タイミングっちゅうやつですか

これまでのアンティックバルサを見ていると、つくづくロブソンは運がなかった監督だと思う。いつだったかカンプノウでのラージョ戦で6−0と勝っていながら白いハンカチを振られたロブソンをなぜか思い出してしまう。

クライフバルサの余韻がまだ残っている頃にバルサに来てしまったロブソン。まさにそのことが彼の不幸の始まりだった。数字であらわすと4−4−2とか4−5−1という、クラシックであり守備的なスタイルによる試合展開。いかにクライフの最後の2年間つまらない試合が続いたとはいえ、やはりそこはそれ、攻撃スタイルが空回りしちゃうという意味でのつまらなさで、やろうとしている気持ちは理解できるもの。だがロブソンの登場で見たものは、最初っから“多彩”なカウンターアタックをコンセプトとするフットボール、それをアウエーならともかくカンプノウでも見せられることに違和感が生じてしまう。それが6点もあげながらも違和感さゆえに白いハンカチがでてしまう“贅沢”なバルセロニスタだった。

アンティックではなくてロブソンがこの時期に来てたとしたら、そしてアンティックバルサみたいに好成績をあげていたら、間違っても彼に白いハンカチなんか振られない。当時のようなスタイルのフットボールをしようが間違っても白いハンカチは振られない。今のアンティックバルサと当時のロブソンバルサとの違い、その違いを説明するのは難しいことだと思う。他の言い方をすれば、両方とも似たようなもんだということだ。

アンティックの正直なところは攻撃的なフットボールをしようなんぞと、前の監督と違って言わないところだ。そりゃそうだ、彼のコンセプトは違うところにある。セットプレーを試合に勝利するための最大の武器と考える監督だもん。

その時の“気持ちに応じた”試合が見れればそれでファンは満足。スペクタクルなフットボールをアンティックに期待するバルセロニスタっちゅうのは多分ほとんどいないだろう。ひたすら結果を、そして今までがんじがらめという感じだった選手がのびのびとプレーしているところが見られればそれでいい。それが今のバルセロニスタの気持ちだと思う。だからアンティックがバルサに来れたのも、今のようなフットボールで大喝采やウエーブまで起こっちゃうのも、すべてバンガールのおかげだ。バンガールが残していってくれた悲惨な状況のおかげだ。アンティックが一番感謝しなければならない人、それはバンガール。バンガールはアンティックの大恩人だ。

一方通行の道路を逆に走り、すれ違うすべての対向車の方が逆に走っていると思いこむヤツ、それがこれまでメディアでよく使われたバンガールの例え。さらに、白バイに止められても依然として自分の方が正しい道を走っていると信じていたのが彼だった。解任されたときも解任したヤツらが間違っていると語ったバンガール。彼はシッチェスの自宅で何を考える。
2003/02/25)


師弟の対決

今日はベティス戦。まあ負けることはないでっしょ。前回のウエルバかどっかでやった試合でコテンパンにされたイメージが強いから弱気な感じになっちゃうけれど、あれはアウエーの試合でありしかもバルサもひどい状態だった。でもあんなことは今日のカンプノウでは間違っても起きません。デニルソン、ホアキン、なんぼのものでありましょうか。

そして今日は師弟の対決でもあります。ベティスといえば今シーズンはビクトル・フェルナンデス監督、バルサといやあラドミール・アンティック監督。この二人の、師弟関係を持った監督による試合となります。

調べてみれば、アンティックはクライフと同じシーズンにサラゴサの監督になった人。そしてこの監督のサブを務めたのが、当時どこの馬の骨かもわからぬ若きビクトル・フェルナンデス。以前から知り合いだったのか、あるいは偶然そうなったのかまではわかりません。いずれにしてもアンティックがサラゴサの監督を首になるまでの2、3年後までビクトル・フェルナンデスは彼のサブとして監督業を勉強。ボスが首になってからサラゴサ二部の監督になり、そしていつの間にか一部の監督としてサラゴサで一部デビュー。それからアンティックに教わった監督業の道が今日まで続くことになります。

