2007年
2008年
5月

1987年世代
(08/05/21)

今年のサン・ジョルディの日に出版されたメッシーの本は二冊ある。一冊は当人がコメントしたことを、ゴーストライターが書き連ねた“Querido Messi"とタイトルされた本で、これは正直言ってそれほど興味深い内容ではない。そしてもう一つは“Prologo de Messi”とタイトルされたもので、これは39人のジャーナリストのそれぞれ独自のコメントを寄せ集めてできた本。とは言うものの、メッシーとは無関係な内容のコメントがほとんであり、彼に関するものはわずか二つしかない。ここで紹介するのはそのうちの一つで、エドゥアルド・ポロさんというジャーナリストが、彼のカデッテ時代のことを書いているもの。これをもって今シーズンの“こちらカピタン”を最後にしようと思う。なぜこれを紹介する気になったかというと、このエピソードに登場してくる試合風景を、実際に観戦する幸運に恵まれたからということと、当時は理解できなかった内側の風景が描写されていて、非常に興味深かったということ。そして来シーズンは、メッシーが本格的に爆発する時となるという期待を込めての意味で。

2003年4月26日、バルサカデッテチームは、シーズン最後の試合をエスパニョール相手に戦っている。バルサカデッテチームのクラック選手はもちろんレオ・メッシー。だが、この試合、彼は前半が終了する前にすでにグラウンドから姿を消している。エスパニョールの選手と激しく衝突し、頬の骨を折ってしまったからだ。グラウンドからそのまま救急車で病院に運ばれ、入院をする羽目になるほどの大怪我だった。負傷交代となった彼の代わりにグラウンドに登場してきたのは、セスク・ファブレガス。この大事な試合にスタメンに選ばれなかった悔しさもあってか、普段以上のモチベーションを持ってプレーした彼の活躍が大きく影響し、バルサカデッテチームは、3−1というスコアで勝利し、リーグ優勝を決めている。

病室で横になっていたレオ・メッシーが心配していたことは二つあった。一つは、果たしてエスパニョール戦に勝利することができて、リーグ優勝を決めたかどうかということ。そしてもう一つは1週間後におこなわれる、やはりエスパニョール相手のカタルーニャ・カップ決勝戦に出場できるかどうかという心配だった。試合が終了し、多くの仲間が見舞いにやってきてくれた。両親や監督も一緒だった。メッシーは彼らに二つめの心配事を告白する。彼を診察していた担当医はあきれ顔で、そして両親や監督、同僚たちは冗談としてその心配事を聞いていた。それはそうだ。彼の右頬は骨折しており、少なくとも全治3週間と診断されていた。そのような状態の患者が、1週間後の試合の心配をしている、それは担当医にとってはあきれた話であり、仲間にとってはジョークとしてうつった。普通の選手であるならば、全治3週間と聞いてあきらめの境地になるだろう。だが、15歳のメッシーは普通の選手ではなかった。
『フフッ、まあ、いいさ。担当医を、両親を、そして監督を説得するにはまだ1週間の期間がある。』
そう思いながら、メッシーは見舞客と別れた。

当時カデッテの監督だったアレックス・ガルシア(現フベニルA監督)はこう回想する。
「負傷具合を医者に聞いた瞬間から、決勝戦出場などということは想像だにできないことだった。だが、メッシーが必死になって医者を説得し、両親や私に試合に出られるようにしてくれと懇願する日が続くことにより、それでは何か解決策を探してみようじゃないか、そういう気にさせられてしまった。」

幸運なことに、その解決策はバルサAチームに見つかる。このシーズン、カルラス・プジョーがサン・シロでの試合でフラン・デ・ブーと衝突し、メッシーと同じような負傷を負っていた。そしてプジョーは特製の防護マスクを付けて何試合か出場していた。
「プジョーの付けていたマスクがそのままメッシーに利用できるわけではなかった。なぜなら負傷箇所が微妙に違ったことと、頭の大きさが異なっていたからだ。そこで我々は当時バルサAチームの担当医師だったリカルド・プルーナに、メッシー用のを作って欲しいと頼んだんだ。彼は嫌々ながらもOKを出してくれた。」
そう語るアレックス・ガルシア監督。プルーナ医師が気軽にOKを出さなかったのは、専門家として少しばかり躊躇するものがあったからだ。プジョーはともかく、15歳の少年にそんな危険なことをさせてまで、試合に出場させることが正しいのかどうか。それが彼の持つ疑問だった。だが、監督を始め両親の強い要望もあり、プルーナ医師は彼らに協力することになる。

「その防護マスクの存在を知ったとき、そしてそれで息子のプレーができる可能性があるとわかったとき、私はそのアイデアに全面的に賛成する気になった。もしプジョーに可能ならレオにも可能なことだと思ったし、しかも子供たちのフットボールなのだから、プジョーがプレーしているプロ選手のそれよりは遙かに危険度が少ないとも判断した。」
父のホルヘ・メッシーがこう語れば、息子のレオもこう回想する。
「負傷に倒れてからしばらくの間、誰も自分の意見を聞いてくれなかった。担当医はもちろん、仲間や監督、そして父からも相手にされなかった。もうその試合のことは忘れろ、そればっかり。でも、エスパニョール相手の決勝戦にはどうしても出たかったし、必死になってみんなを説得したんだ。そしてプジョーのマスクのアイデアが出てきたとき、これでやっと望みがかなえられるとホッとした。」

カタルーニャ・カップ決勝戦。マスクを付けた異様な姿のレオ・メッシーが、スタートメンバー11人の中に見られた。審判の笛が鳴る。5分とたたないうちに、メッシーは何回もマスクの位置を変えようとしている。ピッタリとこないのだ。マスクが気になって仕方がない。まるで試合どころではないかのようだ。そして突然、彼はベンチに走り込んできた。
「何にも見えないよ、本当に何も見えないんだ。こんなの付けてプレーなんかできるわけない!」
そう叫ぶと同時に、マスクを外してベンチに座る監督に向かって投げつけた。そして再びグラウンドに戻っていく右頬骨折レオ・メッシー。ベンチにいた監督、そして観客席にいた父親、この2人がパニック状態となってしまったのは容易に想像できる。

「マスクを受け取った瞬間、彼を捕まえてベンチに下げようとしたが間に合わなかった。メッシーは凄い勢いでグラウンドに戻っていってしまった。いかに大事な試合とはいえ、頬骨が骨折している選手を、15歳のそんな状態の選手をプレーさせているなんて、自分は何て無茶苦茶な監督かと思った。何としても彼をベンチに下げようとしたが、彼は言うことを聞かない。自分の体が凍り付くような感じだった。」
監督がこういう思いであったのだから、当然ながら父親の方もあわてている。
「マスクを投げてグラウンドに戻っていった瞬間、もう腰が抜けるかと思った。すぐにでもベンチに走り寄って、そんなことを許した監督の襟首をつかんで怒鳴ってやろうかとも思ったし、グラウンドに入り込んで息子を引きずり出してやろうかとも思った。」

