2008年
11月
2009年

サモラーノとエトー
(08/11/29)

新たにやって来た監督に“計算外通告”を受けながらも、なにがしかの理由でクラブに残ることになり、結果的に大活躍をしてしまう。いつだったか、今シーズンのエトーの状況は、かつてのサモラーノのそれに似ているとコメントしたことがあったが、具体的にどうだったか、それを探るべく古い資料を探してみた。そして、みっけました。

「もしレアル・マドリに4人の外国人選手がいるとするなら、彼は4番目の選手となる。もし5人いるとすれば5番目であり、6人もいるとすれば、当然ながら6番目の選手となるだろう。」
当時の資料によれば、ホルヘ・バルダーノはこんなことを言っている。1994年の夏に、レアル・マドリ新監督に就任してきたホルヘ・バルダーノ。彼はクラブ会長ラモン・メンドーサにエリック・カントナの獲得を依頼している。だが、当時のレアル・マドリの状況は今のそれと同じように、例えば、カカやC.ロナルドにラブコールを送りながら、そのたびに肘鉄を喰らっている今のマドリのように、大物選手はなかなか“イエス”と言わない時代だった。カントナの獲得が事実上無理だと判断したバルダーノは、それではと、インテルでプレーしていたルベン・ソサに声をかけている。獲得条件はサモラーノとの交換というものだった。だが、インテルはイエスとは言わない。そんなこんなでシーズンが始まってしまう。外国人選手が作る列の最も後ろに位置するサモラーノは、クラブに残ることになった。

それから14年後の2008年6月16日、カンプノウ記者会見場ではペップ監督就任記者会見がおこなわれている。
「我々コーチングスタッフが考えていることは、ロナルディーニョ、デコ、エトーの3人は計算外と言うことだ。これからは名声を博している選手だろうが無名の選手だろうが、すべての選手がゼロからのスタートとなることを知って欲しい。何という名前の選手であれ関係なく、月曜日から土曜日までの練習内容次第で、試合招集メンバーが決まることになるだろう。」
ペップ新監督のアイデアは、誰の目から見てもスッキリクッキリだった。ロッカールーム内の汚れきった空気を一新し、新たな気持ちでゼロからのスタートを試みようとしていた。バルサというクラブに対するこれまでの貢献に感謝し、新たなる職場での活躍を心から祈りつつ、思いっきりケツをブッ叩くようにして、R10とD20は売ることができた。だが、最も買い手が多くあらわれるであろうと思われたエトーは売れ残ってしまう。ペップが欲しがったと言われているアデバヨルが獲得できなかったこともあり、最終的になんとなくエトーは残留となった。そして彼もまた、ゼロからのスタートを切る1人となった。

リーグが始まってみれば、サモラーノは4番目でも5番目でもなく、第1番目に位置する外国人選手となっている。彼の決める多くのゴールがそれを可能としていた。
「彼は私のソシオとして活躍してくれている。」
という、サモラーノ賛美の発言がバルダーノからなされた。エトーに対するペップの発言も似たようなものとなっている。
「クラブに残りたいという彼の希望と、結果を出してやるというその意欲が、我々スタッフテクニコに彼の残留を決断させるキーポイントとなった。ゼロからのスタートに勝利した彼に対し、さらに効率よく実力を発揮できるようにしてあげることが我々の仕事となる。」

ペップバルサにとって、絶対プンタの位置を勝ち取ったサムエル・エトー。彼はリーグ戦12節を終了した段階で13ゴールを決め、2位に大差をつけピチッチとなっている。14年前、同じような境遇にありながら、クラブに残ることになったサモラーノもまた、シーズン開始と共に快調にゴールを決め、このシーズンのピチッチとなってしまう。まったくもって皮肉なもんだわい。

歴史が繰り返されようとしているのかも知れない。もし、そうであるなら、もう一つ、歴史を繰り返してもらおう。計算外通告されながらもクラブに残ったサモラーノがピチッチを獲得したこのシーズン、レアル・マドリは4シーズンにわたるクライフバルサのリーガ制覇にストップをかけ、久しぶりのリーグ優勝を達成している。ペップバルサにも同じようなことがおこらないと誰が言えよう。そして、エトーの大好きなクラシコの戦いまであと2週間。その前にセビージャ、バレンシアというチーム相手のスパーリング試合が控えている。これまでの好調さを維持するために、この2試合をスパーリング試合としてクラシコに備えよう。

■珍しく試合当日移動することに決めた、セビージャ戦招集メンバー
バルデス、ピント、アルベス、プジョー、マルケス、ピケ、カセレス、シルビーニョ、ヤヤ、ブスケ、チャビ、ケイタ、グジョンセン、フレブ、メッシー、アンリ、エトー、ボージャンの18人。


コネは大事だ
(08/11/28)

チャンピオンズ第五戦。個人的には週末のセビージャ戦よりも大事な試合。勝利すればグループ1位決定、引き分けでも第六戦地元での試合に勝利すれば1位が決定し、次のラウンドをフエラ→カサという順番で戦える“地の利’を持つことができる。だが、もし負けるようなことがあれば、グループ戦1位はほぼ絶望的だったと言って良い。3シーズン前にチャンピオンズを制覇したとき、バルサはすべての試合をフエラ→カサの順番で戦い、最終的に決勝戦にのぞむことができた。だが、翌シーズンはカサ→フエラという順番で戦ったリバプール戦で敗退し、そして前シーズンもまたカサ→フエラの順番でマンチェスターの前に敗退している。次のラウンドはまだ1/8の試合とは言え、何としてでもフエラ→カサの順番権利を勝ち取ることが義務づけられていた試合だ。

したがって、メッシーのスタメンは当然ながら、エトーが控えでアンリ・フレブというデランテロコンビには驚かされちまった。これで大丈夫なのだろうか?という外野席からの心配。だが、そんな心配をよそに、ペップバルサはいつものように前半で勝負をつけて、少々スリリングな後半を通過し、終わってみれば2−5で大勝利。これでグループ1位が決定したうえに、クラシコの週におこなわれる第六戦は、ルーチョバルサチームでOKということになった。メデタシ、メデタシ。

ところで、ヘタフェ戦後におこった“ある事’がいま、密かに話題になっている。これは、ヘタフェ戦後に撮られたカンプノウの映像だが、試合が終わってすべての観衆たちが家路についているころ、カンプノウのグラウンドでミニゲームをやっている子供たちの風景を撮った映像だ。その子供たちはクラブ理事会を構成している人々の息子やその友達らしい。今シーズンに入ってから、カンプノウでは試合後によく見られる風景だともいう。つまり、ソリアーノもイングラもいなくなり、ラポルタ独裁万歳政権となってから誕生した異常な風景とも言える。ソシオを代表してクラブの管理を一時的に任されている人々が、なにか勘違いして“クラブの私物化”的行為を犯してしまっている。もっとも、“妥協を許さないクラブ作り”などというスローガンをあげながら、実際にやっていることは、それとはほど遠いことが多いラポルタ政権だから、特別不思議な風景でもない。

