コクーが、契約更新に同意(2000年10月31日)

コクーが、バルサとの契約を2年間更新し、2003年までとすることに同意しました。違約金は今まで通り50億ペセタで、年収は約5億です。双方の話し合いは短く、2回の会合で話がまとまったということです。昨夜の段階では、まだ書類にサインはしていないということでしたが、バルサに残ることに何の問題もないとコクー自身が記者会見で答えていました。


お代官様、悪い奴をやっつけてくだせぇ(2000年10月31日)

英国の新聞 News of the World にAC MILANが、チャンピオンズリーグを失格になるかもしれないという記事が掲載されました。

内容は、ミランのブラジル人キーパーのDidaが、偽のポルトガルパスポートで、7月に選手登録をしていたというもの。クラブはその後間違い(?)に気付き10月に再登録をし直しましたが、すでにBESIKTAS(9月13日)、LEEDS(9月19日)との試合の後でした。UEFAも、違法に選手が登録されていたという確かな証拠があれば、検討する必要があるだろう、とコメントしています。

もし、このため、ミランが失格となれば、3チームとも繰り上げで、LEEDSとFC BARCELONAは2次リーグ進出、 BESIKTASはUEFA CUP進出となります。


新メンバー投入(2000年10月30日)

セラ・フェレール監督は、マヨルカ戦について、「立て続けの試合の疲れを考えて、メンバーを入れ替えるべきだったかもしれない」と発言し、水曜日のヌマンシア戦には、新しい選手の投入をにおわせました。

候補になる選手は、頭の負傷から回復しているペティ、この2試合後半の何分か出場しているジェラール、今シーズンほとんど活躍の場を与えられていないガブリ、バルサの不調の責めを負わされたのか、ここ数試合出番のないフランク。そして、キーパーのアレナウといったメンバーが考えられます。

なお、アルフォンソは、マヨルカ戦で後半25分プレーをしましたが、そのとき踏まれた足の負傷があり、明日の検査の結果を待たないと、何ともいえません。


僕の責任じゃない(2000年10月30日)

「ミラン戦についてはもう少し何とかできたはずだと思う。しかし、マヨルカ戦の2点については、全力を尽くしている。あれは、フットボールでは起こりうる不運」と、試合後ドゥトゥエルは語っています。

しかし、SPORTのWebページ上で行われたアンケートでは、70%がキーパーを代えるべきだ、とドゥトゥエルへの不信感を示す数字となりました。

さて、そこで、代わりとなるキーパー候補ですが、今シーズンもすでにプレーしているアレナウのほか、レイナという18歳のキーパーもいます。彼はすでに、5年間バルサでプレーしていますし、血統もいい。かつてのバルサの名キーパーだったMiguel Reina の息子です。


フィーゴがCMから消える(2000年10月30日)

フィーゴがバイク選手のクリビジェと一緒に出演しているダノネの製品のCMが、カタルーニャ地方での放映を中止しました。現在、このCMが流れているのはマドリッド、バレンシア、アンダルシア地方のみ。また、フィーゴとの次の契約はしないということです。

このダノネは、今までミッチェルとストイチコフ、プルゲラ(テニス選手)とカミネロなど、スポーツ選手2人を組み合わせてCMをつくっていました。


契約更新・見直し(2000年10月29日)

来年の6月で契約が切れるコクーとの話し合いは以前から始まっていますが、同じ時期に契約が切れるグアルディオーラ、ルイス・エンリケにも、バルササイドは更新の意向を示しています。

一方、オリンピックで活躍し、グアルディオーラがケガででられないいま、バルサの要となっているチャビに対して、プジョーも含め、契約の見直しが検討されています。チャビの年俸は1億にも満たず、プジョーの6千万に次いで低い金額です。ちなみにガブリは1億1千万。


今月のブラウグラナ(2000年10月29日)

ブラウグラナは、青(Blau)と赤(Grana)のバルサカラー。今月のお薦めは、ポテトチップス。バルサカラーというよりも、バルサ商品そのものですが、カンプノウでの観戦にはぜひ一袋。


