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お兄ちゃん、弟泣かしちゃダメよ!(2001年2月27日)
ウナイ、12歳。マドリッド・オエステのセントロカンピスタ。バルサの現キーパーレイナがかつていたチームである。家族や近所の人たちはすべてマドリファン。その中で唯一のバルサファンとして立つ。まわりがなんといおうとバルサ一筋。96-97の0-3から5-4とバルサがひっくり返した有名な試合、バルサ-アトレティコのカップ戦で、前半0-3になったとき、ウナイは泣きながらベッドに駆け込んだ。しかし、後半の逆転劇、バルサのゴールの度に喜ぶウナイの声に今度は近所の人たちがベッドに駆け込むハメに。 3月3日のダービー戦について、ウナイは0-0と予想する。バルサに勝って欲しいけど、お兄ちゃんがネットの中に転がったボールをひろいに行く姿は見たくないから・・・ウナイ・カシージャ、お兄ちゃんのイーケル・カシージャにオーベルマースのユニフォームをもらってきてくれるように頼んでいる。 |
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ブラウグラナで通算250試合(2001年2月26)
レアル・ソシエダ戦が、リーグ通算350試合目となったのはアベラルド。グアルディオーラはそれより100試合少ない250試合目。しかし彼の場合はバルサのユニフォームで250試合目になります。 グアルディオーラの1部リーグデビューは90年12月のバルサ-カディス(2-0)、100試合目は94年10月でバルサ-レアル・ソシエダ(1-1)、200試合目は99年バルサ-マドリッド(3-0)。250試合の内容は156勝、49分け、45敗。75枚のイエローカードと8枚のレッドカード、そして通算5ゴール。 |
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セニョール・ハットトリック(2001年2月25日)
ルイスエンリケにゴールが戻ってきた。2月に入って8ゴール、なんとハットトリック2回。これで通算5回のハットトリック。最初は、スポルティング時代の91年にエスパニョール戦で、次はバルサに移り、97年のベティス戦、セレクションで99年のユーロー予選のサンマリーノ相手に。後の2回はこの2月のビルバオとAEK戦です。そして、バルサ時代は、1試合につき0.42ゴールと他のチーム時代に比べ多くなっています。マドリッド時代はポジションがデフェンスだったことから、かなり少ないゴール数です。
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ガソリンの色もブラウグラナ?(2001年2月24日)
カタルーニャにスーパーマーケットを展開する企業が、3月からガソリンスタンドを始めるにつき、バルサと提携。バルサのマークを使い、バルサグッズを売るコーナーもお店の中に設けられるということ。これにより、バルサは年間契約料の他、ガソリンについても1ペセタ/リッターの収入。またこのガソリンスタンドではバルサのソシオカード提示で割引があるそうです。 車で旅行される方、バルサガソリンを入れて、GO・・・・・・・・・・L。 |
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UEFA CUP 準々決勝組み合わせ(2001年2月23日)
FC BARCELONA - CELTA KAISERSLAUTERN - PSV EINDHOVEN ALAVES - RAYO VALLECANO OPORTO - LIVARPOOL 試合は3月8日と15日。スペイン同士の戦いになりますが、これで、スペインは必ず2チーム準決勝に進むことになります。 |
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こちら、おいくら?(2001年2月21日)
昨シーズン、フェレール現監督(当時の監督はファン・ハール)は、前会長ヌニェスの指示の元に選手の市場での評価価格を出していました。それによると、リバルドとフィーゴが並んでトップの85億。年齢的なことや契約期間も考慮してか、チャビ、ガブリ、プジョーが、グアルディオーラやアベラルドよりも高くなっています。
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300人に聞きました(2001年2月21日)
MUNDO DEPORTIVO紙が300人のバルサソシオに行ったアンケートです。 セラフェレール監督の仕事の評価は?(0-10評価) 次期監督は誰がいいか? どの選手と契約したい? 国王杯とUEFAに優勝したとしたら、今シーズンの評価は? バルサはマドリ戦でどうなる? まだリーグ優勝できると思うか? |
