2007年
2008年
4月

跳べ!
(08/04/29)

4月23日付マルカ紙のチャンピオンズ特集では次のようなタイトルが見られた。
“バルサよりスペイン人選手が多いリバプール”
実際にはリバプールには4人のスペイン人選手しかおらず、バルサには9人ものスペイン人選手がいるから正確さには欠ける。だが、このタイトルはチャンピオンズ準決勝第1ラウンドにおけるスタメン選手のことを言っているのだろう。23日はバルサがマンチェスターと試合をする日だから、彼らが勝手に予想したスタメン選手を想定にしてのタイトルに過ぎない。

そして4月27日付アス紙。
“チェルシー・マンチェスター戦は、両チームにとってフィジカル的に激烈な消耗戦となった。この結果、リバプールに決勝戦進出のチャンスが訪れる可能性が強くなった。”
そう、ここにはバルサのバの字も出てこない。

レアル・マドリがチャンピオンズの戦いからたたき出されて以来、スペイン中央紙によるリバプール優勝行け行けキャンペーンは日ごとに目立ってきている。逆を言えば、バルサにだけは優勝させたくないという思いが各コメントにあらわれ、レアル・マドリ以外のチームが優勝するのであれば、スペイン人選手の多いリバプールがヨロシイ、そういう発想だ。これがスペインの中央メディアが持つ体質であることは、これまでチャンピオンズの戦いでレアル・マドリが抜け、バルサが生き続けたシーズンに如実にあらわれている。中央メディアのマスコット、レアル・マドリの宿敵はあくまでもバルサだけであり、決してバレンシアなどは問題とはならない。したがって、かつてバレンシアが決勝に進出した年には、“スペイン代表バレンシア”の応援キャンペーンを張ることに躊躇はしない。が、バルサだけはダメだ。“スペイン”を代表するクラブがチャンピオンズに参加していない今、中央メディアが期待するのはスペイン人の多いリバプール。バルサ対リバプール、もしモスクワでの決勝戦がこのようなものとなれば、中央メディアにとってはカタルーニャ対スペインの戦いとなる。

だが、リバプールにしてもバルサにしても、モスクワへの道は遠い。あと一山越えればいいだけであるのに、その山を越えるのはとてつもなく険しいときている。そして4月25日の金曜日、ファーガソンはメディアを前にして次のように語っている。
「カンプノウにおける試合での0−0という結果は、最悪なものだと思い始めている。来週火曜日の試合は我々にとって非常に難しく、しかも危険な試合となるだろう。常に彼らよりも一つでも多くゴールを決めなければいけない試合となってしまった。カンプノウでゴールを決められなかったのは非常に痛い。」
険しいと感じているのは我らがバルサだけではなく、彼らとしても同じようだ。カンプノウの試合での“プレゼント”をありがたく頂戴し、そしてそれを有効にいかしたいバルサ。結果次第では、あのカンプノウでのマンチェスター戦は歴史的な試合として記憶されるかも知れない。その試合の生き証人となるかも知れないカシワハチバンやセニョリータ・ヨーダ、そして10万バルセロニスタのためにも、バルサ生き残るべし。だが、もし不幸にも生き残らないとしたら・・・・

昔々のお話。バルセロナはスペイン広場の近くにドッグレース場があった。1日に10回以上のレースがあり、馬券と同じように犬券を買うことができる。8匹くらいの犬がスタートラインに並び、彼らの10m前当たりには機械仕掛けのウサギちゃん人形が走るようになっていて、犬さんたちはそれを追いかけるように走り回る。このウサギちゃん人形が何かの理由で故障して止まってしまったりでもしたら、犬さんたちは目標を失いバラバラという感じでアッチコッチへと行ってしまう。したがって、ドッグレースには欠かせないウサギちゃん人形。

ウサギちゃんは我々にとてチャンピオンズであり、犬は我々バルセロニスタ。チャンピオンズというウサギちゃんが目の前にあり、もしそれがモスクワまで走り続けることになれば、一つの目標に向かって、それなりの平和がバルサファミリーを包み込む。だが、もしこのウサギちゃん消えてしまったとしたら、そりゃもう、我々犬さん共は黙っちゃあいない。ひたすらウサギちゃんに誘導され、どんなにひどい仕打ちにあってもここまで我慢してきた我々犬さん共は、目標となっていたものが目の前から消えた瞬間に一挙に爆発するだろう。

4月29日火曜日、今シーズン最も長く感じられるであろう90分の試合。ライカーバルサのサイクルを閉じる試合となるか、あるいは5月20日まで延命することになるか。バルセロニスタ人民反乱が今週から勃発することになるか、あるいは偽りの平和が来月後半まで続くことになるか、二つに一つの決戦中の決戦。いさ、勝負!

■ドーバー海峡をわたるカタルーニャ人民軍
バルデス、ピント、サンブロッタ、プジョー、トゥラン、ミリート、アビダル、シルビーニョ、ヤヤ、エドゥミルソン、デコ、チャビ、グジョンセン、イニエスタ、メッシー、アンリ、ボージャン、エトー


デポル決戦
(08/04/26)

リーガエスパニョーラを遙かに超え、今ではヨーロッパ最高峰リーグと褒め称えられているイングランドのプレミアリーグ。その最高峰のリーグ戦の首位を走るのは御存知マンチェスター・ユナイテッド。その彼らがチャンピオンズ準決勝の相手としたのは、不振にあえぎ続けリーグ戦3位にまで落ち込んでいるバルサ。当然のことながら、圧倒的優位という前評判を持って彼らはカンプノウにやって来た。だが、どうしたわけか、バルサに対しては不似合いなほどのレスペクト(尊敬心・尊重心)をも同時に持ち込み戦ってくれた。ボールを持つバルサの選手の前には常に8人、9人で構成される守備用大型バスを配置し、ボールを奪ったあともまともなパスは5回とつながらない。久しぶりのバルサらしい試合展開。それを可能としてくれたのは相手の過剰とも思えるレスペクトな姿勢。

今のバルサに対し、リーグ戦でこれほどのレスペクトを見せてくれるチームは存在しない。レクレだろうがベティスだろうがムルシアだろうが、そんな幻想はぬぐい去り堂々と勝負してくる。もちろん、長いあいだ監督をやっているロチーナ率いるデポルも例外とはならない。彼のことだからしっかりと守りを固めることは予想できるが、攻撃の姿勢を放棄することはあり得ない。かつてのバルサならいざ知らず、今のバルサ相手の試合では“がっぷり四つ”精神でじゅうぶん通用することを、スペインの監督なら誰でも知っていることだ。明日の夢を見させてくれたマンチェスター戦のあとは、厳しい現実を見せられることになるだろうデポル戦。

4月26日土曜日。マンチェスターはプレミアの行方を握る最終決戦となるチェルシーとの戦いが待っている。一方我らがバルサといえば、レアル・マドリのリーグ優勝決定を少しでも遅らせるためのポイント獲得が目的のデポル戦。お互いにとても比較できない重要性の違いがある今週末の試合。情けないっちゃあ情けないが、モスクワへの道を可能とする、一つのプラス材料としてとらえればチョイと気分が楽になると言うものだ。

とは言っても、リーグ戦は続いている。数字的に優勝が決まるまでは最後の最後まで戦い続けることが宿命となっているバルサだから、勝利に向けた最良メンバーを用意しなければならない。チャンピオンズの試合が目前に迫っているからといって、決して捨て試合などが存在することはあり得ない。カード制裁で出場できないイニエスタやミリートは別として、健康に留意しなければならない選手、フィジカル的にもメンタル的にも休養が必要な選手、そしてモチベーション不足の選手などをバルセロナに残し、リズムを取り戻すことが必要な選手と勝利に向けてのやる気満々の選手たちを起用して3ポイント獲得の目的を達成しよう。

ところで、ライカー邸進入泥棒事件に続き、ラポルタのパソコンがカンプノウ会長室に進入したコソ泥によって盗まれたらしいが、その中身を見てみたい。いやあ、是非とも見てみたい!

■デポル決戦に向けたバルサ招集メンバー
バルデス、ピント、サンブロッタ、オラゲル、プジョー、トゥラン、マルケス、アビダル、シルビーニョ、ヤヤ、エドゥミルソン、デコ、グジョンセン、エスケロ、ジョバニ、ボージャン、アンリ、そしてバルサBからペドロの18人。
(何でバリエンテを呼ばない?何でV.バスケスを呼ばない?何でV.サンチェスを呼ばない?何でセバージョスを呼ばない?そして何でヤヤを呼ぶ!?)


