2006年
2007年
1月

ピチッチ・ボージャン
(07/01/31)

「先輩に敬意を表して」
という日本人的な発想はボージャンにはない。日常生活やグランドを離れた世界ではともかく、グランドの中ではそういう発想はコレッポッチもない。一緒にプレーする仲間は年齢が下だろうが上だろうが、そんなことにはまったく関係なく、チームを構成する同じ仲間として対等の関係となる、と理解している。そして、己の才能はゴールを決めまくるデランテロとしてある、そう信じ込んでいる彼だからこそ、PKを担当するのも自分が最優先だとも思っている。だから、これまでどこのカテゴリーでプレーしようと、そして周りの選手がすべて年上であろうと、PKの笛が審判によって吹かれた瞬間、ボールを誰よりも早く拾いに走るのは彼だ。

ミニエスタディでおこなわれた先週末のサン・アンドレウ戦。この試合で試合終了間際に相手デフェンサのハンドによりPKが吹かれた。いつものようにボールを拾いに走るボージャン。そしてそのボールを奪おうとするオルランディ。だが、ボージャンは譲らない。22歳のオルランディがPKを蹴る権利を主張するにもかかわらず、16歳のボージャンは譲らない。最終的に監督のキケ・コスタスの一言でオルランディが引き下がりボージャンがPKを決めることになるが、彼の強烈なキャラクターを示した印象的なシーンだった。デランテロはこうじゃなきゃいけない。それでも彼の名誉のために付け加えておくと、我が我がとゴールを追求するタイプではなく、チームプレーを最も優先するタイプの選手でもある。ゴール数だけではなく、彼のアシスト数の多さがそれを物語っている。

ボージャン・ケルキックはフベニルAチーム在籍選手として今シーズンをスタートしている。最初の4試合こそ後半からの試合出場となったものの、5試合目からはスタメン出場を勝ち取っている。9月は後半だけの4試合出場、10月に入りスタメン選手となった彼はこの月にも4試合出場、そして11月に入り、U−17代表に招集された週には当然ながらフベニルAチーム不在となったものの、それ以外は3試合に出場、すべてスタメン選手としてプレーしている。そして13節目からフベニルカテゴリーを卒業し、16歳という若さでバルサBカテゴリーに上がってきた。後半のみ出場4試合、スタメン出場7試合、そして1試合欠場というフベニルAチームで、彼はゴール数が最も多いピチッチという成績まで残している。

バルサBでも最初の2試合は後半からの出場。だが、その後先週の試合まで7試合連続スタメン出場。ある時は左エストレーモとして、ある試合では9番として起用されている。これまで9試合(ちょうど700分ピッタシ!)という試合出場で5ゴールを決め、バルサBでもピチッチという栄誉に輝いている。ベンジャミンカテゴリーからスタートして昨シーズンの最後にプレーしたフベニルカテゴリーまで、この7年間で1試合平均3ゴール前後となっているから、バルサBでのゴール数は彼としては少ない。だが、このカテゴリーで1試合平均3ゴールを決めたらオバケとなるから、それはしかたがない。

彼のバルサBチームへの招集を生んだきっかけは、フベニルAチームでの活躍が目立ったというのが理由の一つだが、同時にバルサBチームのゴール不足という事情も関係してきている。もし、バルサBにキッチリとゴールを決めるデランテロがいたとしたなら、これほど早いバルサB招集はなかっただろう。かつて、バルサBでプレーしていたアルテッタが冬の移籍マーケットでPSGにレンタルされていき、その穴を埋めるためにフベニルカテゴリーで活躍していた16歳のイニエスタが急きょバルサBに上がってきてその後大活躍したように、ボージャンもまた同じような星のもとに生まれた選手なのだろう。

クロス、ロホ(バルサC監督)、ピニージャ(ナスティック)、クリスティアンセン、そしてセルヒオ・ガルシア(サラゴサ)など、バルサカンテラ組織から登場したデランテロを超える存在の選手がいま着々と成長し、カンプノウへの道を歩んでいる。奇しくもレアル・マドリのラウルが10年以上の第一線での輝かしい選手生命に終止符を打とうとしている状況の今、バルサに新たな“ラウル’が誕生しつつある。スエルテ、ボージャン!


地味なセルタ戦
(07/01/30)

セルタはどうも地味なチームだ。ユニフォームの色も地味ならクラブの存在そのものも地味に感じる。しかもスペインリーグを見始めた頃は二部リーグに長いあいだいたチームということもあり、ここ何年か一部リーグでプレーしているにもかかわらず、どうも二部リーグチームの臭いを感じてしまう。90年代の終わり頃から2000年のはじめまでリーグ順位上位に食い込んできたチームながら、そしてセルタファンには申し訳ないながら、個人的にはどうもこのチームは無視しがちだ。

というわけで、セルタ戦で印象に残る試合など一つもない。数多くのセルタ戦をカンプノウで見てきているはずなのに、試合内容で盛り上がった思い出がない。だが、それでも、試合内容とは何の関係もなく、バルサの置かれていた状況と絡んでの印象深い試合が一つ、二つある。

クライフバルサに初めてクライフがベンチにいない試合となった1995−96シーズンのセルタ戦。もちろん心臓病という重病で何試合かベンチ不在となったことはあったクライフだが、監督としての職を突如として解雇されたクライフ監督なきバルサとしての初の試合だった。“ドリームチーム”を長いあいだ見てきたファンにとって、歴史的な試合となったこのセルタ戦の指揮をとったのはチャーリー・レシャック。そしてこの試合の主役となったのはジョルディ・クライフだった。彼にとってバルサ選手として最後のものとなったこの試合こそ、デビュー後初にして同時に最後の主役選手なったセルタ戦だった。

“クライフ!クライフ!クライフ!”
“クライフ!クライフ!クライフ!”
“クライフ!クライフ!クライフ!”

スタメン出場したジョルディがゆっくりと、本当にゆっくりと、観客席に向かって拍手しながらゆっくりと歩きながらベンチに下がる瞬間、彼と、そしてどこかでこの試合を見ているであろうヨハン・クライフに向かって投げかけられた大コール。試合内容そのものはまったく覚えていないものの、こういう心に染みこむシーンは決して忘れないものだ。

もちろん、バンガールに対する大ブーイングの風景も忘れられない。バンガール第一次政権最後の試合となったのは、奇しくもカンプノウでのセルタ戦だった。バルサが勝ったのか負けたのかさえ覚えていないが、試合終了間際から起こり始めたバンガールに対する壮絶なブーイングの嵐は、伊勢湾台風をこえていた。

そして今回のセルタ戦。平均的にすべての選手が前の試合より良かったような気もするし、特にデコやエドゥミルソンが今シーズン最高の内容のプレーを見せてくれたような気もするし、サビオラはやはりゴールと合い言葉の選手という感じだったし、オラゲール、サンブロッタも地味な存在ながら非常に良かったような気がするし、何よりも、審判が志村けんみたいな顔をしている気がした。そして、こんなことは、やはり時間がたてばすぐに忘れてしまう。セルタ戦は印象に残らない。

ちなみに、前節よりスペインリーグの10試合すべての5分間映像がここから見ることができるようになりました。

注)上記のリンクでは、スペイン国外からの視聴はできなくなりました。


エトーの復帰
(07/01/28)

「何もかもうまくいけば、ナスティック戦あたりでの復帰が可能だと思う。」
復帰の日に関しては常に慎重の上にも慎重な発言をしていたエトーが、ついポロッともらしてしまった昨年の暮れ。だが、ナスティック戦はおろかベティス戦にも間に合わなかったし、今度のセルタ戦にも出場することはない。それどころか、まだ合同練習にも加わってきていない状況だ。

ベティス戦のあった1月24日、ミニエスタディで最初の“テスト”がおこなわれている。“テスト”と言っても具体的なテスト項目があるわけではなく、関係者が集まってエトーの練習ぶりを見学するだけのものだ。それでも、彼の手術を担当したドクター・クガット、バルサ医師団親玉ラモン・カナル、常にエトーと行動を共にしてきた物理療法士エミリ・リカール、バルサフィジカルトレーナーのパコ・セイルーロ、そしてなラポルタの義兄弟にしてクラブ理事会を辞任しているはずだがどこにでも顔を出す不思議エチェバリア、この5人の大物関係者がエトーの最初の“テスト”の証人となっている。そして二回目にして本格的なテストがおこなわれるのは来週なかば。バルサAチームドクターであるプルーナ氏が加わり、合同練習にいつから加わるかが具体的に検討されることになる。

オフサイド気味となった暮れのエトーの発言は、単なる彼の願望にしか過ぎなかったのだろう。なぜなら、リハビリそのものは最初から組まれていたスケジュールどおりに、しかも非常に順調にこなされていると、すべての関係者が語っているからだ。その中でも特に慎重派と呼んでもおかしくない3人の関係者がいる。ドクター・クガット、ドクター・プルーナ、そして監督のフラン・ライカー。

手術を担当したドクターやバルサAチームのドクターが、エトーの復帰に関してあくまでも慎重なのは当然のことだろう。何と言っても故障箇所は半月板であり、それ自体の完全な固定と周りの筋肉の回復が絶対必要となる。普通に走ることができて、普通にボールが蹴られるようになっても、それだけでは完全な回復とはならない。そのことを誰よりもわかっている彼らだからこそ、エトーの早期復帰願望を知りながらもどこまでも慎重な態度を崩さない。当初の予定では合同練習参加日はベティス戦翌日の1月25日とされていたが、この3人の意見で延期されている。

一方、監督のライカーとしては、21日のリバプール戦には100%の状態は無理としても、80%前後の状態にもっていければいいと考えているようだ。チャンピオンズの戦いにはどうしてもエトーの存在が必要、だが、リバプール戦の本当の勝負となるのは、カンプノウではなくリバプール本拠地アンフィールドだと予想するライカー。したがって、3月6日のリバプール戦に100%エトーを準備できれば良しと考えているのだろう。

いずれにしても、2月5日月曜日から本格的に合同練習に参加してくる可能性が大きい。1週間の合同練習を通してOKとなれば週末のラーシング戦、あるいは遅くともその次のバレンシア戦には出場してくるであろうサムエル・エトー。ひょっとしたら、ラーシング戦でメッシーを加えた久々のREMトリオが見られるかも知れない。


ロナルドの将来はいかに?
(07/01/27)

1987年、ミランに新しい監督が就任してくる。アリゴ・サッキ。ビッグクラブでの監督経験はゼロでありながら、将来性を高く評価したミラン会長のアイデアだった。そして彼と共に一緒に一人のフィジカルトレーナーもやって来る。ビチェンソ・ピンコリーニ、元400メートルハードルの陸上選手であり、負傷がもとで現役生活に終止符を打ち、フィジカルトレーナーとしての新たな道を歩み始めた青年だった。その彼が持つ、一つの信念に近いフィロソフィー、それは次のようなことだったという。
「何年もしないうちに、フットボール界でも陸上競技選手がおこなっているものと同じような練習方法がとられることになるだろう。なぜならこれからのフットボールは、以前とは比べものにならないほどのスピードが要求されるからだ。」
陸上競技選手の練習方法、それはフットボールのそれとは比較にならないほどの時間をかけたものであり、同時に科学的な要素をふんだんに取り入れた近代的なものであり、そして各選手の健康チェックを厳しくおこなうものだ。

