2001年
10月
2002年

転属のお知らせ

カピタンチキは日曜日まで「クラシコ・コーナー」に転属されました。
ここでは一日一回きりで、しかも30分ぐらいのものであったのに、日曜日まで毎日24時間勤務となりました。

がんばりまっす!(2001/10/31)


今さらながらベティス戦

ベティス戦のことは一昨日書いたのだけれど、何か書き忘れていることがあるような気がする。それは一番重要なこと、何であんな試合ができるのなら今までしてこなかったのかということ。

それはまるで、突然変異の試合展開。見事に大方の予想を裏切ってくれた試合でもある。試合開始1分から試合終了の90分まで、一度リードしたものを守る姿勢はもちろん、「もうこの辺でいいか」という妥協さえ感じられない雰囲気の中での試合。ベンチに座るコーチ陣はいつもと同じレシャックとアレサンコ、プレーする選手たちは相変わらずいつもと同じ選手たち。もちろんシステムに変更があったわけでもない。そして相手チームは、バルサより上の順位に居座るベティス。

残念ながらファンにとっては、選手の精神構造の中まではのぞき込むことは不可能だ。だけども、一ファンとしての精神構造の分析なら自分のそれを分析すればいいのだから、ない頭をほんのちょっと絞って考えればいい。

個人的には、チャンピオンズリーグの優勝というのは現実からかなりの距離がある夢の世界の出来事。92年に始めてその喜びを分かち合い、2年後のアテネでこれでもかと粉砕されてコナゴナとなって散ってしまったクライフバルサとワタシ。あれ以来、バンガールやセラのおかげでチャンピオンズリーグ優勝というのは遙か彼方のことのように思えてきた。それでもほんの僅かな夢を託して応援してきた一次リーグ。そう、バルサはこの一次リーグさえナッカナッカ突破できない情けない「ユーロ・バルサ」となってしまっていたのだよ。

レシャックにしてみれば、この一ファンの思いときっと同じだっただろうと思う。そして選手たちも同じだったかも知れない。多くの新加入選手と、これまた多くの負傷者たちを抱えての新星バルサのスタート。そして当面の目標は一次リーグ突破というものだったのだろう。早くから結果を出さなければならない運命となったレシャック号。その結果が、奇しくも90分を過ぎてのジェラールのラッキーゴールで達成された。

そうなんだ。あの時、自分も含めてなぜ観客席やグランドにいる選手たちが今までのような重たい雰囲気がなかったのか。そう、いわゆる一山越えたっちゅうやつかも知れん。(2001/10/30)


コミッショニスタ

色々と人のお手伝いをして、その代償としてコミッションを受け取る職業をコミッショニスタという。「職業に差別はない」という言葉が安っぽく聞こえるほどの収入を得る職業らしい。もちろんUEFAエージェントや、正式な弁護士がやる代理人ではなくてもできる職業だ。この職業に就く人は元選手が多いみたいだが、それは何となく理解できる。彼らはこの世界で、きっとコネをたくさんもっているのだろう。

ジェオバンニがバルサに来たときに、やはりこのコミッショニスタが登場し話題になった(詳しくは「チキートコーナー」参照)。このジェオバンニ移籍に関するコミッション問題も現在バルセロナの法廷で裁判中。

ジェオバンニ移籍に携わったコミッショニスタの人数は、どこのメディアも同じような数を発表している。驚く事なかれ、その数なんと17人前後。この中にはジェオバンニに連絡を取るために、連絡係として一回だけ電話した人まで含まれているという。ひょっとしたらダイヤルした人は別で、その人もコミッション要求をしているのかも知れない。何が何だか良くわからない。

サビオラの件も似たようなもんだ。「私が一番最初にバルサに紹介しました」とか「サビオラの情報を代理人から探ったのは私です」とかいう理由でコミッションが請求できる世界。もちろん「請求」する権利と「受け取る」権利は別だから、彼らが裁判で勝つかどうかは別の問題。

あーあ、汚ねえ、汚ねえ、でも羨ましい。リバルドがコルーニャからバルサに来たとき、コルーニャのプレステージに合流している彼にバルサから電話したんでは取り次いでくれない可能性があるので、彼の友達に頼んで電話をしてもらいバルサに来る気があるかどうかを打診したという。結局リバルドが急きょバルサに移籍することに決まった時、この電話した友人へのコミッションが5千万だったという、今では有名な話しがある。

ワタシが住んでるこの世界では電話するとお金を取られるのに、あちらの世界では3分通話5千万収入。きったねえ、うっらやましい、ビックリ異空間。(2001/10/29)


90分同じバルサ

昨日のベティス戦はリーグ10試合目にあたる。チャンピオンズリーグはすでに5試合消化しているから、バルサにとっては合計15試合目の試合となった。そう、レシャックが何回も言っていた「最初の15試合は結果だけが重要」という、その15試合目だった。

もちろん偶然の出来事だろう。いかに計算高いカタラン人のレシャックとはいえ、これほどまでに正確に予想できるわけがない。だがこの15試合目で始めて、90分同じリズムでの試合展開をしたバルサ。それもほぼ完璧な形での勝利。トリデンテがトリデンテとして機能した最初の試合でもある。クルービーらしいパスに、サビオラらしいフィニッシュ。そして大聖人はもちろん大聖人としての仕事をこなす。

「リバルド、怒っちゃだめよ〜」という、またまた気配りソシオの暖かい雰囲気の中で始まったこの試合。メレンゲどもは、ありもしなかったペナルティーを審判にもらい、勝利の3ポイントをプレゼントされていることはすでに観衆は知っている。そう、再びどうしても勝たなければならない試合。でも、なぜかこれまでの重たい雰囲気がないカンプノウ。

プレーする選手たちから生まれる雰囲気なのか、なぜか楽観主義がはびこる観客席から生まれた雰囲気なのか、どちらかよくわからないけれど今日はフィエスタの空気が流れる。そしてその空気は前半だけ流れて消えることもなく、後半の45分間も続く。それはまるで、今まで前半という試合と後半という試合と二つの試合があったことがウソのように、90分の一つの試合が続いていく。

「前へ前へ」のバルサの姿勢がたまたまこの試合だけなのか、あるいは新しいステップに向けた最初の試合となるのか、その答えはそのうちわかるだろう。(2001/10/28)


人がツバつけた選手を欲しがっちゃダメッ!