バモス、エンパテ!
(08/04/25)

カタルーニャパンフレット紙がキャンペーンを張るような“今シーズン最高の試合”という、おおげさに騒ぐほどの試合内容でもなければ、もちろん超理想的な結果でもない。それでも観戦している人々にとって“最も気分の良いエンパテ試合”となったのは、俗っぽい表現ながら、すべての選手から“やる気”というか、戦う姿勢がピンピンと伝わってきた90分間だったからだ。気分の良い90分間を過ごし、気分の良い帰路を経て、気分の良い会話を友人たちとおこない、気分の良い睡眠をとり、そして1日あけてフト思うことは、それじゃあなに故、今まで一試合としてこういう景色を見せてくれなかったのかという、気分の悪い自問でありました。

試合前日の火曜日、17時から20時近くまでマンチェスターとバルサの練習風景をテレビ観戦。特に印象に残ったのは、マンチェスターの選手たちがグラウンドにトコトコと出てきた瞬間、ほぼすべての選手たちがドデカイ観客席を見上げながら180度回転し、そしてグラウンドの広さに驚くかのように周囲を見回している風景。そう、現在のマンチェスターを構成するほとんどの選手にとって、カンプノウを訪れるのは初めてのことであり、普段プレーしているグラウンドとの大きな違いに戸惑っている、そんな風景だった。それは翌日の90分間の試合でも如実にあらわれている。各ラインは見事に分散し、プレッシャーをかけることもできなければ、ボールを奪うこともできない。もし、バルサが本格的なエストレーモ選手を抱えていれば、マンチェスターのセントラル選手たちはそれこそバラバラという状況になっていただろう。いずれにしても、相手ゴールと自陣ゴールを絶え間なく行ったり来たりする、あの密度の濃いイングランドフットボールは、カンプノウでは不可能なことと言って良い。

地の利を有しながらもゴールを決められなかった前半90分の戦いに続き、相手に地の利がある後半戦90分の超難しい試合。しかも、一度失った信頼関係を取り戻すのは容易なことではないから、再びこのようなバルサが見られるという保証は何一つとしてない。この試合をもって“蘇ったバルサ”などというメディアキャンペーンに踊らされるほど、バルセロニスタはバカでもない。ここ2年近く、何度も何度も同じように欺され続けてきたバルセロニスタ、選手やチームに対する100%の信頼感を取り戻すことは、“連続性”のみが可能とすること。たった一試合の内容だけで、デコやアンリが復帰してきたなどと誰も信用なんかしていない。とにかくバルセロニスタは怒り狂っておるのだ。

その怒りと平行して、明日に夢を見させてくれる0−0という試合結果。敵地で相手と同じゴール数を決めれば、引き分けならぬ勝利!となるバルサだ。ライカー監督得意とするエンパテ作戦、それで良し。

コメントを読む(0)


カンプノウ最終戦
(08/04/23)

カンプノウ観戦する今シーズン最終試合。クラブ側が、あるいはパンフレット紙が“ソシオのカンプノウ集合”を呼びかける必要のない今シーズン唯一の試合バルサーマンチェスター戦。

それこそ、幸運の女神が列をなしてやって来て、幸いにもクラブ史上三つ目のチャンピオンズカップがバルサ博物館に陳列されるようになろうとも、今シーズン限りでサヨナラとなることは間違いないライカー監督をはじめ、何人かの選手がバルサユニを着てプレーしている姿を見るのも最後の試合となる。そう、幸いにもチャンピオンズのタイトルをとることができたとしても、間違ってもライカー続投などという悲劇が起きてはならない。もちろんエスケロやロナルディーニョ、そしてデコ、マルケス、エドゥミルソン、サンブロッタ、トゥランという何人かの選手も、今シーズン限りでバルサのユニを脱ぐことになる。したがって、彼らの姿をこの目で見る最後の試合だ。グラシアス!アディオス!

“選手たち、ファンの人たち、すべてが一つになったとき力をうむ”
そう歌うバルサイムノ。かつて多くのドラマを生むことを可能とした“12番目の選手”としてのカンプノウ観衆が、この日、再び集まってくる。

現会長、現理事会、現監督、現コーチ陣、現選手たち、これらをすべて越えたところに、バルサというクラブを愛するバルセロニスタが存在するように、この試合に限ってはラポルティスタも、ルセイスタも、ロナルディニスタも、ボージャニスタも、エトニスタもなく、10万観衆すべてがバルセロニスタとして声をからすだろう。早くもリーガ制覇の夢を打ち砕き、我々バルセロニスタをおちょくってくれたクラブ会長や監督、そして選手たちに対する落とし前はモスクワ以降の楽しみとしてとっておけば良い。すべてのパワーをマンチェスター粉砕に!

お嬢さんチャビや病弱アンリはベンチに置き、ハードボイルドにこの11人!

だがライカースタッフが選ぶ11人スタメンは・・・

まあ、誰がでようと、
バァァァァァモォォォォォォォォォォォォォス、バァァァルサ!


マンUファンサイトからの抜粋
(08/04/21)

わずか2年前にヨーロッパチャンピオンとなっているバルサ相手の準決勝を前にして、これほど極端に、とてつもなく楽観的に、驚くほど単純に、我らがマンチェスターの優位さを語る人が多いのは異常なことだと言える。世界的な規模でのメディア的選手となっているロナルディーニョ、エトー、アンリ、デコ、メッシーなどを抱えたうえに、イニエスタを中心としてチャビやマルケス、サンブロッタ、アビダル、あるいはプジョーなどがチームを構成し、しかもチャンピオンズの試合ではまだ敗戦を知らないバルサ。その彼らはロナルディーニョ、メッシー、デコ、そしてマルケスという重要な選手を抜きにして準々決勝を戦い、1ゴールも許すことなく2勝しているチームでもある。もし我々がローマ相手に、ルニー、C.ロナルド、スコールス、フェルディナンドなどを抜きにして戦っていたとしたら、その結果は誰にも予想できないものだっただろう。そして幸運にも、今シーズンの我々は“それなりのチーム”としか対戦していない。グループ戦ではローマ、リスボン、ディナモが相手であり、!/8 ではリヨン、準々決勝では再びローマ、そう、我々はリバプールやチェルシー、ミランや、マドリ、そしてバルサなどというチームと対戦せずにここまで到達している。

スペインのメディアが伝えるところによれば、現在のバルサは決してかつてのバルサではないし、調子も褒められるようなものではないと言う。だが、去年のことを思い出してみよう。我々がミランと対戦したときも同じようなコメントがイタリアから流れてきていた。そしてミラン戦を前にして、我々を取り巻く環境は今と同じような楽観主義が蔓延していた。試合前にすでに勝利したような雰囲気に包まれていた。だが、突然のごとくカカという選手が試合を決めてしまった。そう、バルサにはカカはいない。だが、アンリがいて、エトーがいて、メッシーがいて、そしてイニエスタやボージャンがいる。ロナルディーニョが不在となることだけが、我々にとって幸いな状況だ。

いつもと同じ景色が我々を包んでいる。チャンピオンズの準々決勝、あるいは準決勝まで進むと必ずと言っていいほどの楽観主義が我々に訪れる。だが、いつも見られる光景は、肝心な試合での敗退、失敗に次ぐ失敗。あのカンプノウで戦われたバイエルン相手の決勝戦以来、我々は一度足りとして決勝戦に顔を出すことができない。

メディアが伝えるように確かにバルサは不調だとしよう。リーグ戦ではすでに優勝は難しい状況にもなっているようだ。それは言い換えれば、チャンピオンズだけが彼らのシーズンを救う戦いとなっていることになる。そして、そのチャンピオンズの試合に関してだけ言えば、決して悪い状況ではない。10試合戦って8勝2分け無敗であり、なんと地元カンプノウでの試合ではわずか1ゴールしか許していないチームでもある。ここ何年かのチャンピオンズで彼らが地元で敗戦したのはリバプールとの戦いのみとなっているし、我らがマンチェスターがカンプノウを訪れるとなると10万観衆が90分間にわたってチームを応援し続けるだろう。これでも我々が楽観主義でいられるというのだろうか?

