2006年
11月
2007年

アンドレス坊やからイニエスタに
(06/11/29)

11月4日、リアソールで戦われた“イニエスタ対デポル”との試合での大活躍以来、イニエスタはすべての試合でスタメン出場となっている。もちろんチャビの負傷という不幸な出来事がその原因の一つとなっているが、彼がリハビリから戻ってきた今でもスタメンを勝ち取っている。

あの試合はまさにイニエスタのリサイタルと呼んでもおかしくない試合だった。アンドレス・イニエスタ・ルハン、アルバセテ生まれでラ・マシア育ちの22歳となった彼のプレーは、フットボールをやったことのない人にも「ひょっとしたら俺にもできるスポーツじゃないか?」と思わせるようなシンプルで、難しいプレーをさも簡単なものに見せてしまう、そんな彼の持ち味がすべて出し尽くされた試合だった。そしてこの試合から3週間後、ビジャレアルを相手にしたカンプノウの試合で、イニエスタコールが7万人を埋めた観客席から自然発生的に登場。それは、彼にとって初めてのことだった。

“イニエ〜スタ!イニエ〜スタ!イニエ〜スタ!”
“イニエ〜スタ!イニエ〜スタ!イニエ〜スタ!”
“イニエ〜スタ!イニエ〜スタ!イニエ〜スタ!”

大勢で一緒になってコールするにはチョイと呼びにくい名前ではある。だが彼の名はイニエスタ。それまで選手間だけではなく多くのバルセロニスタの間でも“アンドレス坊や”と呼ばれていた彼がイニエスタとして、つまり一丁前の選手として認識されたことを意味する。カンテラ組織から上がってきたいわゆる“自前の選手”に対して限りない愛情を示すものの、同時にとてつもなく厳しい目で判断することで知られているバルセロニスタ。それを誰よりもよく知っているカンテラ上がりのイニエスタだから、試合後に珍しくも興奮して語っている。
「鳥肌がたってしまった。」
あの限りなく白い肌にたつ鳥肌はやはり白いのだろうか・・・。

アンドレス坊やからイニエスタになった彼の原点の一つは、5月のパリにある。
「人生の中で最も悔しい思いをした日」
今でもそう語るイニエスタ。彼をスタメン選手として起用しなかったライカーに対する批判ではなく、試合開始の瞬間からチームを助けることができなかったことに対する悔しさだ。だがこの悔しさが彼のメンタル面の強さを助成する一つの原因となったのではないか、と語るチキ・ベギリスタイン。
「テンカテがバンボメルの起用を訴え、イニエスタを最も買っているエウセビオがイニエスタスタメンをライカーに要請していた。最終的にライカーはバンボメルを選んだが、後半に入ってイニエスタを投入。ミラン戦やベンフィカ戦でも素晴らしい活躍をしていた彼だが、あの決勝戦では目の色が違っていたし、凄い活躍を見せてくれた。よほど悔しかったんだろうと思うよ。でもあの日以来、それまでの成長ステップ度とは比にならないくらいグ〜ンと伸びていったように感じている。」

誰よりもイニエスタを信頼しているというエウセビオが語る。
「フットボールというスポーツをシンプルに理解し、しかもそれを実践してプレーできる選手。つまり本当は難しいプレーであるにもかかわらず、彼の手(足とするべきか)にかかるといとも簡単に見えてしまう、そういうテクニックを持った選手だ。彼の足下にボールがやって来た瞬間、まるで好調時のジダンのようにキラリと光る。もちろんフィジカル的に似てもにつかない2人の選手だが、ボールテクニック、判断力の速さ、そしてプレースタイル、それらのものがジダーンのそれとダブることがよくある。」

デポル戦がイニエスタのリサイタルだったというのには、それなりの理由がある。チームを引っ張っていた選手としてだけではなく、まるでデコのように守備面にまで活躍しているからだ。この試合でエドゥミルソンが6回、デコが3回ほど相手のボールを奪っている。そしてイニエスタは1人で彼らの2人分、つまり9回のボール奪取をしている。デコという見本となる選手から学んだことも理由の一つとなるだろうが、フィジカル面の成長もまた忘れてはならない理由の一つだ。身長170センチ、体重65キロ、セントロカンピスタとして決して恵まれた身体とは言えない。だが外面から感じるきゃしゃさとは正反対な、鍛えられた筋肉がユニフォームの下に隠れている。

バルサのフィジカルトレーナーであるパコ・セイルロ制作メニューにより、4年前から毎日のように特別メニューでのジムトレーニングをおこなっている。カピタンであるプジョーが練習時間より1時間前に来てジムトレーニングをしているのは知られた話だが、地味なイニエスタもまた同じように誰よりも早くやって来て地味に彼用の特別メニューをこなしている。もともと持久力に関しては何の問題もなかったイニエスタだが、さらなる瞬発力をつけるためのメニューはいまだに続けられている。

ここ1、2年のプレーをもしイングランドのクラブで見せていたならば、いやイングランドでなくとも、例えばカルッチオのクラブでこれだけの活躍をしていたならば、あるいは彼の名前がアンドレシーニョだったとしたら・・・カタルーニャメディアに連日のように獲得目玉選手候補の一人として紙面を賑わせていただろう。橋を叩いても渡らないチキやライカーも彼の獲得に走っていただろう。だが、幸いにも、イニエスタはバルサのイニエスタとして正当に評価されつつある。これまで“無期限延長”状態となっていた契約見直し交渉が、再び開始されそうな雰囲気だ。もうすでにアンドレス坊やではなく生意気にも彼女までいるイニエスタに、実力に見合った内容の契約交渉が間もなく開始される。


ゴラッソ各種
(06/11/27)

あり得ない動きからのあり得ない姿勢でのセミ・チレーナ、まぎれもないゴラッソです。かつてのリバルド・チレーナを一瞬思い出させるゴラッソであり、もしかしたらカンプノウでの“ゴラッソ史”に残るかも知れないほどのロナルディーニョ・チレーナ。でも、メディアが騒ぐほど興奮させるゴラッソではなかったことも自白しちまおう。なんたって、ありゃ4点目のゴールだ。帰り道を少し楽しくさせてくれる程度のゴラッソに過ぎない。

ロナルディーニョの“本当のゴラッソ”を見たのは4回。カンプノウデビュー戦にして深夜の戦いとなったセビージャ戦での自己紹介ゴラッソ、ミラン戦での横ばいゴラッソ、チェルシー戦でのテリーぶった押しゴラッソ、そしてロンドン・チェルシー戦でのボサノバステップゴラッソ、この4つ。どれもこれも順番を付けることができないほどの素晴らしいゴール。それでもどれが一番か、あえて決めつけてしまえば、やはりボサノバステップゴラッソだろうと思う。あんなゴール、それまで見たことがなかった。そして、もちろん、昨日のチレーナなんぞはこのゴールに比べれば可愛いもんだ、と、あくまでも個人的な印象。

クラックという星のもとに生まれてきた人なのだろう。もし彼が、あの4点目という、試合にとってはどうでもいいゴールをああいう風に決めていなければ、翌日のメディアでは多くの選手が平等に高く評価されていただろう。バルデスが、サンブロッタが、プジョーが、トゥランが、ジオが、エドゥミルソンが、デコが、イニエスタが、ジュリーが、そしてグディやチャビやオラゲールやエスケロがそれぞれ素晴らしい活躍をしたとして賞賛され、特にエドゥミルソンやサンブロッタ、トゥランやイニエスタなどの活躍が特太ゴシック文字で大絶賛される試合だった。だがあの試合終了間際のゴールで、他の選手の活躍がゴシック文字ではなく極細明朝文字となってしまった。

今シーズンのカシージャスなら、バルデスが代表スタメンポルテロ。ライカーシステムに徐々に慣れてきているサンブロッタの活躍が、シーズン折り返し地点を過ぎたあたりには全開。もしエドゥミルソンが100%の調子を取り戻すことになれば、大試合ではやはりモッタを超えた存在。U-21代表時代、あるいはバルサB時代のようなゴールへの絡みを見せ始めたイニエスタについては、今更触れる必要もない。昨日の試合でかいま見せてくれた彼らの活躍は、ロナルディーニョというクラックの存在のためにかすんでしまったかのようだ。

ロナルディーニョの復活の予感、それはあのゴールからではなく、今シーズン初めて見せてくれたエラスティカ。あれが登場してきたということは身体が動くようになってきた証拠だ。この試合にブレーメンの偵察隊が来ていたようだが、彼らのノートに書き込まれていただろうこと、それはロナルディーニョのゴラッソではなく、エラスティカの登場、そしてイニエスタ、サンブロッタ、エドゥミルソン要注意事項だろうと推測。はや〜く、来い来い、ブレーメン戦!


