2000年
2001年
5月
もう、帰る!(2001年5月31日)

・・・と、デ・ラ・ペーニャは言いました。

バルサに戻ってくることが決まった昨年の8月30日、「僕は今世界で一番幸せな男だ。だって、フットボール選手として生まれたクラブに戻ってきたんだから」と言いました。「ラッチオでスタメンを保証されるより、バルサでポジションを得るために戦う方がいい」と、再び魅力あるプレーをカンプノウで見せようと言いました。

そして9か月後の5月28日、「僕のバルサ選手生活の中で、最悪のシーズンだった」と言いました。「夢を持ってここに戻ってきたのに、それを実現させるチャンスさえもらえなかったのがくやしい。だまされたような気分だ」と怒りを込めて言いました。

全56試合
プレー
試合数
スタメン
交替
プレー
(分)
負傷中
試合数
リーグ
8
1
7
268
13
ヨーロッパ
3
2
1
160
3
国王杯
0
0
0
0
5
トータル
11
3
8
428
21

・・・・「ラッチオに帰る」と、デ・ラ・ペーニャは言いました。

地元で稼ぎの悪いバルサ(2001年5月30日)

2試合を残してすでに優勝を決めたマドリと17ポイント差のバルサ。過去に1位のチームに17ポイント以上差をつけられたのは、1941-42の21ポイント(バルサは12位)、1960-61の20ポイント(4位)、1965-63の18ポイント(6位)、1987-88の23ポイント(6位)があります。

また、地元での試合18試合(残り1試合)は、11勝3敗4分で、ちょうど現在の1位との差と同じ17ポイントを失っている計算です。過去に地元で17ポイント以上失っているのは1987-88の21ポイントの1シーズンだけ。ちなみにファンハール時代の3年と比べてみると・・・

1997-98 19試合 14勝4敗1分  -13ポイント
1998-99 19試合 13勝3敗3分  -15ポイント
1999-00 19試合 13勝4敗2分  -16ポイント
2000-01 18試合 11勝3敗4分  -17ポイント

息子の名前は?(2001年5月29日)

契約更新問題でのマドリがらみ発言で、ファンから総スカンをくらったクライハート。依然契約更新交渉はまとまらず、ゴールも決まらない彼ですが、先週の水曜日には3人目の子供が産まれるといううれしい出来事もありました。オランダで生まれた男の子、体重3750グラム、伸長52センチ、名前は、ルーベン・ケーン。ルーベンは奥さんも彼も気に入っている名前ということでつけたものですが、ケーンはどこから? これは、最近ヒットしたデンジール・ワシントンの主役の映画、無実の罪で監獄に入れられた黒人ボクサーの名前「Hurricane Carter」から。レイジハーとともに大のボクシング好きのクライハートは、この実在した主人公ハリケーンの略称ケーンを彼の息子のミドルネームにつけたということ。

今月のブラウグラナ(2001年5月28日)

ブラウグラナは、青(Blau)と赤(Grana)のバルサカラー。今月のお薦めは、ワインのコルク抜き。使うときはどちらか一つですが、ブラウとグラナ、二つ並べて飾れば気分は、仲良しETクレー?

月給4万ペセタ(2001年5月27日)

続々と契約更新しているカンテラの選手ですが、今回は、まだ1部にあがっていない明後日の星、イニエスタ君の話。バルサに入って5年目の彼は、まだ17歳になったばかり(詳しいことはチキチキのLa Masia 参照)。しかし、すでにクラックとして名を馳せており、いろいろなところから引き抜きの話が来ているとのこと。

彼の契約は2003年までですが、現在、契約見直しの交渉がクラブとイニエスタ君の代理人(親族)とで話し合われています。しかし、クラブ側としては、あまりにも高額な契約をし、今後のカンテラ選手との交渉の悪い見本となるのを避けたいため、一歩も引かず、いまのところまったく折り合いがつかない状態。イニエスタ本人の意思はバルサに残ることだが、クラブの姿勢がこのままなら、他クラブの申し出も考慮に入れざる終えない、とは代理人の言。現在のイニエスタ君の月給はたった4万ペセタ。それなのに違約金は5億ペセタもするのということ。それはちょっとひどいんじゃない?

チャビが新契約書にサイン(2001年5月26日)

5月6日の記事にチャビが同意と書きましたが、昨日ようやくサインをし確定しました。それによると前回の内容と少し変更があります。契約期間は2007年までと同じですが、違約金が58億ペセタとあがっており、年俸も2億ペセタの固定給プラス報奨金。この報奨金ですが、もし全試合の半分以上出場し、何かタイトルとったとしたら、1億5千万ペセタほどになります。

この固定給と報奨金に分ける制度は、クラブが新たに取り入れたもので、チャビ以外にすでに3人の選手(レイナ、コクー、プジョー)が来シーズンからこのシステムで支払われる契約にサインしています。現在クラブがこのシステムで交渉中の選手は、クライハート、レイジハー、ルイス・エンリケ、ガブリです。

来シーズンは稼がねば(2001年5月25日)