同じ石に何回もつまずいてはいけない。同じ罠に何回もはまってはいけない。我々にとって優位な試合といかに前評判がたとうと、彼らもまた我々の優位さをいかに謳おうと、去年のミラン戦の二の舞を演じてはいけない。決してやさしい試合であるどころではなく、現在の我々にとって最悪の相手であることを認識しなければならない。ロナルディーニョはいない。だが、メッシー、エトー、アンリ、デコ、イニエスタ、チャビ、プジョー、マルケス、サンブロッタ、アビダル・・・これらの選手を抱えるチーム相手の試合であるのに、なにゆえ簡単な試合と予想できるのだろうか?

なんだ、そうだったのかぁ、ひょっとしたら勝てるかもしれないぞ、という気持ちにさせてくれるありがたいお言葉。うん、少し希望ができてきたぞ。

コメントを読む(0)


Liga de filiales
(08/04/20)

"Filial (フィリアル)"というのは、スペインフットボール用語で“二番目のチーム”を指す言葉。つまりバルサだったらバルサB、エスパニョールだったらエスパニョールBのことを意味する。そして来シーズンから、これらのBチーム同士が一つのリーグ戦を戦う可能性がでてきた。名付けて“Liga de filiales”。

各クラブBチームはそれぞれ二部リーグ、二部Bリーグ、あるいは三部リーグというカテゴリーに所属して、それぞれのリーグ戦をこれまで戦ってきている。そして今回その方式を廃止し、Bチームだけのリーグ戦を独自に設けようというアイデアが検討されようとしている。言ってみれば、プレミアなどが採用している方式だ。もっとも、このアイデアはスペインでもこれまでまったくなかったわけではない。今から6年前、当時オサスナのカンテラ組織の責任者だったヘスス・コレラ氏が、最初にこのアイデアを提案している。その理由は次のようなものだったという。
「二部Bカテゴリーに在籍しているオサスナBチームは、フベニルカテゴリーなどでプレーしている優秀な若手選手が入り込めない状況となっている。オサスナAチームにはまだ飛躍できない20代半ばの選手が何人もいてチームを構成しており、その中に将来を期待される若者選手が入り込む余地がなかなか見つからない。そこで、二部Bカテゴリーに在籍する80チームの状況はどうなっているのか調査してみた結果、他のほとんどのチームもそういう状況にぶつかっていることがわかった。例えば、23歳以下の選手が一試合にどれくらい出場しているか見てみたが、80チーム全体での平均プレー時間は14分にしか過ぎないことが証明されている。これでは若手育成という、本来Bチームが持つ基本姿勢をまっとうできないことになる。この悪状況を打開する方法は、年齢制限を設けた上で、フィリアル同士による独自のリーグ戦を作り上げることだろう。」

バルサ、レアル・マドリ、スポルティング・ヒホンやエスパニョール、オサスナ、レアル・ソシエダ、そして他の多くのクラブがここ半年間にわたって、このアイデアを検討してきたらしい。基本的なアイデアは、一部リーグに所属する20のクラブと二部リーグに所属する22のクラブのBチーム、つまり42チームがこのLiga de filialesに参加する権利を有することになる。現在一部リーグに所属するクラブのBチームが二部リーグでプレーしているのはセビージャのみとなっているが、そのセビージャはこの新案に沈黙を守っているという。もしこのアイデアが実行に移されるとすると、彼らのBチームは二部リーグから離れこの新たなリーグ戦に参加することになるが、それの良し悪しを検討しているのだろう。いずれにしてもこのアイデアの基本となるのは、42チームが独自のリーグ戦を戦おうということだ。

だが、こまかいことはまだ発表されていない。42チームがそれぞれホームアンドアウエー方式で戦えば年間82試合も戦うことになるから、当然ながらそれはあり得ない。一部リーグ所属のクラブと二部リーグ所属のクラブが、それぞれ別れて独自のリーグ戦を戦う方式が現実的となりそうだ。そしてその場合、Aチームの対戦カードがそのままBチームのそれとなり、しかも同じ日に試合開催しようというアイデアも発表されている。つまり、バルサ対レアル・マドリ戦がおこなわれる試合前に、Bチームによる同じカードがおこなわれることになる。

選手の年齢制限にしても流動的だ。21歳と主張するクラブがあれば23歳とするクラブもあるようだ。その年齢制限が何歳と決まろうと、一つの特例が設けられることにはすべてのクラブが一致しているという。それはAチームに所属しながらも負傷上がりの選手には特別に出場する権利を与えるということ。つまりAチームで出場する前に、Bチームでの試合出場によって不足しているリズム感などを取り戻すことが可能となるわけだ。

なかなか魅力的なアイデアだと思う。これまであまり見られなかったミニクラシコやミニダービー戦が観戦できることになる。22日の火曜日、スペインフットボール連盟の会合の中でこのアイデアが検討されることになったらしい。


アンリもまたフランス人であった
(08/04/19)

個人的に知っているフランス人しかり、これまでバルサに入団してきたフランス人選手しかり、一般的に彼らは不満を言ったり言い訳をするのが得意な人種だ。スペイン人も他の人種に比べれば決してその点では負けてはいないが、フランス人のそれには勝てない。ローラン・ブラン、ドゥガリ、クリスタンバール、ジュリーと、簡単に思い出すだけでも何人かのフランス人選手がバルサに入団してきているが、それぞれ各人に差があるとはいえ不満や言い訳の得意な人々だった。特にミランから入団してきたドゥガリは、試合に出場しようとしまいと何らかの不満を見つける不満大王だった。そしてアンリもまた典型的なフランス人選手の一人のようだ。

●2007年12月 フィジカル問題
それまで毎試合のように出場していたアンリが、ヘルニアが原因ということで12月に入ると一試合も出場していない。
「これまでも痛みが消えたことはなかったが、今月の最初には走ることが不可能なほどの激痛に見舞われてしまった。正直言って、バルサに来てからというもの、一度足りとも万全な体調のもとでプレーできたことがない。ファンの人々が自分に期待していたような活躍をしていないとするならば、それはフィジカル面の問題を抱えているからだ。この問題さえ解決すれば、アーセナル時代と同じような活躍をすることができると思う。」
チャンチャン!

●2008年2月 環境相違問題
ヘルニアの問題も一応解決し、1月には復帰してきたアンリ選手。ロナルディーニョが季節外れのミニステージをする中、それなりの活躍を見せ始めるがアーセナル時代の彼にはほど遠い状態が続く。
「長年プレーしてきたプレミアから、まったくスタイルの違うスペインリーグにやって来てとまどいを感じている。ロンドンからバルセロナという街に慣れる
ことや、食事や習慣、そして言葉の違いなどにも慣れるのに時間が必要だ。もちろんアーセナルとバルサというプレースタイルの違いに順応していくのにも、数多くの試合をこなして始めて可能となることだと思う。一言で言えば、今はあらゆる意味での環境の違いに戸惑っている感じだ。」
フムフム・・・

●2008年3月 私生活問題
バルサに入団してきてから半年がたった。以前と比べればスペイン語も流ちょうにしゃべるようになったし、バルセロナという街の水にも慣れてきている頃だ。だが、いかに環境にマッチしようとも、実は重大な私生活の問題を抱えていると言う。
「実は、この8か月の間にわずか5回しか娘に会う機会がなかった。娘を持つ一人の親としてこれほど悲しいことはない。バルセロナの水に合うようになろうと、バルサのシステムに慣れるようになっても、一人の父親として幸せな生活が送れていないことは否定できない状況だ。こういう悲しい現実が自分のプレーに影響を与えているのだと思う。」
ここ10年近く、スペインの経済は移民の人々の下層労働で支えられているという。そういう彼らと超エリートフットボール選手であるアンリを比較するのは無理があるかも知れない。だが、彼らの現実はアンリなんぞと比べものにならないほど厳しいものだ。自国に住む家族のために過酷な労働に耐え、子供たちには2年あるいは3年に1回しか会えない生活をおくりながら、自国に住む家族のために少ない給料から仕送りしている多くの移民たち。もし、イングランドに住む娘に会いたいのであれば、いつでもイングランドに戻ることが可能な幸せな人であることを忘れてはいけない。もっとも、こんなことを億万長者に言ってもしょうがないか・・・。