冷静だったのはレオだけだったようだ。監督の叫び声を、観客席にいる父親の仕草を、いまだに覚えていると語るレオ・メッシー。
「最初にパスがまわってきた時初めて、ほとんどボールが見えないことに気が付いた。考えてみれば、一度足りとしてマスクをして練習したことがなかったんだ。大きさやはめ具合を試したことはあっても、練習中には一度も付けてやったことがなかった。最初のパスを受けた後に、これじゃあダメだと思いマスクを外してそれを監督の手元に投げてしまった。彼がすぐに反応できないように急いでグラウンドに戻っていったが、自分の背中に向かって大声で怒鳴っているのはわかっていた。父親がいる方を見たら、立ち上がって両手をあげて何か叫んでいるようだった。みんな自分に怒っているのはわかっていたが、この試合はどうしてもプレーしたかったんだ。」

それからしばらくして、レオ・メッシーは2ゴールを決めてしまう。いずれもゴラッソだった。そしてジェラール・ピケが3点目を決めて前半が終了し、レオの仕事も終了することになった。後半にはベンチからこの試合を観戦している。彼にも納得できる選手交代だった。これ以上、多くの人に心配をかける必要はないし、何よりも、試合が勝利することはもう間違いない。彼の思い通り、バルサカデッテチームはカタルーニャ・カップ決勝戦に勝利し、この世代が勝ち取った多くのタイトルの一つとして記録されることになる。

この世代とは、87年世代を言う。バルサインフェリオールカテゴリーの歴史においても、特筆されることになるであろう87年世代。この世代の選手によって構成されたこの“黄金のカデッテチーム”は、まさに無敵だったと言っていい。トニー・カルボ(現アリス・デ・サロニカ)、セスク・ファブレガス(現アーセナル)、ジェラール・ピケ(現マンチェスター)、ソンゴー・ジュニア(現ポーツマス)、マーク・バリエンテ(現バルサB)、ビクトル・バスケス(現バルサB),レオ・メッシー(現バルサ)、etc, etc, etc。

それでも、すべての選手が第一線で活躍することは不可能だ。例えばホセ・イノホッサ、彼もまたピケやバリエンテと共に大いに将来を期待されたデフェンサ選手だった。だが、何度も負傷に倒れるという不運に見舞われたこともあり、現在はカタルーニャ地方リーグに在籍するクラブでプレーしている。その彼の誇りとなっていることは、もちろん超エリート選手たちと一つの黄金の時代を築いた構成員の1人となれたことだ。そしてかつての同僚たちが出場する試合は必ずテレビ観戦していると言う。
「ヘタフェ相手の国王杯でのメッシーのゴールをテレビで見たけれども、自分にとってはそれほど驚くようなプレーではなかった。いつもああいうゴールを見せられてきたからね。当時はエストレーモというよりはメディアプンタとしてプレーしていた。ハーフラインあたりでボールをとると、相手ゴールに向かって1人抜き、2人抜き、3人抜き、最終的に自らゴールを決めるか、あるいは僕にでも決められるような簡単なシュートとなるラストパスを誰かに出す。それが自分の見てきたメッシーであり、今でもほとんど変わっていないと思う。彼や、ビクトル・バスケス、あるいはセスクやピケと一緒に自分がプレーできたことは一生の誇りとなると思う。」


不透明な時代の到来(最終回)
(08/05/18)

これまで触れてきたペップの人物像や監督像は、あくまでもバルサB監督ペップ・グアルディオラという、三部リーグを戦っている指揮官のそれに過ぎない。これまで一度たりと“エリートチーム”を指揮した経験のない監督であるから、果たして来シーズンからのペップバルサがどのようなものとなるか、それは誰一人として確信を持って語れないことであるし、極端に言ってしまえば、予想されるイメージは別として、シーズンが開始され、ペップバルサが機動するまで白紙状態のものとなる。

バルサBの監督として、彼はすべての選手に厳しい規律を要求してきている。モチベーションやプロ精神に不足がある選手には、例えその選手がチームの中心人物となる存在であるとしても特別扱いすることもなく、一切の妥協もなく何らかの処置をとってきている。ダラダラとした練習を拒否し、集中力と緊張感を要求する監督でもあり、必要とあらば1日2回の練習を選手たちに要求する。そして、相手チームの研究にしても可能な限りの情報を集めて綿密におこない。確実な勝利のために作戦を練る監督でもある。監督像としては期待されることはあっても、批判されるようなものは見つからない。唯一付く疑問符は、果たしてバルサBで実践してきたことを、バルサAでも同じように遂行していくことが可能かどうかということになる。何しろ、彼はエリートチームでの指揮に関しては白紙状態なのだ。

白紙状態ではなく、すでにエリートチームでどのような指揮ぶりを発揮してきたか明らかになっているジョセ・モウリーニョ。今日の段階で、モウリーニョはいまだにフリーの身であり、もしスペインやイタリアのビッグクラブからオファーがなければ、“失業中”の看板を張ったままでかまわないとまで語っている。もう何回も触れているが、ラポルタ理事会がモウリーニョを獲得しなかったことは、彼らの最大のミスと言って良いと思う。いつかはバルサの監督として就任する人物であることは間違いないとしても、今回が最良のチャンスであったことも間違いない。

それでもペップ・グアルディオラ新監督に、何の疑いもなく100%の気持ちで彼の成功を期待する、ボッ、ボッ、ボクらはバルサ探偵団!