Granaの部屋の9月に、チャンピオンズリーグ出場で稼げる金額を紹介しましたが、1次リーグで敗退したバルサは結局6億5800万ペセタしか稼げませんでした。これは決勝までいったバレンシアの20%にしかなりません。バルサ、来シーズンこそは優勝してガッポリ稼ぐぞぉ!・・・そのためには、まず来季のチャンピオンズ出場権を獲得しなくては。

今シーズンの収入
バルサ(6億5800万ペセタ)
R・マドリッド(25億7400万ペセタ)
デポルティーボ(18億3700万ペセタ)
バレンシア(33億1000万ペセタ)

バルサの過去の収入
1997-98 4億ペセタ
1998-99 5億2400万ペセタ
1999-00 29億9000万ペセタ

ウルッティ、交通事故で死亡!(2001年5月24日)

24日午前3時30分、バルセロナ郊外で、自家用車がガードレールに追突し、運転していたハビエル・ウルティコチェア(49歳)が死亡しました。彼は、ウルッティと呼ばれる現在でもファンの間に人気のあるバルサの元キーパーで、この下の記事にあるセビリアで2本のPKを止めた人。1988年に引退。現在はTVに、子供用のフットボール学校にと活躍していました。

チャンピオンズは国王がお嫌い(2001年5月24日)

92年のバルセロナオリンピックで、彼が決勝戦を見に来れば、スペインが必ず勝つ、というジンクスが生まれたほどの強運の持ち主、フアン・カルロス国王。バレンシ戦に、その運をお裾分けと昨日サン・シローの貴賓席に座りました。実は、フアン・カルロス国王のチャンピオンズリーグ決勝観戦はこれが2回目。1回目は、1986年セビリアで行われたバルサ-ステアウア・ブカレスト。0-0のまま、PK戦にもつれ込み、バルサのキーパーが敵のPKを2本も止めましたが、バルサは1本も決めることができず敗退しています。そして国王2度目の観戦の結果も・・・。

ちなみにハーフタイムでは、国王がTV1(国営テレビ放送)のアナウンサーのインタビューに気さくに応えていました。日本の天皇ではちょっと考えられないシーン。

転んでもただでは起きないクレー(2001年5月23日)

1999年5月、バルサ100周年に、カンプノウでヨーロッパチャンピオンに! という夢を持って、チャンピオンズリーグ決勝戦のチケット発売と同時に2枚買ったクレー(バルサファン)。夢は破れ、手元に残った見たくない決勝戦のチケット。そのはちょうど2倍の26,000ペセタで他人の手に。続いて2000年のパリ。今年こそはチャンピオンにと、何とかインターネット上で1枚13,500ペセタのチケットを2枚手に入れました。ところが、ご存じのように決勝戦はマドリとバレンシア。マドリの優勝など死んでも見たくないと、またWeb上で売りに出したところ、今度はバルセロナ在住のバレンシアファンの夫婦が1枚65,000ペセタで! 

2001年のミラノもダメかも知れない、とは思いながら、3度目の正直とまた2枚。しかし、二度あることは三度ある。今回も喜び勇むレンシアファンの手に、10万ペセタで渡っていきました。こうやって彼らだけでなく、多くのバルサファンがチケットの転売で夏休みの資金を稼いでいるとのこと。転んでもただじゃ起きないバルサファン、でもみんなの本当の願いは、転びたくない!

バルサが日本へ?(2001年5月22日)

TVの放映料など収入源が一気に増えているクラブですが、それと同時に選手の給料や移籍料も跳ねあがっています。収入はもちろん多い方がいいに決まっているわけで、バルサは、シーズンオフを利用して日本方面に出稼ぎに行く計画を立てています。この計画はすでに今シーズンはじめに持ち上がっており、当初の予定では、来シーズンの前のキャンプをかねてということでした。しかし、バルサの成績次第では、国王杯決勝戦、チャンピオンズリーグの予選など、スケジュールが厳しいこと。また、コパアメリカが7月下旬にあるため、主力選手の全員参加がむつかしいことなどで、今年の計画は見送られました。現在は、来シーズン(2001-02)終了後にという計画が話し合われてます。ちょうど、日本韓国でのワールドカップの直前になり、これに参加する選手はそのまま日本に残りナショナルチームに合流する事もできるというわけ?

バルサの日本遠征は初めてではありません。1970年7月にアジア方面に遠征に行っており、日本では日本選抜と2回試合をしています。なお、今回この計画を押し進めている、アルベルト・トルドラという人は、ルイス・エンリケの代理人。選手の契約更新交渉、クラブのプロモーションと大忙し。

監督蒐集家(2001年5月21日)

「チームの不調は全員の責任だが、選手全員を入れ替えるよりも、監督一人を入れ替える方が簡単だから」とは、セラ・フェレールが首になったときのルイス・エンリケの言葉。その簡単な方法をとられて、今シーズン、首を言い渡された監督は、1部ではバルサ、バジャドリ、サラゴサ、ヌマンシア(2人)、レアル・ソシエダ(2人)、ラーシング(2人)、の9人、2部では14人で計23人にのぼります。チームの不調が、監督交代劇をうむわけですが、監督を替えたがる会長というのがいるようで、ヒル会長(アトレティコ)とロペーラ会長(ベティス)は、監督蒐集家として有名。