●2008年4月 ポジション問題
アンリ不満・言い訳の最新作、それは彼が起用されているポジションの問題だ。シャルケ戦終了間際にグジョンセンに代わってベンチに下がったときに、一部のファンから軽いブーイングがわき起こった。その試合後何日かして発売されたフランスのフットボール紙に、バルサでおかれている現状に対する不満を表明している。
「バルサでは白線を踏むような位置で、左エストレーモ選手としてプレーしている。長い間プレーしてきたアーセナルではデランテロ・セントロとしてプレーし、多くのゴールを決めてきた。だが、今の自分には無理な相談というものだ。60mもゴールから離れたポジションで、どうやってゴールを決めるというのだ。例え、ゴールチャンスが訪れても、60mも全力疾走をおこなったあとであるから、シュートそのものに威力がなくなっている。これまでの選手経験で、これほど走ることを要求されたことはない。本来の自分のポジションでないことで、いまだにとまどいがあることは否定できない。」

それにしても、ナンダカンダと言い訳があるもんだ。高額年俸三本指に入る選手に見合った活躍ができるように、フィジカル問題は毎試合痛み止めを打って試合に出場しているヤヤさんやミリートさんに、環境相違問題は奥さんがイタリアに帰ってしまっても頑張っているサンブロッタさんに、私生活問題はアッチコッチに子供を作ってもなかなか会う機会がないエトーさんに、そしてポジション問題は、もちろんイニエスタに説教してもらってはいかがかなものかいな。


バルサに水不足はなし
(08/04/17)

ここ2、3年、とにかく雨の日が少ない。去年も雨の日はあったことはあったが、非常におとなしい雨しか落ちてこず、雨量そのものが少なかった。年に何回か恐ろしいほどの大量の雨が短い時間内にガバッと落ちてくる、それがこれまで経験してきたスペインの雨の日。その大量の雨のせいで、バルセロナ市内の地下鉄が止まり、街は時たま停電状態となることも年に何回かあった。だが、このところおとなしい雨しか降っていない。と、そう思っていたら、スペイン各地の貯水池には貯水容量の半分以下の水しかなく、カタルーニャに至っては貯水池には三分の一程度の量しか残っていないという。バルセロナで初めて経験する水道使用制限というのが今年の夏にやって来るかも知れない。

すでにカタルーニャ州では、一般家庭に対していくつかの制限処置をとっている。その一つに、庭に水をまいてはいけないというものがあり、自宅の庭に植えてある植物などに水をやっているところを見つかると罰金となるらしい。庭なんぞないところに住んでいるからそんなことはどうでも良いが、それでも他人事ながら、バルサのフットボール施設などはいったいどうするのか、先日カンプノウに行ったときに、いつものことながら試合前に大量の水がまかれているのを見てそう思っていた。カンプノウだけではなく、ミニエスタディ、そしてカンテラ選手たちが使っている10面近くあるフットボール場。そして偶然に、"InfoEsports"というウエッブページがその疑問を解消してくれた。他のウエッブページにもたまたま触れられていたことを総合し要約すると次のようになる。

カタルーニャは1990年から1992年にかけて、やはり現在と同じような水不足を抱えていたらしい。そして将来にも必ずやって来るであろう水不足問題に備え、当時のクラブ会長ヌニェスは、クラブ財産管理最高責任者であったフランセスク・プリドに一つのことを提案したという。

「井戸を掘ろう!」

単純にして明快な発想。水源さえ持っていれば、水不足がやって来ようと困ることはあるまい。一流土建屋ヌニェスならではの発想であり、二流弁護士ラポルタにはこの発想は似合わない。クラブが所有する敷地内に井戸が作れるような大量の地下水が眠っているかどうか、フランセスク・プリドは敷地内を走り回るというか、掘りまくるというか、どのようにしたのか知らないものの、地下水を求めてモグラのごとく奔走する。そして執拗な調査の結果、クラブが所有する敷地内に巨大な水脈を発見する我らがインディアナ・ジョーンズ。この地下水を利用できるように、70mから120mの深さを誇る井戸を5つも作ることになる。そして、それだけで妥協することなく、地下に50万リッターもの水を貯蔵可能とするタンクを4つも作ってしまう。2008年現在、カンプノウ敷地内に一つ、ミニエスタディ敷地内に一つ、そしてカンテラ選手たちが使っているサン・ジョアン・デスピに三つの井戸があり、今もなお活用されているという。カンプノウでは芝への水まき用だけではなく、施設内のトイレにも利用されているらしい。ヌニェス元会長の素晴らしい発想のおかげで、バルサは水に困っていない。偉大なり、ヌニェス元会長!

したがって、カンプノウでの試合前には例年と同じような水まきがおこなわれている。芝を濡らしボールが早く走るように多量の水がまかれる。それにもかかわらず、残念ながらここ2年、ボールは理想的なスピードで走らない。ベンチで指揮を執る人の目のようにトロ〜ンとしか走らない。選手もかつてのようには走らない。だが、それはもちろん、ヌニェスの責任ではない。


2千万ユーロ?
(08/04/15)

その人が置かれている立場上、メディアの前に登場しておこなわれた発言そのものを100%信頼することができないことはよくある。例えば、クラブの会長が、バルサでいえばラポルタ会長がある選手を放出する計画がすでにあるにしても、決して4月の段階でそういうコメントをすることはできない。
「クラブとしては、この選手は売る気がありません」
いらないという選手に高いユーロを支払ってくれる買い取り人はいないだろうから、この発言は嘘であっても政治的には正しいものとなる。それはチキ・ベギリスタインの発言に関しても同じように考えないといけない。
「来シーズンから獲得を狙っている選手は誰ですか?」
「モッタとサビオラ」
こんなことを言ったとしたら、その選手の値段が急上昇してしまう。

ライカー監督にしても、彼らと同じような立場に置かれた人間となる。例え、二日酔い状態で練習にやって来た選手がいたとしても、あるいはマドリッドから朝一番の飛行機に乗って練習にやって来た疲労気味の選手がいたとしても、それはクラブ内、あるいはロッカールーム内でかたづけなければならない問題だ。したがってそれらの選手がなにゆえジムでの調整となったのかと聞かれても、本当の事は言えない。
「違和感があるから」
舌を出さないで平然とこう嘘をついたとしても、それは政治的に正しい発言となる。

精密検査をした結果、“負傷”というレッテルは貼れないとした医学的見解を信じるかどうかは人の自由であるし、“違和感”を感じていると語る選手を信じるかどうかも人の自由というものだ。医学的に見て負傷していなくても何らかの違和感を感じることはもちろんあるだろうし、今回もそのような例の一つだったのかも知れない。違和感を感じていたからこそ、その選手は合同練習に参加せず、独自の練習をすることを許可された。そしてある日、違和感がとれたからと合同練習に参加し、二日目の練習で負傷してしまった。これが、もし普通の選手であったなら、何の問題ともならないところだが、問題は、普通の選手ではなかったところにある。不可思議にも、今シーズンからバルサドクターにはメディアの前に出て発言することを禁じていたクラブだが、ドクター・プルーナ氏(こちらカピタン・バルサ医師白書2002/09/29参考)がつい先日記者会見を開いてそのタブーをやぶった。
「医者はあくまでも患者に対してはすべての報告を義務づけられているものの、第三者に対しては非公開を原則とするものである。」
と、前置きし、
「前回おこなった精密検査の報告は、100%の内容で患者に対してなされている。ただ、医学的に負傷状態となっていないにもかかわらず、患者が違和感を感じるというのはよくあること。したがって、患者自身が違和感を感じなくなったと報告してくるまで、合同練習には参加させないよう監督に報告してあった。そしてシャルケ戦の翌日の水曜日、患者が違和感を感じなくなったと言ってきたので、ライカー監督にその旨を報告し、その日から合同練習に参加するようになった。ところが彼にとって合同練習参加二日目となった木曜日、ミニゲームの最中にエドゥミルソンとぶつかり合い、練習後に痛みを訴えてきたので、翌日の金曜日に精密検査をすることにした。その結果、彼が違和感を感じていた箇所とは別のところに負傷箇所が発見され、全治6週間と診断された。」

ドクター・プルーナ氏の“患者に対する良心”は疑う余地のないものだろう。患者が負傷していれば具体的に負傷具合に関して説明するだろうし、リハビリ期間の間にも当然ながら医者としての忠告もおこなわれるだろう。弁護士が弁護する人の有利になることを追求するように、医者もまた受け持ち患者の利益になるために働く。全治6週間の負傷、つまり今シーズンはほぼ絶望という都合の良い期間が、クラブにとって、そして患者にとって最良のものとなるのであれば、クラブ、当人、ファンというすべての関係者がこの“負傷”を暗黙の了解事項として理解すれば済むことだ。

今週中にもミラン幹部が獲得交渉にやって来るという。2千万ユーロとか3千万ユーロとかの数字がメディアに登場してからずいぶんと時間がたっているが、個人的にはまったくこのニュースを信用していない。ベルルスコーニしかり、ガジアニしかり、そしてもちろん兄代理人しかり、こんなタヌキトリオの言うことはどうも信用できない。ミランが移籍料2千万ユーロも用意?いつからミランはこんな気前良いクラブになったのだろう?

