったと思う。」

だが、勝利したのは我らがカピタン、ルイス・エンリケだった。
「自分がバルセロニスタであると実感できる最高の場所はベルナベウだ。」
そう言い切る男、ルイス・エンリケ。彼もまたロナルドと180°違う意味でマドリディスタからの“人気取り”を画策する選手だ。彼のグランドへの登場が、そして何でもないしぐさがマドリディスタにとって挑発行為となることを知っている。そして彼もまた挑発者となることを心の底から望んでいる。そしてそれを楽しんでいるかのようだ。ロナルドと違い、90分をプレーする体力はまだ彼にはなかった。エネルギーが消滅してしまうまで120%の力で働くことだけを考えてグランドにたったガッツ。ロナルドと同じように彼もまたゴールを決めた。同点となるやはり貴重なゴールだ。総立ちとなった観客席からは、中指だけを立てた何万本というゲンコツが彼に示される。ガッツももちろん負けていない。バルサのエンブレムをマドリディスタに示しながらゴールを祝い、自分の名前が書いてある背中を両手で示す。“俺はバルセロニスタ、ルイス・エンリケだ”言葉として出てこなくても彼のジェスチャーからはそう叫ばれていた。
「あのゴールは俺の息子でも決められた。」
試合後にそう語る我らがカピタン。だがそうじゃないことはバルセロニスタが知っている。あの場所にいることができるのは彼しかいないことを。

■モッタ大明神の勝利、暴力的ジダーンの敗北
ベルナベウでどのような戦術で戦うべきか。その答えはカンプノウでのコルーニャ戦が明確に答えを与えていた。カピタンを先頭にして多くの選手がバルサ本来の戦い方をアンティックに要求。彼も決してバカではないし、頑固な監督でもない。前監督とは違い、自らの誤りを潔く認める勇気を持った人物でもある。そして彼が出した結論は中盤の戦いの勝利が試合そのものの勝利につながるというものだった。ティアゴ・モッタ、メンディエタ、チャビ、そしてオーベルマルスが中盤を厚くする。そしてその中盤の大明神となるのはモッタだった。デ・ボエルとプジョーの前に位置し、チャビを少し前に置いての彼のポジション。ミッションは一つ、マドリの攻撃の流れを止めること。ボールの分配係となるジダーンを止めることを最大のキーポイントとするのが彼の役目だった。そして彼はパーフェクトにその仕事をこなす。ラウル、ロナルドに配球されるボールをすべて遮断することに成功するモッタ大明神。
「個人的な内容でも満足だし、もっとも大事なチームプレーにも満足している。試合前に準備したように、試合そのものの主導権はほぼ90分にわたって我々側にあったし、もし審判のミスがなければ勝利できた試合だった。でも、もうクラシコはすでに終わったこと。次のユーベ戦のことを考えないとね。」

ジダーンが決して“爽やかなスポーツ選手”でないことはすでに彼の経歴が証明している。良い子ぶっても隠せないのは過去のおこない。ユベントス時代にはチャンピオンズの試合で相手選手に頭突きをかまし、何試合も出場停止をくらった犯罪歴を持つ。フランスワールドカップではサウジアラビアの選手を意図的に踏んづけたかどで2試合出場停止処分をくらっている。今シーズンもセルタ戦ではベラスコを踏みつけ、At.マドリ戦ではエメルソンにキックをお見舞いしている凶暴な何をするかわからない選手だ。この日の試合ではすべてモッタ大明神にしてやられた凶暴狼ジダーン。彼の本性が時間の経過とともに姿をあらわしてくる。モッタやプジョー、そしてルイス・エンリケにヒジテツをかましまくるったジダーン。彼が90分間グランドにいられたことが信じられない試合となった。この凶暴な狼と化した男が試合後に語る。
「バルサの選手たちの当たりの激しさにビックリした試合だった。バルサは紳士的なクラブであり、選手たちも紳士的だと思っていたから余計ビックリした。それにしても引き分けは残念な結果だと思っている。試合展開を公平に見れば我々が勝利するのが当然の感じだったと思う。」
これを敗北者の発言と言わず何という。

■再び審判に泣くバルサ
それは試合前にすでに予想はできたことだった。このクラシコの笛を吹くのはほぼ新人といっていい審判であるムニス・フェルナンデス。彼にとって審判生活最大の仕事と言っていい試合だ。それも多くのプレッシャーが襲ってくるベルナベウというステージでの試合だった。そしてバルサはこれまでの多くのクラシコと同じように、審判の笛は“女神のささやき”とはほど遠い音色となった。わずか二つのミス、だがとてつもなく大きな二つのミスだった。
一つ、前半終了間際にゴールを決めた際のメンディエタのポジションはオフサイドではなかった。彼にボールが出された瞬間、サルガドと並んでいたラインにいたメンディエタ。カンプノウでのクラシコでクルイベルが決めたゴールをオフサイドとして無効にされたバルサに再びミスジャッジがでる。
そして二つめ、後半23分にルイス・エンリケが相手ゴール近くに飛び込み、彼をマークしていたイエロがタックル。だが彼の足は一瞬たりともボールには触っていなかった。誰の目から見ても明らかなペナルティーだ。だがフェルナンデスだけは違うシーンを見ていたかのように、バルサ側のコーナーキックとする笛を吹く。ゴールシーンに関してはわずか二つのミスとはいえ、バルサの勝利を決定づけることを不可能とする大きなミスだった。