2008年
2009年
1月

コモ エスタ ミリート?
(09/01/30)

忘れられた存在となりかけていたミリートが、やっとバルセロナに戻ってきた。彼の話題がそれとなくメディアの片隅にのるたびに、リハビリ順調に進行中というものと、選手生命さえ危ぶまれているのではないか、そういう180度違うスタイルのコメントが見られたこの半年。彼の膝の手術がラモン・クガット医師によってなされたのが昨年の5月13日だったが、復帰は早ければ6か月後、遅くても9か月後という、クガット医師の診断がされていた。そしてあと2週間強で“遅くとも9か月”という期間が終了する。

彼がアルゼンチンに帰国したのは、昨年のクリスマス休暇がスタートした時であり、かれこれ1か月間近くアルゼンチンでリハビリをしていたことになる。バルセロナを発つ前に、キロン・デ・バルセロナというクリニックで、以前手術した箇所に再びメスが入れられていたのが最近わかっている。手術した箇所の回復状況を具体的に確認するために必要な手術だったということだが、もしかしたら医学的に“普通”のことであり、もしかしたら“異常”なことなのかも知れない、が、シロウトにはよくわからない。そして1月の最初に戻ってくる予定であったにもかかわらず、最終的には1か月間のアルゼンチン滞在となってしまった。なにゆえそういう事態となってしまったのか、バルサ医師団のはっきりとした状況説明や、当人からのコメントがなされていないから、少々異常な感じがするものの、理由は謎のままだ。

わかっているのは、すでに走ることはできる状態にあることだ。チョボチョボと走ることができるようになったのか、あるいは全力疾走でかなりマジに走れるようになたのか、それはわからない。いずれにしても、ボールを使った運動はまだ一切おこなわれていないという。“遅くとも9か月”というその時期に入っているというのに、リハビリそのものは明らかに遅れている。合同練習に参加できるようになってから試合に出場するまで、少なくとも1か月の期間が必要とされるというし、ドクター許可が下りて試合に出場できるようになっても、フィジカル面の問題やリズム感を取り戻す問題は当然ながら残っている。何と言っても半年以上の長期間のリハビリが必要だった選手だ。エトーが復帰してきてから彼本来のスピードが戻ってくるのに、やはり1年以上かかった例もあるし、ミリートもまた負傷前の彼に戻るには長い期間が必要なことは言うまでもない。

いま見ていたテレビのニュースで、そのミリートが走っている映像が流れていた。ゆっくりゆっくりと足を交互にだし、大地を踏みしめているという感じで走っている。手術をしてから今日に至る8か月半の間、走ることもできないというのは、体が資本のスポーツ選手にとってとてつもなく辛いことだろうということは察しがつく。まず走れるようになったことに満足し、タバコを吸う人なら、では一服しましょうか、酒を飲む人なら、まず、乾杯しましょうかというところだ。

走ることができるようになったといっても、再びプレーできるような体になれるのかどうかという疑問の答えとはなっていない。まして、かつてのミリートに戻れるのかどうか、という疑問の答えにはもちろんならない。個人的には今シーズンでの復帰があるとすれば、すでにリーグ優勝が決まってからの消化試合となるだろうと思う。それでも、走り始めたのは一つの前進。かなり予定より遅いけれど、一つの前進。答えはそれなりの時期がやって来ないとわからない。その時期が年内にやって来れば見っけもんだぐらいの気持ちで待ってみよう。

忘れかけられていたミリートに、心からスエルテ!


再び、ダントツ対ダンペコ
(09/01/29)

カルラス・レシャックが次のような興味深いことを言っている。
「週末だけではなく、平日まで試合をしなければならない状況が続くとする。例えば、国王杯やチャンピオンズなどの戦いに勝ち続けていけば、当然ながらそういう状況が生まれてくる。普通の人々はこう考えるだろう。選手たちに襲いかかる疲労が大きくなりすぎるから、国王杯などいい加減なところで捨ててしまい、週末のリーグ戦に集中すべきだ。私の経験で言えば、その発想は正しくもあり間違いでもあると思う。」

それはどういうことか?というような質問を待ちながら、得意顔のレシャックが、待ってましたとばかり続ける。
「年間予算の少ないクラブであれば、週2回の試合に慣れていない選手が多いし、チームそのものもそういう状況に慣れていないから、スケジュールが詰まってきてしまうと、確かに選手たちに疲労がたまってしまう。同じ選手がすべての試合に出場してしまうという事態も生まれてしまうだろう。だが、大きなクラブでは、個人的な経験で言えば、スケジュールは詰まっていれば詰まっているほど、コーチたちにとってはやりやすい。この1月にバルサは週2試合、マドリは週末だけの試合となっている。はっきり言って、マドリの選手たちにとって退屈な月となっただろうな。試合日以外は毎日1時間半程度の練習をして終わり。水曜日にはライバルチームの試合がテレビでやっているが、彼らはすでにいない。たぶん、一週間がとても長く感じられたに違いない。すでに国王杯に参加していない彼らは、練習時間が多く取れるとはいえ、もちろんそれには限界があるし、モチベーションの問題もある。その点、バルサは非常に充実した1月をおくれたと思う。」

それはどういうことか?という質問を再び待ちながら、さらに得意顔になったレシャックが、再び待ってましたとばかり続ける。
「リーグ戦と国王杯ではほぼ同じ選手が続けて出場していないから、疲労という観点での問題は生じていない。それどころか、多くの選手が試合に出場するチャンスが得られることになったので、チームそのものの雰囲気もきっと良いものとなっているだろう。しかも、平日に試合があるからと言って、練習時間が少なくなることもない。マドリと同じぐらいの練習時間が取れて、しかも選手1人1人のモチベーションで言えば、当然ながらバルサの選手の方が優っているだろう。わかるかな、君たち?」

まあ、わかることはわかる。しかも、レアル・マドリはこの1月だけではなく2月も、そして3月もやたらと長い1週間が続き、それはシーズン最後まで続くことが予想される。そんな彼らのことは放っておいて、今はエスパニョールの話。

リーグ戦順位ダントツとお友達となっているエスパニョールは、先週ポチェティーノという新監督を迎え、危機を乗り越えようとしている。どこのチームであれ、シーズン中に監督が交代すると二つの現象がよく見られると言われている。最初の試合に勝利すること、そして練習中や試合中の怪我人が増えること。ポチェティーノにとって最初の試合となったバルサ戦は、勝利することができなかったが、負傷者の続出という現象は、これまでの例にもれず出てきている。それはともかく、ポチェティーノは国王杯バルサ戦に続き、その4日後のバジャドリ戦にもまったく同じスタメン11人で戦っている。彼にとってベストメンバーとなる11人で戦っているのだ。だが、もちろんカンプノウでのバルサ戦にそのベストメンバー11人を再び起用することはできない。なぜなら、それはメチャクチャな話だからだ。