そう言えばセラ・フェレールもクライフに色々と教わった人。クライフがまだアヤックスでコーチをしている時代にセラ・フェレールがクライフを訪ねて行った話は有名です。彼も当時はどこの馬の骨かもわからぬ人物。それを快く受け入れてくれたクライフに非常に感謝したセラ・フェレールはそれ以来“クライフィスタ”となっちゃいます。まだ監督業を志したばかりのセラはクライフがどういう風に練習プログラムを組み、どのように選手に接していくかをアヤックスで学びます。短い期間だったらしいけれど、彼の監督業のアイデアはここが出発点となります。ちなみにクライフの師匠はミケルスだろうけれど、果たしてクーマンの師匠は誰になるんでしょうか。クライフかバンガールか。それとも二人の混合か。

まあそんなことはどうでもいいとして、今日勝てばリーグ戦2連勝、チャンピオンズ含めると3連勝のバルサ。間違いなく快進撃へのスタートとなる今日のベティス戦です。今日は楽勝だ!
2003/02/22)


祭りじゃ、祭りじゃ

いつも通り試合開始5分前には余裕を持ってカンプノウへ。上から下を見ると、なんじゃい、なんじゃい、ガラガラではないか。そうか今日は平日だ。8時まで仕事しているスペイン人にはこの8時45分という試合時間はチョイと厳しい時間。仕事が終わって少し何かつまんでビールのいっぱいでも飲む時間が必要だから、9時過ぎにならないとバルセロニスタは席につけない。案の定、試合が始まってしばらくして観客席を見るとほぼ満席状態。

この試合はホンワカ気分で行ける理由がありました。何といっても相手はインテルだし、しかもそのチームにはあのトルドがいるんだ。そう、あのフロレンティーナにいたトルドが。この選手にはいい思い出しかないもんね。カンプノウに2回ほどやって来たフロレンティーナを見ている。彼は凄く良いキーパーだという評判が来るたびにあったけれど、なぜかカンプノウでは簡単にゴールを許しているのを目撃している。だからこの試合も大丈夫、バッチバッチと点が入っちゃう軽い気分。顔なじみの場内監視員に「今日は3−1だよ」と言ったら、「これだから日本人は楽観的なんだよな〜」の答え。みんなピリピリしています。

インテルというチームを見るのはこれが初めての経験。もともとこのチームはクリンスマンやマテウスがいなくなってから自分の中ではフットボール地図の中にあまり存在していないチーム。それでも初めてのチームを見るのはいつも楽しみだ。昨日の「今日の一面」でクラブの“格の違い”というのがあったけれど、正直に言っちゃうとそんなもんはカタランメディアには載っていない。どこのメディアにも載っていない。でも個人的にはバルサとインテルじゃあ格が違う。20年近くもリーグ優勝しておらず、40年以上もヨーロッパチャンピオンになっていないクラブと同格にされちゃあ困る。俺たちゃバルサだかんね。イタリアのクラブで同格なのは、あくまでもミランとユーベなのだ。

格がどのように違おうと勝負に勝つかどうかは別問題。しかもナカナカ良さそうなチームだ。それでも、そう、何たってトルドがいるもんね。個人的にこの試合で最高の活躍をしたインテルの選手は彼だと思っているけれど、それでも、ほら、点が入っちゃうんだ。キーパーは相性のいいトルドだから。アテネの決勝戦以来、どんなにバルサが調子良くても決して勝てるとは思えないミランという存在があるように、トルドがいる限りどんなチームでも勝てるような気がしちゃうのであります。

久しぶりのカンプノウフィエスタ。バレンシア戦でのリバルドが聖人となった日のフィエスタよりは感激が少なかったけれど、それでもあれ以来のフィエスタ。楽しかったっすっ。
2003/02/19)


二人の“旬”の選手

デ・ボエルがクーマンになれるわけがないように、オーベルもストイチコフにはなれない。ポジション的に同じようなところでプレーする二つのペアー選手だけれど、やはりデ・ボエルはデ・ボエルにしか過ぎず、オーベルはオーベルにしか過ぎない。それにしか過ぎないけれど、なぜかここに来て“旬”の選手になっている。

バルサに入団してきた時期はそれぞれ違うものの、常にこの二人は“過去の二人”と比較されてきた選手。クライフ親父とジョルディ息子が比較された程ではないにしろ、何かにつけて比較されてきたことは確か。

まず、デ・ボエル。キャラクター的にはリーダシップの固まりという感じのクーマンの足下にも及ばない。スピードに関してはどちらも非常に遅いが、それでもポジショニングの良さと読みがその弱点をカバーしている二人。そして彼らの最大の持ち味、それが前線への一発ロングパス。クーマンのは軌道が低くスピードがあり、それにも関わらず絶妙にコントロールされたロングパス。デ・ボエルのはもっと高い弾道となっての、やはり微妙にコントロールされたボール。そして今、彼の特徴が戻ってきそうな予感。それはアンティックシステムのせいなのか、あるいはオーベルがオーベルとして復調して来たせいなのか、あるいは両方なのかも知れない。