試合間隔72時間
(06/11/25)

チェルシーにとって最大の悲願はチャンピオンズの戦いを征すること。念願のヨーロッパチャンピオンの座につくためには、できる限り強力なライバルは姿を消してくれた方がよい。したがって現ヨーロッパチャンピオンにして昨シーズンは直接対決で敗北したバルサなど、この戦いの地図から消えてくれた方が良いに決まっている。チェルシー・ブレーメン戦での理想的な戦い方、それはバルサを蹴落とす最適な手段としてブレーメンに勝利させること、だが2点以上の敗北はしないこと(チェルシーは地元でブレーメンに2−0で勝利している)、そうすればバルサにプレッシャーを与えるだけではなく、グループ1位を確保(まさか最終戦地元でのレフスキー戦に勝利以外の結果は考えにくい)することができる。そうモウリーニョが計算したかどうかは別として、チェルシーは理想的な敗北をしている。

モウリーニョが策士であることは間違いない。良い策士か悪い策士かは別として、彼が策士であることは誰もが認めるところだ。その彼が昨シーズンの途中で、メディアを前にして訴えた一つのことがある。それは、チャンピオンズの試合がある週にチェルシーが戦うリーグ戦試合は必ず土曜日に組まれているのに比べ、ライバルのマンチェスターとかアーセナルは必ず日曜日開催となっていることだ。更に、チャンピオンズの試合前のリーグ戦では、必ず日曜日の遅い時間帯に試合開始が組まれていること。その不公平さを訴えている。偶然のなせるワザだったのか、プレミア組織あるいはテレビ局の嫌がらせだったのか、常に日曜日→水曜日→土曜日という72時間間隔の週になっていたようだ。

そして彼の訴えからしばらくして、この“不公平さ”はプレミアから消えることになる。策士モウリーニョの勝利と言える。そして今シーズンからレアル・マドリの監督に就任したカペロもまた、シーズン開始当初に「決してそういうスケジュールになってはいけない」と語り、リーグ組織及びテレビ局に間接的に脅しをかけている。

9月24日日曜日バレンシア戦を戦ったバルサは72時間後の27日水曜日ブレーメンとの試合をし、さらに72時間後の土曜日にビルバオで試合をしている。(ブレーメンからバルセロナに戻ってきたのは早朝の3時。そしてその翌日夕方にはビルバオに飛んでいる。)

10月15日日曜日セビージャ戦を戦ったバルサは72時間後の水曜日チェルシーと戦い、クラシコだけは96時間後の日曜日に試合がおこなわれている。だがそれから72時間後にはバダロナとの試合、さらに72時間後の土曜日にはウエルバとの試合、そしてそれから72時間後にはチェルシーを相手にして戦うことになった。

11月19日日曜日マジョルカ戦から72時間後、バルサはレフスキーとの試合を消化し、それから再び72時間後の土曜日にビジャレアル戦を戦うことになる。ちなみにマドリは土曜日にリーグ戦を消化し72時間後にチャンピオンズを戦い、そして120時間後の日曜日にバレンシアと戦う予定だ。

例えば今週のバルサの行程。
土曜日午後マジョルカに向けて出発。
日曜日20時マジョルカ戦。その日の深夜にバルセロナ到着。
月曜日午後から回復練習。
火曜日午後ソフィアに向けて出発。
水曜日20時45分レフスキー戦。
木曜日早朝03時バルセロナ到着。午後回復練習。
金曜日、今週初めての本格的な練習。
土曜日20時ビジャレアル戦。

日曜日リーグ戦→水曜日アウエーでのチャンピオンズ→土曜日リーグ戦、専門家(フィジカルトレーナーや物理療法士)などの意見によれば、これが選手たちにとってこの世に存在する最悪なスケジュールだという。わずか72時間ごとの試合の間に各地への移動があり、肉体的な疲労もさることながら精神的な疲労が大きいという。そりゃあ、そうだろう。練習嫌いのロナルディーニョには理想的なスケジュールかも知れないが、それでも移動と試合出場だけでも疲労が襲ってくる。

そういう状況で迎えるビジャレアル戦。偶然という名の下には説明のつかない3年連続リケルメ不在。バルサを離れてから一度たりとも彼の姿をカンプノウで見たことがない。フッシギー・リケルメ。


レフスキー戦
(06/11/24)

試合前から明らかだったこと、それは勝利することだけが唯一の目的とした試合であり、したがって内容など二の次となるということだった。長いリーグ戦を最終的に勝利するためには“結果主義”をモットーとして戦う試合が必ずあるように、このチャンピオンズのレフスキー戦でも“結果主義”を最前面に押し出しての試合となった。
「この手の試合は肉体的なぶつかり合いに勝利することが必要だし、最後の最後まで苦しみながら戦うことを強いられることが多い。そして90分間にわたって予想どおり苦しい試合となったが、最終的に得なければならないものを勝ち取った。試合の勝利、それだけが我々の関心あることであり、そしてそれを手に入れることができた。」
試合後にそう語るフラン・ライカー監督の言葉が、この試合の性格そのもを示している。

一般的なスタメン予想(試合スタートからの奇をてらったイニエスタ右エストレーモなどあるわけがないのだ!)として、エドゥミルソンかモッタか、それがファンにとっては予想が難しいところだった。ライカーはセビージャ戦で今シーズン最高の仕事をしたモッタを、その後3試合続けてスタメンから外している。つまり良いプレーをしたからと言って試合出場への継続性とは結びつかないことを証明したようなものであり、あくまでもローテーションを優先していたライカーでもある。マジョルカ戦で活躍したモッタをそのまま起用し続けるのか、あるいはチャンピオンズにはエドゥミルソンを起用するのか、そこらへんが意見の分かれることろだった。そしてライカーはモッタを起用した。
「常に最高の選手をスタメンとして起用していくべきだろう。私が言う“最高の選手”とはその時点での最高の選手という意味だ。つまり選手の知名度などというものとは何の関係もなく、最も調子を上げてきているその時点での“最高の選手”を優先すべきだと思う。」
つい最近、ヨハン・クライフがそう語っていたが、ライカーは影の指導者の言葉を実行に移している。

これまでのバルサを支えている選手、それはデコでもプジョーでもなく、もちろんテレテレとしたロナルディーニョでもなく、バルデス、イニエスタの2人と断言して良い。そして更に何人かの選手を加えるとするならば、その中にモッタの存在がある。その彼がエドゥミルソンを押しやってスタメンで出場した。

カルラス・レシャック監督がデビューさせた選手だから、今シーズンで6年目を迎えるティアゴ・モッタ。左インテリオール選手としての彼の特徴は、セントロカンピスタとしてのゴール前への突っ込みと、離れた距離からの強烈なシュート。それがバンガールの指揮となってから左ラテラル選手としても起用され、ライカーの到着と共に守備的なピボッテ選手として認識されるようになった。フィジカル面の強さと、バルサカンテラならではのワンタッチテクニックを持った彼にとって、そのポジションが最適と信じたライカーの思いが、徐々に徐々に現実化しつつある。多くのメディアと、多くのバルセロニスタと、そして多くの審判に色眼鏡を通して否定的に評価されてきたモッタが、バルサAチームにデビューした頃のように、監督の期待に応えるような選手に変貌しつつある。

「これまで多くのセクションから疑問符を付けられてきたことは知っている。そのことが精神的に影響を与えて来たことを否定する気持ちはない。デビューしてから2年ぐらいはとてもリラックスしてプレーできたし、昨シーズンのように神経質になってプレーすることなんてなかったと思う。そういう意味では自分としても少し自信を失っていたのかも知れない。でも今シーズンは負傷に見舞われることなくプレーできているし、何よりも監督からの信頼感を感じている。自分に対する可能性を取り戻すこと、そして多くのセクションの人々を納得させること、それが少しずつできてきていると思う。」
スペイン国内での評価より、カルッチオ方面からの評価の方が明らかに高い選手でもある。ユベントスやミランが彼の獲得を目指していたのは記憶に新しい。だが、それを知りながらも、モッタはバルサを離れる気はまったくないとも語っている。バルセロナが自分の街であり、バルサが自分のクラブと言い切るモッタ、その彼が夢見るのはいつかカンプノウでモッタコールが起きる瞬間が訪れることだ。

彼の活躍がカンプノウで正当に評価される日が来ますように、スエルテ、モッタ!


