2003年
12月
2004年
往く年来る年(2003年12月29日)

リーグ17節終了をもって2003年ももうすぐ終わろうとしています。そして6勝5敗6分け9位という悲しい結果で年を越すバルサ。

勝ち点が3ポイントとなってから8シーズンの17節終了時点のバルサを比較してみました。でも統計は統計、まだシーズンは終わったわけではありません。21試合も残っている今シーズン、巻き返しの時間は十分あります。来年こそはバルサにとって、そしてバルセロニスタにとってよい年でありますように。

<リーグ17節終了時>
●順位・勝率・監督

96−97  2位 11勝2敗4分
      (ロブソン監督)
97−98  1位 13勝3敗1分
      (バン・ガール監督)
98−99  5位  8勝5敗4分
      (バン・ガール監督)
99−00  4位  8勝6敗3分
      (バン・ガール監督)
00−01  4位  9勝5敗3分
      (セラ・フェレール監督・レシャック監督)
01−02  7位  7勝4敗6分
      (レシャック監督)
02−03  9位  6勝6敗5分
      (バン・ガール監督・アンティック監督)
03−04  9位  6勝5敗6分
      (ライカー監督)

●ポイント(1位チームのポイント)
96−97  37ポイント(39 マドリ)
97−98  37ポイント(37 バルサ)
98−99  28ポイント(32 マジョルカ)
99−00  27ポイント(36 デポルティーボ)
00−01  30ポイント(35 バレンシア)
01−02  27ポイント(31 マドリ)
02−03  23ポイント(37 マドリ)
03−04  24ポイント(39 マドリ)

●得失点
96−97  47得点 21失点(+26)
97−98  32得点 13失点(+19)
98−99  34得点 21失点(+13)
99−00  36得点 26失点(+10)
00−01  35得点 26失点(+ 9)
01−02  25得点 15失点(+10)
02−03  25得点 19失点(+ 6)
03−04  23得点 22失点(+ 1)

<リーグ終了時>
●順位(1位とのポイント差)

96−97  2位( 2)
97−98  1位( −)
98−99  1位( −)
99−00  2位( 5)
00−01  4位(17)
01−02  4位(11)
02−03  6位(22)
03−04  ?位( ?)

アディオス、
 ブエナ スエルテ、
  アンデルソン!
(
2003年12月26日)

2004年の6月までの契約でありながら、バルサというチームで自分の活躍の場所がないのなら、スウェーデンにいる子供たちの側にいたい、と残りの給料の大半を放棄し、2年半のバルセロナ生活に終止符を打ったアンデルソン。2001年の夏にはヨーロッパチャンピオンのバイエルンからレシャック監督の要望でバルセロナ入団してきた彼ですが、相次ぐ負傷という不運に泣かされ、期待された活躍をできずにバルセロナを去ることになりました。スウェーデンでプレーしたいという意志はあるものの、今のところ新しいクラブは決まっていません。ブエナ・スエルテ、アンデルソン!

●パトリック・アンデルソン●

1971年8月18日生まれ
185cm 86kg

<経歴>
1979−88 Bjarreds
1988−92 Malmo
1992−93 Blackburn(93−94にも1試合)
1993−99 Borussia M'gladbach
1999−01 バイエルン
2001−03 バルサ

<獲得タイトル>
バイエルンとBorussia M'gladbach
1 ヨーロッパチャンピオン(2001)
2 ドイツリーグ優勝(2000、01)
  (うち1つはロスタイムでの彼のゴールが優勝を決めている)
1 ドイツカップ優勝(1995、2000)
2 ドイツリーグカップ優勝(1999、2000)

代表
ユーロ92 3位
ワールドカップ94 3位

<個人タイトル>
・代表選手96回はスウェーデンで4番目。
 (バルサでこの数をこえる選手はいない)
・スウェーデン最優秀選手2回
・ドイツ最優秀ディフェンス1回(2001)
 (このシーズン、彼はリーグでもカップでも1枚もカードをもらっていない)

