Lionel Andres Messi
メッシー


チャンピオンズ?
(06/05/12)

4月29日土曜日、カンプノウでのカディス戦の前日にレオ・メッシーはアルゼンチンから戻ってきている。多くのプレッシャーが押し寄せてくる“日常生活”の舞台バルセロナを離れ、プレッシャーの少ない彼の生まれ故郷でリハビリメニューをすべてこなして戻ってきた。そしてカディス戦を観客席でマクシと共に観戦した彼は試合後に選手控え室に顔をだしている。もちろん同僚たちの勝利を祝うためだが、祝福されたのは彼の方だった。彼を待ち受けていた同僚選手全員による拍手の嵐を浴びるメッシー。そして試合の翌日、ラ・マシアの練習場に10日ぶりにやって来た彼に対しても、すべての同僚たちから拍手をもって迎えられている。まだリハビリが終了したわけでもない彼に何故このような拍手が送られるのか、それは久しぶりに戻ってきた選手に対する歓迎や挨拶としての拍手という感じではない。

彼の同僚たちはメッシーがチャンピオンズ決勝戦に出場するのはほぼ不可能だということをすでに知っているし、公式発表にはまだ至らないものの、メッシーもそのことを覚悟していることを知っている。したがって、表面的には明るく振る舞っているが、内面はかなり落ち込んでいるであろう彼を元気づけようという拍手なのだ。そうとしか理解できない2日間にわたっての拍手シーン。それはアルゼンチン代表医師団とバルサ医師団のおこなった発言から来ている。

4月19日ブエノス・アイレス。レオ・メッシーはアルゼンチン代表医師団による診断を受けている。そして彼らがおこなったリハビリ期間の予想は次のようなもだった。
「少なくても4週間から6週間にわたるリオビリ期間が必要と思われる。」
4月19日から4週間〜6週間とは、5月17日から5月31日を指す。つまりチャンピオンズ決勝戦にはどうみても間に合わないということを意味している。そしてバルサ医師団もメッシーがバルセロナに戻ってきてから再診断し、その結果をメディアに語っている。5月1日のことだった。
「少なくても今から2週間以内にドクター許可が下りることはあり得ない。」
5月1日から2週間、つまりどんなに早くても5月15日前にドクター許可がおりることはあり得ないということになる。したがってどう考えても5月17日の決勝戦には間に合わない。プレーが可能となることとプレーリズムが体に戻っていることとは別だからだ。

だがこれらはあくまでも医者団が診断したリハビリ必要期間だ。専門家とはいえ彼らのおこなった診断は時として狂うこともある。事実、これまで何人もの選手が医者団が発表したリハビリ期間より早く現場に戻ってきている。だからもしかしたらもっと早く現場に復帰できるかも知れない。リハビリが順調に来ていることに気をよくして、必要以上にハードな練習をおこなったことにより、再び負傷箇所の悪化をみてしまったという苦い経験を持っている彼だから、もちろん無理なリハビリはおこなわないだろう。休むことなく、だが必要以上にハードなものとしないよう心がけておこなわれている現在のリハビリ。そして8日の月曜日、アルゼンチン代表の顔見せ招集に参加してきた彼は次のように語っている。
「もしかしたら今週末の試合に出られるかも知れない。もちろんそれが可能となってもほんの少しの時間だけだろうけれど・・・。」

メッシーがいかに楽観的な見方をしようと、今週末の試合に招集される可能性は間違ってもないだろう。チャンピオンズ決勝戦にも100%の状態でない限りライカーはメッシーを起用することはないだろう。もっとも、彼をベンチにおくことにより相手に一抹のプレッシャーをかけるために招集することはあるかも知れないが・・・。

「Aチーム」


メッシー、アルゼンチンに帰る
(06/04/16)