偶然のことながら、ヘタフェ戦を観戦に行ったときにこの話題になった。まだ、映像が流れる前ながら、かなり前から噂として流れていたことだからだ。

カンプノウでおこなわれる試合の前に、バルサユニを着こんだ子供たちが、選手たちと一緒に写真撮影をする風景が見られる。自分の席の隣にいる夫婦たちの子供も、あの子供たちの1人になることが夢だという。彼ら夫婦がクラブにその旨を申し込んでからすでに1年。だが、まだ彼らの息子への招待状は来ていない。申し込んでから1年から1年半かかってようやく順番がやってくるらしいが、まだやって来ていない。だから彼らには、“特権階級”の息子やその友達たちが、グラウンドを勝手に使用しているというのは許せない。そういう夫婦が何百人といることになるが、彼らがこの決定的な映像を見たら、更に怒り狂ってしまうことは容易に想像できる。超個人的には、“コネは大事だのう”という短絡した結論に至ってしまうが、正しい結論をだす人々にはまさに許せない行為とうつるに違いない。

ところで、カンプノウ収容人数は公式発表によれば9万8700人。その中でアボノ(年間シート所有者)が占める席数は、公式発表によれば8万6200席。さらに、各試合での窓口販売チケット数は、これも公式発表によれば8000枚。するってえとだな、
  収容人数−アボノ数−販売チケット数=4500
という数のチケット数はどこにも売りに出されず、クラブ特権階級関係者とかに行ってしまうことになる。スポンサー関係者への割り当ては当然ながらあるだろうが、20社にそれぞれ10枚ずつ配当しても200枚にしかならない。よく考えてみると、4500枚という数は相当な数だ。この中から多くのチケットがコネ関係者に流れることになるのだろう。サンドニでの決勝戦で話題となったチケット問題は、たぶん氷山の一角にしか過ぎないのだろう。やはり、コネは大事だ。2年後のために、サンドロ・ルセーに近づき仲良くなる方法を今からでも考えておかねば。


イマイチの週末
(08/11/26)

1994−95シーズンに、彗星のごとくデビューしてきたレアル・マドリ選手ラウル・ゴンサレスの幸運は、第二プンタという同じポジションのブトラゲーニョが、年齢的なものによる衰えを見せ始めていたことにある。17歳でデビューを飾ったバルサ選手ボージャンと同じように、彼もまたこのデビューシーズンには30試合近く出場している。そして翌シーズン、すでに30歳を越えていたブトラゲーニョはほぼベンチスタートが宿命となり、第二プンタのポジションがラウルのものとなって、多くの試合に出場し始めることになる。ブトラゲーニョの衰退時期と同じくしてデビューすることができたこと、そしてプンタだけではなく、第二プンタというポジションがシステムとしてあったことがラウルの幸運だったとすれば、ボージャンの不幸は、ペップバルサにはエトーという文字通り絶対のプンタがおり、そして第二プンタというポジションが存在しないことにあるだろう。

ライカーバルサでデビューを飾った17歳ボージャン。彼は9番(プンタ)として起用されることもあれば、7番や11番としても起用されることがあった。1999年にバルサインフェリオールカテゴリーに入団してきて以来、常にプンタというポジションでの絶対的な選手として起用され続けてきた彼が、サイドの選手として起用され始めた。だが、今シーズン監督となったペップは、彼をプンタ・プンタの選手として考えているようだ。つまりサイド選手ではなく、典型的な9番の選手としてとらえている。それはペップのこれまでの発言で明らかだ。例えば、ヘタフェ戦後にも次のようにボージャンに関して語っている。
「あなた方ジャーナリストが批判するほど、ボージャンは悪いプレーをしたわけではない。監督としては、彼のプレーには非常に満足している。彼はプンタ・プンタの選手であり、それであるにもかかわらず、サイドのポジションに置かれても要求どおりの仕事をしてくれている。もし彼が今日のプレーで落ち込んでいるとしたら、我々皆で彼を助けなければならないだろう。なぜなら、彼が落ち込む必要などまったくないのだから。」

ペップ監督にとって絶対のプンタはエトー以外あり得ない。それは、これまでの起用方を見れば明らかだし、なによりもエトーが出してきている数字が、ペップ監督のアイデアの正しさを証明している。したがって、プンタ・プンタのボージャンが起用される時は、絶対プンタのエトーが出場しない時に限る。だが、イニエスタとメッシーの負傷が、ボージャンの7番、あるいは11番起用という、苦肉の策となってあらわれた。監督にとってボージャンの最善のポジションではないと知りつつも、他の選手よりはマシだという発想からだろう。そして55分間プレーしたボージャンの出来は、シロウト目にも決して褒められるものではなかった。他の多くの選手と同じように、そう、他の多くの選手と同じように、決して良い出来とは言えなかった。昨シーズンのジョバニに対する冷酷なブーイングよりは圧倒的に小さかったものの、かすかに聞き取れるぐらいのささやかなブーイングがボージャンのプレーに対して投げつけられていた。う〜ん、厳しいぞ、厳しすぎるぞ、バックスタンド北側ゴール近くブーイング命族。

だが、この試合、イマイチだったのは別にボージャンだけではない。アルベスとヤヤ以外の多くの選手がイマイチと映った90分。ゴールを決めたものの、それ以外のプレーではとても合格印を押せなかったケイタ、いったいどこにいたのかさえもわからなかったチャビ、それと反対に超目立ちながらもまったくダメだったフレブ、4ゴールを決めてからパチパチとする火花が見られなくなったエトー、そして悪いところが団体ででてしまったピケ。皆それぞれイマイチだったが、そういうことは長いシーズンを通じて時たまあること。この週末はバルサにとってそういう運命にあったのだろう。バスケチームはマラガでのフエラの試合で敗北し、ハンドボールもチャンピオンズの試合をドイツチーム相手に敗戦し、ローラーホッケーチームも地元パラウで敗北するというおまけ付き。さらに、ルーチョバルサは引き分け、フベニルAもBも引き分けという試合結果。バルセロニスタにはイマイチの週末と運命が決まっていたのだ。

それでもレクレ→ヘタフェ→クラシコと続く年内三大決戦に、2勝1分けという結果はそれほど悪いものでもないだろうと思いながら、何気なくスケジュールを見ると、もう次の試合が待っている。それは、まるで、ついでのような試合ながら、とてつもなく大事なスポルティング・リスボア戦。出場チャンスを得られるすべての選手がイマイチ状況を乗り越え、本来の実力をスイスイと発揮し、何としてでも勝つべし。“何としてでも”が無理なら、引き分けでも良しとしよう。プジョーとヤヤのコンビに代わって、メッシーとマルケスのコンビが復帰してきている。

■スポルティング・リスボア戦招集選手
バルデス、ピント、アルベス、V.サンチェス、マルケス、ピケ、カセレス、シルビーニョ、ブスケ、チャビ、ケイタ、フレブ、グジョンセン、アンリ、ペドロ、メッシー、ボージャン、エトーの18人。


クライフ、そしてディ・ステファノ
(08/11/22)

スペインリーグの試合を見るようになった1980年代の中頃から後半にかけて、この時期はまさにレアル・マドリに多くのカンテラ選手が彗星のごとく登場した頃でもある。ブトラゲーニョ、ミッチェル、サンチスなどの同世代のカンテラ選手たちが、続々とエリートチームで活躍し始めた。一方、バルサの方といえば、テリー・ベナブレスが何人かのカンテラ選手を起用しながらも、クライフが監督に就任してからは、ミージャあるいはアモールという若手がカンテラ組織から抜擢されただけだった。
「レアル・マドリとバルサというのは、ずいぶんと違うフィロソフィーを持ったクラブなんだなぁ。」
と感じていた1980年代の終わり。だが、その後クライフバルサにも多くのカンテラ選手が登場し始める。カンテラ選手がグラウンドを走り回る現在のバルサの原型は、このクライフがとったカンテラ育成政策にあると言っても言い過ぎではない。そして逆に、レアル・マドリはシーズンごとにその数を減らしていく傾向が生まれてくる。それは単純に、現在のレアル・マドリ・カンテラ組織が生んだ“最新の宝石”が、Aチームデビューからすでに10年目を迎えるイケル・カシージャスだということだけを見てもわかるというものだ。