<バルサでの経歴>
01−02 リーグ12試合(6勝2敗4分)
      チャンピオン6試合(4勝1敗1分 1ゴール)
      カップ1試合(1敗)
02−03 リーグ3試合(1勝2敗)
      チャンピオン4試合(2勝1敗1分)
03−04 リーグ4試合(1勝3分)
      カップ1試合(1勝)

<不運な負傷>
01年10月 7日 代表チームの試合で右足負傷
01年10月18日 練習中に右膝負傷
01年12月 9日 セルタ戦でカターニャと衝突、頭部負傷
02年 2月16日 デポルティーボ戦左膝負傷 2月19日手術
02年 6月 1日 左足負傷、代表での練習中に悪化
02年10月21日 前回の負傷部分が再び悪化 10月28日手術

カンプノウ、
試合終わって、落ち穂拾い(
2003年12月22日)

●バルサ−セルタ戦(リーグ)

●観客 47,863人

●恒例フィエスタ

・今回はクリスマスフィエスタのため、そここで多くのサンタさんに扮装した人が見られた。
・スペインではクリスマスプレゼントのお願いはサンタさんにではなく、レイジェス・マゴスにする。カンプノウ敷地内に設置された巨大なカードに、子供たちがプレゼントのお願い。子供といえど、一丁前のバルサインチャ。例えば・・・
「ボーイフレンド2人と、リーグ優勝を!」
「来シーズンのダービーは、バルサB対エスパニョールで!」
「2005年には2つ目のヨーロッパカップと、マドリの2部落ちを!」
・カンプノウに併設のアイススケート場で、音楽とイルミネーションのアイススケートショー。
・200人のサンタの衣装を着た子供たち後ろにバルサイムノを歌うのはルス・リーとマヌ・グイス。

●試合前、貴賓席サロンでは、アンダー20でおしくも銀メダルだった、バルサカンテラ選手イニエスタ、セルヒオ、ペーニャ、ルーベンを、ラポルタ会長が迎えた。

●同じく試合前の貴賓席サロン、昨シーズンのバスケット・ユーロリーガ優勝した選手たちに金のバッチが贈られた。

●この試合、アンデルソンにとってセビージャ戦に次ぐ今シーズン2度目のスタメン出場、そしてバルサ選手としての最後の試合となった。彼はスウェーデンに帰ることに。スエルテ、アンデルソン!

●負傷者続出のこの試合。まずはガブリとレイジンゲルは途中交替。最後までプレーしたプジョーだが、前半42分で肩を負傷。ハーフタイムにその負傷部分を動かないように固定しての後半プレーはまたもやプジョー神話を作った。そして、70年のメキシコワールドカップで同じく肩を負傷しながらプレーしたベッケンバウワーを思い出させた。

●この試合無効となった2つのゴール。その一つはロナルディーニョがキーパーの蹴ろうとしたボールを取ってのゴール。これは彼のファールで、イエローカードまでもらってしまったが、それにしても、うまいこと取るなぁ。

●すぐ下で記事になっている108,929番のソシアは、この試合は招待された貴賓席で観戦。

●この試合の後、クリスマス休暇に入る選手たち。次の練習は29日の午後から。

ソシオ数新記録樹立(2003年12月21日)

1899年に32人のソシオで発足したFCバルセロナ、紆余曲折を経てソシオ数10万人を突破したのが1982年。そして1986年に108,926人と記録したのを最後に、それ以後10万人を切る年も現れるなど伸び悩んでしました。しかし、今シーズンラポルタ新会長のもとに始められたソシオ数増大キャンペーンが功を奏し、12月18日にはとうとう86年の記録を破る108,927人のソシオ(ソシア)が誕生しました。

