2004-2005 シーズン
2004年
8月
2005年

選手データー更新
(04/08/31)

バルサB 「ルーベン


選手データー更新
(04/08/30)

バルサB 「リエラ
キラキラ星たち 「リエラ」


選手データー更新
(04/08/24)

バルサB 「ダビ・サンチェス


選手データー更新
(04/08/23)

バルサB 「トルトレロ


選手データー更新
(04/08/20)

バルサB 「ラモン・ロス


レンタル移籍
(04/08/20)

レンタル移籍した選手はそのクラブでスタメン選手となってプレーすることがレンタル条件となる。したがって現在レンタルさせている選手がスタメン出場しない場合は、それなりのペナルティーをバルサに支払うことになる。

これが今シーズンからのレンタル選手に関するバルサの新しいアイデア。このアイデアは昨シーズンのダビ・サンチェスやナバーロがレンタル選手としてバルサを離れながらも、そして経験を積むことが最大の目的であったにも関わらず、出場試合回数が少なかったことからの反省から来ている。2年連続アルバセテにレンタルされることが決まったダビ・サンチェス、今シーズンからヌマンシアに1年間レンタルされたラモン・ロス、そして3年契約でレバンテにレンタルされたセルヒオ・ガルシア、すべての選手にこの条件が付けられている。

例えばセルヒオ・ガルシアのケースを見てみよう。レバンテの監督は今シーズンからシュステルが就任している。ちなみにいつかバルサの監督になるであろう彼もまた、言ってみれば監督のバルサカンテラみたいな存在だと思っている。さて、そのシュステルとレバンテ会長、そしてバルサ関係者によってセルヒオ・ガルシアがスタメンで試合出場しない場合、レバンテはペナルティとして1万ユーロをバルサに支払わなければならない。ダビ・サンチェスやラモン・ロスの場合には具体的な数字が発表されていないが、基本的には同じようなペナルティが決められている。

かつてヨハン・クライフが監督をしていた8年間、将来を期待される選手のレンタル移籍というのはそれほどおこなわれなかった。あくまでもタイミングを見計らってバルサ一部チームで起用し続け成長を待とうという発想があったからだ。それでも何人かの選手がレンタルされている。例えばチャッピー・フェレールがテネリフェにレンタルされた際、クライフがテネリフェ側に提示した条件は面白いものだった。スタメン出場するごとに一試合 6千ユーロを支払うというもの。つまりテネリフェとしてはチャッピーをスタメンで起用し続けるほど金儲けができ、そしてチャッピーとしては経験を積むことができるというものだった。時代が変われば契約内容も変わるものだ。


選手データー更新
(04/08/20)

キラキラ星たち 「ガイ


選手データー更新
(04/08/19)

バルサB 「セルヒオ・ガルシア


選手データー更新
(04/08/18)

バルサB 「オスカー・ロペス


バルサインフェリオールカテゴリー
(04/08/17)

最年少のベンジャミンカテゴリーからバルサBまでのすべてのカテゴリーを称して、バルサインフェリオールカテゴリーと呼んでいる。早い話がカンテラ組織だ。そのインフェリオールカテゴリーを維持するためのクラブ年間予算は、例えば昨シーズンのそれを見てみると700万ユーロとなっている。日本円にして年間約9億円もの予算を費やして将来のキラキラ星たちを育てていることになる。地方からスカウトしてきた子供たちはマシア寮に住まわせないとならないし、もちろん学校にも通わせないとならない。子供とはいえそれなりの年俸を支払わないといけないし、両親が訪ねてくればホテルも用意してあげないといけない。いろいろと金がかかるカンテラ選手だ。

カンテラ選手は彼らの同年代の子供たちの中ではもちろんエリートだ。それだからこそバルサスカウト陣の目にとまりクラブに入団してきたわけだが、それでも1年先、2年先、そして3年先にどのような成長を見せるかはまったくの未知数と言っていい。したがって、フットボール選手として教育を与えることが第一目的とはいえ、将来に備えて同時に一般教育を施すことも重要なこととしてマシア寮設立の際ののモットーともなっている。そうして何年も苦労して育ててきた子供たちが、ある日突然、他のクラブがチョッカイをだして美味しいオファーとそれなりの仕事を両親に与えることになると、それまで世話になったクラブを離れてしまうという、ファンにとっては何だか納得のいかない状況が起きてくる。

