2001年
9月
2002年

どうなっちまうんだぁ!

半けが人のリバルドと、本格的けが人のロッケンバックとクリスタンバールが今日の試合に出られないため、呼ばれた選手はボナノ、レイナ、セルジ、ココ、アンデルソン、デブー、プジョー、ガブリ、チャビ、コクー、ジェラール、クライハート、サビオラ、ルイス・エンリケ、ジェオバンニ、ジョフレの計16人。

●予想されるソシエダー戦スタメン
控え レイナ、デブー、ジェラール、サビオラ、ジョフレ

●予想されるコルーニャ戦スタメン(ココ、アンデルソンが予定どうり里帰りした場合)
控え レイナ、ジェラール

●もう一つ予想されるコルーニャ戦スタメン(意地悪バン・ガールが我がチューリップ軍団を呼んだ場合)
控え ゼロ

素晴らしい! むかし流行ったスイーパーの復活。その名もレイナ。(2001/09/29)


すべり止め

ペップのブレシア行きを「すべり止め」とは言えないかも知れない。本命がダメだったときに安全パイとして確保してるものを「すべり止め」というのだろうから。でも似たようなもんだ。

何でブレシアなのか。何であんな小さいクラブへ行かなくちゃあいけないのか。バルサにサヨナラを言った時に、彼の求めていたクラブはイタリアかイギリスのビッグクラブで、もちろんヨーロッパカップ、少なくてもUEFAカップぐらいには参加しているクラブではなかったのか。少なくてもリーグでの優勝を狙えるクラブではなかったのか。

憧れのクラブであったユベントス。そのクラブの試行錯誤につき合わされてしまった運の悪さがあったとはいえ、結果的には移籍先クラブ獲得作戦はまったくの失敗に終わった。外国の文化や言語を知りたければ引退してから学べばいい。唯一今の彼ではなければできないことは、外国のフットボールを学ぶということであるはずだ。

では、ブレシアでいったい何を学べるのか、ペップ?

ブレシアのリーグ目標は、UEFAカップやヨーロッパカップへの参加ではないし、まして優勝を狙うことでもない。90年のクラブの歴史において、2年以上続けて一部に残れたことがないクラブ。つまりほとんどの期間、二部以下のカテゴリーでやってきたクラブだ。目標はできるだけ早く40ポイントを稼いで、ひたすら二部落ちを防ぐこと。昨シーズンの、思わぬカルッチオ8位というのは大成功の部類に入る。

ペップが学ぶもの。それは数少ない勝利の喜びや、日常的な敗北の悔しさか。あるいはどこにもボールを出すところが見つからない切なさか。はたまた、世の中思い通りにはいかないという教訓か。

それでもインタビューを読む限り、当人は納得して満足しているようだ。それならそれでいい、としよう。がんばってみよう、元キャプテン。ブエナ・スエルテ!(2001/09/28)


こちらGrana 週末が一つの山」

私にも言わせろ!と、本日はこのコーナーをのっとり、「こちらGrana」を送りします。

さて、みなさん、リーグ4試合終わって、いかがお過ごしでしょう。監督の選手交代が納得いかない、ディフェンスばかりのバルサなんて、と色々ご不満がおありのご様子ですが、私は別の面から、今週末の試合で、一つの山を越えると考えております。そして、ぜひこの山を負けずに超えて欲しいと切に願っております。

第1試合 2部からあがってきたばかりのチーム(セビリア)
第2試合 リーグ11位から20位まではすべて同ポイントの「0」の12位に位置するチーム(ラーヨ)
第3試合 昨シーズン紙一重で2部落ちを逃れたものの、この段階では最下位、0得点のチーム(オサスナ)
第4試合 2部からあがってきたばかり、16位のチーム(テネリフェ)

そして、迎える
第5試合 4節終わって3敗1分け1ポイント、1点しか入れていない最下位のチーム、レアル・ソシエダ。

なんと連続5試合、いままでバルサが苦手としてきたタイプチームのオンパレード。そんな相手4試合までで2勝2分けと、結果はまずまず、と思うのです。こんなチームには大差を付けて全勝しなくっちゃ、っと言っちゃぁいけません。こんなチームに全勝していたら、リーグ全勝ぶっちぎり優勝しちゃいますぜ、だんな!!

で、この第5試合目の最下位チームを何とかしのげば、このあと、マヨルカ、デポルティーボ、バレンシアと楽勝チーム(?)が続きます。そして、マラガ、ベティスとおいてレアルマドリ(ここは最下位の可能性もあり、そうなると手強い)。

というわけで、今週末、弱い強敵に、バルサが勝ってくれればディフェンスが6人で終わってもな〜んの文句もいいません、私は。ただ、はっきり言って、マヨルカ以降のチームに惨めな試合をして負けたら、私は許さ〜ん、許さんぞぉ!
どう許さないかというと、そうですね、選手全員頭を丸め、監督には鼻でも削ってもらいましょうか。(2001/09/27)


ドイツ・シンドローム

ドイツに行っての試合はどうしても勝てない。勝ったのを見た記憶がないと思ったら、15年も勝っていないという。それじゃ、記憶がないわけだ。そしていつも思うんだ。何でこんなチームに勝てないんだ?