なにやらミランが、ベンフィカの輝く星マントーラスを狙っているという。いくらバルサと仲がいいミランとはいえ、それは許せん。もう私達は彼にツバをつけたんですから。シマオをなぜベンフィカに売ったか? それはマントーラス獲得の優先権を得るため。というのは勝手に考えたことですから本気にしないように。

でもシマオがベンフィカに移籍したときに、マントーラスの移籍交渉優先権をバルサが獲得したのは確かな話し。第二のジョージ・ウエアーと期待されるアンゴラ国籍にして19歳のマントーラス。これは将来のうちの選手だ。しかもこの若者、セラ・フェレールさえいなければとっくにバルサの選手であったんだぞ。

時はさかのぼり、バルサの監督はまだバンガール時代。バルサの有名なスカウトマンであるホアン・マルティネス・ビジャセカ(カピタンコーナー参照)が、どこかで彼を発見した・・・と思いねえ。
その報告書が当時のバルサBの監督(名前は忘れた)とバンガールの元に届き、二人ともマントーラスのプレー風景のビデオまで見て非常に気に入った・・・と思いねえ。
そしてバルサは彼を呼び10日間ほどのテストをする。バンガールもバルサBの監督も気に入った様子。だがセラ・フェレールもこの場にいた・・・と思いねえ。

バルサにとって不幸なことに、このセラさんがバルサBへの補強選手獲得の実権をにぎっていたんだな。そして「この選手はいりません!」という彼の一言でポシャッ。いろいろやってくれたんですね、この人。

だが幸いにも、幸福の鳥シマオが再びマントーラスをバルサに近づけてくれた。移籍交渉優先権があるというのは、同じ金額のオファーならバルサの方に優先権があるということだけだけど、そうは言ってもそれがあるかないかでは全然違う。だからミラン、ここは黙って引き下がりなさい。(2001/10/26)


アンデルスの息子

スウェーデンの知り合いが遊びに来ています。その人に面白い話しを聞きました。

PATRIK ANDERSSON (パトリック・アンデション)というスウェーデンの選手の名前についてのことです。もちろんPATRIK が名前で ANDERSSON が名字。それは外国人の名前の順序からいって、もちろん予想できることです。ところが面白いのはANDERSSON というのは ANDERS SON ということで、実はANDERS さんの息子ということらしいです。

ここまではいいんですが、ややこしっくなるのはこれから。お父さんのANDERS というのは名字じゃなくて名前だということ。だからもし PATRIK ANDERSSON に子供が産まれたらその子の名前は NANTOKA PATRIKSSON(この場合PATRIK's SON)になるということ。つまりNANTOKA のところに親か誰かがつけた名前がはいることになります。その名前がタローだったら、TARO PATRIKSSON というのが彼の子供の正式名称となります。

ギョエー! 親子で名字が違う!

ところがよく聞いてみると、これは40年ぐらい前までのことで現在ではそうならず、アンデションに子供ができてタローという名を付けたらタロー・アンデションという氏名になるそうです。つまり名字はそのまま代々続くことになったそうです。

ところがさらに聞いてみると、今までスウェーデンに存在しない名字だったら、役所に届け出れば簡単に名字の変更ができるということ。つまりスエーデンにカピタンという名字がなくてそれに代えたかったら自由にできるということ。名前はもちろん自由につけられるから、オレワ・カピタンという正式名称も可能ということです。面白い国です、スウェーデンは。(2001/10/25)


バルセロニズモを受け継いで

今月の17日、カンプノウでおこなわれたチャンピオンズリーグのバルサ対レバクーゼン戦。この試合、どうしても勝利の3ポイントが必要だったバルサは苦しい戦いを展開していました。そして試合の前半が終了するほんの少し前に、観戦中の一人のソシオが心臓発作で倒れ、近くの病院に緊急入院しました。病院に着いたときには時すでに遅く、治療のしようもない状態であったそうです。この方が入会していた、あるバルサファンクラブから「ファンクラブ一同」という形で、次のようなお別れの手紙が公表されています。

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先週の水曜日、そしていつものように、あなたはあなたの大好きだったバルサの試合に来てましたね。あなたにとって、半世紀近くにわたってバルサを応援し続けてきたその席からの、本当に最後の応援できる試合となってしまいました。それが運命だったと言ってしまえば、そう、そうなのかも知れません。でも、一つだけ確かなことがあります。そして我々はあなたにそれを知って欲しい。それは、カンプノウで試合があるたびに、あなたに挨拶を交わしてきた何十人、何百人という名も知らぬバルセロニスタの間に、あなたは大きな足跡を残し続けるということです。あなたの大事に抱えていた”バルセロニズモ”は、我々若者が今後も引き継いでいきます。そして我々の後には、もっと若いバルセロニスタが、必ずそれを引き継いでいってくれるでしょう。
最後のお別れの日に、あなたの娘さんが私達に言いました。
「父は本当に、幸せな亡くなり方をしました。」
そう、あなたは最後まで、あなたの愛したバルサと一緒だったんですよね。あなたのようなバルセロニスタが、バルサが単なるスポーツクラブとしてだけではなく、クラブ以上の存在としてあり続ける源なのでしょう。
我々にとって、あなたがいつも座っていたあの席に、あなたがいないということに慣れるのには、本当に多くの時間がかかりそうです。

ビスカ・バルサ!