クーマンのロングパスはプンタへのそれというよりは、エストレーモ選手に対するものが圧倒的に多かったと記憶している。ストイチコフへ、あるいは左右に走り込んだバケーロへのものがほとんどだった。でも残念ながら、これまでのバルサには攻守の切り替えの際に、そこへ走りこむ選手がいなかったチーム。ところがオーベルが何がきっかけとなったのか、カンプノウで登場したバルセロニスタの知るオーベルじゃなくて、アムステルダムで知られている彼に変身しつつあるようだ。まだビルバオ戦の前半、昨日の試合の前半だけとはいえ、バルサのユニを着たオーベルマルスとして入団以来最高の出来であることは間違いない。

これまでけなされることはあっても決して誉められることはなかったオーベル。バルサ史上最高の移籍料で入団し、キャラクターのなさや負傷が続いたことで彼のアヤックス時代を知るバルセロニスタには何ともジリジリする感じの選手だった。昨日の試合にしても前半終了時点で交代を要請した原因となった彼の負傷具合が、夜中までテレビやラジオでのコメント対象となっていた。そしてでた結論がどうやら大したもんじゃないということ。あの“冷めている男”チャビが最後まで頑張ったのが印象的な試合となったけれど、オーベルのキャラクターは変わらない。でも、それはそれでしょうがない。カンプノウで久しぶりに“開いた翼”が走り回っているのを見られるだけでも良しとしなければ。

反撃のキーポイントとして、経験豊かな選手に責任を持たせての采配を試みるアンティック。偶然か必然か、なぜかこの二人の選手が“旬”となってきております。
2003/02/16)


気になるぞっ

ここのところクラブ首脳陣が主役となっての話題ばっかりになっているバルサです。まあ考えてみればそりゃそれでしょうがない話で、監督が首になったり会長が辞めたり臨時会長が生まれたり、そして新会長選挙の時期などのニュースが関心事となっているバルサですから。それでもチョイと気になることが一つ。うちの掲示板なんかでもあったけれど、フロントの違いがマドリとバルサの違いを生み出し、そして余程の変化がない限り“10年”はその差が縮まらないとかなんとか言っている、フットボールをメシのタネにしているプロの方がいるということです。

どういう分析なのだろう。まあ単純に想像できることは、フロレンティーノが会長となって大躍進中のマドリと、ガスパーが会長になってから大急降下のバルサということで、そう言っているのでしょうか。

確かにフロレンティーノ組織とガスパー組織では大きな構造的違いがあります。前者が自ら党員となっている大衆党(現スペイン政府与党)の仲間と、そして彼が会長をしている企業関係の仲間でフロントを構成したのに対し、ガスパーは大部屋にデッカイ風呂敷を広げたようなフロントを作ったこと。元ヌニェス派、元反ヌニェス派、彼が会長選挙の時に対抗馬となったバサット氏やカステーレス氏などのシンパ、ようするにシッチャカメッチャカ内閣を組織して「みんなバルセロニスタなんだからうまくやっていけるだろう」というお坊ちゃん的発想でスタートしてしまったことでしょう。

これは少し大げさで節度のないやり方だったとは言え、つまるところマドリとバルサの違いを典型的に示していることだと思います。何代にもわたってソシオとなっている人々で構成されているバルサに対し、マドリはもっと非センチメンタル的で“都会的”でもあります。日本の大きな都市と同じで、首都マドリッドには多くの人々が60年代・70年代に地方から仕事を求めて移住してきて、そういう人々の多くがソシオとなり構成されているクラブです。したがって都会でありながら“カタルーニャ所属”という意識が強く、カタルーニャ内の街をウロウロ住み移る多くのバルサソシオによって構成されているバルサとは明らかに性格が違うのもになってきます。現代的というか近代的というか、はたまた政治的というか、それがマドリであり、いまだにセンチメンタル的な部分が消え去らないバルサではあります。

まさか“ジダーン・パボン作戦”でその違いを言っているわけではないでしょう。クラックとカンテラを絡み合わせた発想は歴史的にバルサの方にこそあり、しかも単純明快に言っちゃえばパボンはもう試合にもでておらずスローガン倒れとなっているマドリです。