負けるのはしょうがないとしよう。相手あってのものだから。勝つこともあれば負けることもある。しかもこの敗戦はそれほど痛いものでもない。アウエー2試合で3ポイントは、なかなか捨てたもんじゃないし、まだ一度もやっていないカンプノウでの3試合を勝てば、問題なく第2次ラウンドに進める。だから、負けたこと自体はまあ許せるんだな。

だが許せないのは「こんなドイツのチーム」に負けちゃうことなんだ。前半が両チームの特色をよく表していたと思う。体力的には優るものの、テクニック的には比較にならないバルサとレバクーゼン。3回以上のパスがつながらないレバクーゼン。もちろんバルサがボールを支配し、相手選手を走らせていた。

それが後半ガラッと様子が変化する。闘志と体力に優るレバクーゼンは、ボールまで支配してしまう。それはテネリフェ戦で先行したときにも現れた風景だ。レシャックの弱腰が選手に「キッス病」しちゃうのか、はたまた選手自体がすでに感染してしまっているのか。

バルサがそんなに強いチームではないことは明らかだ。今のところこんなバルサで我慢しなくちゃいけないことはわかっている。だけどチーム事情がどうであろうと、ドイツのチームごときに負けてはいかん。闘志と体力に、テクニックが負けてはいかんのだよ。

しかし考えてみれば、これがドイツ・シンドロームっちゅうヤツか。(2001/09/26)


マエストロ・レシャック

Cada maestro tiene sus librillos という諺があります。やわらかく言っちゃうと「師匠には師匠のやり方ってもんがあるんだ」ということで、人の上に立って何かする人には、それぞれその人なりのやり方があるということです。スポーツ界に限らず、一般生活の中でもよく使われる言い回しです。

オサスナ戦までは非常に非難されてきたレシャックですが、フェネルバッチェ戦の勝利により少しは見直されてきたようです。彼独特の選手交代は「ケツを引いた戦いをしている」という以上に、誰の目にも「意味不明な交代劇」として映っています。もちろんレシャックとアレサンコにとっては、必要で納得のいく選手交代であったのでしょうが。

9番を9番的な選手と交代し、4番を4番的な選手と交代するというのは誰にも受け入れられて、しかも非常にわかりやすいものです。少なくてもシロウトの私たちには。でも今のところ彼はそういうことをしない。はっきり言って想像外の選手交代をします。これがうまくいかなければ、これほど批判しやすいものはありません。多くのメディアやファンが望んでいるサビオラのスタメンスタートというのもカンプノウでしか実現させてない。いくつかのメディアの攻撃や、ファンからの「臆病者!」というきつい言葉にも柳に風のごとく、笑って流してしまうレシャックです。

ところが先日のテネリフェ戦での選手交代に関しては、レシャックの試合後の反応は少々違っていました。
「イヤー、失敗しちゃったな。ココをセルジに代えて出したところまではよかったんだが、チャビに代えてデブーを出したあたりからひどいことになってしまった。まさにカオスの20分だったよ。中盤を厚くして、と思っての選手交代だったんだけれど、まさに裏目にでてしまった。失敗、失敗。」

好き嫌いは当然誰しもが感じるもの。レシャックを好きになろうと嫌いになろうと、そんなことはどうでもいい。プロ中のプロがやることに、批判をするのもしないのも自由。でもマエストロも人間。一試合一試合が勉強です。かつてのクライフがそうだったように。(2001/09/25)


カンプノウ44周年

今日9月24日は、バルセロナのパトロン(守護聖人)であるメルセデスの記念日であり祝日。と同時にこの日は、カンプノウの誕生日でもあります。ちなみにこのカンプノウ、カタルーニャではこう呼ばれていますが、スペインの他の地方ではノウカンプと呼ばれています。

1957年9月24日にお披露目ということですから、今年で44周年記念。バルセロニスタのカテドラルであり、アスールグラーナの心臓と言ってもいいでしょう。UEFAだかFIFAにより五つ星スタジアムと認定されている、世界でも少ない最高級設備をもったグランドの一つです。

44年前、当時としては想像を超える大きさのグランド建設であったことは間違いないでしょう。もちろんその建設費も莫大なものであることも想像できます。しかもフランコの独裁政権がまだまだ幅を利かせている時代です。フロレンティーノ・マドリみたいに、国の協力はもちろん期待できませんでした。そこで借金をできるだけ少なくするために、当時の何万人かのソシオには年間会員費の一年分前払いを、シンパや街の人々には献金を頼んでかなりの金額を工面したということです。

最初の計画では15万人収容を目標としていたのが、建築法だとか何とかで無理となり結局10万人収容のグランドに。しかし、ほとんどが立ち見席だったため、実際の収容人数はわからない。それでも一応10万グランドというふれこみでスタートしました。

マラドーナの加入によって生じた観客数の増大や、82年スペインワールドカップの開会式会場になったということもあり、82年に2万人分の席を増設。これで12万グランドとなりました。

そして現在、すべて椅子席となったため実際の収容人員は9万8千人程度。そしてソシオの数が10万5千人。余程の大きな試合をのぞいて、毎試合5千枚ぐらいの入場券が売られます。この辺のスペイン的計算が、いつまでたってもよくわからんところであります。(2001/09/24)


どこにでもいるパープリン

「お勧めしないHP」を作りましたが、その中に「ULTRAS SUR」というものを入れました。レアル・マドリを応援する「ウルトラス・スール」と呼ばれる、最も過激で騒々しいグループのHPです。そのグルーを構成しているのは400人の核となる主要メンバーと、シンパとして集まってくる2000人近い若者だと言われています。最近の彼らを一躍有名にしたのは、チャンピオンズリーグでの試合でゴールポストを倒した例の事件です。あれ以来、彼らは長年にわたって陣取っていたゴール裏の「指定席」から追い出され、ゴール裏斜め上の目立たない場所に移されていたのですが、つい最近またゴール裏に戻ってきました。もちろんフロレンティーノによる「政治」のおかげです。

さて彼らのHPの中にある「ENTREVISTAS(インタビュー)」というところを見ると、何人かの選手がウルトラス・スールの旗を持って写真に収まっています。これは「良識」あるフロレンティーノ・ペレスが「ネオナチと誤解される」ということで途中で中止させた、いわく付きの写真です。何と言ってもフロレンティーノは、ウラで小汚い政治コネを駆使することはしても、表では「マドリ倫理十戒」などというものを唱えている見せかけだけはジェントルマンな方ですから。