残念・・・じゃない(2000年10月27日)

先週の土曜日(21日)、サンティアゴ(チリ)からマドリッド行きの飛行機のファーストクラスのお客さんが、スチュワーデスを呼んで、「バルサ・マドリッド戦の結果が分かるかどうか、機長に聞いてほしい」と頼みました。さっそく聞いてきたスチュワーデスは「残念ながら2-0でマドリッドが負けたそうです」とその紳士に告げました。さて、この紳士の名前はSalvador Alemany、バルサの副会長の一人でした。


バルサ医院入院患者(2000年10月27日)

バルサの負傷者も徐々にバルサ医院を退院し、11月末までには全員チームに復帰していけそう。

まず、ペティは、もう退院の許可がでています。次の予定はゼンデンで、来週水曜日のヌマンシア戦には間に合うだろうといわれています。クライファートとオーベルマースは、来週の月曜日に検査が行われますが、彼らの場合はこの検査でOKがでても、完全復帰までには慎重に期間をとると思われます。また、彼らの復帰のことで話題にされているのは、スペイン・オランダの親善試合が行われる11月15日が、彼らの復帰の時期と一致しているので、また、ファン・ハールが彼らを呼ぶだろうかということ。ちなみにクライファートは、今シーズンすでに2回もナショナルチームで負傷しています。最後はグアルディオーラ、順調に快復しているとのことで、11月末には復帰できる見込みです。


フィーゴが再びカンプノウに・・と思ったのに(2000年10月26日)

12月22日、カタルーニャ代表対ポルトガル代表の親善試合を、カンプノウで行なうことをポルトガルが承諾した、というニュースが昨日までは流れていました。これで、フィーゴがまたカンプノウで見られるかもしれない、ただしポルトガル代表のユニフォームで・・・と思われていました。

しかし、昨日ポルトガルサッカー協会が、カタルーニャサッカー協会にこの試合のキャンセルを申し込んできました。理由は、21日に行われた試合の観客の反応から、もう少し期間をおくべきではないか、ということと、観客のヤジのなかに、フィーゴに対してだけでなく、ポルトガル一般にに対するものもあったこととしています。

このカタルーニャ代表の親善試合は、いままで、ナイジェリア、ブルガリアなどと行われており、ポルトガルからは電話で数日前に承諾の言葉はもらっていましたが、書類としては何もサインされていない状況だったということです。


ダービー戦後日談(2000年10月25日)

21日に行われたバルサ-R・マドリッド戦で、グラウンドにものが投げ入れられたことから、罰金150万ペセタが、FC BARCELONAに課せられました。クラブ側はこの決定を受け入れ、支払うということです。

一方、この騒動の元になったフィーゴは次の日マドリッドで、インタビューを求める記者達に「もうフィーゴの話はいい加減にしてくれ! 俺が話したいときに話す!」と言ったことが、取り沙汰されていましたが、一日おいて、記者会見に応じました。「カンプノウであのような時を過ごした後は、ますます、R・マドリッドのために働き、ここで成功を収めたいと思うようになった」と語りました。そして、コーナーを蹴らなかったことへの批判を「決定は監督がした。その決定はあの状況では正しい判断だった」と答えました。


パスポートはお手元に(2000年10月25日)

外国に移動する機会の多いサッカー選手たち。EC内ではパスポートなどいらないことが多いですが、それでも、パスポートか身分証明書の携帯はは必須。でも、よく忘れるんです。最近では・・・

TAMUDO グラスゴーレンジャーに移籍話のあったTAMUDO。メディカルチェックのためグラスゴーへパスポートも何も持たずにいってしまいました。入国のときは問題なかったのですが、出国のさいに一悶着。彼の写真が載っている新聞記事と、クラスゴー関係者への問い合わせで、何とか出国できたとか。

XAVI 昨日のリーズ戦に行ったXAVI。パスポートは持っては出かけたのですが、荷物のなかに入れて預けてしまい、入国時に一騒動あったそうです。


クレメンテ辞任(2000年10月24日)