その後。サッキがクラブを変えるごとに、このフィジカルトレーナーであるビチェンソもサッキとコンビを組んで仕事先を変えている。そして彼がいなくなってから、彼の親友にして同僚のダニエレ・ログナチーニがミランのフィジカルトレーナーとして就任することになる。その彼がアドリアーノ・ガリアニに一つの提案をおこなったのが2000年のことだ。
「最新のテクノロジーをフルに使っての選手健康管理体制を作ってはどうだろうか?」
選手一人一人の健康状態を管理するカルテを作り、負傷の可能性を少なくしたり、常にベストのフィジカルで試合にのぞむことが可能となるような、徹底的な選手健康管理をおこなう組織作り、それを基本的アイデアとする一つの提案だった。

2002年3月、ミランの練習場に“ミラン・ラボラトリオ”、その後“ミラン・ラボ”と呼ばれることになる最新テクノロジーを駆使した科学的健康管理システムが誕生する。医師、栄養士、精神科医、科学者、フィジカルトレーナー、物理療法士、システムエンジニアなどによって構成されるこの“ミラン・ラボ”の年間予算は250万ユーロ、なかなか半端な予算ではない。

街から50キロほど離れたことろにあるミラン総合練習場の中に、この“ミラン・ラボ”のオフィスがある。毎朝9時から始まる練習に参加してくる選手たちは、少なくとも夕方の5時までは、この16万平米の面積を持つ壮大な練習場に缶詰となる。朝食、昼食、シエスタ(をすればの話だが・・・)、ミーティング、そしてもちろん練習、5人の選手に対して1人のフィジカルトレーナーが配置され、彼らが作り出す資料をもとにスタッフテクニコは選手の調子を分析する。“ミラン・ラボ”での毎日の健康チェックも選手たちに強いられた義務となっている。コスタクルタ40歳、マルディーニ38歳、カフー36歳、セルジーニョ35歳などが現役選手としていまだに続けられているのは、これらの、スペインのクラブでは考えられないシステムのおかげだという。スペインのどこにでもあるクラブでの練習風景、それは午前11時あたりから1時間半、午後にも同じように1時間半の練習がおこなわれることがあるが、午前だけの練習スケジュールとなるのがほとんどだ。

“ミラン・ラボ”での健康チェックは選手たちにとって自由行動となる“夜のおこない”にまでに及ぶ。練習の疲労をとるためにしっかりと身体を休ませているか、栄養士が作成したカロリー配分どおりのきちんとした食事をとっているか、はたまたじゅうぶんな睡眠をとっているか、つまり選手たちは24時間この“ミラン・ラボ”に管理されることになる。さて、ここまでがイントロ。これからがわずか一行だけのこのコメントの主旨に入る。

果たして、ロナルドがこんなところで生き延びることができるのだろうか?


ゼニの話
(07/01/26)

Deloitte & Toucheという組織がヨーロッパの金持ちクラブの収入状態を調べ、1位から20位までの“年収クラブランキング”を毎年発表している。名付けてフットボール・マネー・リーグ。1996−97シーズンからおこなわれているものだが、前回の発表(2004−05シーズン)ではレアル・マドリが1位に選出されている。これを“世界一番の金持ちクラブ”とするメディアが多いが、正確に言えば“最も収入が多かったクラブ”とすべきであることは子供でもわかること。いかに収入が多かろうが支出がそれをオーバーすれば金持ちでも何でもないからだ。

昨シーズン2005−06の各クラブ収入結果については2月8日に公式発表される。だが、いつものことながら、この手の話となると公式発表の前に“非公式発表”がメディアによって紹介される。そして今回も例外とはならない。メディアが発表した“非公式発表”によれば、1位は前回に続いてレアル・マドリ、2位には我らがバルサ、そしてユーベ、マンチェスター、インテルなどが続くとされている。

トップに輝いたレアル・マドリの収入は2億9200万ユーロ、2位のバルサは2億5910万ユーロ、と言うことはその差は3290万ユーロ。前回は6位にいたバルサと1位にいたレアル・マドリの収入差が6780万ユーロだったというから、その差は確実に縮まっていることになる。しかも3年前には13位にランキングされていたことを考えれば、バルサの収入面での伸びの大きさがうかがえる。ガスパー政権の最後のシーズンとなった2002−03には1億2340万ユーロの収入しかなかったにもかかわらず、昨シーズンには2億5910万ユーロの収入、つまり3年間で1億3570万ユーロの増加があったことを意味する。

マドリとバルサのゼニの稼ぎ方の違いを見てみると、それぞれ特徴がはっきりと分かれていて面白い。マドリの収入の大部分はフロレンティーノ政権時代に獲得された選手たち(ジダン、ベッカム、ロナルドなど)の肖像権やテレビ放映権、あるいはユニ広告などが主体となっている。一方のバルサは、スター選手の肖像権の獲得に失敗していることもあり、その手の収入はほとんど見込めない。もちろんユニセフのユニ“広告”にはクラブ側からの支払いこそあれ収入はゼロ。だがそのかわり、クラブとしての一般的な収入、つまりスタディアム内の企業スポンサー料やチケット収入、グッズ販売、親善試合収入、テレビ放映権などが主体となっている。つまり、普通のクラブとしての普通の経済政策が普通にうまく機能していると言うことだろう。

その点、マドリの方は苦しい時期がやって来る可能性が大だとDeloitte & Toucheは予想する。そしてそれは誰しもが予想できることでもある。ギャラクシー作戦を構成していたジダンやベッカム、そしてロナルドなどがもういなくなるのだから。エルゲラの肖像権ではクラブ金庫にゼニは貯まらない。

このランキングが発表されるようになってから、最初の8年間トップの座を保ってきたマンチェスターの収入面での下降線状態や、レアル・マドリのギャラクシー作戦の限界を予想していた人物がいる。ラポルタ政権第二の男フェラン・ソリアーノだ。ラポルタ第二期政権が終了したあかつきには、このソリアーノ(派)とルセー(派)によって会長席が争われると予想する人々が多いが、それは何年か後にわかるとして、いずれにしても“第二の男、フェラン・ソリアーノ”と題したチキートコーナーを読み返してみると、ソリアーノがなかなか興味深いことを言っていることがわかる。もし時間があれば再読をば。

そして最後に、オスカー最優秀主演女優候補に選ばれた初のスペイン人女優ペネロペに幸運を!

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エリート・オラゲール
(07/01/24)

「派手なプレーで観客席をわかせるタイプの選手もいれば、それほど目立つことなくチーム内の貴重な駒の一つとして、地味に仕事をする選手もいる。彼はその典型的な後者の選手の一人だと言える。正直言ってこのクラブに来るまで自分も彼の存在をよく知らなかった。自分はテレビで試合を見るタイプではないので、メディアによく登場する選手ぐらいしか知らなかったからね。でも、もうこのクラブに来て半年たって一緒に練習したり試合に出場したりして気がついたことは、彼はこのチームを構成する基本的な部分での重要な一人の選手だってことさ。」
こう語るのはリリアン・トゥラン、そして彼というのはオラゲール・プレッサスを指す。

その地味な仕事をするオラゲールが先日のナスティック戦で、地味にリーグ戦100試合出場達成を記録している。つまり彼もまた、100試合出場を達成した他の選手と同じように、一丁前のエリート選手として認識されることを意味する。そう、バルサにあってリーグ戦100試合出場はエリート選手として認められる最初のステップとなるからだ。

エリート・オラゲールとなったからといって、彼がこれまで歩いてきた道は決してエリート的な雰囲気を感じさせるものではない。バルサのカンテラ育ちとはいえ、彼がバルサのインフェリオールカテゴリーに入団してきたのは21歳の時だ。グラマネというカタルーニャのクラブのカンテラとして長い間プレーし、そしてスカウトの目にとまってバルサBに入団。最初の1年こそバルサBのみでプレーしているが、その後の2年間はバルサBとAチームを行ったり来たりしている。

Aチームデビューをかざるのは持って生まれた才能とは別に、限りない幸運が必要となる。その幸運に恵まれる選手と恵まれない選手で、それぞれ将来への道が異なってしまう。だが、例えその幸運に恵まれても、チャンスを生かし切れず再び異なる道へと歩んでいった選手は星の数ほどいることも確かだ。
「Aチームへの道が例え開かれたとしても、それを維持することは最も難しいことだ。」
かつてペップ・グアルディオーラがそう語っていたが、確かに与えられたチャンスを常に生かしていくことが本当に難しいことであるのは歴史が証明している。

毎日の練習を通して常に成長しようという意欲があること、Aチームが必要とするポジションがその選手のプレーポジションであること、長いシーズンを通してプレーに波がないこと、負傷しないこと、例え負傷しても期間が短いこと、そして最も大事なこと、それは監督の信頼を勝ち取ること。今日のエリート・オラゲールが誕生するまでには多くの険しい道を歩むことを義務づけられてきたが、今シーズンの彼に襲ってきた新たな問題、それは強力な加入選手がやって来たことで、昨シーズンまでのような出場チャンスがめぐってこないことだ。2004−05シーズンリーグ戦36試合出場、2005−06シーズンリーグ戦33試合出場、そして今シーズン折り返し地点を過ぎようとしている段階で、まだ10試合という出場機会しか得ていない。

それでもライカー監督からの信頼度にはこれまでと同じように何の問題もないようだ。
「チームの状況がどうであれ常に信頼できるタイプの選手。それは同時に監督にとって計算のしやすい選手ということを意味する。己にとって可能な部分と不可能な部分を認識しているからこそ、余計なことはしないからミスも少なくなる。ジョルケラがバルデスと同じようにチームにとって貴重な選手であるのと同じように、彼もまた我々にとって大事な選手だ。」

負傷することがほとんどない選手であること、好不調の波がなく常に平均点のプレーをすること、セントラルとラテラルという二つのポジションが可能なこと、そしてカード制裁(100試合でイエローカードをもたったのがわずか9回)がこれまでまったくない選手であること。契約更新をしたと言われているジオやシルビーニョ、そしてベレッティが来シーズンバルサにいないことはあったとしても、オラゲールが不在となることはない。


何ともはや・・・
(07/01/23)

何とも退屈な試合。カンプノウでおこなわれたここ何十試合の中で最も退屈な試合、いや、物覚えがいいほうではないから、最も退屈な試合の一つだったとしておこう。サビオラが先制点を決めた何分か後には、その後の試合展開がこういう退屈なものになることは、じゅうぶん予想できる雰囲気だったとはいえ、まったくもって退屈な試合となった。