クラブ首脳陣の数の違い。ガスパーは大げさな人だから必要以上のメンバーで構成してしまいましたが、これも少々大げさすぎるとしてもそれもクラブの性格の違いから来ています。なぜならマドリにはフットボールとバスケ部門しかないクラブです。でもバルサは事情が少し違う。プロ部門はフットボール、バスケ、ハンドボール、ローラーホッケーだけですが、セミプロ部門となると野球やラグビーなどを筆頭に10以上はセクションがある世界でも例を見ないクラブです。だからそれらを担当する責任者が必要となります。そして当然ながら会長をはじめとしてフロントメンバーはすべて無休、じゃなかった無給です。今日は誤字がないよう〜にっと。

クラブの“性格”の違いから生まれるクラブの“特徴”の違い、そのことに関しては個人の間で好き嫌いがあって当然です。でも“10年”発言をした方は何が“10年”だっていうんでしょうか。
2003/02/14)


一件落着かな?

もうこの“スキャンダル事件”に関しては触れるのも面倒くさい気がしていたのだけれど、一応最後までつき合わおうと方針転換。例のバルサ5人の選手による“真夜中のパーティー事件”です。

2日前だったか3日前だったか、バルセロナの裁判所がバルサ選手が訴えていた“人権侵害”というのか“名誉毀損”というのか、とにかくありもしないニュースを流し彼らを傷つけたメディアを訴えていた件に関し判定を下しました。訴えていたのはクルービー、コクー、ダニ、ジェラール、ガブリの5人。訴えられていたのは二つのメディア、一つはミカノア・コムというウエッブページだけのメディア媒体、もう一つはマドリッドの地方局であるテレ・マドリ。

判決。まず規模的にも小さい会社であるミカノア・コムには2万ユーロの罰金を各選手にそれぞれ支払わなければならないというもの。そして資本力も影響力も大きいテレ・マドリには10万ユーロをやはり各選手に支払わなければならないというもの。つまりミカノア・コムは総額10万ユーロの罰金、テレ・マドリには50万ユーロの罰金命令となった。

“判決言い渡し状”の中に次のようなセリフがありました。
「両メディアともプロとしての努力に欠けていると言われてしょうがないだろう。なぜなら5人の選手のハレンチな行為を訴えておきながら、その証拠集めをいっさいすることもなく、しかも当人たちのコメントもいっさいとっていない。この裁判で両メディアが証拠として提出したものは一つも存在しなかった。パーティーの相手とされる女性の名前、選手が支払ったというクレジットカードの領収書、使われたホテル・部屋を証明する具体的な証拠、これらのものはいっさい提出されなかった。」

彼ら5人がパーティーをやったかどうかは別として、そう言いながらまだ疑ったりしていて・・・、いや、そんなことは別として、問題は、これらのスキャンダルが公表されるときにはカラーに指定したドデカイ文字を使って一面最上段に掲載するくせに、その“真実”が明らかになったときには三行記事で済ませてしまうことだ。マルカ、アスにしてもラージョ戦の前日にはドデカイ赤い文字で載せたのに、判決のことに関しては三行もありゃしない。

こういうスキャンダル事件だけではなく、何の事件でも一度でも“容疑者”とされた場合の名誉挽回は非常に難しい。裁判で無罪となっても、すでに“活字”として公表されたことを鵜呑みする傾向が強いのが人間ちゅうもんだ。あ〜、怖。
2003/02/13)


ビエンベニード、ソリン!

いつもの習慣ながら、初めて見る選手は90分追いかけることにしている。昨日はソリンがその選手。第一印象、それは思ったより小さい選手だったこと。足が速いわけでもない。ボールを強く蹴る能力が素晴らしくある選手でもないし、ヘディングがずば抜けている選手でもない。それでも気に入った。気に入ったのは彼の集中力と有無を言わせぬタックル。

こういうタイプの選手は今のバルサには珍しい。デ・ボエルはボーッとし過ぎの選手だけれど、大体が細かく動く能力に欠けているのが今のバルサの選手。マンマークを外す努力がないのか体力がないのかする気がないのかわからないけれど、とにかくボールを持っていないときの動きが少ない。でもそんなバルサの選手の中にあって、彼は非常に集中力にあふれていている印象を受けた昨日の90分。常にボールの位置と相手デランテロの選手に気を配って動きまわっていた。そして有無を言わせぬ強烈なタックル、中途半端ではない思いっきりのタックルが好感。まずは1試合だけとはいえ、合格。