3月7日のチェルシー戦で負傷し、全治4週間から6週間と診断されてからすでに6週間近くの日々が経過しようとしている。これまでレオ・メッシーのリハビリは予想以上に順調に進められていると伝えられてきていたし、4月に入ってから練習のリズムもハイピッチで進められたうえ、チーム合同練習にも顔をだすようになっていた。したがって4月9日のサンタンデール戦への招集を匂わせるニュースが流れたことも自然の成り行きとして受け止められた。だが、楽観的なニュースが突如として悲観的なものに変化したのはサンタンデール戦が終了してからだ。この試合前日の土曜日、負傷箇所に再び痛みが生じ練習どころではない状態になってしまったという。そして偶然にもこの時期にアルゼンチン代表ドクターであるドナト・ビナリがバルセロナにやって来ていた。
「負傷箇所に炎症が見られるのは肉離れという負傷にはつきもので、それほど特別なことではない。筋肉亀裂が再発したわけでもなく、リハビリ期間中によくある現象の一つとして理解してもらえばいい。簡単に言ってしまえば、まだまだ復帰時期には至っていないと言うことだ。そう、あと1か月ぐらい必要だろう。したがって彼にとってシーズンは終了したことになるだろう。」
レオ・メッシーを診断したあとそう語るドナト・ビラリ医師。

選手の“不幸”につけこみ各種バラエティーに富んだ噂が飛び交うのはいつものことだ。クラシコの前日にメッシーがバルセロナのディスコで朝方まで遊んでいたのを目撃したという人物があらわれたり、彼の父親のホルヘがメッシーに早期再登場させるためにリハビリを急がせたのではないかと疑いをかけるメディアもある。そして当然のことながら、バルサドクター陣の不甲斐なさを糾弾する声があがる。バルサドクター体制の再構築をプジョーやチャビなどのカピタン連中を筆頭にして、多くの選手がクラブ首脳陣に要求したのはかなり前のことだ。そしてその要求に応えるかのようにラポルタが早急にドクター体制再編成をおこなうと発言したのも記憶に新しい。だが、その再編成はいまだにおこなわれていない。

ホルヘ・メッシーが金曜日のラジオ番組で次のように語っている。
「もしレオが26歳ぐらいの経験豊かな選手だったら、こういうことは起こりえなかっただろう。もし、レオにとって初めての負傷でもなかったら、やはりこのようなことは起こらなかっただろう。18歳の彼はまだプロ選手としても経験不足であり、同時に負傷に関しても経験不足だったと言うしかない。更に、これほど煮詰まった試合スケジュールでなかったとしたら、やはりこのようなことは起こらなかっただろうとも思っている。ベンフィカ戦やクラシコという、若手の選手には奮い立つほどの素晴らしい試合が待っていることで、リハビリそのものを急いでしまったツケがやって来たということだ。彼にとって非常に良い経験となっただろう。」
と言うことになる。つまりメッシーはリハビリのリズムをハイピッチにしすぎたということらしい。しかし、例えそうであったとしても、バルサドクターやリハビリトレーナーのだらしなさを露呈したことになるのではないか。若手であろうとベテランであろうと回復を急ぐのは同じだし、世界が注目する試合に出場したがるのも同じだ。そこを理解した上で、彼ら専門家がリハビリリズムを調節しなくてはいけないはずだ。

ホルヘのアイデアによりメッシーは18日の火曜日にアルゼンチンに飛ぶ。環境を少し変え気分新たにリハビリをおこなうということからアルゼンチン行きとなった。とりあえず8日間の滞在が予定されている。監督のライカーやディレクターのチキも“メッシー、アルゼンチンに帰る”案に賛成している。
「バルセロナにいると多くのプレッシャーを受けるだろうから、一時的にアルゼンチンに戻るのは良いアイデアだと思う。」
ライカーもチキも同じようにこう語っている。そう、チキの名前が出てきたので思い出したことがある。まだ彼が現役選手で監督はクライフ、そして当然ながら会長はヌニェスでありメディカルスタッフも今の人たちとはまったく違う医師で構成されていた時代。そんな時代にチキが長期のリハビリが必要な負傷をした。そして彼もまたバルサ医師ではなくオランダの医者を選びリハビリもオランダでやっていた事実がある。つまり、まあ、なんだ、こういうことは今に限ったことではなく、バルサというクラブの誇りある伝統の一つなのだ。

アルゼンチンの医師が“偶然”バルセロナにやって来て、そしてリハビリをアルゼンチンでおこなうという、なにやらワールドカップモードを感じさせるが、まあ、時期が時期だけにしかたがない。彼の目標はチャンピオンズ決勝戦でのグランド復帰であり、そして言わずもがな、ワールドカップへの準備をフィジカル面の問題なしにおこなうことだ。

「Aチーム」


メッシーの負傷
(06/03/10)