再びエスケロ
(06/11/22)

ビルバオ選手としての最後のシーズン、サンティ・エスケロは、リーグ戦ほぼすべての試合にスタメン出場し19ゴールを決めている。それほどゴールチャンスが多いわけではないビルバオチームでのこのゴール数は、立派なものだと言っていい。そしてその活躍がチキ・ベギリスタインの目にとまり、バルサへと移籍する。だが、多くのバルセロニスタが知っているように、エトーをはじめとする何人かの負傷者が出る前は、試合出場可能性を求めて列を作る選手の最後方につくことを余儀なくさせられていた。

「自分が今このバルサというクラブにいるのは、ライカーを頂点とするスタッフテクニコがそれを望んだからであり、そして自分にとってもそれが望みだからだ。去年の12月と今年の7月に色々なクラブからレンタル、あるいは移籍のオファーがあったことをそのたびにクラブには伝えてある。だがいつも返ってくる言葉は同じだった。自分を必要としている、それが答えだったからこそバルサに残っている。自分の存在が必要ないというところには決して残りたくないし、必要だというのなら、プレー時間が希望より少なくても残る価値があると信じている。」

エトーの負傷に続き、メッシー、サビオラという選手の長期負傷がチーム内の彼の立場を少し変化させてきているのは当然だ。
「チームにとって大事な選手だからというだけではなく、同じ職業につく同僚の不幸を喜ぶ人はいない。でも負傷という不幸な出来事は、この世界に生きている以上どうしても避けられないものであることも確かだ。他人の不幸で自分にチャンスがやって来ることを決して良しとはしないけれど、そして可能であるならば他の何らかの理由で出場チャンスが増えればいいと思うものの、やって来たチャンスを逃すつもりはない。」
グジョンセン、ロナルディーニョ、そしてジュリーについで4番目のデランテロとなったエスケロ。

試合出場がほとんどない彼であるにもかかわらず、彼ほどチーム内での評判が良い選手は珍しい。
例えば、その数多い“エスケロニスタ’の一人であるフィジカルトレーナーのパコ・セイルーロは次のように語る。
「これまで多くの選手と一緒に仕事をしてきたが、彼ほど落ち込むことなく、毎日の練習を明るく精一杯やる選手は希少価値と言っていい。フィジカル的には何の問題もないし、もしライカーが必要とする機会があれば、いつでも100%の状態で出場可能な選手だ。だが、彼のように多くの経験を積んできた選手でも少ない出場チャンスを得たときにはどうしても焦燥感というか熱望というか、精神的に膨れあがってしまう状態でのプレーとなるのはしかたがない。そういうときには彼の持つ本来の良さがどうしても出し切れなくなるのさ。」
彼がバダロナ相手の国王杯に出場したとき、数少ない観客席から彼のミスに対するブーイングがおこっていた。このチャンスを逃してはいけないという焦りから生じるミス、焦燥感、熱望感、エトセトラ、エトセトラ。

「バルサAチームでのデビューがかなったシーズン、ある試合では5分間、次の試合では10分間、そしてまた次の試合では3分間のプレー。この限られた時間で自分の持っているすべてのものを出し切ろうとしてプレーしていた。だからサンティの気持ちが良くわかる。」
イニエスタがそう語れば、エスケロと同じような状況におかれてしまったオラゲルも口を挟む。
「問題はこういうことだと思う。プレーする時間の少なさが原因となって、自らに対する強迫観念を持ってしまう。それは自信を失ったり、己のプレーに疑問符を付けたりする結果となる。ああすれば良かった、こうすれば良かった、わずか数分しかプレー時間がなかったにもかかわらず、試合後に自問自答してしまう。だが、さらに論理を突き止めていけば、我々は一部リーグと二部リーグを行ったり来たりしているチームではなく、常に何らかのタイトルを獲得することが義務づけられているチーム。そういうチームの一員となっていることは決して偶然ではないし、天からのプレゼントでもない。つまり、あなたは重要な選手の一人ということだ。ビスカ、カタルーニャ!」

リーグ戦の試合では今シーズンまだ10分しかプレーしていなかったエスケロに、かつて在籍していたマジョルカ相手の試合で約20分間のプレー時間が与えられた。バルサ4点目のゴール、それは彼が決めたゴールだ。合計30分で1ゴール、決して悪い数字ではない。多くの焦りや必要以上の意欲ともこれで少しサヨナラすることができるかも知れない。スエルテ、サンティ!


バルサと児童とスポット
(06/11/20)

国連が定めた“世界ナントカの日”というのは、ここを参照にすると少なくても50日以上あるようだ。そしてその中に“Dia Mundial de la Infancia”という日がある。“世界の児童の日”としてもよいし、“世界の子供の日”としてもいいだろうし、“世界のガキの日’と訳してもいいかも知れない。その日は11月20日。児童にかかわる日だから当然ながらユニセフ色が強い。そしてそのユニセフのロゴをユニフォームに光らせるバルサ。ユニセフロゴを付けて初めて迎える今年のこの日、それは同時にバルサの日でもある。

11月20日月曜日スペイン時間20時、世界五大陸128か国の人々が、約40秒間にわたってこの“Dia Mundial de la Infancia”のプロモーション・スポットビデオをテレビ画面を通じて見ることができる。コンセプトは“クラブ以上の存在”、つまりバルサを基調としたプロモーションビデオ。Eurosport (Eurosport2, Eurosport News)、ESPN、Nippon TV、ARTE、Television de Catalunya、Barca TVなど、世界各国50局のテレビ局がこのスポットを流す。時差が大きくある国では、最も視聴率の高い時間に移して放映される予定だと言う。

スポットビデオの制作はコントラプントという名の広告会社。制作費を誰がだしたのか、あるいはこの会社のボランティア活動の一つとしてノーギャラだったのか、そこらへんはわからないものの、バルサが1ユーロも金庫からだしていないことは確か。そしてもう一つ確かなことは、このスポットを流すテレビ局も1ユーロ、1円、1ドル、1ポンドもCM料金をとっていないこと。

どのような内容にできあがっているのか、それは月曜日の20時を待たないとわからない。だが、すでにユニセフやクラブが流している予告どおりに“バルサを基調としたスポット”だとするならば、とてつもなく効率的な宣伝となることは間違いない。もし、ある企業が五大陸128か国の人々が見るようなCMスポットを、最も視聴率の高い時間に放映したとしたら、そりゃあ天文学的な資金が必要となるだろう。ナイキが提供するであろう7年間10億ユーロというスポンサー料がユニセフ効果第一弾だとすれば、このスポット放映は第二弾だ!・・・と言っても、本当に見てみないとわからない。

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バモス、グディ!
(06/11/19)

レアル・マドリが首位のバルサに3ポイント差で3位につけている。まあまあの結果をだしていると言っていいだろう。個人的には何の面白みも感じないカペナッチオだが、それでもそれらしく展開されての試合結果をだしている。誰もが予想したように地元ベルナベウでは苦戦し、アウエーでは素晴らしい結果をだす、それがカウンタアタックシステムの宿命でもある。したがって、すでに第二次カペロマドリであるのだから、メレンゲもそれぐらいのことを覚悟していると思っていた。だが敗北という結果をだしたセルタ戦に限らず、負けはしなかった他の試合でもブーイングが起き始めている。それはないだろう、と、思う。ソシオがカルデロンを会長に選んだ段階でカペロ監督というのを承知、あるいは期待していた彼らだから、いまさら暗黙の了解事項となっているカペナッチオな試合展開をしていても文句を言ってはいけない。

先日のサラゴサ戦でグジョンセンに対して向けられたささやかなブーイング、それが今のマドリ族に起こっていることを思い出させた。かつて、リバルドにブーイングをし、ボガルデに拍手をした嫌みったらしいバルセロニスタもいることだから、カンプノウで何が起きても不思議ではない。不思議ではないけれど、グディに対するブーイングはどこかおかしい。

グディはエトーの控えとして入団してきた選手ではない。正確に言えば、100%エトーの控えと言うよりは50%分の控えであり、残りの50%の彼への期待はセントロカンピスタとしての活躍だったはずだ。フォルランではなくグディを選んだ理由としてライカーはだいたい次のようなニュアンスで語っていた。
「フォルランの高い移籍料は別として、彼はトップしかできない選手だから我々は応用度の高いグディを選んだ。彼はセントロカンピスタとしてもデランテロセントロとしてもそれなりの高いレベルでの活躍を期待できる選手。我々に必要な、いくつかのポジションをこなせるユーティリティーに富んだ選手として期待している。」
そのことは誰もが知っていることだから、彼をエトーの代わりの選手として見てはかわいそうだ。もっともエトーに代わる選手などいるわけがないけれど。

これまでのチェルシーとの戦いでプレーしている(もちろんチェルシー選手として)彼を見た限り、中盤から上がってきてゴールに絡む選手、つまりメディアプンタというのが自然なポジションなのだろう。もちろんデランテロ・セントロというポジションでプレーしているところなど見たことがない。そしてバルサにやって来た彼は今のところそのポジションでのみ起用されている。エトーは“唯一”の選手だから、彼のような結果はだせないものの、それでも相手デフェンサにプレッシャーをかけ、チーム最先端のデフェンサ選手としての機能はじゅうぶん果たしているし、ゴールとも決して無縁な選手ではない。何よりもプロ精神が感じられるところがいい。こんな選手にブーイングをしてはいけない。

エトー、メッシーを欠いている今をどのように規定するかと言われれば、ひたすら“我慢の時期”と呼べると思う。チャンピオンズもリーグ戦も、本格的な戦いは肌に感じる寒さがほんの少し薄らいでくる2月の末、あるいは3月の初め頃からだ。エトーをはじめメッシーも戻ってくるであろうその頃から、本格的なタイトル獲得の戦いが始まる。それまではライカー監督お得意の“限定された選手によるやり繰り術”を駆使し、この“我慢の時期”を乗り切ること、それしかない。チキがクラブのスポーツディレクターである以上、冬のマーケットに期待することは間違い。もうアルベルティーニはいらないし、マクシもいらない。ラルソン?二度目に良いことがあったためしがないことを忘れちゃあいけない。

バルサの次の決勝戦はマジョルカ戦ではなくレフスキー戦。そしてこの決勝戦を勝ち取れば、次の決勝戦はビジャレアル戦ではなくブレーメン戦。日本でのムンディアリートをのぞけば、この2試合が年内の最も重要な試合となるが、問題のデランテロは現在の選手でじゅうぶんだろう。グディ、ジュリー、ロナルディーニョ、控えの控え選手から控え選手に昇進したエスケロ、そしてかつての右サイド選手イニエスタ、さらにいざとなれば、今週の練習試合でハットトリックを決めたオラゲールだっているぞ!