バルサファンクラブ「サンボイ・デ・ジョブレガット」一同
(2001/10/24)


一つのお願い

今月のバルサは、3日のマジョルカ戦をスタートに、30日のフェネルバッチェ戦を含めて9試合予定されている。つまり27日間で9試合、単純計算で3日に1試合の計算。ド強行スケジュール。それは認めよう。

一昨日のマラガ戦まで3勝1敗2分け。結果だけを見ると決して悪いどころではなく、バレンシア戦やコルーニャ戦に加えチャンピオンズの試合も含めてのものだから、これは立派なものだと言っていい。しかも誰もが知っているように大量の故障者を抱えての事情というものがあり、ほとんど同じメンバーでの戦いを強いられていることも考慮に入れるとすれば上出来だとも言える。

それにも関わらずだ、この後味の悪さは何なんだ。もう一つの数字、リーグ戦4試合で5ポイントというのがどうもひっかかる。早い話、ここまで1勝1敗2分けということ。12ポイントが獲得可能な中での5ポイントは寂しすぎるんではないか。7ポイント失っているということなんだから。好むと好まざるとにかかわらず、レシャックバルサはリーグ戦ののスタート期間を「結果主義」で乗り越えようとしてきた。約束できない「スペクタクル」など口にしていないところは良しとしても、その「結果」がでないと惨めなバルサになってしまう。「結果主義」が悪いかどうかは別の問題として、やはり結果をださないと「結果主義」は成り立たない。

リードしたらケツの引いた駆け引きで逃げ切り作戦。リードされたら必死になっての攻撃態勢で、残り時間との同点をかけた勝負。しかしこの戦い方はあらゆる意味で限界があることぐらいバルサはわかっているだろう。ゼニゲバ撲滅戦まであと残り3試合。マラガ戦が一つの契機となって欲しい。

今年は珍しく毎試合ソシオが駆けつけてるカンプノウ。それだけ優勝への期待が大きいということだ。ファンは身勝手でわがままであることを認めたうえで、そして選手たちが疲れ切っていることを十分承知したうえで、一つのお願い。「結果ぐらい」は、だしてくんろ。(2001/10/22)


おめでとう、エウセビオ!

バジャドリの選手であるエウセビオが明日の試合にプレーすると合計524試合に出場したことになり、元マドリのサンチスと並んで最多出場選手となるらしい。ただしキーパーがもっている記録はまた別で、それはエウセビオの元同僚のスビサレッタが記録した622試合。両方とも嬉しいニュース。

At.マドリの紅白のユニがあの顔には何とも似合わなかったエウセビオが、バルサに移ってきたのはクライフと同じく1988年。つまりクライフが呼んだ選手の中の一人で、サリーナスと一緒にAt.マドリからやってきた。

顔も地味だが雰囲気も地味な選手。だがひとたびボールを持たせると彼は天才プレーヤーだった。クライフにして「スペインリーグの中で、最もテクニシャンな選手」と言わせただけあって、そりゃーうまかった。今のバルサで言えばロッケンバックかエンリケがやっているポジションを得意としながらも、必要に応じてチャビになったり、プジョーになったり、あるいはジェオバンニになったりしていた。そう、いわゆる右側オールラウンドプレーヤーというやつ。

バッケロやクーマン、チキ、ストイチコフ、ラウドゥルップ、ペップなどの影となって余り目立つ選手ではなかったものの、記録が示す通り試合からは外せない貴重な選手の一人。彼の出すキラーパスはデラペーニャの良いときと比較しても、決して見劣りしないものだった。そして彼が「地味な活躍」をしてくれたのがウエンブリーでの試合。

ヨーロッパカップの決勝戦で勝利を決めたクーマンのフリーキックの元を作ったのは彼だった。ゴールエリア内近くで相手のファールを誘った彼のプレー、それがバルサの初ヨーロッパチャンピオンに輝く地味な原因となる。

地味ーなテクニシャンの記録達成に、おめでとう!(2001/10/20)


気持ち良くプレーしてちょうだい!

試合開始直前におこなわれるスタートメンバーのアナウンス。1番ボナノ「エーイ!」・・・7番サビオラ「エーイ!」、9番クルイベルト「エーイ!」、10番リバルド「エーーーーーーイイイイイイ!!!!!!!!」。それはそれは、今まで聞いたこともないような大歓声。と同時にオイラの後ろあたりから「怒っちゃダメよ、リバールド!」の声援。面白れえ、今日はリバルドへのごますり日だったんだ。

暖かく、それは暖かくリバルドへの声援は続く。まず最初にボールを触った瞬間の大拍手と共に「リバールド、リバールド!」のリバルドコール。パスがつながると大歓声。ボールを奪われても大拍手。「怒っちゃダメーよ、リバールド!」コール。面白れえなあ。面白すぎる。メディアが前もって煽ったわけでもなく、誰かが指揮をとっておこった現象でもないのに、この8万観衆の自然発生的な行動。

レバクーゼンとの試合は、チャンピオンズリーグにおけるバルサの将来を決めると言ってもいい試合。こんな試合には大聖人リバルドに気持ち良くプレーしていただかねばという思い。だからリバルドにとって最低の内容の試合であったにも関わらず、選手交代となる時にもスタンディングオベーション。だがリバルドは下を向いて辛そうにベンチに向かっている。観衆に対して何のジェスチャーもない。「あれっ、まだ怒ってるんかな?」という後ろからの声。面白れえ、面白れええ。

リバルドは本当に疲れ切っていたんだろう。体がグショッとなっているような感じだった。左足筋肉の負傷の治りも完全ではなかったんだろう。時間稼ぎの意味もあってゆっくりと頭を下げながら引き上げたのかもしれない。

だがリバルドは、頭の回転が速く、お利口な選手。
「ここで妥協したんじゃ、いつまたヤジられるかも知れんからなあ。ここは一つ観客に冷たくしておいたほうがいいだろう。さあさあ、もっと俺に拍手せんかーい!」
これじゃねえかな、きっと。(2001/10/19)


何でブーイング?

リヨン戦に出場していたリバルドにブーイングがおこった。それは何日か前のこの欄に「観衆のナーバスな状態からくるもの」であって、大した意味はないというような事を書いた。だがその後、リバルドを始めレシャックなどもその現象に「残念である」みたいな事を言っている。そこまではいいとして、その現象を批判するようなことまで言ってしまった。でも君たちね、それはしようがないことであるのだよ。別に気にしないで無視すれば良いことなのに、一々メディアの質問に答えちゃっちゃいけないのだ。

観衆がナーバスになっていて「不満の表明」をするのにリバルドやクルービーはいい対象なのだ。誰がプジョーに、ガブリに、チャビに、ジェオバンニに、そしてサビオラにブーイングをする根性があると思う? だーれも彼らにはブーイングはしない。試合に責任をとらなければいけないのはベテラン組であり、さらに高給取りの連中と決まっているからだ。ガッツ・エンリケはどんな試合でも一人責任をとっているから、もちろん誰もブーイングしない。