ペップバルサを取り巻く試合前の話題は一つ。一発勝負となったこの大事な試合に、ペップは果たしてどのような選手をスタメンに起用してくるだろうかということ。これまでの国王杯戦用最適メンバーを続けてくるか、はたまた週末用最強メンバーを平日も働らかせることになるのか。いつものように当日にならないと、それもギリギリにならないと招集メンバーがわからないペップバルサながら、個人的にはこの試合も国王杯戦用最適メンバーと、ありもしないキニエラ用紙にマークしておこう。

※当時の名がトヨタカップだったのか、あるいはコパ・インテルコンティネンタルだったのか忘れてしまったが、サッカー好きの友人に誘われて、国立競技場での第一回大会を見に行ったのが、今から約30年前のこと。去年も日本開催だったから長いことやっているなと思ったら、今年はアラブ首長国連邦で開催の可能性が99%だという。今ではムンディアル・ナントカ・カントカと名を変えてしまい、しかも一試合だけではなく、数試合やる大会となってしまったが、この手の試合で観客席を埋めることができるスタジアムは、少なくともヨーロッパにはない。今年から、石油大国がFIFAの金庫をあたためてくれることになる。


29歳
(09/01/27)

今から29年前にこの世に誕生してきた息子について、母親のマリア・メルセ・クレウスが語る。
「体重は3キロ350グラムもあったけれど、比較的楽な出産だった。おしゃぶりは嫌いで、紙で作ったボールやミニチュアカーと遊ぶのが好きな子だった。その子がいつだったか、私に車を買ってあげるから好きなタイプの車を選んでくれと言ってきた。その時に初めて、ああ、時間のたつのは早いなあと実感したのを覚えている。」

父親の名はホアキン・エルナンデス、今から20年ほど前にはフットボールスクールのコーチをしていた。
「チームの仲間たちすべてがボールのある方向に走り寄っていくのに、息子だけはボールを追いかけないで、周りを見ながら突っ立っている。試合が終わってそのことに触れると、『相手の攻撃を防ぐためには、誰かが必要なところに残っていなければならないと思うんだ。』と、こう私に説明するんだ。まあ、それは確かにそうだ。私は彼に技術的な細かいことを教えたことはないが、いつも執拗に言ったことは、仲間とはうまくやれ、それだけだった。そして彼はその教えを忠実に守ってくれたと思っている。」

その少年が10歳となり、地元のテラッサというクラブのアレビンカテゴリーでプレーするようになる。バルサ伝説のスカウトマン、オリオル・トルト氏は一目見たときから彼に注目し、バルサインフェリオールカテゴリーでプレーさせてはどうだろうかと両親に相談。そして、翌シーズンからバルサでプレーするようになった。今から18年前の1991年のことだ。学校の授業が終わると、クラブが出したタクシーに乗ってラ・マシアに向かい、練習が終わると再びタクシーに乗ってテラッサの自宅に戻るという毎日が続くことになる。1998−99シーズンに、バンガールバルサでデビューすることになるが、フットボールの世界で注目を集め始めたのは、1999年のムンディアルU20の大会に出場し、優勝を飾ってからだろう。

チャビ・エルナンデス、この選手がプレーしているのを初めて見たのは、フベニルカテゴリー時代だったと思う。たぶん、今から13年前、あるいは14年前のこと。線が細くタッパもないこの選手のポジションは、背番号4番となるピボッテ。決してデラ・ペーニャのように冒険を好むタイプの選手ではなく、ペップのようなカリスマ性を感じる選手でもなく、アルテッタのようにリーダーシップを持った選手でもなく、まして、その後登場してくるイニエスタのような才能の固まりというイメージは伝わってこない選手だった。だが、もちろん彼ならではの特徴も持ち合わせていた。短いコースへの的確なパス、ボールタッチの柔らかさ、そして不思議にもなぜかボールを奪われることのないプレースタイル。それは、彼の11年間にわたるエリート選手としての基本的なプレースタイルとなっている。そしてこの間、人気のある選手だったかというとそうでもない。特にカンプノウに足を運ぶバルセロニスタにとって、まるで空気のような存在となっていたシーズンが多くあったことは否定できない。

だが、今シーズンのチャビはこれまでの彼とは一味も二味も違う。基本的なプレースタイルそのもには変化はないものの、ボールを取りに足を突っ込んだり、選手間同士のもめ事に突っ込んでいったり、若手選手に対して大きなジェスチャーで指示をだしたりするシーンが、いままで何回かカンプノウで見られた。ユーロ2008最優秀選手、世界ナンバーファイブ優秀選手(FIFA)、ヨーロッパ最優秀セントロカンピスタ(UEFA)というような賞を獲得して自信がついたのか、リーグ戦試合出場300試合達成というような記録を作って自覚が生まれたのか、あるいはペップが新監督となっての現象か、いずれにしても何か変化が起きているような気がする。たまにはチャビのことを褒めてもバチは当たるまい。

2009年1月25日、ヌマンシア戦の翌日29回目の誕生日を迎えたチャビ・エルナンデス。フェリシダーデス!

※リーグ前半戦がすでに終了したところで、さてそれでは、審判の誤審により、どこのチームがどれだけ損をし、あるいは得をしたのか、それをマルカ紙が“独自の調査”をもとに一覧表にして発表している。それによれば一番得をしているのがセビージャで、最も損しているのがオサスナであり、バルサ、アトレティコ、デポル、ヌマンシア、マジョルカの5チームは損得がまったくなく、マドリは3ポイント得していることになる。


誰にもできるスタメン予想
(09/01/24)

今年に入ってからの各試合ごとのスタメンを見てみよう。リーグ戦、国王杯と交互に試合が開催されているが、当HP統計部長の厳密な調査によると、ペップ監督は見事に“分担化”を計っていることが確認された。これまでのスタメンを以下に示してみるが、青文字は2試合連続して出場した選手。

03日 バルサ・マジョルカ(リーグ戦)
バルデス
プジョー、マルケス、Vサンチェス、アビダル
ヤヤ、チャビ、グジョンセン
フレブ、エトー、アンリ
(ピケは風邪、メッシーは練習不足)

06日 アトレティコ・バルサ(国王杯)
ピント
アルベス、ピケ、カセレス、シルビーニョ
ヤヤ、ブスケ、ケイタ
メッシー、ボージャン、イニエスタ
(マルケス、フレブは負傷中、プジョーは風邪)

11日 オサスナ・バルサ (リーグ戦)
バルデス
アルベス、プジョー、ピケ、アビダル
チャビ、ブスケケイタ
メッシー、エトー、アンリ
(Vサンチェス、フレブは負傷中、マルケスはカード制裁)