もちろん不透明な時代が到来した今、ペップバルサの将来はとてつもなく厳しい。ライカーが監督に就任してからの半年間、期待された結果がでなかったにもかかわらず、彼が延命できたのは、若きケネディーラポルタが光を放っていたからであり、ロナルディーニョの笑顔があったからだ。満足できる結果がでないにもかかわらず、彼らの存在がバルセロニスタに灯りをともしてくれた。今はと言えば。若きケネディーはすでに老いたニクソンと変貌し、バルセロニスタに笑顔をふりまいてくれた選手は、自ら裏口を探して出て行こうとしている。しかも、一度沸き上がってしまった“バルサファミリー内乱”は、そう簡単には収まらない。

チャンピオンズを獲得した後、カンプノウでおこなわれたフィエスタでライカー前監督が、次のようにスピーチしているのを多くの人々が覚えているだろう。
「これは栄光あるバルサの最初の一歩に過ぎない。」
だが、実際は最初の一歩にして最後の一歩だった。まるで山の頂点にたどり着いたライカーバルサが、そこでテントを張ることもせず、急激な下り道を大急ぎで駆け足で下りて行ってしまったようだ。バルセロニスタにとって大いなる悲しみに包まれながら終了した今シーズン、すでに下降するところまで下降し、これからは登り道となることを期待しよう。そのためには、ひたすら勝利が必要となる。勝利、勝利、勝利のみが“バルサファミリー内乱”を終結させることを可能とする。

そう、プレステージの初日から“勝利に向けた”チーム作りが要求されるペップ新監督。彼の持つフィロソフィーを曲げることなしに、同時に勝ち続けるチーム作りが要求される。

ポセシオンを大原則とし、芝の上をスピード豊かにボールが走り、そのボールはワンタッチあるいはツータッチで、スペースの隙間を見つけた選手に渡っていく。各ラインが開かないように、セントラルを中心としたデフェンサ選手はラインを上げ、3人あるいは4人のセントロカンピスタは、守備と攻撃の起点とならなければならない。デランテロには、相手デフェンサ選手に怒濤のようなプレッシャーをかけることが要求されると同時に、左右に大きく開いたエストレーモ選手は、相手デフェンサ選手間にスペースを作り出させることを義務づけられる。個人技は観客用のためではなく、ひたすらチームがうまく機能するための一つの手段となる。このような、これまでこの目で見てきたミニエスタディでのペップバルサがそのまま機能するとすれば、確信を持って言える一つのことがある。それはレオ・メッシーが一皮も二皮も剥けて、メディアクラックから本当の意味でのクラックとなることだ。フットボールは11人でおこなうものだということを初めて教わることになるだろう彼は、あらゆる意味で偉大な選手となる可能性がある。

幸運を、ひたすら幸運を、スエルテ!ペップ!


不透明な時代の到来(6)
(08/05/17)

非論理的であろうが無理矢理であろうが独善的であろうが、いや、何としても明るい材料を探して、今日も行く行く、ボッ、ボッ、ボクらはバルサ探偵団!

例えば、ペップ監督のイメージをほうふつとさせるこんなエピソードがある。

去年の12月6日、ペップバルサはマスノウという、年間予算25万ユーロにも満たない超弱小チームを相手にして戦い、2−2というスコアで引き分けている。前半にペップバルサが2点をもぎ取り楽勝かと思われたが、後半に入って2点を入れられ同点にされてしまった試合だ。ジェフレンとブスケがつまらないことで退場になった試合でもある。普段のペップ監督なら、冷静さを取り戻した翌日に、試合内容の分析を選手を前にしておこなうが、この日は特別なものとなった。試合終了後、ロッカールームに全員を集めドアを閉めた後、爆発してしまう。
「この栄光あるブラウグラーナのユニフォームを着る資格がない選手が君たちの中にいる。このユニフォームがどのような歴史を持ち、その歴史を作って来た人々がどれほどセンチメンタルな思いをこのカラーに感じ、そして人々がこのカラーにいかなる誇りを感じているか、それがわかっていない選手がいる。我々は単なる三部リーグのチームではない。我々はバルサの選手であり、誰もがプレーすることが許されるチームではないのだ。」
普段の彼からは想像もできないほどの激しい口調で責められた選手たち。彼らの顔が蒼白になったのは言うまでもない。

そして、こんなエピソードもある。

カピタンのバリエンテが負傷もしていないのに試合に招集されず、観衆の一人として観客席に座っていたことがある。何ともまあ不思議な光景だったが、何週間かたってその謎が解けた。彼はこの試合の何日か前の練習で、早引きしたことがあったという。予定されていたCM撮影に遅れないように、ジムでの決まった調整時間より5分早く抜け出したのを、ペップ監督に見つかってしまった。試合に出る資格なし、それがカピタンに対するペップ監督の処置だった。カピタンに対してこうなのだから、他の選手に対する対応も当然ながら厳しい。だが、それでも、他の選手の見本とならなければならないカピタンに対する態度は、特別なものとなる。

そして、こんなのもある。

第3節のマンレッサ戦。クロッサスはライカーバルサとペップバルサを行ったり来たりするシーズンをおくっていたが、この日はペップバルサに招集されていた。だが、このシーズン初のスタメンとなったクロッサスの出来はひどいものだった。緩慢な動きが目立ち、まるで全速力で走るのが面倒かのようであり、モチベーションが明らかに欠けているのが、誰の目にも明らかなプレーが続く。ハーフタイムにペップ監督はクロッサスに活を入れる。お互いの顔がぶつかり合うような勢いでペップ監督は檄を飛ばした。そして後半開始1分、クロッサスは不用意にボールを奪われてしまう。その瞬間、ベンチから飛び出したペップ監督は交代を命じている。この試合以降もライカーバルサとペップバルサを行ったり来たりするクロッサスだが、再びグランドに姿をあらわすことが可能となったのは、第10節の試合だった。だが、それ以降もペップ監督は、クロッサスを優先的に起用することをしない。リヨンにレンタルされるまで、ついにクロッサスのモチベーションは戻って来なかったのだ。ペップもまたクロッサスと同じように、デビュー当時はAチームとBチームを行ったり来たりした経験を持つ。そして彼が学んだのは、どこのカテゴリーであろうがモチベーションを保持すること、そのことだったという。

また、こんなのもある。

ガイ・アスリンがイスラエル代表デビューしてバルセロナに戻ってきた。大勢のイスラエルメディアが同行してのバルセロナ入りだった。そしてそのガイをペップ監督はフベニルAチームに送る。それまでバルサBでは絶対のスタメン選手だったガイであり、そのプレーぶりを取材に来ていたイスラエルメディアはビックリしてしまう。
「1つでもいいからゴールを決めてこい。」
そうガイに言い渡すペップ監督。フベニルAチームでスタメン出場したガイは、2回のアシストと1ゴールを決め、翌週はペップチームに戻されている。選手にモチベーションと目標を与えると同時に厳しさを要求する。それがクライフから学んだことの一つであるようだ。

誰よりも早くやって来て、誰よりも遅くクラブ敷地内を離れるペップだから、フットボールを離れた世界でも、選手には厳格な規律を要求している。かつてライカーバルサの最初の3シーズンがそうであったように、彼もまたクラブ敷地内での携帯の使用を禁止している。もちろん、移動の際のバスの中でも携帯は持ち込めない。練習時間に1分でも遅れれば120ユーロの罰金。夜の12時には自宅に戻っていなければならない。もし、その時間を過ぎているところをクラブ関係者に見つかれば1500ユーロの罰金、2回目は3000ユーロ、そして3回目となるとチームから隔離されることになる。

今日も行く行く、ボッ、ボッ、ボクらはバルサ探偵団!次は最終回!