さて、その写真に写っている選手を見て気がついたことはないでしょうか。そう、白人選手しかいないんです。

ゴール裏に陣取り、どんなつまらない試合でも絶え間なく応援するウルトラス・スール。彼らの反感を買うということは、選手として非常にやりにくいことになることは明らかです。だからできるだけ彼らには便宜ををはかって、選手たちはできるだけの協力をしようとする。それが例の写真です。でもいくら協力しようとしても受け入れられない選手がいます。そう、それはカラーの選手。ロベルト・カルロス、マケレレ、ファビオ、彼らはこの21世紀の社会において肌が黒いということだけで、ウルトラス・スールの連中にとっては「存在しない選手」たちであります。

メレンゲがどうこうということではなく、どこの世界にもパープリンな救いようのないヤツが存在するというお話でした。(2001/09/22)


勝てば名将、引き分ければボケ

バルサはフェネルバッチェ戦に、オサスナと同じメンバーで戦いました。結果は0−3だけど、5点入っても6点入ってもおかしくない試合。いずれにしてもトルコという土地柄を考えれば、圧倒的な勝利といっていいでしょう。じゃあ、何がオサスナ戦と違っていたのか。

フェネルバッチェは、明らかに試合をしようとしていました。つまりこの試合勝ちにいこうとしてました。それはほぼ3人トップという形で試合展開をしていたのが証明しています。それに反してオサスナは負けない試合を企んできました。地元での試合とはいえ、1ポイントも1ゴールも決めていないチーム事情があります。当然と言えば当然かも知れません。しかし、この違いは今のバルサにとって大きい。

ここまでのバルサを見る限り、ディフェンスに関しては鉄壁の守りを誇っています。4試合消化して入れられたゴールは2点。それもすべてペナルティーゴールです。鉄人28号アンデルソンを筆頭に、試合ごとに体重が軽くなり、こまわり君となってきたクリスタンバール、ここは絶対通さないぞ男プジョー、ボールを持って各選手に伝達を届けるために、上へ行ったり下へ行ったりのセルジキャプテン。そしてほとんど仕事のないボナノ。

安全パイ・チャビにペップをダブらせようと期待していた人がいるとすれば、それは明らかに間違い。彼はチャビであってペップではない。タイプももちろん違う。彼はチームのバランスをとる選手。だから派手さはない。

あとは、上の方で仕事をしている人たちのインスピレーションを期待しなければならない。ジェオバンニ、クライハート、エンリケ、サビオラ、ロッケンバック、etc.etc.

一日にしてコロッと変わるメディアの対応。フェネルバッチェ戦前にはボケ監督の名称をいただいていたレシャックは、試合後には名将。テネリフェ戦後の評価がどうなるかは、デランテーロ達のインスピレーションにかかっている。(2001/09/21)


歯がゆいヤツ

歯がゆいヤツ、それはもちろんオーフェルマルス。この名前はちょっと長いからスペイン式にオーベルとしよう。そのオーベル、何が歯がゆいか。それは彼の本来もっている素晴らしい素材が、いまだに爆発しないから。彼はエストレーモというポジションでは、多分ここ何年かのバルサにおいて最高の選手だと思う。でもそれは、素材的にという意味で。

彼のもつスピード、一対一の強さ、もうフットボール界には少なくなった本物のエストレーモとしての絶妙のポジショニング、そしてゴールラインまで入るキレの良さ。どれも超一流。だがいつもほんの片鱗しか見せてくれない。もう飽きるほど指摘した、センターリングの悪さはあえて触れない。この際、シュート力の見事なまでのお粗末さも忘れよう。ディフェンスに見せかけの恐怖を与えると共に、多くのディフェンスを連れていってスペースを作るプレーをするということで良しとしよう。

だがおしいかなこのオーベル、バルサでの一年目は不完全燃焼だった。昨シーズン、彼としてはまあまあという試合がいくつかシーズン終了間際に見られたが、それでも彼のもつ素材からすれば完全燃焼とは呼べない。

プレシーズンで見せた調整の遅れもさることながら、ここにきて不可解な「負傷」騒ぎ。ドクター達はもうすでに回復と診断しているものの、肝心の当人がダメというのだからしかたがない。練習が一日もできなかったにも関わらず、オサスナ戦に出場したルイス・エンリケとは180度違うタイプ。今シーズンもいろんな意味での不完全燃焼を感じてしまう。

そう、オーベルの才能にロッケンバックのガッツとあのいかつい眼を足したら、ウリストにほんのちょっと近い選手が生まれることを考えると、ほんとにこの選手もったいない。

そのオーベルが帰ってくる。次のテネリフェ戦には復帰可能ということだ。相変わらず歯がゆい顔して、歯がゆい態度でプレーするのだろうが、それでも素材はピカイチだ。素材だけは。(2001/09/20)


Kenを救え!

kenさんが手に入れたビデオは1991年のマンU戦というから、クライフが監督になってから3年目のシーズンですね。さすが3年もたつとチームもまとまってきていて良い試合が多くなり始めた頃だと思います。

この試合、スビサレッタがカードででられなくてもブスケが予想以上にがんばっていました。もっとも10年前の試合をよく覚えているわけはなく、ほこりにまみれたビデオライブラリーの中から取り出してきて、今ちょっと見てみました。このビデオを巻き戻したのは初めてです。

基本的なポジションはこんなもんだと思います。ストイチコフがいればゴイコ、あるいはサリーナスの位置にはいります。アモールはエウセビオかチキの位置へ。ポジションチェンジは激しすぎて細かく説明する能力に欠けますが、思い当たるところをいくつか。

