8月16日 土曜日

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! Descance en paz Don Enric Llaudet !

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今日ののエルチェとの親善試合に向けて、息をつく暇もないほどの激しい練習をおこなうバルサの選手たち

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バルサBも練習試合に忙しい毎日だ。だが来シーズンからの構想に入っていない何人かの選手たちはバルセロナに残って練習をしている。トルトレーロ、トラショーラス、ババンジーダ、サンタマリア、彼らの毎日は練習に汗流すことと、移籍クラブを見つけるために走り回ること

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元クラブ会長の死去

1961年から68年までバルサクラブ会長を務めたアンリック・ジャウデ氏が8月15日午前8時に死去、86歳だった。このアンリック・ジャウデ会長はタイトルに恵まれた会長ではなかった。だが彼がバルサ史に残る人物となるのは、ジョアンガンペル杯の創設者であり、また政治的にも経済的にも難しい時代であったにも関わらずクラブ経営の建て直しにもっとも貢献した会長だからだ。

カンプノウ建設をおこなった会長として知られるミロ・サンス会長の後を受けて会長となっている。当時のクラブ経済は非常に落ち込んでいる状態だった。莫大な費用が必要だったカンプノウスタディアム建設。彼はまるで、多くの借金を抱えるクラブ再建のために選ばれたような会長だった。まず最初に手がけたのは、それまでクラブが地元スタディアムとして使用してきたラス・コーツス・スタディアムを売ること。そのためには、スタディアムがあった土地に住居ビルが建てられるように“土地使用変更申請”をバルセロナ市に申請し続けなければならなかった。現在で言えばフロレンティーノがマドリッド市相手におこなってきたようなことをジャウデがおこなっていたということだ。だが時代の違いを考慮しないといけない。まだフランコ独裁政権時代だ。バルセロナ市は何年も“土地使用変更申請”を認可しない。

なかなか売れないラス・コーツス。当時の大スターであったルイス・スアーレスをインテルに売り出すものの、クラブ経済再建にはほど遠い状態だ。そこで資金繰りに困ったジャウデはバルサソシオに一つの提案をする。それは、年間会員費・年間シート費の前払いだ。経済的に可能なソシオは何年分かを先払いして欲しい、それが不可能なソシオは1年分だけでもいいから一括先払いをおこなって欲しい、そういう要求だった。このクラブ会長の訴えに対し多くのソシオが経済的に許す限り援助をすることになる。1966年、どうにかこうにか“土地使用変更申請”が許可されたことにより、ラス・コーツス跡地は当時の金額で2億2千6百万ペセタで売却され、クラブ経済の本格的な建て直しが可能となった。

ソシオを前にしてのジャウデの最後の姿は奇しくもガンペル杯だった。37回ガンペル杯に勝利したバルサに優勝カップをわたすジャウデ。そのカップを受け取るのは我らがカピタン、ルイス・エンリケだった。

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