不透明な時代の到来(5)
(08/05/16)

非論理的であろうが無理矢理であろうが独善的であろうが、いや、何としても明るい材料を探して、今日も行く行く、ボッ、ボッ、ボクらはバルサ探偵団!

2007年6月21日、ペップ・グアルディオラはバルサBの監督に就任する。キケ・コスタス前監督は、前シーズンにバルサBを二部Bから三部へと落とした責任をとって、すでに辞任していた。そして、ペップが監督に就任した段階で、すでに第一コーチは決定されていた。ティト・ビラノバ、かつてバルサカンテラ組織でプレーした経験を持ち、サラゴサやテネリフェ、あるいはテラッサでプレーしたり指揮をとったりした経験を持つ、ペップが最も信頼を寄せる人物の一人。今シーズン多くの選手がバルサBに加入してきているが、すべてティトの推薦によるものだ。

この2人が中心となってプランニングされたプレステージ、あるいはシーズン中の練習内容は、昨シーズンのキケ・コスタス監督のそれとは大いに様子が違ったものとなる。4−3−3、あるいは3−4−3システムを好むペップ監督は、このシステムをすべての選手の体に染みこませるために、午前と午後の1日2回の練習プログラムを実践していく。それはプレステージから始まり、2007年の暮れまでほぼ毎日続く。シーズン中におこなわれている1日2回の練習は、基本的に午前は合同練習、午後は個人別の練習メニューとなっている。その個人別のメニューの内容は、週末に対戦する相手の戦い方に沿っての実践練習と言って良い。例えば、相手の左エストレーモA選手のプレー特徴を研究した上で、バルサのB右ラテラル選手はどのような動きをしなければならないか、あるいは同時に右セントラルの選手はどのような動きをしなければならないか、各ポジションでも同じような個人別メニューの練習がおこなわれることになる。これはモウリーニョスタイルと表現しても良い。

それでは、週末相手の基本的な戦い方をどのように研究しているのか、それはビデオ作戦が基本となる。

ルイス・ラインスという、ロブソン・モウリーニョ時代からビデオ専門家としてバルサで働いている人がいる。バルサの試合や対戦相手の試合をビデオに撮るだけではなく、コーチ陣を前にしてその分析までおこなう専門家だ。この世界ではパイオニア的存在として知られている人物でもあるらしい。その彼が、今シーズンはほとんどバルサBのために働いている。その一つの理由として、ライカーバルサでは、ここ2、3年、対戦相手チームのビデオ研究を彼に要求することが少なくなったこと、そしてもう一つは、ペップチームがこのビデオ研究を試合前の最も大事な仕事の一つとしてとらえたからだ。毎週月曜日、ペップスタッフはすべての選手を集めて前回の試合のビデオを見ながら反省会をおこなう。そして火曜日は、週末対戦相手の試合内容をビデオを見ながら、コーチングスタッフのみによって研究される日となる。朝9時に練習場にやって来たペップスタッフたちが、帰路につくのは夜9時ということも希ではないようだ。

ライカーバルサの5年間、個人的にも何十回と生で、あるいはテレビ画面を通して練習風景を見てきている。もしこの5年間、例えわずかな回数であれ、その練習風景に付き合ってきた人がいたなら、ここ2年の練習内容が過去のそれと比べて、明らかに密度が落ちてきていることに気がつくはずだ。いくつかのタイトル獲得と成功で満腹状態となったのは何も選手だけではなく、コーチングスタッフにしても同じだ。5年間という、慣れももちろん影響しているだろう。いずれにしても、まるで事務員が机の書類を機械的に処理していくように、ライカーを筆頭とするコーチングスタッフも、お決まりの約束事を淡々と済ましていく風景がよく見られることになる。ある日、ライカーバルサの練習に、ペップバルサの選手が大勢参加しておこなわれたことがある。この練習風景を20分ほどテレビ画面を通して見る機会に恵まれた。せっかくだからということかどうか、ペップも一緒に練習の指揮をとっている。ライカーはいつものように腕を組みながら、横にいるニースケンスと何かしゃべっている。エウセビオは新聞を読んでいる。ペップはというと、ああ、懐かしい、病気で倒れる前のクライフのようというか、第一次時代のバンガールのようというか、ジェスチャーオーバーに選手たちに対し指示を与え、あっちへ行ったりこっちへ来たりしながら、エネルギーを爆発させている。ライカーバルサの選手たちにとって、刺激的な練習であったことは予想できる。

さらにインパクトが強くなってきたぞ。ペップ新監督に大いなる期待が寄せられるように、そしてこの暗いトンネルの先に蛍の光程度の明りでもいいから見えるように、今日も行く行く、ボッ、ボッ、ボクらはバルサ探偵団!さあ、次も頑張ってみよう。


不透明な時代の到来(4)
(08/05/15)

非論理的であろうが無理矢理であろうが独善的であろうが、いや、何としても明るい材料を探して、今日も行く行く、ボッ、ボッ、ボクらはバルサ探偵団!

1999−00シーズン、バルサはチャンピオンズ準々決勝でチェルシーと対戦している。イングランドでの試合で3−1と敗北した後、カンプノウにチェルシーを迎えるバルサ。この試合前に選手を代表してペップ・グアルディオラが記者会見場に姿をあらわしている。2点差をひっくり返さなければならないこの難しい試合を前にして、バルサはいかに戦わなければならないか、そういう質問がペップに投げかけられる。
「試合開始1分から、彼らには自陣グラウンドから先に進めないという脱力感を持たせること。我々の目的は常に相手陣内でボールを走らせることであり、審判の笛が吹かれた瞬間からその目的に沿ってプレーしていくこと。そして時間の経過と共に、このスタジアムでは勝利の可能性が一切ないということを、彼らに悟らせるようにしなければならない。」
この試合を覚えている人も多いだろうが、リバルド、フィーゴ、クルイベルなどのゴールにより5−1というスコアーでバルサは勝利し、準決勝へと進むことを可能とした。

