2008年
2009年
2月

ラポルタ疑惑(下)
(09/02/27)

ラポルタがバルサ会長となってからの彼が成し遂げたいくつかの功績は、誰しもが認めるところだろう。正しくは、ラポルタ理事会が達成した功績とするべきかも知れない。各自それぞれの理由でクラブを去っていったかつての理事会員、例えば、ロナルディーニョ獲得を成功させたサンドロ・ルセー、クラブの経営危機を救ったフェラン・ソリアーノ、あるいはマーケティング部門で手腕を発揮したマーク・イングラ、エトセトラ、エトセトラ。そしてラポルタ政権が樹立されてから6年たった現在、当時の理事会構成員はほとんど残っていない。

フットボール選手に“賞味期限”があるように、理事会そのものにも同じようなものがある。不信任投票で60%のソシオがアンチ・ラポルタを表明した時点で、ラポルタの“賞味期限”もまた切れていたのだろう。彼のやり方に不満の意思表示をした多くの仲間が去っていき、そのポストを埋めたのは、すべてラポルタの息のかかった人物となった。すべてがイエスマン。ラポルタの右腕となって、彼の判断の誤りを指摘する人物はクラブ内にいない。ウズベキスタンとの不透明な接触に対して、最後まで反対したことでクラブを去ることになったチコア女史。ソリアーノの右腕となり経済部門の核となった彼女は、クラブ財政のためというよりは、ラポルタ個人のビジネスのためにウズベキスタン関係者に近づいたことを内部批判した1人だったという。だが、すべてイエスマンとなってしまった現在、クラブ内の不透明さは更に不透明となったままだ。

「私には隠すものは何もない。マジョルカの持ち主がマネージメント会社をコンペという形で募集し、我々の事務所がそれに参加しただけで、バルサとは何の関係もない話。買い手となったミハイル・ダラロフ氏は私の職業上のクライアントであり、これもまたバルサというクラブとはまったく関係ない話。法律的にはもちろん、クラブ規約にも触れるようなことはしていない。」
ラポルタがこう語るように、マジョルカというクラブの売買に顔を突っ込み手数料を稼ぐことは、法律的にもクラブ規約的にも問題がないことかも知れない。だが、多くのソシオにとって、その行為はバルサの会長としてモラルに欠けるものとうつる。

ブニョディコールの関係者であるミハイル・ダラロフという人物がラポルタの職業上のクライアントとするならば、なにゆえラポルタはクラブ公式行事としてウズベキスタンを数回にわたって訪れているのだろうか?なにゆえこの訪問に、クライフ関係者が同行しているのだろうか?エトーというクラック選手が、なにゆえこの名も知れていなかったクラブに、移籍するという噂が流れたのだろうか?なにゆえバルサの選手がこの見知らぬクラブにクリニックと称して訪れているのだろうか?そして最後に、なにゆえバルサというクラブが、このブニョディコールというクラブに接近にしなければならなかったのだろうか?

いくつかの疑問が簡単に浮かんでくるが、その答えは簡単にはでてこない。

例え、法律的にもクラブ規約的にも何の問題とならず、あくまでも合法的な個人ビジネスとしよう。だが、次のような状況が生まれたら、やはりモラルの問題となる。

例えば5月17日リーガ第36節、リーグ戦が終了するまで残り3試合となったことろでのマジョルカ対バルサの試合。すでにリーグ優勝はバルサのものとなっているのに対し、マジョルカはカテゴリー残留をかけての厳しいスケジュールの中で、バルサを迎えての重要な試合、と仮定しよう。観客席のパルコには二人の友人、つまりマジョルカを買い取ったウズベカ・ゼモラックス会長ミハイル・ダラロフと共に、バルサまだ会長にしてラポルタ&アルボス弁護士事務所のラポルタが同席していたとしたら、そしてもしマジョルカが勝利したとしたら、それは実に怪しげな風景となることは間違いない。

実のところ、多くのバルセロニスタにとってラポルタのことなんぞはどうでもいいことだろう。ひたすらペップバルサが勝利してくれることのみを願ってはいても、会長がどうこうしようが興味の対象とはならない。だがもし、バルサというクラブがそのクラブ規約がうたうように、ソシオ1人1人のものであるとするならば、そのソシオ代表者の多くのソシオを嘲笑しているかのような行為はヨロシクない。年間ソシオ料がメッシーの年俸のほんの一部になると思えば夢のある話となるが、ラポルタ弁護士事務所の水道代の一部となっているとしたら、そりゃ、あなた、夢もちぼうもありません。

※驚きのニュース。2月26日、なんとミリートが合同練習に参加していた。4月の末に負傷したから約10か月ぶりの合同練習参加ということになる。もちろんアトレティコの試合出場は不可能だろうし、国王杯の試合にも間に合わないだろう。でも、合同練習への参加というニュースは、彼の復帰が時間の問題となったことを意味している。誰よりも休養はじゅうぶん、そして猫の手も借りたい3月、4月の試合に、ひょこっと戻ってくることになりそうだ。できるならば、彼の復帰最初の試合をカンプノウで!


ラポルタ疑惑(上)
(09/02/26)

1−1、リヨンとの試合結果は、バルサにとって満足できるものと言っていい。だが、試合内容はといえば、ここ何試合かの下降カーブを描いているペップバルサのそれだった。多くの選手が消えていた試合、特にメッシー、エトー、チャビ、そしてゴールを決めたとは言え、ほぼ消えていたアンリ。次の試合をスタート地点として、消えかかっている彼らが再び戻ってくることを期待しよう。消えて欲しいのは・・・バルデスのチョンボとラポルタの不可解な行動だけ。

去年の6月、ラポルタ会長に対し、弁護士オリオル・ジラルというソシオから不信任案が出された。その不信任案に対し反撃体制をとったラポルタは、各地で講演会を開き、これまでのクラブ方針の正しさを訴え続けた。その一つ、プレミア・デ・マルでのバルサペーニャの集会で次のようにブチあげている。
「クラブ理事会を構成する人間は誰1人としてフットボールのビジネスと関係があってはならない。常にビジネスと無関係な独立した立場でクラブを運営していかなければならないからだ。」
オリオル・ジラルがサンドロ・ルセーの息のかかった人物として怪しんでいたラポルタだけに、明らかにナイキやブラジルフットボール協会にコネを持つルセーに対する嫌みだった。だが、それからわずか1か月後、ラポルタはこのフィロソフィーに反することを自らおこなっている。

マジョルカの最大株主会社であるビニプンティロ社を経営するビセンス・グランド氏が去年の夏、クラブ売買のマネージメントをおこなう会社(簡単に言ってしまえば、マンションを売る不動産屋みたいなものだ)をコンペにかけ、それに応募してきたラポルタ&アルボス弁護士事務所が最終的に選ばれた。この弁護士事務所の名からして、バルサまだ会長ラポルタが指揮をとる会社であることは子供でもわかる。このコンペが発表されたのが7月、つまりプレミア・デ・マルでの発言から1か月後のことだ。

この事実を暴露するメディアが登場したのが今年の2月のこと。中央メディアの一つであるエル・ムンド紙(エル・ムンド・デポルティーボ紙とは無関係)が、事細かくその事実をすっぱ抜いている。マジョルカを買い取ろうとした企業の名はウズベカ・ゼモラックスといい、チューリッヒに本社を置く鉱山業、繊維業、農業などを業種とする多角経営企業。スイスに本社を置くといっても別にスイス企業ではない。ウズベキスタン産の企業であり、ウズベキスタン人ミハイル・ダラロフという人物が仕切っている企業だ。そしてこの人物はウズベキスタンのフットボールクラブであり、リバルドがプレーしているブニョディコールというクラブの関係者でもあるという。ラポルタはこの人物を連れてマジョルカを訪れ、クラブ売買の交渉をしている。交渉のマージンはクラブ買い取り料の7%。6千万ユーロの購入料を申し入れたとされているから、ラポルタの懐には420万ユーロもの大金が入るはずだった。“だった”とするのは、今のところ交渉が中断されている状態で、まだマジョルカは誰の手にも売られていないからだ。

さて、このブニョディコールというクラブの名を聞いて、アレッと思う人もいるかも知れない。そう、今年の1月、シウダ・デポルティーバで非公開の練習試合をバルサとおこない、礼金として500万ユーロ!も支払ったとされるお金持ちクラブだ。

ウズベキスタンの首都タシュケントを地元とするブニョディコールというクラブは、2005年に誕生したまだホカホカのクラブ。誕生当時はクルチという名だったが、2、3年後に現在の名称に変更している。このクラブ会長であるイソク・アクバラフとラポルタが急接近を見せ始めるのが昨年のこと。ヨハン・クライフのマネージャーであるジョアン・パッチと共に、ラポルタは何回もこのクラブを訪ねている。それもバルサ公式訪問として、クラブの通訳を伴って訪れている。クラブオフィシャルHPにも、クラブパンフレット紙エスポーツにも、クラブ機密として、その訪問の内容は説明されていない不可思議な訪問であった。ちなみに、イソク・アバラフというのは原油関係の仕事を一挙に仕切っている億万長者らしいが、彼の持つ油井の一つにラポルタの名前を付けたり、クラブのエスクードを“バルサ風”に変えたりしている風変わりな人物だ。