昨日の試合展開は、昔見たルイス・アラゴネス時代やロブソン時代のバルサの臭いがした。非常にクラシックな4人のディフェンスが一直線に並んでいる風景や、4人の中盤選手、2人のデランテロスタイル。アンティックが好むディフェンスを高く一直線に引いてのラインはまだできていない。だからよけい彼ら二人の頃の雰囲気と被って見えたのかも知れない。非常にシンプルでありクラシックなスタイル。頭の中がバンガールノートのせいでグチャグチャになっている今のバルサの選手にはいいかも知れない。

普通のバルサであったなら、そして普通の試合展開となっていたなら、前半を終わった段階で感じるものは45分後には5−0の試合となっているな、というとこ。でもやはり普通のバルサではなかったし、普通の試合展開ともならなかった。体力だとかシステムだとかクラブが抱えている問題とかとはかけ離れた、選手のメンタリティーの問題であることは間違いない。自信を失った選手たちがプレーするとこういう展開になるという見本みたいな試合。初試合となったソリンが周りの選手にハッパをかけているというのが、今のバルサの状態を示している。

でもまだアンティックバルサの1試合目。コンパクトなバルサと変身してからの最初の試合だ。勝っていればさい先の良い再スタートとなったけれど、そうは問屋がおろしてはくれなかった。

それにしてもと思うのは、リケルメの目はどこについているのだろう。彼には批判が多いけれどそんなことは気にしちゃあいけない。彼から出されるパスは見てる方が想像できな場所へのものが多い。ファンと同じように、それを理解していないクルービーやサビオラ、そして彼から送られてきたボールを足下に止めてもゴールに至らないからリケルメの評価が小さくなる。リケルメをなめてはいけません。
2003/02/10)


ソシオ番号7111

「私はバルセロニスタとして生まれバルセロニスタとして死んでいく。そして私が死んだ後はソシオとして息子が、そして孫が引きついていく。」

昨日の“予告辞任”記者会見で少なくても3回はでてきたガスパーのセリフ。1時間以上の続いた記者会見に何となくつきあってしまいました。これまでこのコーナーで何回となくガスパーのことには触れてきているので今さら付け足すこともないでしょう。

会長辞任という決断でさえ、ソシオに最初に告げるということをモットーとしたガスパーです。会長を辞めても一人のソシオとして、彼が確保している席に、それも会長席にかなり近い絶好の場所にある彼の席に戻るだけです。ソシオ番号7111番の一人のソシオに戻って、我らがゴールには誰よりも大げさに、ピンチを迎えているときには緊張感に絶えられず、カンプノウを離れモンセラまでドライブしちゃうガスパーに戻ります。

スエルテ・バルサ!これがガスパーに送る最高の言葉だと思います。
2003/02/08)


また一人

まるで恒例行事のようになっているクラブ副会長の辞任騒ぎ。ジャウメ・ジャウラドをはじめとして、アンヘル・フェルナンデス、ジョアン・カステーレス、ガブリエル・マスフロールなどが次々とカッコいいこといって辞めていった。でもよく考えてみれば、この人たちはすべて選挙の時にガスパーと会長の座を争った人々だったり、あるいは選挙中に自ら候補を降りてガスパー陣内に寝返った人々。つまりどう考えても烏合の衆だ。

バスケやハンドボール会場となるパラウ・グラーナ、昨日はバスケのユーロリーガ(フットボールでいうチャンピオンズ)の試合があり超満員の8千人のバルセロニスタで埋め尽くされていた。カンプノウの北ゴール裏に陣取るボイショス・ノイスはここには来ない。その代わりサング・クレという非暴力的で純粋にバルサ・バスケを応援するグループがいる。そして会長席にはクラブ副会長でありバスケ顧問会長のサルバドール・アレマニーが座り、そのすぐ後ろにガスパーが座っていた。多分ここはガスパーにとって唯一の“憩いの場”となっているのだろう。バスケやハンドボール部門は快調に飛ばしているから誰も彼にヤジを飛ばしたり白ハンカチを振ったりしない。もちろん誰も激励の言葉もかけないが、それでも彼にとっては最高の“憩いの場”となっていると思う。