だが、ここで触れるのは試合そのものではなく、試合前のこのペップの発言だ。その内容は、明らかに選手の発言と言うよりは監督のそれと言える。このシーズン前から何かと負傷が続くことが多く、シーズンを通しての大活躍はしていない。そして翌シーズンとなる2000−01シーズンにはバルサを離れることを決意するペップ・グアルディオラ。
「バルサで育ち、ここで一人前の選手となり現在に至っているが、自分はバルサという文化しか知らないことに気がついた。いつの日か最終的にユニフォームを脱ぐ前に、是非とも他の国の文化を知っておきたいと思う。」
こんな感じの表現でクラブを去っていった彼だが、ひょっとしたらこの段階から監督としての修行を積む覚悟だったのかも知れない。これまで経験したことのない他のフットボール文化に直接触れることにより、広い意味でのフットボールが学べる、そう考えていたのかも知れない。

カルロ・マゾーネ、ペップを受け入れたイタリアの最初のチームであるブレシアの監督をしていた彼は、今ではすでに71歳となり、フットボールの世界から足を洗っている。その彼がペップがバルサの新監督就任というニュースに関してコメントしている。
「彼はうまくやっていくだろうと信じている。その点に関しては何の疑いもない。私が率いてきたチームの中にあって、誰よりもカリスマ性を持っていた選手であり、そして強烈なパーソナリティーをグランドの中で発揮してくれた選手でもある。彼はすでにブレシアでプレーしている頃から、監督の一人であったと言っていい。ベンチで指揮をとる私の代わりに、グランドの中で指揮をとっていたのは彼なのだから。」
ルカ・トニー、ロベルト・バッジオ、マルゥサレン、当時このような選手がプレーしていたブレシアの中で“ゴッドファーザー”となっていたのはペップだと語る。

ナンドローナ問題が発生したため、カルッチオで2年間しかプレーしていない。だが、それでも多くを学ぶことが可能となった期間だったと語るマゾーネ。
「クライフ文化を体の中に染みこませていたペップが、更に成長するには、カルッチオ文化を通過する必要があったのだろうと思う。わずか2年間という短い経験ながら、戦術という、彼にとって未知の文化を学ぶことができただろう。ポセシオン(ボール支配)に代表されるクライフ文化に加え、戦術的なフットボールの何たるかをしっかりと学んで、カルッチオを卒業していった。そういう意味で、彼がバルサで展開するフットボールは、非常に興味深いものがあるだろうと思う。」

多くのバルセロニスタが危惧するのは、監督としての未経験さであることは間違いない。監督ライセンスを取得してからわずか2年、そしてペップの監督経歴は三部リーグでの1シーズンのみとなっている。
「果たしてライカーがバルサの監督に就任したときに、人々に誇れるような監督経験があっただろうか?確かにペップよりは監督生活は長かっただろう。だが、大きな違いは見つからない。ライカーはスペインリーグのことに詳しかったか?それは明らかにノーだ。その意味ではペップはライカーに優っている。何と言ってもバルサのカンテラ組織で育ち、そしてクライフチームでの長い選手生活を経験してきている。誰よりもスペインリーグの何たるかを知っている人物と言って良いだろう。私が彼に期待するのは、スペインリーグのプレー特徴を基本にし、カルッチオで学んだ戦術を駆使して戦うこと。そう、それともう一つ付け加えておくことがある。彼が学んだのは戦術だけではなく、フィジカルトレーニングの重要性ということも付け加えておかなければならない。合同練習とは別に、一人一人の選手に組み込まれたフィジカルトレーニングの内容に、誰よりも興味を示したのは彼だった。現場での経験が少ないのは確かだが、持っている知識の広さに関しては、すでにベテラン監督と言っても差し支えがないと思っている。」

だんだんインパクトが強くなってきたぞ。ペップ新監督に大いなる期待が寄せられるように、そしてこの暗いトンネルの先に蛍の光程度の明りでもいいから見えるように、今日も行く行く、ボッ、ボッ、ボクらはバルサ探偵団!次も頑張ってみよう。


不透明な時代の到来(3)
(08/05/14)

非論理的であろうが無理矢理であろうが独善的であろうが、いや、何としても明るい材料を探して、今日も行く行く、ボッ、ボッ、ボクらはバルサ探偵団!

日本に住む知人が送ってきてくれた“FCB OFFICIAL vol.1”という日本語で書かれたバルサの本を何気なくパラパラとやっていたら、最後のほうに“Why UNICEF?”というコーナーがあり、アルフォンソ・グダール副会長がインタビュー形式でその疑問に答えていた。そのまま書き連ねると少々長いことになるでの、彼の語る主旨を曲げることなく簡潔にまとめると次のようになる。
「私たちは本当に強いチームを作って結果を出し、同時に社会的な活動をおこなうことで国際的なクラブ、つまり“クラブ以上の存在”にしようと考えたのです。この目標に向かって私たちは様々なプロジェクトを進めてきましたが、我々の目標とする“栄光のサイクル”の締めともなるのがユニセフとの契約です。胸に大企業のロゴを入れて資金を稼げばクラブの財政は潤いますが、それをあえて逆に行くことでバルサらしい理念を強調できると考えたのです。」
まだ40歳強という年齢のグダールだから、ボケるという年齢ではない。クラブの副会長がソシオに向かって嘘をつくということもないだろう。したがって、この発言は記憶違いか、あるいは単なる勘違いとなる。

ラポルタ理事会誕生後の初のソシオ審議会において、クラブ史上初の“ユニ汚し”が可決されている。ガスパー異常理事会のおこなってきたクラブ金庫空っぽ作戦のおかげで、財政的な問題を抱えていたラポルタ理事会が、この“ユニ汚し”の提案をした理由はひたすら経済的問題からであり、クラブ財政を立て直す一環としてのものだった。そしてわずか300人強のソシオによって、その歴史的提案が認可されることになる。スポンサー候補として最初に登場したのが“bwin”というネット賭け屋企業。半年、1年と交渉が続くものの、ソシオの反対の声が強かったせいもあり、このスポンサー候補はいつの間にか消えていくことになった。そして最大候補として登場したのが“北京2008”だった。バルサの中国への進出も可能となることもあるし、一企業ではなく州組織、あるいは国組織をとおしてのロゴであり、当初はユニークな発想だという評価さえあらわれた。だが、クラブ理事会内のゴタゴタが原因となって交渉は見事に失敗し、この最大スポンサー候補も消えてしまう。(ちなみに、今シーズンのバルサのユニに“北京2008”というロゴがついていたとしたら、ここ最近のニュースを見る限り、ある意味、笑いものとなっていだだろう)。そして、2年間強にわたり必死の思いでスポンサー探しをしていたラポルタ理事会が、ほんのちょっとしたことがきっかけとなり、UNICEFのロゴをユニフォームの胸に入れることになる。その最大の狙いは、クラブ金庫番ソリアーノが語っているように、クラブの社会的イメージを良くすることで、テレビ放映権料や各企業スポンサー料が値上がりし、間接的な意味での収入が増えるということだった。

