試合終わって、落ち穂拾い(2002年8月29日)
●バルソビア-バルサ戦● ・この試合の記録穂(簿) ・ポーランドまで応援に駆けつけたバルセロニスタは若干32人。それでも、バルソビア側からは手厚い歓迎。席は屋根付きの正面スタンドが用意され、彼らのためにカステジャーノでのアナウンスが。 ・モッタ、20歳の誕生日はベンチから。扁桃炎のため、すでにこの試合出場はないことがはっきりしていたモッタ。しかし、試合に出られなくても、観客席からでなく、せめてベンチでチームの勝利と20歳の誕生日を祝いたいという願いのベンチ入り。 ・ビクトールはバルソビア相手はカンプノウでの試合とともに2試合スタメン出場。1部での公式試合180分のプレーで無失点の記録。 ・バルソビアの応援コールがとぎれなく続いていたスタジアム。しかし、メンディエタがPKを決めた瞬間、発煙筒がグラウンドに投げ込まれまったく視界がきかなくなった。そのため、試合は3分間中断。その他にも、試合前にバルソビア過激ファングループが石を投げ込み、それを拾ったバンガールがUEFAの委員にご報告。 ・規律正しい良い子のバルサは、ユニフォームの交換もグラウンドではなく、選手控え室に戻ってから。公衆の面前でハダカになっちゃいけないっていうことかい? ・観客席には、ポーランドの大統領を筆頭にお国の政治家たちの顔。 |
チャンピオンへ126回目のトライ(2002年8月27日)
明日のバルソビア戦を切り抜ければ、1997-98シーズンから連続6年チャンピオンズリーグ参加を決められるバルサ。バルサは、これまでヨーロッパチャンピオン戦に13回、今年を入れれば14回参加しており、125試合を戦っています。結果は241得点146失点で66勝30敗29分け。得点王はリバルドの25ゴール。続いてルイス・エンリケの18ゴール、クルイベル16ゴール、ストイチコフ15ゴール。 ヨーロッパカップ最初の試合は1959年9月3日、CDNAとブルガリアのソフィアで戦われ、結果は2-2の引き分け。バルサは今まで1961年、1986年、1992年、1994年と4回決勝戦に進んでいますが、ご存じのように優勝カップを掲げたのは1992年の1回。ヨーロッパチャンピオン2回目に向けて、明日は126試合目を戦います。 |
試合終わって、落ち穂拾い(2002年8月24日)
●バルサ-エストレージャ・ロハ戦● ・カンプノウは空席目立つ35,640人と約3分の1の入り。 ・カンテラ出身6人で始められたこの試合、25歳以上はカピタンのルイス・エンリケただ一人、という若い若いメンバー。 ・1-0でエストレージャ・ロハを下したバルサは、これでガンペル杯8連勝。そして、これが今シーズンの”第1番目”のタイトル。 ・楽しいフィエスタにしようと、試合前、ハールタイムに「バルサ・バンド」と呼ばれるブラスバンドの演奏会。このバンド、試合中はゴール裏2手に分かれて、ブンチャカ応援合奏。 ・ロッケンバックのゴールシーン、その他にも試合中のいい場面のリプレイが大スクリーンに映し出され観客の目を引きつける。このリプレイが見られるというのは、カンプノウでは初めての試み。もっともこの試合あまり見せ場がなっかったのが残念。 ・ガスパー会長は試合後ご機嫌ナナメのご様子。というのも、カピタンのルイス・エンリケにガンペル杯が渡されるときに予定されていたイムノが鳴らなかったから。 ・観客席には、お休みをもらったコクー、レイジゲル、クリスタンバル、ビクトルの4人の他に、エスパニョール選手で、ユーゴ人のミロセビッチの顔。また、創始者ガンペル氏のお孫さんたちもおじいちゃんの名前の付いたこの試合を観戦。 |
第37回ガンペル杯(2002年8月23日)