ヒル会長は1987年に就任してから14シーズンでなんと27人の監督と契約しています。また彼はあと5年のうちにトータルで100人の監督を集めてみせる、と豪語しています(もちろん冗談・・・だと思います)。ヒル会長のもとで初めて1シーズン持ちこたえた監督はルイス・アラゴネス(90-91)、もう一人は、アンティックで、最長の3シーズン(95-96、96-97、97-98)。彼は最初のシーズンで、リーグと国王杯を制しています。

一方ロペーラ会長は1996年に就任しましたが、92年から理事として監督交代の決定に関与。その数は13人。1シーズン以上続いた監督は、セラ・フェレールの3シーズン(96-96、96-97、97-98)のみ。

ちなみに一番短いかったのは、ヒル会長では、サントス・オベヘーロ(92-93)の6日間。ロペーラ会長のもとでは、アントニオ・オリベイラ(97-98)が21日間持ちこたえています。

6日間の監督がいるかと思うと、フランスではなんと一生という長い任期の監督も。Guy Rouxは Auxerreの監督を39シーズンつとめています。この39という数字は、今年の5月で引退するため。彼はトータル986試合、1973年に2部に落ちましたが、80年にはまた1部に上げています。

彼ほどではないにしても、マンチェスターの監督、サー・ファーガソンは1986年から14シーズン。初めてのリーグ優勝は、監督就任7年後。その後の成功はいうまでもありません。理事会の寛容さが実を結んだといえるでしょう。

クラブで見てみると、リバプールが109年の歴史で15人の監督のみ。平均任期は7年と安定しています。延べにすれば、ヒル会長は就任してから5年間で同数の15人を消化(?)しています。

では最後にヒル会長の監督蒐集帳をのぞいてみましょう。

シーズン
延べ人数
監督
1987-88
3人
MenottiUfarteBriones
1988-89
5人
MagureguiBrionesAtkinson
Addison、Briones
1989-90
3人
Clemente、Briones、Joaquin Peiro
1990-91
3人
OvejeroTomislav Ivic、Ovejero
1991-92
1人
Luis Aragnes
1992-93
5人
Luis Aragnes、Ovejero、Pastoriza
Ovejero、Cacho Heredia
1993-94
6人
Pereira、Cacho Heredia、Emilio Cruz
Romero、Ovejero、D'Alessandro
1994-95
4人
Pacho Maturana、D'Alessandro、
Alfio BasileCarlos Aguiar
1995-96
1人
Radomir Antic
1996-97
1997-98
1998-99
3人
Sacchi、Carlos Aguiar、Antic
1999-00
3人
Claudio Ranieri、Antic、Zambrano
2000-01
3人
Zambrano、MarcosCantarero
マドリと関係ある奴は信用できん(2001年5月19日)

マドリと6ポイント差で優勝を争っているデポルティーボのイルエッタ監督は、明日のオビエド戦を吹くはずの審判が、マドリと関係があると、不服を表明していました。審判はエスキーナス・トーレス、生まれはコルドバですが、マドリの審判協会に属しています。数年前から、審判の割当てはコンピューターで無作為にされるようになっており、そのシステムに反対する声もよく聞かれます。「彼はいい審判だと思うよ。問題は、コンピューターには感情がないから、マドリの審判が今うちの試合を吹くとこがどういうことか分からないといことだね」と、イルエッタ監督は皮肉たっぷり。

話はこれで終わりません。この不服表明後、トーレス氏は、ケガを理由にフェルナンデス・マリン氏に変更になりました。彼はバレンシアの審判協会に属しており、これで一件落着かと思われましたが、なんと、彼はマドリ生まれなんです。さて、イルエッタ監督、どう思います?

ミスターファイナル(2001年5月19日)

UEFAカップ決勝戦を終えた次の日の朝、飛行場でアラベスの選手たちをファンはまるで優勝したかのような歓迎で迎えました。負けたとはいえ、彼らの戦いぶりは称賛に値します。そして何よりも決勝戦までいったということだけでもそのチームのすばらしさを語っています。

さて、来週の水曜日はチャンピオンズリーグの決勝戦。バレンシアは2年連続の決勝戦ですが、監督のクーペルは、3年連続決勝進出になります。1年目はマヨルカで、レコパの決勝を経験。3年連続してチームをヨーロッパの大会で決勝に導くことができた監督は今まで6人だけ。97年にマヨルカの監督に就任したときは、ヨーロッパではほとんど無名の彼が、いまでは押しも押されもせぬ名監督の仲間入り。

さて、チームを連続してヨーロッパの大会決勝に導くミスターファイナルの最高峰は95年から98年まで4年連続のユベントスの監督、マルセーロ・リッピィ。そしてそれに続く3年連続は、62年-64年のバレンシアの監督、アレハンドロ・スコペリ。76年-78年のリバプールの監督、ボブ・パイスレイ。83年-85年のユベントスの監督、ジョバンニ・トラパトーニ。93年-95年のミランの監督、ファビオ・カペッロ。93年-95年のパルマの監督、ネビオ・スカーラ。そしてクーペル。

