2006年
10月
2007年

ルセー・ラポルタチーム
(06/10/31)

ナイキ所属時代に“契約取り”クラックとして多くの成功をおさめたサンドロ・ルセーだが、彼個人として最も誇りに感じたビジネスに次の二つをあげている。一つは1996年にセレソンとの独占契約を結んだこと。そしてもう一つはバルサ当時会長ヌニェスとの長期間にわたる交渉の末に実現した契約、そう、バルサの選手たちが着込むユニフォームをナイキ提供としたことだ。1998年のことだった。

2008年までの10年間長期契約を勝ち取ったナイキ(あるいはバルサ)だが、当時としてはバルサに支払う年俸額も半端なものではなかった。年間20億ペセタ(1200万ユーロ)、とてつもない金額だった。だが、それでもそれを気にくわないとする野党勢力が存在した。その名は“エレファン・ブルー”、現在のクラブ会長であるジョアン・ラポルタをボスとした反ヌニェス集団。その彼らがこの契約を長期間にわたる非常識な契約として、反対キャンペーンをはった。そしてそのキャンペーンは、ジョアン・ラポルタという存在をバルセロニスタの間にプレゼンテーションすることだけは成功したものの、キャンペーン自体は見事に失敗する。

そしてヌニェス政権のあとに訪れるガスパー・カタストロフィー政権。クラブ歴史に燦然と輝いて、否定的に語り継がれるであろうガスパー政権がナイキ契約の何年か後に誕生し、そしてこれまたものの見事にクラブ財政を危機におとしめてくれる。だがその後、どうにかこうにかクラブが毎日のご飯を食べられた要因の一つにこのナイキ資金があった。

2001年から年間スポンサー料が1500万ユーロに値上がり、そのまま現在に至っているが、契約期間は2008年までと変化は生まれていなかった。そして、選手の契約期間が切れる1年前や2年前から延長契約の交渉が始まることが多いように、このナイキとの延長契約交渉も、地道ながら延々と続けられていたようだ。契約更新する選手が、他のクラブからのオファー噂を利用して高額な年俸を狙う交渉にでるように、バルサもまたプーマからのオファー噂を一つの道具として年俸値上げ交渉をしている。

2006年10月27日、アメリカナイキ本社でおこなわれていた最終的な交渉で、バルサとナイキが合意に達したスポンサー契約は次のような内容だ。
●契約期間を5年間延長し2013年までとするが、契約期間終了後も更に5年間のオプション付き。
●5年間の基本的スポンサー料は1億5000万ユーロ、つまり年間3000万ユーロ。この基本額に加え、タイトル獲得とかユニフォームの売上高に応じてボーナスが支給される。例えば、リーグタイトル、チャンピオンズタイトルなどを獲得し、これまでのようにユニフォームの売り上げが伸び続けるとすると、1シーズンに支払われる総額は最高6000万ユーロにまでなる可能性がある。
●このバルサ・ナイキ間の新契約は2008年から有効となる。

と、おおざっぱにまとめるとこうなる。そしてこの年間最低額3000万ユーロというスポンサー料は、これまで最高額のスポンサー料をとっていたレアル・マドリ(アディダス)とマンチェスター(ナイキ)と並ぶものだ。

今年に入ってからラポルタ政権は3つの大きなビジネスをおこなっている。1つはメディアプロとの間に7年間10億ユーロというテレビ放映権売買、2つめはユニセフとの提携5年契約、そして3つめが今回のナイキとの延長契約、奇妙なことにすべて長期と言っていい契約期間となっている。そして彼らにとって最も誇りに感じるであろうことは、もうヌニェス時代にもガスパー時代にも結ばれた契約が1つも残っていないことだろう。バルサというクラブが抱えているすべての契約書にはラポルタ会長のサインがされていることになる。

さて、火曜日にはカンプノウにチェルシーがやって来る。バルサが必死になっておこなっているマーケティングビジネスなどクソ食らえという感じで、あり余る莫大な個人資産で作り上げられたチェルシー・モウリーニョ御一行。5億ユーロという気が遠くなるような資金で補強選手を獲得してきたこのチームの最大の目標は、チャンピオンズを征すること。もし今シーズン、それが可能とならなかったら、チェルシー監督モウリーニョ最後のカンプノウ試合となるかも知れない。

希望・願望・ライカーにお奨めチェルシー戦用11人スタメン。


ロナルディーニョの復活を願って
(06/10/28)

プレステージからクラシコ前日までのバルサ練習風景を密着取材した一人のスポーツ選手フィジカル研究家のレポートがある。そのレポートを読んでみて驚くのは、ロナルディーニョの練習量の少なさだ。バルサに入団してきて4シーズン目を迎える彼だが、これまでも決して練習量が多い選手ではない。だが、今シーズンはムンディアルのあった年でもあり、例年とは比べものにならないほど少ない。長いレポートなので要所だけををかいつまんで紹介することにしよう。

ムンディアルのある年は、例年と同じような夏休み期間がとれたとしても、疲労を取り去るという意味でははるかに効果が薄いものとなる。それは大会を前にしての代表合宿での疲労、例えばクラブでのものとは比べものにならないほどの時間をかけた練習となるのが普通だし、3週間も4週間も合宿生活となると精神面での疲労も激しい。そして大会を通しての肉体的疲労と精神的疲労に加え、特に期待された代表チームが期待通りの成績が残せなかったとしたら、ムンディアル後の精神的疲労は更に大きくなるのは当然のことだ。