14日 バルサ・アトレティコ(国王杯)
ピント
アルベス、マルケス、カセレス、シルビーニョ
ヤヤ、ブスケ、グジョンセン
フレブ、ボージャン、イニエスタ
(Vサンチェスは負傷中)

18日 バルサ・デポル(リーグ戦)
バルデス
アルベス、プジョー、ピケ、アビダル
ヤヤ、チャビ、ケイタ
メッシー、エトー、アンリ
(マルケス、Vサンチェスは負傷中、ブスケはカード制裁で出場できず)

21日 エスパニョール・バルサ(国王杯)
ピント
プジョー、マルケス、カセレス、シルビーニョ、
ブスケ、ケイタ、グジョンセン
フレブ、ボージャン、イニエスタ

さて、これらの表を元に、子供でも理解できるスタメン傾向を列記してみよう。
●3試合以上続けて出場した選手はアルベスとブスケの2人のみ。
●国王杯専用選手はピント、カセレス、シルビーニョ、グジョンセン、フレブ、ボージャン。
●リーグ戦でのポルテロはバルデス
●リーグ戦での左右ラテラルはアルベスとアビダル
●リーグ戦でのセントラルはプジョーとマルケス(2番目にピケ)
●リーグ戦でのセントロカンピスタはヤヤ(2番目にブスケ)、チャビ、ケイタ(2番目にグジョンセン)
●リーグ戦でのデランテロはアンリ、エトー、メッシー
●2試合続けて出場する選手の数は、ほとんどの場合2人ぐらいしかいないこと。
●復帰後のイニエスタは今のところ国王杯専用スタメン選手となっていること。
●ペドロはいつの間にかルーチョバルサ組員となっていること。
●アルベスとヤヤは余程のことがない限り、死ぬまでこき使われること。
●プジョーも風邪を引くこと。

さあ、ここまでスタメン傾向がわかったなら、ペップ監督が意地悪しない限り、ヌマンシア戦のスタメンも簡単に予想がつくというものだ。ポルテロはもちろんバルデス、左右ラテラルはアルベスとアビダル、セントラルはマルケスが負傷中なのでプジョーとピケ、セントロカンピスタにはヤヤ、チャビは間違いない上にケイタは3試合続けて出場することはないからブスケかイニエスタ、そしてデランテロはアンリ、エトー、メッシーのゴレアドール。これで決まり。

※かつてバルサに在籍したオランダ人選手、コクー、クルービー、レイジゲルなどが、只今コーチングライセンス取得に精を出し、“現場実習”の段階まで来ているという。どこのクラブで“現場実習”をするかは、当人たちが勝手に決めることらしいが、レイジゲルはバルサのフベニルAチームを選んでバルセロナにやって来る。ひょっとしたらクルービもやって来る可能性もあるらしい。つい最近までフベニルAのベンチには、かつてバルサでプレーしていたクリスティアンセンの顔が見られたが、もういないところをみると“現場実習”が終了したのだろう。そしてこれからは、あの例の顔が見られるかと思うと、なにやら嬉しいぞ。


ペップに魅せられて
(09/01/23)

連勝街道を突っ走り、リーガ折り返し地点を過ぎたところで2位に12ポイントもの差をつけ、しかもスペクタクルな試合展開を見せてくれるペップバルサに対する評価は高い。だが、今からわずか半年前にペップ・グアルディオラがバルサの監督に就任したとき、誰しもが彼の経験不足を不安に思ったのは否めないことだ。そう、彼は三部リーグでの、しかも1年間だけの監督経験しか持っていなかった。

クラブ史上初の三部リーグ降格となったバルサBの指揮を引き受けたことは、ペップにとって得るものは限りなく少なく、失うものが果てしなく多い決断だったと言える。なぜなら、三部リーグでの戦いというのは、彼が現役選手として歩み続けてきたものとはまったく違う世界での戦いであり、とてつもない困難が予想されたものだからだ。だが、シーズンが終了してみれば、ペップは立派に任務を果たすことに成功していた。そしてその勢いは、エリートチームを率いて半年たった今でも止まるところを知らない。昨シーズン、ペップバルサと同じ三部リーググループに入り、リーグ戦を戦った何人かの監督たちがペップに関して語っている。そこには、成功した人物に対する賞賛さえあれ、この世界にありがちな嫉妬や皮肉、あるいは悪口は聞こえてこない。

「自分の例で言えば、シーズンを重ねていくごとにいくつかのことを学び、そして次のシーズンにまた新しいことを学んできた。それが監督“経験”というものだろう。だが、ペップの場合は、一試合中に多くの“経験”を積んでいるように思えた。」
かつてのベナブレスバルサ時代にカピタンまで務めたラモン・カルデレは、レウスというクラブの監督だ。10年以上の監督経験を持つ彼が、ペップの状況判断の鋭さを指摘する。
「我々相手の試合に、ペップは3−4−3というシステムで、中盤はロンド形式で戦い始めた。だが、その戦い方がうまく機能しないと判断するのに2分とかからず、彼はシステムを変えてきたんだ。先日会ったエスパニョールの元監督ティンティン・マルケスも同じことを言っていた。モンジュイクの試合でも、ペップは同じように2分でシステムを変えてしまった。この状況判断の速さだけを見ても、並の監督じゃないことがわかるよ。」

システムの変化だけではなく、スタメン選手や交代選手の選択にも、試合ごとに変化させてきたことを“目撃”してきているエウロッパのホセ・アンヘル監督。毎試合のように変化するスタメン選手は、単に選手の疲労度を考慮にいれてのものだけではなく、その試合に最適と思われる選手の選択という意味合いが強いのだろうと彼は分析する。
「なぜなら、昨シーズンのペップバルサも今と同じように、毎試合スタメン選手を変えてきていたからだ。我々との試合でも前のメンバーをがらりと変えて戦ってきていた。彼らが前に対戦したチームは非常に守備的な戦いをしてくる傾向があり、我々は攻撃的なチーム。戦いのフィロソフィーは決して曲げないものの、相手チームの戦いの傾向を分析した上で、11人の選手たちを選択してきていた。」

スタメン選手の違いという現象を、イグアラーダ監督のマルティ・アラベドラは他の角度から分析している。
「バルサBは確かに良い選手がそろっていたし、チームそのものもうまく機能していた。だが、それでもシーズン開始当初は、グループ首位になるようなチームではなかった。それが試合を重ねていくごとに、チームそのものが成長していく。それはひとえに、ペップという監督が試合ごとに試みてきたことがうまく機能し、チームだけではなく、選手そのものが成長することが可能となったからだと思う。その最たる例がセルヒオ・ブスケだろう。我々との最初の試合ではスタメンにも入っていなかった選手だったが、月が変わるごとに成長を見せ始めるようになった。」