バルサ相手にホームで0-6と敗退し、辞任要求の声がいちだんと強くなっていたクレメンテ監督。エスパニョールとの雨で延期になっていた試合に勝ったため、ラーヨ戦に負けても、もう1回、次のR・マドリッド戦にチャンスが与えられるのではと見られていましたが、ラーヨ戦を4-1のスコアで負け、会長も周囲の声を無視できなくなり、クレメンテ辞任が決定されました。


生きるか死ぬか(2000年10月24日)

今夜の20:45、Elland Roadで、ヨーロッパにおけるバルサの今シーズンを左右する試合が行われます。これほど重要な試合ですが、バルセロナから駆けつけたファンは数十人と、今までで一番少ない状態です。しかし、いくら近いとはいえ、1週間(水曜-イタリア、火曜-イギリス)で一般人が外国旅行を2回できるか、と考えれば無理もないところでしょう。

リーズの気温は低く、夜には雨になるかもしれないということです。メンバーはR・マドリッド戦と同じと見られていますが、ダニの代わりにアルフォンソが出る可能性も十分考えられます。


リットマネン記念切手(2000年10月23日)

ミラン戦では呼ばれはしましたが、出場のチャンスはなし。セラ・フェレール監督の下ではこれからもプレーチャンスはほとんどないと見られているリットマネン。しかし、お国フィンランドでは超スター選手。このほど、バルサの選手としての姿で、記念切手が発売されたそうです。


次のターゲットに向けて(2000年10月22日)

昨夜の勝利の余韻を楽しんでいる暇もなく、選手達は今朝軽く練習をしたのち、火曜日のLEEDS戦のために英国に向けて発ちました。

このLEEDS戦は、バルサにとってこれからのヨーロッパ戦の要になる試合。これに勝てば、1次リーグを抜け出る確率が、かなり高くなります。


記録更新に向かって(2000年10月21日)

17年間、R・マドリッドはこのカンプノウでのダービー戦に勝ったことがありません。そして、今日また記録更新を目指します。以下が過去17年間の結果です。

1984-85 3-2(Gerardo,Migueli,Esteban-Sanchis,Butraguen~o)
1985-86 2-0(Caldere, Marcos)
1986-87 3-2(Lineker(3)-Hugo Sanchez,Valdano)
1986-87 2-1(Play -off)(Lineker,Roberto-Hugo Sanchez)
1987-88 2-0(Carrasco,Lineker)
1988-89 0-0
1989-90 3-1
(Julio Salinas,Koeman(2)-Butraguen~o)
1990-91 2-1(Laudrup,Spasic(pp)-Butraguen~o)
1991-92 1-1(Koeman-Hierro)
1992-93 2-1(Bakero,Stoichikov-Michel)
1993-94 5-0(Romario(3),Koeman,Ivan Iglesias)
1994-95 1-0(Nadal)
1995-96 3-0(Kodro(2),Figo)
1996-97 1-0(Ronaldo)
1997-98 3-0
(Anderson,Figo,Giovanni)
1998-99 3-0
(Luis Enrique(2),Rivaldo)
1999-00 2-2
(Rivaldo,Figo-Raul(2))


ダービーマニア(2000年10月21日)

史上最高 この試合、チケットは会員だけで売り切れてしまい、一般客には売りに出ませんでした。カンプノウに押し寄せる記者は600人。そのうち200人は外国から。TV中継は、Pay per View のみ。この試合を見るためには、契約している上に、1850ペセタ払わねばなりません。予想では、50万件の申し込みがあるとされ、売り上げは10億近くなりそうです。

ユニフォーム着替え フィーゴのことばかりクローズアップされていますが、セラーデスも今回白い姿でカンプノウ初登場。彼の場合は、昨シーズンもセルタの選手として来ていますが、やはり、このダービー戦は特別。ブーイングか拍手か分かれるところ。そのほか、この試合にはユニフォームをかえた選手が、バルサ側にも3人います。アルフォンソ、ダニ、ルイス・エンリケ、この3人の活躍に期待。