さて、今回のムンディアルとバルサの選手との関係を見てみよう。マルケス(メキシコ代表)は6月24日にムンディアル敗退をしている。そしてジオ(オランダ代表)は翌日の25日に、プジョー、チャビ、イニエスタなどはその翌日の26日、そしてメッシー(アルゼンチン代表)は30日、ロナルディーニョは7月1日にそれぞれムンディアルに別れを告げている。

バルサのプレステージはデンマークでおこなわれた。このプレステージにマルケス、プジョー、チャビ、イニエスタたちは7月24日に合流している。つまり約4週間の夏休みがとれたことになる。デンマークでの彼らは1日2回の練習に4日間参加することができている。そしてメッシーとロナルディーニョ、デコ(彼にとってムンディアル終了したのは7月8日)たちは、7月31日に合同し、一切の練習をしないままアメリカツアーに参加することになる。メッシーとロナルディーニョは約4週間の夏休みがとれたことになるが、デコはわずか3週間だけとなっている。

このアメリカツアーは、結果的に日本でのそれより疲労度が高いものとなっている。3日おきに試合が組まれていたが、それぞれの移動に時差が生じていること。一か所にとどまる期間が短いため、まともな練習スケジュールが組めないこと。そして試合後の移動となるため、出発空港での待ち時間、飛行時間、到着空港からホテルまでの移動など、試合で疲労した身体にさらに疲労を追加するという過酷なものとなってしまったこと。さらに到着が早朝の4時だとか5時とかになるのがほとんどだったことと時差の関係で、昼間の休憩が不可能となった選手が多かったことなどのマイナス面があげられる。

このアメリカツアーから、ロナルディーニョはプレステージを始めることになるが、ほとんど練習時間がとれていないのが実情だ。ツアー契約で試合に出場することが義務づけられてたいだけではなく、スポンサー関係への顔出しも彼抜きではおこなわれない。したがってほとんど練習時間がとれないまま、アメリカツアー4試合にすべて出場し、8月14日にスペイン帰国。本来であるなら、これからが彼のプレステージとならなければならなかった。だがバルサの試合スケジュールは非常に詰まっている状態だった。帰国3日後と6日後にスペイン・スーパカップに出場し、その2日後におこなわれたガンペル杯、それから3日後にモナコでおこなわれたヨーロッパ・スーパーカップにも出場することになる。

シーズン開幕時におけるバルサ選手のフィジカル面の調整は、3つのグループに分けられる。
●ほぼ完璧にプレステージメニューを消化したグループ
バルデス、エトー、シルビーニョ、モッタなど
●プレステージメニューを三分の二だけを消化したグループ
プジョー、イニエスタ、チャビ、マルケスまど
●プレステージメニューの三分の一以下しか消化していないグループ
ロナルディーニョ、デコ、メッシー、サンブロッタ、トゥラン

そして最後にロナルディーニョの練習参加に関するものを数字で表してみよう。7月31日にチームに合流して以来、10月21日のクラシコ戦前日(83日間)までにバルサがおこなってきた練習回数は84回、その中でロナルディーニョが参加したのはわずか30回。そして12試合の公式試合と8試合の親善試合、合計20試合に出場している。各月の練習参加日は次のようなものとなっている。
●8月2日、3日、8日、11日、15日、19日
●9月4日、8日、9日、13日、14日、15日、16日、20日、21日、22日、23日、27日、28日、29日
●10月3日、4日、6日、9日、10日、13日、14日、17日、20日、21日

この数字を見るとシーズンが開幕してからの日常的な練習にも、ロナルディーニョの参加が非常に少ないことがわかる。合同練習に参加してこない日のクラブ公式発表は、常に次のようなものだ。
“ジムでの独自トレーニング”
“個人的都合により”

いかに練習嫌いの選手であるとはいえ、プロ中のプロである彼がこれほど練習時間が少ないのは、あくまでも精神的疲労が原因だろう。専門的立場から判断した場合、肉体的な疲労が生じているはずはない。あくまでも精神面の問題としてとらえた方が正しい。例えば、ボールを持っているときに、相手選手にそれを奪われたとしよう。これまでのロナルディーニョであれば、そのボールを奪った選手を必死に追いかけにいくはずだが、今のロナルディーニョにはその姿勢が見られない。それは肉体的な疲労が原因で不可能となっているのではなく、精神的な疲労が原因で身体が動かなくしてしまっているからだ。

クラシコ戦の翌週には何日かかけてのミニステージが彼に用意されているという。わずか3日間や4日間で効果あるフィジカルトレーニングができるわけがないが、精神面の疲労を少なくすることは可能だ。そしてこれをきっかけに、毎日の練習でフィジカル面の調整が進められれば、ロナルディーニョの復帰も決して不可能なこととはならないだろう。今の彼にはひらすら汗を流す練習、練習、練習だけが復活のビタミン剤となる。

それではチェルシー戦前練習試合であるウエルバ戦に出場するであろう11人のスタメン選手予想。


ペップ・インタビュー
(06/10/27)

すでに現役引退と言っていいペップ・グアルディオラ、クラシコの前日はマジョルカでゴルフを楽しんでいる。現在のフットボール界ではもちろん、バルサ内でも彼のような“クライフ的4番”の選手はすでに存在していない。守備面と創造的な面、その両方を兼ね備えた数少ない選手の一人だった。そしてもちろん、彼の持つカリスマ性はいまだに多くのバルセロニスタの脳裏に焼き付いている。

あなたはいわゆるピボッテ選手でしたが、今のフットボール傾向でも4番というのが重要な役割をすると思いますか?