突如として、サムエル・エトーの名と共にこのクラブがメディアの前に登場したのが昨年の夏。すでにバルサの監督はペップ・グアルディオラが就任しており、エトーは計算外選手として発表されていた時期だ。そこで、エトーがこのクラブに移籍するのではないか、そういう噂がバルサパンフレット紙を通じて流れ始めた。もっとも、そんな噂は誰1人として信用したわけではない。だが、クラブの名が何となくではあるものの、興味本位と共に知られ始めることになる。そして、エトーの移籍話からしばらくして、再びクライフのマネージャーと共に、何人かのバルサの選手が“フットボールクリニック”と称してこのクラブを訪れることになる。イニエスタ、プジョー、そして元バルサ選手のセスク、彼らに渡された日帰りクリニック1日のギャラが、それぞれ25万ユーロから100万ユーロとクラブ関係者が語っている。バルサのスター選手がクリニックをおこない、それまでは想像もつかないほどの“メディアチック”なクラブとなったブニョディコールは、その後、リバルドという選手を獲得し、ジーコを監督に迎える。


ぐやじいうざい
(09/02/24)

カタルーニャ州内で最大のファン数を誇るクラブはもちろんバルサ、そして2位がレアル・マドリと続き、3位がエスパニョールとなる。クラシコとデルビー。こういう試合に負けるのはとてつもなくぐやじい。例え引き分けとなって終わった試合でも、夜中にクラクションを鳴らして大喜びで街中を走り回るメレンゲやペリーコ共がうざい。勝利でもしようものなら、更なるクラクションで走り回るやつらがとてつもなくうざい。ぐやじいうざいせんしゅうまつ。

「オラー!ア・セグンダ!」
というお互い笑顔で、何人かの顔見知りと挨拶をしながら、試合開始2分前に自分の席へ。そして座るなり、気持ちの良い大合唱が聞こえて来るではありませんか。
“A Segunda, oe, a segundaa oeee! ”
“A Segunda, oe, a segundaa oeee! ”
“A Segunda, oe, a segundaa oeee! ”
おお、今日は久しぶりに良い雰囲気だぞい。200人程度来るかと思われたペリーコ軍団は来ておらず、プータ・バルサ!の合唱はなく、バルセロニスタだけで埋められたカンプノウ。だが、敵のスパイがグラウンドの中にいた。

ひどい審判。タルヘッタ・ロハのファールをそのまま流してプレー続行した初の審判だろう。遠くの方から見た印象で言えば、ケイタのファールはタルヘッタがでるにしても、せいぜい黄色のものだっただろうし、そもそもファールかどうかも怪しい感じだった。エスパニョールの選手がピスシーナをし、そのまま倒れて時間稼ぎをしているシーンは数えきれなかったし、とにかく止まっている時間がやたらと長い。ポチェティーノ戦法は、ファールを執拗に犯すことであり、そしてファールを受ければおおげさに倒れまくり瀕死状態となることであり、最終的にはバルサの戦いのリズムを破壊することだった。そう、ヘタフェやマドリがそうであったように“フットボールはしません作戦”が展開されていた。そして、フットボールができないバルサは焦る。そう、とてつもなく焦ってしまった。

バルデス、マルケス、アルベス、チャビ(カピタンマークをつけていたにもかかわらず、選手同士や審判とのもめ事があったとき、いったいどこにいたのだ!)、ケイタ、エトー、メッシー、アンリ、ほぼすべての選手にしても、審判同様、決して褒められる仕事はしていない。エトーがベンチに下がるときに、ブーイングは起こっていないが、エトーコールも大きな拍手も起こっておらず、どちらかというと無関心という感じでのお別れ。この日のバルセロニスタはエトーにゴマするどころではないのだ。10人で戦い、しかも負けている。この日の唯一の収穫は、10人であったにもかかわらず、果敢に攻める姿勢を見せてくれたことだろう。だが、結果はでず敗北。

まあ、こういうこともあるさ。そもそもこの日はバルサの日ではなかったのだ。3時間前に始まったミニエスタディではルーチョバルサが引き分け、2時間前に始まったバスケ国王杯では屈辱的な負け方をしていた。

リーグ戦24試合戦って2敗目(たった2敗!)、そして2位とのポイント差はフアンデがマドリ監督に就任してから10試合経過したところで2ポイント縮まって7ポイント(まだ7ポイント!)、と言うわけで、ぐやじいうざい試合のことはスッキリと忘れて、いよいよチャンピオンズ。さすがにチャンピオンズに生き残っているチームぐらいは、フットボールをしてくるだろう。今の状況から考えれば、バルサにとって願ってもないチャンピオンズの試合。
「我々に迷いはない。最後の勝利を獲得するために何をしていかなければならないか、そのことはすべての選手が理解している。我々が歩み続けようとしている道は、我々が知っている。」
我らがカピタン・プジョーのこの言葉を信じよう。

※バルセロニスタ・イバンへの素晴らしいアシストをしたあと、ボールがくるたびに一部の人々がバルデスにブーイングをし、そして他の一部の人々からは元気をだせとばかりに大きな拍手が送られた。がら空きのゴール枠上空に放たれたアンリのヘディングミスには誰もブーイングしないが、ポルテロの致命的なミスは失点につながるだけにブーイングの対象となってしまう。ウルッティ、スビサレッタ以降、これまで見てきたすべてのバルサポルテロは、例外なくブーイングの嵐に見舞われている。最後まで期待に応えることができず、このプレッシャーに負けてしまったバイアやロペテギ。だが、バルデスは精神的に強いというか、図々しいというか、生意気というか、そんなものには負けない良いキャラクターを持っている。バルサのポルテロは、そうじゃなきゃいけない。


三度、ダントツ対ダンペコ
(09/02/21)

ついこの間、国王杯でのデルビーがあったかと思いきや、今度はリーガでのデルビー戦。60ポイント獲得でダントツ首位を走るバルサに対し、チョボチョボと18ポイントを稼ぎダンペコ最下位を突っ走るエスパニョール。去年の8月31日以来、一度として敗北という苦い味を噛みしめたことのないバルサに対し、やはり去年の11月2日以来、一度として勝利の味を堪能したことのないエスパニョール。1982年3月にカンプノウでおこなわれたデルビー戦以来、地元で負けたことのないバルサに対し、当然ながらそれ以来、つまり27年間にわたってカンプノウ・デルビー戦に勝利したことのないエスパニョール。それでもデルビー戦。子供や大人はキャッキャキャッキャとはしゃぎ、年配の人々はデルビーモノクロ時代の昔話に花を咲かせるデルビー戦。お互いのチーム状況や成績がどうであれ、そして統計がどうであれ、デルビーはデルビーであり、その試合のある週はデルビーの話に花が咲くというもの。

だが、わずか何週間か前に国王杯で対戦しているからか、あるいはポイント差が離れすぎているからか、はたまた来週にはチャンピオンズの試合があるからか、今週末のデルビーの話題は意外と少ない。今週の話題は、まずベティス戦で同点ゴールを決めたあと、ペップ監督の所に走りよりながらナンダカンダ叫んでいたという、まったくもってどうでもいいエトーパフォーマンスのことから始まり、これまたどうでもいいフランススポーツ誌でのエトー発言に転移し、そしてドカ〜ンときたのが、ラポルタ理事会と会長そのものに忍び寄る疑惑問題。

クラブ経営は順調、それも超がつくほど順調に改善されていると歌い続けてきたラポルタ政権が、ラ・カイシャという銀行に3千万ユーロの融資を密かに申し込み、それが受理されたということが発覚。更に追い打ちをかけるように、ラポルタの経営する弁護士事務所が、マジョルカのクラブ権利販売に絡み、マジョルカ会長に420万ユーロのコミッションを要求していたというニュース。バルサの会長としてのモラルが感じられないだけではなく、例のアメリカリーグへの参加や、500万ユーロ儲けたと言われるウズベキスタンのチームとの練習試合に関しても、なにやら胡散臭い雰囲気がフニュフニュと伝わってくる今日この頃。バルサの台所を預かる人物は、フットボールビジネスと無縁でなければならないとして、元ナイキ関係の人間とサンドロ・ルセーを誹謗中傷し、会長選挙の際のライバル(と言っても、たいしたライバルではなかったけれど・・・)ホセ・ミンゲージャを、元選手代理人として批判した人物がこれでは、まったくもって信用もできないうえに、みっともないったらありゃしない。救いは、我らがバルサにはペップという監督がいて、メッシーという世界最優秀選手がいて、チャビやイニエスタやバルデスやプジョー、マルケス、アルベスというような素晴らしい選手がいて、スペクタクルに勝ち続けていることだ。

月日がたつごとに怪しげにみえる人物が、例の作り笑いのニコニコ顔で会長席に座っていても、それでも審判の笛が吹かれれば、それはそれ、いつものデルビー戦。
“Puta Puuuuuta Barca !!!!!"
と100人から200人程度のペリーコがそう叫べば、
“A Segunda, oe, a segundaa oeee! ”
“A Segunda, oe, a segundaa oeee! ”
“A Segunda, oe, a segundaa oeee! ”
と7万人バルセロニスタが試合開始早々歌い始めるデルビー戦。楽しいかなデルビー戦。

再び“テラッサの坊や”に戻りつつあるかのようなチャビが、
「エスパニョールはカタルーニャのチーム。是非とも頑張ってカテゴリー維持して欲しい。」
としらけることを言ってくれたと思ったら、
「エスパニョールが二部に落ちようが何しようが、そんなことは俺には関係ないぜ!落ちるヤツは勝手に落ちるんだ。」
とブチあげる我らがカンテラガキ大将セルヒオ・ブスケ。まあ、つまるところ、ガキ大将が言うように、本当はエスパニョールが二部に落ちようがどうしようがどうでもいいことながら、やはり試合観戦そのもは楽しい方が良いに決まっている。と言うわけで、みなさんもご一緒に、
“A Segunda, oe, a segundaa oeee! ”
“A Segunda, oe, a segundaa oeee! ”
“A Segunda, oe, a segundaa oeee! ”

※デルビーならぬクラシコ戦バルサ対マドリ、木曜日におこなわれたこのカードから、バスケの国王杯がスタートした。今年のこの大会はパラシオ・デポルテス・デ・マドリ、つまりマドリの地元で開催され、リーグ戦上位8チームが集まり一発勝負ルールで戦われる。木曜と金曜日が準々決勝、土曜日が準決勝、そして日曜日に決勝戦がおこなわわれる。そして、クラシコの結果は・・・勝った!勝った!勝った!