ボージャン・ケルキックという少年がバルセロナの人々だけではなく、フットボールを愛する多くの人々の興味の対象となりつつあった昨シーズン、レアル・マドリでは、ダニエル・パレホ・ムニョスというキラキラと光る少年フットボール選手が、急成長を遂げていた。レアル・マドリの二部チームであるカスティージャの試合を見に駆けつける多くの古くからのメレンゲたちにとって、彼はバルサのボージャンのような存在だったという。だが、昨シーズンの終わり頃、パレホ選手の移籍話が中央メディアの片隅を賑わし始める。
「もしパレホを手放すようなことをすれば、私はカスティージャの試合には行かない。」
ディ・ステファノ・スタジアムと名付けられた、バルサのミニエスタディにあたる二部専用グラウンドにその名を持つ人物が、もう行くことはないだろうと語ったのだ。そして今年の夏、クイーンズ・パーク・レンジャーズというイングランドの二部チーム所属のチームへと、パレホがレンタル移籍されていく。ディ・ステファノはもとより、多くのメレンゲにとって理解不能なレンタル移籍だった。そしてディ・ステファノは、今シーズン一度足りとして自らの名が付くスタジアムに足を運んでいないという。

フロレンティノ・ペレスが会長に就任してから、“ジダーン野郎とパボン坊や”路線を表明。クラック選手とカンテラ選手によるチーム構成を目指すというこの言葉を聞いたとき、カンテラ選手の不足を嘆いていた多くのメレンゲ族が喝采したというのは、容易に想像できることだ。だが、メレンゲ族にとって不幸だったのは、会長のお言葉はあくまでも理想を語ったに過ぎなかったことだろう。会長を務めた5年間で、年数分の監督によって一部デビューを飾ったカンテラ選手は18人いるものの、現在残っているのはトーレスだけとなっている。その彼も、今シーズンほとんど試合出場することはない。

「私の役目は、カンテラ選手たちを可能な限りエリートチームに送り込むことにある。そして私が見る限り、現在抱える選手の中で、チャンスさえ与えられれば活躍できる素質を持った若者が何人かいる。だが、そういう彼らにチャンスを与えるのは、残念ながら私ではなくクラブ関係者、具体的にはスポーツ・ディレクターであったり、監督であったりする。そして、不幸なことに、彼らに与えられるチャンスは限りなく少ないものとなっている。」
かつてペップがバルサのシンボルであったように、こう語るカンテラ責任者の1人であるミチェルもまた、カンテラ出身選手のシンボルだった。その彼が、クラブからのカンテラ選手に対する注目度の少なさを嘆く。

ガゴを獲得したレアル・マドリは、同じポジションのデ・ラ・レをヘタフェに移籍させ、翌年600万ユーロを支払い買い戻している。300万ユーロの年俸を支払うことで獲得できたサビオラは、毎試合ベンチに座り続けていながら、期待のデランテロであったネグレドは、アルメリアへと移籍させられた。1400万ユーロという移籍料を支払って獲得したドレンテのために、マタはバレンシアへと移籍することを義務づけられたが、今では確実にスタメンを勝ち取りつつある。そのことを嘆くミチェル。

スポーツ・ディレクターであるミヤトビッチはこう語っている。
「他のチームに行って成功した選手を例にあげて、我々のカンテラ政策を批判するのはあまりにも安易なことだ。我々は天下のレアル・マドリ、常に最も優秀な選手でチーム構成することを義務づけられている。しかも、時期尚早にカンテラ選手をエリートチームに引き上げて、ひとシーズンにわたってベンチに置くよりは、他のチームで経験を積む方がより良いと思っている。彼らに対しては、あくまでも慎重な態度で臨むのが最良だと信じている。」

メレンゲではないので、ミヤトビッチの批判なぞする気はコレッポッチもない。それでも、ガゴを獲得したときのディ・ステファノが思わずはいてしまった名セリフを紹介しておこう。
「我々には多くの鶏がいるというのに、卵を業者から買おうとしている。」
100回のクライフの迷言に優る、1回のディ・ステファノの名言。


バルサカンテラ組織の象徴、ラ・マシア
(08/11/20)

先週の木曜日(11月13日)、年に一度の“バルサカンテラ組織大集合”が、シウダ・エスポルティバ・ジョアン・ガンペルと名付けられたカンテラ選手たちの練習場で開催されている。各カテゴリーのフットボールチームに所属する選手たちが全員集合し、両親たちが見守る中で写真撮影をおこなう、いわゆる選手やチームの発表会だ。この席で、まだクラブ会長であるジョアン・ラポルタが次のような挨拶をしていた。
「ここに集まった両親の方々は、大いに誇りを持って良いだろう。なぜなら、あなた方の息子や娘さんたちは、世界で最も優秀なカンテラ組織に在籍しているからだ。」
彼が自慢するように世界一かどうかはともかく、ここ何年かのカンテラ組織からのエリートチームへの進出を見る限り、非常にうまく機能していることは間違いない。だが、長い歴史を持つバルサカンテラ組織のポリシーは、エリート選手を養成することだけには留まらない。

ここのLA MASIAサイト冒頭で、ラ・マシア寮に住む少年たちへ、とスタートする次のようなテロップを流している。
家族、友人の住む故郷を離れ、
将来の偉大なる
スポーツマンを目指す若者たちよ、
同時にここは君たちにとって
立派な大人になるための
人間形成の場であることを
忘れてはならない。
イングランドのクラブに、カンテラ組織というものが存在するかどうかという議論は別として、彼らが持つカンテラ選手に関するポリシーとバルサの決定的な違いはここにある。

このウエブサイドでラ・マシアのことを最初に紹介したのは、今から8年前の2000年のこと。当時でも多くの外国籍を持つ少年たちがラ・マシア寮に入寮していたと思うが、スペイン政府によるここ数年の移民受け入れ体制の強化と共に、事情は大きく変わってきているようだ。例えば、先週見たカデッテAチームの試合では、半数近くがカメルーン出身選手だった。これはエトー財団の影響が生んだ状況であり、特別なことかも知れないが、それでも多くの他国籍少年たちがバルサに入団してきている。いや、正確に言うならば、外国籍とスペイン国籍と両方を持つ少年たちが増えてきている。

1200万ユーロの年間予算を持つと言われているバルサカンテラ組織に在籍する少年たちの数は約300人。その中で11歳から18歳までの58人の少年たちが、ラ・マシア寮に住んでいる。もちろんすべての少年たちの両親は、バルセロナから遠く離れたところに住んでいる。だが、この寮に住んでいないからと言って、カンテラ組織の少年たちすべてが、バルセロナに住居を構えるスペイン人であるとは限らない。なぜならここ何年かで、多くの移民がバルセロナに仕事を求めて住みつき、そして彼らの子供たちがカンテラ組織に在籍するという例が多いからだ。モロッコやカメルーンやアルジェリアなどからやって来た移民たち。彼らの息子たちは親と同じように黒い肌を持つものの、カタランがネーティブな言語であったりする。社会状況の変化と共に、カンテラ組織の状況も変化しつつある。

