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11月25日
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中央メディア、嵐のような反撃 “カンプノウを閉鎖せよ!” カンプノウでおこなわれたクラシコが確かにお粗末なスペクタクルであったことは認めよう。このクラシコが“中断された試合”として歴史に残ることも認めよう。昨日の”エル・ペリオディコ紙”が伝えるように、このクラシコはすべてがゼロだったことも認めよう。スター選手を欠き二流チームだったマドリを相手に保守的な試合をのぞんだバルサのだらしなさも認めよう。いかにバルセロニスタが憎悪するフィーゴとはいえ、ものを投げつけるのは非常識だということももちろん認めよう。ガスパーやバンガールが“事件”の原因をフィーゴの挑発行為にあるという発言の非常識さも認めよう。クルイベルの合法的なゴールについては一言も触れないマドリメディアの態度も認めよう。だが我々が決して認めることができないこと、それは中央メディアが歩調を合わせたかのようにおこなってきている“カンプノウ閉鎖”キャンペーンだ。 明日の午後開かれる(もちろん首都のマドリッドでおもなわれる)フットボール協議委員会メンバーによるカンプノウで“事件”の処罰検討会議。中央メディアの歩調を合わせたキャンペーンの目的は明らかだ。彼らに可能な限りのプレッシャーをかけ、カンプノウ閉鎖措置の決断をさせること。これまでのスペインフットボール史に例を見ない措置をとらせること。それ以外ないことは明らかだ。かつてあるスタディアムが閉鎖措置を課された最低限の理由を見てみよう。 もちろん一部のインチャがおこなった行為を正当化することは許されない。カンプノウに駆けつけた10万バルセロニスタの中で、わずか200人程度の愚かな行為とはいえそれを許す理由はいっさい見つからない。フィーゴが挑発したかどうかはまったく関係ない問題でもある。彼にはコーナキックを蹴る権利があるし、その権利を略奪することは許されない。紙つぶてや空になったプラスティックボトルが危害を加えないとしても、それらを投げ込むことはもちろん許すことはできない。だがそれはバルサというクラブとバルセロニスタが反省すべきことであり、いまさら中央メディアに教えをいただくことでもない。いかに彼らのプレッシャーが強かろうが協議委員会のメンバーは独立した組織として、独自の結論をだすべきであろう。カンプノウを閉鎖する理由は過去の判例を見る限り見つけることはないだろう。いかに現協議委員会のメンバーが元レアル・マドリのソシオで構成されていてもだ。 |
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誰が試合中止を決めたのか マドリの選手たちがカンプノウでの試合を終わらせることを望んでいなかったのは明らかだ。後半27分、主審を務めたメディーナ・カンタレッホが試合の「停止」の笛を吹いたとき、マドリの選手たちは審判の命令なくしてベンチに引き上げていった。審判のおこなった試合の「停止」は時間をおくことによりファンの騒ぎを収めようとしただけだったのにだ。マドリの選手がすでに引き上げてからしばらくして、カンタレッホは選手たちの引き上げを要請する。 カンプノウの審判控え室には両クラブの責任者とそれぞれのカピタンが召集されていた。この場でカンタレッホはこのままでは試合が続行できないので時間をおいて様子をみるという意思を各関係者に伝える。だがこの意見を聞いたマドリ現場責任者のチェンドが強硬な意見を審判に伝えることになる。 この瞬間にあらわれたのがカンプノウ警備担当最高責任者であるサンティアゴ・アレギだ。彼はカタルーニャ地方警備のベテラン警察官であり、カンプノウでの警備にも長い経験を持つ。彼が警察官として、また警備担当の最高責任者の立場としてミーティングに加わり発言を許されることになる。 彼は中央メディアが伝える「ナイフ」だとか「ブタの頭」が投げ込まれたことを否定している。グッティがマドリメディアに語った「ナイフ」の存在や、アス紙の一面に載った「ブタの頭」の存在を警備の警察官が否定しているのだ。もちろんクラブもそれらの存在を否定している。それどころかクラブ副会長の一人は「ブタの頭の」の写真を合成写真とまで決めつけている。 いずれにしても大くのものが投げ込まれたカンプノウではある。事前の警備体制に抜かりはなかったのか。 |
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