2006年
12月
2007年

♪オッレレ オッララ セルデバルサエス エルミジョキア♪
♪オッレレ オッララ セルデバルサエス エルミジョキア♪
♪オッレレ オッララ セルデバルサエス エルミジョキア♪

バルセロニスタにとって最高の年となった2006年も残るところわずか。これからやって来る年がさらに良い年となりますようにVaaaaamos !!!

Feliz Navidad a todos
y
prospero an~o nuevo!

楽しいクリスマスと良いお年を!

1月4日に復帰予定です。


明日に向かってバモス!
(06/12/21)

例え、痛々しい敗戦を喰らったあとでもあっても、2006年のバルサはその長いクラブの歴史にあって、最も高く評価される年の一つであったことには変わりがない。2年連続リーグ優勝を達成しただけではなく、クラブにとっても2回目となるチャンピオンズのカップを手に入れている。3回の決勝戦、チャンピオンズ、スーペル・コパ・デ・エウロッパ、そしてムンディアリート、この3つの中で最も重要で価値ある決勝戦に勝利することができた。2回の決勝戦に敗れたとはいえ、リーグ戦とチャンピオンズ決勝戦に勝利したバルサにとって、クラブ史上最高の年であったことに変わりはない。

ドリームチームがいまだにバルセロニスタの間で懐かしまれるのは、多くの楽しい思い出と共に、悔しさいっぱいの多くの悲惨な思い出を残してくれたからだろう。それも脳裏の中ではなく身体の中に残している思い出。ライカーバルサも幸か不幸か、いくつかのクヤジイ思いをバルセロニスタに与えてくれている。胸がスカッとする勝利を味わうこともあれば、頭を低くして言葉も出ない敗北を経験することもある。難しいと思われた試合をいとも簡単に勝利することもあれば、なんてことはない試合に敗北することもある。光り輝くスペクタクルな90分を観戦することもあれば、間の抜けた時間を提供してくれることもある。完璧なチームは存在しない。

大事な試合での敗北を経験することは、高く、そして頑丈なハードルにつまずいてしまうことに似ている。いつも。目的地に向かう途中でのつまずきは必ずやって来る。だが、走り続けることを願うのであれば、そして完璧なチームに近づこうとするを願うのであれば、すぐにでも立ち上がらなければならない。そう、大事なことは、倒れたら起きあがること、それだけだ。

誰も到達することが不可能な完璧への道。だが、それに近づこうとすることは可能だ。道のりは果てしなく長く、しかも一つのチームのサイクルはあまりにも短い。そしていま、ライカーバルサの歩みはセンターライン付近に向かおうとしている段階。まだ、3年、あるいは4年はこの輝かしいサイクルが続く。これまでの成功はほんの食前酒に過ぎないとすれば、これからの歩みがライカーバルサの輝かしい歴史を作ることになる、と思いたい。

そして、多くの楽しい思い出と悔しい思い出を残してくれた2006年の最終戦がやって来る。ここのところ苦手なチームとなっているトーレス御一行との試合。起きあがってすぐに倒れてしまうのはみっともない。ここは立ち上がりざま相手を吹っ飛ばして走り抜けてしまおう。明日に向かってバモス、バモス、バモス!バルサ!


ヨハン・クライフのご意見
(06/12/20)

「サン・パウロのすべての選手がモチベーション高くプレーしているのに比べ、やる気があるのかを疑いたくなるような何人かの選手が我々のチームにいた。これでは勝てるわけがない。」
1992年、コパ・インテルコンティネンタル敗戦後のクライフの選手批判。そしてあれから14年後、当時のサン・パウロという優秀なチームとは比較することもできないポルト・アレグレに敗戦するバルサ。
「この敗北の最大の責任は私にある。」
試合後そう語っているフラン・ライカー監督。これまでの彼がそうであったように、この試合でも決して選手批判はしない。

さて、現在ではゴルフ三昧の日々をおくっているクライフが決勝戦翌日の月曜日にさっそくご意見を申されておる。結果がわかってからの調子言いコメントとするか、さすが天才クライフとするか、それは各自好きなようにするべし。いずれにしても、彼ではの興味深い部分があることだけは確かだ。

ポルト・アレグレが優勝したことを意外なことと思うかって?いや、私にしてみれば、もしバルサがカップを手に入れていたとしたら、それこそ驚きだっただろうと思う。なぜならこの大会は中南米チームが圧倒的に有利となっているからだ。中南米クラブがこのカップに与えている権威の高さ、チームを構成する選手たちのモチベーションの高さ、そして準備期間の豊富さ、これらの相違が如実にあわられる大会だからだ。それでも、これらのハンディーを別として、もし本当に世界一のクラブを決定する主旨に近づこうとするなら、昔の方式、つまりホーム・アンド・アウエー方式に戻すしかないだろう。

アメリカやブラジルのクラブがいつ日本にやって来たのか、私は具体的には知らない。だが、例年そうであるように、彼らはヨーロッパのクラブよりかなり早く到着してきているに違いない。したがって、時差からくる問題は彼らの方が少ないのが通常だ。それでも時差問題を抱えていたバルサは準決勝戦でメキシコクラブを破っている。だが、試合展開が彼らを優位にさせたことを忘れてはいけない。早い時間での先制点が、バルサの選手を少なくても時差問題からは開放させてくれたのだろう。試合展開がバルサに優位に働いた典型的な試合だった。

ヨーロッパのクラブも早めに日本に来れば良いと考える人もいるだろう。だが、それはスケジュール的に不可能な相談だ。予定されているリーグ戦を2試合も延期できるほど楽なスケジュールとはなっていない。

アルゼンチンのチームやブラジルチーム相手の決戦は常にやっかいな試合となる。モチベーションの高さなどとは別に、激しいプレースタイルを持って戦う彼らだから難しい試合となる。それでもポルト・アレグレとの決勝戦では、多くのマイナス面を抱えるバルサでありながら、決して彼らより劣っていたわけではない。それどころか、試合を支配していたのはバルサであったし、シュート数も相手チームより多かった。だがボールのスピードと共に、彼ら選手たちのスピードも満足いくものでなかったことも確かだ。いろいろなマイナス面からくるほんの数センチの足りなさ、例えば、普段どおりにボールを蹴っても数センチ短く目的地に届いたり、あるいはボールに追いつくのも普段より数センチ足りなかったりする。ファンには気がつかないようなそのようなちょっとした現象が、試合そのものを決めてしまうことが多々あるものだ。

それにしても、バルサが戦わなければならなかったこの大会を含めて、今シーズンの試合数の多さには驚くべきものがある。もちろん否定的な驚きだ。まだシーズンが開始されてから4か月だというのに、バルサは他のチームに比べ5試合は多く試合をこなしてきている。ホーム・アンド・アウエー方式のスーペル・コパ・デ・エスパーニャ、一発方式のスーペル・コパ・デ・エウロッパ、そして2試合のムンディアリート。しかもコパ・デ・ムンドの年であったこともあり、ほとんどの代表選手がまともなプレステージをおこなえないまま今日に至っている。このツケがまだ来ていないとしたら、来月、あるいは再来月、いつの日か来たとしても不思議ではない。