まず第一に、今のフットボール界に純粋に4番と呼ばれる選手は、ほとんど存在していないと思う。存在するのはドブレ・ピボッテ、つまり二人の選手がそれぞれ役割を別としてピボッテの位置でプレーする傾向のものだ。したがって自分がこなしてきた役割、つまり守備的であり同時に攻撃的であるピボッテというのは存在していない。だが、もちろん、今でも個人的にはそういう一人ピボッテスタイルで戦うことは可能だと信じている。

あなたはカペロのもとでプレーしているから彼のことをよく知っていると思いますが、ディアラとエメルソンという同じようなタイプの選手を起用しています。

ローマというクラブで半年だけ彼のもとでプレーしている。もっともその期間はいつも衝突状態にあったけれどね。彼には彼のアイデアがあり、自分には自分のアイデアがあり、それらが衝突するものであったから当然と言えば当然のことだった。いずれにしても、彼がフットボールをどのようにとらえ、どのように選手を起用していくか、そこらへんは個人的に十分知り尽くしている。したがってその二人の守備的なピボッテ選手を獲得したことは、カペロを知る自分としては不思議でも何でもないことだ。

バルセロニスタと同じようにスペクタクルを好むマドリディスタですから、彼のフットボールを受け入れるには問題があることになりますね。

そんなことはないだろう。すべてクラブが抱えている状況次第だし、最近の傾向として、勝負に勝ちさえすれば内容はどうでも良いという傾向がファンの間にあるんじゃないだろうか。そう言う点では彼は最高の監督だと思う。13年か14年か知らないけれど、いろんなクラブで監督をしてきていながら、12個ぐらいのタイトルはとっている監督だ。したがって、どのように試合展開をして勝ち続けるかは別として、何らかのタイトルを彼らが獲得することは大いに可能なことだと思う。もちろん彼らのプレー内容とバルサのそれと比べれば、昼と夜のように違う顔を持っているが、それでもタイトル獲得は可能なことだと思う。

ライカーの成功の秘密は何だと思いますか?

それは自分が知りたいことさ。彼のそばにいてどのように指揮していくのか、それを実際に見て経験したいと思っている。彼は少なくとも15年前ぐらいのアイデアでチームを指揮しているよね。つまり自分がデビューした頃のフットボールアイデアさ。そのアイデアを実現するために、それが可能となる選手を選び獲得してきている。それがそれ以前と違うところだ。例えば、バルサにアルゼンチンの監督が来れば、アルゼンチン人選手を獲得してアルゼンチン風に戦うことを目指していたし、イングランド人のベナブレスが監督となれば、イングランド人選手を基本としてイングランド風に戦う、それがバルサの歴史だった。そしてクライフがやって来た。彼はオランダ人選手を連れてくるでのはなく、彼のアイデアを実現することが可能な選手を獲得していった。そういう意味ではライカーもクライフと同じだと思う。

では当時のクライフバルサと現在のライカーバルサの違いは?

ワンタッチでボールを回していくというテクニックでは、我々のほうが優れていただろうね。でも各選手の個人的なテクニックという意味では現在のバルサのほうが遙かに優れていると思う。我々にはラウドゥルップしかいなかったし・・・。

ラウドゥルップと言えばイニエスタは彼をアイドルとしていました。そのイニエスタですが実力の割にはクラック扱いされていない感じがしますが?

彼はタトゥを入れていないし髪も染めていない。流行のヘアースタイルもしていないしヘアバンドもしていない。ピアスもはめていなければネックレスもつけていない。メディアチックなニュースになりにくい選手なんだ。それでもフットボールを知っている人から見れば彼はクラックさ。例えば、例年のことだけれど、新しい加入選手がバルサにやって来て、彼らが最初に驚くことはイニエスタの存在だ。練習を重ねていくに従い彼の素晴らしさがわかってくる。そしてメディアの人々にに問いかける。
“何でイニエスタという選手はメディアに派手に取り上げられないんだ?”
今シーズンもトゥランやグジョンセンが彼のテクニックに驚いたという発言をしたと聞いている。残念ながら外国だけではなく、スペイン国内でも正しく評価されていないと思う。しかもグランド内だけではなくグランドの外でも見本となる選手。これまで控え的な存在であっても文句一つ言ったことがない。個人的にはスペインはおろかヨーロッパの中でも最も優秀なセントロカンピスタの一人だと思う。

さて、あなたはすでにコーチングライセンスを取得していますが、監督としての将来は?

自分の原点は13歳の時にマシアに入寮したこと。それ以来このフットボール世界では特殊といって良いかもしれないバルサ的教育を受けて育ってきている。それはどういうことかというと、フットボールはプレーする選手自体が楽しまなければいけないということさ。そして常にフットボールの主役は選手であるべきだという教え。この二つの教えはバルサを離れても忘れることはなかったし、選手をやめた今でも身体に染みついていること。したがってもし監督という職についたなら、自分の身体に染みついた教えを実践していくことになるだろうね。でもまだ監督という職業に就いたこともないし、したがって自分に合っているものなのかということもまだわからない。

最後に、あなたはカタルーニャ出身の選手です。最近ではオラゲルがスペイン代表招集問題でいろいろと話題になりましたが、あなたはどう考えていますか?