ラウドゥルップは全く自由に動くことを許されているので、あらゆる場所にいます。右のサリーナスが真ん中に来て、左にいるゴイコが右に行ったりしてますよね。エウセビオとチキはスキさえあれば前線に食い込む感じです。運動量の多いバッケロは時には4番になったり、9番になったり、大忙しです。そのビデオでは彼のボールを奪う能力の高さが非常にでている試合だと思います。

ちなみにワタクシめの選ぶ最高時のメンバーはこうです。(2001/09/19)


有名な話し

結果がでないと悪いウワサ話しがでる。それはまったくのウワサであることが多いが、今まで隠されていた真実が闇から突如として現れる本当の話であることももちろんある。

昨日レアル・マドリのお偉方、つまり会長のペレスとスポーツ・ディレクターのバルダーノ、そしてキャプテンを務める4人の選手(ラウル、イエロ、グティ、ロベルト・カルロス)が昼食会を開いて、今後の展望について話し合った。メディアによればペレスが以前提唱した「マドリ倫理十戒(こちらカピタン8月7日参照)」の再確認と共に、がんばってやっていこうという意思の確認の場であったという。だが、そんなことはどうでもいいんだ。

この昼食会にロベルト・カルロスが欠席していた。あるメディアによれば、呼ばれなかったロベルト・カルロスが怒っているといい、またあるメディアでは、呼ばれたのに来なかったという。だが、そんなこともどうでもいいんだ。

マドリメディアが、決して喜んでは公表しなかった有名な話しがある。普段、ロベルト・カルロスはイエロと話しもしない。ラウルとも話しをしない。フィーゴには近づきもしない。他の選手たちもイエロ、ラウル、フィーゴには近づかないし、何かの偶然で遭遇してしまった場合、話しもしない。

グティは中間地点を保っている。イエロ、ラウル、フィーゴは団子になっている。ロベルト・カルロスはひたすら我が道を行っている。もちろんジダーンには誰も近づかない。

この話はウワサとしては聞いていたけれど、昨日の深夜ラジオ番組でマドリ番記者がいかにも辛そうにしゃべっていました。自他共に認めるマドリディスタの記者としては悲しい話しであったと思います。(2001/09/18)


カメレオン・レシャック

一昨日のオサスナ戦はフラストレーションのたまる試合であったのと同時に、いかにもレシャックの性格がでていた試合であったため、笑える試合でもありました。ケチクサイ試合、それは彼のケチくさく計算高い性格と同じものであります。

カタラン人の典型的な性格の持ち主だといわれるレシャック。良い意味で言うと「金の使い方」がうまく、悪くいうと「ケチ」なカタラン人。オープンな性格のマドリレーニョと比較されて、閉鎖的な性格のカタラン人。また、オープンではあるけれども他人には踏み込めないところを作るマドリレーニョに比べ、いちど心を開くとどこまでも相手を受け入れるカタラン人。

レシャックがディフェンス選手から補強したことから見られるように、まず点をとられないケチな試合をしようとしているのは明らかでしょう。リバルドは今はいないけれど、クライハート、エンリケ、サビオラを前に置いておけば、いつかは点が取れると読んでのものだと思います。計算高い彼のことだから、12月あたりまでのポイント計算も済ましているかも知れません。そしてチーム全体が練れてきて心が開かれるようになる年明け頃に、一点突破全面展開を画策しているのかも知れません。いずれにしても、ここ当分バルセロニスタは、好むと好まざるに関わらずこういうケチくさい試合につき合わされることになるのでしょう。

バルセロナを中心とするカタランメディアは、昨日から強烈なレシャック攻撃をしています。「保守的フットボール」「妥協的フットボール」「スペクタクルのかけらもないフットボール」。

カメレオンのように、状況を読んで色を変えるレシャックフットボール。レシャックは多分笑ってこれらの批判を聞いていることと思います。誰しも完璧な人間ではありません。レシャックはほんのちょっとケチで計算高く、ほんのちょっと臆病で気が弱いということでしょう。チームの上昇が、彼に勇気を与えてくれることを祈りましょう。(2001/09/17)


気をつけよう、ペケと弱い強敵

この際、嫌なことを思い出しちゃおう。
昨シーズン二部に降格したヌマンシア、ラーシング、そしてもう少しのところで一緒に地獄に落ちるところだったオサスナ。

思い出したくもない最下位ラーシングでの4−0の試合。思い出したくもないヌマンシア戦の引き分け試合。思い出したくもない最下位に近かったオサスナでの敗北。まあこの試合は、糞詰まり状態にあったセラ・フェレールの首をちょんぎっちゃった効果はあったものの、果てしなく惨めな敗戦。

そう、昨シーズンの特徴は強い強敵には勝つか負けるかは別として、それなりの試合はできた。だけど、弱い強敵に対し、ミジメでヒサンでカッコワルク3日間は尾を引くような後味の悪い試合内容。

狭い狭いグランドでの試合に弱いバルサ。ランキングの下の方のチームにからっきしなバルサ。名のない選手がほとんどのチームにボロ負けするバルサ。

しかし今年はその変態気味な悪癖をどうにかしないと、再び優勝への道は遠くなる。今年は順位通りの試合ができるかどうか。今日のオサスナ戦はそれを見極める絶好の機会だと思う。現在最下位のペケに位置し、狭いグランドでの無名選手チームとの格闘技。サビオラ、クライハートの強烈キックで相手をノックアウトしちゃう、弱い強敵にも強いバルサが見れるかどうか。

あと数時間後に結論がでます。(2001/09/15)


旬の話題

このコーナーとは合わないかも知れませんが、アメリカでの大惨事に関して一つ。人間の記憶とか印象というのはあやふやなものですから、まだまだ鮮明なうちにということで、大して話題のないフットボールに関しては今日はお休みです。