“bwin”という第一候補、“北京2008”という第二候補、それぞれの獲得にそれぞれの理由で候補を取り下げ、ようやく第三候補としてあわられたものを獲得して、それなりの成功を収めつつあるラポルタ理事会。そしてよく考えてみると、この理事会の成功の特徴の一つは常に第一候補に逃げられ、第二あるいは第三候補を獲得することによって結果的に成功を収めるところにあるようだ。

ラポルタが会長戦に打って出るにあたって、そのお約束目玉スローガンはベッカムの獲得にあった。選挙日何日か前にベッカム獲得お約束宣言をすることによって、彼への投票数が増えたことは否定できない事実。だが、第一候補であったベッカムはラ、ポルタが会長となってもクラブへはやって来なかった。彼の変わりに最初に入団してきたのはルストゥだったというジョークはどうでも良いとして、最終的に目玉商品がロナルディーニョとなることで、バルサの復活が可能となる。ロナルディーニョが第二候補だったか、あるいは第三候補だったか、遙か彼方の昔のことのようで記憶にない。

フラン・ライカーにしても同じだ。ラポルタ・チキ・クライフお笑いトリオがアイデアした監督第一候補はグース・ヒディングだった。そして第二候補はロナルド・クーマンだったと記憶する。だが、2人ともバルサには来ない。クラブがかなり否定的状況であることや、経済的にも魅力的なオファーとならなかったからだ。そしてやって来てくれたのはフラン・ライカー。オランダで指揮していたクラブを二部カテゴリーに落とし、監督履歴書には黄金文字で書かれていることがまったくない人物。100万ユーロという格安の年俸オファーにもかかわらず、彼としてはビッグクラブで指揮をとる絶好のチャンスとなった。そして、この監督第三候補の最初の3年間の素晴らしい活躍は、今さら語る必要はない。

マーク・イングラ、そしてチキ・ベギリスタインの2人は、今年に入ってからすぐにモウリーニョ獲得に動いている。モウリーニョとの接触は、彼の代理人と共にイングラ・チキとも認めている。彼らにとって第一候補は明らかにモウリーニョだったと言っていい。そして第一候補との接触と時期を同じくして、第二候補であったラウドゥルップ近辺にも接触している。つまり、ペップ監督就任案は第三、あるいは第四のものだったのだろう。

う〜ん、これだけではまだインパクトが少ない。ペップ新監督に大いなる期待が寄せられるように、そしてこの暗いトンネルの先に蛍の光程度の明りでもいいから見えるように、今日も行く行く、ボッ、ボッ、ボクらはバルサ探偵団!はもう少し頑張ってみよう。


不透明な時代の到来(2)
(08/05/11)

最大の過ちを犯す可能性、それはもちろんモウリーニョ獲得を躊躇したことに始まる。どこのクラブにも属さずフリーの身となっており、誰よりもタイトル獲得を可能としてくれる香りが漂う監督であり、ライカーとはまったく違うキャラクターを持っているうえに、過去のサイクルを断ち切ることを可能とする人物であり、そして何よりも、他のどのクラブよりもバルサで指揮をとることを当人が望んでいたこと。かつてオポルトで、あるいはチェルシーで、それぞれのクラブで実績を積んできたモウリーニョが、両手を広げて待ち続けているというのに、その人物を獲得しなかったというのは信じられないことだ。新たなサイクルを目指すというラポルタ一味にとって、これほどの好条件をそろえた監督は他にいなかっただろう。

だが、彼らは最終的にペップを選んだ。モウリーニョが来たら自らの地位が怪しくなるとチキが恐れたからか、あるいは影のご意見番クライフが首をたてにふらなかったからか、あるいは第三者には想像できない理由があったのか。いやいや、もうそんな理由なんかどうでも良い気がしてきた。モウリーニョではなくペップが監督に就任する、その事実だけで良い。その意味するものだけが重要となる。そしてその意味するもの、それはライカーバルサの延長線としてペップバルサが誕生するということだろう。少なくてもチキとラポルタにとってはそういう意味合いでのペップ抜擢となる。

多くのバルセロニスタが望んだ“新たなサイクル”は、これまでのライカーバルサの持っていた否定的な部分を反省総括し、その部分を葬ることによりスタートするべきものだった。否定的な部分、それはすでに満腹状態となってしまったクラック選手が、やりたい放題の行動をとっていたことであり、それを許してしまったコーチ陣であり、さらにそのコーチ陣の指揮ぶりを見てみないふりをしてきた背広組の行動にある。三部リーグという仕事場所で、将来を夢見る若手選手を指揮してきたペップとその仲間に、億万長者でわがままで、俺が俺がという自己主張の固まりのような選手たちを、果たして把握・掌握することが可能なのだろうか、という単純な疑問も当然ながら誕生してくる。もちろん、その疑問に答えてくれる人はいない。ペップ・グアルディオラには、まだビッグチームでの監督経験はおろか、一部リーグに属するチームでの指揮もとったことがないのだから。

2003年バルサ会長選挙。この会長選挙に出馬し、本命候補とまで予想されていたバサット氏が掲げたスポーツ・ディレクターは、ペップ・グアルディオラだった。そのペップが指名した監督の名はホアンマ・リージョと言う。かつてテネリフェやオビエド、あるいはサラゴサやサラマンカというクラブで監督を務め、どこのクラブでもことごとくシーズン途中でベンチから姿を消すことを得意とする監督だった。ひたすら攻撃的フットボールを目指しながらも、一番大事な結果がついてこないことも特徴としていた。だが、現場指揮者としての才能はともかく解説者としてしゃべらせると、まるで水を得た魚のように洒落た表現を駆使しながら、理論的に試合分析するのがうまい人だった。そんなホアンマ・リージョを人々は“ファンタジスタ”と呼ぶようになる。ひたすら攻撃的でスペクタクルなフットボールを展開することをフィロソフィーとしながらも、シーズンが終わる頃にはすでにベンチから姿を消している“ファンタジー”な監督。来シーズンから新監督となるペップは、そのホアンマ・リージョをヘッドコーチとして考えているようだ。このアイデアがまたバルセロニスタを落ち込ませる。バサットのスポーツ・ディレクターとして、獲得希望選手にリエラやルーケ、あるいはアルベルダの名をあげ、さらに目玉商品としてエメルソンを使命した時と同じように、バルセロニスタを落ち込ませてくれる。

モウリーニョを取り逃がしたことはいまだに信じられないが、いい加減信じないとファンタジスタになってしまうし、いつまでも落ち込んでばかりいてもしかたがないと言えばしかたがない。いかに不透明な時代がやって来ようとも、何かしら希望のタネとなるものは必ずあるはずだ。非論理的であろうが無理矢理であろうが独善的であろうが、いや、何としても明るい材料を探して、今日も行く行くボッ、ボッ、ボクらはバルサ探偵団!