この記念すべきソシオ番号を得たソシアは、バルセロナ在住でマジョルカ出身の29歳の女性。今までは彼女のお姉さん夫婦が持っているソシオカードを借りてのバルサ観戦でした。しかし「偉大なる目標」というキャッチフレーズのもとに始められたソシオ数増大計画をきっかけに、そしてご主人と本人の誕生日が近いことから、お互いに誕生日プレゼントとしてソシオ入会をプレゼントし合ったということ。

このキャンペーンは順調に進められており、まだまだソシオ数の増大が望めそうです。

●FCバルセロナ104年のソシオ数変遷
(*特筆すべき出来事とそれに関する「バルサ100年史」のページ)

1899       32人
1900       51人
1901      104人
1902      186人
1903      253人
1904      234人
1905      198人
1906      187人
1907       65人
1908       38人
1909      201人
1910      400人
1911      531人
1912      710人
1913    1,087人
1914    1,263人
1915    1,473人
1916    1,987人
1917    2,331人
1918    2,564人
1919    2,973人
1920    3,574人
1921    4,302人
1922*   6,341人
1923*  11,277人
1924   12,207人
1925   10,156人
1926    9,852人
1927   10,055人
1928   10,045人
1929    9,122人
1930*   9,185人
1931    9,581人
1932    8,444人
1933    8,258人
1934    8,070人
1935    7,738人
1936*   7,719人
1937 
   5,248人
1938    4,150人
1939    3,486人
1940    4,760人
1941   10,000人
1942   15,400人
1943*  19,500人
1944   21,000人
1945   21,900人
1946   22,100人
1947   23,900人
1948   24,150人
1949   24,893人
1950   26,300人
1951*
  28,750人
1952   30,441人
1953   32,100人
1954*  34,200人
1955   35,900人
1956   45,200人
1957*  49,000人
1958   50,145人
1959   50,974人
1960   52,817人
1961*  52,791人
1962   51,624人
1963   49,029人
1964   46,821人
1965   45,776人
1966   56,793人
1967   54,993人
1968   54,667人
1969   54,769人
1970*  53,069人
1971   53,852人
1972   57,924人
1973*  60,447人
1974*  69,566人
1975   71,682人
1976   73,650人
1977   77,683人
1978*  77,905人
1979*  79,376人
1980   79,666人
1981   90,860人
1982* 103,027人
1983  105,517人
1984  106,833人
1985  108,167人
1986* 108,928人
1987  108,170人
1988* 108,181人
1989  104,999人
1990  103,474人
1991  100,197人
1992*  98,677人
1993   95,899人
1994   98,093人
1995  100,786人
1996  104,442人
1997  103,038人
1998  105,173人
1999  104,550人
2000* 104,200人
2001  105,028人
2002  105,453人
2003* 108,929人

1922 「ラス・コーツス」オープン
     (100年史 第1章 5 ラス・コーツス)
1923 プリモ・デ・リベラ軍事政権樹立。
     FCバルセロナ、6か月間の活動停止命令
     (100年史 第1章 4 軍事クーデター)
1930 創設者ガンペルの死去
1936 スニョール会長暗殺
     (100年史 第1章 9 市民戦争に突入)
1936−39 市民戦争
     (100年史 第1章 8〜10)
1943 バルサの大敗 サラマンチの分析
     (100年史 第2章 13〜14)
1951 シンコ・コパス
     (100年史 第2章 17〜18)
1954 カンプノウに基礎石配置
1957 「カンプノウ」オープン
     (100年史 第3章 23 カンプノウ)
1961 コパ・デ・ヨーロッパ決勝戦敗退
     (100年史 第3章 26 ベルナの悲劇)
1970 グルセッタスキャンダル
     (100年史 第3章 28 グルセッタ事件)
1973 クライフ入団
     (100年史 第3章 29〜31)
1974 ベルナベウでの0−5・リーグ優勝
     (100年史 第3章 31 スーパースターの登場)
1978 ヌニェス会長就任
     (100年史 第4章 35 民主主義で生まれた初の会長)
1979 レコパ優勝
     (100年史 第4章 36 初のヨーロッパタイトルをかけて)
1982 マラドーナ入団 カンプノウ拡張工事
     (100年史 第4章 39 ディエゴ・アルマンド・マラドーナ)
1986 再びコパ・デ・ヨーロッパ決勝戦敗退
     (100年史 第4章 47 そして再び悲劇の決勝戦)
1988 クライフ監督就任
     (100年史 第5章 49 クライフ監督就任の背景)
1992 ヨーロッパチャンピオン
     (100年史 第5章 59 チャンピオンとなった日)
2000 ガスパー会長就任
2003 ラポルタ会長就任 ロナルディーニョ入団
     12月18日 ソシオ数新記録樹立