ペップバルサと同じように、二部Bへのカテゴリー昇格を成功させたサン・アンドレウ。このチームの監督ナッチョ・ゴンサレスは、奇妙なことにペップバルサと対戦した2試合とも、カード制裁でベンチに入っていない。
「試合を観客席から眺め、試合終了と共にバスに向かって引き上げようとした時、バルサの関係者が私を呼び止めたんだ。ペップ監督が是非合って話をしたいので時間をくれないか、そういう用件だった。いや、はっきり言ってビックリしたよ。三部リーグの監督と言っても、あのペップ・グアルディオラだからね、私なんぞは無視してくるのかと思っていた。もちろん私はペップに会いに行った。まだベンチにいた彼と、長い間フットボールの話に花を咲かせて楽しい時間が過ごせた。監督としてだけではなく、1人の人物としてもじゅうぶん尊敬に値すると思ったのはその瞬間からさ。」

ビラノバというチームの監督であり、かつてエスパニョールやナスティックでプレーした経験を持つサンティ・パランカもペップとフットボール談議に花を咲かせた1人だ。
「試合が終わり、ペップが挨拶するためにベンチにやって来た。『サンティ、君のチームと我々は3−4−3というシステムを採用している、この世界では唯一と言っていいかも知れない存在だ。だから、いろいろと意見を交換するのは意味のあることだと思う。』開口一番、彼はこう言ったんだ。それからデフェンサシステムのことから始まり、セントロカンピスタに必要な条件とか、デランテロとしての動きのこととか、試合が終わったばかりだというのに我々は1時間近くも話し合ってしまった。あの時のことは一生忘れられないだろうと思う。」

※あのエドゥミルソンがビジャレアルを離れ、ブラジルのパルメイラスに移籍。来週から始まるコパ・リベルタドーレスに向けての補強ということらしいが、パルメイラスの監督がルクセンブルゴだったとは知らなんだ。そんなことはともかく、エドゥミルソンはまだ32歳。ヨーロッパを離れるのには少し早すぎた感があるが、ビジャレアルのアホ監督が試合に出場させてくれない状態だからし方ないかも知れない。スエルテ!エドゥミルソン!


国王杯準々決勝ダントツ対ダンペコ
(09/01/21)

ダントツバルサとダンペコエスパニョールのリーグ戦におけるポイント差は、何と30ポイント。国王杯準々決勝の一つは、この圧倒的な差がついている両チームによって争われる。二部Bカテゴリー所属のポリ・エヒードを相手に1/8の試合を戦い、勝ち抜いたことにより、準々決勝進出となったエスパニョールだが、この試合を前にして、エスパニョールファン、つまりペリーコたちの間で“準々決勝進出すべし!”組と“国王杯を捨てるべし!”組とにはっきり分かれて議論がなされていた。

“準々決勝進出すべし!”組の意見はこうだ。ここまで落ち込んだチームを立て直す唯一の方法は、チーム総体にドデカイ電気ショックを与えることのみによって可能となる。とは言うものの、そんじょそこらのチームに勝ったとしてもモラルの上昇具合は大したものとならない。そこで、歴史的ライバル(と、ペリーコが勝手に思っている)バルサに勝利することによって、初めてそれが可能となるのではないか。イチかバチかの勝負となるとはいえ、これが唯一の電気ショックとなり得る。

そして、“国王杯を捨てるべし!”組の意見はこうだ。現実的に考えて、今のバルサに勝てるわけがない、奇跡を1回だけ呼べる一発勝負の試合ならともかく、ホーム&アウエーの試合で勝利できるわけがない。しかも歴史的ライバル(と、ペリーコが勝手に思っている)バルサとの試合にエネルギーを費やすことにより、リーグ戦に影響を与える可能性が大だ。今はすべての力をリーグ戦に向けるべきであり、したがって、ポリ・エヒードの相手の国王杯など捨てて、週末のリーグ戦だけに集中すべし。

幸か不幸か、彼らはポリ・エヒードを退け、国王杯準々決勝へと進出してしまった。そしてその試合を前にして、再びリーグ戦での敗戦。ペリーコたちの雰囲気が良いわけがない。さらに、バルサ戦前日には誰もがアッと驚く、またまた監督交代劇。いったいどうなっちまってるんだ、このクラブは。

通称モンジュイク、正式名称エスタディ・オリンピク・ルイス・コンパニス。今から10年ぐらい前からエスパニョールが使用している“ホームスタジアム”の収容人員は5万6千人となっているが、これまで5万人以上入ったためしがない。レアル・マドリ、あるいはバルサ相手の試合だけが大勢の人々によって埋められてきたが、ペリーコには容れ物が大きすぎたため満員とはならなかった。そして今回の試合も決して大入り状態とはならない。チームの不振が続いてペリーコたちが落ち込んでいることもあるが、それだけではなく、クラブがチケットを一般販売していないからだ。リーグ戦でのバルサ戦でボイショス・ノイスが問題を起こしたため、今回の試合はエスパニョールソシオのみにチケットが販売されることになっている。バルサに割り当てられた100枚ほどのチケットを手にしたバルセロニスタは別として、ごく普通のバルセロニスタや旅行者たちは、“基本的”にチケットを手に入れることはできない。“基本的”にとしたのは、エスパニョールソシオには3枚まで販売するそうだから、小遣い稼ぎに即席ダフ屋をやるペリーコが必ずいることが予想されるからだ。

個人的には、これまで一度としてモンジュイク観戦をしたことはないし、もちろんこの試合にも行く気はないから、まあ、チケットを一般販売しようがしまいがどうでも良いことながら、この試合が特別なのは、モンジュイク・ダービー戦として最後のものとなってしまうからだ。

コルネヤという街に建造中のスタジアムが、来シーズンからエスパニョールの地元となる。スタジアム名はスポンサー現在探し中なので、まだ決定していない。スポンサー次第では“チュパチュップス・エスタディ”となるかも知れないし、“ザラ・エスタディ”となるかも知れないし、“カンペール・エスタディ’となるかも知れない。3万9千500人という、手頃な収容人員となっていて、デザインもモダンな感じ。だいぶできあがってきたスタジアムを見ると、非常に素晴らしいものになりそうな雰囲気ながら、その建築風景を日に日に確認するペリーコには一つの重大な悩みがある。それは、一部リーグのスタジアムとしてお披露目することができるのか、はたまた二部リーグでのお披露目となってしまうのかという深刻な問題だ。かつてのサリア・エスタディ以来の自前のスタジアムであるから、二部落ちと同時にお披露目となってしまうと、それこそ多くのバルセロニスタの笑いものとなってしまう。

性格の良い、ごく普通のバルセロニスタの思いはこうだ。ルーチョバルサに何としてでもカテゴリー昇格を果たしてもらう。二部Bカテゴリーから二部Aカテゴリーへの昇格。そしてリーグ戦日程の抽選では、何としてでもフエラで最初の試合をコルネヤのスタジアムとすること。これで歴史的な試合が開催されることになる。エスパニョール対バルサ・アトレティコ、新スタジアムでのダービー戦。この試合は見に行きたい!