それでは、当たってしまいそうなマジョルカ戦スタメン予想。


マルケス、EUパスポート取得間近
(06/11/17)

2か月前当たりには“マルケスのEUパスポート取得は予想以上の時間がかかりそう”とあるメディアがコメントすれば、その1週間後には違うメディアが“年内に取得可能”と予想。そして先週はこの二つのメディアとも“近々取得の可能性”と、まったく同じようなニュアンスでマルケスのEUパスポート取得の可能性を臭わせていた。

11月24日、“スペイン国家およびスペイン国王に対する宣誓”セレモニーをおこない、晴れてマルケスはスペイン国籍を取得する・・・らしい。すべて予定どおりに事が運べば、つまり最後の事務手続きがラテン的に遅れをとったり、大地震や何らかの天災がやってきて都市の機能がマヒしたり、あるいはマルケスが病気に倒れて動けなくなったり、そういう予測不可能なことさえ起きなければ、11月24日金曜日にスペイン国籍取得となる・・・だろう。

これでバルサが抱える“外国人選手”は2人だけ。ロナルディーニョとエトーの2人だけ。そしてこの空いた1人分の“外国籍”を誰が埋めることになるか、常識的に考えるとすればジョバニ・ドス・サントスとなる。だが、それ以外にもオプションがないわけではない。つまり外国籍選手をどこからか獲得してくる可能性も残っている。何たって、我らがスポーツ・ディレクターは、かのチキ・ベギリスタインさんなのだ。

水曜日深夜のラジオ番組でのチキの発言を聞く限り、相変わらず煮詰まらない方だ。
「ジョバニはまだ17歳の若い選手。基本的にはバルサBで大事に育てたいというのが、アレサンコを含めた我々の考え。彼をリーグ戦で起用するかどうか、そういう大事な問題は焦らず急がずじっくり検討していきたいと思う。」
この人はラポルタと同じように政治家が似合う。

そしてライカーの発言はチョイと違うニュアンスだ。
「現在我々が抱えている選手たちで、これからの試合を戦っていくというのが基本的な方針。だが、そうは言っても状況は日々変わってくるものだ。必要とあらば、若くて才能ある選手を抜擢していくのも我々の仕事。例えば、ジョバニをバルサAチームのメンバーとしても私個人には何の問題もない。」

チキやアレサンコが懸念すること、それはジョバニの若さ、未経験さ、プレッシャー、そういうことだろう。個人的にも、確かに早すぎたデビューをかざってその後つぶれていった選手を何人か見てきている。だが、それでも、若手の選手を起用する時のヨハン・クライフが常にそうであったように、バルサAチームに定着させる前に何回か“経験”を積ませて、バルサAとバルサBを行ったり来たりさせても良いのではないだろうか。それでもつぶれていったり結果がでなかったとしてら、それまでの選手ということになる。

今から2年前、第四ミニエスタディでカデッテBの試合を見ているとき、偶然ながらジョバニと彼のチーム仲間が隣にいた。この試合にはジョナタンというジョバニの弟が出ている試合だから彼が観戦にきていても不思議ではない。そしてジョバニはまだカデッテAカテゴリーの選手だった。何がきっかけとなって彼らと雑談をし始めたのか覚えていないが、試合が終わってから別れる際に東洋の占い師は次のようにジョバニに向かってお告げをしたのであった。
「3年後にはカンプノウでプレーしていると思う。」
「グラシアス!」


ペップからセルジへ贈る言葉
(06/11/16)

すでに暗黙の了解事項となっていた現役引退を公式に認めたペップ・グアルディオラ。その彼は先日亡くなったセルジ・ロペスのラ・マシア後輩に当たる。永遠の眠りについたセルジに別れの言葉を贈る。

すでに前半13分が過ぎようとしていた。バルサフベニルは地元での試合でありながら0−1というスコアで負けている。この試合を観客席から応援している自分はまだ13歳。そんな自分にもこの試合もバルサは、うまく機能していないのが良くわかった。そして突然、フベニルチームの監督であるウルシシニオ・ロペスがベンチから出てきて、何か大声で選手たちに指示しているのが聞こえた。どうやらセルジ・ロペスに前に出るように指示しているようだ。

セルジ・ロペスはフベニルのセントラル選手。それもデフェンサの最後の要となる重要なデフェンサ選手だった。その彼に前に出ろと命令しているウルシシニオ・ロペス。それもセントロカンピスタの位置ではなくデランテロの位置へつけと言う指示だ。

一生忘れられない試合と言っていい。自分にとってこれからも決して脳裏から離れることのない試合と言っていい。プレーしている選手の年齢などに関係なく、もちろん彼らが属しているカテゴリーなども関係なく、一人の選手から発せられる光り輝く才能というものを目撃すると言うことは感動すら覚えるものだ。セルジが攻撃に加わってから80分近くの試合経過、それは一生忘れられないものだ。92分、試合終了の笛が吹かれた。試合スコアーは8−3。セルジは5点を決めていた。

その翌年だったか2年後だったか、ほぼ同じメンバーで構成されているフベニルチームは国王杯決勝戦を戦っている。監督には名将カルラス・レシャック、選手にはロウラやティト、そしてアモールなどを擁し、バルサの歴史の中でも最強のフベニルチームといっても大げさではなかった。ログローニョでおこなわれたこの試合を前にして、ラ・マシアを出発する選手たちに、寮に住むカンテラたちほぼ全員が見送りに出ている。
「頑張って!頑張って!頑張って!」
「優勝!優勝!優勝!」
現在のラ・マシアがどのような雰囲気なのか知らないが、当時のラ・マシアはこんな雰囲気だった。アレビンやインファンティル、あるいはカデッテカテゴリーでプレーする少年たちにとって、違うカテゴリーの試合ながら彼らの誇りをかけた試合であり、試合に出場することも現地観戦することもできないながら、同じ寮に住む彼らと一緒に戦うという気合いの入り方だった。しかも、ただの決勝戦ではなかった。相手はレアル・マドリだった。

このシーズンのレアル・マドリのフベニルチームにはロサーダ、カミネロなどという良い選手が揃っていた。だがバルサの連中は彼らよりも更に強かった。試合が終了するまであとわずかという段階で5−3というスペクタクルなスコアーで勝利している。そして、バルサの最後のコーナーキック、すでにロスタイムとなっており、このプレーが終われば審判のラモン・マルコスが笛を吹くのは間違いなかった。高いボールが第二ポストのところにいるセルジめがけて飛んでいった。誰もが彼の得意とするヘディングによるシュートをするものと思っていた。ところが胸でそのボールをトラップした彼はまず右足で一人のデフェンサを抜き、そして次に襲ってきたデフェンサを左足によるドリブルで抜きゴールを決めている。凄いテクニックだったし、まさにゴラッソだった。審判のマルコスさえ拍手したゴラッソ、その後ながいあいだ選手生活をすることになる自分だけれど、良いプレーに対して審判が拍手するところを見たのはこれが最初で最後だった。

この翌年もバルサフベニルは優勝カップを手に入れている。でもセルジの姿はもう見られなかった。なぜなら、彼はもうミニエスタディでプレーしていたからだ。その彼のバルサBデビュー戦を、やはり自分は観客席に座って目撃している。彼のデビュー戦は1−0でバルサBの勝利、ゴールはもちろんデフェンサのセルジ。当時のバルサインフェリオールカテゴリーの責任者だったムソンス氏がミニエスタディをリセウ劇場(バルセロナにあるオペラハウス)に例え、セルジはモンセラ・カバジェ(カタルーニャが生んだ最も有名なオペラ歌手)だと語ったのは今だにバルセロニスタ間に伝わる伝説となっている。

現在のバルサにはマルケス、プジョーというデフェンサ選手が、そして自分の時代にはクーマンという選手がデフェンサの顔だった。そして彼らの前の時代には、このセルジがバルサデフェンサの顔だったと思う。いや、決しておおげさに言っているわけではない。個人的にはそういう存在ながら、歴史的にそうならなかったのは、すべて憎むべき負傷のせいだった。何回も続いた不運が彼の素晴らしい才能をつぶしてしまった。

先週の土曜日、セルジ・バルジュアンと一緒にラ・ポブラから自宅に戻ってきた。プジョーのお父さんの葬儀に出席しての帰りだった。自宅につくと同時に兄から電話がかかってきた。
「セルジが自殺したようだ。」

その日まで、ときどきセルジから電話をもらうことがあった。会話はいつも同じ冗談から始まる。
「ペップか?俺はセルジ、でもバルジュアンの方じゃなくてロペスの方のセルジ、わかる?、ハッハッハッ。」
わかるに決まってるだろ、声が全然違うんだから。だだ、もう、このおきまりの冗談も聞けることはなくなってしまった。なんてこった!、まったく、なんてこった!