バルサカンテラ組織の象徴と言って良いラ・マシア寮が誕生してから30年近くたった。これまでの統計によれば、10人の内1人がバルサエリートチームでプレーする栄光を勝ち取っているという。決して悪くない数字ではあると思うものの、同時に、残りの9人の少年たちは彼らの夢がかなえられず、他のクラブで、それは運が良ければ一部チームであったりするものの、二部Aカテゴリーだったり、二部Bカテゴリーだったり、あるいは三部リーグどまりという選手となることを意味する。そして、それさえかなわず、フットボール以外の世界で職を見つけることを余儀なくされた多くのカンテラ組織在籍経験を持つ人たちがいることになる。それだからこそ、ラ・マシアは人間形成の場とならなければならない。

「ここ何年かで、ラ・マシア寮出身の多くの選手が、エリートチームを構成するメンバーになったことはとてつもなく誇りに思っている。だが、寮長として個人的にはそれ以上に誇りに感じていることがあるんだ。それは今回の国立入学試験を11人受けて、なんと10人が合格しているんだ。彼らがフットボール選手として将来どのような道を歩むことができるか、それは私にはわからない。だが、人間形成の場という、この寮のモットーからすれば、すでに成功を収めていることになる。」
そう語る、ラ・マシア寮の寮長であるカルラス・フォルゲラ。こんなことは間違っても、イングランドクラブのカンテラ組織(しつこいようだが、そういう組織があるとすれば)責任者は語れない。


ここまで順調
(08/11/18)

これまでのバルサに、フリーキックやコーナーキックなどにおける“戦術的”なプレーが、別になかったわけではない。ウエンブリーでの決勝戦を思い返せばわかるように、クーマンやバケロなどが中心となっての戦術的なセットプレーをよく見ることができる。もっとも、クライフ監督の指揮のもとにその練習がなされたのかどうか、それは大いなる疑問が沸くところだろう。あの頃はよく練習を見に行っていたが、セットプレーでの練習など一度も見たことがなかった。もちろん、大勢の前でおこなう練習ではないだろうから、隠れてやっていたのかも知れないし、選手たちが自主的に秘密裏にやっていたのかも知れない。もちろん、ロブソン監督時代にもバンガール監督時代にも、そういう戦術的なプレーは存在していた。そして、たぶんライカー監督時代にもあったのかも知れないが、これといったシーンが思い出せない。5年間も続いたライカーバルサであるにもかかわらず、戦術的なセットプレーによって生まれたゴールシーンを思い出せない。だから余計、なにか新鮮さを感じさせてくれたレクレ戦での先制点。

ペップ・グアルディオラは現役時代、カルッチオでのプレー経験をもつ選手だ。リーガなんぞよりも戦術的なプレーを重要視するカルッチオ(この際、フラン・ライカーも長い間カルッチオでプレーしていたという、そういう的を射た突っ込みはなしにしよう)。そしてペップの監督としてのスタートは、昨シーズンでの三部リーグ。フリーキックやコーナーキックを得たときに、いかにそのチャンスをものにするかで勝負が決まる世界。もちろんペップバルサはバルサらしいプレースタイルを貫いていたが、決してセットプレーをおろそかにしていないチームだった。そのアイデアは、コーチのティト・ビラノバによるところが多いと言われていたのを思い出す。かつてのテンカテと同じように、ティトもまた意味なく監督の隣に座っているわけではない。

さて、今シーズンのスケジュールが発表されたとき、11月の最後の日曜日から始まる4大決戦、つまりセビージャ戦、バレンシア戦、Rマドリ戦、そして年内最後の試合となるビジャレアル戦、この4連続試合が将来のペップバルサの行方を決めるのではないかと予想されていた。確かに、第11節目を終了した現在、セビージャ5位(5ポイント差)、Rマドリ4位(5ポイント差)、バレンシア3位(5ポイント差)、そして3ポイント差で2位についているビジャレアル。まさにタイトルを争うクラブ同士の直接対決、となった感のある4連戦。だが、それでも、年内の三大決戦はこのレクレ戦、今週末のヘタフェ戦、そして来月のレアル・マドリ戦、この三つとしてみた。

一部リーグと二部リーグを行ったり来たりしている、いわゆる弱小チーム相手に、いかにポイントをもぎ取っていけるか、おおげさに言ってしまえば、このことにリーグ制覇が可能となるかどうかがかかっている。9か月という長い期間をかけて戦われるリーグ戦。ひとシーズンを通じてチームの調子の波をできる限り少なく、勝たなければならない相手には勝ち続けること、これがリーガ制覇の原則の一つだ。そういう意味でレクレやヘタフェとの戦いは是が非でも勝利しなければならない試合だし、しかも勝利することで12月決戦に向けての弾みがつくというものだ。特にレアル・マドリ戦に向けての弾みが。

何だかんだ言いながらも、バルサの最大のライバルはレアル・マドリ。彼らが何ポイント差で下にいようが、何位に位置していようが、バルサにとって天敵となっているのに変わりはない。セビージャもビジャレアルもリーグ優勝するようなクラブではないから、彼ら相手の試合に負けようがそれほど深い傷とはならない。だが、クラシコには勝利しなければいけない。それもできる限りメチャクチャにやっつけるのがよろしい。グッティのオウンゴールなんかもあると最高だ。ラウルなんかが退場になったらさらに最高だ。でも、その試合はまだまだ先の話。次の相手は年内三大決戦の二つめとなるヘタフェ戦。久しぶりの19時試合開始であるし、この試合の重要性を感じているソシオも多いから、それなりの観客数が予想できるとみた。


新“シエント・リブレ”
(08/11/15)

国王杯ベニドルム戦、カンプノウに2万3422人の観衆。テレビ画面から伝わってくる雰囲気ではもっと少ないのかと思っていたらそうでもない。一昨年だったか、バダロナ相手の国王杯の試合には1万人チョイという人しか来ていなかったとラジオで言っていたから、ベニドルム戦2万強というのは、それほど悪い数字ではないのじゃなかろうか。それでは、この水曜日におこなわれた他のスタディアムでの国王杯戦にはどのくらいのインチャが来ているのか、それを調べてみた。

●ラーシング・ムルシア・・・・・・・12,558
●ベティス・カステジョン・・・・・・10,000
●アトレティ・オリウエラ・・・・・・10,000
●アルメリア・ラージョ・・・・・・・ 9,571
●ビジャレアル・エヒド・・・・・・・ 9,000
●ヒホン・ヌマンシア・・・・・・・・ 8,000
●エスパニョール・セルタ・・・・・・ 7,650
●マジョルカ・マラガ・・・・・・・・ 7,000
●バジャドリ・エラクレス・・・・・・ 6,400
●バレンシア・ポルトゥガレテ・・・・ 5,000
●コルーニャ・エルチェ・・・・・・・ 5,000
●レクレ・ビルバオ・・・・・・・・・ 2,798

バルサ・ベニドルム戦をのぞけば、ラーシング・サンタンデールでおこなわれた試合が最高人数、最低数のところはレクレアティーボ・デ・ウエルバの3千人弱。いやはや、この段階での国王杯にはどこでも人は集まりません。