あれだけスペクタクルなテロ行為でありながら、あれほどの破壊行為を眼にしていながら、しかもあれほどの犠牲者をだしていながら、なぜ犠牲にあった人々のことが、何というか、身近にというか、とにかく実感としてわいてこないことを不思議に思っていたのであります。つまりこのアメリカから伝わってくる画像には、何かが欠けていると思ったのであります。

それが昨日のつまらない交通事故のニュース画面を見ていて、なーるほどと気がつきました。いったい何が欠けていたのか。

それは、血と無惨な死体です。

やたらと交通事故が多く、しょっちゅうテロ事件のあるワタクシめの長期滞在中のこの国は、テレビニュースで現場をナマナマと見せてくれます。昼飯時だろうが、夕食時だろうがおかまいなしに、チ・ダラケノ・テ・ノナイ・シタイや、アシ・ヤ・クビ・ノナイ・シタイを写します。「う〜ん、あれが犠牲者か」と自分の目で確認して、はじめて事件の何たるかを知る癖がいつの間にか身についてしまいました。

良い意味でも、悪い意味でも、アメリカがそういう報道をしないことが意外でした。ベトナム戦争中、ベトナム人の首をちぎった後、髪の毛をつかんでニヤニヤしながら写真撮影しているアメリカ兵や、湾岸戦争で民間人が住む町に空爆しているのをナマ中継する国ですから、ナマナマしいシーンを見せる国と誤解していたようです。

さてそうこうしているうちに、明日はオサスナ戦です。こういうところで勝つかどうかが優勝できるかどうかの境目。スペクタクルはいらないから3ポイントもって帰ってきてください。(2001/09/14)


スコッティに捧げるリケルメ情報

リケルメに関するウワサは、忘れた頃に突然あらわれます。その最後の「突然」があらわれたのは先週の9月4日。約1週間ぶりの彼に関するニュースでした。

それによれば、2日後の6日(木曜日)にボカの会長マクリがバルセロナに到着するとのこと。目的はもちろんリケルメのバルサ移籍に関する最終的な詰めをおこなうというものでありました。ところがガスパーも突然メディアの前に登場し、「リケルメの今シーズンの加入はない。12月もない。ただし来シーズンからの加入は十分ありうる」みたいな発言をしたのであります。

結局、よくわからない男のマクリ氏は来ませんでした。ただしアルゼンチンではしゃべりマクリしているようで、「我がボカとバルサ間のリケルメ移籍交渉はほぼ終了している。移籍料に関しても合意に達しており、クラブ間の問題として残っているのは唯一、その支払い方法だけ。それ以外の問題としてあるのは、選手代理人とクラブ(ボカ)代理人に支払われるコミッションの問題だけだ」とブツブツ”オレー”紙にコメントしているそうです。

また、バルサの弁護士レオポルド・インホスに言わせれば「ボカとバルサはここ6か月の間に、3回も最終的合意の契約書を確認した」ものの、ボカ側の代理人と選手の代理人側が受け取るコミッションの問題で、いまだに三者協定(つまり、ボカ、バルサ、代理人)による最終サインがされないということです。

まあリケルメ個人は別として、バルサとボカによるポーカーゲームがいまだに続いているような感じで、そのゲームを後ろから見ている代理人たちがおこぼれをもらおうとアッチャコッチャウロウロしている風景なのでしょう。

一つだけ確かなのはサビオラの時と同じように、バルサはすでにリケルメにツバをつけているということだと思います。いくらかのゲンナマが、もう彼の懐に入っているのは間違いないでしょう。だからメレンゲが触手を伸ばそうがジタバタしようが、リケルメは間違いなくバルサに来ます。

と、言いきっちゃうカピタンでありました。(2001/09/13)


聖家族教会完成間近というお話

どうも今日はフットボールの日ではないみたいなので、ぜんぜん関係ない話しを一つ。

バルセロナ観光をされたことがある方なら必ず訪ねたであろうサグラダ・ファミリア(聖家族教会)。カタルーニャが生んだ天才建築士アントニ・ガウディーの設計によるこの教会は、1882年に着工に入ったそうです。そしていま持っている観光ガイドブックには、少なくても完成まで百年はかかるのでは、というように紹介されています。つまり着工してから二百年はゆうにかかるはずだったわけであります。

ところが昨日の新聞によれば、完成まであと20年というところまできたということです。たったの20年で完成です。これは聖家族教会を見たり、本で読んだことがある人にはすごいニュースです。また当然のことながら、この教会を知らない人にはどうでも良いニュースではあります。

工事中の教会を見た方なら記憶にあると思いますが、塔に沿って何本も巨大クレーンが設置されていました。それが昨日すべて解体されました。これで敷地内からの空への眺めは、以前とは比べものにならないほどにすっきりくっきりです。

それはいいんですが、問題は教会自体の建物です。とっくのとうに亡くなったガウディーは設計図を残していないので、次ぎに担当していった建築家が「きっと彼ならこうしていっただろう」ということで作られています。問題は建物のバランスにあります。百年前に建てられている箇所は、石を丁寧に積み上げていったものですが、ここ何年かのものは鉄筋コンクリートの固まりをくっつけていったものとなっており、それに付随している彫刻類も超現代風というか何というか、いずれにしても面白くないものとなっています。

今まで理解できなかった「聖家族教会論争」。それはガウディーなき今、工事を続けることに意味があるのかどうかという論争でした。
「せっかく作り続けてるんだから、最後まで続けるのがいい」という一般常識論を何の疑いもなく信じていたワタクシですが、今の建物を見るにつけ「作りゃいいっってもんじゃねえな」と思い始めています。

聖家族教会を見たことのない方に、今どうなっているのかという写真をお見せします。(2001/09/12)