アラベス戦に続いてロナルディーニョにささやかなブーイング。長い休養をとって今年初めて登場してきたデコに対してもささやかなブーイング。チャビに対してもやはりささやかなブーイング、そしてエドゥミルソンに対してだけはキッパリとしたブーイング。サビオラの交代に対してはライカー監督に対する大きなブーイング。試合に勝っていながらもブーイングがわき上がるのは、これが最初でもなければ最後でもない。カンプノウではときたまあることだ。かつてのロブソン監督時代にログローニェス相手に7−0だったか8−0で勝利していながら、この日とは比べものにならないほどのブーイングがわき上がったのを今でも覚えている。バイアにブーイング、ブラン、コウト、セルジ、ペップ、ガッツ、ポペスク、みんなにフーイング。つまることろ試合結果とは別に、バルセロニスタは退屈な試合がお嫌いなのだ。どちらがいいかは別として、この点がベルナベウとは決定的に異なる。

グランドでプレーする選手に目をやりながらも、会話はまったくこの試合と関係ないものになってしまう。40年間にわたり隣の席に座り続けるベテランソシオ氏との会話は、こういう退屈な試合となると試合前やハーフタイムだけではなく、試合中にもナンダラカンダラと続くことになる。そしてこの日のテーマはカンプノウにおけるブーイング史。

70年代のバルサにあって、唯一このブーイングから逃れることができた選手はニースケンスだとベテラン氏は語る。その後、ミゲリ、ウルッティもブーイングがされたことのない珍しい選手だと説明する。そして、それ以降の時代の話となると、自分の怪しげな記憶の中にもいろいろなシーンが登場してくる。シュステルやアーチバルも決してこのブーイングの嵐から逃れられなかった選手だし、ペップやクーマン、そしてラウドゥルップにしてもそれは同じだ。ついでにクライフ時代に唯一例外となった選手はロマリオだったという意見はベテラン氏と一致していた。ロナルディーニョがバルサというクラブの歴史の中にあって、五本指に入る最も優秀な選手としてゴシック文字で記録されることはあったとしても、ロマリオの存在を超えることはとてつもなく難しい。彼は唯一といって良い選手だった。

ロマリオという超特別な選手は別として、テクニック的に限られた選手でありながらも、自分の持っているすべてをはき出そうとする選手にブーイングは起きない。ロナルディーニョはこんな選手ではないと思うからこそ、そしてデコはこんなもんではないと思うからこそ、ささやかなブーイングがわき上がる。だが、100%の集中力と一生懸命さが伝わってくるプジョーやオラゲールのプレーには観客席からの干渉は起こらない。そう、カンプノウに集まってくるバルセロニスタは汗をかく選手がお気に入りなのだ。

2年連続リーグ優勝、そしてチャンピオンズ優勝を達成したライカーバルサの特徴の一つは、例えば3秒ルール。つまり相手にボールがわたってから3秒以内に奪い返すという暗黙の了解事項に象徴される。そういう意味では、今シーズンのバルサは、昨シーズンまでのそれとは比べられない状況だ。逆に、例えば、ロナルディーニョやデコにボールがわたれば3秒以内に奪われてしまうことが多い。だが、昨日の退屈な試合で、ライカーは一つの“革命”を試みようとしている。右ラテラルにオラゲール、左にサンブロッタ、そして真ん中にプジョーとトゥラン。石橋を叩いても渡らないライカーにしては思い切った変化だ。退屈でありながらも、この試合から何らかの希望が感じられるとすれば、変化を試みようとするその姿勢だろう。そうとでも思わないとファンはやっていられない。


Club Gimnastic de Tarragona
(07/01/21)

ヒムナスティック・デ・タラゴナ、通称ナスティックと呼ばれているこのクラブがこの世に誕生してきたのはバルサより早い。クラブ創立が1886年、創立当初はフットボールセクションは存在せず、総合スポーツクラブとしてスタートしているようだ。現在のフットボールセクションが誕生したのは1914年、そして今でも陸上競技、バスケット、テニス、体操、ピンポン、そしてフットサルセクションなどというように、総合スポーツクラブとしての伝統は守られている。人口15万人にも満たないタラゴナという町にあって1万2000人の前後のソシオを抱えているというのは立派だ。

ナスティックフットボールセクション93年間の長い歴史の中で、ほとんどが三部リーグ、二部B、あるいは二部Aカテゴリーに所属しプレーすることを義務づけられてきた。そういう意味では、スペインに星の数ほどある小さいクラブの一つと言っていい。だが、それでもまったく一部リーグでの経験がないわけではない。1940年代の後半に初めて一部リーグに上がり、3年間ほどこのカテゴリーを保っている。一部リーグ在籍最後の年となった1949−50シーズンにはバルサと対戦し、10−1で敗戦するというとんでもない記録まで作り上げていたようだ。そして今回、実に57年ぶりの一部リーグ復帰となった。

一部リーグ昇格ということで思い切った予算を組んだナスティック。クラブ史上最高額となる400万ユーロもの年間予算を捻出している。だがこの予算額では、例えばサビオラの年俸が払えるかどうかギリギリというものに過ぎないし、名のある選手を獲得することも難しい。そして他の小さいクラブが一部リーグ昇格を達成した時にするように、ナスティックも選手レンタル作戦を展開している。一部リーグに昇格した今シーズンには外部から多くの選手がやって来ているが、ほとんどがレンタル選手だ。レアル・マドリ、サラゴサ、バレンシア、ベティス、セビージャなどから選手がやって来ている。だが残念ながら、ケチなラポルタバルサは誰も貸し出ししてくれなかった。

それでも元バルサの選手がまったくいないわけではない。それどころか、かつてミニエスタディで勇姿を見せてくれた3人の選手がナスティックに在籍している。

●ダビ・ガルシア
「バルサのイムノが流れる瞬間が最高だろうね。たぶん鳥肌もんだと思う。子供のころからバルサカンテラとして育ち、一丁前の大人にしてくれたクラブのイムノをこれまで何百回歌ったり聞いたりしてきたことか。今回はバルサの対戦相手の選手としてカンプノウでプレーすることになるけれど、ここは今でも自分の故郷だと思っている。イムノが流れる瞬間、これまでのバルサでの思い出が頭の中をグルグルまわりそうだ。」
オラゲールやロドリとセントラルを組むことが多かったし、セルヒオ・ガルシアやイニエスタ、そしてジョルケラなどとは同じ時期にバルサBでプレーしていたダビ・ガルシア。当時のラ・マシアのHP内でも触れているが、個人的にはお気に入りの選手だった。

●カルラス・ドミンゴ“ミンゴ”
「もう何回もカンプノウではビジターチームの選手としてプレーしているけれど、毎回毎回特別な感情がわいてくる、家族全員がバルセロニスタという環境で育ち、幸運なことに自分は幼少時代から大人になるまで、そのクラブでプレーすることができた。やはり、自分の家に帰ってきたという感じだよね。」
アルナウ、ジェラール、ハビー・モレーノ、ルフェッテなどと共にバルサBチームを構成し、ミニエスタディで青春を過ごしているミンゴ。今と違って短髪でやたら足の速い、そしてファイト満々だった選手として記憶にある。

アントニー・ピニージャ
「ナスティックにいる元バルサカンテラ3人組の中では自分が一番年上だし、その意味ではもっとも感傷的になるかも知れない。だって、この年になってまさかカンプノウに戻れるなんて誰が予想できただろう。もし試合に出るチャンスに恵まれたなら、一瞬一瞬を楽しめることができればいいと思う。」
ピニージャはナスティックのカピタンでもある。

彼らがバルサ戦に出場するかどうかのカギを握るのは、もちろんナスティック監督のパコ・フローレスだ。100%ペリーコにして200%アンチバルセロニスタのパコ・フローレスに、彼らの運命をゆだねるのは悔しい話だが、まあ、それはしかたがない。この3人の元カンテラ選手の活躍とパコ・ナスティックの大敗北をまとめて期待。

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流行のチーム、セビージャ
(07/01/19)

IFFHSという、なにやら統計的な数字をもとに各年のいろいろな賞を決める組織があり、彼らの計算によるとセビージャが2006年の最優秀クラブとなるらしい。なにゆえUEFAカップとヨーロッパ・スーペルカップを勝ち取ったクラブがリーグ優勝とチャンピオンズを手に入れたクラブより優るのか不思議な話だが、計算方法を見てみるとそのマジックがわかる。リーグ戦勝利4ポイント、ヨーロッパの試合勝利14ポイントというのがその計算方法。つまりミラン・バルサ戦とかバルサ・チェルシー戦などの勝利ポイントも、セビージャ・ロコモティフとかセビージャ・ベシクタス戦のそれと同じという発想で計算されている。もうこの段階でこの賞のいい加減さがわかってしまう。

とは言うものの、セビージャは流行のチームと言っていい。わずか6年ほど前には二部リーグでプレーすることを強いられると共に、約5000万ユーロの借財を抱えその存続さえ怪しくなっていたクラブだった。選手だけではなくクラブ職員に対する給料支払いにさえ困り果てていたそのクラブが、2006年最優秀チームとして賞を獲得し、そして来シーズンはチャンピオンズ参加を夢見る。おまけに経済面も上昇気流にのりはじめ、昨シーズンの収支決算では2700万ユーロの黒字までだすクラブになっている。まさに、セビージャは流行のチームだ。

やり手というか、怪しいヤツというか、4年前からクラブ会長席に座っているホセ・マリア・デル・ニードの功績と言ってもいいし、ホアキン・カパロスやフアンデ・ラモス監督らの功績としてもいいかも知れない。だが、この5年間わたり、チーム作りをおこなってきたスポーツ・ディレクターの存在を忘れてはならない。ラモン・ロドリゲス・モンチ、セビージャのポルテロとして10年間プレーし、現役引退後はクラブのスポーツ・ディレクターとなった彼のクラブに対する功績は計り知れないものがある。

カンテラ組織の充実化、そしてスペイン国内はもちろん世界各国でプレーする優秀な選手のリストアップ、この二つを最優先事項としてモンチはスタートする。スポーツ・ディレクターである彼の下に約10人の専用スタッフを抱え、毎週少なくとも2回はスタッフ会議がおこなわれているという。毎日のように世界各地から送られてくる補強獲得リスト、その内容を細かく検討するが会議の主題。彼らの手元にあるリストはモンチが現役選手時代に知り合った多くの監督、例えば、カンタトーレ、エスパラゴ、ビラルド、そしてルイス・アラゴネス、その彼らの人間関係をコネとして世界各国に偵察団として働いている50人近い人々が送ってくるものだという。

元バレンシア万年控えポルテロだったパロップ、アヤックスにいたフランス人選手エスクデ、ユベントスにいたマレスカ、ドイツのクラブにいたデンマーク選手ポウルセン、モナコのウルグアイ選手チェバントン、トッテンハムのフランス人選手カノウテ、そしてブラジル人のアドリアーノやアルベス、今のセビージャの主体となるこれらの選手の獲得に大した資金は使われていない。もちろん1000万ユーロを超えた選手は一人もいない。それほどメディアチックになっていない選手でありながら、スペインリーグでじゅうぶん活躍できる可能性を持っている選手たちの獲得を目指したモンチ・チーム。カンテラが旬の時期だったことも幸いしている。そのカンテラ育ちのレージェスとラモス、そしてわずか200万ユーロで獲得していたバティスタ、この3人を他チームに移籍させることで5200万ユーロも手に入れることに成功し、クラブが抱えていた借財は見事に精算された。

