ロナルディーニョの存在をファンの心から忘れさせることは、とてつもなく難しい作業だ。まして、トゥレ・ヤヤの代わりになってプレーすることはもっと難しい。それを一人の選手が必要に応じてやり遂げてしまうとなると、これはまさに神業と言って良い。エリート世界に生きる、超エリートのみが可能となる作業、それを彼は彼の方法でやり遂げることに成功している。ロナルディーニョの代わりではなく、ヤヤの代わりでもなく、イニエスタという選手の方法でやり遂げた。
カード制裁や負傷などでそれまで絶対のスタメン選手が出場できなくなった時、ライカーを筆頭とするコーチ陣たちは、まずイニエスタの存在を頭の中に描く。そのことをライカーはもちろんどのコーチも否定しない。
「彼の応用力の素晴らしさは誰とも比較できないものがある。あらゆるポジションで彼の持ち味を生かしながら見事に要求に応えてしまう。もちろん、ポルテロというポジションは別にしての話だが・・・。」
チャンピオンズのドイツチーム相手の試合でトゥレ・ヤヤの代わりとなり、ピボッテのポジションについたイニエスタを、ライカー監督はこう評価している。
オールド・トラフォードで、イングランド代表相手にスペイン代表の勝利を呼ぶゴールを決めて以来、イングランドはイニエスタのことを“スイート”という愛称で呼んでいるらしい。スペインでは、これまでは“アンドレス坊ちゃん”だったものが、今では“ドン・アンドレス”という尊敬を込めた愛称に変わってきた。バルサに入団してきて11年、Aチームでプレーするようになってから6年、すでに23歳となったイニエスタが、ほんの少しだけこれまでのことに関して触れている。
バルサに入団してから数か月、毎日のように泣いていたのを覚えている。辛い時期だった。とてつもなく辛い時期だった。いままで常に一緒だった家族はアルバセテに残り、自分一人で遠く離れたバルセロナで生活する。12歳の自分には厳しすぎる環境だった。毎朝ラ・マシアの自室で目覚めると、窓から見えるカンプノウを眺めるんだ。そしていつもため息をつきながら思う。
「あそこでプレーするのは無理だな・・・。」
近くて遠いカンプノウ。自分には遠すぎる存在に思えた。それでも夢見ることはカンプノウでプレーしている自分の姿。でも現実にもどると、それは不可能に近いと感じられることだったし、多くの同僚も同じような夢を見ながらいつの間にか寮を去っている。だから、たぶん自分にも現実的には不可能なこと。そう思うと、いつも泣いている自分がいた。
それでも順調にカテゴリーを上がっていくことができた。シーズンごとに、カンプノウが近くなるような気がしてくる。
「去年よりカンプノウが近くなってきた。」
不安を紛らわすためにも、そう信じようとするようになった。
自分にとって幸運だったのは、小さいときからのアイドルたちが、目の前で練習していたり試合に出ていたりしたことだと思う。そういう風景に連日接しながら成長することほど、一人のカンテラ選手として幸運なことはない。ペップとラウドゥルップ、今でも自分の部屋には彼らの写真が貼ってある。ペップのようなボールタッチができるようになったかって?それは無理なことさ。とてもあの域までは達することなんかできない。ラウドゥルップのようなエレガンスなプレースタイルができるようになったかって?彼にはかなわないけれど、いつかそれに近いものを獲得したいと思う。
それにしてもペップは偉大だった。彼のすべてに憧れていた。グランドに登場してくるだけで、リーダーとしての雰囲気をかもし出していた。そして試合が始まると、彼だけに可能なシンプルなプレーが展開される。シンプル、それはもちろん見ている人が感じるイメージであって、実際にやってみるとインテリジェンスとテクニックを必要とする非常に複雑なプレーだ。それをあたかも誰でもできるかのように、シンプルにやってしまうところに彼の偉大さがあった。ラウドゥルップの魅了は何と言ってもあのドリブルにある。時々、彼がやっていたような“クロケッタ”を真似して成功でもしようものなら、もう個人的には大満足となり、幸福感のあまり心の中でニヤッとしてしまうんだ。でも彼らの魅力的なプレーは、頭から生まれると言うより、体の中から自然発生的に出てくるものだと思っている。他人が彼らから学ぶことはできても、体の中から自然にでてくるところまで達するのは大変なことだと思う。
もし可能なら、今のラ・マシアに入寮している子供たちが、自分がかつてアイドルたちを見て育ったように、彼らもまた、一人でも良いから、自分をアイドルとして成長してくれれば良い。近い将来、イニエスタという選手をアイドルとして身近に接して成長した選手がでてくれば、自分にとってこれほど幸せに感じることはないだろう。
スエルテ、ドン・アンドレス!
|