その国王杯の試合はともかく、リーグ戦やチャンピオンズの試合にも、ここのところソシオがやって来ないことを危惧したラポルタ政権。その彼らがつい最近、ソシオに対する新サービス誕生を発表している。それは“シエント・リブレ方式”の改善。“シエント・リブレ方式”とは、年間席所有ソシオが試合観戦に行かない場合、クラブ事務所に電話なりメールなりで行かない旨を告げ、そのソシオの席をクラブが窓口で代行販売し、売れたチケット額の半分をソシオに、残りの半分をクラブ金庫にという方式を言う。

これを二つの点で“改善”してみました、という新サービスが誕生。
一つ。これまではそのチケットが窓口で売れ残った場合、売りに出したソシオには1ユーロも入らなかったのが、今回から試合開始72時間以上前にクラブに行かない旨を告げれば、自動的に半額支払われることになったこと。つまりチケットが売れようが売れまいが関係なく、100%の可能性でチケット料金の半額が懐に入ってくることになる。

二つ。“シエント・リブレ方式”愛好者ソシオの懐に入る年間最高額は、毎年支払う年間指定席料の90%の額を限度としていたのに対し、新サービス誕生と共にこの限度額を取り除いたこと。ということは・・・一シーズンを通じて一試合もカンプノウに足を運ばず、すべての試合開始72時間前にクラブに“欠席”を連絡すれば、このグ〜タラソシオは経済的に儲かることを意味する。“シエント・リブレ方式”によって稼いだユーロの方が、年間指定席料支払額よりだいぶ多くなるのだ。

例えば自分の席を例に取ってみる。バルサプロレタリアートが住みつく南ゴール裏3F。ここの年間指定席料は300ユーロ強。今シーズンの一般販売額を参考にしてみると、南ゴール裏3Fが最も高額となるクラシコで84ユーロ、平均的な値段となるエスパニョール戦とかセビージャ戦、あるいはバレンシア戦となると50ユーロとか60ユーロ、そしてヌマンシア戦のようなあまり興味をひかない試合となると40ユーロとなっている。ひとシーズンにおこなわれるリーグ戦は19試合、チャンピオンズや国王杯は数試合。正確な試合数はシーズンが終わらないとわからないから、ここでは20試合と少なめにしておこう。チケット平均額も少なめに50ユーロとしておこう。そこで次の算数となる。
50ユーロ÷2×20試合=500ユーロ
これから消費税やコミッションを引かれたとしても、間違いなく黒字になるじゃないですか。プロレタリアート席でこれだから、背広族が多い正面スタンド2Fあたりでは、とてつもなく儲かるだろう。

でも、なにかおかしい。年間指定席所有者数の半分近くにあたる、例えば5万人のソシオが72時間前に行かない旨を手続きし、そのチケットが1万枚しか売れなかったら、いったいクラブ側にはどのくらいの赤字が出るのか、それは想像もつかない。単に計算するのが面倒くさいから“想像”がつかない。それにしても、やはり、なにかおかしい。試合を見に来ない年間席所有者もおかしいが、試合に行かないと儲かりますよ、と聞こえるようなこのサービスも、なにかおかしい。


テレビ観戦
(08/11/13)

レアル・マドリというクラブの歴史的特徴の一つが“どのようなスタイルであれ、ひたすら勝利すること!”だとするならば、今シーズンのシュステルマドリはいかにも“マドリらしい”スタイルを貫いていると言える。スリルとサスペンスを求めてベルナベウにやって来る多くのマドリディスタ。90分間ドラマのシナリオがいかに三流のものであれ、ジ・エンドがハッピーならばそれで満足。といわけで、マドリ・マラガ戦に7万8000人もの大観衆が訪れている。一方、90分間のシナリオもジ・エンドも、すべて満足するものでないと納得できないバルセロニスタ。まさに、そのようなファンの要求を満たす戦いを展開しているペップバルサであるにもかかわらず、バルサ・バジャドリ戦には5万8000人の観衆。理にかなったベルナベウの観客数に比べ、カンプノウのそれは理にかなっていない。

今シーズンの観客動員数の少なさの理由を、今から2か月前にこのコーナーでシロウト分析してみた。
“今シーズンのバルサに、多くのソシオが希望を抱いていないことだ。いや、もっと正確に言えば、ここ2年間のダメバルサがソシオに与え続けたきた、きついボディーブローがかなりのダメージとしていまだに残っていること、そしてラポルタ一味に対する不満が不信任案事件終了後も収まっていないことだ。”

リーグ戦第一節フエラでの敗戦、第二節カサでの引き分け、そしてチャンピオンズ第一戦を勝利で終えた翌日あたりにおこなわれたシロウト分析だが、あれから2か月たった今、状況は少し変わってきている。ラポルタ一味に対する不満はいまだに残っているものの、ペップバルサは予想外の快進撃を続けており、しかも多くのバルセロニスタにとって最も大事な“見ていて楽しめる”フットボールが毎試合展開されているからだ。すでに今シーズンのバルサに、希望を抱いていないソシオなぞいるわけがない状況になっている。それでも大勢の人々がやって来ないのは、なぜだろうか?

カンプノウ付近の駐車場問題が生じたことや、世界的経済危機の状況がやって来ていること、試合開始時間が遅いことなど、いくつかの理由があげられている。でも、最近気がついた大きな理由は、テレビ中継。今シーズンのバルサの試合は、つまらないマドリの試合とは異なり、ほぼすべてオープン中継されている。これは画期的なことだ。

まだ民放放送局というのものが存在せず、二つの国営放送と各地での地方局しかなかった二昔前、毎週末リーガの試合がテレビ中継されるわけではなく、たまに放映されるとしても、ほとんどがレアル・マドリの試合となっていた。したがって、当時のクライフバルサの試合がテレビで見られるのは年に数回。そして90年代に入ってカナル+というテレビ局が誕生し、毎日曜日何らかの試合を放映し始める。時代は進み21世紀に入り、PPVというテレビ観戦方式が誕生。これでお金さえ払えば自分の好きな試合が見られるようになる。例えば、バルサとマドリ関連の試合は12ユーロ、その他のクラブはそれの半額(たぶん)という具合に。そして、昨シーズン突如として勃発したテレビ放映権戦争。この戦争のおかげで、土曜日に一試合しかオープン放映していなかったものが、嬉しい週になると複数試合オープンで放映されるようになる。さらに、その状況に輪をかけたような今シーズン。これまでバルサの試合は試合開始時間にかかわらず、ほとんどがオープン放映となっている。カンプノウでの次の試合ヘタフェ戦、フエラでのセビージャ戦、地元でのバレンシア、マドリ戦、そして年内最終戦となるビジャレアルとの試合もすべてオープン放映することがすでに発表されている。これは革命だ。

思わぬテレビ観戦が可能となったことと、これまでの対戦相手がチョロいものばっかりだったことが、観客数の減少を生んでいるのだろう。だが、これは一時的な現象だろうとも思う。面白い対戦カードとなったり、テレビ観戦に飽き始めた人々は、再びカンプノウに足を運ぶようになるだろう。8万近くの人々が戻ってくる最初の試合がバレンシア戦。そしてクラシコへは9万バルセロニスタがカンプノウを埋めることになると予想。