サムエル・エトー
(09/02/19)

「自分の心のクラブはマジョルカ以外ない。バルサでプレーしているのは、それが仕事だからだ。それだけのことさ。」
フランスのスポーツ週刊誌“スポーツウイーク”でのインタビューで、なにゆえバルサのユニを身につけた写真撮影を断ったのか、という質問に対する答えがこれだった。単純にして明快なサムエル・エトーの説明。非常にわかりやすくていい。つまるところ彼は傭兵なのだ。多くの外国人選手がそうであるように、彼もまた傭兵でしか過ぎない。そして、それは以前から誰もが知っていたことだし、決して悪いことでもなんでもない。傭兵という言葉が悪ければ、自分の力を必要とするクラブの中で、最も高額なオファーを出してくれたところを転々とするプロ選手としても良い。そしてバルサは、他のビッグクラブと同じように、エトーのような優れた傭兵が必要だ。

サムエル・エトーがバルサのユニフォームを着るようになったとき、彼は決してクラックと称される選手ではなかった。良い選手であることは間違いなかったが、クラックではなかった。大きなクラブが大金をはたいても獲得しようとする姿勢を見せなかったし、彼が抱いていたレアル・マドリへの出戻り願望も、“外国人枠オーバー”という理由で実現せずに終わったのが、クラック選手として認められていなかった一つの証拠だろう。なんと言っても、レアル・マドリは彼の権利を半分持っているクラブだった。それでも獲得には乗り出さなかった。そのエトーが、ライカーバルサの中でスクスクと成長し続けた。

第二プンタというポジションが彼の理想的なものだと言われていながら、それでもライカーバルサのシステムの中で、9番として水を得た魚のように活躍し始める。決してロマリオのような芸術性を感じさせてくれる選手ではない。リバルドのような大試合にめったやたら強い選手でもない。まして、パトリックのようにエレガンスを感じさせてくれる選手でもない。だが、誰よりも運動量の多いデランテロであり、誰よりも速くボールに近づく能力を持ち、誰よりも必要な瞬間に適切な場所にいることを知っているデランテロであり、そしてもちろんゴールの嗅覚を備えている選手だ。2009年2月現在、彼を越えるデランテロは世界中のクラブを見渡しても見つからない。

世界最優秀の(1人である)クラック・デランテロ、それがサムエル・エトー。だが、傭兵である彼はいつまでもバルサにいる必要はない。特にもうすぐ28歳となる彼は、フットボール選手としての最後の歩みとなるこれから何年間を、人生最後の稼ぎ時としなければならない。同じようにバルサとしても、彼をいつまでも雇っておく必要性はない。

バルサは、ひたすら勝利とタイトル獲得を運命づけられたクラブであるから、最も優秀な選手によって構成されるチームとならなければならない。獲得した選手が、彼のフットボール選手生活として最高のものとなる期間をおくってくれれば理想的だ。だが、バルセロニスタにいかに好感を持たれた選手だとしても、下降線をたどり始めた選手は計算外扱いとなってしまう。それはカンテラ組織からはい上がってきた選手だろうが、外部からやって来た選手だろうが同じだ。多くのバルセロニスタが現在のチャビの活躍に微笑んでいるとしても、クルクル回るごとにボールにつまずくようなチャビは見たくない。両足でドリブルして相手選手を抜こうとしたイニエスタが、両足が絡まってしまって倒れてしまうようなプレーは見たくない。誰にも賞味期限というものがある。しかも外部から来てくれたクラック選手、あるいはバルサでクラックとなった選手の賞味期限は、どいうわけか在籍5年前後なのだ。これは、いままでバルサに在籍したすべての選手に見られる傾向となっている。エトーがバルサにやって来たのは2004年の夏、今年の夏が来ればその5年が経過することになる。いつまでも、いると思うな親とクラック。

バルサとエトーの置かれている状況は次のようなものだ。彼の契約期間は2010年6月30日で終わりを見る。つまり来シーズンが終了した段階で、バルサとの縁は切れることになる。クラブとしては彼の理想的な売り時は今シーズンの始まりだった。2年間の契約が残っているのと、1年しか残っていないのでは移籍料に雲泥の差がある。だが、もし“在籍5年前後”説を気にすることなく、しかも今シーズンのような活躍が来シーズンも期待できると判断したならば、バルサは当然ながら延長契約を進めていかなければならない。クラブパンフレット紙エスポーツの適当な記事を無視するならば、お互い歩み寄っての交渉はおこなわれておらず、どうやらシーズン終了後となりそうだ。次のシーズンが最後のものとなる彼は、契約期間の延長条件として、クラブに莫大な年俸額を要求することになるだろうし、もしそれが認められなければ翌シーズン完全に自由な身となって他のクラブからのオファーを待つことができる。もしそうなったとしたら、チキの完敗、エトーの大勝利となる。

それでも個人的に願うことは、結果的に誰の完敗、誰の大勝利と終わることより、そして来シーズンにエトーがいようがいまいが、ひたすら今年の5月27日ローマの決勝戦までゴールを決めまくって欲しいということ以外にない。バモス!エトー!クラブ史に残る輝かしき傭兵となれ!

※エトーの話がでたついでに、彼の唯一の親友と言っていいらしいジェラールが、二部Aカテゴリー在籍のジローナに入団。今シーズン限りの契約らしいが、彼はまだ30歳にもなっていないという。バルサでプレーしていた頃が大昔のような気がするが、いったいいくつだったんだろう?


ベラルーシ共和国からやって来たツーリスト
(09/02/17)

ベティス戦のスタメンに今シーズン加入してきたすべての選手が顔をそろえていた。アルベス、カセレス、ピケ、ケイタ、そしてフレブ。記憶に間違いがなければ、彼ら全員がスタメンとなったのは初のことではないだろうか。いずれにしても、今シーズン加入選手がそろったことにより、それぞれの選手が単純に比較できるわかりやすい絵となった。アルベスは疲労がみられるもののいつもながらの出来。予想以上の試合出場数を誇るピケは、まあ、あんなものだろう。カンプノウでの人気商品となると予想したカセレスは、少しずつ自信をつけてきているように見える。負傷上がりのケイタはまったくもって消えていたが、負傷前の彼の活躍を評価しなければならない。唯一の問題は・・・フレブだ。

「多くのバルセロニスタにとっては驚きの選手となるだろう。インテリオールのポジションはもちろんのこと、エストレーモでも起用できるオールラウンドプレーヤーだ。ボールテクニックは、誰もが知っているように非常に高度なものがあるし、何よりも相手ゴールに向かう直線的なプレースタイルが気に入っている。我々のチームにとって重要な選手の一人となることは間違いないだろう。」
ペップ監督によるシーズン開始当初のフレブ評。確かに驚きの選手ではある。デランテロとして起用されることが多いにもかかわらず、シュートするところは片手で数えるぐらいしか見せてくれないし、したがって当然ながらゴールはゼロ。ゴールに向かう直線的なプレースタイルにもいまのところお目にかかっていない。そして、何よりも驚きなのは、存在感がまったく感じられないことだ。1500万ユーロ(プラス200万ユーロのボーナス)という移籍料を支払って獲得した選手としては、まさに驚きだ。

実は、個人的にはアーセナルでプレーしていた時代から密かに興味を持っていた選手。あの両足でボールをコネコネするスタイルは、かつてのラウドゥルップを思い起こさせる魅力的な感じだった。まさにバルサにうってつけの選手、彼の入団が決まった時にはそういう印象だった。だが、いかんせん、少なくともカンプノウでのプレーを見た限りでは迫力がない、プレースペースが何ともはや狭い、ドキドキするものがない、訴えるものもない、ないないづくしで存在感ももちろんない。そこでバルセロニスタが彼につけたあだ名が“ベラルーシ共和国からやって来たツーリスト”となってしまった。そのツーリストに初めてブーイングがされたのが、国王杯のマジョルカ戦だった。