年俸15億もとりながら、リーグ戦に一試合しか出場していないということでブーイングがおこったわけではない。負傷から戻ってきた後、バルサでは一試合も出ないでセレソンに合流したからブーイングがおこったわけではない。そんなこととは何の関係もなく、一番高給取りで、一番がんばらなければいけない選手をブーイングしただけなのだ。と同時にあれはバルサの試合展開に対するブーイングにしかすぎない。

そもそも観衆をナーバスにしたのは、ここまでのバルサの試合展開ではないか。ドシッと構えて横綱相撲をとれるようなバルサだったら、その日の試合展開が悪かろうがブーイングはおきない。リードされていてもいつか逆転しそうなバルサだったらブーイングはおきない。1点しかリードしていなくても、安心して見られるバルサだったらブーイングはおきないのだよ。

観衆の反応はチーム状態の鏡となる。それが証明されたのが昨日のレバクーゼンとの試合。そのことについてはまた明日。(2001/10/18)


カニさん、カニさん、ケガしたカニさん

カランカの負傷やカンポの可哀想な戦線離脱は、メレンゲの悲劇といえど同情してしまう。まあフィーゴが負傷したら、それはもちろん同情の余地はない。それは天罰というヤツだからな。そしてもう一人、どんなことがあろうと「痛みを分かち合おう」などと思わないのがカニサーレス。

「挑発者」と「超変人」の異名をもつカニサーレス。ヤツはセルタにいたころからカンプノウでは天敵であり、マドリに移ってからそれは「大天敵」となる。だがバレンシアにきてからも天敵ぶりは相変わらずで、なんども見ててイヤな野郎だ。いや、ホント。

これがカンプノウだけかというとそうじゃなく、バライードスに行こうがベルナベウに行こうが、後楽園球場に行こうが同じところが恐ろしい。ドゥトゥエルと同じような感じでセルタを出てマドリに行ったわけだから、セルタではもちろん人気ない。マドリを出るときはスカシッペ言葉を残して出ていったから、マドリもだめ。それじゃあ、それ以外のグランドでも何で人気がないか、というか何で嫌われているか。

それは観客への挑発行為だ。試合が始まってから、しかも最初の1分から観客への挑発行為を始める。0−0スコアーからの時間つぶし作戦。これが彼の本領発揮得意技。あることないことを理由にしてゴールキックを遅らせる、天性の才能。もう体に染みついてしまっているから、意識的なのか無意識なのかそこら辺もわからない天才技。

あの憎まれん坊ストイチコフが負傷した時でさえマスコミから同情の声が聞かれたというのに、カニに限ってはバレンシアの一部あたりからしかその声は聞けない。あの倒れたときでさえ、そして選手交代のときでさえ「また時間稼ぎしちょる憎たらしいヤツ」と思われたカニ。まさに「オオカミが来た!」少年、天罰でござります。(2001/10/17)


まあ、こんなもんか

あんなバレンシア戦の前半を見せられると辛くなる。どうにかしてくれと、お願いの後半。1点とられ1点入れての引き分け試合。「しかし、どうにかならんのかバルサ」と思いながらの帰路だったけれど、まあこんなもんか。

古い話しだけれど、レバクーゼン戦の敗北はしょうがないとしよう。歴史的に勝てない土地であるし、選手たちの気迫は感じることができた。コルーニャ戦も同じ。バレンシア戦の前半に比べれば圧倒的によかったし、今のところバルサの唯一の武器となっている「気迫」「根性」「闘志」というようなものがあった。しかしバレンシア戦はなぁー、少なくとも前半はそんなものが外野にいるオイラにはぜんぜん伝わってこなかった。

でもよく考えてみれば、みんな疲れ切っている。ジェオバンニなんかどこにいたのかさえわからなかったし、コクー、ルイス・エンリケもアップアップ状態。チャビも周りの選手が動かないものだから、ボールを出すところが見つからない苦しい展開。サビオラが一人がんばっていたけれど、相手ディフェンスはアヤラとペレグリーノだからな。アルゼンチン代表だ。

負傷者選手が多いということは、スタメン選手がギリギリの状態になるということだから、毎試合同じメンバーになってしまう。しかもこのところ水曜日・日曜日の強行軍スケジュール。いくら気迫だ、闘志だ、と言ったって疲れているものは疲れているんだからな。そういうわけで、バレンシア戦前半のかったるい動きは許してあげよう。

レシャックの計算通り、スタート15試合の「チームまとまり作戦」は今のところうまくいっているようだ。だが、実際プレーするのは選手たち。彼らは、非常によくやっているといっていいんではないだろうか。

リバルドを休ませたのはよかったと思う。できればジェオバンニも休ませて欲しかった。しかし明日の試合にはリバルドはもちろんクリスタンバールやジェラール(彼はちょっと無理かな?)も戻ってくる。徐々に徐々にバルサ医院から退院してくる選手たち。今後の明るいニュース。

とここまで書いてニュースを見たら、リバルドが今日の練習で再び負傷したとか。フムフム、明日はどうなるのか。一難去ってまた一難。(2001/10/16)


バルサチャンネル

"VIA DIGITAL" という,日本で言うとWOWOWの衛星版みたいな(契約テレビというのか、衛星放送というのか)ものがスペインにあります。この中のチャンネルの一つに "CANAL BARCA"というバルサのオフィシャル番組があり、昼の2時から放映が始まり、夜の2時近くまでやっています。

さてこのチャンネルはほぼ12時間にわたってバルサに関することだけの番組を流しているわけですが、バルサBやバルサCなどの試合の中継の他に、週末の相手が良いチームの場合、過去における名試合を何試合かやってくれます。先週はバレンシア戦だったので、まず木曜日に昨年の「リバルド大聖人」の試合を、土曜日にはロナルドがいたころの試合を、そして試合当日の日曜日には90−91シーズンの試合を放送していました。もちろんバルサーバレンシア戦です。

以前に掲示板で7番は誰がつけることが多かったかという質問で、それはゴイコチェアあたりではないかと答えたんですが、この試合は何とグアルディオーラが7番をつけていました。彼もこんな番号をつけることがあったんですね。人間の記憶なんて曖昧なもんです。