※デポル戦でのメッシーのゴール。あれは南ゴール側に入ったゴールだから目の前で見ることができた。ゴールネットに向かっていくボールは、明らかにゴールポストの外に向かっていく軌道。ところが、コロコロと転がっていくボールが、ゴール前5mあたりから曲線を描いていった実に不思議な風景。左足で蹴ったボールだからカーブになるはずなのに、それがシュート回転してしまう。メッシーが意識的にそう蹴ったのか、デフェンサ選手にぶつかったのか、あるいは芝が出っ張っていたのか、はたまた透明人間でもいたのか・・・。それをテレビで確認しようと思ったら、残念ながらゴール裏からの映像がありませんでした。


名誉に誓って
(09/01/17)

レアル・マドリ会長のラモン・カルデロンは、奇っ怪な噂がとぶことが多い何かと怪しげな人物だ。まるでイタリアマフィアの親分のように実像がはっきりしない人物だということもあり、ドン・カルデローネという愛称も持ち合わせている。その彼と彼の11人の子分たちが、14日の水曜日におこなわれた特別記者会見にそろって顔を出し、彼らの無実を訴えている。

ソシオでもない無関係な人物をソシオ審議会に参加させたのはあなたの命令か?
「私たちの誰1人としてそんなことを許した覚えはないし、直接的にも間接的にも、そんなことに関係した覚えはない。私と、そして理事会員の名誉に誓って私たちは無関係であり、あえて言うなら私たちは犠牲者と言ってよい。」

その人物たちの顔写真がメディアに公表されたが、心当たりのある人物はいるか?
「誰1人として付き合いはないし、どんな人々なのかも想像がつかない。ナニンの友人たちであり、彼が勝手に連れてきてしまったようだ。私の両親と愛する女房の名誉に誓って、彼らはまったくもって知らない人物だと断言できる。」

ナニンとは親しい関係か?
「私が会長になってからクラブ関係者となった人物のようだが、ここ2年半の間で5、6回ぐらいクラブ内ですれ違ったことがあるかも知れない。個人的にはよく知らない人物であり、私の愛しい娘と息子の名誉に誓って、彼とは無関係だと断言する。」

こういう状況を招いてしまったことに責任を感じ、辞任しようとは思わないのか?
「辞めるのは簡単なことだ。だが、それは卑怯者のすることだ。私はこの状況を打開するために戦うことを決意している。私の愛するスヌーピーの名誉に誓って、ここは断固として戦い抜くことを断言する。」

スヌーピーとは誰か?
「私の飼う愛犬だ。」

ナニンと呼ばれた人物は、本名マリアノ・ロドリゲスというクラブ職員で、ナニンというのはニックネーム。最終的に彼がトカゲのシッポとなり、1人責任を取らされてクビになったわけだが、どうやらこのドジな権力者どもは、沈黙料というのを彼にしっかりと支払っていなかったようだ。この記者会見が終了してからわずか4時間後、ナニンはメディアに登場してきて「自分のやって来たことは、すべて会長の指示によるものだ。」と告白してしまった。そして翌日のマルカ紙の一面には、ソシオ審議会に不法入場していた数人と、ドン・カルデローネ会長の家族たちが一緒に写っている写真が公表されてしまう。ドン・カルデローネ家でのパーティーの写真のようだ。さらに、ナニンという人物のことも時間の経過と共にはっきりしてくる。彼はドン・カルデローネが会長選挙運動を始めた頃からの協力者で、特に郵便投票を無効にしたのは彼の“政治”のおかげであり、会長はそのことだけでも深く感謝しているという。フエラの試合には必ず同行しているから、メディアの間では顔だけは知られていた人物でもあったらしい。

ドン・カルデローネと彼の子分たち、彼の両親と彼の愛する女房、そして彼の愛しい娘と息子の名誉に誓った言葉のすべてが怪しいものとなり、さらにスヌーピーの名誉も怪しくなってきた。なぜならドン・カルデローネ会長は戦うことを拒否し、卑怯にも辞任しようとしているという噂が立ち始めたからだ。16日金曜日、すべての朝刊紙がドン・カルデローネ会長の辞任を予想している。この日の昼12時、ベルナベウのオフィス内で緊急理事会が開かれ、ドン・カルデローネは自ら会長の座を下りることを決意し、ただのラモン・カルデロンに戻るむねを理事会員を前にして語っているという。果たして、スヌーピーの名誉はどこに行ったのでありましょうか・・・。


カルデロン危うし!
(09/01/15)

ここではなるべくレアル・マドリのことには触れないようにと務めているものの、と言いながらずいぶんと触れているような気もするが、いやぁ、やはり触れなければならないときには触れないといけないわけで、しかもこんな楽しい話題を1人で抱えていては公共の精神に反するかも知れないし、ここはひとつ、意に反することとはいえ、思い切って彼らのことに関して触れちゃってみよう。

レアル・マドリ・ソシオ審議会については、昨年の12月10日のこのコーナーで触れている。ソシオ代表者だけではなく、外野席にはウルトラ・スルの連中まで押し寄せての異常な雰囲気のもとでおこなわれた、実に怪しげなソシオ審議会だった。会長派と反会長派の人々による怒号に包まれた中、ギリギリの投票数で昨年度の収支決算と今年度の予算案が承認され、ラモン・カルデロンがどうにかこうにか会長の職を延命することに成功した。だが、それから約1か月たった1月13日、マルカ紙が“ソシオ審議会は不正操作がおこなわれていた!”という爆弾ニュースを一面に掲載した。

批判精神が旺盛なカタルーニャメディアと違って、マドリメディアの特徴は体制擁護の精神にあると言って良い。したがって、彼らがクラブ内部問題を取りあげてスキャンダラスな話題とすることは珍しいことだ。よほどの危機感がない限り、彼らはクラブ批判をしない。クラブ首謀陣が向かっている方向が危険ラインを越えてしまったと判断したのか、あるいは元会長フロレンティーノの会長出戻りを促しているのか、そんなことは知るよしもないし興味もないものの、マルカ紙が開始した反カルデロンキャンペーンが怒濤のような勢いで展開されている。

マルカ紙の伝える“ソシオ審議会不正操作”というのは、ソシオ代表者でもないソシオが会場に侵入し投票していたことに留まらず、何人かのソシオでもない人々がとぼけた顔してソシオもどきとなり、何と投票までしていたというスキャンダラスな内容だ。その中にはアトレティコのソシオである人物までおり、翌日のマルカ紙一面には確認された何人かの不正操作人物の顔写真と名前まで丁寧に掲載されている。あのラポルタでさえこんなハレンチなことは(たぶん)していないであろう滅茶苦茶なことをしているカルデロンに対し、これ以上はないというほどのバッチリとした証拠、これは強烈だ。まさにカルデロン危うし。