それでも同情の余地はある。東側からやって来た選手であること。イングランドでプレーしていた選手であること。リーガでは最初のシーズンとなっていること。新しい言語を覚えるのが得意ではない人物であること。すぐそばにはイニエスタという優れたテクニックを持った選手がいること。背番号が昨シーズンまでやはりツーリスト呼ばれていた選手と同じであること、顔がまったくもって地味なこと、そしてキャラクターが、どうやら閉鎖的な人物であるらしいこと。そのせいかどうか、グラウンドで1人孤立しているところが多く見られるし、練習風景を見ていても、周りの選手とのホットな関係が見られない。孤独なツーリスト、アレクサンデル・フレブ。

地中海の街に照らされる熱い日射しと温暖な気候、そしてパエリャに代表される地中海料理を求めるだけではなく、フットボール選手としてバルサでの成功をおさめるのは、ペップ監督の手腕次第、とすれば聞こえは良いが、やはり当人がどうにか根性決めないとどうにもならない。その彼に残された時間は少ない。アルベルティーニ、マクシ、エスケロ、サンブロッタ、トゥラン、カンプノウ観客席から一度でもツーリストの称号を頂いた選手が成功したためしがない。

※月曜日のマルカ紙。インテルがミランに勝利したため、2位との差が9ポイントとなり“インテル、スクデット濃厚!”との見出し。そしてバルサ・マドリのポイント差が10ポイントにまで縮まったことにより彼らがつけた見出しは“マドリ、リーガ制覇に生き返る!”。まあ、気持ちはわかります。8試合、2か月半かかってやっとポイント差が2つ縮まったんだし、希望は捨ててはいけない。でも、残り試合はわずか15試合。それでも、気持ちはわかります。


"Asi, asi, asi gana el Madrid ! "
(09/02/15)

もし肖像権と同じように、観客席から沸き上がるコールに“コール権”なるものがあったとしたなら、スポルティング・ヒホンのファンであるスポルティンギスタたちは大金持ちとなっているかも知れない。
"Asi, asi, asi gana el Madrid ! "
"Asi, asi, asi gana el Madrid ! "
"Asi, asi, asi gana el Madrid ! "
審判を味方につけての勝利に対し、プレー中のレアル・マドリの選手たちに向けてわき起こるコール。彼らの地元ベルナベウは別として、このコールがこれまで一度も聞かれなかったスペインのスタジアムはないだろう。このコールは1979年11月25日、エル・モリノンでおこなわれたヒホン対マドリ戦に誕生している。

試合開始7分、そのコールは自然発生的に沸きおこった。ヒホンのデフェンサ選手エンソ・フェレーロが赤一発で退場となった瞬間だった。マドリのサン・ホセとの絡み合いで出されたタルヘッタ・ロハ。だが、サン・ホセにはロハはもちろんアマリージャのカードさえ示されなかった。
"Asi, asi, asi gana el Madrid ! "
"Asi, asi, asi gana el Madrid ! "
"Asi, asi, asi gana el Madrid ! "
観客席から嵐のように起こる叫び声。多くのスポルティンギスタにとって、目前で起こっている風景は、前シーズンでのベルナベウでのそれとダブルものだった。0−2というスコアでリードしていながら、明らかなマドリ寄りの笛を吹いたボラス・デ・バリオ主審のために、逆転されてしまった怒りを思いだしながらのコールだった。

マドリのエストレーモ選手だったフアニートは当時こう語っていた。
「あのコールはまったく理解できない。どこのスタジアムでも我々に向けられていたが、まったくもって許すことができないものだ。すべての原因は、ある人物によるアンチ・マドリ・キャンペーンのせいだと思っている。誰かって?そんなことは言う必要ないだろう、誰もが知っていることじゃないか。」
フアニートの語る“ある人物”、それはバルサ会長のホセ・ルイス・ヌニェスを指す。

「マドリ戦となるといつも変なことが起こる。」
退場となった試合後にそう語ったフェレーロ。あれから30年たった今でもその思いは変わらない。
「サン・ホセが肘を使ったプレーをして自分の唇が切れてしまった。彼を押しのけ、そして蹴りを入れようとしたが彼の体には触れなかった。審判は肘鉄プレーには何にも処分せず、自分だけにタルヘッタ・ロハを出した。マドリ戦となると普通の試合以上に蹴りを入れられることが多いが、審判は間違ってもマドリの選手にカードを出すことなどしない。マドリ戦となるといつもそんな感じだった。」

当時は、主審がメディアを前にして試合後にコメントすることが許されるのどかな時代。この試合の主審を務めたアウソクア・サンスが退場処分にかんして次のように触れている。
「マドリの選手に対する蹴り自体はたいしたことはなかったが、明らかな暴力行為として退場処分とした。観衆にとっては不満だったかも知れないが、私の判断に間違いはなかったと思っている。」

"Asi, asi, asi gana el Madrid ! "
”マドリはいつもこんな風にして勝つんだ!”
という雰囲気のコールがこの世に誕生した歴史的な試合であったにもかかわらず、皮肉なことにマドリは勝利することはできなかった。キニーのオウンゴールで先制したマドリを10人で追いかけたヒホンは、ロスタイムにホアキンのゴールで同点とし、1−1というスコアで終了している。

Todo Sportinngより抜粋。


ラファ・マルケス
(09/02/14)

「マルケスとは俺が個人的に話をしよう。」
プレステージがまだ開始される前、マルケスの放出計画をクラブが練っていることを知ったペップ・グアルディオラは、チキを前にしてこう語ったと言われている。結果的にマルケスはバルサに残ることになった。2月現在、昨シーズンの体重より1.5キロほど少ないという彼は、ペップバルサの中においてデフェンサの要としてだけではなく、攻撃を組み立てる重要な起点として欠かせない存在となっている。

昨シーズンとは比べものにならないほどの好調ぶりを発揮しているように見えるが?

昨シーズンだけではなく、ここ2年間のダメさ加減とは比較できない調子でプレーできている。たぶん精神的なものだと思うが、負傷に倒れないという幸運もあるのだろう。今シーズンは負傷したのは1回だけだし、それもわずか2週間程度のものだった。負傷中の試合は観客席で見ていたが、やはり自分の場所はグラウンドの中だと思った。スペクタクルな試合展開は観客席で見ていても楽しいが、やはりグラウンドでプレーしている時の方が楽しめる。もっとも、そのスペクタクルを生むペップ監督が要求するシステムは、選手にとっては計り知れないエネルギーと集中力が必要だ。

デフェンサの要求されることは多いと思うが、これまでプレーしてきた他のチームと比べることができるだろうか?

もし唯一比較可能なチームがあるとすれば、それはドイツでのムンディアル2006のメキシコ代表チームだろうと思う。デフェンサラインは限りなく高く、危険の多いシステムで我々は戦った。相手攻撃陣の選手2人と、我々デフェンサ2人だけの勝負という場面も多くあったように記憶している。

ポルテロとのスペースが他のチームと比較してかなり空いている。

そう、時々後ろを振り返って遙か彼方にいるバルデスを見ると、今でもゾクッとするときがある。もし自分が抜かれたらという危機感というか、恐怖感さえ感じる時がある。普通のシステムでは考えられないほどの集中力が必要だが、同時に、相手エリア内でボールを奪う可能性も高くなる利点がある。自分は決して足が速いほうではないから、ポジショニングの大事さを切実に感じているし、今シーズンはこれまで理想的な展開となっていると思う。スピードのあるデランテロにはポジションニングで勝負するしかないし、またそのためには限りない集中力が必要だ。

それにしても、この2年間はいったい何だったのだろうか?

それは自分も含めて、すべての人々がいまだにもっている疑問だと思う。素晴らしい選手たちが一つにまとまって、とてつもなく良いチームを作っていたのに、気がついてみればすべてのものを失い、自尊心まで傷ついてしまった。もっとも、起こるべきことが起きたに過ぎないのかも知れない。勝利と成功に酔いしれ、いつの間にかハングリー精神が失われていく。そしていつの間にか、チーム内はバラバラという状況になっていた。ある選手たちは好き勝手(注・マルケスもその1人かと思っていたが、まあ、良いとしよう)なことをするようになり、他の選手たちはそれを止めることもしなかった。いわゆるアナーキーな世界となることを許してしまった。そのことに対する悔しさは今でも持ち続けているし、自尊心も傷ついたままだ。ある選手たちは傷ついたままクラブを去り、そして残っている我々は落とし前をつけなければならない。まあ、人生とはそういうものだろう。ただ、ペップの監督就任が我々のプライドとハングリー精神を再び復活させてくれたと思う。

シーズン前にペップ監督と会話をしているが、それはあなたにとって重要なことだったか?

重要なんてものではなく、自分がバルサに残る決定的な要素となった。一度足りとしてクラブの関係者が、自分を計算外選手だと言ってきたことはなかったが、自分だってバカではないから、雰囲気を察することはできる。しかも他のクラブからの具体的なオファーも受けている時期だった。ただ、自分としてはこのままバルサに残ってプレーするという希望だけは捨てていなかった。そしてそんな状況でのペップ監督との会話。率直な言葉で面と向かって話し合って、気分的にはスッキリした。これでここ2年間の落とし前をつけられると思った。

これだけライバルチームに差をつけていると、再びリラックス状態ということにならないか?