「会長のデル・ニードも告白しているように、彼らの移籍料は選手移籍市場の常識をこえた額であることは我々も承知していた。だが、フットボールの世界は他の世界と同じように需要と供給の世界。これだけの資金を出してでも獲得したいというクラブが現れるなら、我々がそのチャンスを逃す手はない。だが、すでに我々の金庫に現金が貯まっているいま、ヘスス・ナバスやプエルタ、あるいはケパというカンテラ選手の獲得に興味を抱いたクラブが現れても、我々はそう簡単には売ることはないだろう。」
そう語るモンチ。

スポーツ・ディレクターとして素晴らしい才能を見せてきているモンチが、ビッグクラブでその職に就いたとしても同じような成功を見せることができるかどうか、それは疑問の残るところとなる。例えば、何にもしないチキ・ベギリスタインやマドリのポマード男が誰かの獲得に動いたとしよう。彼らが動いた瞬間、地元メディアはもちろん、ネットメディアが世界各地に“噂’を流しはじめ、世界中の知るところとなってしまう。その結果、例えば、わずか200万ユーロでナスティックに売りに出されよとしていたイグアインという選手が、1300万ユーロという移籍料で、そして市場価格800万ユーロに過ぎなかったガゴという選手も、2000万ユーロという移籍料でポマード組の一員となってしまう事態が起きてしまう。モンチの優位さはセビージャというクラブで、深く静かに潜行しながら選手獲得できるところにある。それでもスポーツ・ディレクターとしての彼の才能は高く評価されるだろう。果たして我らがチキ・ベギリスタインがモンチのような環境下にあってどのくらいの仕事ができるのかどうか、と、無駄なことを想像するのはやめておこう。

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カルデロン火山再噴火!
(07/01/18)

カルデロン火山は誰もが予想したように、1回しか噴火しない単成火山ではなく、とめどもなく何回も爆発する複成火山だった。そしていま、カルデロン火山の中にメラメラと燃える熱いマグマは衰えることを知らないばかりか、更なるパワーを持って噴出する。そしてその結果、火山の裾野に生きる多くの人々が犠牲者となってしまったのは言うまでもない。ああ、恐ろしきかなカルデロン火山。

1月16日火曜日、レアル・マドリまだ会長のラモン・カルデロンは、講演者としてビラヌエバ中央大学に招かれている。スポーツ関係ビジネスを扱ったセミナーで、“マドリのもう一つの顔”というテーマだった。セミナー主催者は“録音機の持ち込み禁止”を参加者に訴えているが、そんな注意事項はは屁のカッパというジャーナリストが学生になりすまして参加している。そしてそのジャーナリストは運の良いことに、カルデロン火山が大噴火する瞬間を目撃することになる。それでは、みんなでこの録音を聞いてみよう。

ベッカムに関して
「我々がベッカムの延長契約をしなかったことが正しかったことは、すでに証明されつつある。なぜなら我々が新たなオファーを提供せず自由の身となった彼に対して、ビッグクラブからのオファーは一つもやって来なかった。唯一彼のもとに示されたオファーはハリウッドからのものだけだ。そして将来は俳優となることを望んでいた彼はそのオファーを受けることになった。」

グッティに関して
「グッティはラウルとほぼ同じ時期をスタートとしている選手だ。だが、それにもかかわらず、彼は31歳の永遠のキラキラ星選手に過ぎない。」

マドリの選手に関して
「彼らの多くは内容の伴わない表面的なスター選手に過ぎない。彼らがどこに行こうが、例えばレストランに行こうがどこに行こうが、お金を支払うということさえ知らない人々だ。あなた方学生は社会の役に立つ一般人となるために立派な教育を受けているが、彼らの多くはまとまな教育さえ受けたことのない人々だ。」

カシージャスの年俸に関して
「イケル・カシージャスは年俸900万ユーロもとっている選手だが、控えポルテロのディエゴ・ロペスは30万ユーロしか稼いでいない。(だから、何なんだ?)」

マドリファンに関して
「ベルナベウに来る人々はまるで芝居を見ているような雰囲気で試合観戦している。イタリアやイングランドで見られるような、選手たちを元気づけ応援するわけでもないファンが大部分だ。」

カカに関して
「フロレンティーノ・ペレスは会長選挙の際に私を支持しなかっただけではなく、悪質な妨害行為さえおこなっている。例えば、カカのマドリ入団を阻止するために、彼の親友であるベルスコーニに連絡をとり、カカの延長契約を早急におこなうように勧めている。だが、これだけは信じて良い。私が会長を続けるなら、今年の7月にはカカは我々の一員となっているだろう。」

そして会長の座を退いてからこれまで一切の沈黙を守ってきたフロレンティーノがカルデロン火山が再噴火したことを知り、久々にメディアの前に登場してきている、
「自分の意思とは裏腹に、残念ながら沈黙を破らなければならない時が来たようだ。レアル・マドリ会長ラモン・カルデロンが語る事実経過は何の根拠もない嘘八百であり、ベルスコーニに連絡をとったこともなければ、もちろんカカ問題に口や手をだした覚えは一切ないことを表明しておく。そういう発想でものを語るのは幼稚な人間がすることだと思うが、いずれにしても嘆かわしいスキャンダラスな発言だ。」

そしてその夜、あまりにも火山噴火の影響が強かったことを知ったカルデロンは、レアル・マドリ・テレビに急きょ出演し、次のように水をぶっかけようとしている。
「まず最初に、私の軽率な発言により迷惑を被ったすべての人々に謝罪したい。必要なら百回でも千回でも謝罪を繰り返す覚悟だ。ただ、マドリディスタのみなさんにこれだけは知って欲しい。私が会長に選ばれてからこれまでおこなってきたことは、すべて愛するクラブのためのものであり、そしてクラブに所属するすべての選手に対して誰よりも深い愛情を持っていること、このことを忘れないで欲しい。」

今月の29日、ミラグロス・アパリシオ裁判官によって、会長選挙の際に問題になった郵便投票に関する判決が下される。もし郵便投票が有効とされる判決がなされるならば、多くのマドリメディアはラモン・カルデロンの敗北を予想している。そしてそれは、マドリメディアにとって大きな打撃となることは間違いない。なぜなら、これほど面白いニュースを提供してくれる人物が海底火山となって姿を消すことは、同時に新聞メディアの売り上げにも大きく響くことになるからだ。ジャ〜ン!


ペリーコ
(07/01/16)

ペリーコという愛称で呼ばれるエスパニョールのファンは、同時にマドリファンでもあるケースが多い。少なくとも自分の周りにいるペリーコたちはそうであるし、彼らの友人たちもまたそうであるらしい。クラブ名がエスパニョールというぐらいだから、まあ、どうでもよい政治的なことは抜きにして、中央のクラブファンであっても不思議ではない。カタルーニャの昔からのブルジョア階級の人々にペリーコは多いし、また地方から仕事を探しにやってきて最終的にカタルーニャに住み着いた国内移民の人たちも多い。もちろん彼らに共通することの一つに、アンチバルサがあることは言うまでもない。多くのバルセロニスタがアンチマドリであり、そしてアンチエスパニョールであるのと同じだ。したがって、エスパニョール・バルサ、バルサ・エスパニョールというデルビー戦は同じ街内にあるクラブ同士の戦いというよりも、もう一つレアル・マドリがからんだプラスアルファーがつくことになる。

もう一昔も二昔も前の話になるが、エスパニョールの全盛期と呼んでも言い時代はクレメンテが監督をしていた時だった。クライフがバルサの監督に就任した年か、あるいはその前年か、そこらへんの記憶は怪しいがいずれにしてもUEFAカップの決勝戦まで進み見事に散っている。今のエスパニョールの監督であるバルベルデやミケル・ソレールが活躍し、そしてその後2人ともバルサに入団してきている。あれから二部カテゴリーに落ちたりした時代があったものの、何回もバルサとのデルビー戦がおこなわれ、そしてペリーコの勝利に終わっている試合もあるはずだ。が、あまり具体的に記憶にない。そして記憶にないから先日まで忘れていたことがあった。やつらが勝つと夜中がうるさいのだ。

試合が終わったのが12時近く。そしてそれからモンジュイク山から下りてきた木こりや、家の中やバルでテレビ観戦していたペリーコどもが、車に乗ってクラクションを鳴らしながら走り回る。夜中の1時、2時になっても彼らはこの時とばかり“ペリーコここにあり!”という感じで街の中心地をやかましく走り回る。これがうるさい。とてつもなくうるさい。

レアル・マドリ相手のクラシコに勝利しても、昔はともかく、最近はバルセロニスタもそれほどさわがない。決定的な場面となるクラシコをのぞいて、この夜中のクラクションは登場しない。ただ、リーグ戦優勝が決まった試合後だとか、ヨーロッパのナントカカップに勝利したときだとか、そういう夜には明け方3時4時までクラクションの塊みたいな車が何百台何千台と街の主要通りを走り回る。これは、全然うるさく感じない。まるで美しい音楽を聞いているように、あるいは子守歌のように心に響き、気分は良くなることはあっても決してその逆とはならない。だが、先日の夜中はうるさかった。聞き慣れないペリーコ共のクラクションはうるさい。

人の気持ちは同じ境遇に立ってみないと理解できないものだ。ここ何年か、バルセロナに住むペリーコ共は辛い思いで我らがクラクションを聞いていたのだろう。彼らはバルサが優勝するたびに、辛い夜中の何時間を過ごしていたということになる。そして不幸なことに、今年もまた1回か2回そういう辛い思いをすることになる運命にある。だから、まあ、今回のことは許してやろう。

それにしてもと思うのは、こういうロナルディーニョを見るのは、とっても不愉快だ。守備をしないとか、一対一の勝負に勝てないとか、それはそれで文句をつけるほどのことでもない。良くないのは、とられたボールさえ追っかけようとしないその姿勢だ。例えボールを奪った選手に追いつかないとしても、追いかけようとするのが他の同僚選手に対する最低の仁義というもの。疲労なんかあるわけがない状態で、そういう仁義さえ忘れ、とられた場所で腰に手を当てて立ちん坊している姿は滑稽でもある。プジョーが怒り、チャビが怒り、そしてまともに打撃を受けることになるジオが怒る。そのうちファンも怒る。

さて、勝とうが負けようが静かな街であることには変わりがないアラベス戦。慎重な性格と言えば聞こえは良いが、カンテラ選手の出場サービスなどは期待できないライカーバルサだから、こんな試合に何人のソシオが来るのだろうか。

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ロナルディーニョ&デコ
(07/01/13)