コメントを読む(0)


サンジョルディまであと11日
(08/04/12)

毎度のことながら、動きもそれほど良くなく後半の半ばには疲労困憊というようにみえたアンリを91分にやっとお役御免とし、もっと早くベンチから出さなければいけなかったグジョンセンを時間つぶしのために登場させるという、お馴染みの不可思議ライカー采配なれど、ボージャンの交代に関しては的を射ていたものだと思っている。クラブご機嫌取りと同時にソシオ受けを狙うカタルーニャ2大パンフレット紙が、あの白ハンカチを持って“バルセロニスタは間違っていない!”といかに強調しようとも、あのライカー采配は正しい。ボージャンはまだ毎週のように2試合を乗り切る体力はない選手であり、アンリと同じように時間の経過と共にアップアップ状態となっていたのが明らかだった。前にも触れたように、一度ポケットから出された白ハンカチはなかなか再び元の場所に戻らないように、この瞬間にも白い花が咲くことになったが、そんなことは気にすることはない。ライカーを擁護する気はまったくないものの、こんなことを気にすることはない。

不思議な試合だった。もしいつもの自分の席に座っていなかったら、今見ている試合は本当にカンプノウでやっているのかと疑っていたに違いない。チャンピオンズの準々決勝の試合とはいえ、相手はシャルケという、なにゆえここまで来ることができたのかを疑いたくなるようなチーム。その相手に押し込まれているという風景が延々と続いているではないか。なんで?なんで?なんででしょう?

それにしても、ボージャンの学習能力の高さに驚かされる。これまで長いあいだ見てきたボージャンながら、右サイドを走り込んでいる姿は一度たりとも見たことがない。インファンティルカテゴリーからバルサBまで、一度たりともそんな風景を見たことがない。そんな彼でありながら、試合ごとにそれらしくなってきている。20センチは身長が高いと思われるドイツ人選手が作る壁の隙間を狙って、右サイドからセンターリングを打てるようにまで成長している。だが、個人的にはいまだに不自然さが残っている。右サイドから中に入ってきたときに、これまで見てきた彼なら間違いなくシュートするポジションでありながら、パスやセンターリングをしてしまうシーンが、このドイツ戦でも何回か見られた。ジョバニと比較すればそれがボージャンの良いところだとする人もいるようだが、個人的には彼にはシュートを放って欲しい。どんどん打つべし、隙間を見つけたならどんどん打つべし。相手選手にボールがぶつかろうが、それでも何回も挑戦し、ドンドン打つべし。

チャンピオンズ準決勝進出。こんなことは、しょっちゅうお目にかかれることではない。何百試合とカンプノウ観戦していても、チャンピオンズ準決勝など4、5回しか経験させてもらったことがない。ここまでの試合内容がどうであれ、クラブを取り巻く雰囲気がどうであれ、そして監督が誰であれ、そんなこととはまったく関係なく素晴らしいことだ。我らがバルサが準決勝進出、それだけでじゅうぶん。しかも相手はマンチェスターときている。初めましてルニーさん、初めましてC.ロナルドさん、初めましてテベスさん、初めてじゃないファーガソンさん。サンジョルディの日の試合、レシャック監督時代に訪れた“暗いサンジョルディの日”を思い出さないわけではないが、まあ、それは忘れてしまおう。ちなみに約50年のチャンピオンズ(旧コパ・デ・ヨーロッパ)の大会で10回も準決勝に進出しているというのは決して悪い数字ではない。5年に1回はこの準決勝に進んでいるという計算になる。

ところで、今週末にもリーガの試合があるらしい。相手はどこかと探したら、どうやらレクレというチームらしく、次がバルセロナダービー。アビダル、アンリ、ミリート、ヤヤ、ボージャンなどはこの2試合とも休養し、シルビーニョ、エドゥミルソン、トゥラン、グジョンセン、プジョー、チャビ、ジョバニ、メッシー、そしてバリエンテ、ガイなどの選手を起用すべし!

■レクレというチーム相手の招集選手
バルデス、ピント、サンブロッタ、プジョー、トゥラン、マルケス、ミリート、アビダル、シルビーニョ、ヤヤ、エドゥミルソン、チャビ、グジョンセン、ジョバニ、エスケロ、エトー、メッシー、そしてバルサBからV.バスケスの18人。アンリとボージャンが呼ばれなかったのは喜ばしいことながら、ヤヤやミリート、アビダルなどが招集されていることがチョイと気にくわない。レクレ戦に15分、エスパニョール戦に70分とメッシーを起用し、サンジョルディ決戦に備えるべし!


これを言っちゃあいけない
(08/04/10)

大事なチャンピオンズの試合を控えた約10時間前、例の“派手な背広取っ替え着大好き人間”にして、バルサ・エコノミーセクションの親分であるチャビエル・サラ・マルティンさんが、とんでもないスキャンダラスなことをラジオ番組でしゃべったのを聞いてしまった。
「負傷が原因として現在チームを離れている何人かの選手は、実は負傷が理由ではなく、クラブ側が一般の選手から隔離したものだ。」
現在負傷が理由でチームから離れている選手、それは半年病選手と、マンU戦出戻り選手と、全治6週間選手と、負傷の様子がよくわかならいあの選手、この4人しか思いつかない。

「ここ最近のラポルタは自らのビジネスと政治家になるための準備に精を出して、クラブのために何もしていないのではないか?」
こんな言葉だったかどうかは正確ではないものの、だいたいこんな感じでラポルタをチクチクと批判する雰囲気満々のラジオ番組の中、ラポルタ派の中心人物と言われているマルティンは反撃に出る。だが、前もって用意された理路整然とした反撃ではなく、無防備なラポルタ擁護作戦を展開してしまった。しかも、たき火状態のようにかわいかった火種にガソリンをかぶっかけるような、とんでもない火消し役を演じてしまった。

「ラポルタ会長がクラブのために何もしていないという批判は、まったくもって的を射ていないものだ。いいですか、我々の何人かの選手を見てみるがいい。練習には汗をかかない選手がおり、その練習そのものにも出てこない選手がいる。もう何週間も前から試合はおろか、練習にも参加してこない選手がいる。ラポルタが何もしていないって?彼はそういう選手をすでに真面目な選手たちから隔離しているではないか。チームのためを思って隔離しているではないか。彼らは負傷が原因ではなく、チームの雰囲気やチームそのものがうまくいくように、クラブ側から隔離された選手なのだ。」
まあ、だいたいこんな無鉄砲は感じの発言となる。

確かアメリカはハーバードかどっかの大学の教授であるマルティンだが、試合となるとカンプノウで彼の姿をよく見る。いったい週に何時間の講義を受け持っているのか知らないが、しょっちゅうカンプノウで姿を見る。したがって、クラブ事情に疎いということは間違ってもないだろう。彼の言葉はラポルタ理事会を構成している重要人物のものであり、そこら辺の通りすがりの人の無責任な発言とはならない。実名をあげない卑怯者発言ではあるものの、大部分の人々には、誰を指しているかは一目瞭然だ。

これではバルサ医師団の面子も何もあったものではない。バルサ医師団がどのようなものか知らないものの、ドクター・プルーナ氏にだけは個人的に100%の信頼感を持っている。果たしてこれから先、彼がどのような反撃にでるか楽しみではあるものの、今日はチャンピオンズなのだ。その大事な試合を前にして何をトチ狂ったかチャビエル・サラ・マルティン着せ替え人形。

早朝からグズグズした天気模様。試合中には雨降る可能性もありそうだが、今日は行くべし!マンチェスター戦に備えた前哨戦に何としてでも行くべし!
こんな背広組など地中海の向こう側に隔離し、バモス、バルサ!