もし自分の現役時代にカタルーニャ代表という公式代表チームがあったとすれば、もちろんスペイン代表にはいかなかっただろう。なぜかって?それは簡単なことさ。自分はカタルーニャで生まれてカタルーニャで育った人間だからさ。これがまず第一点。だが、現実的に、当時も今もカタルーニャ代表という公式代表チームは存在しない。したがってスペイン代表に招集されたら、バルサでのそれと同じように100%の力でプレーしたし、非現実的な話だが今でも呼ばれたらすべてを出し尽くしてプレーすると思う。その思いはバスク人だろうがカタランだろうがみんな同じだと思う。したがって中央メディアが騒ぐ“選抜問題(注・バルサやビルバオの選手たちはスペイン代表では本気で戦わないのではないか、という論議)”など我々には存在しないんだ。だが、もし彼らが納得しなければ、今後カタルーニャやバスクの選手を招集しなければいい。それだけのことさ。


クライフ、バン・ガール、そしてライカー
(06/10/25)

これまでバルサに就任してきた3人のオランダ人監督をこの目で見てきている。ヨハン・クライフ、バン・ガール、そしてフラン・ライカー、それぞれ共通していることは強烈な個性を持った監督であり、オランダ人ということとアヤックス(あるいはミケルスと言い換えてもいいかも知れない)学校のポリシーで育ってきた人物であること。だが、今回彼らの間にある一つの決定的な違いを見ることができた。それは前者の2人が“勝利したのは監督の采配のおかげであり、敗北は選手の責任によるもの”という発想がはっきりとあったこと。それは試合後の記者会見で常に明らかにされてきたことだ。やれ、誰々が不調であったの、やれ、誰々が期待通りの仕事をしてくれなかただの、やれ、やる気のない選手はもう招集しないだの、エトセトラ、エトセトラ・・・。だが、フラン・ライカーはちょっとニュアンスが違う。今回の2連敗の責任は彼らスタッフ・テクニコにあると明言しているからだ。これまでのオランダ人監督に慣れてきた人間にはビックリする発言でもある。

クラシコ敗戦後の翌日、カタルーニャのラジオ局“カタルーニャ・ラディオ”でのインタビューで次のように語っている。
“ここのところ我々スタッフテクニコの采配自体に誤りがあったのではないかと思っている。ポジション(選手のポジションを指すのか、あるいは超意訳的に試合状況を指すのか不明)やバルサの戦うスタイル自体を正しく認識してこなかった可能性がある。特にここ2試合(チェルシー戦とマドリ戦)では選手の交代さえ誤ってしまったという感じさえしている。”

“各選手のメンタル的な問題はないと信じている。それぞれの選手がチームにとって大事な存在として思えるようにローテーションシステムを採用してきたが、そのアイデア自体には誤りはなかっただろう。だが、すべてのことがスムーズに機能してきたかと問われればノーという答えとなる。したがって、これまでのスタイルとアイデアで戦い続けることはそれほど意味のないことであり、チームそのものが機能することを優先してやっていかなければならないと感じている。クラシコの戦いは自分に一つの警告を与えてくれたと言っていい。”

そしてチェルシー戦、マドリ戦での敗北は、あくまでも彼を中心としたスタッフテクニコにあると強調するライカー。
“すべての選手は、例外なくすべての選手は、我々の要求のもとにプレーしてくれた。したがって彼らには何の罪もないことは明らかであり、我々のアイデア自体に問題があったことになる。そしてそれが確認された以上、我々自体がこれまでの原点となっていた所に戻ることを決意させてくれた。それは固いチームブロックの再形成であり、好調さを維持している選手に100%の信頼感を与えることだ。”
シーズンは長いということを理由として好調・不調に限らず可能な限りの選手の起用を優先させてきたローテーション、そのアイデアの終焉と見ていい。

“マドリ戦に関して言えば、彼らはボール支配を捨てる作戦でくるだろう予想した。つまり、ボールは常に我々のところにあるという試合展開を予想した。それだからこそチャビ、デコ、イニエスタという3人のセントロカンピスタを用意したんだ。少なくても前半に関して言えばそれは期待通りうまく機能していたと言える。だが、我々の大きな過ちは後半に入ってからジュリーを投入した以降のことだ。結果的にメッシーに孤立した戦いをさせることになってしまった。”
このように説明し、自らの誤りを認める監督を今まで知らない。

今シーズンのオラゲルの奇妙な立場に疑問を投げかける選手たちもいると言われている。昨シーズンまではセントラル選手としてだけではなく、ラテラルとしてもチームの大事な駒の一つとして起用されていたオラゲルだが、今シーズンはすっかり脇役以下となってしまっている。
“マドリ戦での我々はアグレッシブなプレーに欠けていたかも知れない。もしオラゲルを出場させていれば事情が変わった可能性もあるだろう”
そう語るスタッフテクニコの一人。実はその彼に試合後トゥランが一つの質問をしている。
「なんで観客席から“エスパーニャ!エスパーニャ!エスパーニャ!という叫び声があったんだ?」
まだバルサにやって来たばかりのトゥランはクラシコの本来の確執を知らなかったのだ。