だが、本当に厳しいスケジュールはこれからやって来る。例えば1月、7日から試合がスタートし31日までに毎週2試合が予定されている。延期されているベティス戦を含めてリーグ戦5試合、国王杯が3試合、つまり24日間で8試合を戦うことになる。2月が楽になると言うわけでもない。代表戦、チャンピオンズ、国王杯、そしてリーグ戦。週に2試合ないのはわずか1週だけとなっている。選手たちが万全の体調でプレーし、スペクタクルな試合展開を見たいと望むのがファン、だが彼らの希望は叶えられない。イングランドのように国王杯を一発勝負方式とし、一部リーグ所属クラブを少なくても18チームまでにしない限り、スピード豊かで選手たちがいきいきとプレーする試合を、毎試合期待することは不可能なことだ。

精神的にも肉体的にも疲労がたまっている彼らは月曜日の午後にバルセロナに到着している。火曜日、水曜日と二日間の練習をすませて木曜日には再び試合が待っている。しかも、対戦するのはここのところ苦手な相手となっているAt.マドリ。こういう試合こそ、ブレーメン戦とは違う意味で、12番目の選手が必要となる。そう、バルセロニスタがカンプノウを埋め尽くさなければならない試合だ。

Johan Cruyff
La Vanguardia
18/12/2006


一週間の違い
(06/12/19)

レアル・ソシエダ戦のあった日は完璧な週末の一日。16時30分から始まったハンドボール・チャンピオンズの試合、久しぶりに行ったパラウ・ブラウグラーナは、ほぼ6千人のバルセロニスタで埋まり試合前からフィエスタの雰囲気。カンプノウの知り合いの警備員と一緒に観戦したこの試合、バルサが見事に勝利し次のラウンドへ。そして警備員は仕事でカンプノウ、東洋人は橋を渡ってミニエスタディへ。ここではタラゴナに住みナスティックのインチャとなりながらバルサカンテラ好きの東洋人と一緒に観戦。そしてこの試合でも見事バルサBは勝利。それも試合終了ギリギリの時間でボージャンのゴラッソを目の前で拝見。バールで興奮を冷まし、チョット疲労気味なれどトコトコとカンプノウへ。つまらん試合ながらバルサ無事に勝利。バルサ漬けのハードスケジュールをこなし帰宅してテレビを見れば、あらあら、マドリが負ける試合を目撃。これを完璧な週末の一日と言わず何と言う。

そしてそれから一週間たち、今度は最悪の週末の一日がやって来る。前回見たトヨタカップは14年前の平日、それも早朝というか深夜というか、04時試合開始のバルサ・サンパウロ戦。でも今回は11時台の試合だから、まあ、コーヒーを飲みながらのらくちんテレビ観戦。今度は勝てるだろうと思っていたら、何のことはない、気がつけば敗戦の巻き。気を取り直そうと、次はバルサBの年内最終戦に期待。午後から始まったバルサBの試合は前回と同じように試合終了間際で勝負が決まったが、違いはバルサBが最後の最後で負けてしまったこと。そしてラジオをつければレクレアティーボにセビージャが勝利している。最悪の週末を完成させるようにレアル・マドリも勝利。こうして情けな〜い週末が終わったのでありました。

ポルト・アレグレ戦。水っけがまるでないような芝に、とてつもなくゆっくりとボールが転がる。バルサの選手もむこうの選手もそのボールと同じようにゆっくりと動く。普通に、いつもどおりに、スムーズに物事が運べば、バルサが間違いなく勝利できる相手。それでも一つのチームとしてまとまっているのが魅力のポルト・アレグレ。ボールは遅い、動きは悪い、火花を散らすようなファイトも見られない、パスはつながらない、そして一対一の勝負に勝てない、これでは試合そのものにも勝てなくてもしょうがない。

何もかもうまくいかない週末があるように、何やっても思うように物事が運ばない試合もある。だから、レイダやヌマンシアやオビエドなどがカンプノウでバルサに勝ってしまうことがある。将棋や碁は強い方が勝つようになっているが、フットボールは必ずしもそうとは限らない。まあ、しょうがない。インチャがインチャとして長生きする秘訣は、できるだけ早く忘れることができる能力を身につけることにあり。アスタ・プロント、トヨタカップ!


バルセロニスタ
(06/12/17)

ときどきのぞきにいく20ほどのバルサファンブロッグがある。メキシコチームの試合の翌日に何気なく見に行くと、試合内容の素晴らしさに関するコメントもさることながら、日本のファンに関するコメントがたくさんあった。メディアやテレビ画面を通して“日本人バルセロニスタ”を知りつつある彼らのいろいろなコメントはなかなか興味深い。

「地球のアチラ側に遠征に行ったバルサであるにもかかわらず、練習を見に駆けつけた多くの日本人バルセロニスタが、イムノを歌い選手たちを励ましている風景を見て、とっても感動しています。カンプノウでも滅多に見られない風景なのに、よくぞやってくれたという思いです。バルサがカタルーニャの人々だけのものではなく、世界中のバルサを愛する人々のものだということは、何物にも代えられない価値あることです。」

「日本の人々がバルサのマフラーを身につけ、イムノを歌い、そしてバルサの旗を振る風景を見て、大いなる喜びと誇りを感じました。彼らにありがとうと言いたい。」

というような素直な驚きと感謝の念を込めたコメントもあれば、チョット違うニュアンスをもった書き込みも発見。例えば次のようなもの。

「アジアの人々はクラブを応援するファンではなく、個人の選手を応援するファンだと聞いていましたが、クルブ・アメリカとの試合を見てその感を強くしました。もしロナルディーニョというスター選手がブレーメンに移籍すれば、ブレーメンファンになるのではないか、そういう感じがしました。アジアの多くの人々がマドリファンではなくベッカムファンであり、そしてバルサファンというよりはロナルディーニョファンなのではないでしょうか。」

この意見、つまりアジアのフットボールファンはクラブを追っかけると言うよりは、個人のスター選手に魅せられる傾向がある、というのは昔から言われていたオーソドックスなもの。そしてその意見が一理あることは確かながら、そうでないことも確か。ファン傾向をひとまとめにして“これだ!”とするのはかなり危険な作業だ。一昔前のファン傾向で言うなら、この人の意見は当たりとなるかも知れないが、時代が変わればファン傾向でさえ変わる。

例えば、知り合いのスペイン人に日本のイメージを語らせれば、必ずと言っていいほど芸者、マンガ、ラッシュが出てくる。そして日本のスペインに関するガイドブックを開くと、闘牛とフラメンコが間違いなく出現する。でも、それは当たっているようで当たっていない。例えば、バルセロナ。この街での闘牛は来年の夏をもって最後のシーズンとなり、再来年から闘牛場が閉鎖となるように(一つは動物愛護運動が強いところであること、もう一つは市民はもちろん観光客間でもそれほど人気がなくなり、経済的な問題で継続不可能となったこと、この二つが主な原因。)観光客の持っていたイメージをぶっ壊すような現実もある。スペインの一つの町から闘牛が消えるなんて、ガイドブック編集者もビックリだ。だが時代の変化と共に多くのことが変わっていく。100年以上工事現場となっているサグラダ・ファミリアだって20年以内にはコンクリート教会となって完成してしまう時代だ。