1966年に当時の会長 Enric Llaudet が開催したのがガンペル杯の第1回目。それは経済的理由もさることながら、バルセロニスタへの新シーズンに向けて選手のお披露目が第一目的でした。初回に参加したチームはバルサの他にアンダーレヒト、コロニア、ナンテスの4チーム。バルサはアンダーレヒトを2-1で下し決勝進出。決勝相手はナンテスを3-2で破ったコロニア。決勝は3-1でバルサが勝ち、初のガンペル杯を獲得しています。 準決勝・決勝と戦われるこの方式は1996年まで続けられていますが、97年からは今回のように1試合のみになっています。昨年まで36回開催され、バルサは67試合戦って52勝8敗7分、そして優勝は27回。1試合での最高得点は1984年に戦われたバルサ-ボカの試合で9-1というバルサの大量得点。このときの監督はイギリス人のテリー・ベナブレスでした。通算の得点王は、7ゴールあげているアセンシ、チキ・ベギリンスタイン、ストイチコフの3人。 また1995-96のクライフ監督時代に優勝してから昨年まで7連勝と記録を更新中。ということはバンガール第1次政権中、3連勝していることになります。バルサ8連勝、バンガール4勝目をかけての第37回ガンペル杯は今夜9時15分から。 |
確率測定(2002年8月22日)
ここ数日はナショナルチームの試合のため少ない選手での1部の練習風景。一作日行われたその練習の一つに、決められたコースを走り、最後にパスされるボールをドリブルしシュートするというトレーニングがありました。このコースはトレーナーのセイルーロのデザインで、ポールを立ててマークしてあるコースをある時は全力疾走、ある時はバックで、またある時は途中にあるハードルを跳びこすなどして走り抜け、最後にパスされたボールをドリブルしてからシュートするというもの。だいたい1回が20〜30秒かかるこの練習を各選手が1サイクル6回、2サイクルと計12回行いました。この練習は別に最後のシュートを決めることが目的ではないとしても、走り回った後で、どれだけ正確にシュートする力があるかというのはファンにはちょと興味があるところ。 結果は、ロッケンバックとモッタが12回中9回シュートを成功させ命中率1番。以下がこの練習に参加した13人の選手の成績。 ●ゴール X失敗 ガブリ XXX●X● ●XX●X● 5/7 |
今シーズンの期待度測定(2002年8月19日)
先日行われたバルソビア戦は、今シーズンのカンプノウでの初公式戦。ソシオたちの多くが夏休みの8月中旬という悪条件でありながら、67,000人ものファンが応援に駆けつけました。その数字からバンガール第2次政権への期待度を計ってみるため、バンガール第1次政権始まりの1997年から、今シーズンまで、カンプノウでの公式第1戦の観客数をみてみましょう。 1997-98 8月13日 55,000人 これを見ると一番多いのはセラフェレール監督の時で、群を抜いていますが、このシーズンのみが9月に入ってからの試合で、その上リーグ第1戦ということを差し引いて考えなければならないでしょう。そして次に観客動員数が多いのが、今シーズン。それはバンガール第1次政権よりも多いわけで、これはやはり期待度いっぱいシーズンの始まりかな? |
試合終わって、落ち穂拾い(2002年8月15日)
●バルサ-バルソビア戦● ・この試合の記録穂(簿) ・バケーション中だったガスパー会長だが、大事なこの試合のためカンプノウに舞い戻ってきた。そして試合開始20分も前から席についてドキドキ・ワクワク。 ・バケーション中なのは、ソシオたちも同じ。それでも6万7000人が応援に駆けつけた。これは昨シーズンの予備戦の時よりも1万人ほど多い。この中には、バルソビアのファン200人も含まれる。 ・バンガール第2次政権第1戦となったこの試合、それはまさしく、バンガールが初めてカンプノウのベンチで指揮を執って5年目となる。1997年8月13日に、やはりチャンピオンズ予備戦でバルサ-スコント戦が彼の公式第1戦だった。その時の結果は3-2。 ・リケルメがゴール後に見せたのは有名なトッポジージョのジェスチャー。でも昨日のはダブルジージョ。というのもアンダーシャツには、トッポジージョの同じジェスチャーをした愛娘フロッピーちゃんのプリントが。 ・バルサのシュートは合計22本(前半10本、後半12本)、対するバルソビアは計5本(前半1本、後半4本)。 ・観客席には、呼ばれなかった5人の選手、ボナノ、ジェラール、レイジゲル、オーベルマルス、アンデルソンの顔のほか、前監督・現スポーツディレクターのレシャックの顔も。ちなみにレシャックはハーフタイムに選手控え室に激励の挨拶にいったということ。 ・サビオラ・ボナノに続いて、今シーズンはリケルメが入ったことから、アルゼンチン人のファンが一気に増えたバルサ。カンプノウ客席にも彼らの名前入りのアルゼンチンのユニを着た人が多く見られる。中には、バティの名前を背負って応援する人まで。ま、同じアルゼンチン人だけど・・・。 |
Legia Varsovia というチーム(2002年8月13日)
明日、カンプノウで行われるチャンピオンズリーグ3次予備戦で戦う相手の Legia Varsovia は、1916年第1次世界大戦中に軍人を中心に創立されたポーランドのチーム。スタジアムは15,000人収容の Wojska Polskiego(Estadio Legia)。創立以来の成績は、リーグ優勝7回、カップ戦優勝12回、ポーランドスーパーカップ3回。ヨーロッパでの成績は、1969-70にコパ・デ・ヨーロッパ準決勝進出を果たしています。 監督は旧ユーゴスラビア出身の Dragomir Okukaで、2001年から指揮をとっています。このチームには、過去スペインのチームに所属していた選手が2人。一人はカピタンの Kuchardki で、1997-98にスポルティング・ヒホンに在籍。もう一人の Yahaya は、1996-99の3シーズン、当時2部のアルバセテでプレーしていました。 過去に置いてバルサとバルソビアの対決は1回。1989-90のクライフ監督時代のレコパの試合で当たっており、今回と同じく第1戦はカンプノウでおこなわれました。クーマンのPKで1-1の引き分けの後、第2戦をラウドルップのゴールで0-1と勝ち進んでいます。 現在すでに4試合の公式戦をこなしているバルソビアの成績は1勝3分け。システムは3-5-2。背の高い選手が多く、ディフェンスの190センチを筆頭に、185センチ以上の選手がほとんど。その身長を武器にセットプレーを得意にしています。 |
111人の新人たち(2002年8月12日)
まだ新たな加入選手の可能性が噂されているものの、現在の所、今シーズンの新規加入選手はエンケ、メンディエタ、リケルメの3人(ルイス・ガルシアも買い戻したが、すぐ移籍してしまっている)。ガスパーが会長になって3年目、初年度が6人、2年目が7人でしたから、今年は加入選手の少ない年。 ガスパー会長が3年で16人の選手を連れてきたなら、前ヌニェス会長は22年で95人の選手と、あわせて22年間でバルサは111人の選手と契約しています。移籍金につにては年代が違うこともあり比較にはなりませんが、3年で1億8000万ユーロ使っているガスパーに対し、ヌニェス前会長は2億ユーロ強となっています。最高投資額は、ヌニェスはリバルドを獲得した1997年の約6億ユーロ、ガスパーは昨シーズンの9億ユーロ。 今年はバルサ金庫の問題もあり新規契約選手が少ないようですが、あの優良経営だったヌニェス時代にも苦しい時はあったようで、82年のマラドーナ獲得により金庫が軽くなったバルサはその後、3年間でたった2人しか新しい選手と契約していません。また84-85と87-88シーズンは一人も加入選手はいませんでした。 一番高い移籍金を払って獲得した選手は、オーベルマルスで3600万ユーロ。彼が来るまではソニー・アンデルソンが2600万で最高でした。また、移籍料が高いのは外国人選手と相場決まっているようで、3億ユーロが外国人選手獲得に使われているのに比べ、スペイン人選手にはたった8400万ユーロのみ。スペイン人選手で一番高い移籍料は99年にマヨルカから1600万ユーロで獲得したダニ。 もちろん中には移籍料なしでやってきてバルサで大活躍する選手もいます。96-97シーズンにマドリから来たルイス・エンリケはその代表。過去14年間に全部で11人の選手が自由契約の身でバルサにきています。また、95-96シーズンに200万ユーロでバルサに来たある選手は、5年間活躍したのちバルセロニスタの心に深い傷とともに6000万ユーロをバルサの金庫に残して去っていきました。 ■10年間の加入選手たち 93-94 3人 331万ユーロ |