もし人間が過ちから何かを学ぶ動物だとすれば、我々もまた過去2年間のことで多くのことを学んでいる。特に2年前にはリーグ戦を快調に飛ばしていたのに、最後の方になって自ら崩れてしまった経験を持っている。だから、いかにポイント数が離れていようが、そのことに満足することもなければ安心することもない。次の試合の相手がどこだろうが、常に最も大事な試合として全力をだしてきている。今の段階でタイトル獲得のことなど誰も考えていない。ただ、タイトルを獲得するチームとして相応しいように、そしてそれを証明するために、次の試合に全力をだすだけだ。

ところで、あなたはデフェンサの要であると同時に、攻撃起点のリーダーともなっているが。

その役目に誇りを感じているし、グループの中で重要な役割を演じているということに満足している。ただ、デフェンサ間に生じる問題だけではなく、グラウンドの中で発生してくる問題は、一人一人の選手が仲間と協力し合って解決していかなければならない。だから、試合中にプジョーやバルデスなどとしょっちゅう言葉を交わしている。我々にはカピタンは存在しても、リーダーは存在しない。一人一人の選手がそれぞれの役割をまっとうすることが重要なことであり、自分は自分なりの役目を果たしているに過ぎない。そして、その役目を非常に楽しいものだと感じ始めている。

それにしても試合ごとにデフェンサのメンバーが違うが、やりにくいということはないだろうか?

いや、そんなことを感じたことはない。なぜなら誰が出場しようと、チームのアイデアに変化はないからさ。しかも、練習では常に一緒にやっている仲間であり、ペップ監督は我々のミスを修正するために、くどいほど同じことを繰り返してやらせる監督。一人一人の選手が与えられた責任をしっかりと果たすまで練習が続けられる。とても密な感じの練習となるが、同時に、すべての選手がそれぞれ重要な選手であることを自覚していくことになる。ライカーとは少々違うスタイルの練習方法だと思う。テンカテがいた頃に似ているが、彼が去ってからライカーはライカーなりの練習方法にしていった。良い意味でも悪い意味でもね。

ペップ監督と似たような監督の下でプレーしたことがあるか?

いいや、彼のような監督はこれまで経験したことがない。その体には元エリート選手としての経験がしっかりと残っていて、それに指揮者としてのインテリジェンスを持ち合わせている。だが、彼が常に語っているように、グラウンドを走り回るのは我々であって彼ではない。その意味で、今シーズンはすべての選手が、犠牲的精神豊かにチームのことを最優先してやっていると思う。


バルサマイアミ
(09/02/13)

「監督や選手たち、つまり現場組の人々が、クラブ理事会の決定したことの中で変更を要求できないことがあるとすれば、それは唯一プレステージをおこなう場所だろう。このことに関してだけは、議論の余地なく我々クラブ理事会の決定に従ってもらうことになる。」
ラポルタ理事会の副会長を務めたフェラン・ソリアーノがかつてこう語っていたように、プレステージの場所だけは、いかにペップ・グアルディオラ監督であろうが口を挟むことはできない。唯一の例外があるとすれば、今シーズンのように、チャンピオンズの予備選を戦わなければならないスケジュールが発生した時ぐらいのものだろう。だが、そういう非常事態が生じない限り、ツアー場所は背広組のアイデアで選択され決定されることになる。そして来シーズンのプレステージはアメリカが拠点となる。

ラポルタが会長になってから7シーズン目となる2009−2010の来シーズン、これまでの例に従えば、つまり順番としてはアジアツアーとなるはずだった。2シーズンにわたって連続してアジアツアーがおこなわれた2004−05、2005−06シーズン以外、1年おきにアジアとアメリカを交互に拠点としていたプレステージだからだ。それではなぜ今回もアメリカツアーとなるのか、収入的には圧倒的にアジアツアーの方が上回るのに、なにゆえ2年連続アメリカツアーとなったのか。それは、来シーズンの終了と共に任期が切れるラポルタ政権が、最終的にアメリカを中心としたマーケティング攻勢にでたからだろうとする意見が多いようだ。そしてそのマーケティングの目玉商品として、MLS(メジャーリーグサッカー)への進出が着々と準備されている。

早ければ来年2010年から、遅くても再来年2011年からは、MLSに参加できるようにラポルタ政権は動いており、チーム名もすでに決まっている。バルサマイアミ、つまりマイアミを拠点とするバルサのチームであり、本拠地バルセロナのバルサと“兄弟”チームとなる。それが良いことか悪いことかはこれから大いなる議論を生んでいくことは間違いないが、バルサマイアミにかんする少ない情報を見る限り、どうも胡散臭い感じがしてしまう。アメリカで動き回っている人々が、すべてラポルタのビジネス関係者なのだ。

ラポルタがバルサの会長に就任したときには、一介の弁護士にすぎなかったが、7年後の今はいくつかのファイナンス会社のトップ経営陣に名を連ねる“若き事業家”へと変身している。もっとも、こういう“変身”はよくあることだ。かつてのバルサ会長ヌニェスも、会長に就任した当時は小さい建設会社の社長に過ぎなかったが、会長の座を降りたときには、カタルーニャで三本指に入るドデカイ建設会社の会長となっていた。あのフロレンティーノにしても、会長就任前に比べ、辞任後では確定申告で確認された個人財産が11倍に膨れあがっていたという。ソシ制度のクラブなので、無給で会長職を務めている人々が、クラブを去るときには大金持ちとなっている。フムフム、複雑な大人の世界のことは、子供にはよくわからんようにできているのだ。

アメリカでMLS組織相手に交渉役となっているのが、ラポルタのビジネス仲間の人々だけというのは、子供でも感じる胡散臭い話。ボリビア人実業家マルセロ・クラウレ、メキシコ人実業家ペドロ・デル・セロ、バルサとまったく関係ないこの二人の人物が、バルサ関係者として動き回っているという。果たしてこの大人たちは何を狙い、何をしようとしているのか、子供にもわかる日が来たらここで紹介しよう。

※1月24日におこなわれたヌマンシア戦から、バルサのユニフォームにTV3局のロゴが抜けている。と同時に、この試合からTV3局カメラのカンプノウへの設置も禁止され、このテレビ局によるバルサ戦中継もいっさいおこなわれていない。未払いとなっている3千万ユーロをいますぐ払えと主張するバルサ側と、そんな借金をしたおぼえはないとするTV3局側による喧嘩が生んだ事態であり、その借金を返すまでカンプノウにはカメラは入れないというバルサ側がとった処置でこんなことになっている。どちらに理があるのかわからないものの、いずれにしてもラポルタ政権というのはゼニのことで、いろいろなところと揉めるもんだ。


ホットな関係
(09/02/11)

スポルティング・ヒホンがカンプノウにやって来たのは、いったい何年ぶりかも思い出せないほど久しぶりのこと。キニーやルイス・エンリケ、あるいはアベラルドがいたチームということもあるのだろうが、どういうわけかバルセロニスタとの関係は非常に良好だ。いわゆるホットな関係にあるチームと言って良い。同じようなホットな関係にあるレアル・ソシエダやオサスナなどのチームがやって来た時もそうだが、観客席のあちらこちらで彼らのユニフォームを着こんだ人々が見かけられる。レアル・マドリ戦やエスパニョール戦では考えられないことであり、そういう試合でメレンゲやペリーコのユニを着こんだ輩がいたとしたら、それは「私を殴って、殴って、殴ってぇぇぇ!」というマゾ人間と、状況判断のできていないツーリスト。

この日の試合、バルサの歴代キリのいいゴールを決めた3人がカンプノウにいた。3000ゴールを決めたキニーはヒホンベンチに、4000ゴールを決めたアモールはテレビ解説者席に、そして5000ゴールを決めたメッシーはグラウンド。周りの連中と「それじゃあ、2000ゴールを決めた選手は今どこで何をしているのだろうか」という話になり、それはきっとカンプノウのすぐ横にある墓場じゃないか、ということでめでたく意見一致したところで試合開始。それにしても、北風がピューピューなんてものではなく、ガビ〜ンガビ〜ンと吹いてくる寒いカンプノウ。

バルセロニスタに気を使ったのか、試合後の監督記者会見をキニーに譲ったものの「私は監督ではないから」と断られてしまったというヒホン監督マノロ・プレシアード。帰り際にラジオを聴いていたら彼は次のように語っていた。
「バルサを驚かしてやろうと思っていたら、こちらが驚かされてしまった。」
具体的に何に驚いたのか語っていなかったが、バルサの選手のしかけるプレッシャーが凄い試合だった。ここ何試合か見られなかった前線での相手選手にかけるプレッシャーが戻ってきている試合だった。そして、こういう数字をどこで、しかも即時にどうやって拾ってくるのかシロウトには理解できないことながら、ラジオ解説者がとんでもない数字を拾ってきていた。この試合が終わったところで、バルサはリーグ戦22試合を戦っているが、相手選手から奪ったボール回数が1,257回となったこと。一試合につき約57回のボール奪取数。そしてこの試合では65回もボールを奪っているという。しかもそのほとんどが相手ゴールエリア内であり、その主役となる選手はリーグ記録となる20回もボールを奪ったブスケだったという。よくもまあ、こんな数字を即時に拾ってくるもんだわい。

試合前のベンチには普段以上のカメラマンが押し寄せていたが、どうやらペップとキニーが挨拶するシーンを撮るためだったようだ。そしてキニーに対するコールも、密やかながらも聞こえてきた。こういうのは自然発生的におこるコールであり、試合中にイニエスタやアルベスに対して沸き上がったコールも自然発生的なものだろう。だが、試合終了間際におこったウエーブは自然発生的なものではない。