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バルサ、ネバーギブアップ!(2001年2月20日)
昨日は新聞のバルサのリーグ優勝なし、の話でしたが、今日は選手の思惑。 グアルディオーラ「確かに、リーグを取ることは難しくなったが、まだ負けたわけではない。誰も我々の勝ちに1ペセタも賭けないだろうけど、一試合ずつ確実にとっていけば、可能性はあると経験から言える」 セルジ「リーグはあきらめていない。まだまだいろんなことが起こりうる。次の2節でそのいくつかがおこることは十分ある」 プティ「あきらめるのはまだ早い。アーセナル時代にマンチェスターに14ポイント差で負けていたのをひっくり返したことがある」 レイナ「匙は投げていない。まだまだリーグは残っている。何が起こっても不思議ではない。最後まで戦うべきだ」 最後にセラフェレール監督「数字的に可能性なしといわれるまでは、最後の最後まで優勝を目指して戦う義務が我々バルサにはある」 |
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こちらバルサ医院(2001年2月20日)
コルーニャ戦にスタメン出場しながらも、右足の痛みを訴え、前半でアルフォンソと交替したゼンデンですが、昨日の検査の結果によれば、たいしたものではないということ。しかし、木曜日のAEK戦には間に合うかもどうか微妙なところのようです。なお、自らAEK戦はむりかもしれない、と語ったオーベルマースについても、明日の検査次第ということです。 負傷から17日間たったシマオは順調に回復しており、当初6〜8週間といわれていましたが、このままいけば、5〜6週間で復帰できるだろうということです。 一方、1月2日に負傷してからすでに1か月半たったデ・ラ・ペーニャの回復は予定より遅れています。デ・ラ・ペーニャは、ラッツィオ時代にも同じようなケガをしており、そのとき彼の治療をした医師に診てもらいたいと、クラブの許可を得てローマに向かいました。 |
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プレスは「アディオスリーガ」だが・・・(2001年2月19日)
デポルティーボに地元で負け、1位と11ポイント、2位と7ポイント差。そして、バレンシアにも抜かれ4位となったバルサ。会長、監督、選手とも可能性のある限りあきらめはしないと言っていますが、次の日の新聞はバルサのアディオスリーガ、で意見が一致していたようです。 「これで終わりだ。リーグは夢物語になってしまった」(エスポーツ) 「バルサは2番手チームの中でヨーロッパ出場を取り合う煉獄の道に」(ラ バングアルルディア) 「バルサはもうリーガでは何もできない」(エル ペリオディコ) 「リーガはもう2チームの問題で、リアソールで決まる」(アヴィ) 「バルサをノックアウトしたビクトールのゴールはリーグ半分の価値がある」(アス) 「バルサはチャンピオンズに残ることを考えなければいけない位置に」(マルカ) |
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COPA DEL REY 準決勝抽選(2001年2月16日)
CELTA - FC BARCELONA 準決勝は6月20日と24日(IDA Y VUELTA)に行われます。決勝戦は6月30日。 |
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37年ぶりの勝利を目指して(2001年2月14日)
スペインのチームにとって、敵地で戦うギリシャのチームは手強い相手。過去に公式戦が21試合行われていますが、勝ったのは、なんと37年前の最初の試合だけ。明日、バルサがAEK相手に37年ぶりに勝ちをもらいにいきます。
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今週の連勝スケジュール表(2001年2月14日)
13日 カンプノウで練習 |
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続・AEK ATENAS というチーム(2001年2月13日)
前回の記事で、バルサはこのチームと当たったことはないと書きましたが、それは公式試合の話でした。実は AEK とは3回親善試合を行っています。ただし3回とも39年も前の1962年の出来事。第1戦は1月にアテネで行われていますが、このとき当時まだ皇太子だった現フアン・カルロス国王と婚約者の現ソフィア王妃(ギリシャ王族)が観戦しています。結果は0-6とバルサの圧倒的勝利。第2戦は5月に同じくアテネで戦われ、これも2-5で勝っています。最後は8月の地元バルセロナで。もちろんこれも6-1と圧勝しています。なおこのとき AEK はギリシャリーグの優勝チームでした。 |