才能ある監督が素晴らしい人だとは限らないように、素晴らしい人が才能ある監督とは限らない。フラン・ライカー監督、この人はこれまで見てきたバルサの監督の中で例外中の例外だ。

ローテーションシステムそのものに疑問が付けられたとはいえ、水曜日の国王杯のではもちろん普段あまり見られない選手が招集されている。ミニステージをおこなうことになるロナルディーニョやデコはもちろん、イニエスタ、マルケス、トゥランは招集されていない。次の16人の選手が招集されている。
バルデス、ジョルケラ、オラゲル、プジョー、サンブロッタ、シルビーニョ、ジオ、エドゥミルソン、モッタ、チャビ、エスケロ、グディ、ジュリー、サビオラ、そしてバルサBからオルモとジェフレン。


負けたことは忘れちまいましょう
(06/10/24)

負けた翌日には各種メディアや数多くあるフットボールブロッグにおいて、バルサを批判するバラエティーにとんだコメントが所狭しと並べられることになる。まあ、それはいつものことであり、当然と言えば当然のことであり、悔しさを伴ってウンダカンダと各種批判に納得してしまうのも、それもいつものことだ。しかも相手はレアル・マドリであり、チェルシー戦に続けての敗北でもあるから普段以上に賑やかに批判がなされている。

なにゆえこの大事な試合にデコ、チャビ、イニエスタというチビ三人組を起用したのか、なにゆえデコに代えてモッタでもなくエドゥミルソンでもなくデランテロであるジュリーを出したのか、なにゆえ試合スタートと共にいつもゴールを許してしまうのか、なにゆえサビオラをもっと早く出場させなかったのか、なにゆえマルケスがベンチにいなければならないのか、なにゆえモッタがスタメンとならないのか、なにゆえ調子がでないロナルディーニョを使い続けるのか、エトセトラ、エトセトラ、これの10倍ぐらいは優にある疑問と批判がライカー・バルサに投げかけられている。でも、そんなことはここでは問題にしない。退屈すぎる内容だからだ。フットボールは地元チームが圧倒的に優位に立つスポーツ。それが強豪と呼ばれるクラブであればあるほどその性格が強固なものとなる。したがってスタンフォード・ブリッジでチェルシーに負けようが、サンティアゴ・ベルナベウでレアル・マドリに負けようが、いかにヨーロッパチャンピオンのバルサとはいえ十分考えられることだ。しかも細かいことは抜きにして、バルサはバルサらしい持ち味を出そうと試みての敗北だった。

ヨーロッパ制覇バルサの最大の武器は、固いチームブロックと言われてきた。攻撃陣と守備陣が作り出すバランスのとれたハーモニー、スタメン11人の選手とベンチに並ぶ控え選手たちが、俗っぽく表現すれば“一致団結”して強いバルサを形成してきた。試合を引っ張っていくのはエトーであり、仲間を引っ張っていくのはロナルディーニョの役目、だが、残念なことにその両方とも今のバルサには存在しない。ここではそれだけを問題にしたいと思う。つまり、リーダーがいなくなってしまった。それをカピタン・プジョーに求めるのは無理なことだし、ましてチャビやイニエスタにはキャラクター的に不可能なことでもある。

常に笑顔(あえてニヤニヤとは言わない)を見せてプレーしている健康的な選手がいても良いだろう。相手の選手と試合前試合後に仲良く(あえてテラテラとは言わない)抱き合ったり会話を楽しんだりするのも良いだろう。だが、クラシコというライバル意識をむき出しにしての戦いに、こういう風景は似合わない。熱い血を持った選手こそが似合う試合だ。

その熱い血が流れていたのがシュステルであったり、クーマンであったり、ガッツ・エンリケであったりしたからこそ、強烈なライバル意識を持っているチーム同士の戦いが普通のそれ以上に興奮するものとなった。そして最も熱い血が流れていた人、それはウリストだったかも知れない。熱い血と共にダーティーさを持ってバルセロニスタの心なかに入り込み、しかもその強烈な個性で我々バルセロニスタを惹きつけた。その最たる場面はロブソン時代のAt.マドリ相手の国王杯だ。

ポルテロのバイアのミスでバルサは大きく負けていた。カンプノウを埋めた人々からはバイアを中心にほぼすべての選手にフーイングが送られている最悪の状態だった。そしてベンチにいたウリストが突然立ち上がりラインに沿って走り始める。監督のロブソン、助手のモウリーニョの命令なしの走り込みだ。しばらくしてピッツイもウリストに手を引っ張られて走り込みに加わる。それまでのブーイング状態から二人の選手に対する熱い拍手がおくられるカンプノウ。そして5分後、体を温め終わったウリストはベンチのロブソンの元に走り寄る。
「俺は誰と代われば良いのかな?」

多くのバルセロニスタが知っている逸話であり、そして誰もが知っているようにウリストとピッツイが加わったバルサは大逆転に成功する。ウリストの偉大なダーティーさは、彼を最初から起用しなかった監督や助手に頭突きや侮辱発言をするのではなく、カンプノウの人々を巻き込んだ上で監督のアイデアを暴力的に変えてさせてしまったことだ。エトーというチームそのものと言って良いほど大事な選手が欠場しているのを残念がっても仕方がないのと同じように、かつて在籍していた熱い選手を懐かしがっても仕方がない。だが、昨日のクラシコはそういう熱い選手を懐かしく思わせる試合だった。