ココ「ここはどこ?」

世界のビッグクラブから、もう一つのビッグクラブへ移ってきたココ。
「ビッグチームのカンテラ育ちだし、プレッシャーや練習方法もそれほど変わらないだろうし、まあ驚くようなことはなあ〜んにもないだろう」
ぐらいのことは思っていたに違いない。だが、バルサを甘くみちゃあいけないよ。

かつてドゥガりーがACミランからバルサに移って来たときにいった言葉。
「なんて練習時間が短いんだ、バルサは!」
そう、ACミランは街から50kmも離れた郊外に広大な練習場をもっていて、そこに朝早くから集合する。そして午前中の練習が終わるとみんなで昼食をとる。この練習場にはホテル並の施設を誇る部屋が50近くあって、ここで全員で昼寝。その後、午後の練習に入り、夕方の5時にやっと解放される、という話しを聞いたことがある。

バルサの場合、普通は10時半に練習が始まる。カンプノウに隣接しているグランドだ。ここでみっちり1時間半の練習。
「はい、今日はこれで終わり! ご苦労さん! アスタ・マニアーナ!」

ロンド(選手が輪を作りボールをワンタッチあるいはツータッチで廻していく。真ん中に選手を一人入れて、彼にボールを触られないように廻し、ミスをした選手が今度は輪の真ん中に入れられる)というバルサ(というか、クライフ)特有の練習方法がある。どこのチームでも試合前あたりに軽くやるけれど、バルサの場合もっとマジで時間をかけてやる練習方法だ。これがメインの練習日ともなると、7、8人で輪を作り、中に3、4人入れておこなう真剣勝負となる。

ココはアリゴ・サッキの時代にやったことがあると告白するものの、ボールをワンタッチで処理するのにビックリしたそうな。そして輪の中の選手として入れられたとき、ボールを追いかけて走り回っているのを見たレシャックが、「ココ、あんまり走るんじゃない! 理想的なポジションを考えろ!」とまで言われた。

「えっ、走りすぎちゃあいけないの?」

こうして一日一日、ココはバルサ選手になりつつある。(2001/09/11)


誰だかわかんないよ〜

いつものことながら、試合直後のコメントは熱いそれとなるのはしょうがない。今日の地元メディアは、レシャックやガスパー発言の「審判のミスを糾弾する」というものをトップにもってきている。もちろん昨日の引き分けの理由はそれだけではない、とはしていますが・・・。

アス紙は、どうしようもないマッチロチロ新聞だからどうでもいいとして、マルカはいちおう全国紙の最大手だからしてそれなりの試合分析をする。「1ポイントで良しとする試合」という判断は正しいと思う。これはエスポーツ紙も同じように書いています。審判の判断に疑問符をつけるものの、バルサとしてはそれを言い訳とする試合内容ではなかったということも的を得ている。

昨日の試合でアタマの中に残像としてあるもの(試合が終わるといつもそれしかないので、ワタシめはとてもとても試合観戦記というものが書けません)は、なんだか誰がドコにいて何をしようとしているのかわからない風景です。見ている席がゴール裏の3階席というグランドから遠い位置でありながら、普通は誰が誰で何をしようとしているかがわかるのに、昨日はそれがわからない。新しい選手だからということもあるけれど、それだけじゃあないような気がする。

ポジションチェンジが激しくても、それはクライフ時代に鍛えられたから普通はわかるもんです、誰が誰だか。ところが昨日はポジションチェンジをしても団子状態になっちゃてる。だから誰が誰だかわからない。唯一わかったのは左、あるいは右に大きく飛び出していたジェオバンニぐらい。

これは経験上、結構重要なことだと思っています。バルサがチームとして機能してくれば、自ずと誰が誰だかわかってくるでしょう。果たして何試合後にそれが見れるか。一つのポイントであります。(2001/09/10)


心も体もアスールグラーナ

オレの体はアメーリカにあるけれど、心はいつも地中海。ルルーン、ルルーン、ルルーン。そして考えることはいつもバルサのこと。ルルーン、ルルーン、ルルーン。

・・・あっ、間違えた。いま書いているのは、こちらカピタンだった。でも今日はウリストの話題。

3日前はクライフの主催する「ベテラン選手によるミニ・ワールドカップ」の発表会に出席するためにシッチェスにいたウリスト。その翌日は何と、アフリカはモロッコの最北端のスペイン領土の街、セウタにいた。何をしにそんなとこまで行ったのか? 

毎年スペインのどこかの街で開かれる「全世界バルサファンクラブの集い」。世界中各地に点々と広がるバルサファンクラブは、優に1000を越える。今年はセウタの街で今週末を利用して開かれている。そこで人気者ウリスト・ストイチコフは、このフィエスタのオープニング宣言をする名誉ある役割に選ばれたのであった、チャンチャン!

スペイン最南端の街マラガからヘリコプターに乗って到着したウリスト様を、バルサファンクラブセウタ支部会長はもちろん、多くのセウタ市民と共に市長まで出迎えていた。この市長はマッチロチロのマドリディスタ。だがそこは役人さん、ウリストを持ち上げる。
「ウエンブリーで決勝のゴールを決めたのは、確かにクーマンでありました。しかし、しかし、クーマンにパスを出したのはこの方であります」

うん? あれはフリーキックでのシュートだぞ! パス? あぁ、間接フリーキックだったから、クーマンがシュートする前にウリストがチョコット触ったあれをパスと言ってるのか。すげえこと言うな、この市長。

忙しい、忙しいウリストは、今日はバルセロナにいる。カンプノウのバルサ医師団のオフィスに行って、ケガの治療をしてもらっているそうです。ウリストは心も体も毎日アスールグラーナ。(2001/09/08)