前会長対決 スペインでは有名なスポーツ記者、ホセ・マリア・ガルシアの担当するラジオ番組でのダービー戦中継。ゲストに前バルサ会長のヌニェス氏と前マドリッド会長のロレンソ・サンソ氏が予定されています。かつて、ヌニェスとはカンプノウで二度と同席しない、と言っていたサンソ氏。記者席ではいいのかな。


フィーゴマニア(2000年10月20日)

ダービー戦を明日に控え、SPORT紙などはフィーゴを巡って、すっかりGranaの部屋と化しています。で、ここでまとめて。

「出かけるときは忘れずに・・・」 カタルーニャのスポーツ新聞SPORTは今日の新聞に見開きのフィーゴが印刷された100億ペセタ札のポスターを付けて、あすのカンプノウにはこれを持っていって、マドリッドの選手とともにフィーゴが出てきたときに掲げるようにと提案しています。そして、フィーゴに向かって振るためのハンカチを、忘れずに持っていくようにとも。できれば白いハンカチをということです。

「励ましのお便りを!」 アンチフィーゴのキャンペーンをバルセロナがやるなら・・・と、マドリッドのTV局TeleMadridではフィーゴに「励ましのメッセージを送ろう」企画を始めました。ユニークなメッセージを送った10人の人にフィーゴのサイン入りのユニフォーム(あっ、もちろん白いやつです)がプレゼントされるそうです。

「今月の放出品」 カンプノウにあるバルサショップでは以前850ペセタで売られていたものが、100ペセタで投げ売りされていますが、まだ山のように残っています。このフィーゴが印刷されたマウスパット、いかが?

はっきり言って、フィーゴの話には少しうんざりうんざりしています。冗談もここまでしつこいと・・・(冗談じゃないみたいですが、カタラン人にとって)。


ダービー戦前夜(2000年10月20日)

ダービー戦まで24時間を切りました。マドリッドの選手は今夜7時にバルセロナプラッツ空港に到着。空港で待ちかまえていたバルサファンの罵声とクラクションを引き連れてバスでホテルに。もちろんホテル前にもバルサファンがつめかけています。アンチフィーゴの声が響きわたるなか、バスから降りたフィーゴは多数の警官に守られてホテルの中に走り込みました。

なお、ミラン戦でケガをしたペティの穴はレイジンハーが埋めることになるようです。良いニュースは、ジェラールの復帰。スタメンとは行かないでしょうが、ベンチ入りをします。

ますます熱くなっているダービー戦前夜ですが、明日の天気予報は気温は下がり、しかも雨となっています。何とか持ちこたえて欲しいですね。


Webページの紹介(2000年10月19日)

一つは、ペティのオフィシャルホームページ。英語とフランス語の2カ国語あり。彼の声も聞ける(フランス語)し、掲示板もどきもある。なにやら、モデルさんみたいな写真コーナーもあるよ。

   http://www.emmanuelpetit.com/

そしてもう一つは、つい数日前に立ち上げられたもの。その名もアンチフィーゴ。ただし、昨日からやってみていますが、一度もアクセスに成功しません。というわけでどんなものだかわかりません。混んでるのかな。

   http://www.antifigo.com/


フィーゴもいうじゃない(2000年10月19日)

先日、ポルトガルのとある銀行のポスター撮影に、チャーター便の送り迎えでお国帰りしていたフィーゴですが、そのポスターができてリスボンの街にお目見えしました。そのキャッチフレーズがふるってます。「よりよい物を求めて変化するのは、いつだって価値がある」


ペティもバルセロナに戻る(2000年10月19日)

昨夜は大事をとってミラノの病院に泊まったペティですが、今日バルセロナに帰ってきました。首にコルセットを巻いて痛々しい姿でしたが、問題はなさそうです。ただし、R・マドリッド戦にはでられないということです。一方コクーは、今日の練習にも参加していました。