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AEK ATENAS というチーム(2001年2月12日)
2月15日のUEFA CUP 対戦相手 AEK ATENAS は、1924年創立で、Olympiakos と Panathinaikos に続く3つ目のアテネのチーム。国内リーグ優勝11回、最後の優勝は1994年。ヨーロッパでの最高成績は、1968年にヨーロッパカップ準々決勝進出、1994年チャンピオンズリーグ、1977年UEFA CUP 準決勝進出。スタジアムは約3万人収容。バルサとの対戦か決まったとき、74,000人収容できるオリンピックスタジアムの使用を検討しましたが、熱狂的な応援を考慮して、地元スタジアムですることに決めました。チケットは1月の始めに売りにでてすぐに完売になっています。 なお、バルサはこのチームと当たったことはありませんが、R・マドリッドとアスレティックがUEFAでそれぞれ1回対戦しています。結果は、両チームとも、IDAのアテネで0-1で負けていますが、スペインの戻って5-0、2-0で勝っています。 またこのチーム、つい先日監督が Toni Savevski(マセドニア)に変わっています。新監督になってからまだ3試合しかしていませんが、3連勝しており、リーグ2位に上昇しました。 アテネというところはバルサにとってあまりいい思いでのあるところではありません。1994年5月18日の出来事ははできれば思い出したくないファンも多いはず。その日にアテネにいて今もバルサに残っているのは、バッケロ(現在はコーチ)、グアルディオーラ、セルジの3人だけ。 |
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経験豊富な30代(2001年2月11日)
先日、R・マドリッドのマノロ・サンチスが今シーズン限りで引退を発表しました。以前エウセビオ500試合達成のニュースでサンチェスについても触れましたが、リーガ522試合という、スビサセレッタ(622試合)、ブーヨ(542試合)に続く記録を作っています。しかし、35歳という年齢はまだまだ記録とはいえません。現リーガでは彼より年上でプレーしている選手が5人もいます。 まず、最年長はデポルティーボのドナートで38歳。彼のすごいところは未だにチームの要として機能していること。すでに契約更新の話もでているようです。次に控えるのは36歳の3人。ソンゴ(デポルティーボ)、エウセビオ(バリャドリ)、フエンテス(ソシエダ)。そして35歳のカルボニ(バレンシア)、サンチス、ソレール(マヨルカ)、エンゴンガ(マヨルカ)が続きます。なお2部Aには、かつてバルサとバレンシアでプレーしていた、38歳のロベルトがコルドバにいます。 年長者は一般的にディフェンス陣が多く、30歳以上の選手の67%がこのポジション。しかし、オサスナのアタッカーのシガンダは34歳です。なお、元マドリの選手、ウゴ・サンチェスは89-90のシーズンに38ゴールを決め得点王に輝いていますが、すでに31歳でした。 一番経験豊かな選手陣を持つチームはマヨルカ。(キーパー)Roa、Burgos、(デフェンス)Olaizola、Armando、Nadal、Siviero、Miquel Soler、(セントロ)Engonga、Paco Soler、Marcos と30歳以上の選手が10人います。一番少ないのは、R・マドリッドとヌマンシアの3人。 ちなみにベテランマヨルカチームを率いる監督も、ベテラン62歳のルイス・アラゴネス。しかし彼も最年長ではありません。監督最年長はつい先日誕生日を迎え65歳となったマラガのホアキン・ペイロです。 |
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訂正記事(2001年2月11日)
2月7日の「三大対決に備えて」でデブーがカード4枚たまっていると書きましたが、実は3枚しかもっていませんでした。元にした新聞の記事が間違っていたようです。謹んで訂正いたします。というわけで、ラーシング戦で1枚もらったデブーはコルーニャ戦はでられますが、アベラルドは5枚になり、次の1試合出場停止になります。 なお、問題のマドリの選手は4枚のまま次のラーシング戦に戦に望むことになりました。4枚持っているロベルトカルロスは、試合前の記者会見で、「カードを取りに行く。危険なプレーでファールをとる以外に、いくらでも方法はある」と発言して、審判を挑発したせいか、危険なプレーをしてもカードをもらえませんでした。 |
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ユニフォームの広告(2001年2月10日)