未成年者の場合、彼を事実上“保護”している両親が仕事の関係などで引っ越してしまえば子供たちはそれまで在籍していたクラブを自由に離れ、新たな生活場所にあるクラブに入団することが許される。ただマシア寮などに住んでいる子供たちは、両親は別のところに住んでいるいるから、寮に住んでいるわけで、彼らがバルサに来る際にはそれまで所属してクラブとの話し合いが必要となったり、あるいは契約が切れることを条件にバルサにやって来ている子供たちとなる。もっとも、他のクラブがそういう子供に興味を示すことになれば、やはり親を説得してそのクラブがある都市に仕事と住居を与えることによって子供も自由となるが、こういう話はあまり聞いたことがない。したがって突然のように他のクラブに持って行かれる子供のケースは両親と一緒にバルセロナ近辺に住んでいる選手が多い。つまり地元カンテラ選手だ。

バルサの長い歴史においてどのような過去例があるのかよく知らないけれど、ここ20年のバルサを見ている限りもっとも話題を呼んだのはジェラールのアディオスだった。ミニエスタディで4番をつけ、グラルディオーラそっくりの走り方やボール処理の仕方をしていたのがジェラールという選手だった。一つだけ本物と違っていたのはボールコントロールとパスの正確さに欠けていたことだ。それでも将来性ある選手の一人として注目されていた彼が突然バルサを去ることになる。1990年代の末にバレンシアは監督をしていたバルダーノの強い要請でバルサB所属のジェラールにちょっかいを出す。その頃のジェラールは、まだ一部チームでのプレー経験は1回もなかったと思う。だから、想像するに、年俸はせいぜい1万ユーロぐらいのものだっただろう。その彼に年俸50万とか60万ユーロとかいうオファーが来てしまう。子供の頃からの夢であるバルサ一部チームでのデビューを最優先するか、あるいはとてつもない年俸の魅力の前に“いただきま〜す”しちゃうか。しかもこれぐらいのオファーを出すと言うことは当然ながらバレンシア一部チームでの出番の可能性もありということだ。もちろんバルサも引きとどめオファーをだすことになるが、当分一部チームには出番のない選手という評価だからして、数字的にはとてもバレンシアのそれとは比べようもない。そこでジェラール君、美味しい方を選ぶことになる。

カンテラ選手の願いは、一つは小さい頃からの憧れのクラブでプレーすること、そしてもう一つは本当にプロと認められる選手になること、つまり一部リーグでプレーすることだ。この二つが同時にかなえば理想的ではあるけれど、そうはなかなか問屋が卸さない。ジェラールの場合はバルサBというカテゴリーにいただけに、もう少しでバルサ一部チームでプレーする可能性もあったわけだが、それでも“約束”された将来ではないし、目の前に予想もできなかったオファーが来たことでバルサを去ることになるわけで、仕方ないっちゃあ仕方ない。だが、それでも、一人のプロ選手がとった判断にファンがどういう反応を示すかというのは別の問題だ。すでにバルサに戻ってきたジェラールだが、彼の“過去”を忘れていない多くのバルセロニスタがいたとしても不思議ではない。ルイス・エンリケが抜けた今シーズンからバルサは新たなカピタンを選ぶことになる。カンテラ出身のジェラールも“ファン投票”では当然ながらカピタン候補となってもいい存在だった。だがいくつかのメディアがおこなったアンケートでは彼の名前は出てこない。ジェラールがとった判断が仕方ないものだとすれば、このファンの反応も仕方のないものだろう。

同じ時期にメレンゲでもジェラールのような例が話題になったことがある。ミスタという選手がマドリBでプレーしていて、それをテネリフェが強奪してしまった。その彼は今ではバレンシアでプレーするようになっている。いずれにしてもこういうカンテラ選手強奪作戦はバルサだけではなく、すべてのクラブに起こりうることで、ある時は強奪組に入り、ある時は強奪され組に入る。でもそれがフベニルカテゴリーあたりの選手の突然のアディオスとなると、何か「あれっ?」という印象を受ける。それは、例えばバルサBぐらいでプレーするようになれば良いにつけ悪いにつけ将来性はかなり具体的に見えてくるけれど、まだ将来どう転ぶかわかりもしない十代中盤あるいは後半の少年たちがプレーするフベニルカテゴリーの選手のアディオスは何となく「あれっ?」なのだ。例えば、スペインアンダー代表などに招集されている履歴を持っていようと、そう言う選手が将来つぶれていくのも山のような例があるからだ。