二部Bカテゴリー相手の国王杯の試合に“スリルとサスペンスを求めて”サンティアゴ・ベルナベウ5万人の観衆。すでに見慣れた風景となった三流のシナリオはともかく、ハッピーなジ・エンドにならなかったことに、シュステルマドリの終焉がチラホラと。まあ、それはともかく、カンプノウのベニドルム戦は入りません。二昔前だろうが三昔前だろうが、テレビ中継があろうがなかろうが、この対戦相手ではカンプノウには人は来ません。


ビクトル・バルデス
(08/11/11)

ビクトル・バルデス、10歳の誕生日を迎えた1992年にバルサインフェリオール組織入団。すくすくと順調に成長していった彼は、バルサ入団10年後となる2002−03シーズン、当時の監督バンガールの手によってバルサAチームデビューを飾っている。このデビューシーズンに14試合に出場した彼が、本格的にバルサの守護神となってスタメン定番選手となるのは翌シーズンからだった。新たに監督に就任してきたフラン・ライカーによって、彼はバルサの正ポルテロとして起用され続けることになる。そして2008年11月8日、デビューしてから7シーズン目、カンプノウでのバジャドリ戦に出場したことで、わずか26歳292日という若さでリーグ戦出場200試合を達成。一シーズンの試合数が異なることから過去の選手と比較するのはあまり意味のないこととはいえ、歴代バルサのポルテロとしては最年少で200試合出場を記録したという。

あくまでもオーソドックスなプレースタイルで確固たる地位を築いたスビサレッタ。だが、近代フットボールに要求される足でのボール処理がイマイチのポルテロだった。バルサの守護神として長い間活躍してきた彼が去ったあと、その穴を埋めたのはカルロス・ブスケという風変わりなプレースタイルを持ったポルテロだ。一流のセントロカンピスタの選手が驚くほどの足技を持ちながらも、肝心の守護神としての才能には欠けるポルテロだった。ビクトル・バルデスはその2人を足して2で割ったようなプレースタイルを持っている。これまで7年間にわたりエリートチームでプレーしてきて、ひと試合における失点が0.88ゴール、ブスケはもちろんスビサレッタの0.91という記録に優っているポルテロだ。だが、それでも、なにゆえか、彼に対する評価は厳しいものを見受けることが多い。もちろん、メディアチックな選手とはお世辞にも言えない。メディアやバルセロニスタにとって愛すべき人物かというと、そういうこともなさそうだ。

彼の同僚であるチャビのように、メディア関係者に愛想が良い人物ではないからかも知れない。彼の親友であるイニエスタのように、マドリメディアにも受けの良い態度をとることがないからかも知れない。彼にとってカピタンであるプジョーのように、ファイトを外に表すタイプではないからかも知れない。あるいは、パンツを異常なほどに上げるのがみっともないからかも知れない。いずれにしてもバルデスは人気がない。いや、彼だけではなく、これまで見てきたバルサのポルテロで人気があったのは、ウルッティという例外の選手をのぞいて1人もいない。バルセロニスタはそういうファン気質を持つ。

バルサが獲得を狙っていると噂される、アセンホという若いポルテロがいるバジャドリ相手の試合。試合数日前からアセンホにかんするニュースがメディアを賑わしていた。
「それはいつものこと。これまでシーズン開始時だけではなく、シーズン中にも新しいポルテロ獲得の噂はいつもあった。それがバルサというクラブであり、別の言い方をすれば、そういう噂がでなければバルサらしくないということさ。個人的にはまったく気にしていない。」
バジャドリ戦後にそう語るビクトル・バルデス。

イニエスタを欠いた最初の試合ということ以上に、バルサBやバルサAでのデビュー戦を目撃したついでに200試合達成の目撃者となるのも悪くはない、ということで普段はいかないバジャドリ戦に直接観戦。試合開始まで時間があったので、久しぶりにバルサショップを散策。以前友人から聞いたことがあることながら、このバルサショップではポルテロのユニフォームは販売していない。と言うか、マネキンには飾ってあるものの、常に“在庫なし”状況が続いているそうな。そう言えば、背番号1番のユニを着て観戦に来るファンを見たことがないけれど、それは不思議でもなんでもないことになる。

4ゴールを決めたエトーもさることながら、メッシーの今シーズン最高の試合。だが、個人的にはバルデスお祝い試合。愛想なんぞなくてもいい、人気などなくてもいい、ユニなど売ってくれなくてもいい、パンツを異常に上げていてもいい、ゴールさえ防いでくれるポルテロであればいい。スビサレッタ以来の最優秀ポルテロバルデス、バモス!


周囲20m
(08/11/08)

「走るのは臆病者のすることだ。」
このレシャックの有名な言葉を誤解なく正しく理解するには、ちょっとした説明が必要だ。彼はこの発言の意味を聞かれると、次のように答えることが多い。
「インテリジェンスのある走り方をしなければいけない、ということを言いたかったのさ。つまり、理想的なのは必要に応じた分だけ走ればいいので、むやみやたらと走るのはマヌケな選手がすることだ、と。」

同じような主旨のことをかつてプラティニの“ボディーガード”としてフランス代表で活躍し、現役引退後はビルバオなどで監督を務めたルイス・フェルナンデスが語っている。
「フットボールファンの人々は私が常に走り回ったから、プラティニの裏をしっかりと守ることができたと思っているようだ。だが、それは勘違いというものさ。私が走る時はボールに追いつく可能性があると判断したときだけで、無理だと思ったときは動きもしなかった。走ることは大事なことだが、走りすぎてもいけない。体力が必要以上に消耗するという意味もあるし、また適切なポジションを失ってしまうという意味もある。適切に、適度に、計算された走り方をしなければならない。」
クライフにしてもバンガールにしても、彼らの口から同じような意味合いの発言を聞いたことがあるが、どんな言い回しだったか覚えていない。いずれにしても重要なことは、適度に走らなければならないことらしい。

練習中の選手たちにペップ監督は“ポジショニング!ポジショニング!ポジショニング!”という言葉で、適切な走り方を要求しているという。そして、練習中にペップからその言葉を受けることが最も多い選手は、ケイタとヤヤの2人だという。

「彼ら2人は時として走り過ぎる傾向が見られる。」
そう語るペップ監督。強靱な体力を誇る典型的なアフリカ出身の選手である彼らは、90分間走り続けても体力の消耗という問題はそれほど生じない。もちろんバルサというクラブでプレーする以上、それなりのテクニックを持っていることは間違いないが、それ以上に期待されているのはフィジカル面の強さをいかしてのプレーなのだろう。だが、それでも走りすぎてはいけない。いかに体力が消耗しなくても走りすぎてはいけない。なぜなら、チームがうまく機能していく上でもっとも重要なことは、各選手がそれぞれのポジションをしっかりと確保すること、そうペップ監督が考えるからだ。走りすぎてはポジショニングを誤ることになる。試合や練習風景を収めたビデオで“走り方’を説明するために、これまで何回もケイタとヤヤの2人だけを監督室に呼んで、ビデオを見ながらの学習がおこなわれているという。

「ビデオを見ながら彼らに要求することはいつも同じ。走るのは前方に20m、後方に20m、これだけでじゅうぶんだし、これ以上越える走り方をしたら、それはポジショニングを誤っていることを意味するってね。彼らもだいぶ理解してきていると思う。」
デランテロを補助するために前方20m、その位置はほぼペナルティーラインとなる。デフェンサを助けるために後方20m、そこはセントラル、あるいはラテラル選手が位置するところだ。もちろん前方後方だけではなく、カニのように左右にも動かなければならない。ピボッテ選手であれば左右ラテラル選手の助けに、インテリオール選手であればもう1人のインテリオール選手の補助という位置となる。