ロナルディーニョは特別な存在だから、彼に首ったけの熱烈なファンが、彼の移籍先のクラブに心を移したとしてもそれほど不思議な気はしない。それでも同時に、このお粗末なHP(ライカー作戦)に顔をだしてくれている、ガスパー暗黒時代を通過してきた昔からのバルセロニスタが、ロナルディーニョの引っ越しと共に引っ越ししていくということは想像しにくい。

しかも、この意見を載せた人はいくつかの風景を見逃している。テレビ画面にはチャビやプジョー、そして何とクロッサスに対する応援の垂れ幕までうつっていた。光り輝くクラック選手とは少し違う味のある選手たちに対するマニアックな応援。一昔前にはもちろん考えられない風景だ。先のことは誰にもわからないとはいえ、こういう人たちがお気に入り選手たちと一緒に移籍クラブに行ってしまうとも想像しにくい。確かなことは、すでに現役引退しているガッツのユニをいまだに着てメラメラと雄叫びを上げながら試合を見に行っている誰かさんなんかは、こりゃもう、バルセロニスタから一生足を抜けないな。

バモス、バルサ!かっこよく優勝だ!


遠くまで行くんだ
(06/12/16)

リーグ戦1位のチームだけではなく、同じ国から何チームも出場できるようになった“チャンピオンズ”システムとなってから2年連続優勝したクラブは存在しない。かつてコパ・デ・エウロッパという名前で呼ばれていた時代にミランが1989年、1990年と2回続けて優勝したのが最後だ。したがって、少なくとも統計的に見るならば、バルサの優勝はとてつもなく困難なこととなる。来年の春には昨シーズン以上の強さが期待できるとはいえ、180分の試合で勝負をつけるには運も大きく左右してくる。昨シーズン以上の幸運が訪れなければ2連覇という偉業はとてつもなく不可能だ。

というのは作戦。その名もライカーバルサ作戦。ひたすら控えめの姿勢で対戦する強豪クラブに尊敬の念を払うふりをし、“いえいえ、私たちたちは優勝候補ではありませんよ”と謙虚に相手を讃え、勝ったときにも“いや〜、ラッキーでした!”とタヌキ作戦を通し抜き、ひたすら目立たないように、可能な限り遠くまで行ってしまおう。本格的に冬に入った今から暖かい5月は時間的にも遠い。アテネは地理的にもバルセロナからは遠い。それでも遠くまで行くんだ。

次のチャンピオンズの対戦相手となる可能性のあった6つのクラブ。リバプール、アーセナル、ミラン、バイエルン、リヨン、そしてマンチェスター。現ヨーロッパチャンピオンであり、2月ともなれば昨シーズンかそれ以上の調子がでてくるであろうバルサだから、本当のところはどこも恐れる必要はなく、どのチームが来ても問題はない、というのが個人的な楽観的発想。したがって、どのチームを見たいか、そういう発想で抽選前に対戦相手を見てみた。

●リバプール
この相手との試合を何回見たか覚えてないが、いつも0−0というようなチョボイ印象が残っている試合内容。いわゆる“亀さん”的な印象だが、今はどういう戦い方をするのだろう。レイナ、ルイス・ガルシアのプレーぶりを見れるのが良い。

●アーセナル
カンプノウで 試合を見た覚えはあるが、どんな内容だったかは記憶になし。アンリに対してぶちかませられるブーイングがあることは確かだが、果たしてセスクにはどういう反応を見せるのだろう。

●ミラン
じゅうぶん勝てそうな相手ではあるものの、もうあまり見たくない対戦相手。はっきりいって新鮮味がないし、もう飽きた。しかもイタリアのチームはどこであれ、あまり対戦したくない気がする。

●バイエルン
このチームに勝ったのを見たことがない。なかなか面白そうな試合になりそうな予感がするが、ドイツのブレーメンをもう相手にしてるので新鮮味がないかも知れない。バン・ボメルもそれほど見たいとは思わない。

●リヨン
このチームには確か以前グループ戦かなんかで対戦して勝利しているはず。フットボールをしてくるチームだろうから、面白い試合内容が期待できる対戦相手。カンプノウが最初の試合となるから、ここで勝負をつけられるかも。

●マンチェスター
ロマリオがいた時代に黒いユニフォームを着てやって来たマンチェスターの印象は今でも記憶に残っている。ギックスやスコールなどという選手はまだ残っているようだが、ルニーさんやロナルドさんは初見参。おっと、ラルソンもいるでよ。

そして抽選の結果、くじ運が悪かった子羊ちゃんチームはリバプール。抽選を実況していたイングランドフットボール評論家によれば、リバプールはアウエーでは滅法ダメチームとか。それならば、謙虚に控えめに5−0ぐらいで勝ってカンプノウで勝負を決めてしまおう。少し遠くに行けそうだぞ。


世界一
(06/12/14)

チャンピオンズに優勝したヨーロッパのクラブにとって、この大会は優勝祝賀会で渡されるプレゼントみたいなものだ。価値があるタイトルかどうかは別として、チャンピオンズに優勝したクラブのみに獲得チャンスが与えられるタイトルであり、しかも毎年のようにそのチャンスが訪れるわけでもない。優勝すればムンディアリート制覇、負ければトヨタ・カップ戦敗北と総括される不思議な大会でもある。

かつて、この大会がヨーロッパチャンピオンと南米チャンピオンだけで戦われていた時代、トヨタ・カップという名前とは別にコパ・インテルコンティネンタルとも呼ばれていた。だが、それを知ってか知らずか、セビージャのやり手会長デル・ニード(まだ逮捕されていない)がコパ・インテルコンティネンタルの復活をUEFAに提案し始めたのは、スーペルコパ・デ・エウロッパの試合でバルサに勝利した翌日からのことだ。

このやり手弁護士というか悪徳弁護士とというか、セビージャ会長デル・ニードの想像力はかなりのものだ。
「チャンピオンズ優勝チームとUEFA優勝チーム同士が一つのタイトルを争い、それに勝利した我々セビージャこそが本来の意味でのヨーロッパチャンピオン。したがってヨーロッパのチャンピオンと南米のチャンピオンとの間で競い合うタイトルがあってしかるべきではないか。かつてのコパ・インテルコンティネンタルを復活すべきだと思うし、それをUEFAに提案している最中だ。」
その想像豊かな提案に対し、金儲けのためなら意味のない大会であろうが何だろうが大歓迎のUEFAは、今のところスケジュール問題を理由に検討中としているらしい。

もっとも、世界一のクラブを決めるということ自体に少々無理がでてくるのは仕方がない。国王杯の優勝チーム同士で戦うレコパを復活し、この大会の優勝チームとUEFA優勝チームとチャンピオンズ優勝チームという3つのチームで総当たり戦でヨーロッパチャンピオンを決め、南米の方はと言えば、リベルタドーレス優勝チームと南米レコパ優勝チームで南米最優秀チームのタイトルを争い、そしてまたアジアでは、オセアニアでは、アフリカでは、中米では・・・、ああ、もうこりゃきりがない。