自力で2次リーグへ(2000年10月19日)

昨日のミラン戦を引き分けたバルサ。これで、他のチームの状態を気にしなくても、残りの2試合を勝ちさえすれば、2次リーグ進出を果たせることになります。どういうバリエーションがあるかは下記をご覧ください。ただし、ここでの第1条件はカンプノウで最終戦のBESIKATASに勝つという事。これを前提に次のLEEDS戦についてのバリエーションです。

1)バルサの勝ち 2次リーグ進出(LEEDSが、最終戦ミランに勝って、バルサと同ポイントになっても、直接対決の得失点差でバルサが上)

2)引き分け   2次リーグ進出も可能(LEEDSが、最終戦ミランに負ければ、上記と同じ条件になる)

3)バルサの負け  1次リーグで敗退


ペティとコクー(2000年10月19日)

ペティとコクーのケガの状態ですが、ペティは交代後、直ぐに病院に。一時は意識がなかったという事ですが、スキャンの結果、脳には異常は見られないということです。ただし、場所が場所だけに数日は安静にして検査が必要とのこと。コクーは包帯をしたまま前半を戦い抜きましたが、4針縫っているそうです。


衣替えの季節(2000年10月18日)

選手達の移動の時に着るスーツやネクタイはクラブから支給されるんですよね。R・マドリッドの選手達は金曜日のバルセロナへの移動のときから冬服になるそうですが、さすがにこれはアディダスではなく、ケンゾーブランドとか。


予行演習まであと4時間(2000年10月18日)

バルサのチャンピオンズリーグを続けるためには落とせない今日のミラン戦まで4時間をきりました。期待される結果は、もちろん勝つこと。引き分け・負けでも1次リーグを抜け出るチャンスが全くなくなるわけではありませんが、かなり難しくなります。

現在までのバルサ-ミラン戦の結果は、2勝3敗1引き分け。詳細は以下に。

1959-60 0-2 / 5-1(コパ・デ・ヨーロッパ)
1989   1-0 / 1-1((ヨーロッパスーパーカップ)
1994   4-0(チャンピオンズリーグ決勝戦)
2000-01 0-2(チャンピオンズリーグ)

ちなみに、このスタジオSan Siroは、来年5月23日にチャンピオンズリーグの決勝戦が行われるところでもあります。ということで、バルサはその決勝戦の予行演習に行った、となるといいですね。


対ミラン戦(2000年10月17日)

セラ・フェレール氏にとって、明日のミラン戦は監督として初のイタリアでの試合になります。スターティングメンバーは6点入れたレアル戦と同じ。目新しいところでは、リットマネンが呼ばれました。厳しくつらい状況において文句も言わず、黙々と練習していた彼へのご褒美といえるでしょう。


今週の縁起物
(2000年10月17日)

今週末は寝た子も騒ぐR・マドリッド戦。ここは一発縁起を担いで・・・ご披露するのはこれ。1993-94年リーグのカンプノウでのR・マドリッド戦入場券。そう、あの5-0の試合。歴史は繰り返す・・・かな?


ドクターストップ?(2000年10月16日)

つい数時間前にキコのミラン移籍噂を書きましたが、イタリアで受けたメディカルチェックにパスしなかったので、キコのミラン入りはなくなったというニュースが入っています。なお、ヒル会長はこの話についてはいっさい知らないと表明。


キコがミランへ?(2000年10月16日)

今シーズン2部落ちして、しかも不調から抜け出れないアトレティコですが、スター選手キコが今日の練習に出てこず、行方不明。一部ではミランと接触しているのではないかという噂がささやかれています。


フィーゴ歓迎セレモニー(2000年10月16日)

さて、R・マドリッド戦まで1週間を切りましたが、歴史あるダービー戦の中でも今回のはひときわ特異。それは白いユニフォームのフィーゴを初めてカンプノウに迎える記念日ですから。で、彼にどうやって歓迎の意を表するか、ただいまバルサファン、意見百出。