PEP GUARDIOLA
Exjugador del Barca


ほぼ、完璧!
(06/11/14)

テレビ観戦とスタジアム観戦では試合評価そのものまで違ってくるだけではなく、楽しく過ごす観戦材料、あるいは見る側にとって完璧な試合だったと言わせる素材まで違ってくることがある。スタジアム観戦する者にとって、その試合が完璧なものとなるにはいくつかの条件がある。例えば、思いつくままに列記してみると次のような条件だ。

1.応援する地元チームが勝利すること。
2.相手チームが強いチームであること。
3.できる限りゴール数が多いこと。
4.ファンタスティックな試合内容となること。
5.ファンの心を一つにさせる敵(審判であれ相手選手であれ)が登場すること。
6.選手同士のも派手な衝突、もみ合いがあること。
7.退場者(特に味方の選手)が出ること。
8.アホな審判がいること。
9.試合終了間際に試合が決まること。

まだ決定的な要素がいくつかあるかも知れないが、いま思いつくことはこれぐらい。例えば、フアンフランなどというマヌケな選手が相手チームにいることも含めてもいいだろうが、まあ、それはいた方がマシという程度のものだから除外しておこう。

バルサ・サラゴサ戦は、これらの条件を満たしたほぼ完璧な試合内容だったと思う。好調なサラゴサを迎えての試合で合計4点が入り、そしてもちろん地元チームであるバルサが勝利。ファンタスティックだったかどうかは疑問符がつくところだが、それでも熱くなった選手同士のもみ合いやモッタの退場もあったし、そして何よりもアホな審判の存在が大きかったから良しとしよう。ラインズマンのラファ・ゲレロは10年ぐらい前に、やはり同じサラゴサ戦で我々を楽しませてくれたのを思い出す。相手ゴールエリア内でのバルサ選手コウトに対するファールを“作り上げ”てくれたラインズマンがこの人だった。今回の試合と同じように、意気揚々と主審を呼び、自分が“作り上げ’たイメージを伝えてその選手を退場にしている。しかも10年前の過ちは、それがファールだったかどうかは別として、そのファールを犯した選手を間違えて主審に報告し退場させていたことだ。あの試合以来、ジョークの対象として、多くのバルセロニスタには忘れられないラインズマンと化していた。

動けない、走れないロナルディーニョを見るのは辛い感じがするが、試合そのものを決めるクラックとして働くあたりは、やはり他の選手との違いを再認識させる。これまでのバルサを支えてきている2人の選手、つまりバルデスとイニエスタもこれまでどおりの活躍を見せてくれている。ニースケンスも彼本来の姿を見せてくれたようで、非常に嬉しいニュース。ただ残念なのはメッシーの負傷だ。これさえなければ、ほぼ完璧ではなく“完璧”な試合となっただろう。負傷はダメ、相手チームの選手であれダメ。これだけはダメだ。メッシー、エドゥミルソン、サビオラ、そしてイニエスタ、ケガは痛い。

この試合がほぼ完璧だった証拠に、審判の試合終了の笛が鳴っても帰路を急いで出口に向かう人が少なかった。普通の試合であれば、人々の試合終了間際の行動はラテン人と思えないほど素早い。だが、この試合では、まるでチャンピオンズの大事な試合を勝利したあとのように、人々は自分の席から選手たちに拍手をおくっている。そしてこの光景が再現されるのは・・・ブレーメン戦だ!


メディア
(06/11/12)

火曜日だったか水曜日だったか、TV3という地方テレビ局のスポーツニュースでロナルディーニョとエトーに対するインタビューがおこなわれていた。もっとも、インタビューと言っても、ほぼ毎日どこのテレビ局でも見られるような、2つ、3つの質問で終わってしまう簡単なもの。
「調子はどうですか?」
「怪我の具合はどうですか?」
といった具合で始まり、
「じゃあ、次の試合頑張ってください、」
「それでは、リハビリ頑張ってください。」
となって終わる、ありきたりのインタビュー。だが、前後の質問とは何の関係もなく唐突とした感のある一つの質問が2人の選手におこなわれている。
「冬の移籍マーケットでロナルドが来たらどうでしょう?」

ロナルディーニョはロナルドと同じブラジル人でありセレソン仲間。
「世界最優秀デランテロの1人が増えれば、個人的に嬉しいだけではなくチームのためにもなるから大歓迎。」
と常識的に応えれば、エトーだって同じように大人の発言をする。
「もし彼が来たら、それは素晴らしいことじゃないか!」
2人ともそれほどバカではないし、ロナウドが来るわけがないということも知っているし、そこはそれ、社交辞令的な発言。たったこれだけのことで、本当にたったこれだけのネタで、翌日の新聞見出しはできあがる。それも同じような感じでできあがる。
“RONALDO? NO GRACIAS "

このコーナーで1回、あるいは2回、あるいは数回程度触れているかも知れないが、ここ2、3年、エル・ムンド・デポルティーボとエスポーツというカタルーニャスポーツ紙は、残念ながらかつての輝きを失ってしまっている。メディアとしての独自の調査による記事も少なくなり、テレビやラジオのスポーツ番組を見たり聞いたりしていればわかってしまうような記事が氾濫し、つまるところこの新聞でなければ、という魅力がなくなってしまっている。そしてなによりも感じるのはラポルタバルサに対する提灯記事が多いことであり、言ってみればバルサのパンフレット紙というか広報誌みたいなものになりつつある。ひょっとしたら、クラブ事情やチーム成績が悪ければ悪い時ほど、メディアの質は高くなるのかも知れない。

一面に載せるニュースがなかったからと言ってしまえばそれまでだが、この日に限ったことではなく、最近どうも同じ写真と同じようなタイトルで一面を飾るのが気になる両紙。ロナルド問題などかわいいものだからどうでもいいとして、一般的に批判精神が影をひそめ、メディアの意見が一つの決められた方向に向かうとき、退屈ながらも危険な兆候となる。だが幸いなことに、カタルーニャのスポーツ関係のメディアはこの二つだけではなく、一般紙のしっかりしたスポーツ欄もあるし、もっと充実したスポーツメディアもある。ムンドやエスポーツの売り上げが落ちているのは偶然ではないということか・・・。

さて、かつてバルサカンテラ組織に在籍した選手や、多くのアルゼンチン人選手がカンプノウに登場するサラゴサ戦。当たっても配当率が少ない常識的スタメン予想。

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デフェンサ・セントラル
(06/11/11)

バルサのデフェンサを務めるのは、どんなに他のクラブで活躍した経験豊かな選手でも難しいと言われている。攻めのフットボールをチームカラーとするチームであれば、バルサではなくとも同じように難しい仕事となるだろう。だが、その攻撃をカラーとするチームは世の中そんなに多くはない。特にイタリアのチームで長いあいだプレーしていた選手が、いきなり攻撃をモットーとするシステムにとけ込むのは容易なことではないだろう。極端に言ってしまえば180度違うシステムの中での構成員となるからだ。世界優秀選手にノミネートされているサンブロッタやトゥランが、システムにとけ込むのにいまだに苦労しているのも不思議な話ではない。

バルサに入団してきた1年目のデフェンサ・セントラル選手。ここ10年程度の歴史において、1年目に100%の実力を発揮してくれた選手を知らない。資料を紐解くのは面倒なので、記憶をたよりにどんな選手がいたか列記してみよう。もちろん何人かの選手が抜けているかも知れない。

●ロラン・ブラン
デフェンサラインの低いロブソンシステム時でさえ、バルサのフットボールになじむことなく1シーズンを過ごしている。今考えると本当にもったいないことをしたと思うが、バンガールがやって来て計算外選手となっている。

●フェルナンド・コウト
やはりデフェンサラインの低いロブソン時代には、1年目とはいえそれなりの活躍を見せていた。だがバンガールシステムの構成員の一人となった1年目には見事につぶされている。

●アベラルド
当時、数少ない攻撃的なチームであったヒホンから来たせいか、ロブソン時代にもバンガール時代にも見事に適応した希少価値な選手。知名度は劣るものの、ブランやコウトよりは遙かに活躍したと言える。

●フラン・デ・ブー
冬のマーケットでバルサに入団してきた、それまで半年間無職状態だったので最初のシーズンはほとんど活躍していない。アヤックスから来た選手であるだけに、バンガールシステムには何の問題もなかったのはもちろんだ。だが、バルサ在籍中に大活躍したかと問われれば、明らかにノーだ。

●ボガルデ
ノーコメント

●デウ
非常に期待されたフランス人選手ながら、最初から最後までバルサシステムになじむことなく、本当にバルサにいた選手かどうかさえ怪しい存在。

●クリスタンバール
ノー!ノー!ノーコメント!