ちなみにデル・ニードは次のようなことまでくっちゃべっている。
「UEFAが主催するヨーロッパクラブのビッグタイトルは3つある。チャンピオンズ、UEFA,そしてスーペルコパ・デ・エウロッパ。バルサはこの3大タイトルのうち1つしか獲得していないが、我々は2つ獲得している。つまりUEFAが主催する大会の三分の二を我々が征したことになる。どちらがヨーロッパチャンピオンか、それは算数を教わった子供なら誰でもわかることだろう。」
こいつはとりあえず無視しておこう。

いずれにしてもこのムンディアリートはバルサにとって重要なタイトル。まるで二流チームばかりを集めたかつてのガンペル杯での対戦相手みたいな試合でありながら、バルサにとって重要なタイトルとなる。その理由は簡単、バルサオフィシャルページが持ち上げるように“夢のタイトル”なんていうことだからではなく、クラブにとって唯一欠けているタイトルだからだ。せっかくのチャンスなのだから、今回の大会で是が非でも初のタイトルを獲得してしまおう。何と言ってもこの大会はチャンピオンズ優勝プレゼントであり、そのプレゼントを次に手にするのは今後いつになるかはわからないし、そもそもこの大会そのものがいつまで長続きするかもわからないのだから。


プエルト作戦
(06/12/13)

今年の2月から5月にかけて、スペイン警察によって“スポーツ界におけるドーピング”に関する秘密捜査がおこなわれている。“プエルト作戦”と名付けられたこの秘密捜査が進められていくうちに、一人の重要人物に捜査の焦点が絞られる。エウフェミアーノ・フエンテス、いくつかの自転車ロードレースチームの専門ドクターを経験し、各種スポーツプロ選手の専門ドクターとして働いてきた人物。その彼の自宅捜査をおこなったところ、多量の血液が詰められていた100個のプラスチック袋が発見され、多くの医薬物も同時に見つかっている。スポーツ医学界では“ドクター・ドーピング”と陰口をたたかれていた彼が、警察当局に逮捕されたのは5月の末のことだ。

もともと陸上選手だった彼は、80年代の末にスポーツ医学の道に入っている。スタートは陸上選手を対象にしたドクターだったらしい。当時の彼の奥さんにして現役陸上選手だったクリスティーナ・ペレスの専門ドクターとなり、そして最初のドーピング問題をおこしている。クリスティーナ・ペレスが400mハードルのスペイン記録を作った時に、ドーピング検査にひっかかったのだ。その後、彼女も彼も無実を訴えながら、いつの間にかウヤムヤとなっていったらしい。だが、それでも彼の名はスポーツ医学界に知れられることになった。“ドクター・ドーピング”の誕生だ。

一つ一つの血液袋についていた暗号名と、その暗号名が列記されていた数冊のノートを調べていくうちに、多くの自転車ロードレーサーの名が明らかになっていく。だが、他のスポーツ、例えば陸上選手、テニス選手、水泳選手、ボクサー、そしてフットボール選手などの名がその後登場してきたようだが、警察は彼らの名を明らかにしていない。不思議なことに実名が発表されたのは58人の自転車選手だけであり、その他のスポーツ選手名は闇の中に消えていってしまった。そして12月現在、この58人の自転車選手たちは“証拠不十分”ということで自転車協会からも何の制裁もされていないし、逮捕されていた“ドクター・ドーピング”エウフェミアーノ・フエンテスは保釈中の身となっている。

バルサ、マドリ、バレンシア、ベティスの4つのクラブに関するドーピング疑惑、それが今回ル・モンド紙が掲載したすっぱ抜き的な記事だ。この記事を発表したのは、ツール・ド・フランスでのドーピング問題を追及していたステファン・マンダーというジャーナリスト。4つのクラブのドーピング問題を扱ったこの記事を簡単にまとめてしまうと次のようになっている。
“4つのクラブの各ドクターに対し、エウフェミアーノ・フエンテスはプレステージの段階からシーズンが終了するまで、各クラブが抱える選手別に体調維持のための医療処置のアドバイスをおこなっている。そしてこの医療処置アドバイスの中には明らかにドーピング問題にひっかかる内容が多種あったことがわかっている。”
とまあ、こんな感じだ。そしてこの調査の裏付けは“ドクター・ドーピング”の告白と、そしてA4版の何枚かの書類だとも語っている。

この記事が発表されたのは12月7日の木曜日のル・モンド紙朝刊。そしてその夜と翌日には当事者、つまり“ドクター・ドーピング”ことエウフェミアーノ・フエンテスとジャーナリストのステファン・マンダーにスペイン各紙、各テレビ局がインタビューをおこなっていた。

まず、“ドクター・ドーピング”はキッパリとこの事実を否定している。具体的なクラブの名も選手の名もこれまで口に出したことはないし、これからもだすことはないだろうというのが彼の発言。そしてジャーナリストのステファン・マンダーは、“ドクター・ドーピング”に対するインタビューの録音はしていないばかりか、証拠となる書類は内容を見ただけで手元にはないことを告白している。つまり物的証拠は一つも彼の手元にはないことになる。そして彼は語る。
「物証は私の書いた記事だ。いま4つのクラブがしなければならないことは、彼らの無実を具体的に証明することだ。」
法律にはまったく詳しくはないものの、それはチョイと違うんではないか。訴えた方こそ訴訟内容を証明する具体的な証拠を提出し“犯罪”事実を追求するべきであり、決してその逆ではないのが世の常識というものではないか?被疑者が己の無実を証明するのはそれからの話だ。

いずれにしても今回の訴えは、個人の選手に対するものではなく、4つのクラブ総体に対するものというのが特徴となっている。実際のところ、選手個人のドーピングは綺麗事を抜きにしてあってもおかしくないと思う。だが、4つのクラブをひとまとめにしての総ドーピングとなると、相当の想像力が必要となってくる。モッジという怪物がいたユベントスならまだしも、それぞれ各種専門の医師団を抱えているビッグチームに、それも4つのクラブに同じようにドーピング問題が発生するというのはだいぶ無理がある話だ。

ル・モンド紙は木曜日の記事から発展したものをこれまでいっさい発表していない。バルサやレアル・マドリはル・モンド紙に対し、訂正記事を掲載することを要求し、もし掲載しない場合は裁判所に訴えるつもりだという。バレンシアやベティスも当然ながら足並みをそろえることになるだろう。それでもこれまでの多くのドーピング問題がウヤムヤとなっていった過去を見る限り、この問題もそのうちウヤムヤと闇の中に消えていく可能性はありそうだ。

かつてバルサにいたパトリック・クルービーに対し、各種バラエティーに富んだ内容で各種バラエティーに富んだ訴えがメディアを通しておこなわれてきたが、その後彼が裁判で有罪となったという話を聞いたことがない。それでも彼に対してスキャンダラスな野郎というイメージが人々の中から消えないように、この4つのクラブに対するダメージも消えることはない。さて、今後どういう展開を見せますか・・・。