不透明な時代の到来(1)
(08/05/10)

「今シーズン終了をもってフラン・ライカー監督の解任をおこない、来シーズンからはペップ・グアルディオラが新たに指揮をとることになった。ライカー監督がこの5年間バルサに貢献してくれたことに感謝するものの、フットボールの世界は結果が第一となるのは致し方ないこと。2シーズン連続無冠となった責任は監督と選手にあり、新たなサイクルを創造していかなければならない時期が来た。」
クライフ時代に見た5−0という史上最悪のクラシコをさえ上回った超史上最悪の“90分間のパシージョ試合”の翌日、ラポルタは記者会見を開いてこう語っている。

これまで何回か、ラポルタの記者会見をテレビ画面をとおして見てきている。フラン・ライカーの入団記者会見、ロナルディーニョ入団記者会見、サンドロ・ルセー追放発表記者会見、これらの記者会見での特徴は、記者席の最前列にほぼすべての理事会員が顔をそろえて座っていたことだ。少ないときで10人前後、多いときでは20人近い背広組が最前列に場所をとり、ラポルタの一つ一つの発言にまるで“異議なし!”と叫ぶような雰囲気で座っていた。だが、今回の記者会見で見られた風景は、これまでのそれとはまったく違うものだ。記者席最前列に陣取るのはわずか4人の関係者だけという奇妙な風景だった。チキ・ベギリスタイン、マーク・イングラ、アルフォンス・グダール、そしてジョアン・フランケッサ。わずかこの4人だけが顔を見せ、これまで常連だった副会長アルベルト・ビセンスやフェラン・ソリアーノを始め、ラポルタ内閣の大物であるジャウメ・フェレールやチャビエル・カンブラといったところの不在が奇妙にうつる記者会見となっている。
「この決断はクラブ理事会の総意に基づくものだ。」
そう付け加えるラポルタだが、それが嘘であることをこの風景が語っている。少なくともこれまで表面的に団結を誇っていたラポルタ内閣に、どの程度のものかは予想できないものの、ヒビできたことは間違いない。

すでにライカー追放・ペップ就任の噂はマンチェスター戦を前にして、ラポルタ御用新聞エスポーツ紙を通じて流されている。クラブ側が流した情報であることは明らかだが、再びそのたれ流し情報が、クラシコ前に御用新聞を通じて流されることになる。果たしてライカーは何を思っただろうか。ペップは何を思っただろうか。ライカーバルサにとって重要な試合を前にして、そしてペップバルサにとっても重要な試合を前にしての情報たれ流し事件。ライカーにしてもペップにしても納得のいくものでなかったことだけは確かだ。そしてリーグ戦を2試合残したライカー監督、日曜日には首位を決定づける大事な試合を前にしているペップ監督、その2人の立場をまったく無視した今回のラポルタ記者会見。なにゆえシーズンが終了するまで待てなかったのか。それは誰もが持つ疑問だ。その疑問を解く一つの鍵はラポルタの発言の中に見られるかも知れない。彼はこう語っている。
「2シーズン連続無冠となった責任は監督と選手にある。」
そう、この2年間の絶望的な状況を作った原因は、ひたすら監督と選手にあり、我々背広組には無関係なことだ、まるでそう語っているようなラポルタの発言。彼らはあくまでも無実であり、悪いヤツらは早急に切らなければならない。怒り狂っているバルセロニスタに少しでも明るい明日が迎えられるように・・・。

リーグ最終戦となるムルシアとの戦いを終えて、そこで初めてラポルタはライカー更迭を伝えるべきだった。これまでバルサで指揮をとったすべての監督と同じように、良いところもあれば悪いところも当然ながらあったライカーだが、そのジェントルマンとしての姿勢だけは、これまで見てきたすべての監督のそれを遙かに超えていた。一度足りとしてクラブ理事会はもちろん、選手たちに対する批判の声をあげたことがない。自らのミスを認めたことはあっても選手のミスを批判したことはない。クラブに、選手に、そしてファンにあくまでも忠実であったライカーに、限りなき感謝の言葉を贈りながら“グラシアス!アディオス!スエルテ!”とするのはシーズンが終わってからでも決して遅くなかったし、それがクラブにつくした人に対する礼儀だっただろう。だが、すでにその言葉は空中に放たれてしまった。

2008−09シーズン、5年間のライカーバルサが終止符を打ち、新たにペップ・グアルディオーラ監督指揮によるペップバルサが誕生する。バルサにとって、そしてラポルタ政権にとって、最大の過ちを犯す可能性を秘めた第一歩のシーズンが始まる。


アディオス!
(08/05/02)

■ライカーバルサの終焉
バルセロニスタの心を見事に打ち砕いてくれた昨シーズン終了後、その主犯となったライカー監督を筆頭として、共犯者であるロナルディーニョやデコ、あるいはマルケスに“再びチャンスを!”という一部バルセロニスタの優しい心遣いは、まったくもって裏切られてしまった。彼らのボスであるラポルタやチキが約束した“内部規律の徹底”というアメ玉につられてしまったのもいけなかった。
“最初に欺されたときには欺した方が悪いが、二度同じ欺しにあったときには欺された方に罪がある”
どこかの国の格言にこんな感じのがあったが、そう、人間、二度も同じ過ちを犯してはいけない。

大昔のことはさておき、少なくともこの目で見てきたテリー・ベナブレス監督時代から現在に至るまでのバルサの歴史にあって、ライカーバルサは最高レベルの選手を擁したチームだったと言って良い。クライフバルサなどと比べてもより素晴らしい選手がそろっていたロブソン監督時代(ローラン・ブラン、アベラルド、コウト、ナダル、チャッピ、セルジ、ポペスク、ペップ、イバン、アモール、セラーデス、ルイス・エンリケ、バケロ、ストイチコフ、フィーゴ、ロナウド、エトセトラ、エトセトラ)に優ることはあっても劣ることはないだろう。だが、残念ながらかなり予想よりも早く、このライカーバルサのサイクルは終焉してしまった。それでも、クラブ史にゴシック文字で残るであろうフラン・ライカー元監督。フットボールチームの指揮官として最も肝心なその監督としての才能があったかどうかは別として、どこまでもジェントルマンであり、第三者に対しての不満や批判をすることが一度足りとして見られなかった監督であり、これほど親近感が感じられるイメージをもった監督も珍しい。この5年間で、およそ100回以上(つまり2千分間以上)拝見してきたライカー監督の記者会見の様子から、それなりに彼の人柄を個人的に理解したつもりでいる。彼としては二度目のチャンピオンズを手に入れて辞任するつもりでいたのだろうと思う。それが可能とならなかったことは、ファンの一人として非常に残念ではある。もちろん、すでに倒れてしまった指揮官に対し、ツバを吐くような真似をする気にはなれない。ひたすら良い思い出だけを胸にしまい込んで、ご苦労さん、ありがとう、お元気で、それではお幸せに、と礼儀正しくお別れしておこう。