フィーゴを含め、マドリッドの選手がカンプノウに出てきたとき、

1) 数年前にバルサが優勝してとき、市庁舎バルコニーでフィーゴが「泣き虫マドリ、チャンピオンにおじぎしろ!」と叫んだシーンをスクリーンに映し、10万ペセタと印刷した紙を観客1人ずつが掲げる。10万人ファンで、合計100億ペセタ。これは、マドリッドがバルサに払ったフィーゴの違約金額。

2)ブーイングも何もなし。10万人の静寂。

3)お札(もちろん偽札)の札吹雪。

4)人文字で、「Figo Pesetero」(フィーゴ、金の亡者)

5)全員で白いハンカチを振る。

とどれがいいと思いますか? もっといい案を思いついたら、ぜひ連絡ください。掲載します。意見が割れていないのは、

試合中フィーゴがボールを持ったときどうするか。それは、

嵐のようなブーイング


1点、2点・・・6点(バルサ皿屋敷)(2000年10月15日)

水曜日までの3日間は、昨日の6ゴールを反芻して楽しんでもいいんじゃない、ということで、今回はリーグでこんな試合がいくつあったかというお話。アウェーで6点以上とって勝った試合は10回目。そのうち前半で6点入れたのは1回。ただし、このときは後半にも2点入れています。そして、クレメンテ監督は91年にもサンマメスで0-6で敗退し、監督辞任劇となっています。今回も危ないところですね。詳細は以下に。

0-7 1955-56 Deportivo - FC Barcelona
1-6 1956-57 Deportivo - FC Barcelona
0-7 1957-58 Las Palmas - FC Barcelona
0-8 1959-60 Las Palmas - FC Barcelona
0-7 1962-63 CD Malaga - FC Barcelona
1-6 1981-82 Castellon - FC Barcelona
0-6 1990-91 Athletic - FC Barcelona
0-6 1991-92 Valladolid - FC Barcelona
1-6 1992-93 Zaragoza - FC Barcelona
0-6 2000-01 Real Sociedad - FC Barcelona


けが人リストの再更新(2000年10月13日)

クライハートは5週間、オーベルマースは4週間のケガと診断されました。ということは、10月の死のロードには二人とも不参加になります。そして、ナショナルチームに呼ばれた事で一悶着あったゼンデンもまた軽いケガをしました。彼は結局、2試合とも出場しませんでしたが、練習中にいい方の足を痛めたとか。笑い話にもなりませんね。


けが人リストの更新(2000年10月12日)

昨日のオランダ-ポルトガル戦で、クライハートが約10日間の負傷。オーベルマースとコクーも、軽いケガをしたようです。回復のニュースはダニ。土曜日のシシエダの試合に間に合うということ。


表札が変わりま〜す(2000年10月11日)

以前、リバルドがバイアのマンションを買った話題を書きましたが、今度は、ドトゥエルの話。さて、誰の家に住んでいるでしょう。

答えはカントナ。彼はバルセロナ郊外に家を持って住んでいたのですが、マルセイユに引っ越ししたので、その後がまにドトゥエルが入ったそうです。なんだか、狭い世界ですね。


セルジ殿堂入り(2000年10月10日)

セルジのナショナルチームでのプレー回数が、明日のオーストリア戦に予定どおり出場すれば、50回の大台に乗ります。これってかなりすごいことなんです。今までにいったい何人いると思いますか。50回以上の選手が。

たった13人。セルジは14人目です。さて、じゃ、いったい誰が一番だと思います。答えは・・・。

ZUBIZARRETA----126
CAMACHO---------81
GORDILLO---------75
HIERRO-----------73
BUTRAGUN~O------69
ARKONADA--------68
MICHEL-----------66
VICTYOR----------60
JULIO SALINAS----56
SANTILLANA------56
ALKORTA---------54
LUIS ENRIQUE-----51
ABELARDO--------50

ナショナルチームの試合は以前より多くなっているので、これからは、もっと増えていくでしょうね。


対ミラン戦に間に合うかも(2000年10月9日)