今では、ユニフォームに広告がないことが話題になるほどですが、スペインでは、1981年にフットボール協会がユニフォームへの広告を許可し(ただし、このときは国王杯決勝戦については禁止されていた)、1982年に初めて広告のついたユニフォームを見られるようになったのです。まず、一番のりは、レアルマドリで、家電メーカーの「Zanussi」という文字を広告料1億円でつけています。この数か月後、サラゴサのユニフォームに、同じく家電メーカーの「Balay」の文字がつきます。それ以降、次々とユニフォームに広告がつき、テネリフェなどは、地元カナリアでやる時、フエラの時、と2つの違う広告をつけるチームもでてきました。またTV中継が増えるに連れ、広告料も上がり、クラブの重要な収入源となっています。 未だに一度も広告を付けていないのは、バルサとアスレティックの2チームだけ。しかしバルサにも例外があります。それは、1990年7月に日本で日本選抜のチームと2回親善試合したとき、スポンサーの「JAL」の文字が入ったユニフォームをきました。もう一回はバルセロナオリンピック候補のときの「Barcelona'92」です。 一番広告主を変えているのは、レアルマドリの5つ。なお、レアルマドリが牛乳メーカーの広告を付けていた時期、カタルーニャではそのメーカーの牛乳の売り上げが一気に下がったということですので、広告も出せばよいというわけではないようです。 さて、広告料ですが、一番高いのはレアルマドリの6億5千万、続いてデポルティーボの3億。しかし、この額は他の国に比べると決して多くはありません。一番多額に広告料をもらっているのは、マンチェスターUの20億。イタリアでは1部リーグのすべてのチームが広告を付けていますが、一番はミランの14億で、ユベントスが13億と続きます。ドイツではバイエルンが13億となっており、スペインはかなり安いようです。 以下に各クラブの広告一覧をのせます。
* Aloine / Rioja alavesa はGuascorという工業グループの一員と思われます。 「クイズの答え」 1 c) 1982年(スペインワールドカップ以降) 2・6の答えは正解各々1ポイントで全問正解12ポイント。最多正解者の発表はBBSで。 |
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こちらバルサ医院(2001年2月9日)
カップ戦前半13分で右足の負傷で交代したオーベルマースの検査の結果が昨日の午後でました。それによると完治までには長くて1週間ということ。次のラーシング戦には間に合いませんが、来週木曜日のUEFAにはでられるかもしれません。もう一人ラーシング戦欠場確定は右膝負傷のダニ。負傷の状態は月曜の検査を待つことになるそうです。 その他、カップ戦をお休みしたガブリとペティは、ふつうに練習に参加しているようですし、右肩を強く打ったレイナは昨日は大事をとって練習を休みしましたが、次の試合は大丈夫ということ。デ・ラ・ペーニャは最後の段階に入り、あと数日で退院できる模様。 |
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COPA DEL REY 準決勝へ(2001年2月8日)
FC BARCELONA、AT. MADRID、ZARAGOZA、CELTAの4チームが準決勝進出を決めました。準決勝の組み合わせ抽選は、2月16日(金曜日)です。 準決勝は6月20日と24日(IDA Y VUELTA)。決勝戦は6月30日にセビリアで行われます。 |
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家族そろってフットボール(2001年2月8日)
親の職業を子供が継ぐのは一般社会ではよく見られることですが、フットボール界も例外ではありません。しかも親子だけでなく、兄弟そろってという例も多いようです。では、どんな家族選手がいるかみてみましょう。 バルサファンの私たちにとって、身近な例はクライフ親子。これは説明の必要はないでしょう。また、現在バルサのキーパーをつとめる18歳のレイナのお父さんもキーパー。この2組の親子についてはここGranaの部屋で「二世代対決」(2000年12月20日)という題で取りあげました。バルサを離れると、マドリのサンチェス親子。お父さんは、R・マドリッドで、6回目のヨーロッパカップを取っていますし、息子の方はご存じのように2回優勝しています。バレンシアで活躍中のメンディエタのお父さんも元選手。ただし、R・マドリッドの第3キーパーでした。このほか、ベティスからアスレティックに移ったロベルトリオスのお父さんもベティスの選手でベティスで監督もしていました。 それでは兄弟はというと、まず目に付くのは外人兄弟。