前半22分、フラン・ライカーはメッシーにメッセージを送るためにライン際まで来るように命令している。
「エトーとのポジションチェンジがうまくいっていないから二人で調節するように!」
そのメッセージを受けながらメッシーの手が右ももを触っているのをライカーは見逃さなかった。
「痛いのか?」
「ガラスとぶつかったときに少し痛みを感じたんだけれど、いや、だいじょうぶ、続けられる。」
もしこの時にメッシーをベンチに下げていたら果たして負傷具合はどうなっていたのか、その質問に対してバルサドクターのルイス・ティルが答える。
「私個人の意見では、精密検査で見られた負傷はこのときすでにしていたのだろうと思う。したがってこの時に交代させても同じ結果となっていただろう。」
そしてメッシーが去った瞬間、ラルソンに体を温めいつでもグランドに出られるよう準備することをライカーは命じている。そしてそれから2分後、メッシーは倒れた。
「ロベンと衝突したのかどうか覚えていていないが、いずれにしてボールを争っている瞬間に痛みが急激に走りもう続けられないと感じた。」
涙をためて戻ってくるメッシーを、監督というよりはまるで傷ついた息子をいたわる父親のようにメッシーを迎えるライカー。この大事な試合にプレー続行が不可能となったこと、そしてひょっとしたら大怪我ではないかという思いがメッシーを沈み込ませた。

わずか1か月の間に2回の筋肉負傷はただごとではない。2月5日のAt.マドリ戦、そして今回3月7日のチェルシー戦、この異常な状態をルイス・ティルが説明する。
「筋肉負傷はまず筋肉が疲労している選手に起こる可能性が大だ。メッシーは今シーズンが始まる前にアンダー20の大会に出場していることもあり、他の選手より筋肉が疲労していることは間違いない。しかも彼の選手としてのキャラクターが何よりもこの負傷の原因となっていることも間違いないだろう。スプリンターにとっては宿命と言ってもいい筋肉負傷、それはとてつもない瞬発力を持ち、急激な停止と発進、つまり突然の運動機能の変化、あるいはリズムの変化といっても良いが、それらの運動が顕著に見られる選手に起こりがちな負傷なんだ。」

試合の翌日、自動車免許を取得したばかりのメッシーは自ら運転して約束の10時半キッチリにカンプノウに到着している。表情は決して明るくない。すべての負傷選手がそうであるように、精密検査を受ける前の緊張感が見られるレオ・メッシー。だがそれから1時間後にメディアの前にあらわれたメッシーの表情は比較的明るくなっていた。5センチの筋肉亀裂、つまり全治4週間から6週間のリハビリ期間が必要と診断されていた。少なくても8試合前後出場不可能となるリハビリ期間だが、最悪の事態は避けられた。ワールドカップ出場には何の問題もない。この長期のリハビリ期間を知らされた多くのバルセロニスタにはショッキングなニュースだったとはいえ、海をわたったアルゼンチンでは不幸中の幸いとして語られている。メッシーが負傷退場した瞬間、2つのテレビ局が定例番組をストップして臨時ニュースを流している。
“アルゼンチン代表に暗雲が広がる!”
多くのアルゼンチン人にはワールドカップ出場の危機感が広まっていた。だがその翌日、全治4週間から6週間というニュースは明るい材料として受け止められている。

レオ・メッシーはバルサドクター陣が作成したメニューのもとにすでにリハビリを開始している。負傷具合が明らかになったいまもう何も落ち込むことはない。彼の目標はチャンピオンズの準決勝に間に合わせること、そしてバルサリーグ優勝が決まる試合までにグランドに復帰することだ。バモス!メッシー!

「Aチーム」


メッシー伝説の誕生
(06/02/26)

バルサ23回のシュートに対しチェルシー10回、バルサ12回のファールに対しチェルシー22回、そしてボール支配率はバルサ65%、ゴールはバルサ2,チェルシー1,アウエーチームであるバルサの完全な勝利と言っていい。もしロナルディーニョやエトーが試合終了間際の20分間だけでなく90分間にわたってクラックとしての彼ららしいプレーをしていれば、これらの数字はさらに明確なものとなっていただろう。審判の多くの誤り、例えばデル・オルノはあのプレーで退場するには相応しくなく、あの数分前にすでに退場となっているべきであったし、チェルシーゴールエリア内での2回の明らかなペナルティーも見逃している。だが、それでも審判批判はバルサソシオ・モウリーニョに任せておこう。しょせん彼らは、つまり審判にしてもモウリーニョにしても、そして我らが二人のクラック選手たちにしても、この試合の主役として選ばれた人物ではなかった。まだ18歳の若きバルサカンテラ育ち選手、そう、レオ・メッシーがフットボール界での伝説の選手となるために用意された試合だったからだ。