チャビ&ガブリに続け!(2003年12月19日)

19日の今日、アンダー20の決勝をブラジル相手に戦うスペイン代表チーム。我らがイニエスタ、セルヒオ、ペーニャ、そして出場機会はないかも知れないけれどルーベンというバルサカンテラを擁するこの代表チームが優勝を決めれば、1999年にナイジェリアで開催されたアンダー20優勝に次ぐ、4年ぶりの快挙となります。

さて、その4年前に優勝したチームの18人の選手たちは、現在13人は一部チームで活躍中、残りの3人は2部A、1人は2部B、そしてこのときのチーム得点王だったコウニャゴはイングランド1部チームに所属。バルサからはチャビ、ガブリ、ベルムードの3人がいました。ベルムードは伸び悩みましたが、チャビとガブリは代表にも呼ばれ、バルサ一部で活躍しています。また、カシージャスとマルチェナ、オルバイスも代表に呼ばれています。かつての優勝チーム選手たちの現在の活躍ぶりは?

選手名
現所属クラブ(4年前の所属クラブ)
03−04リーグ出場試合数(スタメン数)
プレー時間 得失点

ガブリ・ガルシア
バルサ(バルサ)
8試合(8)
656分 1ゴール
代表1回

チャビ・エルナンデス
バルサ(バルサ)
14試合(12)
1,103分 1ゴール
代表16回

ダビ・ベルムード
テネリフェ(バルサ)
0試合

ダニエル・アランスビア
ビルバオ(ビルバオ)
16試合(16)
1,440分 19失点

イーケル・カシージャス
マドリ(マドリ)
16試合(16)
1,440分 17失点
代表常連

パブロ・コイラ
アラベス(コンポステーラ)
4試合(3)
227分 0ゴール

フランシスコ・フスエ
オサスナ(オサスナ)
0試合

パブロ・オルバイス
ビルバオ(オサスナ)
8試合(5)
398分 0ゴール
代表1回

カルロス・マルチェナ
バレンシア(セビージャ)
13試合(13)
1,156分 1ゴール
代表12回

パブロ・ゴンザレス・コウニャゴ
イプスウィッチ・タウン(ヌマンシア)
19試合(13)
1,211分 8ゴール

ゴンザロ・コルサ
マジョルカ(ログローニェス)
16試合(16)
1,351分 1ゴール

フランシスコ・ハビエル・イエステ
ビルバオ(ビルバオ)
9試合(6)
586分 2ゴール

フェルナンド・バレーラ
ベティス(ベティス)
10試合(9)
795分 0ゴール

アレックス ロンバルデロ
ラーシング(ルーゴ)
16試合(14)
1,150分 2ゴール

ダビ・アガンソ
レバンテ(マドリ)
13試合(11)

ホセ・ハビエル・バルケロ
ソシエダ(ソシエダ)
3試合(0)
61分 0ゴール

ルーベン・スアレス
ヒホン(ヒホン)
6試合(0)
163分 1ゴール

アルバロ・ルビオ
アルバセテ(サラゴサ)
5試合(2)
278分 0ゴール

19か月と16日ぶり(2003年12月18日)