●ペレグリーノ
高さに弱いデフェンサ陣をカバーするために入団してきた長身のペレグリーノだが、フットボールは上からしかボールが来ないバレーボールと違い、ゴロでボールがきたり、そのボールをどのように処理するかという能力も必要なゲーム。まったく良いところなく退団の身となる。

●アンデルソン
バイエルンのシステムとはあまりにも違いすぎたこともあるが、彼の場合は負傷数の多さが成功できなかった最大の原因としておこう。

●スーパー・マリオ
彼には責任はない。ラポルタ政権1年目で資金不足のため、デフェンサに金を使えず、安くて速くてうまい若手の選手を、コネで探してこなければならなかった事情で誕生した入団選手だからだ。残念ながらスーパーがつかないただのマリオだった。

マルケスも1年目には多くの疑問符がついたことは記憶に新しい。プジョーとオラゲールはカンテラ育ちだからここでのテーマ素材選手とはならない。いずれにしてもこの3人で、ここ10年での最も優秀なデフェンサブロックを形成していることは間違いない。そしてトゥランが加わってきたが、彼にもまた時間を与えないとならないのは当然だ。カルッチオで長いことプレーし、しかもカペロ・ユーベから来たセントラル選手。時間をあまり与えると40歳近くなってしまうが、それでもサンブロッタと同じように、少々の時間を与えなければならないのは致し方ないところ。そして、そのうち、バリエンテが出てくる。あるいはオルモが出てくるかも知れない。それまでトゥランにじっくりと時間を与え、可能な限り早くその実力とやらを見せてもらおう。何たってロナルディーニョ、エトーに次ぐ第三番目の高給年俸取得者なんだから。


揺れに揺れるカルデロン体制
(06/11/10)

レアル・マドリ・ファンサイトというのをのぞいたことがないものの、もし真面目にやっているサイトがあるとすれば、それはそれは、忙しい毎日をおくっていることと予想される。決して彼らにとっては楽しいニュースではないだろうが、劇的な香りのするニュースというか、あっけらか〜んなニュースというか、何かワクワクさせてくれるニュースが毎日ゴロゴロとメディアに転がりでてきている。そう、マドリディスタにとっては今は“旬”の時期でもある。マドリサイトをのぞくのは面倒くさい、だが少々気になる、そういあなたにわたくしカピタンがお節介ながら彼らの近況を報告してみよう。

7月2日にレアル・マドリ会長選挙がおこなわれてから、すでに4か月以上経過したことになる。この4か月間、それこそ毎日と言っていいほど、このクラブに関する新たなニュースがでて、とぎれたことがない。ソシオ郵便投票の“一時的な”無効処分を裁判所が決定したことにより、“臨時”と言っていいカルデロン体制が誕生。そして“獲得お約束よ!”のカカ、ロベン、セスクは多くの人々が予想したように、誰一人として入団することなしにシーズン開幕。カンナバロ、ディアラ、エメルソンという獲得目玉選手の活躍も期待したほどではないどころか、最近では彼らにブーイングまで飛んでしまうスペクタクルなベルナベウまで登場。エルゲラ問題、ロナルド問題、それこそ問題となるものは数多くあるものの、一つ一つ紹介していたら年が明けてしまうので、今回は会長であるカルデロンの問題だけにとどめておこう。

ラモン・カルデロン、かつてメンドーサ会長時代やロレンソ・サンス会長時代に、野党の親分としていつもメディアに登場していた人物だから、今回の会長選挙でメディアのスポットライトを浴びるのを待つまでもなく、個人的にはそれなりに見慣れた人物となっていた。だが、会長となってからほぼ毎日のようにテレビ画面にしゃしゃり出てきてしゃべりまくる彼は、野党時代のイメージとはまるで違う人物のようだ。とにかく大風呂敷をだだっ広く広げることが生き甲斐のような人物であり、我らが会長ラポルタやセビージャ会長デル・ニードと同じように弁護士出身ということもあり、舌に油が塗られているかのごとく嘘か誠かわからないことを、ペラペラと機関銃のように発射してくるのが特徴の一つという感じ。

この4か月間の結論・・・ラポルタやデル・ニードと同じように、信用度に欠ける人物。そして最も新鮮で、できたてホヤホヤのカルデロン・スキャンダルは次のようなもの。

カルデロン会長はこれまで機会あるごとに郵便投票の疑惑に関して触れている。
「多くの疑わしい郵便投票がなされているのは間違いない。賢明なマドリソシオの人々は私と同じようにそのことに気がつき、約200名のソシオが郵便投票無効を訴えて裁判所に駆け込んでいる。」
だが、実際は15名前後のソシオが裁判沙汰にしているに過ぎないことが、つい先日明らかになった。それどころか、その訴えた人々のほとんどがカルデロン関係者だということも明らかとなってしまった。つまり、カルデロンを取り巻く関係者が裁判所に訴え、それをさも良心的なソシオの行動として持ち上げることによって“郵便投票は無効ですよ!”という世論を作り出してきたに過ぎないことがはっきりしてしまった。

とある調査で明らかになった訴えた者の何人かは、会長選挙の際のカルデロン選挙事務所で働いていた人物であり、他の何人かはカルデロンと同じ弁護士事務所関係者であったり、そしてさらに何人かは一枚の書類にサインしただけの人であったりする。マドリの機関誌AS紙は次のように伝えている。
“マルセリーノ・ガルシアさんは裁判沙汰にした一人。彼の友人であり、クラブ法律顧問のハビエル氏の友人である人から一枚の書留を見せられ「これにサインしてくれないかな」と言われ、友人の頼みだったので気楽にサインしたという。そしてその書類はクラブの弁護士にわたされ、ガルシア名で告訴がおこなわれている。また、ソシオ番号82,127のルイス・フォンタネ氏も同じような経過で告訴人となっているという。”
ちなみにマドリ法律顧問ハビエルというのはカルデロンの弟だ。

郵便投票を一枚一枚検証している警察(なんと、このクラブの選挙には官権まで導入されているのだ!)が、9月11日に今のところ最初にして最後となっている現状報告をしている。それによると郵便投票数は10,511あり、その約半分に当たる5,538票まで調べがついていると言う。そしてその内訳は5,420票が有効であり、残りの118票が何らかの理由で無効。つまりほとんどが有効票になる可能性が大ということだ。そしていつか、2週間後か2か月後か、すべての郵便投票の検証が終わり、その票を直接投票数に加えたとすると・・・カルデロンは会長でも何でもないタダのソシオの人となる。

カペロのようにいかに守備を固めようとしても、やることなすことこうもラテン的だと結果的にはザル守備となるようで・・・次回のマドリニュースは会長が代わり、果たしてカペロ体制はどうなるのか!そこらへんを追求してみたいと思います。

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遅ればせながら、ようこそニースケンス!
(06/11/08)

チームの調子がイマイチの時、コーチ陣や選手たちにメディアやファンから疑問が呈されるのはいつものこと。そして現在のバルサに対し、昨シーズンの今頃より良い成績を残しているにもかかわらず、調子が昨シーズンより悪いということでいくつかの疑問符が付けられることになる。それは、言ってみれば結果主義というか、その試合に起用されなかったり、すでに不在となっている選手を“懐古”する形でおこなわれることが多い。例えば、次のようなイメージで批判がおこなわれてきている。

まだバルサフットボールに慣れていないサンブロッタが起用されたとすると、なにゆえサンドニの英雄ベレッティが起用されなかったのか、という疑問が呈される。同じように環境の違いにとまどっているトゥランが起用されれば、なにゆえメキシコの英雄マルケスが起用されなかったのか。彼のポジションではないにもかかわらずそれなりの結果を出してきているモッタが起用されれば、なにゆえブラジル代表エドゥミルソンが起用されなかったのか、チャビが起用されれば、なにゆえイニエスタではなかったのか、ジュリーが起用されれば、なにゆえメッシーではなかったのか。あるいはこれらの選手をすべて逆にした形でも同じような疑問が登場することになる。そしてすでに不在となっている選手まで顔をだすことになる。やれ、ダビッツがいれば、やれ、コクーがいれば、やれ、バン・ボメルがいればウンダラカンダラ。そしてそれはすでにいなくなったコーチすら例外とはならない。昨日の、とあるカタルーニャ紙では“テンカテ復帰待望論”まで飛び出している。アリャリャ・・・。