静か〜な2週間も終わり

リーガ第一戦に勝つか負けるかで、こんなにも違うのかという2週間。初戦に負けたマドリはジダーンの加入問題まで取り沙汰されただけではなく、やれアンチマドリの風潮があるだの、悪質なファールからスター選手を守らなければならないだの泣虫メレンゲと化した。

一方バルセロナでは、やれトリデンテだとか、ウイングを使わなくてはとかいう論争は、静か〜におさまってしまった2週間で、もう何連勝もしたかのようなシーズン好スタートの雰囲気。実はまだ1勝しかしていないんだけれどね。この初戦の勝利に関してだけは、3ポイントなんておまけみたいなものでした。

しかしその静けさももう終わり。明日から再び強烈なスケジュールで試合が始まる。まず明後日の日曜日ラージョ戦、その3日後(12日)チャンピオンズリーグのリオン戦、そしてまた3日後(15日)オサスーナ戦、再び3日後(18日)チャンピオンズリーグのフェネルバッチェ戦。次のテネリフェ戦(22日)まで始めて4日間あいて、その3日後(25日)にはレバクーゼンが待っている。そして激動の9月の最後の試合は、29日か30日のソシエダー戦で幕を閉じる。

地元でおこなわれる試合はリーガが2つ、チャンピオンズが1つ。つまりアウエーが4試合もあるということになる。リーガ4試合、チャンピオンズ3試合、これらをすべて勝ってしまったらもう優勝は目の前かも知れん。えっ、気が早い? そうかなあぁぁぁ。例のスペイン代表のワールドカップ出場の時みたいに「ほぼ」としておくか。

ところで昨日のプレゼンテーションにココが履いてきたシューズ。なかなかやりまっすねぇ、イタリア人は。(2001/09/07)


ウケを狙っちゃあ、いけないよ

窓際に寄せられたわけでもなく、給料を下げられたでもなく、かといってセクハラをして居づらくなったわけでもなく、堂々と自主退職を申告してグアルディオーラは消えていきました。経済的には、なぁーんの問題もないし「外国の文化や街、言葉を知りたい。そして違うフットボールを学びたい」という理由で、バルサを去っていったわけです。マドリあたりのメディアがバルサを攻撃するとき、いまだに「ペップを止められなかったのは、ガスパーの能力不足」とするバカバカしいものがありますが、今日はマドリには触れないので、それは放っておきます。

そのグアルディオーラですが、誰もが知っているように相変わらず失業状態が続いています。この段階になって、まだチームが決まらないということはどこかに計算違いがあったということでしょう。原因は第三者にはわかりません。そう、それは自主退職した当人の問題です。

ここにきてガスパー会長が「いつでも戻って来ていい」と、逃げた女房に囁いているような発言をしています。レシャックも最近、同じようなことを言っています。何気なく言った言葉かも知れないし、インタビュアーの誘導質問に素直に答えただけのものかも知れません。でもね、それを言っちゃあぁいけないよ、と思うのです。

チームは見つからないものの、心の底から出した結論を実現させようともがいている(もがきながらゴルフをしている、というべきか)グアルディオーラに失礼にあたるだろうし、バルセロニスタにとっては過去の人物となった彼を、現実のバルサと関係させて欲しくもない。しつっこいようだけど、彼は自主退職者なんだから、自分でどうにかしなくちゃいけない。またどうにかできないようなら、それだけの選手であったのかもしれない。

実を言うと、個人的にはグアルディオーラの就職先より、キコのそれの方が気になります。グアルディオーラとはちょっと違う事情でチーム探しをしているキコ。ながーい、ケガから復帰してきたキコ。マネージャーをしているお父さんが、一生懸命チーム探しをしているキコ。彼の気に入ったクラブが見つかることを願っています。(2001/09/06)


男・セルジの悩み

子供の頃から夢にまで見たバルサのカンテラとなり、夢の遙か彼方に位置していた一部でのデビューも実現したセルジ。そして、気がついてみればセレクションでもベテランとなり、右腕にはバルサキャプテンのマークまでつけるようになったセルジ。今年は綺麗なお嫁さんまで手に入れ、順風満帆と他人には見えるセルジ。ところがそんなセルジにも、2年ごとにやってくる悩みがある。

それは偏頭痛。

2年ごとにやって来るこの偏頭痛は、4週間にわたって続くという。根本的な解決策は現代医学ではまだ発見されていないため、偏頭痛が襲ってきた最中の治療のみとなる。その期間、最悪の日は左眼が強烈な痛みで開けることができなくなるという。吐き気、下痢、冷や汗は毎日のように襲ってくる。この間、投薬療法と食事療法で痛みを抑えるしかない。

今回のは、8月の中旬におこなわれたテストマッチのブラックバーン戦からだというから、もうすでに3週間はたっていることになる。だがセルジは、バルサ医師団とコーチ人には偏頭痛のことは話していたものの、他には誰にもそのことをもらしていない。もちろんメディアも知らない。

そしてセルジは痛みに耐えて、チャンピオンズ予備選、ガンペル杯、セビージャ戦に黙々と出場している。だが、セレクションでは最悪だったようだ。練習中ほとんど左眼が痛みで開かなかったという。飛行機にも乗れない状態だったので、陸路でバルセロナに帰ってきた。

バルセロナに帰ってきてもセルジは多くを語らない。もう大分よくなったと言うだけだ。男・セルジ、ここにあり。

ところでワタクシも実は持病があります。現代医学では治せません。それもセルジと違い、毎日のことです。午後2時を過ぎると、突如として気絶する病です。ほぼ1時間ちょっと気絶しています。奇病? それともシエスタと呼ばれる風土病?(2001/09/05)