バックスタンドの北側ゴール裏寄りに席を持つ二人だか三人だかの、まるでサーファーのような“ウエーブ命”のオヤジ達がいる。その席の近くに座る知り合いによれば、毎試合どんな試合であれ、この“ウエーブ命”のオヤジ達は、試合観戦そっちのけでウエーブを起こそうとしているらしい。試合内容や試合展開にもよるし、そうそうウエーブがわき起こるわけではない。だからそれがグルグルと観客席を回るような日には、そりゃあもう、この“ウエーブ命”のオヤジ達は興奮のあまり眠れない夜を過ごすことになるのだろう。ちなみに、パルコ席にある会長席に座っている人物で、唯一このウエーブに参加したことがあるのは誰か?もちろんガスパーをのぞいているわけがない。

※ボージャンがキニーのことを知らなかったと語ったことが、バルセロニスタの間で議論の的となっている今日この頃。彼がこの世に誕生してきた時には、キニーはとっくのとうにバルサを離れているものの、カンテラ組織からでてきた選手なのだから、それぐらいの歴史は知っているべきだという“ボージャン批判”意見が一方にあり、元首相のフェリッペ・ゴンサレスのことも知らない中学生がいるのだから、キニーのことを知らない選手がいても不思議ではないという“ボージャン擁護”意見がもう一方。若干の年齢差はあるものの、ほぼ同世代といっていいピケやブスケはキニーの存在を知っていた。それは祖父が元クラブ理事会員だったり、父親がバルサ選手だったりしたからだろう。ボージャンの両親はセルビア人とフットボールに興味のなかった看護婦さんであり、“家庭内教育”でキニーのことを知ることはできない。トーレスがリバプールに入団してからすぐに、クラブ歴代選手との食事会がもたれているが、“THIS IS ANFIELD”の言葉が示すもの、リバプールというクラブの歴史とはいかなるものかを説明するための食事会だったという。バルサも“クラブ以上の存在”などと気取っていないで、カンテラ選手ぐらいにはクラブの歴史を勉強させるべきではあるまいか。


タトゥー
(09/02/08)

ときたまのぞきに行くブログに、アンリのゴールパフォーマンスに関して触れている文章を発見。例の、右手首に鼻をスリスリさせるヤツだが、てっきりコカインテープ(なんじゃそれ?)でも貼っているのかと思っていたら、手首に刻まれているタトゥーにスリスリしているということだ。そこら辺のことを、ブロッグ主の了解もなしにここで勝手に紹介してしまう。このブロッグを読んでから、2、3日したらカタルーニャのスポーツ紙にも似たような記事が出始めたが、このブロッグの方が面白い。ちなみにリンクを張ってみたものの、読むのに苦労する人がいるだろうから、一応日本語にしてしまう親切なカピタン。どうでもいいことはすっ飛ばして、以下にハポネス。

ティティ・アンリは今のところ、謎のゴールパフォーマンスについての公式説明はしていない。ゴールを決めるたびに右手首に口を押し当てる、あのパフォーマンスについて語りたがらない。手首にタトゥーがされていることは明らかだが、そのことには触れたがらない。それでは、あのタトゥーを彫った人を探せばいいのではないか。そのタトゥー師は、ディアゴナル通りを越えたところにあるグラシア地区でタトゥー業を営むルイスという人物だった。

ルイスはスペイン以外の多くの文化に通じている人物だ。したがって彼の刻むタトゥーもまた、それら他文化からの影響を強く受けている。特に彼の彫る絵柄はポリネシア文化の影響を受けているものが多いという。これまでの人生に一区切りつけるために、あるいは生活そのものにエネルギーを注入するために、そしてあるいは新たなパワーを求めるために、このルイスのもとに多くの人々がタトゥーを入れに訪れて来るという。アンリもそのような一人だった。人生を更に実りあるものとするために、そしてバルサでの活躍が更に続くように、彼もまたルイスのもとを訪れた。そしてそのタトゥーを入れて以来、私生活においてもフットボール的にも充実した時間が過ごせるようになったという。そのことへの感謝の意味を込めて、彼はゴールするごとにタトゥーに口を近づけている。

ルイスの描くタトゥーは、一つ一つの絵柄に、そしてそれを彫る場所によって、それぞれの意味合いが異なってくる。彼の仕事は、まず最初にタトゥーを求める当人と話すことから始まる。そして彼らに、何を具体的に求めているのか、何を更に向上させたいのか、タトゥーを入れるその理由を手紙に書くことを義務づけ、それから初めて図柄と場所を決定することになる。

ルイスに手紙を書いたバルサの選手は、アンリだけではない。実に多くのバルサ選手がいる。プジョー、マルケス、バルデス。そう、バルデスは彼のプレーに対してファンから多くの批判があった時に、ルイスのもとにやって来ている。そういう批判に負けることのない強い精神を築くために、彼はルイスのもとを訪ね、そしてタトゥーを入れてもらっている。求めるものこそ違い、ライカーやルイス・エンリケ、あるいはアベラルドもまた彼の店を訪れている。ある者はパワーを求めに、ある者はエネルギーを求めに、そしてある者は新たな人生の開始の記念とするために、ルイスの描くタトゥーを求めてやって来る。その最新の客はセスクとボージャンだという。ちなみにボージャンの肌に刻み込まれた図柄は、なんとミッキーマウスだった。

※チキ・ベギリスタインはすでに来シーズンの構想を練っている最中だという。そう、もう2月に入っているのだから、当然と言えば当然のことだ。来シーズンのバルサ第二ユニの写真も出始めた。

(注・ジョークのわからない人のために野暮な注釈をつけておくと、赤文字は意訳でも誤訳でもなく、単なるでっち上げ)


エンリケ・カストロ“キニー”
(09/02/07)

先週末のセビージャ戦でスポルティング・ヒホンの監督とコーチが一緒に退場となっている。監督、あるいはコーチだけが退場となることはよく見られるが、二人そろって退場となるのは珍しいことだ。いずれにしても、そういうわけでバルサ戦に彼らはベンチに入れない。そこでエンリケ・カストロ“キニー”がベンチに座ることになった。そう、文字通り彼は座っていなければならない。ヒホンのジェネラル・マネージャーである彼は、コーチングライセンスを持っていないので、コーチエリアに出てグラウンドを走り回っている選手たちに指示を与えることは禁止されているという。それはある意味、バルセロニスタにとっては残念なことだ。

バルサ・ヒホン戦。この試合は古いソシオにとって、ヒホンというチームがカンプノウにやって来るというよりは、あのキニーがカンプノウに戻ってくるという感じらしい。1980−81シーズンから、わずか4シーズンだけバルサに在籍した選手ながら、当時のバルセロニスタには絶大な人気のあった選手だと聞く。4シーズンの間に2回のピチッチ賞をとったゴレアドールであり、人間的にも多くのバルセロニスタを魅了したと言われている選手だ。

そういう彼らにとって、決して記憶から消えることのない過去の事件、それはキニー誘拐事件だろう。以下は“バルサ百年史”より抜粋してみた。

シーズン開始当初は順調に思えたチームが、10月に入って急激に下降線をたどっていく。危機感を覚えた指導部は、ドイツの若きスター選手シュステルを電撃的に契約する。この金髪をなびかせる若きチームディレクター、シュステルの働きによりチームは徐々に調子を取り戻し、1981年3月1日、対エラクレス戦に6−0と圧勝する事により首位のアトレティコ・マドリに2ポイント差に追いついていた。シーズン終了までの7試合で十分首位になれる、と思われる勢いであった。

エラクレス戦の試合が終わった後、キニーはバルセロナ空港に奥さんのニエベスを迎えにいくことになっていた。彼女はある用事で実家のヒホンに帰っていたのだが、その日戻ってくることになっていた。飛行場に着いたばかりのキニーに二人の男が近づいてきた。ポケットに隠したピストルをちらっとキニーに見せた男二人は、用意したワゴン車に乗るように命令する。キニーは従わざるおえなかった。飛行場に降り立ったニエベスはキニーが来ていないことに不信を抱いていた。こんな事はかつてなかったことだ。しかたなくタクシーを拾い自宅に向かったのだが、自宅にはさらなる驚きが待っていた。すべての部屋の電気がつけっぱなしになっている上、そこら中がバケツをひっくり返したように荒らされていたのだ。もちろんキニーはいなかった。

翌日の3月2日、正式な捜索願いが警察署に出された。このニュースはあっという間にスペイン全国に伝わり、人々に大きなショックを与えた。ちょうどこの日の正午、カタルーニャの伝統的新聞社「ラ・バンガルディア」にキニー誘拐グループのスポークスマンと称する人物から電話がはいる。それは「カタルーニャ独立主義者の擁するチームに、スペインリーグの優勝はさせない」というもので、明らかに政治的誘拐を臭わせるコメントであった。そしてさらに1時間後、再びスポークスマンと称する男から連絡がはいる。「我々はスペイン革命党である。選手の解放に3億5千万ペセタを要求する」

キニーが誘拐されてから2日目、バルセロナ郊外のオスピタレ・ジョブレガットという街の公衆電話からキニー署名の手紙が発見された。それには「ケガはしていない。元気だ」という内容のことが書かれていた。「キニー誘拐事件」の衝撃はもはやスペイン国内だけではなく、ヨーロッパ中に広がりをみせていた。