アラベス相手の国王杯戦前に、多くのメディアがロナルディーニョとデコの招集を予想している、カード制裁で出場できなかったヘタフェ戦の3日後の試合であり、しかも約束の集合日に戻らなかった彼らに対する一種の“罰則”として、ライカーが彼らを招集するというのがメディアの読みだった、だが、それは見事に外れている。ライカーは彼らを招集せず、1日午前午後と2回の練習をさせるためにバルセロナに残すことを選んだ。
「これも“罰則”の一つか?」
というジャーナリストの質問に答えるライカー。
「罰則なんてものではなく、単純に彼らには練習が必要だからさ。」

11月最終戦となったビジャレアル相手の試合で、復活の予兆を見せたかと思われたロナルディーニョだが、残念ながらその予想は空振りに終わってしまった。もっとも、そこはそれ、あくまでもロナルディーニョだ。100%の彼が超クラック選手だとすれば、70%程度でもクラック選手と呼ばれることになるロナルディーニョだ。ブレーメン戦をはじめ、いくつかの試合をクラックならではのプレーでチームを救ってきている。だが、残念ながら、3年前のようなドリブルで相手選手を抜き去るようなプレーはまだ1回も見せてくれていない。ゴールが彼の持ち味ではないとはいえ、彼から生み出される90%のゴールはPKとフリーキックからのものとなっている。

これまで何回か“ミニステージ”という名目で、短期間ながらも集中的な練習メニューが組まれてきたが、実際には一度として実現していない。やれCM撮影だの、キャンペーン参加だの、あるいは何らかの賞の受賞参加などにより、一度として集中的な練習がおこなわれたためしがない。特に12月はロナルディーニョにとって最悪の月と言っていいだろう。日本でのムンディアリート参加などやクリスマス休暇があったため、彼がラ・マシアの練習に参加してきた回数はわずか2回だと言う。

1月7日のヘタフェ戦と10日の国王杯戦に出場せず、ひたすた練習という毎日を送っているロナルディーニョとデコだが、不思議と今回の集中的な練習に関して、クラブやメディアは“ミニステージ”という名を付けていない。だが、実質的には今シーズン初めての“ミニステージ”と呼んでいいだろう。

1月04日 午後30分間
1月05日 午前と午後
1月06日 午前と午後
1月07日 午前と午後
1月08日 午前と午後
1月09日 午後のみ
1月10日 午前と午後
1月11日 午前のみ(デコ不在)
1月12日 午前のみ

わずか9日間の期間に、休みなしに14ステージの練習をこなしたロナルディーニョ。3キロ体重が増えて帰ってきた彼も、この集中的な練習で休み前のフィジカルに戻っただけではなく、それ以上に彼本来の持つ強靱なフィジカルに近づいて来ているかも知れない。彼にとって最後の試合となったAt.マドリ戦からすでに23日間過ぎようとしている。フィジカル面に問題がなくなっただけではなく、モチベーション的にも高いであろう彼の活躍が期待できそうなデルビー戦。ここのところついていないデコは11日の軽い練習中に軽い負傷をし、デルビー戦には招集されていない。バルデス、ジョルケラ、ベレッティ、オラゲール、シルビーニョ、ジオ、プジョー、マルケス、エドゥミルソン、モッタ、チャビ、イニエスタ、ロナルディーニョ、ジュリー、サビオラ、エスケロ、グディの17人が招集されている。

普段はカンプノウに50人程度しかやって来ないボイショス・ノイスの連中が、モンジュイクでのデルビー戦となると200人ぐらい集合してヤクザ集団と化す。このバルセロノニズムと何の関係もないアホ共がバカなことをしないことを祈って。

「こちらカピタン」ロナルディーニョ過去関連記事
 2006年 9月29日、2006年10月28日
 2006年11月27日、2006年12月 9日

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アラ?マドリ!
(07/01/12)

司会者 練習の最中にアルコールの臭いをさせている選手がいたというのは本当か?

ペジャ アルコールの臭いがどうこうということより、練習に参加できる状態でない選手が何人かいたことは確かなことだ。今シーズンだけではなく過去にもあったと聞いている。

司会者 カペーロがその事実を外部に公表しようとしたところ、あなたを含めた上部の人間がそれを止めたというのも事実か?

ペジャ こういう恥ずかしい事実はクラブ内で処理すべきで、外部にだす必要はないと判断したからだ。

司会者 あなたははっきりとは認めないが、アルコールの臭いまでさせてくる選手がいたり、明らかに朝方まで遊びほうけた選手がいるというのに、選手の管理を任されている監督が何もしなかったり、クラブが何の処置もとらないというのはおかしな話だと思うが?

ペジャ 過去にもそういう事実があったし、他のクラブでも起きうることだと思う。もちろん情けない話ではあるが・・・。

司会者 しかし、我々はスペインだけではなく世界を代表するクラブでの話をしているんだ。そしてあなたはスポーツ・ディレクターではないか。

ペジャ もちろんこの世界で生きているプロの一人として、恥ずかしい話だと認識している。我々は早急に問題の解決を図るつもりだが、一つのチームの改善には時間がかかるのはしかたがない。だが、チーム内の問題がはっきりしていることも確かなことだから、選手の放出問題も含めてできる限り早く処理したいと思う。

司会者 時間が必要だとは言え、現在のチーム内の悪状況は過去何年間のそれと何ら変わりがないということになる。あなた方は会長選挙でこの悪状況の改善を公約としてうたったのではなかったか?

ペジャ 一つのサイクルを変えるのには時間が必要だということだ。

数多くある深夜のスポーツ番組で最も視聴率が高いと言われているマドリッドのとあるラジオ局で、1月9日におこなわれたインタビュー。ペジャとはもちろんレアル・マドリのスポーツ・ディレクターであるペジャ・ミヤトビッチだ。信じられない内容のインタビュー、だが紛れもなく本当のインタビュー。

1月の最初の週、つまり先週、ロビーニョが2回もアルコールの臭いをさせて練習に参加してきたと、一部のマドリメディアは伝えている。これまで、ロナルドやロビーニョなどが、マドリッド市内にある多くのディスコやパブで夜遊びしているところを目撃されているというのは、何回も聞いたことがある。だが、いずれにしても不思議なのは、“鬼軍曹”として評判のあったカペーロが何の処置もとってこなかったことだ。練習中に追放されたという話も聞かなければ、最終的にベンチには入らなかったものの、先日のデポル戦では招集メンバーにも入っている。カペーロも年をとったのだろうか。

ここ3年間で2億6450万ユーロ(約400億円)という資金を費やして19人の選手を獲得してきているレアル・マドリ。だが、ルクセンブルゴやケイロスがそうであったように、カペーロもまた“過去”の選手を基本として起用してきている。つまり、ラウル、エルゲラ、グッティ、サルガド、ロベカル、ベッカム、エトセトラ、エトセトラ。だが、このインタビューが公表されてからカペーロが行動にでている。まず、毎日の練習をファンだけではなくメディアにも非公開にするということ。そしてこれまでの選手起用法をガラッと変えてしまうこと。つまり、次の試合からカペーロの手による大改革がおこなわれるらしい。“過去”の選手をベンチに追いやり新鮮な選手(別の言い方をすれば未経験な選手)を優先するという。

郵便投票の問題も解決していないクラブ会長が指揮を執り、そして1億ユーロ浪費した割には結果がでていないチーム、こういう悪状況の時には得てして選手のプライバシー問題が、スキャンダルなものとなってメディアを騒がせたりするものだ。バルサもゴールが決まらなかった氷河時期には、クルービーを代表するオランダ選手の夜遊び問題がよく紙面を賑わせていた。やはり今のマドリの状況はガスパー時代のそれによく似ている。カルデロン会長、末永くあることを・・・再び望んでしまうのであった。


カルデロン&ガスパー
(07/01/11)

「ヨーロッパ中のクラブが欲しがっていたこの選手を我がクラブが獲得できたことは、まるで宝くじに当たったようなものだ。」
ガゴの入団記者会見でラモン・カルデロンがこのように語っている。だが、宝くじに当たったのはレアル・マドリではなく、2000万ユーロというとてつもない移籍料で売ることができたボカ会長マクリの方だろう。移籍市場では800万ユーロ前後と評価されていた選手を2.5倍もの価格で売ることができたのだから。

11月3日におこなわれたレアル・マドリソシオ審議会でのこと。選挙公約としてあった3人の選手(カカ、セスク、ロベン)の獲得が実行されていないことをソシオに追求されたカルデロンは、表情一つかえることなくスラスラと次のように反論している。
「票数から計算すると私に投票した人々はソシオ総数の30%にあたる。つまり私に投票しなかった人々はソシオ総数の70%に当たり、そしてこの3人の獲得を良しとしなかった人々。したがって大多数の人々がそう考えている以上、カカなどの獲得は必要なかったということになる。」
マドリッド市内に多くあるであろう弁護士事務所、その中でも三本指に入ると言われているラモン・カルデロン弁護士事務所の会長さんのお言葉だ。

フロレンティーノ・ペレスがおこなってきたクラブ政策に対し正しくも多くの批判が浴びせられたが、メディアの前に登場してきた会長フロレンティーノという存在だけを見れば、非常にまともでインテリジェンスにあふれジェントルマンというイメージがあった。しかもメディアの前にでることを、会長就任時から辞任時に至るまで常に嫌った会長でもある。それに比べて、今回のメレンゲボスはまったくイメージが違う。特に10月22日クラシコの戦いでバルサに勝利して以来、メディアの前に出てくる回数は激増している。まだ会長に就任して半年弱であるにもかかわらず、数年にわたって会長を務めたフロレンティーノの数倍はしゃべりまくっている。クラシコ後に彼がどのようなことを語っているかを調べてみた。

●10月25日 メディアを前にして
「クラシコでの活躍ぶりを見れば、ロベルト・カルロスは我々のクラブであと10年は現役でやっていけるだろう。」
●10月26日 メディアを前にして
「シベーレス広場(注・マドリが優勝した際に祝賀会をする広場)に到着するまで我々は止まるところを知らない。」
●10月27日 メディアを前にして
「5月(注・チャンピオンズ)、6月(リーグ戦)、7月(国王杯)と、我々は毎月1回シベーレス広場に行くことになりそうだ。」
●10月28日 メディアを前にして
「今日はカンテラ選手たちにこう言ったんだ。『シベーレス広場に行く準備は常にしておくようにと、君たちの両親に伝えておいてくれ。』とね。選手たちを乗せた何台もの二階建てバスがマドリッドの街中を走り、人々が真っ白な旗やスペイン国旗を振って彼らを祝福する風景が見られることになるだろう。」
●11月11日 ナバロ大学での講演会にて
「誰もが知っているように我々はチャンピオンズに9回優勝し、リーグ戦では29回も優勝しているクラブ。バルサが我々に追いつくには少なくても1世紀はかかるだろう。だがチーム成績だけではなく世界中に散らばる我々のファン数にも追いつくのには一世紀はかかると言える。つい最近ハーバード大学がおこなった調査によればマドリファンは全世界に2億2800万人、対するバルサは3500万人しかいないそうだ。」
●11月14日 マルセロ選手入団記者会見にて
「ヨーロッパ中のビッグクラブが欲しがった選手だが、彼はレアル・マドリでプレーするために生まれてきた選手。良い選手は常に良いクラブを選択することになる。」
●11月21日 メディアを前にして
「チャンピオンズとリーグを征した年であったにもかかわらず、バルサからはバロン・デ・オロを獲得する選手は現れなかった。なぜならその賞に相応しい選手は我がレアル・マドリにいたからだ。そして今シーズン、我々のチームはたった3か月で作り上げたものでありながら、すでに2試合を残してチャンピオンズグループ戦を突破することが決まっている。3年間同じメンバーで戦っているチームが最後の試合を待たないと次に進めるかどうかわからない状態にあるのと対照的だ。」
●12月13日 メディアを前にして
「スペインから遠く離れた外国では、スペインの首都名をレアル・マドリだと思っている人々もいるらしい。」