今シーズンこれまでバルサがやってきた80回の練習に30回しか参加してきていないクラック選手さん、忙しいスケジュールの合間をぬってミニステージに励みましょう。チェルシー戦に間に合わなかったらブレーメン戦でじゅうぶんです。ニタニタが明るい笑顔となって戻ってくるよう、頑張ってください。


バモス、バルサ!
(06/10/22)

ロナルディーニョの不完全燃焼の原因があくまでも練習不足にあることは、多くの関係者が認めている。もちろんどこも負傷などしていないし、病気でもないし、疲労なんてあるわけがない。なにゆえ練習不足なのか、それはバラエティーにあふれる理由が語られているものの、ここでは問題にしない。ムンディアルの年にはよくあることだし、スポンサー関係の仕事に顔をだすことを誰よりも義務づけられている人だし、プレステージでは人一倍詰まったスケジュールをこなしていた選手だし、そして何よりも練習嫌いということもある。だが、理由がどうであれ、このクラシコ終了後、彼にとっては厳しいミニステージが始まることになる。国王杯には当然ながら出場しない。週末のウエルバ戦にも出場の可能性はほとんどないだろう。半強制的ミニステージの目標は、ひたすらチェルシー戦に向けて少しでもフィジカル面を整えることにある。

60%の体調ながらロナルディーニョは間違いなくクラシコに出場するだろう。大試合になればなるほど強い選手といわれながらも、ここのところ大事な試合では期待通りの活躍は見せていない。だが、いみじくもカペロが語るように、91分間消えていても92分に試合を決める仕事する可能性を秘めている選手だからだ

セビージャ戦でのモッタの活躍は、結果的には次の試合への出場権を得るものとはならなかった。その理由は毎試合のようにローテーションが必要だからだと言われている。年俸400万ユーロと言われるトゥランは出場さえすれば期待に応える仕事をしながら、なにゆえこれほど出場回数が少ないのか、これもローテーションが必要だからだと言われている。ではなにゆえローテーションシステムが必要なのかと問われれば、フラン・ライカーは次のように答える。
「一人一人の選手がチームにとって貴重な存在だと自覚するために必要なシステムであり、そして何よりもすべての選手が満足してくれることが必要だからだ。選手の中に不満分子がでることは、チームにとってマイナス材料となるし、これまでの成功はそういう要因がなかったことが一つの理由だと信じている。」

だが、それでも、例えばレフスキー戦とチェルシー戦と同じメンバーで戦うということにはならない。事実、大事な試合であったバレンシア戦のスタメンとチェルシー戦のそれは、負傷しているエトーをのぞいてまったく同じものとなっている。楽に戦えることが予想される試合と、最強メンバーを組むことが義務づけられる試合では、当然ながらスタメンも違うことになる。では、なにゆえ珍しくも好調なモッタを外し、そして大試合では貴重な存在となる経験豊かなトゥランを出場させなかったのか、そういう疑問を持つ人々が登場しても不思議ではない。これまで一度たりとも練習したことがない3人デフェンサシステムを採用したことも?マークが付く。2度のリーグ優勝を果たしヨーロッパチャンピオンとなっているバルサの最大の敵、それはバルサ自体にあることは間違いない。

さて、クラシコ戦。ライカーが考案したチェルシー戦用最強メンバーが再び登場するとは思えない。クラシコ戦用に準備された最強メンバーをライカーに“ご機嫌伺い”をし予想するのはやめ、個人的に最強であり最も魅力的と感じるスタメン願望をば。


♪ケッセラセラ〜♪
(06/10/21)

カタルーニャ人の特徴の一つとして“悲観的な発想”を持つという声をよく聞く。バルセロニスタに関しても同じような傾向を語る人々が多いのを知っている。カタルーニャという地域が持つ歴史的な背景からくるものなのか、はたまたカタルーニャ人特有のものなのか、いずれにしてもここの人たちは悲観的にものを見る傾向があると言う。もちろんそれは、日本を紹介するときに必ず登場する地下鉄ラッシュ時の混雑風景や、フラメンコや闘牛、あるいはガウディを持ってスペインを表すことと同じように、あくまでも一つの特徴を表面化したものに過ぎない。

だが、少なくとも今回のチェルシー戦敗北に関しては非常に悲観的発想であり、日曜日のクラシコ戦に対しても力強い言葉が聞かれない。
「チャンピオンズ・グループ戦突破は難しいのではないか?」
「果たしてマドリに勝てるのだろうか?」
ジェットコースターのように登り詰めるのも早ければ、落ち込むのも早い多くのバルセロニスタは、自らにそう問いかける。

もちろん、すべてのバルセロニスタが悲観的な種族に入るわけではない。正しくも楽観的に物事を考えようとする人々も大勢いる。例えばチャンピオンズ。第二戦となったブレーメンでのメッシー同点ゴールの瞬間、バルサはグループ突破を決定したとする人々だって多いのだ。そしてその発想は非常に正しい。なぜなら、何かのトラブルでカンプノウでのチェルシー戦に敗北したとしても、ブレーメン戦、そしてレフスキー戦に勝利さえすれば、バルサは堂々とグループ2位通過を果たすことができる。さらに、もしチェルシー戦に2点差以上で勝利し、順当にブレーメン、レフスキーに勝利すればグループ首位の可能性も十分ある。もちろん試合はやってみないとどうなるかわからない。だが、それはチェルシーにしてもブレーメンにしても同じだ。地元カンプノウでブレーメン相手に勝利できないようでは、そもそもバルサの実力はその程度のものだったとあきらめるしかない。