3日目、バルサ指導部は記者会見を招集し、次のように声明する。
「我々は、すでに誘拐グループとコンタクトをとり、彼らの要求する金額を払う用意があることを伝えた。そしてすべての選手の同意のもとに、我々はキニーの解放を条件に、リーグ優勝を放棄するつもりである」

リーグ終了までに残された7試合の最初の試合は、8日のアトレティコ・マドリ戦であった。首位攻防戦である。しかしバルサ指導部は、こういう状況の下に試合はできないという理由で、スペインフットボール協会に試合の延期を申し込む。もっともな理由であった。しかし、協会は試合延期の申請を却下する。シュステルを始め多くの選手が、この試合には出たくないとの意思表明をしたものの、最終的には指導部の説得により、形だけの試合参加をすることになる。試合はもちろんアトレティコ・マドリの勝ちであった。そしてキニーの消息が不明のまま、このような状況がさらに続くことになる。翌週のサラマンカ戦も敗戦、翌翌週のサラゴサ戦は引き分けであった。この時点でバルサのリーグ優勝はほぼ絶望的なものとなっていた。

3月25日、「キニー誘拐事件」は急速な展開を迎える。スイスで誘拐犯グループの一人と思われる男が逮捕されたのだ。そしてその翌日、サラゴサにある自動車修理工場に警察官が押し入り、捕らわれていたキニーを発見する。キニーは、3週間以上にわたる拘束で、精神的疲労は隠せないものの、肉体的にはいたって元気であった。

誘拐犯達が逮捕されてからだいぶ後に、事件の内容が発表された。誘拐犯たちはバルサ指導部に、身代金支払い場所をスイスの銀行に指定したのだが、国際警察機構、スペイン警察、スイス銀行、そしてバルサ指導部の協力の下に、犯人が解明、逮捕できたこと、誘拐動機はあくまで「金めあての誘拐」であり、政治的なものではなかったこと、などであった。

驚くことに、キニーはこのシーズン、自身4回目の得点王を獲得している。だがチームのほうは、事件が大きく影響して首位に4ポイント差で5位に終わった。優勝チームは、若きバッケロがデビューを果たしたレアル・ソシエダー。クラブ創立以来初の栄冠であった。リーグ優勝は逃したものの、カップ戦のほうは決勝戦に進んでいた。6月18日、アトレティコ・マドリの本拠地ビセンテ・カルデロンで行われた決勝戦は、皮肉にもキニーの地元チームであるスポルティング・ヒホンであった。バルサはシュステルとキニーの活躍により3−1と圧勝し、コパ・デ・レイをものにした。翌日の地元紙は次のように紙面をかざっている。
「50万のバルセロニスタが街頭にくり出し勝利を祝い、悪夢のシーズンに最終的な終止符をうった。バルサは今シーズン最高のチームであった。唯一、キニーの誘拐事件が、バルサのリーグ優勝を不可能にした」


国王杯マジョルカ戦
(09/02/05)

今シーズンは、1997−98シーズンに何かと似たところがあるのではないか、ふとそう思った。ロブソンという、やたらと選手を自由にさせていた監督に代わって、バンガールという恐ろしいフットボール研究マニアがベンチに座り始めた。右ラテラルを補強するために、とっても怖い顔をしたレイジゲルという選手が加入してきた。ロナルドという超クラックが去り、リバルドというこれまた超クラックがやって来た(今シーズン?それはロナルディーニョの穴を埋めるために、フレブという超クラックがやって来たではないか!)。何シーズンぶりかのリーグ優勝と国王杯制覇というドブレッテを達成した。そして、国王杯決勝戦の相手はマジョルカだった。と言っても今回は準決勝だ。

さて、その国王杯。試合前日に監督が交代という異常な事態で迎えたモンジュイク決戦に続き、週末のリーグ戦に目標を置いているため、控え選手オンパレードという感じで戦われたカンプノウ決戦。もちろん、バルサは“ア・セグンダ!”のエスパニョールを退け、今度はマジョルカ相手に準決勝を戦う。そのマジョルカはと言えば、やはりエスパニョールと同じように、カテゴリー維持を最大の目標とせざる終えない状況を迎えている。なんと言っても最下位のチームなのだ。死ぬか生き延びるかという先週末のオサスナ戦に敗北し、再び死ぬか生き延びるかという今週末のデポル戦を控えているチーム。やはりベストメンバーはそろえることができない悲惨な状況。

一方のペップバルサと言えば、地元で戦うこのファーストラウンドで、一挙に勝負を決めておきたいところ。3月の最初に予定されているセカンドラウンドはフエラの試合ということ以上に、スケジュール的にチャンピオンズの試合が、サンドイッチ状態で予定されているからだ。不幸中の幸いとでも言うのか、3日後におこなわれるヒホン戦には、マルケスもピケもアルベスもカード制裁で出場できない。つまり国王杯マジョルカ戦には、週末休養前の最後の仕事を彼らにしてもらえることになる。ちなみに、このヒホン戦にこの3人が起用できないことから“非常事態”とするメディアを見かけるが、そんな心配は無用中の無用というものだろう。別にこの3人が出場できなくても8人で戦うわけではないし、そこらへんで暇にしている選手を適当にみつくろってバルデスの前に並べておけば何の問題もないだろう。

バルセロニスタにとって、まだ見たことのないトリプレッテ(リーガ、国王杯、チャンピオンズ)は夢の世界のおとぎ話となるが、ドブレッテというのは、すでに経験しているから現実の世界の話だ。チャンピオンズは水物なので何とも予想がつかないものの、リーガはすでに懐の中に入れてしまっているし、国王杯制覇も残り3試合でイタダキ!という状況。だが、それでもまだ国王杯マジョルカ戦180分の戦いに勝利したわけではない。ここは是が非でもカンプノウ前半90分の試合で決着をつけてしまおう。果たして、その“大事な”試合にどのようなメンバーを用意するのかペップ監督。

「グアルディオラは自分にとって常に目標の人物。尊敬の念は誰よりも持っている。監督としての彼は、非常に説得力あるメッセージを各選手に送ってくるし、相手チームが展開してくる戦いの特徴にかんする研究もバッチシだ。とにかく我々は監督の指示に従っていれば間違いない。インテリジェンスがあるだけではなく、どのように各選手に自信を持たせるか、どのようにモチベーション高くするか、どのようにクラック選手に接するか、そういう大事なことをサラッとやってしまう監督だ。」
良い子のチャビにそう言わせるペップ・グアルディオラ監督。国王杯マジョルカ戦にどのようなメンバーで戦いを挑むのか、それはペップ監督にまかしておけば間違いないとしよう。

※フェルナンド・トーレスがなにやら怪しげなCM活動をしている。つい10日ぐらい前に“知り合いの床屋さんのCM”に登場したかと思えば、それから5日後ぐらいには“知り合いのテニススクールCM”に登場し、そして最新は“知り合いの犬調教スクールCM”と、立て続けにわけのわからないCM連発発表。映像の内容は笑えるおかしさながら、CM自体も何かおかしい。床屋?テニススクール?犬調教スクール?いや、いや、これはどこかおかしい。最後には巨大企業、例えばナイキあたりのCMに行き着くであろうイントロCM路線と見たぞ。

床屋CM
テニススクールCM
犬調教スクールCM


パコ・セイルロ
(09/02/04)

ペップバルサのフィジカルコーチを務めるパコ・セイルロ、彼はバルサクラブ関係者の中で最も多くのタイトルを獲得している人物だろう。1980年代からバルサのハンドボール部門のフィジカルコーチに就任し、1994年からはクライフバルサでの仕事も引き受け、その後もボビー・ロブソン、バンガール、カルラス・レシャック、セラ・フェレール、ラドミル・アンティック、フラン・ライカー、そして現在のペップバルサと続く長い歴史を持つバルサフィジカルコーチだ。バルサ資料を紐解いてみると、これまで次のようなタイトルを獲得していることがわかる。ハンドボール部門のコーチとして8回のリーグ優勝、6回の国王杯、3回のレコパ・ヨーロッパ、3回のコパ・デ・ヨーロッパ、1回のスーペルコパ・ヨーロッパ。そしてフットボールの世界では5回のリーグ優勝、2回の国王杯、4回のスペイン・スーペルコパ、1回のスーペルコパ・ヨーロッパ、2回のレコパ・ヨーロッパ、1回のチャンピオンズ。たぶん、何か抜けているものがあるかも知れないが、とにかく驚くべき数のタイトルを獲得している。

そのパコ・セイルロが、ペップが監督就任のときに次のようなコメントを残していたのを見つけた。
「ペップのことは12歳の頃から個人的に知っているが、今のようなクラブ状況を考えると、色々な意味で理想的な選択だったと思う。クラブのことは誰よりも知っている人物であり、監督経験が短いとは言え、フットボールにかんする知識は驚くほどのものを持っている。彼が正式に監督就任発表されるかなり前から、我々はプレステージをスタートとして、シーズンを通してのトレーニング方法にかんして議論している。計算可能なすべてのものを事前にしっかりと計算しておこうというのが彼のアイデアだからだ。」