連続ではないが決勝に3回以上出場しているミスターはもっといます。最多出場はウド・ラテックの6回。クライフもバルサ監督時代に4回、アジャックス時代に1回と計5回、決勝進出を果たしています。

監 督
は優勝、は未定)
MARCELLO LIPPI
(JUVENTUS)
1995(UEFA)
1996(CHAMPIONS)
1997(CHAMPIONS)
1998(CHAMPIONS)
ALEJANDRO SCOPELLI
(VALENCIA)
1962(UEFA)
1963(UEFA)

1964(UEFA)
BOB PAISLEY
(LIVERPOOL)
1976(UEFA)
1977(CHAMPIONS)
1978(CHAMPIONS)
GIOVANNI TRAPATTONI
(JUVENTUS)
1983(CHAMPIONS)
1984(RECOPA)
1985(CHAMPIONS)
FABIO CAPELLO
(MILAN)
1993(CHAMPIONS)
1994(CHAMPIONS)
1995(CHAMPIONS)
NEVIO SCALA
(PARMA)
1993(RECOPA)
1994(RECOPA)
1995(UEFA)
HECTOR CUPER
(MALLORCA/VALENCIA)
1999(RECOPA)
2000(CHAMPIONS)
2001(CHAMPIONS)
視聴率最高(2001年5月18日)

UEFAカップ決勝のリバプール-アラベス戦は、平均670万6千人と、ヨーロッパ戦TV中継でことし一番の視聴率を獲得しました。そして過去5年間のUEFAカップ決勝においても最高でした。

視聴者数は得点経過に伴いかなり変化を見せており(下記参照)、開始直後の1-0では約43万人でしたが、延長5-4の時にはなんと1千万人を超え、最高時は10,117,000人という数値を記録しました。

1-0 ( 3分) 4,296,000人
2-0 (16分) 5,722,000人
2-1 (27分) 6,189,000人
3-1 (40分) 7,053,000人
3-2 (48分) 4,339,000人
3-3 (50分) 4,849,000人
4-3 (73分) 8,664,000人
4-4 (89分) 8,052,000人
5-4 (117分) 10,002,000人

バルサマニア(2001年5月17日)

毎年、9月にバルセロナで開かれていたバルサマニア(バルサグッズを扱うお店などが一堂に集まり、いろいろな催し物もある)。今年は、バルセロナから100キロほど北にある町、ジローナで明日から3日間開催されることになりました。今回の呼び物は、以前ここでも取りあげたバルサのスポーツカー。その他、バルサカラーに彩られた浴室、女性用ランジェリーまで、24の店舗が出店。また、来シーズンから選手達が移動のとき着用する新しいスーツの発表も行われるということです。

ゴールは挑発とともに(2001年5月16日)

「ゴールには愛を込めて」で、ゴールを決めた時の祝福の仕方いろいろをみてみました。今回は、フエラで決めたゴールについてみてみましょう。

このところあまり見ませんが、数年前に流行った謝りポーズ。前季までいたチームにもどっての初試合でゴールを決めたとき、両手をあわせてファンに許しを請うポーズを取る選手が多く見られました。バルサ100周年の記念試合、バルサ対ブラジル代表で、バルサの選手としてゴールを決めたソニー・アンダーソンは、うつむいてじっと立ちつくしていました。ブラジル人にとってのセレクションは特別の意味を持つようです。

スペイン語では「コルテ デ マンガ」と呼ばれる、腕を曲げ、もう一方の手でその二の腕をたたくポーズ。相手を罵倒するかなりきつい意味のこのポーズを取ったのは、カップ決勝のバルサ-マドリ戦でのシュステル(バルサの選手時代)とマドリ-バルサ戦のジョバンニ。ジョバンニはこれで、数試合の出場停止になっています。

今シーズン、バレンシアの選手カリュウが、ビルバオ戦で決めたゴールのあと、人差し指を口に持っていき「シーッ」のポーズ。ビルバオファンに静かにしろというこのポーズが、スポーツマンシップにかけるという理由でイエローカードがでて、それが2枚目だったため退場に。このイエローカードについてはその後ずいぶん問題になりました。というのも、今までこのポーズを取った選手達にイエローカードどころか、注意さえあったことがなかったから。その前例のある選手達とは、96-97のレコパのバルサ-フロレンティーナ戦でのバティストゥータ、そして、バルサ-マドリ戦のラウル、ヌマンシア-バルサ戦でダニもこのポーズで、ブーイングに応えています。

最後はちょっと毛色のちがう話。噂のリケルメは、地元での試合、ゴールを決めたあと、手のひらを耳の後ろで広げるポーズを貴賓席の会長に向かって。未払いの金を払えとの彼の要求に対する返事はどうした! という挑発でした。

まだ遅くない?(2001年5月15日)

「今すぐ、頭を下げて謝るならあの発言は忘れてやってもいいぞ」と、70%の人が、エスポーツのWebでのアンケートで、クライハートについて答えています。残り30%は「今さら土下座しようとも、許してやんねぇ」。でもそれと同時に行われている「クライハートを今シーズン限りで移籍させるべきか」に65%が「売っちゃえ、売っちゃえ」と反応。ラーヨ戦のブーイングについては72%が「当然の報い」と、思っています。