クライフとバン・ガール

昨日の「今日の一面」をご覧頂ければわかりますが、クライフはバン・ガール(最近は気取ってファン・ハールなどとしてますが、やはりピントこないのでこれからバン・ガールにします)攻撃をここぞとばかりおこなっているようです。「フットボール研究家は実践に役に立たない」という彼独特の言い回しは、ようするに「戦術フットボール」への批判であります。そこで彼の批判するおこないとは、

ベンチにノートブックを持ち込んで(本来しなくてはならない、試合展開を「読む」のではなく)選手のミスやいいとこをメモするケチクサイ作業。

監督オフィス(本来の監督室は練習場であるにも関わらず)にコンピューターを置いて、過去の誤りや次の試合の展開(そんなことはすでに頭の中に入っている)を探ること。

選手更衣室に黒板を置いて(相手に関わらず、戦術はシーズン一貫している)戦術の説明をする。

と、勝手に解釈してみました。アイルランドにおける「オランダ大惨事事件」の教えるものは、フットボールは情熱であり、選手のイマジネーションを引き出すのが監督の役割であり、決して性能のいいロボットに仕上げることではないこと、とクライフは言いたいのでしょう。

クライフ様のお言葉はスペインでもそうですが、地元のオランダでは今でも「神の声」であるそうです。しかも時期が時期だけに、バン・ガールに勝ち目はまるでなく、いつもの通りクライフ大師匠の人気勝ちとなるのが目に見えた戦いです。いつもずる賢い「神の声」ではありますが、果たしてどこまでがんばれるかバン・ガール。個人的には監督を辞任させるどうのこうのということより、国外追放処分というのがいいと思います。

クライフとバン・ガール。なかなかいいコンビです。ただボールはいつもクライフ側にあります。(2001/09/04)


ワールドカップの超個人的思い出

ワールドカップの試合の記憶は定かではありません。ただでさえ記憶力不足のうえに、思い入れがあまりないのでスパッーとその場その場で忘れていきます。それでも大会が終了すると、毎回決まって「問題のシーン」というのがテレビ画面に流れる日が続くので、否応なしに「印象に残されてしまっている」ものがいくつかあります。

多分メキシコ大会だったと思うけれど、ラウドゥルップがいたデンマーク相手にブートラゲーニョが4点入れた試合。
「くそっ、やっぱしマドリの選手はすげえなぁ」
そうマドリの全盛期が続いている時代でした。

イタリア大会はワールドカップ戦最大の思い出の試合がある。それはユーゴ相手の試合。1−1ときた後半だったか、延長戦だったか。フリーキックを蹴るはストイコビッチ。壁の一番左だったか二番目だったかにいたのはマドリのミッチェル。キーパーはもちろんスビサレッタ。ストイコビッチの蹴ったボールは、ミッチェルが避けたところを通ってゴールの左上に。スビには届かないゴール。
「これだっ、マドリのヤツは!」
そしてワールドカップ後にバルサにやって来たのがストイチコフ。うん?ストイチコフ? ダレだそれは? ストイコビッチの間違いだな、きっと。

アメリカでは何と言っても、イタリア戦。得点経過は忘れたけれど(まあ、そんなことはどうでも良いんだ。いずれにしても負けた試合だから)、イタリアディフェンスのタソッティがマドリの選手に肘打ちを喰らわせて、涙と血だらけの顔にしたこと。
「泣くんじゃねえ、マドリディスタ!」
おっとおぉ、いけねえ、彼は今ではガッツあるプレーで、バルサファンをわかしている方でした。

そして最後のワールドカップは、例のスビ・ゴール。ナイジェリア戦でしたっけ? 触らなければ入らないゴールを、ボールをはじいて見事に入れてくれたスビサレッタ。
「うーん、スビの時代はクライフが追い出したときに、すでに終わっていたんだな」とやけに納得した試合。

という風に、きわめて個人的なワールドカップの思い出作りをしているカピタンであります。(2001/09/03)


バルサ100年史・予告編

レアル・マドリ名誉会長のディ・ステファノが、吠えています。

レシャックがあるインタビューで
「アンチマドリコールがあるとマドリッドでは訴えていますが、どう思いますか?」
という質問に答え
「かつては確かにマドリは政府御用達クラブだったけれど、今ではそんなことはないと思う。と同時に、アンチマドリコールなんてのもないだろう」
と発言したのをディ・ステファノは怒っているそうです。
「我々が政府のクラブだったことは、歴史上いちどもないことだ。だいたいそういうことを言うのはレシャックみたいな臆病者で負け犬根性のヤツだけだ」
と吠えまくっています。

歴史は「時の権力者」によって塗り替えられるのは世間の常識でありますが、それでも本来の歴史は生き残ることが可能です。近来の歴史であればなおさらです。というわけで、今から50年前に世の中を騒然とさせたマドリとバルサによる「ディ・ステファノ獲得争奪戦」は、少なくてもバルサ公式歴史書の中に残っています。このエピソードは「バルサ100年史」で、今月の終わりか来月の始めに登場します。フィーゴ移籍みたいな安っぽいものと違い政治まで動かすことになるこの問題は、カタールニャ系の出版物だけでなく、マドリッド系出版物でもいくつか本がでています。全部を読むのは不可能でしたが、資料的にはかなりの出版物から引用するつもりでいます。したがって、これが「絶対真実」というのは何であれ難しいことではありますが、かなり真実に近いものに仕上がると思います。

ところで話しはガラッと変わって、今レリダにいるフィーゴ。練習グランドに行く途中、多くの自己主張組バルセロニスタが「裏切りものおぉぉぉ」とか「ペセテロオォォォ」とかいうヤジが飛んでくるのを聞いた瞬間「お前のかーさん、・・・・」とくり返しつぶやいたのを、テレビマイクにキャッチされてしまいました。ドジなやっちゃ。(2001/09/01)