もっとも、カルデロン体制が放つ楽しいスキャンダラスな話題は今に始まったことではない。会長としてスタートとなる会長選挙からして、スッタモンダの話題に花が咲いていた。その最たるものは郵便投票が突如として無効となったことであり、もしそれまでの会長選挙のように郵便投票が有効となっていれば、カルデロンの会長就任はあり得ないことだった。カルデロンの身内や友人、あるいはコネ所有者が、何百人何千人もの一般ソシオ“ウエイティング・リスト”をジャンプして、ベルナベウ年間席所有者となっていることも批判されていたし、補強選手の異常に高い獲得値段に関しても、黒い噂がチラホラと一部メディアに流れていた。そしてその“黒い噂”だったものを、スッキリクッキリと具体的に証明してくれた人物がいる。元クラブ秘書のクリスティナ・ベルムデスという女史だ。

マルカ紙が“ソシオ審議会不正操作”キャンペーンを開始する少し前に、インテルビューという週刊誌が反カルデロンキャンペーンを開始している。カルデロン会長時代の秘書として働いていたクリスティナ・ベルムデスの告白、それは今までの黒い噂をすべて肯定するものとなっているが、この楽しい話題には今回は触れない。美味しいものをたくさんいっぺんに食べてはいけない。

危機に立ったとき、その人物のリアクション次第で本当の人物価値がわかるというものだ。弱い者は声もなくダウンし、強いものは毅然と反撃に出る。この日の夜のラジオ番組に出席したカルデロンは、インテルビュー誌やマルカ紙の攻撃をものともせず、堂々とした態度(ラジオだから?マーク付き)で、何と来シーズンのCR7獲得作戦を披露してくれた。
おお、偉大なりカルデロン!
カルデロンをマドリ永久会長に!


ペップバルサ、遠くに行く
(09/01/14)

ペップバルサになってから多くの変化が生じている。監督が変われば何らかの変化が生まれるのは当然のことだが、個人的には画期的な変化だと思っているものが一つある。それは練習風景をほとんど一般公開していないことだ。いや、正確に言えばメディアにも公開していない。毎日の練習にメディアが参加できるのは最初の5分、あるいは10分間だけで、その後はカメラマンも追放されている。クライフバルサにも、ロブソンバルサにも、バンガールバルサにも、そしてライカーバルサにも、こんなことはなかった。リネッカーやロマリオ、ロナルドやリバルドなどの練習風景を目の前で見ることが普通のことだったバルセロニスタにとっては“空前の出来事”という感じがするが、すでにのどかな時代は終わってしまった。

今シーズンに入ってからメインとなる練習場は、これまでのラ・マシアの敷地からミニエスタディへと移行している。そして来週から、ペップバルサの練習場はミニエスタディを離れ、シウダ・デポルティーバ(カタラン語だとシウタ・エスポルティーバ)ジョアン・ガンペルへと引っ越していくことになる。カンプノウから北に4キロ程行ったところにある、カンテラ選手たちが練習や試合に使用してきたシウダ・デポルティーバを、メインの練習場として使用することになる。少々オーバーに表現してしまえば、これは歴史的なことでもあるだろう。

正式名称シウダ・デポルティーバ・ジョアン・ガンペル、ヌニェス元会長はこの土地を今から20年前の1989年におそろしく安い値段(1800万ユーロ)で買い取っている。サン・ジョアン・デスピと呼ばれるこの街は、今でこそ多くのマンションが建ち並んでいるところとなっているが、当時はまったくの原っぱ状態で、地元テレビ局のTV3の本部だけが目立つ土地だった。ヌニェス元会長のアイデアは、将来いつの日かこの土地にカンテラ選手たちが使用するいくつものグランドを作ることにあり、同時にバルサAチームの練習場とすることだったと言われている。だが、彼の会長就任中にはついにそのアイデアは実現せず、ガスパー元会長の時代まで待たなければならなかった。土地がクラブ所有のものとなってから11年後の2000年、カンテラ組織が使用するグランドと施設作りが始まった。ヌニェス元会長時代にはおりなかった許可が、ガスパー元会長になってからついに市役所から下りることになったからだ。

そしてそれから6年後の2006年。すでにクラブ会長はラポルタとなり、この年の6月1日、ラポルタ会長の手によってオープニングがおこなわれている。もっとも、この施設はガスパー元会長時代に8割方の終わりを見ていたのに、ラポルタ政権となってから工事の進行状態は亀の歩みのようになってしまい、なんとか公式オープンに持ち込めるようになるのに3年間が必要だった。総工費6800万ユーロもかかっているバルサの貴重な財産の一つだ。

ペップバルサが練習に使用するのはシウダ・デポルティーバ第一グラウンド。施設の正面入り口から入るとすぐ左手にあるメイングラウンドであり、これまでルーチョバルサが練習に、フベニルAチームが試合に使用していたグラウンドでもある。だが、いくつかの改修工事が必要だった。グラウンドの広さをカンプノウと同じ105m×68mにすること、芝をカンプノウに敷かれているそれとまったく同じものとすること、選手用の更衣室、ジム室、コーチたちのオフィース、記者会見場やメディアの控え室、医務室、食堂、集会室、エトセトラ、エトセトラ。ペップが監督に就任するときの要望の一つが、この練習場の建設だったと言われているが、8月から始まったこの改修工事に更に200万ユーロの資金が使われているという。

専用練習場を持つことは、ビッグクラブにとっては当たり前のことのようだ。多くのクラブが、スタジアムから離れたところに専用練習場を抱えているらしいが、これでバルサも彼らの仲間入りとなった。ここで選手たちは半日程缶詰状態となり、ファンやメディアと接触を持たない生活をおくることになる。そして、これまで試合前日にしか練習場として使用しなかったカンプノウ以外の場所で、何とコーナーキックの練習までできることになった。これは、ニュースだ。

※選手個人の賞にかんしては個人的にはあまり興味ないものの、メッシーとチャビという2人のバルサ選手がでるというので何となくFIFA宣伝番組を見てしまった。5分ぐらいで簡単に終わるのかと思ったらとんでもない。女子選手が5人でてきて、そのあと5人の男子がでてきて、これじゃあ、むかしどこかのテレビ局でやっていたお見合い番組みたいだ。前から噂されていたとおりCR7が賞を取り茶番劇が終了。メッシーが賞を独り占めするのはまだ先の方がよい。それにしてもカカが暗そうな表情をしていたが、神様と喧嘩でもしたのか、はたまたロナルディーニョやベッカムにエネルギーを吸い取られてしまったのか・・・。バルサの選手以外に、ミラン、リバプール、マンチェスターからそれぞれ1人ずつ。あれっ、メッシーとためを張るロベンがいないと思っていたら、マドリを代表してバン・デル・バールの美人奥さんがプレゼンテーターとなっていました。