さてこの試合、バレンシアの監督はグース・ヒディングが指揮をとっており、まだミヤトビッチもカルピンも出てないのですが、ブラジルのレオナルドは出場していました。もちろんブルガリアのペネフもプレーしていました。これはなかなかの試合で、3−1でバルサが勝ちます。そして久しぶりに見るこの頃のバルサの試合は、とにかくボールの走りが早い。この一言につきます。選手はそんなに動いているわけではないのに、ボールだけはバシバシ走り回っています。「あー、今のバルサも早くこうならんかいな」と思いながら、心は夜のバレンシア戦へ。

あんな番組を今のバルサの試合前に見たのは失敗の巻きでした。昨日カンプノウに現れたバルサイレブンの動きはまるでスローモーションのようであり、ボールの走りといえば超スローモションでありました。今後のさらなる奮起を期待したいと思います。(2001/10/15)


一対一の勝負師

ボナノが思ったよりずーと良い。タダより高いものはないというけれど、今のところ彼はどうもそれの例外っちゅうやつだ。契約切れの身分で移籍料がタダというのは、どうもバルサの場合うまくない。最近ではリトマネンしかり、ドゥトゥエルしかり。しかしボナノは「ビンゴ!」だ。

彼の活躍の秘密は、フットボールに対するその真面目な姿勢にあると誰かが言っていた。試合前、他のどの選手よりも30分前から体を温めるトレーニングを始め、同時に集中力を高めようとしている。そしてさらにすごいと思うのは、彼は一日も練習を休まないことだ。

普通、試合翌日のバルサの練習はスタメンで出た選手は30分ぐらいの軽い練習をして終わり。途中から出場したり最後までベンチに残った選手は一時間半の普通の練習をする。そしてその翌日は全員が完全休養日となる。だがボナノはこの日も一人練習する。だからシーズン中は試合の日以外、毎日が練習日だ。

なぜそんなに練習するのか?
それは楽しいからだという。毎日が楽しくてしょうがない。31歳になっていきなりやってきた、想像もできなかったビッグクラブでのチャンス。でもそんなに長いことプレーできるとは思っていない。だから毎日の練習を、まるで今日が最後の日かのように一生懸命やる。それが楽しくてしょうがない。

冷静にして落ち着いたプレーが要求される、デランテーロとの一対一の勝負。ボナノの冷静さが、この勝負に強い一つの理由かも知れない。だが彼は「運が良かっただけ」とそっけなくリヨン戦を振り返る。

彼は時間が許す限りそれを読書にあてているという。好きな文筆家はホルヘ・ボルヘスとかガルシア・マルケス。そして将来の夢は、いつか彼らみたいな文筆家になることだという。インテリ・ボナノ。ブエナ・スエルテ!(2001/10/14)


気まぐれ神様の罪

先日、バルサ関係のHPの掲示板をいくつか覗いてみました。どこでもレシャックは人気がありませんね。それはいいんですが、その中で一つウナッちゃうものを見つけました。

「クライフの信奉者だから、スペクタクルなフットボールが好きだから、レシャックは嫌いです」こんな感じでおっしゃる方がいるのです(正確には、クライフの「言葉」の信奉者となっていましたが)。

なかなか単純明快なお言葉です。しかしまてよ、これじゃあ、レシャックもたまったもんじゃない。まさか、クライフがバルサの監督に就任して一夜明けたらドリームチームができていたわけじゃあるまいし。彼は3年目に初めてリーグ優勝するまで、少なくても2回は解雇されそうになった監督です。それを必死になって擁護して守ったのが現会長ですが、それはどうでもいいことです。

ワンタッチフットボールが本格的になってきて、ボールも見事につながるようになり、いわゆるスペクタクルな試合も年に何試合かはおこなわれるようになったのが3年目。それでも、いわゆるドリームチームといわれた最盛期でさえ、本当にスペクタクルと呼べるものは年に7、8試合あれば良い方。そんなに毎試合、興奮するような試合があるわけがないですよね、常識的に。

先日、チキートに泊まった年輩の女性がこちらに来て初めてフットボールというスポーツが盛んだということを知り、さっそく日本に帰ってから「ダイジェスト番組」で試合のかけらを見たそうです。そうしたら面白いの何のって、ということで今度は一つの試合を90分間続けて見たそうです。そうしたらぜんぜん面白くない。彼女が最初に見たダイジェスト番組は「ゴール特集」だったそうです。

日本で見られるクライフ時代の試合は、TV放送であれ、ビデオであれ、この女性の見た「ゴール特集」のように、スペクタクルな内容の試合ばかりだったのではないでしょうか。それだったら、セラフェレール信奉者にも簡単になれそう。

レシャックを批判するのはそれほど難しいことではないでしょう。面白い試合というのは今のところないし、守備を重点にスタートしているわけだから、肝心の攻撃面に問題がでてきている。しかもここ2年間タイトルにご無沙汰という、悪状況の下にチームを引き受けている。勝ち続けてナンボ、タイトルをとってナンボが彼の運命。クラブとしてのバルサも、多くのファンもタイトルを要求している現状ですから。

「つまらないものはつまらない。勝ちに行くだけのバルサはバルサじゃない。スペクタクルのかけらも感じられない。だからそれを指揮するレシャックは嫌い。」
そう、それは個人の好き嫌いの問題であり、ワタシなど他人がどうのこうの言う問題ではなーい。ただクライフ信奉者だから云々はというのはね、大分ピントはずれの論理だっちゃ。まあ、気持ちはわからないでもないけど。(2001/10/12)


ピリピリッ、ピリピリッな試合

ナーバスな試合。選手も観客もみんなナーバス。短期決戦のチャンピオンズリーグでは、地元カンプノウで絶対必要な3ポイント。もし勝たなければバンガールの最初の2年間、あるいは去年のセラフェレールと同じように一次リーグで消え去ってしまう可能性を秘めた試合。選手も観客もそれぞれ違う意味で「自信喪失」状態の中での試合。だからみんなナーバス。

開始早々の「お笑いゴール」をリバルドが決めていれば、こんなにナーバスにはならなかったかも知れない。負傷者や体調が完全でない選手がもっと少なければ、こんなにナーバスにはならなかったかも知れない。