■ラポルタの延命工作
ライカーバルサの終焉は、すでに1年近くも前から、その可能性についてこのコーナーで触れてきている。それは多くのバルセロニスタが感じてきたことであり、チャンピオンズの敗退という事実がそれを決定的にしたに過ぎない。いつかは目の前に訪れることであったし、考えてみれば今さら大騒ぎするほどのものでもない。一つのサイクルの終焉。かつてレアル・マドリにそれが訪れたように、今またバルサに訪れ、そして何年か後には再びレアル・マドリに訪れ、そしてバルサにもやって来る。物価が上がったり下がったり、株価が上昇したり下降したり、ユーロが上がったり下がったり、乾期が続いたと思ったら雨期が続き始めたというように、今フットボールの世界ではバルサが“下降”する時期が訪れたに過ぎない。ただ、それでも、一人のバルセロニスタとして、この状況が言葉では表せられないほど悔しいことには変わりがない。

現実的な“下降’傾向が誰の目にも明らかに始まってしまった現在、それに対し腕を組んで何もしないで見守っているほどラポルタはバカではないはずだ。すでにバルサファミリーの間では市民戦争が始まっている事実を前にして、その戦争を勃発させた最高責任者であるクラブ会長が黙っているわけがない。沈黙を守ることは、座り心地の良かったパルコ席の真ん中にある彼の指定席の権利そのものを脅かすことになるだろうし、現実的に彼に対する糾弾は始まってしまっている。攻撃は最大の防御なり。したがってラポルタは攻撃にでることになる。新たなサイクルの始まり宣言をもって、バルセロニスタに希望を与えなければならないのだ。

多くのバルセロニスタはモウリーニョの到来を待っている。甘ったれた選手たちに渇を入れ、プロ精神に欠けた選手にそれの何たるかを教え、バルサのチームカラーの色を知らない選手たちをその色に染め、そしてすべての選手に日々の練習とはいかなるものとしなければならないかを、具体的に体に覚え込ませるであろうモウリーニョの監督就任を願っている。ラポルタ一味が画策していると言われるペップ監督就任案というのは、まるで冗談のようなラウドゥルップ監督就任案より少しはマシな香りがするものの、個人的にはまったくもって魅力を感じない。ペップの監督就任はラポルタ・クライフ支配の継続という意味ともとれるし、同時にライカー監督時代の継承としてもとられることになる。

モウリーニョがかつて住んでいたシッチェスの家に、イングランド系のトラックがやってきて引っ越しをしていたという噂。シッチェスにあるイングランド系スクールに彼の息子の入学手続きがすでにおこなわれているという噂。どちらも本当であることを願うと共に、もし彼がダメならクーマンが良い。1にモウリーニョ、2、3がなくて4にクーマン、そして5も6もなくて7ぐらいにペップ。モウリーニョかペップかという一つの問題を理想的に解明するなら、モウリーニョ監督、ペップコーチだ。いっそのこと2人ともとってしまえ!

■ついでにクラシコ
何らかのタイトルを獲得決定したチームにとって優勝後最初となる試合前、対戦相手のチームが優勝チームより先にでて“パシージョ(トンネル)”を両脇に作り、タイトル獲得を讃えることがある。“讃えることがある”としたのは、それが対戦相手チームの義務でも何でもなく、あくまでも一つの慣習に過ぎないからだ。かつてバルサがクラブ史上初のコパ・デ・ヨーロッパを獲得し、その後の最初の試合となったエスパニョール戦で、当時監督だったクレメンテは、その“パシージョ”をすることを拒否したことは今でも覚えている。そして、そういうことは過去にも決して例がないわけではない。

ベルナベウで“パシージョ”を作ることはバルサにとって最大の屈辱行為である。特に各選手、ファンにとってはこれほどの屈辱はない。しかも義務ではないわけだから、中央メディアからの批判など気にせず、そんなことをしなくても良いという意見もある。だが、個人的には是非とも“パシージョ”をやって欲しい。自分なりにイメージした“パシージョ”を構成するメンバーは次のようなものとなる。
両側先頭にラポルタとライカーを配置する。ラポルタの後ろにはチキ、イングラ、ソリアーノと理事会組が列を作り、ライカーの後ろにはエウセビオ、ニースケンス、そしてロナルディーニョ、デコ、マルケスなどを配置すれば良いだろう。マドリディスタにとっても、バルセロニスタにとっても気持ちの良い“パシージョ”だ。

■ライカーバルサの終焉で喪に服す
今週末バレンシア戦と来週末マジョルカとのカンプノウ最終戦。マンチェスターとの試合では見事に“12番目の選手”としての役目を果たしたバルセロニスタが、これらの試合では対戦相手よりも恐ろしい対象となることは間違いない。試合前から監督や選手たちに対して野次や白いハンカチが振られ、そしてラポルタが席に着けば彼に対しての白いハンカチが振られるだろう。だが、そういうスペクタクルとは別として、実質上すでにシーズンが終了してしまった現在、話題となるのは放出選手や加入選手のこととなるのは間違いない。そういう話題に生き甲斐を感じる人々は、カタルーニャの2大パンフレット紙をのぞけば楽しめるだろうし、日本語で読みたければ、そういうことを紹介してくれるバルサビジネスサイトもあるだろう。個人的にも決して嫌いな話題ではないものの、残念ながらそういうことに付き合うほどのエネルギーもモチベーションもゼロ指針に近く、気分的にもライカーバルサの終焉という悲報に落ち込み、抜け殻状態となっている。ここは、多くの喜びを与えてくれた一つの時代の終焉に対し心から敬意を表して喪に服し、しばらくの間は沈黙を守ろう。その沈黙がやぶられるのが来週か、あるいは来シーズン開始前か、はたまた最大の戦犯であるラポルタがクラブから去るまで沈黙状態が続いてしまうか、それは神のみぞ知るところ。

というわけで、とりあえず、アディオス。
今シーズンもこのコーナーに付き合ってくれたバルセロニスタに感謝し、ビスカ・エル・バルサ!


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