そう、双子のデブー兄弟。ちょっと前にはラウドルップ兄弟やクーマン兄弟もいました。イエロ兄弟の一人は言わずと知れたマドリのフェルナンド、そしてもう一人はマノロ。実はこのマノロはバルサにいました。ただし、試合には出ていないようです。サリーナス兄弟は日本でもプレーしたフーリオとアスレティックのパッチ。バッケローには、ジョンという弟がいました。そして、若手ではバルサのカンテラ出身、ガリシア兄弟のオスカー・ロジャー。現在エスパニョールで一緒にプレーしていますが、実はもう一人ジェニスを含めて3兄弟です。しかし彼は一部にあがることができませんでした。バルサBからバレンシアに行き今シーズン戻って来たジェラールにもサラゴサでプレーしていたお兄さんのセルジがいます。 そして最後に親子と兄弟そろっている家族を紹介。アルバレス・コスタス一家。お父さんは、バルサの選手でしたし、息子達はバルサBを経て、現在キケがビジャレアルで、オスカーがレリダでプレーしています。 |
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三大対決に備えて(20001年2月7日)
23節から25節は、現在の1位から3位までのチームで直接対決が繰り広げられる激戦の3週間になります。ここで、マドリが優位を決定的にするか、デポルティーボとバルサが追いつき混戦状態に持ち込むか、今シーズンの最大の山場といえるでしょう。 各チームとも、この直接対決2試合は一人も主力選手を欠くことなく、万全の体制で望みたいもの。しかし、すでに負傷している何人かの選手はあきらめざる終えません。そこで問題になるのは、カード枚数。イエローカードが5枚たまると次の1試合出場停止。このルールに引っかかって、肝心な試合ににでられないという事態はなんとしても避けたいところ。 ・試合日程
・カードを持っている選手
いまのところ前試合でこの問題を解決した選手が2人います。グアルディオーラとフィーゴ。それぞれが5枚目のカードをもらい、次の試合出場停止。でもこれでデポルティーボ戦、マドリ - バルサ戦までカードによる出場停止の心配がきえたわけです。 ではこういう場合どうするのでしょう? もちろんおおっぴらに肯定はしませんが、楽な試合の前の試合でカードがでるようなしかし罪のないファールをわざとすることが知られています。アスレティック戦でのグアルディオーラのファールは、このにおいがします。フィーゴの場合はちょっと違いそうですが、どちらにしてもこのカードを喜んで受け入れました。 では、現在カードが4枚たまっている選手達についてはどうでしょう。バルサでいえばデポルティーボ戦でカードを5枚にして、レアル・ソシエダ戦を休みマドリ戦に備えるという感じでしょうか。特にバルサはディフェンス2人がこの候補になっていいます。しかし、バルサの場合は、デポルティーボ戦でカードをもらわなければ、ソシエダ戦を休めば同じことになりますから、次のラーシング戦でカードをもらわないことと、ケガをしないことに気を付ければいいといえます。デポルティーボは候補者が少ない上、日程的にその余地はありません。ではマドリはどうでしょう。候補はディフェンス2人。できれば、次のアスレティック戦でカードをもらって、現在最下位のラーシング戦を休み、デポルティーボ、バルサ戦に備えたい・・・さて、どうなりますか。 |
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リーグ優勝の夢は捨てない(20001年2月5日)
土曜日の7-0の試合に気をよくしたファン達500人にスポーツ紙がアンケートをとりました。その結果は・・・まだ半数以上の人が、リーグ優勝の可能性を信じている。 ・バルサにまだリーグ優勝のチャンスはあると思うか ・マドリ - バルサ戦に勝つことがリーグ優勝への道を開くと思うか ・今シーズンのバルサにとってどのタイトルが一番可能性があると思うか ・セラフェレール監督を来シーズン以降も支持するか ・新たな選手獲得資金のためにリバルドを移籍させるか ・バルサの監督にカペーロが適任だと思うか ・カペーロでないとしたなら、誰が適任だと思うか ・ペップの契約更新をすべきか(バルサで引退するよう) ・来シーズンに向けて根本からチームを補強すべきか |
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ユニフォームの広告についてのクイズ(2001年2月4日)