先日のカタルーニャダービーは、久々の勝利というだけでなく、本当に久しぶりのリーグでの逆転勝利試合となりました。ライカーバルサは先制点を入れられると勝てない、といわれていましたが、それは今シーズンだけの話でなく、2002年4月27日のカンプノウで、ビジャレアルに開始15分で先制された試合を4−1と逆転して以来、19か月と16日ぶりの逆転劇。なんと先シーズンは1回も逆転勝ちなしというバルサでした。

この19か月の間、先制点を取られた試合は計23試合。そのうち何とか引き分けに持ち込んだのは6試合のみで、残り17試合はそのまま敗北。負けた17試合中7試合がホームで、引き分けは3試合。23試合中10試合がカンプノウでの試合となっています。今シーズン、ライカー監督のもと、15節までに先制点を取られた試合は8試合と半分で5敗3分けでした。

このバルサの弱点を利用し一番うまい汁を吸っていたのはデポルティーボで、3試合すべて勝利に。2勝しているのは、ビジャレアルとバレンシア。引き分けを2つ取っているのはオサスナ。しかし、これでこの弱点を克服したバルサは大反撃開始!・・・して欲しいですよね。

●19か月&16日で先制点を取られた試合●
<02−03シーズン>
ルイス・バン・ガール監督
09/28 ベティス−バルサ    3−0
10/05 バルサ−オサスナ    2−2
10/20 バジャドリ−バルサ   2−0
11/03 ラーシング−バルサ   1−1
11/16 デポルティーボ−バルサ 2−0
12/01 ソシエダ−バルサ    2−1
12/07 ラーヨ−バルサ     1−0
12/15 バルサ−セビージャ   0−3
01/18 バルサ−バレンシア   2−4
01/26 セルタ−バルサ     2−0

トーニョ・デ・クルス監督
02/01 ATマドリ−バルサ   3−0

ラドミール・アンティック監督
04/05 ビジャレアル−バルサ  2−0
04/12 バルサ−デポルティーボ 2−4
04/19 マドリ−バルサ     1−1
05/18 バルサ−マヨルカ    1−2

<03−04シーズン>
フラン・ライカー監督
09/02 バルサ−セビージャ   1−1
09/20 バルサ−オサスナ    1−1

10/05 バルサ−バレンシア   0−1
10/18 バルサ−デポルティーボ 0−2
11/02 ソシエダ−バルサ    3−3
11/22 ビジャレアル−バルサ  2−1
12/03 マラガ−バルサ     5−1
12/06 バルサ−マドリ     2−1

カンプノウ、
試合終わって、落ち穂拾い(
2003年12月8日)

●バルサ−マドリ戦(リーグ)

●観客 92,524人

●恒例フィエスタ

・カタランテニスプレーヤーのコスタとコレッチャが、タイブレーク試合の観客数ギネス挑戦。今までの記録は23,600人。このときのカンプノウには49,913人。試合はコレッチャが8−6で勝利。カンプノウのグラウンドで、彼らはテニスシューズではなく、フットボール用シューズでプレー。
・今回のバルサイムノを歌ったのはベス。これ、白い帽子はいけませんよ。

●試合前、前日に亡くなった元バルサのキーパー(1961−66)、ペスドに追悼を意を示し1分間の黙とう。

●試合前、カタルーニャ知事プジョー観戦のため、カタルーニャイムノ(国歌)が流された。

●久しぶりに現れたカンプノウのモザイク。バックスタンドにバルサ!の文字。

●カンプノウ、クラシコ初経験のバルサ選手は4人。2人はカンテラ出身のビクトルとルイス・ガルシア、後の2人はオランダ人のジオとポルトガル人のクアレスマ。

●カンプノウ・クラシコでカンテラ選手が7人(ビクトル、ガブリ、プジョー、ジェラール、チャビ、モッタ、ルイス・ガルシア)も出場したのは初めて。

●ルイス・エンリケ、96−97にバルサの選手となってから、ベンチでクラシコを迎えたのは初めて。彼は98−99には2ゴールを、00−01には1ゴールをきめていたが、ベンチからではシュートはできなかった。

●後半開始直前に、バックスタンド南からハダカで飛び出したのは、すでに150回以上のストリーキングで有名なマーク・ロバート氏。ちょうど警官が引き上げている所にぶつかり、アッと言う間に取り押さえられてしまった。スポンサーまで付いていると言われるこのパフォーマンス、ちょっと短すぎてスポンサーからクレームがつく?