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バルサポルテロ
(06/12/11)

「バルサに入団してきてから意外に感じだ選手はいますか?」
グジョンセンにおこなわれた最近のインタビューの中にこのような質問があった。
「イングランドにいるときに、すでに何人かの選手がメディアを騒がせていたし、自分が直接対決した試合などでその素晴らしさを実感していた選手も何人かいた。例えば、ロナルディーニョとか、デコ、メッシー、エトー、チャビなどという選手。だが、ここに来てメディアにそれほど注目されない二人の選手の素晴らしさにビックリした。一人はバルデス、そしてもう一人はイニエスタ。バルデスはポルテロとしての必要な要素をすべて備えている選手。フィジカル的にも強いし、スピード、反射神経、インテリジェンス、そして何よりも強いキャラクターを兼ね備えている。そして信じられないテクニックを持つイニエスタ。リズムの変化のつけようといい、視野の広さといい、セントロカンピスタとしては五本指に入る選手だと思う。」

だがこの2人ともUEFAが選ぶ2006年各ポジション最優秀選手のリストに入っていない。前回のチャンピオンズでの一連の戦いを通して、最優秀ポルテロに選出されて当然のバルデスの名がない。そう、なぜかポルテロ部門にビクトル・バルデスは選ばれていない。そして、残念なことに、バルセロニスタの間で絶大の人気があるかというと、それも怪しい選手となる。これほど活躍しているポルテロでありながら、残念ながらバルサのポルテロはそれほどアイドル選手とはならない。攻撃的なスタイルをモットーとするチームの中で、ポルテロの存在は過小評価される、そう、バルサは歴史的にそういうチーム。

ウルッティはバルサのポルテロとして、唯一と言っていいぐらいファンから絶大な人気のあったポルテロだ。何と言っても、11年ぶりのリーグ優勝をとげた瞬間のヒーローとなったポルテロでもある(バルサ百年史 参照)。だが、彼のあとにやってきたスビサレッタに人気があったかというと答えはノーだ。我らがアイドル・ウルッティを控えに回したポルテロとして、最初のシーズンは何試合かブーイングを受けていたのをカンプノウで目撃している。そして300試合以上の出場回数を誇る歴史に残るポルテロであったにもかかわらず、彼がバルサに在籍した期間に大いなる人気があったわけでもない。

1992年5月。ウエンブリーでのコパ・デ・エウロッパ決勝戦。スビサレッタは相手チームの決定的なゴールチャンスを、まさに“神の手によって”と呼んでもおかしくないぐらいに奇跡的に防いだ。それでもヒーローはゴールを決めたクーマンとなるのは仕方がない。スビサレッタが語る。
「審判の笛が吹かれ試合が終了した瞬間、クーマンが走って近づいてきた。唯一のゴールを決めて、ウエンブリーのヒーローとなったクーマンがこう言うんだ。『ありがとう、スビ!我々は失点をゼロとすることで優勝できたんだ。ありがとう!』自分にはこの言葉だけでじゅうぶんだった。」

2006年5月。負傷を隠して出場したチャンピオンズ決勝戦で、バルデスは試合開始早々2回のアンリのシュートを防いでいる。0−1というスコアとなっていた後半にもアンリとの一対一の勝負に勝利している。この試合の前にもチェルシー戦ではロベンの2回のゴールチャンスを防いでいるし、ドログバとの勝負に勝利している。だが、例え決定的なゴールチャンスを防いでも、それはポルテロとしての当然の仕事であり、数少ないミスによる失点だけがファンの脳裏に残ってしまう。ロナルディーニョやエトーなどのデランテロ選手が決定的なゴールチャンスを決められなくてもそれほど批判の対象とはならないのに比べ、ポルテロのはそういう恩恵は受けられない。それがポルテロというポジションの宿命であり、バルサのポルテロとなればなおさらだ。
バルデスが語る。
「あの試合後に特別な賞賛を受けた覚えはないけれど、ライカーがメチャクチャ褒めてくれた。それだけでじゅうぶんさ。」
昨日のレアル・ソシエダ戦で大活躍したバルデスに、ベレッティ、ロナルディーニョたちが試合後すぐに近づいていき抱擁していた。非常に珍しいシーンだった。

バルデスインチャがいないわけではない。南側、北側を問わず、ゴール裏に陣取るファンからは試合開始前と後半開始直後にバルデスコールが起こる。ポルテロに最も近い場所にいる彼らたちはバルデスの活躍を高く評価している数少ないファンたちだ。


実は、一日中笑っているだけではない
(06/12/09)

バルサというクラブにとって、そしてもちろんバルサというチームにとって、ロナルディーニョという選手の存在の大きさを今さら語る必要はない。苦虫をかみつぶしたような表情によって象徴されたガスパー時代に終止符を打ち、ファンやメディアの前だけではなく、グランドの中でも常に笑顔を絶やさずプレーする彼の存在そのものが、現在のバルサの好調さを象徴している。いわゆるクラック選手として試合の結果をだすだけではなく、チームそのものの雰囲気を明るく照らしだすムードメーカ的な存在でもある。

一人の人間としてのロナルディーニョを象徴させるのも、やはり彼の笑顔だろう。街中で偶然すれ違った時も笑顔のロナルディーニョだった。だが、それでも、ベッドに入って眠りにつくときぐらいはその笑顔も消えるらしい。少しは物事を考える時間帯にしたいと思うロナルディーニョ。ブレーメン戦を前にした1週間、彼がベッドの中で毎日数分だけ考えたこと、それはブラジルの裁判所が下した“息子の養育費に毎月7500ユーロの支払いを命じる”という判決を控訴するかどうかということではなく、もちろんモッタとデコを連れてどこのディスコに行こうかということでもなく、そして翌日の練習をどの理由でさぼるかということでもなく、どうやってフリーキックを打とうか、身長2メーター近い大男が作る壁を越えてゴールポスト内にボールが行くようにするにはどうすればいいか、そういうことだったという。

ブレーメン戦、カンプノウには元テニス選手のボリス・ベッカーの顔が見られた。バイエルンインチャとして知られる彼だが、別にバルサの応援に来たわけではない。ドイツの有料テレビの試合解説者としてカンプノウにはせ参じて来ていた。その彼が試合後にロナルディーニョ独占インタビューに成功しているらしい。ドイツ有料テレビのカメラを前にしてロナルディーニョは次のように語っている。
「試合前の1週間、フリーキックのことばかりを考えて過ごしてきた。巨人選手たち作る壁を通り抜ける方法はどういうものか、そのことを考えてきたんだ。そして、上がダメなら下があるんじゃないかって気がついて、ちょっと練習してみた。その甲斐あってか、幸運にも練習どおりうまくいった。」

6人の巨人選手が作るブレーメン壁。アルメイダ198cm、クロセ182cm、ナルド198cm、ボロウスキー194cm、フリングス190cm、メルテサッケル196cm。両端にいたフリングスとボロウスキーをのぞいて、ジャンプする必要などまったくなかった4人の巨人選手が更に高い壁を作ろうとしてしまった。メルテサッケルがドイツの新聞で語っている。
「決してジャンプする必要などなかったんだ。2m近い選手が壁を作っているんだから我々の頭上を越えたボールは観客席に飛んで行ったに違いない。まるで素人みたいなことをしてしまった。」
後悔先に立たずの巻き。