ハーフタイムで交替させられたクライハートは、後半は一人控え室に残り、ベンチには戻りませんでした。そして、チャーリーが選手に与えた2日間の休暇を利用して、オランダに帰っています。監督、選手共にクライハート擁護発言をしていますが、さて、どうなりますやら。

悲劇の2か月(2001年5月14日)

最近フットボール場での暴力事件や事故のニュースがよく流れます。5月9日にはガーナで130人も死亡するという大惨事がありました。しかし、今年の3月に入ってから2か月間で、世界中あわせて、13のスタジアムで事故や事件があり、183人の死者、964人の負傷者、123人の逮捕者という驚異的な数字をマークしています。

アフリカ大陸では上記のガーナの他、4月29日にコンゴと南アフリカで、5月6日にコートジポアールでも事件があり、あわせると死者181人、負傷者400人という数字になります。ヨーロッパをみてみると、スペインでも4月21日にセビリア-ベティス戦で負傷者48人を出していますし、クロアチアでは5月に負傷者130人、逮捕者90人という事件がありました。中近東ではイランで5月に死者2人、負傷者300人。中南米ではこの2か月間スタジアムでの事件はありませんでしたが、エクアドールの代表監督が襲われるという事件がありました。フットボール人気が高まり、多くの観客が詰めかけるようになったため、スタジアムの設備や警備の不備が目立つようになってきたということなのでしょうか。

噂のあの子にファンクラブ(2001年5月13日)

5月11日に誕生日を迎えて17歳になったばかりの、明後日の星・イニエスタ君。他のクラブから引き抜きの話もいろいろでているようですが、契約についてはお父さん任せで、本人はジュニア国王杯と、夏にカリベで行われるアンダー17のワールドカップのことで頭は一杯。

そんなイニエスタ君の生まれ故郷で、彼のファンクラブができ、ペーニャとしての登録をバルサに申請していました。しかし、このほどクラブから却下の連絡。というのも、これはイニエスタ個人のファンクラブでバルセロニスタとしての活動がどこにも見られず、バルサのペーニャとして必要条件を満たしていない、と判断されたから。それもそのはず、イニエスタ君の故郷、フエンテアルビージャの村はほとんどの人がマドリシンパ。村の英雄(?)イニエスタの応援はしたいが、バルサには興味がない。

カタルーニャカップ決勝戦は(2001年5月12日)

4月26日に行われたカタルーニャカップ準決勝、Grament相手に0-3で勝ち、決勝進出を決めているバルサに対し、エスパニョールは一昨日、Balaguerという3部のチームに1-0で、敗退。西澤も後半オスカーに替わって出場していますが残念ながら無得点。なお、ベニテスも後半出場しました。彼は、右膝の負傷で長期欠場しており、プレーは実に1年3か月ぶりのことになります。

これで、カタルーニャ杯決勝戦はバルサ-バラゲルの対戦となりました。いくら下のチームに弱いバルサとはいえ、3部ならなんとか・・・・。

こちらバルサ医院(2001年5月11日)

リバルド、ラーヨ戦間に合うか?

先週のエスパニョール戦で腰を痛め途中交替したリバルド、重傷ではないといわれていましたが、いまだに痛みが取れず、みんなと一緒に練習はしていません。もしこのまま痛みが引かない場合は日曜日のラーヨ戦は観客席から見ることになりそうです。

その他、コクーは水曜日の練習中に不調を訴え、途中で引き上げてしまいましたが、昨日はもうふつうに練習にでました。プティも熱を出して水曜日はお休みでしたが、もう大丈夫ということで、二人ともラーヨ戦には問題なさそうです。

ゴールには愛を込めて(2001年5月11日)

4月8日の、2部のテネリフェ-アトレティコ戦での出来事。試合開始6分に決まったルケのゴール。その瞬間メナが駆けよりルケの顔を両手ではさんで唇にキッス! いくらうれしいからって、男同士のマウス・トゥー・マウスのキスはちょっと刺激的。思わずいつも癖が?・・・というわけではなく、これには理由が。キコが受けたファールからのフリーキックを最初は、メナが蹴ろうとしていたところ、ルケが俺に蹴らせればゴールしてみせる、というので譲りました。「もしゴールしたら、俺にキスしろよ」という条件付きで。そして、あのシーンになったというわけ。

これはちょっと変わった光景ですが、ゴールを祝うジェスチャーはいろいろ。もちろんキスもその一つ。グアルディオーラが彼のパスでゴールを決めたクライハートに、ほっぺにキスをするように要求したジェスチャーに応えて、クライハートがキスをしたシーンを覚えている人もいるでしょう。またよく見るのは、結婚指輪にキスをするシーン。ラウルやグッティがゴールを決めたあとに必ずしますね。また、ユニフォームについているエンブレムにキスするのもよく見られます。ルイス・エンリケは、キスはしませんが、右手をいつもエンブレムに当ててからファンにさしだすポーズをします。

ブラジルのセレクションで有名になったベベットの赤ん坊を抱く格好。これは、その後しばらく、産まれた子供にゴールを捧げるおきまりのポーズになりました。最近の流行は、ユニフォームの下に着たTシャツにメッセージを描き、それを見せること。リバルドがいつもオリジナリティーあふれるメッセージを隠し持っています。