これまでの彼の素晴らしい発言の数々といい、ひとシーズンに1億ユーロ以上浪費してしまったカルデロン・マドリは、かつてのガスパー・バルサを思い出させてくれる。そして、同時に、カペーロ第二次政権もまたバンガール第二次政権とダブって見えてくる。“かつての栄光を再び”を夢見ての、いわゆる出戻り政策というものはどこのクラブでも成功したためしがない。フットボールがサイクルの繰り返しだとすれば、現在のカルデロン・カペーロ体制は、かつてのガスパー・バンガール体制のそれと同じサイクルを繰り返しているようだ。ここはひとつ、末永いカルデロン政権を望んでしまおう。

「こちらカピタン」カルデロン過去関連記事
 2006年8月8日、9日、10日
 2006年9月2日、3日
 2006年11月10日


独裁者ディミトリ・ピーテルマン
(07/01/10)

「我がクラブにあって、監督の交代というのはたいした意味を持たない。したがって監督交代によるチーム事情の変化などというものが起きることなどあり得ない。なぜなら私ディミトリ・ピーテルマンがすべての実権を握っているからであり、実権を持たない監督が交代したとしても、チームそのものに変化が起きるわけがないのだ。もしこのクラブに、そしてチームに何らかの変化が生まれるとしたら、それは私が会長の座を退く時のみとなるだろう。」
アラベスの監督が更迭されるたびに、このようなクラブ会長ピーテルマンコメントが聞かれることになる。2004年からアラベスの最大株主となりクラブ会長の座にふんぞり返っている彼は、2007年1月9日現在のべ7人の監督交代劇というシナリオを書いてきている。2007年に突入した時にはチーム監督を務めていたのはチュチ・クロス、だがバルサ戦を2日前にした月曜日、再び監督交代劇がおこなわれた。新監督として任命されたのは
ファブリシオ・ゴンサレス“ファブリ”という人、そして日曜日まで監督だったチュチ・クロスはこれで3回目のクビを経験することになった。

ブッシュ国籍も持つこのピーテルマンというウクライナ人が、スペインのフットボール界に名を知られるようになったのは21世紀に入ってから。まずカタルーニャの小さいながらも伝統のあるパラモスというおもちゃを手に入れたあと、ラーシング・サンタンデールというおもちゃを購入。そしてこれにも飽きたあとは現在のアラベスを手に入れた。

これまで彼のおもちゃとなってきたすべてのクラブでそうであったように、ファンとの間柄は決してよろしくない。いや、ファンだけではなく地元メディアとの関係も決して良好とは言えない。練習風景の取材に来るメディアを相手に取材料を要求したり、それを拒否したメディアには取材拒否処置までとっている。現在の彼のおもちゃであるアラベスでは、練習風景どころか選手に対するインタビューも禁止し、選手たちに対してもメディアとの関係御法度処置がなされている。

スキャンダルには事欠かないピーテルマンだが、最近のそれは元バルサカンテラ選手であるカレーラスとの確執問題。去年の11月最後の試合となったスポルティング・ヒホン戦が事の始まりだ。

この試合を前にして、アラベスには多くの負傷選手がおり、招集選手の人数を満たすにも苦労するような状態だった。負傷からすでに戻ってきていたカレーラスは、当然ながらこの試合に招集されていると思っていたと語っている。だが、監督のチュチは彼を招集せずに、風邪のために1回も練習に参加してきていない選手をベンチに入れる。まだ、完璧に走ることさえできない選手をベンチに入れたチュチ。ピーテルマンとかなり前からうまくいっていないカレーラスはこの非招集を知って怒り狂った。
「あんたは会長の飼い犬監督だな。」
と、言ってはいけない本当のことを監督に言ってしまったカレーラス。プライドが傷ついた飼い犬は、さっそくご主人様に事の成り行きを申しつけてしまった。
「くそったれカタラン人が何を言うか!」
ピーテルマンもまた言ってはいけないことを言ってしまう。それも選手をすべて集めて、カレーラスを指さして怒鳴り散らしたという。

翌日、アラベス選手全員が集まって記者会見を招集し、カレーラス支持の声明をだした。それに同調して多くのファンや各ペーニャも集会を開いて“カレーラス支持、ピーテルマン追放”の雄叫びをあげる。抗議行動として彼らは10日に予定されている国王杯バルサ戦のボイコットを提案。多くのファンが楽しみにしていたバルサ戦の観戦拒否は彼らにしてみれば痛恨の思いであり、同時にピーテルマンにとっては、シーズン最大のチケット売り上げとなる試合であるだけに、年間予算にまで響いてしまう大きな打撃ともなる。もっとも、現実的に考えてみると、この試合観戦拒否行動というのは非常に可能性が少ないものだろう。年に1回、あるいは数年に1回しかないバルサ戦を見られないというのは、せっかくファンがもらえる大事なプレゼントを「いりません!」と言って拒否してしまうようなもの。

この試合にファンが来ようが来まいが、いずれにしてもピーテルマンとアラベスの関係は終わりに近づいているようだ。でも、ゼニはあるぞ、ゼニはあるんだピーテルマン。果たして彼の次のおもちゃクラブはどこに・・・。

真面目な監督ライカーが招集したアラベス戦用メンバー。
バルデス、ジョルケラ、プジョー、マルケス、オルモ、シルビーニョ、ジオ、ベレッティ、エドゥミルソン、モッタ、イニエスタ、チャビ、ジュリー、エスケロ、グディ、サビオラの16人。

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ナスティック選出場を目指して!
(07/01/09)

「たまたまチャビのフリーキックで同点にされたとはいえ、それ以外のプレーでも同点にされる可能性はじゅうぶんあったように思う。バルサは4人も5人も普段のスタメン選手がいなくても、どこのチームとも対等に戦える素晴らしい選手が揃っている。もし彼らが相手でなければ、この試合は間違いなく我々が勝利していただろう。」
試合後にそう語るシュステル。これまでカンプノウで見た、最もスペクタクルなセントロカンピスタの一人の方にそう言っていただけるのは嬉しいものの、やはり一人二人足りないこの日のバルサ。次のリーグ戦には遅刻組も戻ってくる。そして、そのうちそろそろエトーも・・・。

2006年9月27日のチャンピオンズ・ブレーメン戦で負傷し、翌日ドクター・クガット氏によって手術されたエトーは全治5か月と診断されている。もっとも、このリハビリ期間はあくまでも“一般的”なものであり、患者の体質によって予想期間より早くなる可能性もあるし、逆に遅くなる可能性もあるとドクター・クガット氏は補足していた。

エトーの本格的なリハビリは11月10日、つまり手術してから6週間後に開始されている。11月10日からマジョルカを舞台にして始まった初期にして、だが本格的なリハビリは、かつて彼が5年間在籍していたマジョルカの施設を利用しておこなわれていた。約3週間という期間を設定しておこなわれたこのリハビリは、だいたい次のようなメニューで成り立っている。最初の1週間は起伏に富んだゴルフ場を歩くことから始まり、1週間後には軽いランニングを、そしてさらに1週間後には80m距離のダッシュ走を基本としての走り込み。筋肉の疲労をとるためにプールでの長い時間をかけてのリハビリは3週間通しておこなわれている。エトーは泳げない。したがって、マジョルカのクラブ係員に頼んで水量を肩の辺りまでにしてもらってのリハビリだ。

負傷という不運に見舞われたこれまでの多くの選手と同じように、例えばアムニケ、ペップ、ジョルディ、ガッツ、アベラルド、ジェラール、ガブリ、チャビなどと同じように、エトーのリハビリにもエミリ・リカールがピッタリとくっついておこなわれている。
「最終日の80mダッシュでは何と10秒を切ってしまった。負傷箇所やリハビリ期間を考えれば、通常あり得ないことなんだ。そのとき、彼は驚くべき回復力と常識を超えたの弾力性豊かな筋肉を持っていることに気がついた。こんなに長い間この仕事をしてきても、まだ驚かされることはあるもんだ。」
スペインの中でも最も優秀な物理療法士であると評判を得ているエミリ・リカールがそう語っている。

そして、手術を受けてから約3か月経過した12月末。エトーはリハビリの最終段階を再びマジョルカでおこなっている。去年の12月22日、つまり年内最終戦を終えてすべての選手がバケーションに入った日、エトーは1週間という短期間のリハビリ最終ステージをおこなうためマジョルカに飛んだ。

エミリ・リカールが作成したリハビリメニューは、午前のものと午後のものと2種類よって構成されており、1日8時間という、まるで普通の労働者のような時間をかけておこなわれている。午前中はランニングとプールを利用しての筋肉回復運動で終わる。約2時間のランニング、もちろん2時間ぶっ続けで走るわけではない。500mや1キロの距離を何回も走り、そのたびに休憩する時間を含めて2時間。そして彼の嫌いなプールでの2時間。この午前中だけのメニューで、ロナルディーニョの普通の1週間程度の練習内容をこなすことになるエトー。だが午後にはさらに厳しい内容のメニューが待っている。ジムでの筋肉増強運動だ。各種バーベルを使ってのくたびれるメニューをこなす間に、ボールを使っての運動メニューも用意されている。最初のマジョルカでのリハビリでは膝に負担がかからないように軽く小さいテニスボールを使用していたが、今回での運動ではすでに普通のボールを利用しておこなわれている。

今週中にもエトー・リカールコンビは解散されることになる。なぜならパコ・セイルーロというフィジカルトレーナーとコンビを組んで、普通の選手並みのトレーニングが始まるからだ。早ければ今週中に、遅くても来週の初めにはラ・マシアでの練習が開始され、失ったリズムを取り戻す仕事に集中することになるサムエル・エトー。その彼の目標は今月の20日、あるいは21日に予定されているカンプノウでのナスティック戦に出場することだ。後半25分あたりから、ひょっとしたらカンプノウにエトーの姿が戻ってくるかも知れない。バモス、サムエル!