昨シーズンの初めにはセスク・ファブレガスがアーセナルに移籍し、シーズンの終わりにはジェラール・ピケがマンチェスターに持って行かれていてしまった。二人とも10年近くバルサインフェリオールカテゴリーに所属していた選手で、バルサを去る際にはフベニルカテゴリーでプレーしていた。セスク・ファブレガスの移籍にはアーセナルは最終的に200万ユーロをバルサに支払っている。いわゆる移籍料というよりは“養育費”という感じのもの。ここまで大きく育ててくれてありがとう、と言うか、とにかく一丁前近い選手に育てたことに対する支払い。

“ピケ騒動”は今年の2月頃から始まっている。アーセナルが彼にオファーを出しているというニュースが伝わったのがその頃。そしてすぐさまバルサはピケの契約見直し交渉をしている。年俸はアーセナルが出しているものには及ばないものの、それでもフベニルカテゴリーの選手としては美味しいもので契約期間は7年間とした。2か月間にわたって、そこにどのような理由があったかわからないが、ピケは試合出場から干される状態となった。
「よく頭を冷やして考えなさい」
ということかも知れない。いずれにしてもマンチェスター入団後に彼が語ったことによれば、バルサの示してきた年俸そのものはまあまあ納得いくものだったものの、契約期間でお互いに合意ができなかったという。彼の望んだのは5年間で7年では長すぎるとも語っている。

ピケは「クラブ首脳陣とはうまくいっていなかったし、彼らの考えも理解できない。こういうクラブではメッシーの将来も難しいと思う。」と余計なことを口走り、サンドロ・ルセーは「単純に考えて彼らはペセテロに過ぎない。」とまで言っちゃっている。でもまあ、バルサがバルサなりの判断で一つのオファーを提出し、それらのオファーよりアーセナルとかマンチェスターの方が魅力的だからアディオスしたということに過ぎない。センチメンタリズムが、目の前にある魅力的なオファーの前につぶされたと言い換えても良いかも知れない。年俸的にも、そしてフットボール選手としての将来の方針に関しても、バルサのオファーより両クラブのそれの方が魅力的だったのだろう。バルサ一部選手としてカンプノウでのデビューという子供の頃から夢見てきたことより、フットボール選手としての成功を優先する。ファンはひたすらクラブや選手に対してセンチメンタリズムを持つが、選手は、それがカンテラ選手であろうと、そうはなかなかいかない。

バルサには反省してもし過ぎることのない悪い例が過去にある。何年か前、アーセナルからのオファーが来たときのバルサB所属のナノという少年に対する対応だ。当時のクラブ理事会はアーセナルが示してきた年俸額と同じものをナノに用意してしまう。バルサB所属の選手に年俸60万ユーロというオファー。同僚の選手たちはスポンサー提供のジャージかなんかでスタディアム入りするのに、彼だけは毎日の練習にも試合にも派手な格好でスポーツカーに乗ってやってくるようになる。そして肝心なプレーはとてもバルサ一部でやっていけるものではなかった。だから、この年代の選手の評価の仕方は難しい。精神的にまだ準備できていない選手が想像を超える金を懐に入れることにより、フットボール的にもおかしくなってしまう例。そして彼のような例はこれで最後ではないだろうし、これからも続くのは間違いない。

これからこのコーナーで紹介していくバルサのカンテラ選手たちの何人かは、残念ながらいつかは消えていく存在となってしまう。カンテラから一部チームに上がることはとてつもなく難しいことだし、したがって彼らなりの結論をだして将来を決めていかなければならないことになる。ある選手は他のクラブに、ある選手はプロを諦めて他の道へ。それでも、いまバルサのユニフォームを身につけてバルサインフェリオールカテゴリーでプレーしている彼らは、多くのバルセロニスタにとってはバルサの将来を担うキラキラ星たちだ。そのキラキラ星たちをこれから可能な限り追いかけてみよう。