ポルテロのビエッセも語る。
「このゴールは一生忘れない。死んでも忘れない。ブレーメンをやめて故郷のクラブに戻り、デランテロとしてプレーすることになる自分は、そのプレー中でもこのゴールを決して忘れることはないだろう。」
そう、一生覚えて起きなさい。ついでに、ゴールポストの右側に位置しすぎた自分のミスのことも覚えておきなさい。

チャンピオンズグループ戦の課題を合格点で切り抜け、次の目標であるムンディアリート制覇の前にソシエダ相手の試合が待っている。ここは気分よく飛行機の長旅を楽しむためにも、思いっきり快勝しちまおう。


ラルソン日記
(06/12/08)

“自分の予想が甘かったと言えばそれまでだが、こんなに出番が少ないとは思わなかった。確かにエトーという素晴らしい選手がいるチームだが、自分だってこれまでゴレアドールとして知られてきた選手。出場機会さえ多ければもっと活躍することができるのに、そのチャンスさえもらえない毎日。現役生活はどう見積もっても残り2、3年、そういう自分にとって大事なのは観客からのラルソンコールではなく、毎試合出場できる環境。女房や子供との約束もあるし、国に戻って最後の仕事をするのも悪くはないだろう。出場機会はもちろん今よりあるだろうし、プレッシャーのない環境で最後のプロ生活を楽しんでみよう。”

“自国に帰ってプレーしてみたものの、このレベルの低さは・・・。これだったらあと20年は現役生活を続けられそうだ。マスコミからインタビューを受けることもない毎日なので家族と一緒に過ごせる時間は増えたし、別に試合に負けたとしてもバルセロナにいた頃のような批判は受けないので楽と言えば楽だ。そんな平穏な生活をしているときにマンチェスターからのオファーがやって来た。エトーが長期負傷したと聞いていたので、バルサから短期オファーが来るかと期待していたが何の連絡も来ず。もしこのオファーを受ければ冬休みを利用して憧れのプレミアでのプレーもできることになる。わずかな期間だから家族も文句は言わないだろう。オファー額も今のクラブから頂いている年俸より多いときているし、何と言ってもまたフットボール界の第一線でプレーする楽しみができる。このオファーは受けるっきゃない!”

まあ、こんなところだろうと勝手に想像してみる。冬休みの期間を利用してのアルバイト、1月1日から3月12日までの約2か月半で150万ユーロ(月給になおせば60万ユーロ、約1億円!)というとてつもなく美味しいオファーだ。家族との約束ということを理由に、バルサからの契約延長オファーを断り自国に帰っていたラルソンに訪れたオファー。アルバイト料としてはこれ以上望めないものであるだろうが、やは、再び第一線でプレーできることの魅力が彼を動かしたのだろう。

“チキ・ベギリスタインやフラン・ライカーの延長契約の説得にも応ぜず、家族との約束を口実に自国に帰っていたラルソン。その彼がバルサを離れてからわずか半年しかたっていないにもかかわらず、プレミアリーグでプレーすることになった。果たして彼が語った“口実”とはいったい何だったのだろうか?それよりも何よりも、カンプノウでラルソンコールをした人々のことを何と考えているのだろうか?”
要約するとこんな感じとなるエスポーツ紙副編集長ルイス・マスカロというアホジャーナリストのコメント。そりゃあチョットひどいんじゃないかい。クラブの裏口からコソコソと出て行ったロナルドの場合とは異なるし、まして同じ裏口からツバを吐いて出て行きやがったペセテロの場合とは比較にもならないんだから。

こういう暴力的な批判を知ってか知らずか、ラルソンは自分のウエッブページで次のように語っている。
「バルサというクラブに在籍できたことを誇りに思っているし、バルセロニスタの暖かい応援に非常に感謝しているし、忘れることは一生ないだろう。もちろんセルティックに関しては今さら触れる必要もないと思う。ただ、今の自分にとって最も最適と思われる道を探すことは、これまで在籍したクラブに対する感謝の気持ちとは何の関係もないことだと信じている。自分が選択した道が誰かの迷惑となっていないことを祈るだけだ。」

いや、いや、ぜんぜん迷惑ではありません。一人のバルセロニスタから見れば、すでにクラブを離れた方でありますし、好きなようにやればよろしいかと思います。マンチェスターで成功するかどうか、そんなことには個人的にはあまり興味のないところですが、健康だけにはご留意してくださいませ。

さあ、いよいよグジョンセンの季節がやって来た。昨日あたりから突然のように冬の空気となってきたバルセロナ。暖冬のために溶けそうになっていたアイスマンが再びピシッと引き締まる本格的な冬がやって来た。頑張ってちょ、グジョンセン!


20分の試合
(06/12/07)

前半45分、後半45分という約束のフットボールの試合でありながら、この試合は20分で終わってしまっている。20分間の本気になっての仕事だけで勝負はついたが、フィエスタ気分は90分間継続した試合だった。

これまで何度も触れているように、バルサはプレステージをほとんどしていないチームだ。シーズンが開始されてからすでに4か月目に入ろうというのに、フィジカル面の問題がまだ残っているチーム。しかも相手はそのフィジカルを武器とするチームだけに、90分の“フィジカル全面戦争”では勝てるわけがない。思うに、この試合を90分間のプレーで評価するのは誤りであり、前半の20分、あるいは前半45分だけの勝負で評価すべきだろう。この試合でのバルサの目的は1点差であろうが何だろうが勝利すること、そしてその目的は前半で達成されてしまっている。残りの時間はライカーバルサが時々見せる、カルッチオ・デフェンサスタイルで良しとする試合だった。したがって、後半に入ってからのバルサの戦い方や、各選手の動きを批判するのは意味のないことだと思う。

少ない仕事を完璧にこなしたバルデス、右サイドを完璧に支配したサンブロッタ、これぞデフェンサセントラルという仕事を完璧にしたマルケス、クロセとの勝負に完璧に勝利したカピタン・プジョー、左サイドを一人で守る役目を完璧におこなったジオ、ディエゴを完璧に封殺したモッタ、攻撃的なリズムを完璧に作り上げたイニエスタ、チームの心臓としての任務を完璧にこなしたデコ、空いたスペースに完璧に切り込んだジュリー、トップというポジションを完璧に理解しつつあるグジョンセン、そして間違いなく完璧に世界一の選手であろうロナルディーニョ。バレーボール選手の作る壁の弱点を見事に見破ってのゴラッソ。

カンプノウのグランドは広い。他のスタディアムのそれに比べればとてつもなく広い。そして9万5千人で埋め尽くされる観客席。12番目の選手たちは、もちろん重要な試合だということを試合前から完璧に理解している。ラポルタが試合前日に、ソシオ・アボナード(年間席取得ソシオ)にいちいちメールを送ってカンプノウに来ることを要請しなくても、試合の重要性を感じているソシオは間違いなくやって来るのだ。慣れない広いグランドでプレーをするドイツチーム、そして彼らがボールを持った時にわき上がる壮大なブーイング、これほどやりにくい環境はないだろう。何はなくともカンプノウ、そのカンプノウでの“これは”という勝負に絶対的に強いバルサ。チャンピオンズの試合では17試合連続負け知らずというカンプノウの記録がその強さを証明している。

“我慢の季節”を乗り越え、2月に再びチャンピオンズの戦いが訪れる頃には、エトーはもちろんメッシーも戻ってきているかも知れない。だが、その前に今の選手だけで戦いきらなければならない重要な試合が残っている。バルサの掲げる今シーズン三大目標の一つであるムンディアリートの制覇。スエルテ!