すでに何年も前から“カンテラにアルゼンチンからやって来たチビのキラキラ星選手がいる”と地元バルセロニスタの間で囁かれていたレオ・メッシー、その彼がカタルーニャ以外の地で名を知られるようになったのは昨年の夏だ。アンダー20世界大会とガンペル杯での活躍がアルゼンチンメディアはもちろん、ヨーロッパメディアの間でも注目の的となるきっかけを作ることになる。そしてもしこれらの試合での活躍がなければ、今頃はバルサ選手メッシーとしてメディアに騒がれていなかったかも知れない。我らが天才スポーツ・ディレクター、チキ・ベギリスタインは彼をバルサBでプレーさせるよりはどこかにレンタルさせようと思っていたフシがあるからだ。だが、ユベントス監督であるカペーロのメッシー絶賛コメントや、メディアのメッシー注目がチキのアイデアに変更を加えることになる。メッシーのEUパスポート取得手続きが遅れたのは、もともとバルサAチームに残ってプレーする予定ではなかったからだ。少なくとも今シーズンに限って言えばその予定はなかったと言っていい。だが、予定は常に狂うものだし、我らが天才スポーツ・ディレクターの判断に誤りがあってもそれはしょうがない。レオ・メッシーの成長スピードは誰もが予想していたものより早かったのだ。

「ディエゴと比べることはしたくない。だが少なくてもここアルゼンチンではディエゴがボカの選手としてスタートした時と同じような興奮状態にあることだけは確かだ。まだ18歳の選手であるし、しかも我々はほとんど生で見たことのない選手であるにもかかわらず、この胸騒ぎは尋常じゃない。」
アルゼンチンフットボール協会会長のフーリオ・グロンドーナがこう語る。レオ・メッシーは地元アルゼンチンのどこかのクラブから誕生した選手ではなく、ヨーロッパのバルサというクラブのカンテラ組織から誕生してきた選手だ。したがってほとんどのアルゼンチン人は彼のプレーをスタディアム観戦するという経験を持っていない。それであるにもかかわらず、レオ・メッシーに寄せる思いはディエゴのスタート時期のそれと同じだと語る。そしてその思いが正しかったことを証明してくれたのが2006年2月22日のチェルシー・バルサ戦だ。
「実は彼をアンダー20の大会に是非とも招集させようと動き回ったのは私なんだ。あの大会での活躍もさることながら、クラシコやチェルシー戦での活躍が多くのアルゼンチン人に熱い希望を与えてくれた。今また一人の伝説の選手がアルゼンチンから生まれた、それがすべての国民の思いだよ。」

チェルシー戦にはメッシーだけではなく、バルデス、オラゲール、プジョー、モッタ、イニエスタというカンテラ選手が出場している。モッタはバンボメルを、メッシーはジュリーを、オラゲールはベレッティをそれぞれ押さえ出場した。これだけのカンテラ選手を擁することは、チャンピオンズに顔をだすどのビッグクラブにもまねができないことだ。
グラシアス!セラ・フェレール!
グラシアス!カルラス・レシャック!

「Aチーム」


大物になったもんだ!
(05/12/10)

8日木曜日の午前10時、レオ・メッシーはエル・プラット空港に到着している。両親のホルヘや何人かの家族も一緒だ。行き先はドイツ。ワールドカップ抽選会前夜祭の主役の一人として招待されていた彼は、ワールドカップのスポンサー会社であるマクドナルドが用意した専用ジェットに家族と共に乗り込み約2時間の空の旅を楽しむ。機内食はもちろん特別ハンバーガーだ。

アルゼンチンで流されるマクドナルドのCM(メッシーが主役)キャンペーンも兼ねているものの、あくまでも抽選会前夜祭に招待された主役の一人であるレオに世界各国から押し寄せたジャーナリストから質問が次々と飛ぶ。約2時間にわたってジャーナリストのお相手をしたレオ・メッシー、すでに抽選会場に集まってきている多くの“元クラック選手’たちを準主役にしてしまった。そしてその夜、金曜日の午前中の練習に参加するために再び家族たちと専用ジェットに乗り込みバルセロナに戻ってきた。だが抽選会場では多くの“元クラック選手’たちが彼に関する話で盛り上がっていたという。