メディア
(09/01/09)

“試合結果”のコーナーを見に来ている人がいるかどうか非常に怪しいと思っているが、この自己満足コーナーの最大の“武器”は何と言ってもスピードであり、もし見に来ている人がいたとしても、内容なんぞを期待している人などいないだろう。タイトルも思いつきに過ぎないから大した意味も持っていないが、それでもメディアと同じになるようなドジは避けたいと思っている。そういう意味において、アトレティック相手の国王杯の試合タイトルは失敗の巻きとなった。“メッシー、メッシー、そしてメッシー”、翌日のメディアを見ると、何と三つのスポール新聞が同じタイトルで紙面を飾っていた。

それにしてもこんなことは珍しいことだと思う。エスポーツ紙、エル・ムンド・デポルティーボ紙、そしてマルカ紙、この三紙がそろって(Eの数に違いがあるとは言え)すべてメッシー×3のタイトル。メディア間におけるハットトリックだ。これで、もしアス紙も同じようなタイトルにしたとしたら、スポーツメディアの長い歴史において初の“ポーカー現象”となっただろう。

ところで“ハットトリックメディア”の一つとなったマルカ紙が、大いに笑いもののネタとされている今日この頃。日曜日におこなわれたビジャレアル戦でゴラッソを決めたロベンに気をよくしたのか、“ロベン、メッシー、どちらの選手がより優れているか?”というアンケートを紙面でおこなったのが月曜日の夜のこと。アトレティコ・バルサの試合当日の火曜日夕方にその結果をのぞきに行ってみると、4万人近い人が投票しており、60%強でメッシー、30%強でロベンという結果がでている。そしてその日の夜のメッシーの大活躍。しかも、その翌日のこのメディアのタイトルはメッシー×3となっていた。バルセロニスタからの嘲笑だけではなく、マドリディスタからの“情けなさ批判’がわき起こった。同じポジションのデランテロであり、そして一方が19ゴール、片方が3ゴール、まったくもって比較の対象とならないことは、チームカラーの違いを持つファンにとっても明らかだ。実にタイミングの悪いアンケートだった。

アス紙の編集長は皮肉を込めて、社説を通して語る。
「ある時はロビーニョと比較し、ある時はアグエロと比較し、そして今回はロベンと比較されるレオ・メッシー。だが、彼と比較される対象となる選手は、すでに歴史的に名を残した選手にしか見つからない。そしてその対象となり得る最も相応しい選手はディエゴ・マラドーナしかいない。」

だが、マルカ紙も黙ってはいない。この社説内容と関係あるのかどうかは知るすべもないが、スペインスポーツメディアにおいて最も優れたジャーナリストの1人だと個人的に思っているサンティアゴ・セグロラが、マルカ紙上でアス紙の編集長がおこなってきている“ビジャラット(2008年11月1日のこのコーナー参照)”キャンペーンを批判している。
「審判がバルサ有利の笛を“意識的に”吹いているというキャンペーンが見られるが、それは果てしなく幻想を見ているようなものだろう。誤審はこの世界につきものであり、決してなくなることはあり得ない。例えば、バルサ・マジョルカ戦でのイニエスタのゴールはオフサイドだったかも知れないが、マドリ・ビジャレアル戦でのカンナバロのペナルティーエリア内での明らかなファールを審判は見逃している。バレンシア戦でも同じ選手によるPKを審判は見逃しているし、いずれにしても審判の誤審に関していえばキリがないことになる。バルサが圧倒的な差でリーグ首位にたっているのは、もちろん有りもしない“ビジャラット”とは無関係だ。彼らは多くの試合を素晴らしい内容で戦い、どこよりも多くのゴールチャンスを作り出し、どこよりも数少ない失点を記録し、その結果どこよりも多いポイントを稼いでいるに過ぎない。しかも、そのスペクタクルな試合内容はチームカラーとは無関係に、試合を見ている多くの人々に喜びを与えてくれている。」

結果的にメッシーやバルサの絶賛となる内容で、しかも何やら“内ゲバ”現象を見せ始めた首都メディアでした。

※パリ制覇後の2年間、すっかり落ち込んでしまったライカーバルサの原因はどこにあるか、それを“こちらジョセーシュウカンシ”が深く追究する。ライカーは先月の29日に離婚発表しているが、別居生活はすでに2年前から噂されてきていた。ラポルタもほぼ同じ時期に離婚発表をおこなっているが、彼もまた新しい女性関係の噂は2年前から流れている。2006年以降、恋人関係の消滅、あるいは彼らのように離婚を密かに公表してきたバルサ関係者は実に多い。エウセビオの離婚、デコの離婚、マルケスの離婚、プジョー、チャビ、イニエスタなどの恋人関係の破滅、パリ制覇の当事者ではないものの、トゥランとアンリの離婚。これらの私生活の問題が、グランドでの活躍に影響を与えないと誰がいえるのでありましょうか。


マラドーナ
(09/01/07)

ディエゴ・アルマンド・マラドーナ著による“私はディエゴ”という本の中で、彼はバルサ時代のことを次のように簡潔に表現している。
「バルサ時代は、自分の人生の中でも最悪のものだったと言える。肝炎に倒れたり負傷に倒れたりしただけではなく、バルセロナという街も最悪だった。カタラン人のキャラクターというのは自分には合わなかったし、しかもどちらかと言えば、自分はバルサではなくレアル・マドリにシンパ感を抱いていた・・・。」
そしてヨハン・クライフは何冊かの自著の中で、あるいはメディアからの質問に対して、いつも次のようにマラドーナのことを語っている。
「フットボール選手としては確かに素晴らしい才能を持った人物だろうが、フットボール界に与えた悪影響は計り知れないものがある。子供たちのアイドルとしては、最悪の見本と言って良い。」

そのマラドーナが25年ぶりにカンプノウにやって来た。

「ヌニェスが閉じていたカンプノウの扉を、ラポルタが再び開けてくれた。」
とラポルタに対してのリップサービスも忘れないマラドーナ。もちろん扉を閉めたのはヌニェスではなくマラドーナ自身であり、25年間にわたって彼が勝手に扉を閉め続けていたに過ぎない。ヌニェスが会長を辞任し、他の人物が会長に就任してから何回かおこなわれたクラブ記念式典への招待を、すべて断り続けてきていたというのは周知の事実だ。だが今回、彼はアルゼンチン代表監督として、25年ぶりにカンプノウを訪れている。誰が扉を閉め誰がそれを開けたかは別として、もし代表監督とならなかったら、いまだにカンプノウを訪れることもなかっただろう。まあせっかく来たのだから、ここは一つ、かつて在籍したバルサというクラブに対し、熱い思いを語ってしまうという、本心からのものか、あるいはサービス精神なのか、そこら辺は相変わらずわからないマラドーナ現象。そしてクライフも、もちろんガキじゃあないから、まるでかつての旧友に会ったかのような親しげな挨拶をしている。