無得点のまま後半を迎えると、そのナーバスさは1分ごとに増加してくる。アンダーソンが引っ込む時におきた暖かい拍手が一瞬そのナーバスさを和らげたものの、消えはしない。やがてリバルドに向かってのブーイング。そう誰しもがわかっているはずなのに、ブーイングが自然発生的におこってしまう。リバルドはチリ戦を終えて、何時間も飛行機を乗り継いでやってきて、練習は一日しかしていないことは誰もが知っている。疲れ切っていることは目に見えていた。それなのにブーイング。観客のナーバスさを具体的に表現するブーイング。だからそのブーイングに深い意味はない。

片足を引きずりながらプレーするコクーや、痛みを必死に耐えているジェオバンニを見ているのは辛い。「華やかなバルサ」ではなくて「選手みんな一生懸命のバルサ」を見るのは余り慣れていない。しかしこういうバルサも見てる側になにか訴えるものを感じさせるんだから不思議なものだ。

そんな中で唯一、ナーバスになっていない若者がいた。プジョーだ。時には分身の術を使い、ある時は目くらましの術を使い、そして足が痛ければ「これは俺の足ではない」三四郎となってしまうプジョー。こういう試合は彼だけを追っかけて試合観戦をするのがいい。スペクタクル、それは彼の代名詞だ。(2001/10/11)


気にくわない批判

サビオラが痛み止めを拒否して、コルーニャ戦に不参加した話を先日しました。その行為に対し、くだらん批判がなされています。やれ「根性がない」だの「自分のことしか考えない」ヤツだの、あげくの果てには「レシャックへの反乱」だの等、等。不毛にして、果てしなくくだらん論議であります。

サビオラを責めるのは、勘違いもはなはだしいし馬鹿げたことです。あるバルサ医師の言うように「若い人は痛み止めなんぞはしない方がいい」という医学的な判断からだけではなく、個人の育った環境だとか文化や習慣の違いということを考えなければいけないのは当然のこと。

アルゼンチンの習慣はどういうものは知りません。もしかしたら父親が癌にかかっているのを何年も見て、薬嫌いになったのかも知れない。と同時に、注射することに人一倍神経質になっているかも知れない。あるいは彼の家庭が、薬などをなるべく使用しないようにしてきた環境だったのかも知れない。理由なんか山ほどありそうだ。

確かに先日のコルーニャ戦で、アルフォンソは試合前と試合中にそれぞれ2回も痛み止めの注射をしてがんばっていたらしいです。コクーも試合前に痛み止めの注射をして出場していました。ジェオバンニはそれを拒否しながらもプレーを続行していました。リバルドは昨シーズン、半分近くの試合に各種の痛み止め処置をしながらプレーしていたのは有名な話です。そう、ファンはそういう選手の精神に惚れ込みます。それは当然のことでしょう。だからといってメディアが、一々そういうことを公表してファンの心理をあおるのが気にくわぬ。

こういうつまらないことに、人一倍労力をはたいて突っこんでくる一部のメディア。レシャックは今日の試合に「お仕置き」としてサビオラをスタメンに使わないなんていうのも現れた。そう、確かにサビオラはスタメンで出ない可能性は多い。でもそれを戦術的なものとみるか「お仕置き」とみるか、バカなジャーナリストにはそれさえわかろうとしない。

そういうバカどもは無視しよう、サビオラ。後半に出るチャンスがあったら、カンプノウの観衆たちは暖かい拍手で迎えるさ。間違いない。(2001/10/10)


カンプノウでは許されない試合

今シーズン、最高のディフェンス補強選手アンデルソンが抜け、セルジの代わりとなるココもいないコルーニャ戦でのバルサディフェンス陣。改造ディフェンスがどのくらい機能するか、誰しもがそれを危惧する試合だった。

バン・ガールが指揮をとってからというもの、一度も勝ったことのないステージ。それらの試合を思い起こせば、ここ何年間で一番マジな戦いであったように思う。危惧されたディフェンスは、今シーズン初の試合出場となったレイジンハーはそれなりにやっていたし、ガブリはフランに何回も抜かれながらも合格点。よく考えてみれば、コルーニャのゴールチャンスは3回しかなかった。それを効率良く得点につなげたチームに運があったということだろう。試合なんてそんなもんだ。

欠場選手を言い訳にしなかったレシャック。攻撃陣ではサビオラ、リバルドが抜け(オーベルはいまさら、名をだすこともないだろう。ほとんどお休み選手なんだから)、中盤ではロッケンバック、ジェラール。そしてディフェンスに至っては、常にスタメンだったアンデルソン、クリスタンバール、セルジが負傷中。だがレシャックの「言葉」だけではなく、実際の試合でも欠場選手が多いことを感じさせなかったことが収穫だ。

翌日のメディア(カタルーニャだけでなくマドリも含めて)が、珍しく揃ってバルサの善戦を讃えていたのが印象的だ。それは例年のバルサとは違う「メンタリティーの変化」をあげているところが多かった。レシャックが目指しているディフェンス強化からのチーム作りと、選手が一体となったブロックとしてのチーム作りという発想からきているのだろう。事実、どこのメディアも「サビオラがいたら」「リバルドがいたら」という表現はついに現れなかった。

負傷から戻ってきて全力プレーをしたレイジンハーに拍手。完全ではなかったものの、痛み止めを打って助けに戻ってきたアルフォンソに拍手。後半、負傷しながらもすべてを出し尽くしたジェオバンニとコクーに拍手。

だが忘れてはいけない。カンプノウではこのような試合は許されないことを。(2001/10/09)


お父さん、物わかりがいいねえ!