フィエスタじゃ!
(06/12/05)

カンプノウでのブレーメン戦というのは、これまで2回見るチャンスがあった。90年代初頭、クライフバルサのヨーロッパ・スーペルコパでの試合、そして去年のチャンピオンズグループ戦での試合、前者が2−1(たぶん),後者が3−1(たぶん)という、どちらもバルサが勝利(これは間違いない)した試合だ。そして3回目となる今回の試合は以前のそれ以上に大事な試合であることは確かだし、年に何回かある“今世紀最大の試合”の一つでもある。水曜、金曜と祝日となっているため、人によっては5連休となる前日の火曜日におこなわれる試合、間違いなく9万観衆によって埋められるであろうカンプノウ。観客が文字通り12人目の選手となれる数少ない試合だ。

これまで多くの“観客が文字通り12人目の選手となる試合”を観戦してきている割には、忘れっぽいせいかどの試合がそうだったか具体的には覚えていない。毎シーズンのクラシコは別として、どのチームとの試合が特別に印象的だったかと言うと、残念ながらそれほど確かな記憶は残っていないものだ。それでも例えば、93−94シーズンのコパ・デ・ヨーロッパのディナモ・デ・キエフ戦。クライフバルサの中にあって三本指に入る試合内容だった。そして例えば、その翌シーズンのマンチェスター戦、4−0という快勝の試合。あるいは、99−00のチェルシー戦、リバルド本領発揮という数少ない試合の一つ。そしてリーグ戦ではやはり最終戦でリーグ優勝が決まるという3シーズン連続しての土俵際試合。3つとも強烈なインパクトを感じた試合だが、やはりセビージャを迎えての最終戦がとてつもなく心臓に悪い強烈なものだった。

93−94シーズンリーグ最終戦。首位デポルが2位のバルサに1ポイントの差をつけ、地元にバレンシアを迎えている。一方のバルサはやはり地元にセビージャを迎えての試合。デポルとバルサとの直接対決では得失点差でバルサが優っていたので、もし同ポイントとなればバルサの優勝が決まる。それでもデポルはバルサと同じ結果をだせば優勝となる最終試合。

前半を終了した段階でリアソールでは0−0の引き分け状態。カンプノウではセビージャが、あの憎っくきスーケルのゴールで1−2と勝利中。見ている方はまったく元気がでません。10万観衆の9割近くはラジオを聞きながらのカンプノウ試合観戦。そして後半に入りバルサは頑張る。気がついてみれば5−2というスコアーで勝利している。

一方のデポルは相変わらず0−0のまま。ところが、ところが、後半43分、カンプノウ観客席に、あのおしゃべり好きのラテン人が集まっているカンプノウに、まるで試合前の1分間の黙祷の時のような静寂がやって来る。だあ〜れも試合なんか見ていない。両耳のイヤホンに手を当て、頭を下げ沈黙を守っている。デポルがPKを得たのだ。蹴るのはジュキック、わずか1分程度の出来事であるにもかかわらず、まるで数時間のように思わせる緊張の瞬間。なかなかジュキックは打たない。打たない、打たない・・・。そしてカンプノウ10万観衆が爆発する。ジュキックがPKを外したのだ。

頭を下げたまま泣きじゃくっている人、隣に座っている知らない人と抱き合って大喜びしている人々、通路や階段を何か叫びながら走り回っている人々。10年分の盆と正月と誕生日が一緒にやって来たような瞬間。

ちなみにクライフバルサが本当に強かったのかどうか、それは疑問の残るところだ。3シーズンにわたって各シーズン首位にたったのが最終戦が終わってからというチームが本当に強いのかどうか、まあ、リーグ優勝したのだから強いと言えば強いのだろうけれど、本当に強ければ最終戦まで待たずに優勝を決めてしまうだろう。だが少なくても“劇的”なチームであり、スペクタクルなチームであったことだけは確かだ。

さて、ブレーメン戦にはこんな試合経過を望まない。1−0でバルサが勝利していて後半43分にブレーメンがPKをもらい、そしてそれをバルデスが止めるような試合経過はいらない。そういう心臓に悪い試合経過ではなく、試合開始1分にグディゴール、3分にロニーゴール、5分にイニエスタゴール、そしてついでにデコやオラゲールまでゴールを決めちゃうという、楽勝試合展開がヨロシイ。こんなグループ戦の段階で、劇的な試合なんぞは無用。そういうのはもっとあとの方の試合にしよう。楽に勝てる試合、子供から老人までワイワイと90分間一緒に楽しめるお祭り試合、そんなフィエスタ試合をひとつ、よろしく〜。

超平凡で俗っぽいスタメン予想。


オラゲールは不死身です
(06/12/02)

オラゲールという選手に対して批判の声が上がるとすれば、それはいつも次のようなものだ。
“テクニック的にあれほどお粗末な選手が、なにゆえバルサというチームでプレーしているのか?”
そう、テクニックとしては確かにお粗末な選手だ。それでも彼がバルサAチームにデビューしてから5シーズン目を迎えている。そしてここ2シーズンはライカー監督によって出場チャンスが最も多かった選手の一人でもあり、すでに出場トータル数100試合を超えている選手でもある。多くの優秀な選手が揃っているバルサというチームでこれほど出場数が多かったということは、やはり他の選手よりも何か抜きんでたものを持っているからに違いない。ラポルタの親戚やご近所の方や彼の友人たちなど、多くのコネ持ち人間がクラブ職員やバルサ財団関係者となっているのとは違い、オラゲールはライカーのコネでバルサA選手登録を勝ち取った選手ではない。それに相応しい選手であったかっらこそ、今のオラゲールがいる。

彼がまだバルサB選手時代、同じセントラルのポジションにトルトレロという将来を期待された選手がいた。バルサAチーム昇格するのはそのトルトレロの方が有望だろうという推測がされていた選手であり、バルサBのカピタンを務めていた選手だ。その彼にもし長期負傷という不幸が訪れなければ、現在のオラゲールはなかったかも知れない。だが、いずれにしても理由がどうであれ、彼にチャンスが回ってきた。そしてそのチャンスをものにしたということは、やはり彼にそれだけの素質があったということだ。彼の持ち味はもちろんそのお粗末なテクニックにあるわけではない。限りない集中力とインテリジェンス、そして何よりも己のテクニックの限界を見極めているところだろう。