ベンチ革命(2002年8月9日)
バンガールは自分のオフィースにコンピュータをおき、試合中に取ったメモデータなどを蓄積、このデータや試合ビデを駆使して仕事をしているそうです。また第一次政権の時には、試合中、客席にサブコーチを置いて、全体を見渡した選手の動きを携帯電話でベンチに知らせる方法を採用するなど、試合でのデータ集めに熱心。 そこで現在検討されているのが、「ProZone」というコンピューターソフトシステム。それは、試合でのあらゆるデーターをコンピューターが集めはじき出してくれるというもの。例えば、特定の範囲でのボールの支配率、各選手の特定の時間内での走行距離や動きなどなど、このシステムの目から逃れられるものはないという優れもの。 ただし、この導入に当たっては、多くの工事と準備が必要となります。必要データを得るためには、まずグラウンド内にセンサーを設置しなければいませんし、それに連動して試合の動きをすべて納めるカメラも設置しなければなりません。もともとそのような目的に添うようにスタジアムが造られていないため、かなりの工事が必要になります。 スペインではどこもまだ手をつけていないこのプロジェクトですが、イングランドでは、マンチェスター、リバプール、アーセナル、ニューキャッスルなどがこの手のものをすでに活用しており、成果をあげているそうです。イタリアでもいくつかのチームが検討しているといわれていますが、そのためには、バルサと同じく、スタジアムのかなりの改造が必要なためまだ実現にいたっていません。 バンガールはこのシステムの導入にかなり乗り気だと言われています。「監督の左手からメモ帳がなくなる」という画期的なベンチ革命がバルサに起こる日も近い? |
電話会社が大盤振る舞い(2002年8月5日)
マドリにあってバルサにはない収入源、といえばユニフォームにつける広告料。昨シーズンは自分のWebページの広告を載せていたマドリですが、今シーズンは「Siemens Mobile」との契約にこぎ着けました。その内容、金額に関しては正式には発表されていませんが、3年契約で1年間1100万ユーロでといわれています。この金額は他のヨーロッパのクラブと比べると3番目。1番はやはり今シーズンからの新契約のバイエルン。「Deutsch Telekom」の広告で年間2000万ユーロ。これは昨シーズンまで付けていた「Opel」より約500万ユーロ多いということ。2番目はやはり電話関係のスポンサーで、マンチェスターの「Vodafone」が年間1180万ユーロ。4位と5位には、960万ユーロで、チェルシーの「Emirates Airlines」とリバプールの「Carlsberg」(ビール)が入ります。そして6位に、また「Siemens」がラッツィオに880万ユーロ投資で顔を出します。昨今の電話会社の市場獲得争いのおかげで、クラブが潤うということ。 |
リケルメはチームタイトル蒐集家(2002年8月1日)
3年間タイトルなしのバルサ。今年こそはタイトルを、それもイッパイ欲しいもの。タイトル獲得といえば、今シーズン加入選手、期待のリケルメは、24歳にして8つのタイトルを持つ強者。そしてその8つのなかには個人タイトルは一つもなく、すべてチームの一人として獲得したものばかりです。この年齢でのこの成績は過去のクライフと並び、ペレに次ぐもの。今年はバルサでタイトル獲得記録更新を狙いましょ! 下記の数字は各選手が24歳までに獲得したタイトル リケルメ グアルディオーラ ラウル ベッカム ロナルド マラドーナ クライフ ペレ |