ラポルタの正体発見
(08/04/09)

良く言えば超エネルギッシュであり、悪く言えば、まるでどこかの国の独裁者の空気が伝わってくるような演説。先週末、オスピタレで開催された“La Trobada Mundial de penas barcelonistas(バルサペーニャ世界大会)”で、各地区から集まってきた千人近くのペーニャの人々を前にして、我らが会長ラポルタが壮絶な演説をぶちかましている。
「クラブのためを思って批判しているというような偽善者共を信用してはいけない。彼らは決してバルセロニスタではないし、ましてソシオでもないのだ!あなた方の中で、私を欺そうと企んでいる人がいることを知っている。ソシオを欺そうと企んでいる人々がいることを知っている。だが、私もソシオもマヌケではない。我々を欺そうとしてもそれは無駄な行為となるだろう。今のチーム状態を見るが良い!リーグチャンピオンの可能性はまだじゅうぶんに残っているし、チャンピオンズではもうすぐ準決勝戦に挑戦する立場ではないか!決して一部の人々が語るような悪いチーム状態ではないのだ!」
2007年2月のビラフランカでおこなわれた“エトー爆弾発言”以来の、それはそれは常識を逸した発言内容もさることながら、内容そものよりその演説スタイルが超過激だった。普段の彼からは想像もできないような超攻撃的な語り口であり、個人的にも超ビックリの光景だった。

これまでいくつかの、バルサ会長としては相応しくない逸話を残しているラポルタ。例えば、バルセロナの空港でアーチ探知機に何回もピーピーピーピーと引っかかり、頭に血が上った彼がパンツ一丁になって、大勢の人の前で係員に怒鳴り声を上げて抗議したのは有名な話だ。あるいは、今から2か月前にもディアゴナル通りの人通りの多いところで、自分が乗っていたクラブ公用車の運転手を怒鳴り散らし、その運転手を車から追い出し自ら運転して去ってしまった風景も、また大勢のバルセロナ市民に目撃されている。だが、それらの風景はあくまでも目撃者によって語られたものに過ぎず、今回のような映像として彼の正体が確認されたことはなかった。どこまでも短気で頑固でエゴイストであり、ヒステリックで嘘つきで偏狭で不寛容で虚栄心が強く、そして不作法で生意気で厚かましく哀れな人と形容するのは少々オーバーとしても、ラポルタの正体の一面がこのアジ演説に見られたのは確かだろう。

「歴史的に特有のスタイルを維持しながら戦ってきている我々は、この世で唯一のクラブであり、このフィロソフィーこそがバルサというクラブを偉大なものとしてきた。もし、ソシオの中で他のスタイルの戦い方を望む監督を要求するならば、それは無駄なことだと知るがよい。我々はそういうソシオを尊重はするが、受け入れないということをはっきりしておこう。」
約110年の歴史を持つバルサが常に同じフィロソフィーで戦って来たわけではない。だが、どのようなスタイルの戦い方をしてきても、常にバルサは偉大なクラブであったはずだ。クライフ監督以降だけがバルサではない。ラポルタの語るバルサスタイルがどのようなものか存ぜぬものの、果たしてライカーバルサのフィロソフィーとはいったい何なのだろう。ポジションに見合った選手がいないにもかかわらず、バカの一つ覚えのように常に同じシステムで戦い続けることか。9番のエトーをサイドに置き、やはり9番のアンリを左に配置し続けることか。選手自身に最大の誤りがあったとはいえ、ライカーバルサを支えてきた二人の重要な選手を“元フットボール選手”にしてしまうほどの自由を与えることか。疑問は尽きない。

いずれにしても、この日の彼を見ていると、20年間という長期政権を生き続けてきたヌニェス政権の終末期を思い出す。自らをバルサそのものだと勘違いし、他の考えを持ったソシオや人々を受け入れることを拒否してしまったヌニェスと同じ独裁者の姿がそこにある。ただ、ヌニェス元会長の場合は愛嬌があったからまだ救われたが、現在の会長には高慢さはあっても愛嬌の欠片もないのが救いのないところだ。

その演説から7時間後のカンプノウ。選手や監督に対してというよりは、パルコに座るクラブ会長に向かって白いハンカチが振られた。試合終了後しばらくしてからも、パルコ入り口に300人ほどの人々が押し寄せ、ラポルタ更迭のシュプレヒコールを繰り返していたことからも、白ハンカチが会長そのものに向けられていたことが明らかだ。だが、幸いなことに、ライカーバルサには週2回目の試合が待っている。このチャンピオンズの試合をどうにかすれば、多くの批判から自らを守る防波堤が強化されることになる。だが、一度ポケットから出された白ハンカチは、なかなか再びポケットの中でおとなしくしていることがないことをガスパー政権時に多くの人々が経験している。果たして防波堤を少しの間だけでも維持できることになるか、あるいはドドッと一挙に崩れてしまうか・・・。


サハラ砂漠でのインタビュー
(08/04/06)

サハラ砂漠マラソン最大の難関である4日目75キロの行程を15時間かけ、足を引きずりながらゴールにたどり着いたルイス・エンリケ。両足には包帯がまかれ、軽い食事をとった後に、この砂漠の中でバルサに関するインタビューに応えている。ちなみに5日目となった42,2キロ行程を9時間かけて終了し、残るは17.5キロ行程の最終日だけとなっている。

あなたにとってサハラ砂漠マラソンは偉大な冒険の一つだと思うが、監督業にチャレンジする気持ちはどうなっているのか?

可能な限り早い時期に、その冒険に出発したいと思っている。もちろん失敗することなんか恐れていないし、うまくやっていく自信は十分ある。監督としての経験はないものの、プロ選手としての長い経験上、ロッカールームのことは誰よりも知っている強みがある。物事がうまくいっているときには選手が何を考え、状況が悪いときには何を思っているか、そういうことは経験上誰よりも知っているつもりだ。

来シーズンはペップ・グアルディオラと共に、バルサのベンチに入るという噂があるが?

バルサに限らずチームの状況がイマイチの時には、そういう噂がたつのがフットボールの世界。ペップとはいまでも連絡を取り合っている。彼とは楽しい時にも苦しい時にもロッカールーム仲間となった間柄だし、個人的にはウマがあう仲間の一人。彼と一緒にクラブに戻れることになったら最高さ。でも、具体的な話はまだ何もない。いずれにしても、クラブからのオファーが来てから考えればいい。

モウリーニョのサブになるという、もう一つの噂もある。

彼と一緒に働きたくないというような人物がいたとしたら不思議な話だ。個人的にも彼のことは知っているし、彼もまたペップと同じようにウマが合う人物。もし、そういう話が現実に誕生したとしたら、これ以上素晴らしいことはないだろうと思う。

ルイス・エンリケ監督としてのフィロソフィーは?

攻撃的なチームが作れれば最高さ。攻撃的な試合内容でタイトルを獲得する、このフィロソフィーこそ、この世界での最高のものだと思っている。だが、もちろんユートピア的なものではなく、一人一人の選手がすべてを投げ打って、プロ精神豊かに、犠牲的な精神も決して忘れず、個よりもグループを大切にする精神がなければダメだと思う。つまるところ、団結したグループを作ることが最大の課題となるだろう。いま自分がいるこのキャンプ内のようなグループが作れれば文句なしだ。このマラソンは決して一人の力だけでは勝利できない。自分が他の人を助け、その人が他の仲間を助け、そしてそのうちの誰かが自分を助けてくれる。こういう関係がないとこのマラソンには勝利できない。それはフットボールの世界にも共通していることだと思う。

選手時代のあなたのような、強烈なキャラクターを選手に要求するか?

もし11人の無気力な選手がそろっていたとしたら、自分にはどうしようもないことだ。彼らのモチベーションを高めるために、試合を前にして檄をとばすことはできる。そしてその試合に勝利することも可能だろう。だが、38試合すべてにそれが可能となるとは考えられない。むしろそれは不可能なことだと思う。タイトルの獲得にまず必要なもの、それはクラブやチームに対する責任感を一人一人の選手が持つこと。長いシーズンには必ず悪いときがやって来る。それを抜け出すことが可能となる絶対的な要素は、そういう責任感を選手一人一人が持っているかどうかにかかっている。

そうは言うものの、そういう責任感を持っている選手を探すのは今の時代には大変な作業だと思うが?