コーチの意見というものがどの程度まで監督に受け入れられ、90分の試合前・試合中にどのくらい反映されるものなのか、それは監督とコーチのコンビによってそれぞれ違うことになるのだろうと勝手に想像している。モウリーニョ監督のコーチが何という人か知らないが、それが誰であれ、大きな影響力を持つとは考えられない。カペロ監督のコーチも誰だか知らないが、この場合も大きな影響力を持つとは想像しにくい。この2人の監督のキャラクターが強すぎるからだ。そして我らがバルサにはテンカテというコーチが昨シーズンまで在籍していた。個人的にはライカーとテンカテの関係がどうだったのか、そこら辺はまったく知らない。ただ、当事者たちの発言から明らかになっていることが一つある。それはサンドニでのスタメンにバン・ボメルを強く押したのはテンカテであり、イニエスタを選んだのがエウセビオということぐらいだ。個人的にはエウセビオ案が正しかったと今でも思っているが、それでも選手起用に関しては、誰よりも選手たちを知っているコーチ陣の仕事であるから、外野席に陣取る野次馬は批判すべきではないと思っている。

古くからのバルサファンと話をしていると、ヨハンという名はクライフではなくニースケンスを指すことが多い。残念ながら彼がプレーしているところを一度たりとも見たことがないが、今で言えばガッツ・エンリケのような存在であり、90分間120%の力を振り絞って、集中力の固まりでプレーする選手であり、熱い血が体内に流れ、ファイト満々のプレーヤーだったと言う。したがって、当然ながら、バルセロニスタには絶大の人気を得ていた選手のようだ。彼に対してそんな熱いイメージを持っていたからか、開幕戦でのメモおじさん的イメージは少々ビックリした。いずれにしても、コーチの存在を必要以上に過大評価するのは、それはライカー監督に対して失礼というものだ。だから、“テンカテ復帰待望論”なんていうのはナンセンスもはなはだしい。

5年間のバルサ選手時代に終止符を打ち、泣きじゃくりながらクラブを去っていったのが27歳の時、そしてそれから27年後、第二の故郷と認めるバルセロナに笑顔で戻ってきたニースケンス。現役選手時代の“熱さ”をそのまま残しているコーチだと言われている。ヒディング監督のコーチとしてオーストラリア代表で働いていた当時、試合前に流れる国歌を歌った唯一の外国人スタッフとして有名になった。
「チームを構成する一員となること、物理的にも精神的にもチームの一員となること、それが自分の持つキャラクターの一つだと思っている。そしてオーストラリアのチームをコーチとして率いているとき、自分はこの国を代表する一人だという自覚があった。だから国歌を覚え、そして歌ったんだ。」
テンカテのように練習中によく怒鳴ることはしない。試合中にも大きな声をだすタイプでもない。だが、内部における“熱さ”はテンカテと同じ、あるいはそれ以上のものがあるかも知れない。そしてテンカテとは違う意味での良さがあるはずだ。ニース
ンスが正しく評価される日が早く来ると良い。


1分間の黙祷
(06/11/07)

カルラス・プジョーのお父さんが亡くなられた翌日に、元バルサの選手ジェラールのお兄さんもこの世を去っている。ジェラールと同じようにラ・マシア育ちであったセルジ・ロペスの死。だが、ここではその不幸なニュースに触れるのをやめておこう。いつかラ・マシアのHPの方で触れてみようと思う。2回も続けて人の死について書く気が起こらない。

デポル戦はバルサの選手にとって、プジョーのための戦いだったと思う。すべての選手の頭の中には、プジョーの存在があったはずだ。空港で涙を流しながら彼らに「スエルテ!」という言葉をおくり、バルセロナに向かったというプジョーの存在が彼らの頭の中に、そして心の中に残っていただろう。プジョーに代わってカピタンマークを付けたロナルディーニョがペナルティーを決めたあとも、普段のように大喜びすることもなかったし、例の笑顔を見せることもなかった。左腕に巻いてあるカピタンマークを指さしたあと、それに口づけをし、空に向かって指を示したカピタン・ロナルディーニョ。まだまだ60%の出来とはいえ、この試合では空回りしながらも必死に走る彼のプレー態度が印象的だった。

プジョーの父親の死を偲んで、リアソールでは間違いなく1分間の黙祷がおこなわれるだろうと思っていたが、予想は見事に裏切られた。試合開始直前、スクリーンにバルサのエスクードと黒いリボンが登場すると共に、アナウンスがおこなわれている。
「プジョー選手のお父さん、ジョセップ・プジョー氏死去にたいし悲しみの意を表したといと思います。」
そのアナウンスを聞きながらバルサの11人のスタメン選手は、センターサークルに沿うようにして集まろうとしている。彼らも1分間の黙祷がおこなわれるものと思っていたのだろう。だが、最終的にセレモニーはおこなわれなかった。それをデポルのクラブ関係者が弁明ぽく、なにゆえ1分間の黙祷がおこなわれなかった説明している。

「ここ最近、リアソールでは1分間の黙祷はほぼやらないことにしている。ラジカルグループや反レンドイロ派のファンが大勢の人々の沈黙をいいことに、言いたい放題のヤジを飛ばすことが数回あったからだ。したがって今回もやらないことにした。」

カンプノウで1分間の黙祷がおこなわれるとき、ここ数年の風潮としていかにも悲しい響きのする音楽が流れるようになっていた。沈黙の最中にこういう音楽が流れることになったのはガスパー政権が誕生して以来のこと。ガスパー自身は当時も今もその理由を説明しないが、当時のガスパー理事会を構成していた一人がいつだったかラジオ番組で謎を解いてくれた。
「歴史的に見て、チーム事情がうまくいっていないときにあのセレモニーおこなうと、ボイショス・ノイスを中心としたラジカルグループが必ずその静寂時を利用して騒ぐ。不幸なことにガスパーが会長となってからチーム成績は決して良いものと言えなかった。白いハンカチが振られたり、ガスパー辞任の叫びも増えていった。そこで、1分間の沈黙セレモニーをおこなうときに、ラジカルグループの叫び声を押さえるために音楽を流せばいいのではないか、そういうアイデアをだした理事会員がいたんだ。」
こんなどうでもいいことを突然思い出してしまいました。そんなことはともかく、水曜日におこなわれるカンプノウでの国王杯の試合で、1分間の黙祷がおこなわれることに決定したようだ。

実家のラ・ポブラに帰っていたプジョーは日曜日の夜にはバルセロナの自宅に戻ってきている。そして月曜日17時半からラ・マシアでおこなわれる合同練習に参加する予定であり、監督が望みさえすれば、水曜日のバダロナ相手の国王杯の戦いに出場したいと語っている。

●おまけ
チャンピオンズの戦いがいかに消耗するものか、ということが次の結果を見てみるとよくわかる。リアソールでのバルサの引き分けは褒めてやっていいのではないだろうか。
チェルシー敗戦、リヨン敗戦、マドリ敗戦、ミラン敗戦、アーセナル敗戦、バルサ引き分け、ブレーメン引き分け、バイエルン引き分け、バレンシア引き分け・・・。


強くあれ!カピタン!
(06/11/04_2)

ジョセップ・プジョー、息子の一人がプロのフットボール選手でありながら決してその世界に興味を示したこともない人物。その証拠にカンプノウでの試合観戦に駆けつけたことは一度たりともなかったという。彼は生涯を通じて畑と家畜業に生きた人物であり、太陽が登り始めると共に仕事に就き、日が沈む頃に家路につく、典型的な“土地”に生きた人だった。

例外中の例外となったたった1回の試合観戦、そう、最初で最後となってしまった試合観戦、それはサン・ドニでのチャンピオンズ決勝戦だった。それも彼の友人たちが必死になって説得して、初めて実現した試合観戦だったという。リトス、幼少時代からの彼の友人たちはジョセップ・プジョーのことをこう呼ぶ。プジョーと同じラ・ポブラの出身であり本来は弁護士を本職とし、今ではプジョーの選手代理人を務めるラモン・ソステレスもリトスへの説得に努力した一人だ。その彼とリトスの奥さんにしてプジョーの母親にあたるロサと共にパリに飛び、チャンピオンズカップを高々と掲げる息子の姿を見ながら涙した父親。その彼がわずか56歳という若さでこの世をあとにした。2006年11月3日午後16時48分、仕事中におこった悲惨な事故が原因だった。

ア・コルーニャに到着しこの悲惨なニュースを知ったフラン・ライカーが、直接プジョーに伝えている。もちろん彼はバルセロナから乗ってきた飛行機にそのまま戻り、故郷であるラ・ポブラへの悲しくも重たい帰路についている。
「何と表現していいかわからないし、うまく言葉が見つからない悲しいニュースだ。すべての選手たちが悲しみに包まれている。スポーツ選手であると同時に一人の人間である彼らだから、父親をすでになくした選手もいるだろうし、家族の一人を失った経験を持つ選手もいるだろう。この悲しみをすべて“強くあれ!カピタン!”とかえて、心の中で叫んでいると思う。この悲惨なニュースが試合中での彼らにどのような影響を与えるか、そんなことには個人的に興味はないし、彼らに何も特別なことは望まない。試合の内容がどうであれ、そして結果がどうであれ、我々の心の痛みは消えることはない。人の不幸はスポーツなどの結果など遙か超えたところに存在しているのだから。」
そう語るフラン・ライカー、立派です。

プジョーのコメントはいっさいメディアに登場していない。この国では不幸があった人物にメディアが近づいてコメントをとるということなど決してない。日常生活においてメディアが占める存在が大きくなった現在とはいえ、当人がメディアの前に自主的にあらわれて発言するまで決してコメントなどとらない“人間的”な慣習がまだ生き続けている。

ア・コルーニャとの試合を戦うバルサの選手たちは黒い腕章を巻くことになるだろう。そして試合開始前の1分間の黙祷、毎日の練習がどれだけ大事なものであるか、常に謙虚に生きることがどんなに大事なことであるか、そしてどのように成功した人間でも毎日の努力というものがどれだけ大事なものであるか、それらを我らがカピタンの肌に染みこませた彼の父親リトスに対する黙祷がおこなわれる。

Ahora mas que nunca, todos con el Capitan !
Animo Puyol, estamos contigo !
Descanse en paz.