デフェンサラインを高くしているライカーシステムだが、彼の不注意によってオフサイドラインを破られた記憶はない。彼の決定的なパスミスで攻めこまれることになったシーンはまったくないとは言えないだろうが、記憶に残るほど多いものでもない。また彼のボール処理ミスで危険なシーンを迎えたということも記憶にない。己のテクニックの限界を知っているからこそ、無理なパスや危険なボール処理をしない。したがって、とてつもなく退屈ながら、それでも安全100%な選手なのだ。そして、バルサAチーム登録選手の中で最も年俸が低い選手ながら、最も高い集中力で試合にのぞむ選手でもある。

バルサから片足踏み出していたベレッティがあのゴールで神話ベレッティとなり残留、さらにサンブロッタとトゥランという大物選手がやって来た影響で、試合出場がほとんどなくなる今シーズンとなった。神話ベレッティは度重なる負傷に倒れ、大物選手たちはバルサの水に慣れるのに時間がかかっていたにもかかわらず、彼の出番はなかなかやって来なかった。それでも不平不満ひとつ言ったことを聞かない。

昨シーズンは絶対スタメン選手の一人だったのに、今シーズンは突如として“控えの控え選手”となった立場をどう理解するかという質問を受けて、インテリジェンスあふれるオラゲールは次のように答えていた。
「誰でもがそうであるように、試合に出場するチャンスが少ないことはフラストレーションがたまるものだ。何よりも精神的にきついものがある。だが、この新しい状況は新たな壁を越える試練だとも思っている。冷静に状況を受け止め、この否定的な現状を突破するために何をしなければならないか、そう考えれば答えは一つしかない。練習、練習、練習、それ以外この壁を越える方法はあり得ない。不満をメディアに訴えることで試合出場のチャンスを得ようとするのは自分のやり方ではないし、そもそも試合出場している選手に対して失礼にあたることだと思っている。我々は23人の優れた選手たちによって構成されているチーム。すべての選手の個人的な希望を満たすことは不可能だ。個人のことよりチームのことを優先するのが本当のプロ選手だと思っているし、自分はより本当のプロ選手になりたいと思っている。そういう意味で言えば、今シーズンの仕事には今のところ満足していると言える。リーグ戦でも首位を走っているのが、チームそのものがうまく機能していることを証明している。そして自分が今しなければならないことは、監督を納得させることだということも知っている。話し合って納得させるのではなく、毎日の練習を通じて納得させること、これしかない。そして以前のように出場するチャンスも増えてくるだろうという希望は消えることはない。なぜなら自分がここまで来れたのは偶然ではないんだから。ビスカ、カタルーニャ!」

バルサマップから消えそうで消えないオラゲール。ブレーメン戦で奇跡のゴールでも決めちまって神話オラゲールになっちゃいましょうか?さて、その前にどうでもいいレバンテ戦。この試合のスタメン予想は難しいぞ。

あたったことのないカピタン予想に対抗して、Grana のスタメン予想。これしかない!


メディアプロ
(06/12/01)

バルサがメディアプロという会社に試合放映権を売ったことは、このコーナーですでに触れている。7年間で10億ユーロという想像に超える金額で契約が成立、そしてつい最近、かのレアル・マドリも同じ会社に放映権を売り払っている。やはり契約期間はバルサと同じ7年間、だが10億ユーロではなく11億ユーロと、記者団を前にしてラッパ・カルデロンは嬉しそうに吠えまくっていた。バルサにしてもマドリにしても、1億という数字でなくても例え1ユーロでもいいから相手を超えた契約となることは大事なことだ。だからラッパ・カルデロンは大喜びだった。

だが、それからしばらくして、メディアプロ最高責任者(当人はメディアプロ会長と呼ばれるのがお嫌いなようだ)のジャウメ・ロウラスが、ラジオのインタビュー番組にでてきて、説明可能な範囲で二つの契約内容をくっちゃべっている。それによれば、どうやらラッパ・オヤジだけではなく、我らがセイジカ・ラポルタの方も微妙に本当のことを説明しきっていないようだ。

ジャウメ・ロウラスが語る。
「レアル・マドリとバルサは基本的に同じ金額で試合放映権を我々に譲っている。基本額+ボーナス(PPV放映の場合の売り上げ、タイトル獲得数、エトセトラ)方式というのもまったく同じ。そしてはっきりしておきたいことは、両クラブとも我々が交わした契約内容よりもかなりオーバーな数字を発表していること。つまり実際のところはそんな数字ではないということだ。」
我らがセイジカ・ラポルタが発表したときにも、そしてラッパ・カルデロンがパンパカパ〜ンとしたときにも、確かに契約内容の詳細に関しては触れられていない。どちらかというと“ひと山いくら”というおおざっぱな感じだったから、ジャウメ・ロウラスの語ることが正しそうだ。だが、この人も狐オヤジっぽいから、もしかしたら三者が三者ともそれぞれ嘘をついているのかも知れない。こういうことは外部の人間にはわからないようにできているから仕方がない。

このメディアプロという会社を指揮するジャウメ・ロウラスは謎に包まれた人物。理論派だったのか行動派だったのかは知らないが、かつては急進的な左翼運動家であった。だが、ここ最近のビジネス面の活動を見れば資本主義社会の最先端を行くことをしている。1994年にこの会社を興しているが、その出資者はヨハン・クライフだったという噂は消えていないし、フットボールの世界にクビを突っ込むことができたのも、その出資者の援助が多大にあったとも言われている。だが、フットボールをメインとしてビジネスをおこなってきた会社ではなく、各種のプロモーションビジネスがメインの会社。例えば、その一つに映画制作なんてものもある。オリバー・ストーンが監督した“コマンダンテ”というカストロのドキュメンタリー映画や、カタルーニャのアナーキストであったサルバドールを扱ったスペイン映画“サルバドール”などのプロデューサーをジャウメ・ロウラス自ら務めている。

レアル・マドリの試合放映権を手に入れたことで、このメディアプロが手中に収めた試合放映権クラブは4つになった。サラゴサのそれはとっくのとうに手にれているし、セビージャのそれ(なんだかんだ揉めたあとにモニカ・エスポーツという会社が放映権を手にしたが、気がついてみればすでにメディアプロにまた売りしている)も獲得している。つまりリーグ戦1位のチームから4位のチームまで手に入れていることになる。昨シーズンまでどこのクラブの放映権も持っていなかった会社であることを考えると、これは新たな試合放映権をめぐっての戦争が始まる兆候かも知れない。

ガスパー会長時代、毎シーズン黒字決算報告されても誰も疑いの目を持たなかったように、今のセイジカ・ラポルタの各種バラエティーに富んだ発言にも疑いの目を向ける人は少ない。そしてスタンドプレーが大好きなこの人は、今度はライカーの延長契約なんてものをぶち上げてくれた。だが、ライカー自身も認めているように、彼は各シーズン終了後にはいつでもクラブを離れることが自由となっている。つまり違約金がゼロという契約であり、契約期間内でもいつでも好きなようにクラブを離れることができることになっている。そんな契約を結んだあとに、延長契約なんて意味のないことぐらい7歳の子供でもわかるというものだ。ファンをバカにしているといつかは痛い目に遭いますぞ。

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