例えば、ドイツのオラゲール、フラン・ベッケンバウアーは彼に関して次のように語っている。
「現在のバルサのように11人だけではなく、多くの素晴らしい選手がいるチームの中でポジションとりに成功しているというのは凄いことだ。私は他のクラブで経験を積んでバルサにやって来た25歳とか27歳の選手のことを言っているわけではない。まだ18歳になったばかりの若者のことに関して言っているのだ。しかも今回のワールドカップで大活躍する印象を与えてくれている。本当に楽しみな選手だと思う。」

そして女性問題ではクルービーにも負けないくらい話題を提供してくれるマタウスも、男レオ・メッシーには無関心ではいられない。
「マドリ対バルサというクラシコな試合を見るチャンスがあったが、彼が繰り広げたプレーは尋常なものではなかったよ。クチカル選手を相手にあれだけのことができる選手は世界中見渡してもなかなか見つかるもんではないさ。あのリズムの変化やボール扱いのテクニックはまるで20年間もこの世界で生きている選手のようだった。気に入ったね、あの若者。ところで、彼にはお姉さんいる?」

マルセロ・リッピーはガンペル杯で初めて生メッシーを見た一人であり、そして彼に惚れてしまった一人でもある。
「名前だけは聞いていたが、あの試合で初めて見たメッシーには本当にビックリした。彼の相手をしたのはどこにでもいるデフェンサというわけではなかった。あの経験豊かなユーベのデフェンサ連中がああまでからかわれるのは見たことがない。あの年齢の若者には不可能なことを再三にわたって見せてくれたからね。もちろん驚いたのは私だけではなく、イタリアのすべてのメディアがそうだったようで、あの日以来、どこのクラブがメッシー獲得を狙っているかとか、そういう話題で三日間ぐらい騒がしかった。」

ジュリーがバルサに在籍しているからか、プラティニはもうかなり前からメッシーの才能を高く評価している一人だ。
「バルセロニスタという特にスペクタクルを要求するファンがいることも考慮にいれなければならないが、もう少しスタンドプレーを押さえればもっと良い選手になると思う。だが、それでも彼の才能の素晴らしさを認めないわけにはいかないだろう。スピードの強弱の付け方、ボールを持ってのリズムの変化の付け方、持っているボールを相手デフェンサから守ることの才能、すべてが超一流と言える。とにかく素晴らしい選手だ。」

いやあ、照れちゃいますな、ハッハッハッ。もっと、褒めてやってください。

「Aチーム」


僕の名はレオ・メッシー
(05/10/26)

レオ、あるいはピベと仲間に呼ばれるメッシー。父親のホルヘがライオネル・リッチーのファンだったことからリオネル・メッシーと息子に名付けたものの、小さい頃から誰もライオネルともリオネルとも呼ばない。かつてバレンシアでプレーしていた“ピオッホ(シラミ)”ロペスなどに見られるように変なあだ名を付けるのが好きなアルゼンチンでは、レオ・メッシーには“プルガ(ノミ)”という呼び名がすでに付いているが、スペインではそう呼ばれない。彼はレオ・メッシーなのだ。13歳でバルセロナにやって来たときからレオ・メッシーなのだ。

エスパニョール戦で試合途中デコと交代してリーガデビューを飾ってから約1年後の先週末、初のスタメンとしてカンプノウ・オサスナ戦で90分間プレーした。
「あのエスパルディーニャはレオにゴールを決めさせてやりたかったから。でも予想しない方向にパスが行ってしまってそれをうまくジュリーが決めてくれた。」
と試合後に語るロナルディーニョに代表されるように、多くの同僚がレオ・メッシーの成長を暖かく見守っている。
「そんなことは当然なことさ。彼は何たってまだ18歳なんだぜ。」
13歳年上のシルビーニョもこう語る。
「グランドの中であろうと外であろうとみんなが気を使ってくれていることにとっても感謝している。」
レオ・メッシーは感性の鈍いガキではない。多くのアルゼンチン人がマラドーナ二世と呼ぼうが、彼はまだスタートしたばかりのホヤホヤ選手であることを自覚している。

それでも、第四スタディアムに通い続けたオヤジだけではなく、もうすでに多くの人々がその名を知っている
「僕の名はレオ・メッシー」
コルーニャやアラベスがいかにレオ・メッシーの選手登録に関して異議申し立てをしようと、そんなこととは関係なく彼の名はすでに世界中に知れ渡った