La Masia
「LaMasia 物語 彼の名は カルラス・スーパー・プジョー」

「ブログ ルイス・エンリケ」


ベイビー・デポル
(06/11/04)

ヨハン・クライフがバルサの監督に就任してきた1988年、デポルティーボ・デ・コルーニャでは、アウグスト・セサー・レンドイロという人物がこのクラブの最大株主となり、会長に就任している。当時、コルーニャ市の市会議員(民衆党)であった彼は、会長就任挨拶で次のように語っているらしい。
「歴史あるこのクラブを、会長任期が終了するまでに一部カテゴリーに上げる」
そう、コルーニャは10年以上スペイン二部Aカテゴリーに定着していた弱小クラブだった。この国のリーグ戦を見始めた頃には、キニエラにさえ滅多に登場しない見知らぬクラブだった。そしてレンドイロが会長に就任してから4年目に、会長就任時に約束したことが実現する。それ以来、彼はいまだに会長を務めているし、コルーニャも一部リーグに定着し続けている。

ベベット、リバルド、マウロ・シルバ、マカーイ、パウレッタなどという選手を擁しながらも、タイトル獲得までにはいかなかったこのクラブが、史上初のタイトルを獲得することになるのは、イルレッタが監督に就任してきて2年目の1999−00シーズン。コルーニャ黄金期の到来といっても大げさではなかった。クラブ創立以来初のリーグ優勝を飾ったこの年から2年後、今度は国王杯を征すことに成功。そしてそれから再び2年後、チャンピオンズの準決勝まで進むことになる。いわゆる“スーペル・デポル”と名付けられる時期だ。だが、1つのサイクルには必ず終焉がやって来る。そしてコルーニャも例外とはならなかった。ここ2、3年、UEFAカップ進出までにも手が届かない位置に沈みこんでいる。“スーペル・デポル”は、かつてのバルサの“ドリームチーム”と同じように過去のものとなった。

ホアキン・カパロスが監督に就任してきてから2年目となる今シーズン、このチームに新たな命名がされている。“ベイビー・デポル”、若くて生きの良い選手を集めての新たなチーム作りが始まった。16人という驚くべき加入選手が今シーズンから入団している。バルサBから行ったベルドゥ、クリスティアン、ロドリは別として、ほとんどが知らない選手なので詳しいことはわからないものの、たぶん若くて生きの良い選手なのだろう。しかも移籍料の支払いというものが必要だった選手はわずか2人。アラベスから買い取ったボディポという選手が最高に高い選手で200万ユーロ、もう1人がマドリからやって来たアルベロナという選手で130万ユーロ、その他の14人の選手はすべて無料だ。今からわずか6年前の2000−01シーズン、トリスタンを筆頭にドゥシェール、パンディアーニ、バレロンなどを6000万ユーロで買い取ったことが嘘のようなチーム作りをおこなっていることになる。現在、地元では負け知らずの4連勝、アウエーでは勝ち知らずの2敗2分けというチーム。

今から10年前にレクレアティーボ・ウエルバの監督を出発点としてプロ監督デビューを飾り、現在のセビージャというチームの基礎を作ったホアキン・カパロス。何節か前にAt.マドリの若造アルゼンチン選手が明らかなハンドでゴールを決め、試合そのものを勝利に導いたことがあったが、その翌日のインタビューでだいたい次のように語っていた。
「勝負は勝利してこそ意味あるもの。したがって何をどのようにしようがゴールを狙うことがプロ選手。個人的にはあのプレーはたいしたものだと思った。とにかく勝負は勝たなければばらないし、私も負けるのは大嫌いだ。家族と遊ぶトランプゲームでも負けるのは嫌いだから、トランプの裏にマークを付けることさえいとわないさ。」
こういう人だから、この試合何をしてくるかわからない。

リバプールの監督ベニテスが99試合続いて同じスタメンで戦ったことがなかったらしいが、我らがライカーも(勘違いでなければ)今シーズン同じスタメンを続けたことがないはずだ。今回はチャビやグディが負傷で出場できない試合となったから、17回続けてまた違うスタメンとなる。だから、予想スタメンなど当たるわけがないのだ、と言いながら再び予想スタメン。


チェルシー戦
(06/11/02)

ホーム&アウエーの勝ち抜き一本勝負でもなく、もちろんチャンピオンズ決勝戦でもなく、単なるグループ戦での試合でありながら、そして3年連続して見る目新しさが欠ける対戦でありながら、やはりこの試合は特別なものとなる。チェルシー、たぶん2006年11月現在、ヨーロッパで最高の結果をだせる効率性豊かなチームであり、一方のバルサと言えば今のところ昨シーズンの三分の二程度の内容しか出せないチーム。だが試合はバルサの地元カンプノウ、どちらが勝ってもおかしくない試合だった。もしフットボールが、見る人にとって90分間のパッションと応援するチームの勝利という、二つの大事な要素によってファンを“薬漬け”とするスポーツであるならば、この試合は神様が与えてくれたプレゼントだ。

“結果”だけは幸運の女神に裏切られたものの、パッションには100%欠けない試合だった。ロスタイムにバケツに入った氷入りの水をぶっかけられたような状態にさせてくれるという、とんでもないおまけまでついていた試合だった。試合終了の審判の笛が吹かれた直後、いつも冷静なライカーにしては珍しく怒りをぶちかますシーンが嬉しかったが、それでもグヤジイ気持ちのまま帰路につく間に、モウリーニョの試合後のコメントを聞く。そして元通訳であったコヤツの憎たらしくも小生意気な発言を聞いて、さらに熱いバルサ魂が戻ってきた。敵は内部ではなく外部にある方が単純で、しかもスッキリしていて良い。この日の憎悪はすべてコヤツ天狗野郎に向けるのが正しい。

試合を見ながら、実際のところはどうかは別として、個人的にはこの試合も、そしていつもながら、10番を付けた選手の不在が目立つ。ときどき一瞬の登場だけのこの10番選手の不在は、まるでバルサが10人で戦っているような雰囲気さえ漂わさせる。だが、それでも彼をこのチームの“敵’とするのではなく、単なる不調時を迎えている選手と判断し、全面的な復調を期待するとしよう。この大事な試合に、いったい何しに来たのかもよくわからないモッタのダメさ加減も、チームをうまく回転させられなかった“敵”とするのではなく、彼の“悪い日”と判断し次回に期待しよう。93分になにゆえセンターラインをこえたところにいたのか理解に苦しむサンブロッタにも、チームに適合する時間を与えよう。いかにチームに貢献することができなかった選手たちだったとはいえ、彼らをバルサの“敵’とすることはできない。

「プレミアで何年も経験を積んできた選手が何であんな芝居がかったプレーをするのか理解できない(ウエルバ戦でのグジョンセンのプレーに対して)」
「スペインリーグでの審判のようにではなく、ヨーロッパの試合では適切な笛を吹いて欲しい」
試合前にはいつものように挑発的なコメントで、試合そのものを盛り上げてくれるモウリーニョ。そして試合後もいつものように、スカシッペをすることも忘れない。スペインジャーナリスとの質問をいっさい受け付けず、イングランドから来たジャーナリストだけを相手に試合後記者会見をおこなっている。
「審判に対しライカーに何の不満があったのか理解できない。不満があるとすれば我々のほうだ。明らかなペナルティーが二つもあったし、審判の笛は常にバルサ有利に吹かれていた。試合に勝利する権利がどちらのチームにあったかと聞かれれば、明らかに我々の方だろうと思う。彼らは引き分けで済んで良しとするべきだ。」
コヤツの存在自体がバルセロニスタの敵だ。

この試合に勝利しようがどうしようが、バルサにとって最も大事な試合は12月に入ってからおこなわれるブレーメン戦だということは、試合前からはっきりしていた。もちろんその前に戦われるレフスキー戦には勝利することが義務づけれれている。そして決戦となるブレーメン戦に勝利すればバルサは次のラウンドに参加することが可能となる。もし運命が正しい方向に向かうことを許してくれるなら、アテネでこの天狗野郎の鼻をぺしゃんこにしてやろう。ついでに氷入りの水もぶっかけてやろう。スッキリした気分にさせてくれるのは、そろそろ暖かくなる5月だ。


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