●ドクターストップでクラシコに出場できなかったロナルディーニョは、家でTV観戦といわれていたが、やはり仲間の近くでとカンプノウに、しかもグラウンドの高さで観戦。

●77分ロナルドが交替でベンチに引き上げてきたとき、ロナルディーニョにユニを脱いでプレゼント。セレソンでは仲良しの2人。

●この試合を吹いたカルモナ・メンデス審判。これまではカンプノウで8回吹いてバルサの7勝1分けと縁起のいい審判だったが、肝心な時に・・・

●この試合でイエローカードをもらったプジョーは、5枚目となり次のカタランダービーにはでられない。同じくカードをもらったサビオラは4枚目。

●世界中に放映されたこの試合、イラクに派遣されているスペインの兵隊さんたちも地元TVで観戦。

●ラポルタへの抗議で、ゴール北裏での応援をボイコットしていたボイショス・ノイス。クラシコだけは別と、応援に駆けつけていたが、2点いれられるとやはりラポルタをヤジる歌。

●貴賓席に連れだって現れた2人。1人はバルサ会長として初のクラシコ観戦となるラポルタ氏。もう1人はカタルーニャ州知事として最後のクラシコ観戦となるプジョー氏。プジョー氏は、23年間の州知事時代において、ほとんどのクラシコを観戦しているバルセロニスタの1人。

●貴賓席には、時期カタルーニャ州の政治家たちが勢揃い。そして、メレンゲの理事たちもフロレンティーナを筆頭に15人という今までにない数で攻めてきた。

カンプノウ、
試合終わって、落ち穂拾い(
2003年12月1日)

●バルサ−バジャドリ戦(リーグ)

●観客 55,958人

●恒例フィエスタ

・今回のフィエスタのテーマは「コミック」。コミック展のスタンドがカンプノウ敷地内に設置。そしてカンプノウ内では、スパイダーマン、バットマン、スーパーマンが駆け回る。
・試合前には、昨シーズン、3月23日に試合前に平和へのメッセージを選手たちが行った事に対し贈られた賞を、カピタン・コクーが受ける。
・試合前にもう一つ、先日亡くなられたカタルーニャの詩人でバルセロニスタのMarti i Pol を偲んで、彼の詩の朗読が行われた。
・今回の食べ物は、カスティージャ地方の名物料理、ニンニクスープや豚の皮の唐揚げ、干し肉などのタパス(つまみ)。
・今回のバルサイムノを歌うのはジェルトゥルディスというグループ。

●スタメン確実と思われていたガブリは熱を出してダウン。

●しばらく山籠もりで姿を消していたロナルディーニョが観客席に登場。しかし後半は、できるだけ仲間の近くにと、グラウンドに降りての観戦。

●すでに4枚カードがたまっているプジョーは、クラシコ出場を確実にするため、この試合でもう1枚もらってマラガ戦をお休みか、と思われたが、もらったのはビクトル、コクー、サビオラ、レイジゲルの4人。それよりも、プジョーは負傷でマラガ戦がお休みになりそう。

●パニオニオス戦で退場となり、議論の対象になっていたカピタン・ルイス・エンリケ。後半モッタに代わって登場したとき、客席からは大拍手で迎えられた。

●ボール支配率72%と、グラウンドでは圧倒的優位を見せたバルサだが、それはポイント加算なし。ゴールを決めてナンボのルール。