そんなことはないさ。これまで付き合ってきた多くの選手はそういうものを持っていた。チームにとって否定的な状況が訪れているにもかかわらず、そんなことを気にせず夜の生活を楽しんでいる選手も確かにいる。最近のメディアを見ればそういうことはすぐにわかるだろう。だが、多くの選手はその悪状況に苦しんでその週をおくっていることを経験上知っている。

メディアからのプレッシャーが、バルサというクラブのマイナス材料となっているだろうか?

メディアからのものだけに限らず、バルサやビッグクラブと呼ばれるところでプレーしているエリート選手には、常にプレッシャーがある。それはすべての選手が経験上知っていることだし、否定できるものではないだろう。だが、それは自然に受け入れなければならないものでもある。バルサの選手となった以上、すべての選手に責任感が要求されるし、プレッシャーは当然ながら生まれてくる。だが、同時に、これ以上恵まれたフットボール選手はいないということも理解しなければならない。誰もがバルサでプレーできるわけではないし、あくまでも“選ばれた”選手であることを自覚する必要があるだろう。しかも、普通の人には想像もできないほどのユーロを稼いでいるんだ。プレッシャーがあろうとなかろうと、不満を言う立場にはない。

リーグ戦では非常にイレギュラーな戦いをしているバルサだが、チャンピオンズを制覇する可能性はあるだろうか?

自分の中ではすでに決勝戦に出場しているバルサのイメージがある。ドイツに行ってのフエラの試合では、理想的な結果を出すことができたし、あとはカンプノウで仕上げすれば良いだけの状態。そして次はマンチェスターとの戦いになることが予想される。もう現役を離れた身として、これほどバルサの選手がうらやましい状況はないさ。チャンピオンズ準決勝でマンチェスターと対戦し、そして決勝戦へと進む。これ以上のことは望めないよ。

あくまでも個人的に、来シーズンからの理想的と思われるコーチングスタッフ。それは監督にモウリーニョ、サブコーチにペップとガッツ。ペップはテンカテになれないが、ガッツには可能だ。そして二人ともモウリーニョからしっかりと監督業の何たるかを学べばよい。彼らにとって、これほど魅力的な監督素材はないだろう。もし、モウリーニョを逃がしたりしたら、ラポルタ政権最大の過ちと言って良い。それにしても、砂漠の中を75キロも走ったあとに、こんなインタビューをする方も受ける方もどうかしているっち!

■ヘタフェ戦招集メンバー
バルデス、ピント、サンブロッタ、プジョー、ミリート、トゥラン、マルケス、アビダル、シルビーニョ、ヤヤ、エドゥミルソン、チャビ、イニエスタ、グジョンセン、アンリ、ジョバニ、エトー、ボージャンと、シャルケ戦とまったく同じ18人。


サハラ砂漠マラソン
(08/04/05)

フラン・ライカー監督の1年目となった2003−04シーズン第10節、アノエッタへ出張してのレアル・ソシエダ戦。モッタが先制点を獲得するものの、後半に入って同点にされた後、すぐに追加点も入れられ苦戦。バルサは再び追いつくものの、カルピンにゴールを決められ3−2というスコアになった75分。それから1分後、ライカー監督はクアレスマに代えてルイス・エンリケを投入。弾丸のようにグランドに走り込んだ彼は、頭を下げて沈み込んでいる一人一人の選手に猛烈な檄を飛ばしている。そう、一人一人の選手に彼はこう叫んでいたという。
「頭を下げている場合じゃない。根性を見せろ!リアクションをするんだ!」
そして彼が檄を飛ばしてから4分後、ガブリが劇的な同点ゴールを決め、引き分けで試合終了している。

よくあるカピタン逸話の一つ。この手の逸話はクライフ時代のカピタン・バケロに関してもいくつかある、が、残念なことに、ペップ・グアルディオラにはないし、プジョーにも今のところない。ペップには“カタルーニャのシンボル”的な要素に関する逸話は多く語られているが、バルサのカピタンとしての魅力そのものを評価されたことは少ない。プジョーもまた彼の持つ強烈なプロ精神を褒め称える逸話を聞くことはあるものの、カピタンとしての他の選手に与える影響力そのものを評価するコメントに出会ったことはない。シュステル、アレサンコ、クーマン、スビサレッタ、バケロ、ガッツというバルサカピタン系譜、なにゆえカンテラ組織上がりの選手から優秀なカピタンがでてこないか、これはバルサの七不思議の一つだ。

" Si quieres , puedes "
これが我らがカピタン、ガッツ・エンリケのモットー。直訳すれば“君が望むなら、それは可能となる”という日本語になるのだろうが、あえて彼の言いたかったことを意訳するならば“意欲、それが可能への一歩”とでもなるだろう。そのモットーを体に染みこませた彼が、また一つ大胆な冒険に挑戦している。

“サブレス・マラソン”と名付けられた、サハラ砂漠の中を延々と走り続けるマラソン大会がある。走行距離245キロ、短いコース行程の日には20キロ程度、長いコース行程の日には70キロの砂漠を走る。外部からの援助行為は禁止されているため、自ら飲み物と食べ物をリュックに詰め、約10キロ程度の重さとなるそのリュックを背中にして走らなければならない。涼しい日で40度、暑い日となると50度を超えるサハラ砂漠。6日間にわたっておこなわれるこのサハラ砂漠マラソンに、我らがガッツ・エンリケは5人の友人たちと一つのグループを作り、この大会初参加を試みた。3月30日日曜日午前6時半、825人の参加者が集まりスタート。

初日 31.5キロ・・・総合41位
2日 38キロ・・・・・総合42位
3日 40.5キロ・・・総合67位
4日 75.5キロ
5日 42.2キロ
6日 17.5キロ

このサハラ砂漠マラソンの毎日の様子を“ラ・バンガルディア紙”の同行記者が紙面に日記を寄せている。例えば、75キロの行程となっている4日目のことを次のように描写している。
「心の中で葛藤している人々が大勢いる。気持ち的にはまだ続けられる、だが体が言うことをきかない、そういう人々がほとんどだ。ルイス・エンリケもまたそのような人々の一人となっている。75キロの行程を前にして、彼の足は血に染まり、すべての指には巨大なマメができている。一歩も前に進めない状態。だが、気持ちが前に進めさせる。たぶん、前日の夜から少なくとも千回は、ギブアップする可能性を行ったり来たりしていたに違いない。だが、それでも彼は出発することを決意した。“意欲、それが可能への一歩”、その一歩を歩むことを決めた。最初の25キロをスペイン人参加者の中で最も年配の67歳のフィデル・マルティが彼と共に走って(歩いて)くれた。そして45キロの休憩地点まではカタランのダビ・ペネスが同行してくれている。このサハラ砂漠マラソンは一人の力で達成することは不可能であり、同行者を持つことが最良のエネルギーとなる。45キロ地点で少し休憩した彼は、再び歩き始めた。すでにサハラの陽が沈もうとしている時間だ。」
最終的に、彼は15時間かけてこの日の行程を終了している。

バモス!ガッツ!


幸運の女神
(08/04/03)

今回のチャンピオンズの戦いが始まった2007年9月。この段階で、もし魔法の水晶玉が“チャンピオンズ1/8対戦相手はセルティック”と映し出してくれたとしたら、多くのバルセロニスタは大喜びで拍手を送っただろう。そしてさらに“準々決勝相手はシャルケ・ナントカ”と映し出してくれたとしたら、それこそ狂喜の乱舞となっただろう。これまでリバプールやチェルシーという嫌らしい相手ばかりが、この段階で対戦相手となっていたライカーバルサであり、準々決勝の相手がシャルケとなれば、チャンピオンズを征したシーズンのベンフィカ戦以上に楽な相手とうつる。チャンピオンズの天下を取るには実力もさることながら大いなる幸運が必要。それが、今シーズンのバルサにはある。

いったい、どういうわけでこのベスト8にまで生き残ることができたのか、その答えを探すのに苦労するドイツチーム相手に四苦八苦しながら、必死に1点を守る戦いを展開したライカーバルサ。これがバルサという名のクラブではなく、ユベントスとかミランとか、レアル・マドリというチーム名であったなら、この試合展開を“試合巧者”という代名詞で表現されることだろう。フエラの試合でゴールを奪い、しかも1点差とはいえ勝利した90分間の試合展開は普通だったら褒め称えられるものだが、そういう褒め方をされることには縁遠いバルサ。したがって、フエラでの貴重なゴールと貴重な勝利という結果で終わった試合がなら、多くのメディアと多くのバルセロニスタには満足のいくものとはならなかった。だが、“多くのバルセロニスタ”がいれば“少しのバルセロニスタ”もいるわけで、個人的には大満足な試合。結果がすべての世界、これ以上今のライカーバルサに何を望めと言うのか?