バルサにはありませんが、ユニフォームに入っている広告について、ちょっとした問題を作りました。皆さん、どれだけわかるかな? 1 スペインではいつからユニフォームに広告がつくようになったでしょう? 2 以下の広告をのせているチームは? 3 問題2の5つを、広告料の高い順に並べてください 4 文字のない広告を付けているのはどこのチーム? 5 同じ広告を付けているチームがあるが、どことどこ? 6 広告を付けない方針のバルサですが、2回だけ広告を付けたことがあります。それは何と何(答えは広告名でも、その状況でもよし) 7 過去にレアルマドリに広告をつけていた期間、カタルーニャで売り上げが激減したものがあります。それはいったいどんな製品? 答えを、2月8日(木曜日)までにメイル(chiquito@interlink.es)でください。ただし、メイルを送りたくない方は、2月9日(金曜日)にBBS(掲示板)に書き込んでください。正解は2月10日(土曜日)に、ここGranaの部屋に載せます。 正解したからといって、何も出せませんが、最多正解者は、参加者全員からお褒めの言葉をもらえる・・・ということでいかがでしょう。受け狙いの答えもも受け付けます。ふるってご参加くださ〜い! |
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「盛りだくさんの2月」(2001年2月3日)
「新世紀、熱い1月」の結果は以下の通り。
リーグ 熱い1月は、6勝2引き分けと負け知らず。1位と8ポイント差があるとはいえ、3位につけ、国王杯も準決勝進出に王手をかけました。そして今月はUEFA CUPが再び始まります。3月3日にクラシコ・マドリ-バルサ戦を控えた2月はリーグ、国王杯、UEFA CUPのすべてが詰め込まれた盛りだくさんの月。 「盛りだくさんの2月」の試合予定 |
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バルサ医院 急患情報(2001年2月2日)
シマオが今日の練習で右足負傷。医師の発表では、回復には6週間から8週間かかりそう。負傷は昨年ロナル・デブーが負ったのと同じタイプで、ふつうは回復に2か月くらいかかるが、シマオは若いし強い筋肉を持っているので、もっと早く回復できると思う、ということです。しかし、マドリ戦には間に合いません。 シマオは2日前に娘が生まれたばかりで、「人生の一番楽しい時を過ごしていたのにがっかりだ。しかし、この世界ではよくあることで、一日も早く回復する事だけ考える」と語りました。 |
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00〜01 冬季選手補強(2001年2月2日)
キーパーやディフェンスの選手補強が必要と騒いでいた割には、バルサはこの冬季の選手補強を一人もしませんでした。他にも、R・マドリッド、アスレティック、バリャドリも新しい選手をとっていません。目立ったところでは、ビリャレアルにボカのパラレモがきたことと、バレンシアがアイマールを35億で契約したことでしょう。それともう一つはエスパニョールの日本人選手西澤の獲得。各チームの選手の移動データをDATA欄「00〜01 冬季選手移動」に載せましたのでご覧ください。 |
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すでにマドリ・バルサ戦フィーバー(2001年2月1日)
マドリ-バルサ戦は3月3日と、まだ1か月ありますが、ファンはすでにチケット獲得に熱をあげています。53,000席は年間席、15,000席はファンクラブ用に、ということで一般にはたった4000枚のチケットしか売りに出ません。そこで、インターネット上でチケット売買が盛ん。 現在インターネット上で売りにでているチケットで一番の高値は、正面スタンドで、2枚続きで1枚20万ペセタ。一番安いのは3万ペセタ。ちなみに正規の値段は3,000〜17,000ペセタです。 |
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バルサはディフェンスが弱い?(2001年2月1日)
20節終わって、バルサはR・マドリッドに8ポイントの差を付けられています。ゴールの数を見ても、マドリの方がバルサより、入れられたゴール数は少なく、入れたゴール数が多い。入れたゴール差は奇しくもポイント差と同じ8ゴール。 では、そのゴールを入れた選手を見ると、バルサはリバルド(12)、クライハート(10)と、デランテーロの選手がずば抜けていますが、他の選手がふるいません。ルイス・エンリケとデブーが3と続くだけ。過去3年間、17、18、11ゴールと入れていたルイス・エンリケ、12、6と入れていたコクー(1)など、今シーズンの不調が目立ちます。一方マドリは、ラウルの11ゴールを筆頭に、グティ(7)、フィーゴ(5)、モリエンテ(4)・・・・とあらゆるポジションの選手がゴールを決めています。このへんに今シーズンのバルサの不調があるのかも。
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