新たなスタート
(07/01/07)

限られた資金によって微々たる年間予算しか組めない“弱小チーム”にあっては、ホームの試合であろうとアウエーの試合であろうと、ポルテロの前に大型バスを何台も置くようなデフェンサシステムを採用するのはしかたがない。相手チームにボールを支配させ、彼らからボールを奪った瞬間に直接的な攻撃態勢に入り、効率の良いゴール奪取を持って勝負をかける。ビッグチームを相手にしてはまともな勝負を挑めない彼らにとって、貴重な1ポイントを獲得したり、あるいは期待以上の3ポイントを獲得する唯一の方法だ。だが、このシステムを年俸300万ユーロも400万ユーロも取っている選手によって構成されるチーム、例えばカペロ・マドリなどが採用するとなると、ファンにとっては辛い試合観戦となる。

バルセロニスタにとって幸運なことに、ライカーバルサのフィロソフィーはまったく違うものだ。可能な限りのボール支配を試み、常に相手陣内での戦いを挑む。ファンにとっては非常に魅力的なものであるものの、チームにとっては高いリスクが伴うものであり、選手たちにとってはフィジカル面、メンタル面での消耗が多いものとなる。なぜなら、デランテロ選手たちは相手デフェンサにプレッシャーをかけることを義務づけられ、セントロカンピスタの選手たちはフィジカル面の強さだけではなくボールテクニックの優秀さが必要だし、そしてポルテロとデフェンサの間に生まれる広大なスペースをカバーするためにデフェンサ選手たちには高い集中力が要求されるからだ。

何回も触れてきているように、この夏バルサのおこなったマーケティング・プレステージは実質的な効果を生まずに、練習時間がほとんどとれないままシーズンに突入している。ムンディアルが開催された年であることももちろんマイナス材料となっている上に、これまで多くの試合数をこなすことも義務づけられていた。多くの選手たちに疲労が見えてもしかたがない。

「疲れ果てている選手たちに可能な限りの休養時間を与えよう。」
優しいライカーと優しいエウセビオ、いかにクリスマス休暇とはいえ、シーズン中には異常とも思える12日間ものバケーションをとることになったのは、彼らのこういうアイデアからだ。肉体的な疲労をとるというよりは、フットボールのことを忘れるための精神的疲労回復という意味合いが強い長期休暇としている。当初の案では1月2日に全員集合して1日2回のハードな練習スケジュールが組まれていた、とエウセビオは語っている。だが、中南米組は1日、あるいは2日ほどいろいろな言い訳を用意して遅れてやって来るという悪習慣があるため、それを避けるために1日増やして1月3日集合にした、とこれもエスセビオの発言。厳しい試合スケジュールを前にして全員がピッタリと集合し、新たな気持ちでスタートしたいという思いからのようだ。
「明日は全員揃ってスタートできると信じている。」
2007年の初練習となる1月3日を翌日に控えてエウセビオは語っている。だが、残念ながらそうはならなかった。集合日を遅らせようが何しようが、いずれにしても中南米組は遅れてやって来るということを忘れていた。

かつてマラドーナがそうであったように、そしてロマリオ、ロナルド、ジョバンニ、リバルド、ロッケンバック、ジオバンニなどがそうであったように、今回もマルケス、デコ、ロナルディーニョが集合日に遅れてやって来ている。飛行機の乗り換えがうまくいかなかったり、家庭内の問題が発生したしたりと、もう伝統的と言っていい遅れの理由も変わらない。故郷に帰るときには決して発生しないこれらの問題が、なぜか戻ってくるときには発生してしまう不思議。バケーション前にイエローカードを4枚持っている選手は、その最後の試合で必ず5枚目をもらってしまうという“奇妙な偶然”も不思議な現象だ。

もっとも、中南米組としてひとまとめにして彼らを語ってしまうと名誉の毀損となるだろう。なぜならシルビーニョは練習開始前日にはラ・マシアで一人走り込みをしていたし、ベレッティやエドゥミルソンも体調を万全の状態にして練習初日に顔をだしている。モッタはもちろん風邪引きさんで、いつものモッタらしく練習にはやって来ていない。

これまで以上に厳しいスケジュールが待っている1月の戦いを目前に控え、あまり順調なスタートとは言えない。エトー、メッシー、トゥラン、サンブロッタは負傷中だし、“不思議な現象”を起こしたロナルディーニョとデコはカード制裁で出場できない。オラゲールもクリスマス休暇前からの負傷が原因でリハビリ状態。風邪引きのジオはどうにかこうにか走り出したが、もちろん90分間は無理な状態。こうしてみると、なにやら終わりが近づいてきた歯磨きチューブを必死に絞り出しているような雰囲気だ。

それでもバルサ。スタメンの11人に誰が選ばれようが、ヘタフェの11人を圧倒的に上回る実力を持つ。したがって例え良い結果がでなかったとしても、誰かさんたちのような陳腐な遅刻理由みたいな言い訳は許されない。この試合勝つべし。


アヤックスとバルサ
(07/01/06)

アヤックス・アカデミー“デ・テオコンストゥ(未来)”の練習場に、午後2時になると何台ものバスが到着する。アムステルダム市内にある学校から、あるいは近郊60キロ圏内にある学校から、8歳から17歳のまでの少年を乗せたバスがやって来る。総勢約200名のアヤックスカンテラ少年たちの練習が始まるのだ。

この200人のカンテラ少年たちを最もよく知る人物がアルフレッド・アロージョ氏。アヤックスカンテラ責任者の一人である彼は奇妙なことにスペイン人だ。オランダに移民していった両親を持つ彼は、1961年からアムステルダムに住んでいる。
「自分がまだ4歳の時、両親が仕事の関係でアムステルダムに引っ越してきた。それ以来、ここに住み続けている。」
今から10年前、バンガールは彼をアヤックスに引っ張ってきている。
「最初のころは基本給なしのカンテラ偵察部隊の一人。言ってみればボランティアみたいなもので、良いカンテラを入団させるとボーナスがもらえるシステムだった。プロと呼んでいい状態となったのは今から2年前で、アヤックス・インフェリオールカテゴリーの責任者の一人となった。」
そう語るアルフレッドの下には現在8人の専属スタッフと33人のボランティアが働いている。他のクラブで働くカンテラ偵察部隊と異なるのは、合計41人のアヤックス偵察部隊はオランダ国内だけに偵察地域を限っていることだ。つまりオランダ以外でプレーしている少年たちには色気を見せないことにしている。

バルサにはラ・マシアという、スペイン各地や外国からやって来た少年たちを預かる寮がある。カンテラ少年たちが寝泊まりするこの寮の維持費はバカにならない。育ち盛りの少年たちの食事を提供するだけではなく、学校の教育費やマンツーマン教師のアルバイト代、寮から学校への行き帰りのバス提供、そして両親までを一抱えにして他のクラブから少年を連れてきた場合の両親の住居費までみなくてはならない。残念ながらアヤックスにはそれだけの贅沢な資金は用意されていない。クラブの寮に少年たちを住まわせるのではなく、自宅から通うようにすれば余計な出費は防ぐことができる。だが、国内の少年、それも60キロ圏内に住む少年のみをカンテラとするのは経済的な問題だけが理由ではないようだ。

アヤックス・アカデミーの校長であるバン・デン・ブロン氏が語る。
「オーストラリアとかロシア、あるいは中国という国からカンテラ入団テストの申し込みがやって来る。でも我々は両親の住む自宅から少年たちが通うのが理想だと思っている。フットボールのためにだけに地球の裏側から引っ越してきて、そして2、3年して才能の問題や負傷のせいでアカデミーをでなければならなくなった時のことを考えると、つらくなるからね。実際の話、今抱えているこの200人の少年たちでさえ、プロの選手になれるのは本当にわずかなものにしか過ぎないんだ。」

午後の2時にやって来た少年たちが着替えているあいだ、デ・ボエル、ブライアン・ロイ、ゲリー・ムーレンなどのコーチたちはお茶を飲みながらその日の練習スケジュールの打ち合わせをおこなう。そして3時きっかりにアカデミーが本格的に動き出す。9つあるグランドのうち5つを使って、それぞれカテゴリー別の練習が始まる。元バルサ選手のデ・ボエルは11歳のカテゴリーのコーチだ。アヤックスで最もシンボル的存在となるヨハン・クライフがこのアカデミーに来たのが10歳のとき、デニス・ベルカンプは12歳、デ・ボエルは14歳のときだった。そして今ではそのアカデミーでコーチをしている。
「自分が来た頃と比べものにならないほど施設は充実している。もちろん施設だけではなくカンテラ政策もうまくいっている証拠に、最近ここ何試合かではアヤックスAチームでは8人のカンテラ育ち選手たちがプレーしている。これは本当に嬉しいことだよね。」

だが、アヤックスカンテラ組織で育った多くの選手たちは、遅かれ早かれ他のクラブに移籍していくことは避けられない。他のビッグクラブが示してくるオファーには太刀打ちできる財政は持ち合わせていないからだ。それを知り尽くしているデ・ボエル。
「かつてアヤックスのカンテラ組織は、多くのクラブにとって鏡となるような存在だった。だが、我々がいま目標としているのはバルサのそれなんだ。彼らも我々と同じように一つのフィロソフィーのもとにカンテラ政策をおこなっている。例えば、4−3−3というシステムがアヤックスというクラブと同義語となっているように、バルサもまた一つのフィロソフィーのもとに組織されている。これが他のクラブのカンテラ、例えば、レアル・マドリなんかとはまったく異なることだ。ベンジャミンカテゴリーからAチームまで、同じシステムでプレーさせ育て上げるということは大事なことだと思う。そしてバルサカンテラ組織の優れたところは、多くの選手をAチームに輩出しているだけではなく、地方や外国からも優秀な少年たちを連れてきて問題なくやって来ていることだろう。これは想像以上に難しいことなんだ。」

時代の流れの変化はアヤックス・アカデミーの施設を立派にしただけではなく、バルサのカンテラ育ち選手がアヤックスに入団するという、一昔前には考えられなかった事態まで可能としている。テン・カテ監督率いるチームにルジェーとガブリが今シーズンから加入している。
「毎年のように、少なくても一人、あるいは二人ぐらいのカンテラ育ち選手が上がってきて半数以上が若手で構成されているチームだから、スタンをはじめ、ルジェーやガブリという経験豊かな選手は貴重な存在なんだ。そして期待に見事に応えてやってくれている。」

そして今また、時代の変化が一つの“変なこと”を誕生させている。レアル・マドリB在籍中であり、アヤックスカンテラ育ちでもある一人の選手がバルサBに入団してきた。


チャビとイニエスタ
(07/01/04)

チャビ(以降チャ) アンドレシンのことを初めて知ったのは自分がカデッテカテゴリーでプレーしているときで、メディアを通して知ったんだ。アルバセテから来た少年で何やらマドリも欲しがっていたとか・・・

イニエスタ(以降イニ) よく覚えているね(笑)。

チャ そりゃそうだよ、自分と同じ4番のポジションの選手で、しかもプレースタイルが似ているという紹介だった。自分だけではなく、マリオとも比較されて紹介されていたよね。当時のカンテラニュースと言えば、マリオのことばっかりだったし。