マジョルカ戦で右足の指を痛めてしまったサビオラ。それから3日後のコルーニャ戦には出場しなかった。選抜メンバーを決めるに当たって、レシャックはサビオラに聞いている。
「医者は痛み止めを打てば出れると言っているがどうする?決めるのは君だ」
「痛み止めを打ってプレーする自信がありません。やめます。」

レシャックは試合前日の記者会見で次のように言っている。
「私が現役の頃はケガをしたら痛み止めを打つのが日常茶飯事だった。でも私はあれが嫌いだったんだ。だから医者がどこか痛むかと聞いてきたときは、ぜったい本当のことは言わなかった。もし痛いなんて言ったらすぐ痛み止めの注射を打たれちゃうからね。今はそんな無茶なことはあまりしなくなった。7年も8年も一線で活躍し続けている選手は、負傷していてもどこまで自分の体がもつか経験でわかる。だから必要な時は痛み止めも打つことがある。だが若い選手はけっこう保守的になっていて、危険は犯さないようにするのが一般的だね。私はそれはそれで良いと思っている。選手がグランドに出ていくときに一番重要なことは自信があるかどうかなんだ。自信がなかったら、ぜったい出るべきではないんだ。」

彼の現役時代には選手交代というルールは存在しなかった。彼のデビューは60年代中盤だが、選手交代が許されるようになったのは70年代の最初。だから彼がデビューしてからの4、5年は、試合中に負傷しようがなにしようが、プレーし続けなければならなかった。我慢できなかったら、試合中でも痛み止めの注射がまっている。

時代は変わっている。レシャックはそれがわかっているからこそ、選手に直に打診して選手に判断させる。

だが困ったヤツが二人いる。足を負傷してようが、体のどこかが痛んでいようが、高熱を伴った風邪をひいていようが、それを人にぜったい言わない選手がいる。「バルサ医院」には間違っても行きたがらない。試合にはどうしても出たい。だから誰にも言わない。そう、プジョーとガブリはそういう選手だ。カンテラの彼らにとって、そんなことでせっかくのチャンスをとられては、たまったものではないのだ。(2001/10/08)


ユメもチボウもないな、このチーム

二日遅れでラス・パルマスとマドリの試合を見ました。マドリの試合を90分見たのは今シーズン初めて。まあ、フエラの試合だからして、本来の実力から15%差し引きしなければいけない試合ではあります。しかも途中から自主退場したのもいるし。

ジダーンはやはりエグイ選手だな。こんなチームにおいとくにはもったいない。それとソラーリ。この選手も前のチームにいた頃から好きだな、うん、良い選手。君もこんなショボイところにいないで、うちにでも来なさい。もう一人、カランカも前のチームにいた頃みたいに良い。

あとの選手は、正直いってそこいらへんのジャガイモ畑に転がっている一キロなんぼのジャガイモみたいなもんだ(例えが悪いかなぁ、ちなみにジャガイモは大好きなんですが)。今年はそのジャガイモに高い値段をつけすぎちゃったから売れ残った商品が多かったけれど、来年は安くしてでも売られてしまうのは間違いない。元会長の娘婿のサルガド、マジョルカでは本当に良い選手だったカンポ、トシャックが勝手に連れてきたジェレミ、セルタにいた頃に比べまったく存在感のないマケレレ、どうしちゃったセラーデス、みんな時価で売るしかないんじゃない。

このチーム、ラウル、フィーゴ、ロベルト・カルロスがいないとどうしようもない。だが、歯車が合ってきて彼らも加われば、やはりそれなりの伝統あるレアル・マドリのプレーをするんだろう。だから今の悲惨さには、これっぽっちも同情はしない。墜ちるとこまで墜ちてみよう。できれば奈落の底まで一気に、そして永遠に。アディオス!バイバイ! 

こういうチームを見ていると、何だかんだ言っても自分のチームが素晴らしいものに見えてくる。そう、隣の芝も、我が家の芝を知るために時々のぞきに行かなくては。(2001/10/06)


夢を売るリスト

グランドに足を運ぶこともなく、テレビで中継を見ることもなく、新聞のこまかい試合経過を知ることもなく、ただ単にこれまでの結果だけを見てきたとしたら「うん、今シーズンのバルサは完璧じゃわい」と思うだろう。

6試合経過したところで4勝2分け負け知らず。あげた得点10に対し、奪われた得点はペナルティーによる2点だけ。つまりプレー中のゴールは一回もボナノの仕事場を襲ったことがないということだ。そして何よりもすごいことは、首位であるということだろう。最後にリーグの首位にたったのは一体いつだっただろうかと、思い出せないほどの久しぶりの出来事。最後に笑うものが一番いいとしても、途中から笑いっぱなしというのもいい。

順位表の一番上から下をのぞいて見よう。おやっ? 何か下の方に、それもだいぶ下の方に白いものが見えるじゃないか。うん? なあぁ〜んだ、メレンゲだ。何してるんだぁそんなところで? ここまで9ポイントも離れていて、二部直下コースまで1ポイントだよ! あ〜、立場が逆じゃなくてよかった。

ところがいかなる方法であれ試合そのものを見ちゃってる人には、事情が少々というか大分というか、とにかく違ってしまう。自分の中に説明のつかない試合内容。「あれ?また勝っちゃったよぉ」的な爆発力のない勝利感。だが、それでも勝てば同じ3ポイント。

そして幸か不幸か故障者リストや不在者リストを見ると、将来がグッと明るくなる。リバルド、アベラルド、ロッケンバック、クリスタンバール、ダニ、セルジ、オーベル、アルフォンソ、レイジンハー等、等。今の限られたメンバーでこれなんだから、みんな戻ってきたらこれはすごいんではないけ?

この故障者・不在者リストがある限り、そして遙か彼方にマッチロイものがのぞいている限り、バルサの将来は明るい。「バルサは永遠に不滅です!」
あれ、この人クビになっちゃんたんですか? (2001/10/05)


アトレッタ・デ・クリスト

「フィーゴのようなセンターリングをあげ、リバルドのようなシュートを放つ」
これがバルサスカウトとレシャックが、ジェオバンニに興味を示した時の印象だった。そして彼らの目に間違いはなかった。

だが彼らにも発見できなかったジェオバンニの、とある「原動力」となっているものがある。それはアトレッタ・デ・クリストというグループだ。

宗教組織ではない。もちろんセクタでもない。ただ単にキリストを信じるスポーツ選手の集まるグループである。このグループに入るのにスポーツエリートである必要はない。カトリック信者と違うところは、教会も神父もましてローマ法王も必要としないところだ。ひたすら自分の内部で神に祈り、神への直接的な接触を試みる。神に近づく方法は、心からの祈りと一冊の聖書のみ。これがアトレッタ・デ・クリストの特徴だ。スペインリーグでプレーしている選手で、このグループに参加している人は20人を越えるらしい。

神様にまつわる話しだからちょっと気取って書いたけれど、この話しは何年か前コルーニャのドナットのインタビューで知った。そしてブラジル選手には非常に多いということも覚えている。最近話題になった選手は元バルサ選手のジョバンニ、そしてジェオバンニ(ややっこしいなぁ)。