スタンフォード・ブリッジにおける敗北。相手は2年連続プレミアリーグを制覇しているチェルシーであり、今回のチャンピオンズの優勝候補の一つとも予想されているチーム。そしてバルサがチャンピオンズの試合で最後に敗北したのは2005年3月8日、やはりこのスタディアムでおこなわれたチェルシー戦。いかに傲慢なバルセロニスタとはいえ、この試合に敗北することがまったくもって予想外のことであり、天と地がひっくり返るような出来事ととらえるとは思えない。この敗北はじゅうぶん予想できることではなかったか。何と言ってもステアウア相手の試合ではないのだ。しかもチェルシーが9ポイントで首位にたっているとはいえ、彼らは2試合ホームでの試合を消化しており、バルサはまったく逆の立場となっていることも忘れてはいけない。悲観的になる材料など何もない。

そしてクラシコ戦。これまでの両方のチームの結果を見てみよう。レアル・マドリホーム1勝2分け、アウエー2勝1敗、トータル3勝1敗2分け11ポイント獲得。対する我らがバルサ、ホーム2勝1分け、アウエー3勝、トータル5勝1分け負け知らず16ポイント獲得。カウンターを武器とするカペロ・マドリは攻めなければならない地元では苦戦しており、引きこもりが許されるアウエーの試合ではそれなりの結果をだしていることがわかる。一方、ホームでもアウエーでもほぼ同じような戦いをするバルサは、アウエーのすべての試合で3点をもぎ取って勝利している。これだけを見てもクラシコ戦を悲観的に予想する素材は見つからない。

だが、これまで消化されてきた試合はすでに過去のもでのであり、次の試合はこれまでの統計と関係なく一つの独立した歴史を作るものとなる。90分間に起こりうる多くのこと、それは審判のミスジャッジであったり、デフェンサやポルテロの致命的なミスであったり、突然のごとく不可思議な監督采配が敗戦の引き金となることさえある。しかもベルナベウでのクラシコだ。これまで20年間以上見てきたベルナベウクラシコでバルサが勝利したのはせいぜい4回程度ではないだろうか。決定的な実力差とは関係なく、何が起きてもおかしくないクラシコ戦だけに、圧倒的に優位な立場にあるバルサとて負けることもあるだろう。だが、それでも、試合前の予想は変わらない。バルサ圧倒的優位の試合、そしてやけっぱちな気分で“♪ケッセラセラ〜♪(♪なるようになるさ♪)”を口ずさむもことになるのは、もちろんマドリディスタということになる。

バモス、バルサ!


ステアウア戦翌日AS紙一面
(06/10/20)

“レアル・マドリの反撃が始まった。偉大なレアル・マドリの復活、それはマドリディスタに大いなる希望を抱かせるものであり、ヨーロッパ王者としてのレアル・マドリの帰還でもあった。ヨーロッパ制覇9回という歴史的偉業を達成してきている王者の復活は、ヘタフェ戦が単なる事故であったことを証明している。チャンピオンズで54ゴールを達成した我らがカピタン・ラウル、そしてバセリーナ・バン・ニステルロイ。いや、彼らだけではなく誇りある白いユニフォームに身を包んだ11人の勇者たちは吸血鬼の息子たちと変身し、ルーマニアの伝統あるクラブを彼らの地元で葬り去った。

この11人の勇者たちが日曜日に対戦するカタルーニャからやって来るチームは、今から20年前、この同じルーマニアのクラブにヨーロッパ決勝戦で敗退している。1986年、セビージャでおこなわれたコパ・デ・ヨーロッパの決勝戦にPK戦で地獄に堕ちたバルサ。彼らの悲願であった優勝カップは、当時すでに我々が6つも所有していた優勝カップは、再び両手からこぼれるように消えていった。レアル・マドリ優勝6回、バルサ優勝0回という記録が書き続けられることになった。

ヘタフェ戦での思いがけぬ敗戦の後を受けてのステアウア戦。多くの批判を浴びることになったカペロだが、彼は百戦錬磨の監督であることをメディアは忘れていた。この試合前、クラブ会長カルデロンとの昼食を共にした彼は次のように語っている。
「会長、安心してくれ。私はどこのクラブで監督を務めても失敗したという経験を持たない監督だ。すべてうまくいくことを誓おうじゃないか。だいじょうぶ、すべてうまくいくさ。」
そしてその夜、カペロの言葉に嘘がないことが証明された。我々は1−4という大差でステアウアを沈めたのだ。

偶然とは恐ろしいものだ。この日レアル・マドリが対戦した相手はアスールグラーナのユニフォームを身につけていた。10月22日、サンティアゴ・ベルナベウでおこなわれる試合のリハーサルとしては最高の相手だった。試合前、多くの選手の目が燃えているのを記者は目撃している。ヘタフェとの戦いが悪夢であったものの、彼らはすでにその悪夢から目覚めていることを証明していた。それも目覚めなければならないときに正しくも目覚めることができたようだ。そして監督のカペロも目覚めているようだった。その証拠にロビーニョを起用するという快挙にでているではないか。エルゲラをセントラルに配置し、セルヒオ・ラモスをラテラルに起用するという理想的なポジショニングをしているではないか。エメルソンがまだ起用され続けていると批判があるかも知れないが、それは時間が解決してくれるだろう。いずれにしても新たなカペロ・マドリが誕生しつつあることをかいま見ることができるプランニングだ。