ゴールを祝うのに宙返りをして見せたのは、かつてのマドリの選手ウゴ・サンチェス。カメルーンのミージャはコーナーで踊って見せました。コーナーの旗を持ってポーズをキメたことがあるのはクライハート。二丁拳銃を撃ちまくったのは、ちょっと前にバルサにいたソニー・アンダーソン。鳥のポーズで両手を広げて羽ばたくのは、カターニャ。その他、オリジナリティあふれるポーズを見せてくる選手にオスカーがいます。自分の靴を脱いでキスをしたり、ゴールを決めた選手の靴を磨くジェスチャーをしたり。キコも以前、射手という変わったポーズでキメていました。

ただし、どんな方法で祝うにしても、これはゴールを決めることのできる選手だけの特権ですけどね。

アラベスは週末がお嫌い(2001年5月10日)

今週末のアラベスとデポルティーボとの試合は、アラベスのUEFAカップ決勝戦(5月16日)への準備期間を少しでも多く取るため、日程を繰り上げ、金曜日になっています。このアラベスの要請にデポルティーボは不服でしたが、スペインサッカー協会のお達しで受け入れざる終えませんでした。

そして、今度はその次の週末、バルサ戦も、決勝戦終わってから回復の余裕が欲しいからと、月曜日に延期して欲しいとアラベスは要請しています。バルサ側は、それでもよいと、太っ腹のところを見せているようですが、その試合のTV放映件を持つ局が、土曜日でなければならないと譲らないようで、いまのところ調整中。バルサも、かつて同じようなことで、48時間で、試合をしなければならないことが2度もありました。

残り5試合15ポイントをめぐって(2001年5月9日)

バルサが、来シーズン、チャンピオンズリーグにでることができるか、UEFA止まりか、はたまた、UEFAすらでられなくなるか、残り5試合できまります。シーズン折り返し時には、3位で1位のマドリとは6ポイント差だったバルサですが、それから14試合後の現在は、5位(53ポイント)でマドリと16ポイント差。この後半の14試合はフエラで1勝もしていません。また4月1日にラスパルマスを4-1で下してから、UEFAを含め7試合で0勝1敗6引き分けという状態で、下からはセルタ(51ポイント)、ビジャレアル(50ポイント)、アラベス(49ポイント)がじりじり追い上げてきています。残り5試合、バルサは何とか勝ちを収めて4位以内に残って欲しい。

34節(5/13) Malaga - Valencia
Villarreal - R.Sociedad
Barcelona - Rayo
Mallorca - Celta
35節(5/20) Valencia - Athletic
Alaves - Barcelona
Espanyol - Mallorca
Celta - Numancia
Zaragoza - Villarreal
36節(5/27) Racing - Valencia
Villarreal - Osasuna
Barcelona - Oviedo
Mallorca - Rayo
Las Palmas - Celta
37節(6/10) Valencia - Deportivo
Valladolid - Barcelona
Alaves - Mallorca
Celta - Villarreal
38節(6/17) Barcelona - Valencia
Zaragoza - Celta
Villarreal - Espanyol
Mallorca- Oviedo
Sub16スペイン代表、
  ヨーロッパチャンピオンに
(2001年5
月8日)

イングランドで行われていたSub16のユーロ大会で、フランスを1-0で破り、スペイン代表が優勝しました。これで6回目の優勝になります。この代表にはバルサから今シーズン話題に上ったイニエスタがいましたが、大会途中で負傷のため、バルセロナに戻ってけており、優勝の喜びを仲間と持つことができませんでした。この84年生まれの選手達は以下の通り。彼らの名前を、早く1部のチームで見られるように期待。

キーパー
Moya(Mallorca)、Zaparain(Zaragoza)
ディフェンス
Jesus(R.Madrid)、Carlos Garcia(Espanyol)、Tarantino(Athletic)、Palencia(R.Madrid)、Flan~o(Osasuna)
ミッドフィルダー
Guillermo(Mallorca)、Melli(Betis)、Gavilan(Valencia)、Diego Leon(R.Madrid)、Iniesta(Barcelona)、S.Torres(At.Aviacion)、Berto(Racing)
フォワード
Larrea(R.Sociedad)、Pepe(Deportivo)、F.Torres(At.Madrid)、Senel(Celta)

やっと出荷(2001年5月7日)

ウェンブリーの取り壊しの時のオークションで競り落とした92年の思いでの品々(Granaの部屋・11月1日参照)、3月にはパッキングしてスペインに向けて送られてくるはずでしたが、いろいろな手続きでのびていました。ようやく今日の午後、イギリスをでるということになりました。バルセロナ到着まで4日ほどかかるということです。そして、バルサ博物館にウェンブリー-92のコーナーが作られるのは・・・待ち遠しいですね。

引き続きチャビが同意(2001年5月6日)