ジェラールは、次のソシエダ戦には間に合わないが、ミラン戦には、出られる可能性があると発表されました。ただ、出られない可能性もあるという言い方をする人もあり、どちらともとれる状況です。


ジェラールが負傷(2000年10月7日)

今日行われたスペイン・イスラエル戦は2-0でスペインが勝ちましたが、その1点目を決めたジェラールが試合中に負傷。まだはっきりした事はわかりませんが、少なくとも次の試合には出られないだろうということです。グアルディオーラもナショナルチームに参加していたときに負傷しており、今回のゼンデン問題(これは、結局ゼンデンは試合にはださないとファン・ハールがひきましたが)、リバルド騒動と、ナショナルチームへの不満が再燃しそうな気配。 


ファン・ハールの逆襲(2000年10月6日)

「ゼンデンはケガからまだ完全に回復していない」というバルサの医師からのリポートを無視したファン・ハールは、ゼンデンにオランダで、診断を受け直すようにと指示していました。その後、オランダ側の医師の診断で、完全に回復とされ、明日の試合に呼ばれれることになりました。

このファン・ハールの行為にバルサ側やファンは不満を隠し切れません。他にも選手がいるのにキプロス相手に、回復過程のゼンデンをなにがなんでも使わなければいけないという趣旨を理解できない。彼はバルサ監督時代にゼンデンのプレーを評して、ろくなセンタリングもできない、といったこともある。それに引き替え、ボガルデを、ヨーロッパ最高のセンター左のプレイヤーと評したにもかかわらず、ナショナルチームに呼んでもいないのは変じゃないか、と新聞などではバルサ監督時代に不当な扱いを受けたと思っているファン・ハールの仕返し、というふうに論じられています。


バルサファン500人に聞きました(2000年10月5日)

SPORT紙がバルサファン500人を対象に行ったアンケートの結果です。

1 バルサはリーグとチャンピオンズリーグに勝てる可能性がまだあると思うか
    SI 69.4%  NO 27.8%
2 セラフェレールはバルサが現在おかれている問題を解決することができると思うか
    SI 60.2%  NO 38.0%
3 新しく契約した選手達の働きに満足しているか
    SI  8.4%  NO 88.8%
4 リバルド、オーベルマース、クライハートは期待に応えていると思うか
    SI  2.6%  NO 95.8%
5 グアルディオーラとチャビの欠場が、チームのプレーの原因となっていると思うか
    SI 74.6%  NO 23.0%
6 強化が必要だと思うか
    SI 79.4%  NO 17.6%
7 現在のバルサの状態の原因はどこにあると思うか
    ディフェンスの弱さ  36.6%
    
センターのもろさ    25.8%
    チャンスを物にできない 16.6%
    リーダーの欠如     13.8%
    その他          4.2%
8 現在のバルサはどのスタイルで戦うべきだと思うか
    4人ディフェンス 54.4%
    
3人ディフェンス 43.4%


クライフ(2000年10月4日)

クライフはアルゼンチンのラジオ番組のなかで「誰も私にマネジャーとしてバルサへの復帰を打診してきたことはないし、もしされたとしても、受ける気はまったくない」と、このところ広まっている噂をきっぱり否定しました。そして、セラフェレール監督率いるバルサについて「前と同じ間違ったスタイルを続けている」とし、「問題は攻撃的プレーのできる選手の少ないセンターにある。素早くボールを動かせる選手が不足している。このセンターの問題から、チームはがたがたになっている」と批評しました。


一に節約、二に節約・・・・(2000年10月4日)

他人の弱みをついていじめるのは本意じゃないんですけど・・・と言いつつ、また白いチームのお話。白いチームが多額の借金をかかえているのは周知事実。経費は削れるものなら何でも削れと、新会長のフロレンティーノ・ペレス氏は、チームの移動費を少しでも節約するようにとの命令をだしました。そのため、先日のサンタンデールからの帰りは、普段は飛行機を使うところ、今回はバス。夜中に疲れ切ってマドリッドに着いた選手達は不満顔。