イニエスタの、目立たないながらも、彼の素晴らしさの一つは、ポジショニングを誤った選手の穴を密かに埋める動きをすることにある。そのイニエスタが6週間の負傷。彼の抜けた大きな穴を埋めるのはフレブかアンリか、あるいはボージャンかペドロかという議論で賑わう今日この頃だが、誰が入ろうが、その意味では少なくともイニエスタまでの水準には及ばないだろう。それではイニエスタがしてきたことをチャビがすれば良いという発想があるかも知れないが、それは彼のプレースタイルから考えて酷な話だ。したがって、この時期にこそ、適切なポジショニングの取り方が重要となる。

幸いなことに、トゥレ・ヤヤはビデオ研究の成果が現れつつあるようだ。そして負傷中だったケイタには金曜日にドクター許可が下りており、すでにプレー可能な状態となっている。イニエスタの抜けた穴を埋めるのは、彼のポジションに入る選手だけではなく、グランドを走り回るすべての選手によってなされなければならない。偉大なるかな、アンドレス・イニエスタ。


自家製チーム
(08/11/06)

2008年11月4日バシレア戦。果たして何分でバルサ最初のゴールが決まるか、前半に何点ゴールがとれるか、試合が終わってみれば何点差で勝利しているか、試合前の話題がこういう“おぞましいもの”となるのはファンにとって楽しいものだが、得てしてこういう試合に限って予想外の“おぞましい”結果が訪れる。まあ、しょうがない。よくあることだ。引き分けという結果よりイニエスタの負傷が痛々しいが、これまたしょうがない。これまた長いシーズンによくあることだ。しょうがないことを嘆いていてもしょうがないから、なにか明るい素材を探してしまおう。なにかあるとすれば、それは多くのカンテラ出身選手の出場か・・・。

このチャンピオンズの試合にビクトル・バルデス、カルラス・プジョー、ジェラール・ピケ、セルヒオ・ブスケ、ビクトル・サンチェス、アンドレス・イニエスタ、ボージャン・ケルキックという7人のカンテラ出身選手がスタメンに起用されている。ベンチにはチャビとメッシー、ペドロというカンテラ出身選手が控えている。いかにバシレアという、明らかにバルサより劣るチーム相手とはいえ、そこはそれ一応チャンピオンズの試合だ。しかもこの試合が特別なものと言うわけではなく、リーグ戦での試合でも同じような人数のカンテラ出身選手が毎試合出場し、ペップチームを構成している。これは、よ〜く考えると凄いことだ。

例えば、10月最初の週末におこなわれた、いわゆるビッグクラブの試合での出場選手を見てみよう。とあるメディアが発表したカンテラ出身選手出場リストによれば、インテルとアーセナルは1人としてカンテラ出身選手が出場していない。ミランはマルディーニ、チェルシーはテリー、ユベントスはマルキシオと、それぞれカンテラ出身選手が1人だけ出場している。リバプールではキャラガーとジェラール、リヨンではベネズマとムニエルと2人ずつ出場。3人のカンテラ出身選手を起用したのはデラレ、カシージャス、ラウルを起用したレアル・マドリ、ブラウン、ギッグス、オシェアが出場したマンチェスターUぐらいのものだ。この同じ週末、At.マドリをカンプノウに迎えた我らがバルサは、実に8人ものカンテラ出身選手が出場している。バルデス、プジョー、ピケ、ブスケ、チャビ、イニエスタ、メッシーがスタメンで出場、そして途中からボージャンが登場してきている。ヨーロッパ各国のフットボール関係者や各国メディアが、“自家製チーム”と称してペップバルサを形容する由縁がここにある。

バルサカンテラ組織のシンボルと呼んでいいラ・マシアから誕生した初の監督であるペップだから、これだけの“自家製チーム”ができあがったのだとメディアは持ち上げる。だが、その言葉に一理あるとしても、少しでも記憶力のある人なら、それはペップ監督だけの功績ではないということに気がつくだろう。

バルデス、プジョー、チャビ、イニエスタがバルサAチームデビューを果たせたのは、バンガール元監督のおかげだ。紆余曲折は当然ありながらも、彼らをバルサAチームを構成する骨格となる選手に成長させていったのは、バンガールの置きみやげだ。これは、いかにバンガール嫌いのバルセロニスタにも否定できない事実。そして、メッシー、ボージャン、ペドロ、サンチェスはライカー前監督がデビューさせている。特に、メッシーとボージャンをしっかりとAチームに固定したのはライカーの功績と言って良い。してみると、現在のバルサAチーム選手でペップ新監督がデビューさせたカンテラ出身選手は、ピケは事情が異なるから、セルヒオ・ブスケだけとなる。

バンガールやライカーがしてくれた仕事を正当に評価するのが人の道だとして、更にこれらの選手を探し出し、一丁前の人間として、そしてフットボール選手として成長させたカンテラ組織の関係者にも拍手をおくることも忘れてはならないことだろう。現在のペップバルサ“自家製チーム”の製造者は、ペップを含めたこれらすべての人々によって構成されているからだ。しかも彼らのおかげで、まだまだ優秀なカンテラ選手が育ち続けている。ブスケ、サンチェス、ペドロのあとを追ってその新鮮な顔を登場させてくるのは、果たしてガイ・アスリンか、あるいはティアゴ・アルカンタラか、オリオル・ロメウかロチーナか・・・。


バモス!シルビーニョ!
(08/11/04)

シルビーニョに対しての批判的なコメントに出会ったことがない。それは、メディアからだけではなく、自分の周りの席にいるベテランソシオの口からも聞いたためしがない。決してメディアチックな選手ではないし、派手なプレーヤーでもない。今シーズンは出番がやたらと少なくなっている選手であるから、そもそもメディアに取りあげられる選手ではないとしても、なんとなく気になる選手ではある。

以前に触れたことがある気がするが、バルサの練習を一度でも見る機会があったなら、この選手のフットボールに対する真剣な態度にお目にかかれるというものだ。試合に招集されていようがなかろうが、例え招集されていても出場チャンスが与えられなくても、手を抜くというような風景は決してみられない。常に100%でやっている風景にお目にかかることができるだろう。プロ選手として当たり前と言えば当たり前ながら、その当たり前のことができない選手がいても不思議ではない世界だ。彼の徹底したプロ精神は、新しくチームに加わってきた選手に対する“教育係”としても発揮されているらしい。グディやアンリ、そしてフレブやケイタなどが加入してきた時にも、常に彼が“教育係”として積極的に動き回っていたとメディアは伝えている。これも不思議な話ではない。チームがうまく機能するためにできる限りのことをしようとする彼のプロ精神は、バルセロニスタにとっては、ブラウグラーナの血が体の中に流れているカンテラ選手と同じように親しみを感じる対象となり得る。そう、かつてのコクーのように。

アーセナルでプレーしているのを見たとき、なかなか良い選手だと思った記憶がある。セルタにやって来てから、非常に良い選手だと思い続けてきていたのを覚えている。そのセルタ時代は、フットボール選手としての彼の全盛期と言って良いだろう。そしてバルサ入団。ジオの影に隠れた存在となりながらも、チーム事情に応じて期待通りの仕事をしている。もちろん、どの選手に対してもなされる“ありふれた批判”は彼にも向けられている。やれ、守備がまずかっただの、攻撃参加が良くなかっただの、そういう批判は聞いたことがある。だが、常に平均点前後の活躍を見せてくれる、調子に波のない選手だ。