契約見直し交渉で、プジョーに引き続きチャビもクラブと同意に達しました。それによると、契約期間は以前と同じ2007年まで。その他の細かい数字は発表されていませんが、年俸は1億7千万で、その他にも、プジョーと同じように、でる試合毎に支払われます。他に変わったところは、以前とちがってクラブが、勝手に移籍料の変更をできなくなりました(この交渉中、クラブが24億の移籍料を倍の48億にするということしています)。これで契約見直し交渉、残るのはガブリ一人になりました。

続々・カタランダービー(2001年5月5日)

しつこく、カタランダービーのデーター比べ。今回は監督編。バルサのレシャックとエスパニョールのパコ・フローレスは監督としては対戦は始めて。しかし選手時代には2回、顔を合わせています。77-78にカンプノウで(1-1)、79-80にサリアで(2-0)対戦しており、これはパコ・フローレスの1勝1分けで有利。またこの対戦を含め、選手として、レシャックは18回カタランダービーを戦っており、そのうちエスパニョールのホーム戦が8回で、1勝5敗2分。一方パコ・フローレスは4試合、うち3試合がホームで1勝1敗1分。レシャック氏、ちょっと分が悪いようですが、さて、監督としての対戦結果はいかに?

プジョーが新契約にサイン(2001年5月4日)

給料などの契約内容の見直し交渉をしていたプジョーが、このほどクラブと合意に達しました。契約期間は2004年までと前と同じですが、年俸が約倍の1億2500万ペセタ(税込み)に。その他、試合に出る毎に、250万(以前の5倍)。そして、移籍料は30億(以前の倍)です。

続・カタランダービー(2001年5月4日)

スペインダービーでの審判のオフサイド判定、毎試合どこかで問題になる審判判定からみて、試合の勝敗には審判の役割が重要と、今回は、明日のカタランダービーを吹く審判のデーターを集めてみました。

主審はメフート・ゴンザレス。一部リーグ6シーズン目ですが、未だリーグでカタランダービーを吹いたことがありません。今シーズンはバルサ対マラガ(2-1)とエスパニョール対デポルティーボ(0-2)をそれぞれ吹いていて両チームとも2度目になります。6シーズンのトータルは、バルサを9試合で4勝3敗2分、エスパニョールは10試合で3勝4敗3分。またエスパニョールの選手を3人退場にしていますが、バルサは0人。イエローカードについても、エスパニョール24枚、バルサ17枚バルサに有利な数字。特筆する試合は、96-97のサラゴサ対バルサ戦(3-5)。このとき、線審の主張でサラゴサの間違った選手を退場させてPKをバルサに与えました(ファールはあったが、そのファールをした選手がちがう選手だった)。

カタランダービー(2001年5月3日)

カタランダービーまで、あと48時間。バルサ、この試合は絶対に落とせません(と、毎試合いっているような気がしますが)。例によって、過去のデーターを見てみると、エスパニョールが97年にサリアを離れ、オリンピック競技場にホームを移してから、バルサは負け知らず。

97-98 バルサ - エスパニョール 3 - 1
    エスパニョール - バルサ 1 - 1
98-99 エスパニョール - バルサ 1 - 2
    バルサ - エスパニョール 3 - 0
99-00 バルサ - エスパニョール 3 - 0
    エスパニョール - バルサ 1 - 1
00-01 バルサ - エスパニョール 4 - 2
 (国王杯) エスパニョール - バルサ 1 - 2
       バルサ - エスパニョール 1 - 1

4試合で、2勝2分けと、データはバルサに味方していますが、問題は、この試合を、バルサは負けないだけでなく、勝たねばならないということ。シマオとセルジはレッドカードでの1試合停止を前回で終えましたが、今度は、カードを貯めたグアルディオーラとガブリがでられません。またデ・ラ・ペーニャも2試合停止のためでられません(ただし、彼はケガもしている)。

500人に聞きました(2001年5月2日)

エル・ムンド・デポルティーボ編」

・来シーズンの監督は誰がいい
 クーマン(21.8%) クーペル(19.6%) カペーリョ(19.4%) レシャック(13.6%) ベンゲル(8.2%) 他 (セラ・フェレールと答えた人が1人)

・レシャック新監督の下、来シーズンのチャンピオンズリーグ参加権を得られると思うか
思う(47.8%) 思わない(47.4%)

・今の状況の責任は誰にあると思うか
選手(31.2%) 理事会(25.4%) 会長(19.6%) セラ・フェレール(11.8%) 他 (カンプノウの観客と答えた人が1人)

・監督交代は正しい処置と思うか
正しい(73.2%) 間違い(21%)

・ガスパー会長の採点を0-10ポイントですれば
0(6.2%) 1(9.4%) 2(11.8%) 3(9.8%) 4(17.2%) 5(20.2%) 6(11.2%) 7(9.4%) 8(3%) 9(0.8%) 10(1%)

・国王杯をとったとして、今シーズンの評価は
非常に悪い(39.4%) 悪い(46.2%) ふつう(12.2%) よい(1.8%) (非常によいと答えた人が2人)

「エスポーツ編」

・レシャックとアレサンコは、国王杯と来シーズンのチャンピオンズリーグ参加権をとれるか
とれる(63.4%) とれない(34.8%)

・もし、上記の目標の2つを達成できたら、レシャックとアレサンコが来シーズンも指揮を執るのに賛成か
賛成(53.6%) 反対(44.2%)