このバスケ顧問会長のアレマニーという人も古い人で、ヌニェス政権の最初の頃からいる人。ヌニェス時代にも何回か今のような難しい状況があって、その度に副会長が辞めたり理事会員が辞めたりしていって、スカシッペみたいに体制に対する批判の声を上げる。それに対する体制側の批判もその度に起こる。でもこの人だけはいつも違っていた。インタビューをひたすら断り沈黙を守り、常にバスケ部門のことのみにエネルギーを費やしてきた人で、個人的には非常に好感の持てる人だった。そしてこの人も昨日、副会長を辞任してしまいました。

反ガスパーでありながら理事会内に入れてもらうことを条件にガスパーに協力してきた人々とは違い、彼は最初からガスパーについて選挙に協力してきた人。そしてガスパーの身内からは初めての辞任副会長だと思う。ここまで来たかガスパー体制の崩壊、そういう感じ。

でもこのアレマニーはバスケ部門の顧問は辞めない。彼にとって夢のヨーロッパチャンピオンが実現するかもしれない今シーズンのバルサを最後まで見届けるために、彼は副会長は辞めてもバスケ顧問は辞めない。そして辞任の際に語っていたけれど、会長選挙に出馬する気はまったくないという。さらに彼の辞任をきっかけとしてクラブに平静さを取り戻すことができればと語る。辞任騒ぎなんかよりスポーツ選手が常に主役とならなければならないと考えるアレマニーだ。

どうでもいいヤツが会長の座に目の色を変え、それに相応しい人はそんな権力はいらないと言う。世の中思うようにはいかないっす。
2003/02/06)


ラドミール・アンティック

彼の名前を聞くと、どうしてもレアル・マドリの監督をしていた頃のイメージを思い出してしまう。At.マドリでリーグ優勝と国王杯を獲得したアンティックというイメージよりは、どうしてもレアル・マドリの監督としてのアンティックを思い出してしまう。多分それは、シーズン途中でスペインリーグ史上例を見ない解雇のされ方をしたアンティックだったから今でも印象に残っているんだろう。

1991−92シーズン、シーズンが始まってから13試合を消化した段階で12勝1分けという成績をおさめ、ダントツの首位を走っていたレアル・マドリ。ところがベルナベウには客が入らない。試合内容が“スペクタクルのかけら”もなく退屈なものであったから客が入らない。先制点を獲得してからの守りの戦いが展開されるワンパターンの試合。だが、3点入れられたら4点をとりにいくのはもちろんだ。

当時の状況を参考にしないといけないかも知れない。マドリッドから600キロ離れたバルセロナでは、ヨハン・クライフという監督が“スペクタクル”な試合展開を見せ始めて1年ぐらいたった頃の話しだ。もちろんマドリディスタにとっても無関心ではいられない。

確実に勝利の2ポイントを獲得していったマドリは、2位を大きく引き離して独走態勢に入る。それでもマドリディスタの受けは良くない。当時のマドリの会長であったラモン・メンドーサはそこで思い切った手段をとる。13試合消化して負けを知らない監督を解任しちゃうのだ。そこでやって来たのがオランダ人監督のベンハッケル。テネリフェの悲劇を生みだしてくれるバルセロニスタにとっては忘れられない監督である。

At.マドリは歴史的にカウンターアタックを信条とするクラブであり、アンティックの監督就任というのはクラブにとって理想的な選択だったのだろう。一直線にきれいに並んだ4人のディフェンスを高めにしてオフサイドを誘うスタイル。そしてボールを奪ってからの直線的な素速い攻撃。そんな印象のアンティック・At.マドリ。

彼が攻撃を好む監督か、あるいは守備を好む監督かなんていうことは今のバルサにとってあまり意味のないことのような気がする。元監督のおかげでつまらない試合には慣れてしまっているから勝ちさえすればカンプノウは沸きあがる。問題はバルサが抱えている今の選手をいかに有効的に活用できるかどうか、負けることに慣れてしまっている選手たちをいかに勝利者にするか、そう、それこそ精神科医みたいな仕事を期待しなければ。

昨夜のテレビ番組に出演したアンティックが語っていた。選手との個人的な挨拶をおこなった昼間のことを聞かれたアンティック。
「チャビにはもっと楽しんでフットボールをやれと言っておいた。そしてサビオラにはゴール前3メートルのことだけを考えろと伝えておいた。」
アンティックに対する印象がよい方にグングンと上昇中。
2003/02/03)