個人的には、マラドーナの姿をカンプノウで見ることに驚き、そしてクライフとマラドーナが、いかに表面的にではあれ、親しげに挨拶しているところをテレビ画面で見られるとは想像もできなかったことであり、いやはや、世の中何が起きるかわからんもんだ。

わからないと言えば、アトレティコ相手の国王杯の試合もどう転ぶのか予想できない。
「1月は国王杯の季節だ。」
とばかりにこの戦いを重要視していたペップ監督が、エトー、チャビ、バルデス、グジョンセンをバルセロナに残している。体調がイマイチのプジョーやフレブ、そしてマルケスも招集されていない。招集されたのは16人の選手たち。ピント、ジョルケラ、シルビーニョ、アビダル、カセレス、ピケ、アルベス、サンチェス、ブスケ、ヤヤ、ケイタ、イニエスタ、アンリ、ボージャン、ペドロ、そしてメッシー。
「このメンバーで普段と変わらない戦いができると信じている。いつものように攻撃的な姿勢を貫いた戦いができればいいと思う。」
監督がこのメンバーでじゅうぶんというのなら、それはそれで間違いない。5月13日、何としてもこの日には決勝戦がおこなわれるバレンシアに行かせてちょうだい。

※メッシーの日本語ブロックができたと聞いて、それではと拝見。彼は21年の人生の中で、まだ1冊の本を読み終わった経験がないというし、書いたりしゃべったりするのは得意芸ではない。それでも挨拶文ぐらいは自分で担当したのかと思ったらそうでもなかった。ブロッグのスタートページにあるスペイン語はアルゼンチン語ではないし、メッシーが語るような内容でもない。毎日(?)誰がブロッグを書いているのか、メッシーがどのくらい絡んでいるのか、そんなことにはまったく興味ないものの、あの日本語の文章はまるで中学生のそれのような雰囲気。とても読む気になれずすぐに退散の巻き。


2009年、栄光の年のスタート!
(09/01/02)

12月21日ビジャレアル戦をもって、2008年のすべてのスケジュールを消化したペップバルサの選手たちは、試合終了と共にそれぞれのバケーションプランにしたがって行動し、解散している。ある選手たちはバレンシアから飛行機に乗って自国へと向かい、ある選手たちは車で目的地へと移動し、そして多くの選手たちは移動バスでバルセロナへと向かっている。そして、練習再開日もまた選手によって異なるという、見た目には異常なスケジュールとなっている。EU圏内の選手たちは12月29日月曜日集合となっているのに比べ、南米やアフリカ出身の選手たちの集合日は年が明けてからの1月2日金曜日と設定された。その恩恵にあずかった南米組はメッシー、カセレス、マルケス(彼はメキシコではなくヨーロッパでのバケーションとなったため、その後このリストから外されている)、アルベスの4人、そしてアフリカ組(モナコでのバケーションを決め込んだトゥレ・ヤヤはこのリストに入っていない)はケイタとエトーだ。

ペップ監督の独断的な判断で決めたものではなく、すべての選手の同意をもって決められたスケジュールだという。したがって、選手間に不満がおこる性質のものではなく、各自が責任をもって己のスケジュールを全うすれば、それはそれで良しということになる。EU圏内の選手であれ、中南米の選手であれ、同じ期間のバケーションが与えられた場合、飛行機が予定より遅れたり、あるいは予定どおり出発しなかったり、はたまた乗り継ぎがうまくいかないという“理由”などから、1日や2日遅れてくる南米組が多かったが、今回はその可能性はゼロに近いものと予想された。よくしたもので、4日間も多くバケーションを与えられた選手たちが利用する飛行機は予定どおり出発し、遅れる可能性はゼロだからだ。しかも2日の練習開始時間は夕方からとなっているから、彼ら全員(と言ってもアルベスとメッシーとカセレスの南米組だけ)が遅刻することはないだろう。

12月29日月曜日17時30分、風邪引きさんとなったヤヤをのぞいて、この練習に参加予定されていたすべての選手が、ミニエスタディにその元気な姿を見せている。この中にはドクター許可が下りたばかりのイニエスタの白い顔も見られた。この冬の唯一にして最高の“加入選手”となるイニエスタの復帰、それはドジなレアル・マドリが4700万ユーロも浪費しておこなった、冬の補強作戦とは比べることのできない強力な“加入選手”となるのは間違いない。

12月30日火曜日17時30分、2日目の練習となったこの日、風邪ひきさんだったヤヤも参加。そして中南米・アフリカ組の1人であるエトーが、長期休暇をとっている仲間の“黒い羊”となって、オフサイド気味にこの日から練習に参加してきている。
「練習がしたくてしたくてうずうずしてしまった。」
と言うことで、予定日より3日前に顔を見せている。

12月31日水曜日11時、この大晦日の午前中の練習には、なんとケイタまで戻ってきて参加している。二匹目の“黒い羊”の登場が、ペップ監督には何とも嬉しいニュース。やる気満々アフリカ組だ。

2009年リーグ初戦となるマジョルカ相手の試合には、マルケスとヤヤ、そしてエトーとケイタを加えたEU圏内選手のみが出場して戦うことになる。29日、30日、大晦日、元旦、2日、そして試合当日の午前中にも練習を続けることになる彼らは、万全の体制でこの試合にのぞむ。そして1月2日練習開始の南米組の選手たちは1日2回の練習をとおして、6日に予定されているAt.マドリ相手の国王杯に出場することになるだろう。1月だけでリーグ戦4試合、場合によっては国王杯も4試合、合計8試合を消化しなければならない超過密スケジュールが待っているペップバルサ。1人の例外もなく、すべての選手が必要となる季節がやって来ている。

※スペイン経済の悪化状況は、思わぬところにも影響を与えている。12月28日ロス・サントス・イノセンテの日には、例年であれば各メディアがイノセンテニュースを流す日。だが、今回はエル・ムンド・デポルティーボ紙が掲載した“ペップがクラブ会長就任を目指す”という遠慮気味なイノセンテ記事しか見つからなかった。エスポーツ紙もマルカ紙もアス紙も、そして一般紙もそろってイノセンテ記事を掲載していない。それはひとえに、失業者が記録的な数で続出しただけではなく、各企業での首切り問題などを抱えている状況を考慮してのことだという。つまり、ジョークなど言っていられない状態にまで追いつめられているということだ。