・新たに契約する選手について、経験豊かで活躍が保証されている選手がいいか、若くて将来を期待する選手がいいか
活躍を保証された選手(75.6%) 将来性のある若手(20.8%)

・選手陣の大改革が必要と思うか
思う(62.4%) 思わない(34.4%)

・来シーズン、ガスパーはクラブをもっとうまく運営できると思うか
思う(51.2%) 思わない(44.6%)

この選手、来シーズンどうなる?(2001年5月1日)

数日前の新聞記事にバルサが来シーズン狙っているとして、32人もの選手名があげられていましたが、そんなに選手登録はできない・・・。まあ、そのうち数人としても、じゃ、今いる選手はどうなるんでしょう。

年齢/契約年/違約金)

ドゥトルエル(28歳/2004年/50億) 今シーズン始め移籍金なしでセルタより。チャンピオンズリーグのミラン、リーズの失点とケガからアルナウとレイナにとって代わられる。フランスのチームへ?

アルナウ(26歳/2002年/20億) 今シーズン前にセラ・フェレールのすすめたバジャドリへの譲渡の話を断っている。ドゥトルエルの代わりに出場しているときに負傷。来シーズンはレイナ次第か

レイナ(18歳/2007年/30億) 道は二つ。他の1部のチームに貸し出されるか、バルサに残って名キーパーを目指すか。

レイジハー(27歳/2002年/50億) 現在契約更新の交渉中。もしまとまらない場合はイングランドへの移籍を希望。だたし。期間以外については更新の合意に達しているとのこと。

フラン・デブー(30歳/2002年/100億) レイジハーと同じで、今シーズン中に契約更新にいたらない場合は、移籍希望。

グアルディオーラ(30歳/2001年/150億) すでに今シーズン限りと発表済み。行き先はイングランドかイタリアか。

ゼンデン(24歳/2003年/50億) セラ・フェレールが監督のままだったら、確実にバルサをでていっただろうが、ここに来て状況は複雑に。ラッチオが何度もオファーを出してきている。昨夏も20億でラッチオに移籍寸前までいったが、セラによって止められている。

リバルド(29歳/2003年/150億) クラブは公式には、売るつもりはないといっているが、裏では、いろいろなクラブと話し合いがもたれれている様子。リバルド自身、移籍させようというクラブの考えは理解できると容認発言。

クライハート(24歳/2002年/60億) 現在契約更新の交渉中。10億近い年俸を要求しているといわれている。マドリがちょっかいを出しているとも。

コクー(30歳/2003年/100億) 今年の1月に2003年まで契約更新をした。30歳という年齢を考えると、バルサで引退か。

プジョー(23歳/2004年/15億) 現在契約更新の交渉中。交渉はほぼまとまっており、あとは細かいところの詰めを残すのみ。

チャビ(21歳/2007年/48億) 現在契約更新の交渉中。紆余曲折の交渉の末、なんとかまとまりそう。しかし、彼のポジションに新しい選手の契約の噂も。

ガブリ(22歳/2005年/40億) 現在契約更新の交渉中。チャビと同じ状況だが、彼にはイングランドやイタリアからのオファーもあり、まだひともめあるか。

シマオ(21歳/2007年/100億) 今年はケガを除けばスタメンで使われ、初年度のフィーゴの陰という状態に比べるとよい状況。このままバルサでやっていくだろう。

オーベルマース(28歳/2005年/300億) バルサの歴史上一番高額な契約選手。出だしは悪かったが、だんだんよくなってきた。ただし、また魅惑されるというほどでは・・・残るだろう。

アベラルド(31歳/2002年/10億) バルサでは唯一守備の要といえいる選手。だんだんよくなってきている。負傷で今シーズンは終わっているが、来シーズンも続ける確率大。

セルジ(28歳/無期限/30億) 今シーズン一番批判を浴びた選手。興味を示すイングランドのチームも。彼の契約は毎年更新というもので、状況はどうなるか分からない。

ルイス・エンリケ(30歳/無期限/50億) セルジと同じような契約で、バルサ側は、自動的に1年更新したい意向だが、本人は2年を希望。デボルティーボやミドルスバーグが彼に興味を。

ダニ(26歳/2005年/70億) イングランドを筆頭に市場で人気のある選手。まだ4年間契約が残っており、本人によると、スタメンに選ばれないが、契約を全うしたいということ。

デ・ラ・ペーニャ(24歳/譲渡) ラツィオからの譲渡で、この6月まで12億5千万で買い取りのオプション付き。あまり出場しないにもかかわらず、人気は相変わらず高い。

アルフォンソ(28歳/2004年/150億) ベティスから23億で移籍。セラの推薦で契約したにもかかわらず、ほとんどスタメンで使われなかった。他のチームを探す可能性大?

ジェラール(22歳/2005年/310億) 現在負傷中。バレンシアから40億で戻ってきたバルサで来年こそは活躍して欲しいもの。ただ、ここに来てミランが興味を示し始めている。

プティ(30歳/2004年/250億) チームになじめなかったのは明らか。新監督の要請がない限り来シーズンは移籍確実。