ジオの影に隠れてしまった彼が、今シーズンはアビダルという大男の影に隠れてしまっている。スタメンとして出場した試合といえば、バシレア相手の試合とベニドルム相手の国王杯の試合のみ。この試合でエストレーモとして起用された彼は、いつものように平均点を出す仕事をした。そして、バルサにやって来て初のカピタンマークを付けて90分間プレー。
「こんな光栄なことはない。」
試合後にそう語るベテラン選手シルビーニョ。だが、その4日後におこなわれたアルメリア戦ではカピタン・シルビーニョは観客席での応援組の1人となった。
「我々は20人以上の選手によって構成されているチーム。すべての選手がベンチ入りできるわけではない。」
ベテラン選手の境地というか、いやはや、ご立派。

例え、クラブ史に残る選手ではなくても、多くのファンの心に残り続ける選手というのがいる。それは例をあげるときりがないし、人によって違うことになるだろうが、個人的にはフリオ・アルベルトだったり、ビクトル・ムニョスだったり、リネッカーだったり、アベラルドだったり、ピッツイーだったり、最近の例で言えばココとかコクーとか、いや、やはり数え上げたらきりがない。そしてシルビーニョは、不思議にファンの心の中に残る、そういうタイプの選手だ。

と、ラジオを聴きながらここまで書いていたら、なにやらポルテロコーチのウンスエのお父さんが亡くなられたそうな。そこで、火曜日におこなわれる大事なバシレア戦を前にしながらも、試合前日のスケジュールを大幅に変更し、バルサ御一行は葬儀のおこなわれるパンプローナに全員で駆けつけることになったという。月曜日の午前中に練習し午後一番にパンプローナに飛び、昼食を済ませてから葬儀に参加し、夜にはバルセロナに戻ってきて翌日の試合に備えるためにホテル合宿。背広組・ユニフォーム組と、すべてのクラブ関係者が試合前日に葬儀に駆けつけるということを今まで見たことも聞いたこともないけれど、こういうことがスムーズに決まるということは、チーム内がスムーズに機能しているという証なのだろう。何か月前かまでは、試合後に一緒に戻ってこない選手もいたのが嘘のようだ。

さて、カンプノウでのバシレア戦。こういう相手の試合にはシルビーニョにも出番が回ってくるだろうと予想。スエルテ!


Villarato(ビジャラト)
(08/11/01)

1992−93、1993−94シーズン、クライフバルサは最終戦で2シーズン連続リーグ逆転優勝を決めている。37節まで首位を走っていたレアル・マドリはこの2シーズンともテネリフェ相手に最終戦を戦っており、そして敗北したことにより、クライフバルサの逆転優勝が可能となった。バルセロニスタには笑いの止まらないシーズンであり、同時にマドリディスタにとっては記憶から抹消したい限りなく暗黒のシーズンでもある。しかも彼らにとっては、審判の誤審さえなければ敗北しなかったという思い(当然ながらバルセロナにはそういう思いはない)があり、当時のマルカ紙やアス紙による連日の審判批判は想像を超えたものだったと記憶している。

当時のアス紙の編集長を務めていたアルフレッド・レラーニョという人物は、いまだにその職に就いているベテランジャーナリストだ。これまでフットボールに関するいろいろな本も出版しており、“ほんとカナ事典”に登場してくるいくつかのボキャブラリーも彼の書いた本からヒントを得ている。その彼が、4、5年前からよく“ビジャラト”という造語を使ってコメントを書いている。

“ビジャラト”というのは、スペインフットボール連盟会長のホセ・マリア・ビジャル氏のビジャルという苗字から来ている造語だ。数年前におこなわれた連盟会長選挙の際、マドリ会長フロレンティーノはビジャル再選反対派の最先頭にたち、そしてバルサ会長ラポルタはビジャル派についた。そしてこの選挙に勝利し、再び会長に就任したビジャル氏に対するマドリメディアの反応は冷たかった。フロレンティーノが反ビジャル派に回ったことにより、再選以降はアンチマドリの政策をとるだろうという“大胆”な予想までしている。さらに、審判は“マドリ不利バルサ有利”に笛を吹くことになるだろう、とアルフレッド・レラーニョはコメントしている。彼が語る“ビジャラト”という造語は、その現象を示すものだ。つまり審判は意識的にマドリ不利に笛を吹き、バルサ有利に笛を吹く、そういうことを指す。

一昨シーズンと昨シーズン、リーグ優勝はレアル・マドリの手に落ちた。調子の良いもので、一昨シーズンはともかく昨シーズンはレラーニョの口から“ビジャラト”という言葉がほとんで出てきていない。ところがどっこい、まだシーズン始まったばかりだというのに、ここのところ彼の口からよくこの造語が登場し始めている。都合良く考えれば、多くのマドリディスタが今シーズンのマドリに危機感を覚えており、ペップバルサに恐怖感を抱いている証拠だ。実に良い傾向でもある。

「少なくともバルサとマドリというクラブだけは、審判の判断に不平を言う立場にはないと思う。もしその権利のあるクラブがあるとすれば、それは年間予算が我々と比べものにならないほど少ない質素なクラブのみにあるだろう。それでも、審判はひたすら公平に笛を吹いていると信じている。」
そう語る我らが監督ペップ・グアルディオラ。ビルバオ戦のあとにミヤトビッチやシュステルが非常識と思われるほどの強烈な審判批判をし、それを待ってましたとばかりマドリメディアも“レアル・マドリに審判の黒い魔の手が忍び寄る”キャンペーンが展開されたことに対して語ったものだ。もちろんレラーニョお得意の“ビジャラト”も登場してくる。おまけにビルバオ戦の笛を吹いた審判はカタルーニャ出身だった。歴史的にカタルーニャから良い審判は誕生してきていない。ぺぺやサルガードを退場させなかったにもかかわらず、ビルバオの選手は退場させられてしまったあの試合。単に出来の悪い審判であっただけにもかかわらず、そして不満を語る資格があるのはビルバオの方だったにもかかわらず、首都方面からは激烈な審判批判がなされた。

負けた試合ならいざ知らず、勝利した試合後におこなわれた強烈な審判批判。ペップが語るようにマドリとバルサという、ビッグクラブに対する審判の笛は歴史的に見て常に“甘い”ことは、長い間リーガを見ている人々なら誰でも感じていることだ。アホなミヤトビッチとはいえ、それくらいのことはじゅうぶんすぎるほど体験しているに違いない。バルサとマドリの選手経験を持つシュステルにしてもそれは同じだろう。彼らの醜い発言の主旨は、一つは審判にプレッシャーをかけること、そしてもう一つは、自らのだらしない試合内容を隠蔽すること。そんなことは、マドリディスタもお見通しだ。

首都方面から“ビジャラト”発言が増えれば増えるほど、それはマドリが危機を深めることを意味し、同時にバルサにとってはスイスイと順調に物事が進んでいることを示している。強敵との戦いが続く12月決戦を乗り切り、クリスマス休暇時に“ビジャラト”の花が咲き乱れたとしたら、バルセロナには早い春がやって来る。