イニ そう、彼は凄い選手だった。

チャ だが、アンドレシンの入団でラ・マシア内での“将来が期待される4番の選手”が、自分も含めて3人になってしまった。みんな少年とはいえ、それぞれライバル意識というのは絶対あるよね。でもそれは年齢が近い仲間内だけのことで、上の方を見ると気が遠くなるような感じがしていた。
「あんな選手に追いつくことができるのだろうか」
いつも自分に問いかけていたのを覚えている。

イニ ライバル意識というか競争心というか、そういうものがないとダメな世界だと思う。ラ・マシアにやって来てしばらくしてからは、チャビがプレーしていたフベニルの試合をよく見ていたけれど、凄いチームだと思った。自分もあんな選手たちになれるのかどうか不安になるぐらいだった。

チャ 1979年〜1980年生まれ世代のチームだったね。マリオを筆頭にしてジョフレだとか、とにかくいい選手が多いチームだった。
「このチームを構成している選手たちがプロになれないことなんてあるんだろうか」
いつもそう思っていたし、マリオをはじめ何人かの選手はやはりバルサAチームデビューをすることができた。

イニ でも、実力があるだけじゃダメな世界なんだよね。運が大きく将来をわけてしまう世界だとも思う。自分の周りにいた多くの才能ある選手たちが、その後クラブを離れていくのを見ながらそう思った。

チャ もちろん運がないと将来は開けてこないけれど、それでも根性というか頑張りというか、そういうものも大事な世界であることには変わりがないと思う。例えば、11歳ぐらいの年齢で家族と離れてラ・マシアで生活しなければならなかったアンドレシンみたいに、外からやって来る少年たちは本当に大変だと思う。

イニ それはそうだけれど、自宅から通ってラ・マシアで練習生活をしている少年たちだって、多くのものを捨てたりあきらめたりしなければならないわけでしょ?チャビはいくつでバルサにやって来たの?13歳?やはり、普通の少年たちのような生活はいずれにしてもできなかったわけだ。休みなく義務づけられた練習が、普通の少年たちのような日常生活をおくることを不可能にしているのは、外から来た選手でも地元の選手でも同じことだと思う。

チャ 目標とした選手は誰だった?

イニ ペップとマリオ、そしてチャビ。

チャ 自分の場合はペップだった。でもこうしてみると、我々はラッキーな環境で育ったと思うんだ。常に同じポジションで目標や手本となる選手がいる環境で育っている。それはシステムが生んだ環境とも言えるよね。同じシステムというかフィロソフィーというか、そういうものがいつも同じクラブで育ってきたから、常に目標とする選手が存在することになる。

イニ でも、バルサのカンテラ組織もずいぶんと変わってきているの知ってる?ついこの間、インファンティルの試合を見ていたら、ほとんどが黒人選手だった。

チャ 知ってるさ。本当に黒人の選手が多いよね。自分のカンテラ時代には一人もいなかった。世界各国から優秀な選手が来ることはとても良いことだけれど、別な言い方をすれば、地元の少年だけではなくスペイン各地の少年にしても、ラ・マシアに入るには昔以上に難しい時代になったと思うんだ。

イニ そう、今思い出したけれど、獲得する少年の選択アイデアも変わってきているらしい。今はフィジカル面の強さを昔以上に考慮して入団チェックをしているとコーチが言っていた。

チャ それは確かに感じている。でも我々が目指すフットボールは“ボールタッチ”であり、“リズムの変化”であるわけで、フィジカル面だけを強調しては間違いだと思う。しかも、フィジカル面の強さというのは、身長だけの問題でないことも忘れちゃあいけないと思うんだ。例えば、アンドレシン、外面から感じる以上にフィジカル的に強いものがある。

イニ でも、自分はビエイラにはなれない(笑)。

チャ そう、確かにビエイラではないさ。でもああいうフィジカルの塊みたいな選手が襲ってきても、ボールを守ることを知っている。身体でボールと相手選手との間に壁を作り、彼らにボールを触らせることなく味方の選手にパスをだすテクニックを持っているじゃないか。しかも瞬間のスピードも持っている。ボールを持って走るかと思えば突如として止まり、止まったかと思うとマークしている選手が気がついたときにはもう前の場所にはいない。これは凄いことだぞ。

イニ でもそういうチャビだって違う能力を持っている。ボールを持ったらマークの選手が近づいてくるのを待つ。そして近づいてきたらカラコーレスで相手選手を煙にまいしてしまい、気がつけばもう他の場所でボールを転がしている。持って生まれた才能と言ってしまえばそれまでだけれど、やはり練習の成果が生んだたまものだと思うんだ。

チャ 練習の大事さはね、長いあいだケガをして戻ってきてから、その必要性を更に感じているんだ。グランドに復帰してきて、そのことにすぐに気がついた。まったくリズムが戻っていない、周りが全然見えない、どこにパスをだして良いのかわからない、そうこうしているうちにボールをとられてしまう。復帰直後は情けないったらありゃしなかった(笑)。

イニ でももう負傷前のチャビに戻ってるじゃない。どういうチャビかというと、ラ・マシアのフィロソフィーをそのまま受け継いでプレーしているチャビさ。ボールタッチ、パス相手を探す、パスをだす、パスを受ける場所を探す、再びボールタッチ、そしてパス相手を探す。もうかつてのチャビに戻ってるよ。

チャ ラ・マシアといえば、アンドレシンはラ・マシアに入寮した瞬間から注目を浴びていた選手だったな。もうすでにラ・マシアのフィロソフィーを完璧に取得してしまったような選手だった。今でもペップが自分に言った言葉を覚えているさ。
「見たかあの少年?チャビは俺を引退させるかも知れないけれど、あいつは俺たち2人とも引退に追い込むかも知れんぞ。」

イニ でも、バルサAチームの練習に参加させてもらえはじめた最初の頃を考えると、今でも鳥肌がたつ思いさ。

チャ それはよくわかる。自分もそうだったからね。今までテレビでしか見たことのない凄い選手たちが、自分と同じ練習をしている。そして自分に問いかけるんだ。
「フィーゴのことをみんなルイスって呼んで練習しているけれど、自分みたいなガキは彼のことをなんて呼べばいいのだろう?ルイスさん?フィーゴさん?セニョール?(笑)」

イニ そうそう、本当にそうだよね(笑)。自分の場合はルイス・エンリケとペップだった。ルイスさん?エンリケさん?ペップさん?グアルディオーラさん?ボールを要求するときに何と呼んでいいかわからず、もう穴があったら入りたい気分だった。練習中にペップが近づいてきていろいろとアドバイスをしてくれた。
「ハイ,ハイ、ハイ!」
アドバイスしてくれる人の顔も見ることができず、下を向いてハイ、ハイ、ハイ、16歳の少年にはこれが精一杯だった。でも思うんだけれど、最近下から上がってきた選手たちはもっと大人だよね。

チャ それは自分も感じている。たぶんジェネレーションの違いってやつじゃないか。この変化は良い面もあるし、悪い面もあると思う。環境にとけ込むのが早いというのが良い面だとすれば、悪い面はすでにトップチームで活躍している先輩選手を尊敬する気持ちが少なくなっていることだよ。謙虚さが感じられなくなったと言ってもいいかも知れない。すでに髪の毛を染めたりしているカンテラ選手などを見ると、ラ・マシアの教育も昔のような厳しさが足らなくなったんじゃないかとも思うことがある。

イニ それは僕に言っているの?

チャ まさか!アンドレシンは今のままでじゅうぶんさ。そして個人的にはいつまでもいまのようであって欲しいと思う。17歳や18歳の選手が髪の毛を染めていたり、10個や20個ものペンダントをつけているのが理解できないだけさ。俺たちはバルサの選手であり、そしてフットボールの選手であり、目立つのはグランドの中だけで良いんだ。

イニ 自分もそう思う。

チャ 自分はこういう考えのもとで教育を受けてきたし、自分でもそれが正しいと思って今日まで生きてきている。選手同士の尊重感というのはこういう些細なことで生まれてくるし、そういう意味で言えばアンドレシンはまさに手本となる選手だよ。しかももうあんたはチームにとって重要で欠かせない選手の一人と成長してきている。チームが必要とするときは決して隠れることなく持っているすべてのものをだそうとすることは重要なことさ。

イニ それにしてもと不思議に思うのは、自分とチャビは共有できない選手だと思っている人がいることだよね。まったく信じられないことさ。今まで何試合も一緒にプレーしているし、それでもそういうことを言う人がいる。それを聞く度に気分が重くなるんだ。特にチャビがリハビリをしている最中にそういうことを言うメディアが登場したときは、本当に気分が重くなった。自分もリハビリの経験があるからわかるけれど、練習もできない、もちろん好きなフットボールもできないという苦しい時って言うのは、普段以上にメディアの声が伝わってくるんだよね。まるで、自分とチャビにケンカをして欲しいみたいな雰囲気でメディアが騒ぐのは、本当にバカげたことだと思う。これまで自分を最も助けてきてくれた人なんだから。

チャ おまえは良いヤツだな。もっとも、ペップが誰よりも自分の面倒を見てくれたように、俺が次の世代の面倒を見るのは当然のことさ。アンドレシンだって次にやって来る世代の手助けをすることは間違いないよ。いずれにしても、そういうことを言う人はフットボールをわかっていないんだよ、アンドレシン。あんたが活躍し始めた今では、チャビの出番はすでにないという人までいることを知っている。つまりイニエスタがプレーすれば、チャビは必要なし、あるいはチャビが活躍すればイニエスタは必要なし、そういう短絡的なアイデアを持っている。

イニ 本当にバカな話だよね。

チャ 我々をまったく同じタイプの選手、つまりクローン選手だと思っている人が言うことなんだと思う。実際は、お互いに助け合いながらプレーすることで更に効果的な試合運びが可能となることを見逃しているんだ。個人的にはアンドレシンと一緒にプレーしていると非常に楽しい。でも、俺たちに何らかの罪があるとすれば、それは2人ともカンテラ育ちだからなんだ。

イニ それはよくわかる。例えば、プジョーとマルケスが2人ともカタラン人でカンテラ育ちだとしたら、彼らにも共存不可能というラベルが貼られていたと思う。

チャ 外から来た選手はクラブ内から育ってきた選手より高く評価されるのがこれまでの歴史。もちろんその傾向はバルサだけじゃないけれどね。なぜデコに対しては議論がされないのか、それは彼は外から来た選手だからじゃないか?

イニ そういうことは言わない方がいいよ。

チャ そうだ、そうだ、余計なことを言っちまった(笑)。明日の新聞の見出しを作るようなもんだ。
“バルサにデコは必要ないとチャビの発言”
もしかしたら、デコはバルサにやって来た外国人選手の中でも最も優秀な人かも知れないし。

イニ もしかしたら?それは違うよ。間違いなく最高の選手だと思うよ。彼はまるで精巧に作られたマシーンみたいな選手だよ


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