Andres Iniesta Lujan
イニエスタ


欺されちゃあいけない
(07/04/05)

エトー、メッシー不在中、バルサをどうにかこうにか救ってきた選手たち、それはビクトル・バルデスであり、カルラス・プジョーであり、70%ロナルディーニョであり、そしてアンドレス・イニエスタだ。特にイニエスタの大活躍は誰もが認めるところだろう。一時的にライカーを狂わせた3−4−3システムにおいて、時には左右ラテラルの位置までスペース埋めに走り続けた彼のプレーは印象的でさえあった。あのキャシャに見える体からは想像できないほどのエネルギーを持つアンドレス・イニエスタ。

「みんな欺されるんだ、あの白い肌とキャシャに見える体つきに。だが、彼と対戦したことがある選手や、特に我々みたいに一緒に練習をしている者には、すでにわかっていることさ。欺されちゃあいけない。ヤツはとてつもなく強靱なフィジカルを持った選手だ。あたりに対する強さは並じゃない。」
ポジション的には同じセントロカンピスタ、そしてラ・マシア練習場での仲間、デコがそう語る。

フィジカルトレーナーとして、スペイン内だけではなく、ヨーロッパ各国でも名声を誇るバルサ・フィジカルトレーナーであるパコ・セイルーロ。その彼がここ何年かのイニエスタ専用フィジカルメニューを作ってきた人物だ。
「欺されちゃあいけない。あたりに対する強さだけではなく、タフさ加減も相当なものだ。一試合で彼の走る距離はデコ、あるいはチャビと同じかそれ以上の長さとなっているのがその証拠だ。陸上競技でいえば、長距離走者としてもじゅうぶんエリートコースを歩いていける選手だろう。しかも彼が単なる長距離走者と異なるところは、瞬間スピードを短距離走者並みに備えていることだろう。つまり、持久力はもちろん瞬発力にも素晴らしいものを持っているということだ。」

デポル戦。イニエスタは前半の最初に、カッデビラにスパイクで足を踏まれている。負傷を招くほどの痛々しいファール。それでも後半途中まで痛みを我慢してプレーし続けている。だが、もう自分で限界と感じた74分、ライカーに交代の要請をした。足を踏まれてから約1時間、表向きには誰も彼が負傷していることなど気がつかないほど“普通”にプレーしたイニエスタ、彼はそういう選手だ。ヤツは人を欺すのが得意なのだ。だが、負傷自体はごまかせない。デポル戦後初の練習日となった火曜日の合同練習に参加してきていない。ロナルディーニョにジムの鍵を借りて、1人ジムでの調整をしている。

「テクニック的に優れたセントロカンピスタによくあるラストパス専門の選手と思っちゃあ欺されていることになる。確かにゴレアドールではない、が、ゴールに対する嗅覚も捨てたもんじゃない。そして、例えゴールとならなくとも、必ずゴールを狙える必要な位置にいる生まれついてのセンスを持っている。早いところ契約の見直しが実現すると良いと思っている。」
そう語るライカー監督は、1年前のラポルタの約束を忘れていない数少ない人物だ。

2004年、イニエスタはバルサとの契約期間を2010年まで延長する新たな契約を結んだ。契約期間は延びたが年俸はお粗末なものだ。なぜなら、チキ・ベギリスタインが語る3ランク(クラック、良い選手、普通の選手)の一番下のランク付けとなっているからだ。そして2006年、サンドニでのチャンピオンズ優勝後、ラポルタ会長はイニエスタへの契約見直しをメディアに発表している。だが、どうしたことか、その発表から約1年たった4月現在、契約見直しの交渉さえ1回もされず、闇の中に消えたアイデアとなっている。そのことをライカーは言っている。

これまで見てきたカンテラ選手の中で、年俸交渉で揉めたのはグアルディオラとプジョーの2人ぐらいなものだろうか。もちろんメディアをとおして揉めているという事がわかった選手ということだけで、内部的に揉めた選手は彼ら以外にもいるかも知れない。だが、伝統的にクラブ首脳陣にとって彼らは“クラブの選手”という認識があるし、ファンにもそういう傾向がある。

例えそういう傾向があろうとも、活躍度に見合った年俸を受け取るべきだろう。ジオやシルビーニョ、ベレッティ、そして今またロナルディーニョ、みんなが“幸せな気分”を勝ち取ったというのに、最下位ランクにいるイニエスタがそのままで良いわけがない。人を欺すのが得意なイニエスタだが、欺されちゃあいけない。