「Aチーム」


レオ・メッシー、スペイン国籍獲得!
(05/09/27)

2005年9月26日午前?時?分?秒、レオ・メッシーは突然のスペイン国籍取得に成功。したがって今週末のサラゴサ戦にはEU圏内選手としてプレーできるようになり、ようやくリーガの試合に出場可能となった。

バルサオフィシャルページでは2004年7月からメッシーのスペイン国籍取得手続きを開始したと発表しているが、これはどうも怪しい話でもっともっと最近のことだろう。まあ、いずれにしても、メッシー父の方は独自にイタリアパスポートを息子にプレゼントするためにすでに申請手続きをしており、早ければ10月にはイタリアパスポート取得が可能と言われていた。だが第四コーナーを回ったあたりでスペインパスポート獲得が強烈にムチを入れはじめ、ゴール寸前でイタリアパスポートを首一つの差で抜いたという感じ。フェリシダーデス!レオ・メッシー!

そうそう、ついでながらエチェベリアさん(チキートコーナー「三千年中国 vs 三年目ラポルタ」参照)のことにも触れておこう。具体的に政府内のどこにどういう風にコネを持っているのかまったく知らないものの、この方のコネの威力は凄まじいものがある。シルビーニョの例を見るまでもなく普通の移民労働者では考えられないスピードでスペインパスポート取得が可能となっているのはすべてこの人のおかげだ。フランコ崇拝思想を持っていることは明らかになっているが、とにかく表にでてこない人だから細かい人物描写はまだされていない。近いうちにメディアがこの人に焦点を当ててくれることに期待。

「Aチーム」


メッシーの置かれているラテン的状況
(05/08/29)

バルサはアラベス戦に招集されなかったレオ・メッシーに関して、その状況を説明するためにクラブ公式メッセージを発表している。一人の選手が招集漏れになったことに関する公式メッセージというのも珍しいが、その説明もなかなかスペイン的である。そのメッセージの中身は、要するにクラブとしてはメッシーのバルサAチーム出場は合法的という結論を出してはいるものの「慎重には慎重を期して」彼を招集しないことに決めたとある。それは次のような理由だ。

スペインフットボール協会が定める“外国籍であるにも関わらずEU諸国選手として認められる選手”規約項目、つまり13歳以下でスペインのクラブのインフェリオールカテゴリーに在籍した選手に関する規約項目だが、その内容がこれまでどうもあやふやなものだったらしい。そのあやふやさというかいい加減さというか、とにかく色々な解釈がなされてもおかしくない内容であったようだ。そこで今年の7月6日、スペインフットボール協会は規約項目の誤解を招かないようにその項目の変更をおこなっている。そしてその変更は、スペイン政府内にある組織CSD(スポーツ省とでも訳すのか)の承認をもって初めて有効となるという。だがまだその承認はなされていない。なぜなら高給取り役人様たちはまだ夏休みだからだ。彼らの1か月の夏休みが終わり「さ〜てと、仕事でもするべえか」となり最初の会合がもたれるのは9月の中旬ではないかと言われている。

バルサ理事会が慎重を期すのは、負けたクラブがやけっぱちになってメッシーの出場にケチをつけることを予想してだ。例えそんな状態となってもバルサ弁護士は間違いなく勝利裁判となると踏んでいるらしいが、それでも余計なもめ事を避けたいのだろう。そして当然ながらメッシーはまだロナルディーニョでもデコでもチャビでもないからして、2試合程度不出場でも問題のタネとならないだろうというフラン・ライカーの読みもあるのだろう。しかも外国籍選手には何の問題もないチャンピオンズの試合には出場できることもある。いずれにしても9月中旬過ぎにはメッシーは問題なくバルサAチームでアマチュア契約選手としてリーグ戦出場できることになりそうだ。

それにしても、と思うのは、旧規約であろうと新規約であろうとプロ契約を結んだ選手はいずれにしてもEUパスポートが必要ということぐらい(チキやラポルタはともかく弁護士は知っていて当然だと思うのだが)わかっていたことだからして、なにゆえ彼にパスポート取得を進めていなかったのだろう。しかもメッシーの場合、父親はとっくにスペイン国籍を取得しているのだから、彼の手続きはかなり簡単なことに違いない。これはやはりラテン的状況とでも言うのだろう。

「Aチーム」