ペップバルサにおいて、フィジカルトレーニングが目指す最も基本となるテーマは次の4つだったという。
●シーズンを通して、フィジカル的に70%〜90%の状態を常に保って、各選手がプレーできる状態になれるようにすること。
●筋肉関係の負傷を可能な限り防ぐトレーニング方法を採用すること。
●大事な試合が続く12月、チャンピオンズの試合が戻ってくる3月以降をフィジカル的に最高潮の状態で迎えるようにすること。
●クリスマス休暇中のしっかりとしたプランを用意すること。

もし、1/16の段階で国王杯に敗れるようなことがあれば、クリスマス休暇を最低限の期間にしてミニキャンプを張る。だが、国王杯に生き残るような状態になれば、例年のようなクリスマス休暇を与え、国王杯の試合が続く1月に特別のトレーニング期間を設けること。それがクリスマス休暇にかんするプランAとプランBということになる。多くの試合をこなさなければならない1月に、特別トレーニング期間を定めるというのは、3月に入ってからの大事な試合に向けて絶対的に必要なものだという。そのためには、ローテーションシステムをしっかりと決め、国王杯に出場しない選手には1日に2回の練習を徹底させ、エネルギー補充をはかる。つまり選手に休暇を与えるのではなく、逆に練習期間とすることが、彼らの間でプランニングされていった。このプランは2月の中旬まで続くことになる。

当然ながら、1月は多くの選手にとって多大な疲労が襲ってくる期間として計算されている。この月には8試合もこなさなければならない期間となっているが、試合出場時間だけをとってみれば、各選手にはそれほど異常な時間とはなっていない。アルベス、プジョーなどという多くの出場時間を与えられた例外の選手はいたものの、他の選手たちは普段の月と大して変わらない出場時間となっている。そして彼らはこの期間を通して、エネルギー補充のための激しい練習をおこなっている。チャビに、ピケに、エトーに、アビダルに、ヤヤに、そして多くの選手に疲労がみられたのは、試合出場時間が多いからではなく、この期間に組まれた特別のトレーニングのせいだという。そしてそれが、本番となる3月以降に向けてのエネルギーとなっていく。

1月に戦われた何試合かは、確かに12月のバルサのような派手な試合展開とはならず、苦しい試合展開が見られた。選手たちの足は鉛のように重く感じられ、負傷の危険がつきまとう季節となっている。だが、その1月はすでに過去のものとなった。パコ・セイルロとペップの間で組まれたプランによれば、今月の中旬あたりから再び去年の12月のようなバルサが戻ってくる。

※冬のメルカードが締め切られたが、どこもかしこも不況ときているから、マドリのわけのわからない補強を除いて、ほとんど動きはなかった。そんな中、一つだけ目を引いたのがチェルシー選手セルヒオ・テヘラのマジョルカ移籍。エスパニョールのカデッテカテゴリーあたりでプレーしていた今から3年くらい前、チェルシーが目をつけ、エスパニョールからタダ同然で引き抜いた選手だった。それ以来、イングランドでは“ランパーの後継者”などと褒め称えられていたのをニュースで見た覚えがあるが、今回は“アランゴの後継者”となるのかも知れない。彼はまだ戻ってくる場所があったから良いものの、アフリカから両親と共に連れてこられた若者たちのその後が問題となっているらしい。クラブから用なしと宣告された選手と共に、クラブから両親に与えられていた仕事も取りあげられることになり、一家全員が無職となり、異国の地でさまようという悲惨な事態が誕生してしまう。


ボージャン18歳 その2
(09/02/01)

インファンティルカテゴリーから見続けている選手だけに、そしてゴールの嗅覚という、デランテロに欠かせない才能に関しては、やはり同じような年齢から見始めたメッシーを越えていた印象があっただけに、昨シーズン彗星のごとくデビューし、ゴールを決めまくっていたボージャンの活躍に驚きはなかった。個人的には、以前からの彼の活躍の延長線上にあるに過ぎないように思えた。だから、今シーズンが始まる前にもその延長線は更に伸びるだろうと、シロウト予想をしてしまった。シーズンが半分ばかり終わった今、そう簡単には問屋が卸してくれない状況を迎えている。

プレステージでの試合とはいえ、若干16歳でライカーバルサの一員としてデビューし、17歳の誕生日を迎えてすぐに、一部デビューを飾ったボージャン・ケルキック。メディアからは彼に対する尋常ならぬ“持ち上げキャンペーン”が嵐のごとく発生し、そこから必然的に“ボージャンブーム”まで誕生してしまった。ブームになったことなどない人間にはわからない世界ながら、17歳の少年にとって決して良いものであるとは思えない。だが、エリート世界に生きようとする若者にとっては、避けられない道であるとも言える。異常なまでの“ボージャンブーム”が徐々に過ぎ、平常さが戻ってきた今、ラ・マシアから初めて生まれたゴレアドールが苦しみながら成長していく課程に入ったのだろう。エスパニョール戦の前々日におこなわれたエル・パイス紙でのインタビューを紹介。

あなたにとっては、見知らぬ世界でそれまで経験したことのないようなスピードで物事が進んでいった昨シーズンではなかったか?

そう、恐ろしい速さでいろいろな風景が過ぎ去っていった感じだった。自分を取り巻く世界がアッという間もなく変化していく、そんな毎日だった。

今シーズンはそんなことはないと思うが?

うん、スピードという観点から言えば、自分の目で一つ一つ確認できる普通のものとなっている。恐ろしいほどの速さではなく、落ち着いたスピードで物事が展開していくようになった。

とは言うものの、昨シーズンより出場試合数が減ってきている。活躍の場が与えられないことに関して悔しさがあると思うが?

それは一つの現実として受け止めるしかないと思っている。冷静に分析してみれば、昨シーズンと今シーズンでは比較の対象にはならない。途中交代して自分がグラウンドに登場してくる時の状況が、どうしてもゴールが必要とされる試合展開となっていたのが昨シーズンだとすれば、今シーズンのそれは、すでに前半で勝負が決まっている展開の試合がほとんどだった。試合終了20分前に出場できたとしても、昨シーズンと今シーズンでは自分に要求されることに違いがある。

今の状況に満足しているということか?

試合にあまり出場する機会のない選手に、満足という言葉はあり得ない。昨シーズンは自分なりに非常に満足できるものとなった。それは出場する機会が多かったからだ。

それでも昨シーズンはプレッシャーがきつかったのではないか?

プレッシャー?そんなものはカンテラ時代から常にあったし、言ってみれば自分の“友人”に過ぎない。確かにそういうものがあったかも知れないが、自分としては気にならなかった。昨シーズンはプレーする機会があることだけで満足だったが、今シーズンは明らかに状況が異なっている。チームは理想的にうまく機能しているし、自分の学習内容も違うものとなっている。

ラウルと比較されることが多いが、それをどのように受け止めているか?

ラウルのような選手に近づいたと思われる日が来れば最高だと思っている。外部の人はともかく、自分としては彼と比較したこともないし、彼のような選手になることは不可能だ。もちろん自分をラウルと比較されることに誇りを感じるが、自分はボージャンであって決してラウルではないと思っている。

ユーロコパを辞退したことを後悔しているか?

いやいやとんでもない。辞退したことは正解だと今でも思っている。フィジカル的にもメンタル的にも限界にきている時期だったから、ここは止まらないといけない、そういう判断で辞退したことに間違いはなかったと思っている。ルイス・アラゴネス監督に自分の状態を説明して、彼も理解してくれた。正しい判断だったと信じている。

マラガでおこなわれたイタリア代表との試合に招集されたのが大きなプレッシャーとなり、同時にメンタル面での疲労を呼んだのだろうか?

繰り返すことになるが、プレッシャーはまったく関係ない。プレーしている時に、これまで一度足りとしてプレッシャーを感じたことがない。それらしきものを感じるのは試合前と試合後のことだ。したがって個人的には、メンタル面の疲労とプレッシャーとは、まったく関係ないことだと思っている。ただ、自分は16歳でエリートチームに足を突っ込むことになったから、好むと好まざるとかかわらず、環境の変化に戸惑ってしまうことが多かった。例えば、これまで同年齢か一つか二つ上の選手と一緒にロッカールームを共有していたのが、突然のごとくロナルディーニョとかデコとかと一緒になってしまったことに対する戸惑い。友人たちとパーティーに参加したり、映画を見に行ったり、レストランに行ったりするときに、途中で大勢のファンにサインを求められたりすることへの驚き。自分はまだこの世界に入ったばかりの新米だと思っているのに、ファンの人々にしてみれば自分は“あのバルサの”立派な選手の1人としてうつってしまう。はっきり言ってブーム以外の何ものでもないとは分かっていたけれど、この環境の変化には戸惑うことが多かった。ただ、監督やチームの同僚たちの助けがどれだけ力強かったか、その意味では彼らに非常に感謝している。

バルセロニスタにとってあなたは“目の中に入れても痛くない”存在となっているからこそ、ブームが生まれたのではないだろうか?

うん、確かに彼らが自分を大事に思ってくれていることは肌で感じている。ただ、昨シーズンは異常だったと今でも思っている。そのブームが自然に下降線を描くようになった今シーズンは、昨シーズンと違い、これまで通りの自然な自分で生きていける環境になっているように思う。

ペップはあなたを信頼していると思うか?

もちろん彼は自分を信頼してくれている。プレーする時間は少ないけれど、信頼感は持ち続けてくれていると思う。今の自分はあくまでも学習時期。そのうちプレー時間も増えてくることを信じているし、ゴールもこれまでのように決めることができると思う。