祈りは大勢ですればするほど神に近づけると言われているらしい。次のコルーニャ戦ではドナットの祈り対ジェオバンニの祈りの戦いとなる。う〜ん、チョット待て。コルーニャのバレロンもグループの一人と聞いている。二人対一人か。よし、ここは思い切ってドゥトゥエルをスタメンで出すか。祈りに関してはこれで二対二だ。(2001/10/04)


ダービー戦

ガリシアダービーがいつからこんなになってしまったのか。確かミッチェル・サルガードがまだセルタにいたころには、こんな感じではなかったような気がする。だがコルーニャに限って言えば、いつもフランだけだった。

先日の好試合コルーニャ対セルタ戦。いわゆるガリシアダービーと呼ばれる試合、でもガリシア出身の選手はついにフランだけだった。地元の人々には悲しい話しだろうが、ダービーと呼ばれる試合にしては地元出身選手が少なすぎる。少なすぎるというのは、おとなしすぎる表現かも知れない。だってベンチの中の選手も含めて、一人しかいないんだから。カンテラを育てようとしても育たないのか、あるいはそういう政策をクラブ自体がとっていないのか、そこら辺はわからない。

アルゼンチン、ブラジル、スエーデン、オランダ、フランス、そしてスペイン人選手と、まるで国際連合軍みたいな体裁をとっている今のバルサだけど、よ〜く見てみれば立派にカンテラは育っている。例えば今日の試合、セルジを筆頭に、チャビ、ガブリ、プジョー、ジェラール、レイナ、そしてオレゲール。おいおい、7人もカタラン人のカンテラがいるじゃないか。ナショナルチームの試合があることや、けが人が多いことを差し引いてもこれはすごいことではないけ?

こういう話題にはメレンゲの事情にも触れなければ、バルサのHPとは言えない。マドリのカンテラ制度もチカラをいれているだけあって、なかなかのものだ。だが一部のチームに容易に上がれない。いわゆる「キンタ・デ・ブイトレ」と呼ばれた、ブートラゲーニョ、ミッチェル、サンチスなどがいた時代が、最後のカンテラ主体チームだった。今では、カシージャ、グティ、ラウル(まあ、ヤツはAt.マドリのカンテラ育ちだけれど、よしとするか)この3人しかいない。おっとぉ、忘れてはいけない。うちのカンテラ育ちのセラーデスがいた。

この中から、何人の子供達がカンプノウの芝を踏めることになるのだろうか。(2001/10/03)


夢がなくなってきたキニエラ

昨日のNewsGranaにでていた、キニエラ賞金10億ペセタの話し。久しぶりの大型賞金がついたキニエラとなりました。さらに素晴らしいことは、当たったのが個人だったことです。ちなみにこの人、単発予想を5つしただけ、つまり250ペセタで10億万長者。

キニエラはここ4、5年、せこい投資制度的な傾向が強くなりつつあります。つまりいくつかの「キニエラやるぞ会社」というのがあって、そこに千円なり二千円なり銀行振り込みでせこい投資をする。すると大勢のそういう人たちのお金を資源にして、その会社のキニエラ専門家がコンピューターを駆使してデーターを分析し「これでどうだ!」とばかり、何百万も何千万も賭けます。当たると、投資額に応じて個人に払い戻しをしてくれるというシステムです。良い会社に投資し続ければ、これが結構かたい投資の一つであると言われております。

したがって個人でやって当たったとしても、最近はこういう多くの会社のいくつかも当たることになり、配当金が少なくなってきている。だから、今回のように全部を当てたのが一人だけで、それが個人でやったキニエラというのは珍しくなってきているという、淋しい今日この頃キニエラ実状なわけです。

こういう会社ができる前は、多くのサクセスストーリーがウソか誠かよく流れたものです。失業中のお父さんと一緒になってふざけ半分にやって当たった、7歳のキニエラ天才少年。しかもたった一口で当てた3億ペセタ。あるいは、羊飼いの見習いが3億だか4億当てて、翌日から行方不明になったが、ある日高級デパートで彼が靴を買っているのを目撃したという、まことしやかな話し。その後も、超高級避暑地でカッポカッポしている彼を目撃したという怪しげな証言。

でも最近はこういう話しはすっかりなくなりました。そのうちワタクシ、カピタンチキが、地元でのマドリの敗北とアウエーでのバルサの勝利を当て、サクセスストーリーの一つを、と思いましたが、きっと当てた翌日にはこのHPもないでしょう。(2001/10/02)


あと1カ月

セラ・フェレールがバルサの監督と決まったとき、多くのバルセロニスタはマジョルカ、ベティスでの彼の戦いぶりの延長線、つまりディフェンスをガチガチに固めての守備を重点においた戦いを予想した。ところだがだ、いざふたを開けてみれば、予想に反しての攻撃的なシステムを採用。そしてその結果、ヨーロッパカップでの早すぎる敗退とイレギュラーなリーグ戦の戦いとなった。
そう、セラはキッタハッタの戦いを臨んだ。

カルラス・レシャックは、セラのまったく逆を行っている。アヤックス・システムの「顔」のサブコーチとして長いこと君臨していたレシャックは、過去の言動から察しても攻撃的なフットボールの崇拝者であったはずだ。誰もがエストレーモを左右に開いての攻撃的なフットボールを期待していた。だが彼もセラと同じように、人々の予想とはかなり離れた試合展開をしている。点を取られない試合展開。まずディフェンスからのチーム作り。
そう、キッタハッタはご免だの世界。今のところはね。

今のところ派手な試合はご免なんだ。どっちに転ぶかわからないヤバイ試合は。2年の間にわたって何も勝ち取っていない今の選手に必要なものは「自信」なんだ。「自信」は結果を勝ち取って行くことによって初めて生まれる。とりあえず、醜かろうがケチクサろうがポイントを増やしていく試合をしなくては。勝利とポイントの増加が、選手の自信となっていく。

レシャックはシーズンが始まる前にすでに指摘している。
「新加入選手や、自信を失っている選手のチーム結束を勝ち取るには10試合から15試合必要だと思う」

リーグ戦5試合、チャンピオンズ2試合終了。彼の目論みが吉とでるか凶とでるか、あと1カ月ぐらいでわかる。(2001/10/01)