「こちらカピタン」より


チャビとイニエスタ
(07/01/04)

チャビのページを参照


アンドレス坊やからイニエスタに
(06/11/29)

11月4日、リアソールで戦われた“イニエスタ対デポル”との試合での大活躍以来、イニエスタはすべての試合でスタメン出場となっている。もちろんチャビの負傷という不幸な出来事がその原因の一つとなっているが、彼がリハビリから戻ってきた今でもスタメンを勝ち取っている。

あの試合はまさにイニエスタのリサイタルと呼んでもおかしくない試合だった。アンドレス・イニエスタ・ルハン、アルバセテ生まれでラ・マシア育ちの22歳となった彼のプレーは、フットボールをやったことのない人にも「ひょっとしたら俺にもできるスポーツじゃないか?」と思わせるようなシンプルで、難しいプレーをさも簡単なものに見せてしまう、そんな彼の持ち味がすべて出し尽くされた試合だった。そしてこの試合から3週間後、ビジャレアルを相手にしたカンプノウの試合で、イニエスタコールが7万人を埋めた観客席から自然発生的に登場。それは、彼にとって初めてのことだった。

“イニエ〜スタ!イニエ〜スタ!イニエ〜スタ!”
“イニエ〜スタ!イニエ〜スタ!イニエ〜スタ!”
“イニエ〜スタ!イニエ〜スタ!イニエ〜スタ!”

大勢で一緒になってコールするにはチョイと呼びにくい名前ではある。だが彼の名はイニエスタ。それまで選手間だけではなく多くのバルセロニスタの間でも“アンドレス坊や”と呼ばれていた彼がイニエスタとして、つまり一丁前の選手として認識されたことを意味する。カンテラ組織から上がってきたいわゆる“自前の選手”に対して限りない愛情を示すものの、同時にとてつもなく厳しい目で判断することで知られているバルセロニスタ。それを誰よりもよく知っているカンテラ上がりのイニエスタだから、試合後に珍しくも興奮して語っている。
「鳥肌がたってしまった。」
あの限りなく白い肌にたつ鳥肌はやはり白いのだろうか・・・。

アンドレス坊やからイニエスタになった彼の原点の一つは、5月のパリにある。
「人生の中で最も悔しい思いをした日」
今でもそう語るイニエスタ。彼をスタメン選手として起用しなかったライカーに対する批判ではなく、試合開始の瞬間からチームを助けることができなかったことに対する悔しさだ。だがこの悔しさが彼のメンタル面の強さを助成する一つの原因となったのではないか、と語るチキ・ベギリスタイン。
「テンカテがバンボメルの起用を訴え、イニエスタを最も買っているエウセビオがイニエスタスタメンをライカーに要請していた。最終的にライカーはバンボメルを選んだが、後半に入ってイニエスタを投入。ミラン戦やベンフィカ戦でも素晴らしい活躍をしていた彼だが、あの決勝戦では目の色が違っていたし、凄い活躍を見せてくれた。よほど悔しかったんだろうと思うよ。でもあの日以来、それまでの成長ステップ度とは比にならないくらいグ〜ンと伸びていったように感じている。」

誰よりもイニエスタを信頼しているというエウセビオが語る。
「フットボールというスポーツをシンプルに理解し、しかもそれを実践してプレーできる選手。つまり本当は難しいプレーであるにもかかわらず、彼の手(足とするべきか)にかかるといとも簡単に見えてしまう、そういうテクニックを持った選手だ。彼の足下にボールがやって来た瞬間、まるで好調時のジダンのようにキラリと光る。もちろんフィジカル的に似てもにつかない2人の選手だが、ボールテクニック、判断力の速さ、そしてプレースタイル、それらのものがジダーンのそれとダブることがよくある。」

デポル戦がイニエスタのリサイタルだったというのには、それなりの理由がある。チームを引っ張っていた選手としてだけではなく、まるでデコのように守備面にまで活躍しているからだ。この試合でエドゥミルソンが6回、デコが3回ほど相手のボールを奪っている。そしてイニエスタは1人で彼らの2人分、つまり9回のボール奪取をしている。デコという見本となる選手から学んだことも理由の一つとなるだろうが、フィジカル面の成長もまた忘れてはならない理由の一つだ。身長170センチ、体重65キロ、セントロカンピスタとして決して恵まれた身体とは言えない。だが外面から感じるきゃしゃさとは正反対な、鍛えられた筋肉がユニフォームの下に隠れている。