カウントダウン 7(2000年10月4日)

前の項目で、バルセロナに残る選手は8人だけと書きましたが、フランスのキーパーがケガをしたことから、DUTRUELが急きょ呼ばれました。DUTRUELのナショナルチーム入りはこれが初めてになります。

残された選手は7人。そして誰もいなくなる・・・。


カンプノウは8人だけ(2000年10月3日)

この2週間はナショナルチームの試合で、リーグはおやすみ。このときを利用して、監督はバルサの立て直しをしたいところ。でも、選手がいないのでは・・・。

ナショナルチームに呼ばれていないのは、DUTRUEL、DE LA PEN~A、ALFONSO、DANI、LUIS ENRIQUE、PUYOL、ARNAUの8人の他、ケガをしているGUARDIOLAだけ。次のリーグ戦のレアル・ソシエダ戦は14日ですが、13日にならないと全員そろわないという状態です。以下が各ナショナルチームに呼ばれているメンバー。

オランダ人 COCU, KULUIBERT, OVERMARS, REIZIGER, F DE BOER, ZENDEN
スペイン人 ABELARDO, GERARD, SERGI
スペイン人(21歳以下) GABRI, XAVI, REINA
フランス人 PETIT
フィンランド人 LITMANEN
ポルトガル人 SIMAO
ブラジル人 RIVALDO(試合には出ない)


リバルドはバケーション(2000年10月3日)

バルサ側の医師からブラジル側に伝えられたケガの状態から、日曜日の試合には出る必要なし、との答えをもらっていたリバルドですが、昨日ブラジルに向けて立ちました。

ブラジルに来て医者の診断を受けるようにとの電話があったのでブラジルに戻らなくてはいけない、とリバルドから報告を受けたセラ・フェレール監督は、ブラジル行きを許可し、数日の休暇までも与えました。ところが、スペインのラジオ局のインタビューに、ブラジルの監督・医師が「バルサからの医師の診断書により、試合には呼んでいないし、別にブラジル側で検査の必要もない」と応えた事から、話が複雑になりかけました。事実は、別のナショナルチームの医師が、こっちに来て、処置を受けてはどうかと呼んだだけということで、一件落着。


監督の交代は必要?(2000年10月2日)

ブラジルで監督が交代し、アトレティック・マドリッドの監督も今日とうとう交代となりましたが、果たしてバルサの監督はどうでしょうか。

「たった2か月しかたっていないのに、セラフェレール監督の責任を問うのは妥当だろうか」とうい電話アンケートが、昨日のカタルーニャTVのサッカー番組「Gol a Gol」で行われました。その結果は総数2095のうち、1478(68.4%)が、NOと回答。まだファンは監督を支持しているという結果になりました。この結果は、ちょうど夜中のラジオ番組に出ていたセラフェレール監督に伝えられ、監督は「ファンの信頼をうれしく思う。この信頼にはもっとっと仕事に専念する事で応えていきたい」と語りました。


シャビとガブリの休みは1日だけ(2000年10月1日)

PK戦で金メダルを逃したスペインチーム。そのうちバルサの選手は3人いましたが、プジョーをのぞく2人は、帰ってきてから1日のおいて直ぐに21歳以下のナショナルチームに呼ばれています。これに対して、バルサ側は、1か月もオリンピックのため出していた上、直ぐにまた連れて行かれるという状況に不満を述べました。しかしFEFに対して、2人をメンバーから外すようにとの要請はしないということです。


リバルドは居残り(2000年10月1日)

リバルドは踵の痛みがとれず、今日のデポルティーボ戦はお休み。そのほか、ダニもケガで欠場です。リバルドのポジションにはルイス・エンリケがおかれるようです。そのほか、デ・ラ・ペーニャとジェラルドはベンチに残り、コクーとペティがでる模様。

なお、リバルドは、ワールドカップ予選のベネズエラ戦に呼ばれていましたが、このケガのため出場できなくなりました。