去年のヘナチョコミランがチャンピオンズを制覇できたように、約10年前のヘナチョコマドリが7回目のチャンピオンズカップを手に入れることができたように、この短期決戦のチャンピオンズという大会は、必ずしも最高の内容で最高の試合展開を示したチームが制覇するわけではない。

1998年5月、ドイツ人監督ヘインケス率いるレアル・マドリは、バンガールバルサに10ポイント前後の差をつけられてリーグ戦4位と落ち込んでいた。それにしてもマドリの試合内容はまったくもってお粗末だった。ミヤトビッチとかスーケル、レドンドなどがいるチームでありながら、リーグ戦の戦いではお粗末の一言。それでもチャンピオンズの戦いでは幸運に恵まれる。準々決勝相手がレバクーゼン、準決勝相手がドルトムンド、ここまでグループ戦を含めてイングランドやイタリアのチームとは1回も対戦せず、決勝戦で初めてユベントスと対戦することになる。その決勝戦ではミヤトビッチのオフサイドゴールで勝利し、クラブ7回目のチャンピオンズ制覇を達成。もちろん、多くのメディアと多くのマドリディスタ共は“試合巧者のレアル・マドリ”に大満足することになる。このシーズンのことをなぜ覚えているか、それはバンガール監督就任1年目ということもあったし、何よりも、リーグ戦とチャンピオンズとはまったくもって別物だと初め思い知ったシーズンだったからだ。そしてそれは去年でも証明されている。チャンピオンズ、ひたすら幸運が左右する大会。

アルメリア戦やベティス戦と同じような戦いをしながらも勝利してしまったライカーバルサ。マンチェスターを恐れるバルセロニスタが多いことも事実だが、個人的にはチェルシーやリバプールなどより戦いやすい相手だと思っている。今から3週間後、メッシーやデコやマルケスが本格的に復帰してくる可能性も大。ライカー監督サイクル終焉を、幸運の女神が派手に花火を上げて祝ってくれることに期待。


さて、チャンピオンズ
(08/04/01)

フラン・ライカーという人物に対して、個人的にはとてつもなく好感を持っている。アルゼンチン人監督のメノッティー以来多くのバルサ監督を見てきたが、ライカーほど人間的に魅力的な人を見たことがない。あくまでもジェントルマンであり、あくまでも知的であり、常に冷静さを保つことを忘れず、そして非常にバランスのとれたキャラクターを持つイメージを発散させている。もちろん本来の監督という職業においても、我らがバルセロニスタにクラブ二度目のチャンピオンズカップを提供してくれた功績を持つ。2シーズン連続のリーグ優勝とチャンピオンズ制覇、その輝かしい業績に対し、多くのバルセロニスタが感謝しているだろう。だが、スペインリーグには決してファーガソンという存在があり得ないように、彼もまたバルサのファーガソンにはなり得ない。安定政権を望むラポルタ会長がいかにライカー政権延長を企てようと、それは不可能なことと言って良い。ライカーの政権延長は、ラポルタの望む安定政権そのものに多量のガソリンをまくようなものだ。カンプノウに咲くであろう白い花が、グラウンドやベンチではなく、自ら座るパルコ席に向けられることを最も恐れるラポルタだから、ここは一度考え直さないとならない。もう今シーズンはじめの頃から言っているように、ライカーのサイクルは終わりがきているのは、火を見るより明らかだ。

これまで3つのタイトルをプレゼントしてくれた監督でありながら、個人的な総括としては他のところに行ってしまう。それは、最もタイトルを失った監督として、そして最も“敗北感”を体験させてくれたた監督としてのものだ。日本でのムンディアリートでの敗戦、ヨーロッパ・スーペルカップ獲得の失敗、度重なる国王杯敗退、カンプノウでの二度にわたるクラシコ敗戦、そして昨シーズン(あえて今シーズンは含めない)の、レアル・マドリに譲ったリーグ優勝。もちろん、過去に置いても、タイトル獲得失敗と重要な試合での敗戦をプレゼントしてくれた監督は多くいる。だが、これだけの選手を擁しながら、クラブ史上最高と言ってもいいメンバーが集まっているチームを率いながら、これだけの悔しさと惨めさとフラストレーションを感じさせてくれた監督はいない。

監督としての才能、例えば、相手となるチームの研究からくる戦術的な対応策がバッチリできること、試合にのぞむに当たって最も好調な選手を優先して起用すること、ローテーションシステムが理にかなったものとなること、すべての選手に高いモチベーションを維持させる能力を持つこと、試合の流れを読み取る目を持つことや、その流れを変える戦術眼を持つこと、数え上げたらきりがないほどの監督としての才能。だが、それらの一つ一つのこととは別に、指導者としての基本的な戦いのスタイルが機能するかどうか、それが最も重要なことだ。そして、彼の持つその指導者スタイルは、すでに破綻している。とっくの昔から破綻している。

ロナルディーニョとデコという二人の重要なソシオの財産を、あらゆる意味でダメにしてしまった原因の一つは監督にある。クラブ会長ラポルタを筆頭に、スポーツ・ディレクターであるチキにも、フットボール部門最高責任者であるイングラにも、そしてライカーを取り巻くスタッフ・テクニコも責任外とはならない。だが、現場の最高責任者であるライカーの責任はとてつもなく大きい。ロナルディーニョがアルコール問題で“アドリアーノ現象’と化してしまった罪は当人であることは間違いないものの、それを止められなかった監督は責任者の一人となる。クラブやソシオ・ファンをあざ笑うかのようなデコの行動の罪は当人が負わなければならないものの、それを許した責任者の一人はライカーだ。クラブのことを考えず、好き勝手な行動にでていたマルケスに関しても同じことが言える。各選手の“自主性”を重んじたと言えば聞こえは良いが、実際のところは管理不足と言われてもしかたがない。その各選手やりたい放題の行動が、アナーキーな状況を生み出してしまった。チームのまとまりのなさ、リーダー選手の不足、逆境に立ったときのひ弱さ、指導者なきグループにあって何ら不思議でもない現象。

それでもラポルタは動きそうもない。チキは決断するということを知らない。ライカーはシーズンが終了するまで辞めることはない。つまり今のところ何も変わらない。クラブ公式パンフレット紙(エスポーツ)を通じて、グアルディオラ次期監督候補なんぞというキャンペーンを張ろうとしているが、それは墓穴を更に深く掘るようなものだ。それはまるで、ガイ・アスリンをチャンピオンズの試合でいきなりスタメンで起用するようなもの。ペップの出番ではないことは明らかだ・

チームカラーを心に染みこませている選手、プロ選手としての自覚をしっかりと持っている選手。この二つ両方を、あるいはどちらかだけ一つを持っている選手たちが、指導者なきグループを一つの方向に導いていくことを少しばかり可能としてくれる。その核となるのは、バルデスであり、ミリートであり、プジョーであり、ヤヤであり、イニエスタであり、グジョンセンであり、エトーであり、そしてボージャンたち。新しいサイクルが登場するまでの残りの重要な試合。バルセロニスタの最後の頼みは彼らしかいない。

■シャルケ04戦招集選手
バルデス、ピント、サンブロッタ、プジョー、ミリート、トゥラン、マルケス、アビダル、シルビーニョ、ヤヤ、エドゥミルソン、チャビ、イニエスタ、グジョンセン、アンリ、ジョバニ、エトー、ボージャンの18人。

コメントを読む(0)


<コメントについて>
・コメントは各記事に対して個別に付けられます。ただし、シリーズの記事(上下など)に対しては1つだけとなります。
・「コメントする」ボタンから、コメントを読んだり付けたりできるページにいけます。ただし、コメントを付けられるのは10日間ほどで、それ以降は「コメントをよむ」だけになります。