バルサのフィジカルトレーナーであるパコ・セイルロ制作メニューにより、4年前から毎日のように特別メニューでのジムトレーニングをおこなっている。カピタンであるプジョーが練習時間より1時間前に来てジムトレーニングをしているのは知られた話だが、地味なイニエスタもまた同じように誰よりも早くやって来て地味に彼用の特別メニューをこなしている。もともと持久力に関しては何の問題もなかったイニエスタだが、さらなる瞬発力をつけるためのメニューはいまだに続けられている。

ここ1、2年のプレーをもしイングランドのクラブで見せていたならば、いやイングランドでなくとも、例えばカルッチオのクラブでこれだけの活躍をしていたならば、あるいは彼の名前がアンドレシーニョだったとしたら・・・カタルーニャメディアに連日のように獲得目玉選手候補の一人として紙面を賑わせていただろう。橋を叩いても渡らないチキやライカーも彼の獲得に走っていただろう。だが、幸いにも、イニエスタはバルサのイニエスタとして正当に評価されつつある。これまで“無期限延長”状態となっていた契約見直し交渉が、再び開始されそうな雰囲気だ。もうすでにアンドレス坊やではなく生意気にも彼女までいるイニエスタに、実力に見合った内容の契約交渉が間もなく開始される。

「こちらカピタン」より


チャンピオンズ2ゴール目
(06/09/14)

「バルサの選手で誰が一番印象に残りましたか?」
プレステージの途中から参加してきたリリアン・トゥランに対し、こういう質問を一人のジャーナリストがぶつけている。ガンペル杯でカンプノウデビューを飾ったあとの記者会見のことだ。
「代表で一緒のビエイラから話は聞いていたんだが、バルサにはアンドレス・イニエスタてっていう、とてつもないテクニックをもった若くて小柄でとっても色白な選手がいるってね。名前は前から知っていたんだが実際に同じチームのメンバーとして練習してみて、いや、本当に素晴らしいテクニックを持った選手だと思った。」
そのトゥランはバルサの選手として初めてチャンピオンズの試合を経験し、そしてその試合でイニエスタは2006−07シーズンチャンピオンズの最初のゴールを記録した選手として歴史に残ることになった。

2006年9月12日、カンプノウで戦われたレフスキー・ソフィア相手のチャンピオンズ戦で、イニエスタはバルサの先制点をもぎ取っている。ゴールエリアから少し離れた所からの彼らしいシュートが決まってのゴールだった。“彼らしいゴール”、それはバルサB時代のミニエスタディでの試合や、スペインU21代表戦での試合を見てきた人なら誰もが知っているイニエスタらしいゴールだった。バルサB時代ではセルヒオ・ガルシアに次いで多くのゴール数を記録している彼であるし、U21代表ではいまだに彼のゴール数が最多記録として残されている。そのほとんどのゴールが、ゴール前にひかれた白いラインを少し離れたところからの地をはうような鋭いシュートによるものだった。

2002−03シーズンに初めてチャンピオンズの試合に出場したイニエスタは、これまで26試合のチャンピオンズ戦を経験してきている。そして初めてゴールを決めることができたのは昨シーズンのことだ。2005年12月7日、ウディネンセ相手のアウエーの試合で初めてチャンピオンズゴールを決めている。そして2度目のゴールがレフスキー戦でのものだった。二本指を立てながらグランドを走り回りゴールを自ら祝福するイニエスタ。三本指を立てながら走り回る姿が見られるのはそれほど先のことではないかも知れない。

だが多くのファンや同僚が知るように、イニエスタという選手のもつ魅力はゴールにあるわけではない。優れたデランテロのようにゴール嗅覚が鋭いというわけではないし、ゴールを量産するポジションでプレーすることもない。彼の魅力は中盤でプレーするセントロカンピスタとして、チームそのものに潤滑油を注いでいく才能にある。そのことを最も理解している選手の一人にジオがいる。
「彼のボールテクニックはとてつもなく素晴らしいものがあるが、自らを光らせるためではなく、そのテクニックをもってチームそのものを輝かせるところに彼の偉大さがあると思う。毎日の練習ごとに、そして毎試合ごとに成長し続けている、小さいながらも偉大な選手さ。」

「こちらカピタン」より