ルーマニアの英雄にして我らがレアル・マドリの一員であったハジが試合前にAS紙の記者に次のように語っていた。
「多くの批評家はレアル・マドリ優勝の可能性をかなり低いものとしているようだが、私は今年のチャンピオンズ優勝の可能性は、高い確率でレアル・マドリにあると思う。」
彼が狂っているって?とんでもない!
近代フットボールの主役となった一人であり、誰よりも歴史を知り尽くしている彼が語る言葉に疑いを持つことこそ狂っているというものだ。7回目のチャンピオンズ優勝のときも、8回目の優勝のときも、我々は第一優勝候補ではなかった。だが、それでも我々は必要なときに、そして必要とされるときに確実に戻ってくるのだ。ヨーロッパ王者のレアル・マドリとして、マドリディスタの期待通りに戻ってくるのだ。それが何故今シーズンではないと断言できるのか。そう、ロベルト・カルロスが、ラウル・ゴンサレスが、そしてロナルドがフェニックスのように復活してきているように、王者レアル・マドリも復活しつつあることをこの試合で証明したではないか。

日曜日20時30分、すでに8万人の大観衆で埋め尽くされているベルナベウ。まずマドリディスタの一人であるフェルナンド・アロンソのF1チャンピオンを祝うウエーブが観客席を走り回るだろう。そしてそれから30分後、カタルーニャからやって来たチームに待ってましたとばかり襲いかかるであろう11人の白い勇者たち。オレー!オッレー!”

ステアウア(ステアウアァァァ!)に勝利しただけでこれほど威勢がいいということは、これまでよほど辛い人生をおくっていたのだろう。まあ、クラシコまで存分に楽しい毎日を過ごせばよい。マドリディスタにだって夢見る権利ぐらいあるというものだ。

そして帰ってきた王者と対戦するバルサも、たまには11人の選手で戦う必要があるだろう。10番、20番が不在のまま9人で戦うことを余儀なくされたチェルシー戦を正しく総括したライカー監督は、試合中にすでにクラシコへの準備をしている。大した負傷でもないプジョーをベンチに下げ、彼の右腕に巻かれていたカピタンマークをロナルディーニョに渡させたことが、クラシコ準備の第一歩だったに違いない。“歩く広告塔”10番にフットボール選手としての原点に戻れ、エトーなきバルサを引っ張っていく大黒柱となれ、それがロナルディーニョにカピタンマークをつけさせたライカーのメッセージだ。


チェルシー戦前夜
(06/10/18)

レアル・マドリ“臨時”会長であるカルデロンがBBC放送のインタビューを通してチェルシー批判をしている。
「チェルシー会長であるアブラモビッチは、現在のフットボールマーケットの常識をこえた金額で選手を獲得している。この異常とも言える状況は、いつかフットボール界にマイナス材料となってあらわれるだろう。」
その批判に対して応えるチェルシー首脳陣。
「自由経済の中に生きている我々は別に法律を犯したわけでもなく、必要に応じてそれなりの資金を駆使して、選手を獲得しているに過ぎない。しかも我々のクラブは他のクラブと比較しても不透明さということはいっさいなく、何一つ隠すこともなく公表してきている。」
確かにチェルシーというクラブは、新たな選手獲得ということに関して事細かな数字を公表している。レアル・マドリにつきまとう不透明さとは大きな違いだ。

もっとも、カルデロンの批判もそれなりに納得がいく。移籍料とか年俸とか、つまり経済的な観点からだけ考えれば、チェルシーと選手獲得競争をやってもまず勝ち目はない。だがこの悪しきブームの口火を切ったのはまさにレアル・マドリだった。ジダン獲得7800万ユーロ、フィーゴ強奪6000万ユーロ、ロナルドに5000万ユーロ、覚えているだけでもこれだけの前科がある。でも、まあ、それは良い。

チェルシーはこれまでの常識では考えられないほどの莫大な資産を投じて、選手を獲得してきている。クラブのオフィシャルページによる数字は次のようなものだ。
●2003−04(ラニエリ監督)・・・1億7180万ユーロ
マケレレ、ダフ、クレスポ、ベロンをはじめとして12人の選手を獲得。
●2004−05(モウリーニョ)・・・1億4450万ユーロ
ドログバ、カルバーリョ、ロベンなど9人の選手を獲得
●2005−06(モウリーニョ)・・・9000万ユーロ
エシエン、デ・オルノ、など6人の選手を獲得
●2006−07(モウリーニョ)・・・9650万ユーロ
シェブチェンコ、コール、バラックなど7人の選手を獲得

つまり今シーズンの開幕戦が始まるまでに3年間で5億ユーロを超える資金を投入していることになる。そして各シーズンにすべての選手に支払われる年俸の合計が1億5000万ユーロ。少なくても数字においてこのクラブを超えるところはない。だが、これだけの資金を使いながら、国内のタイトル獲得だけというのは割に合わない計算。もし今シーズンもヨーロッパタイトルがとれなかったら・・・それはモウリーニョ体制崩壊を意味するかも知れないし、あるいはアブラモビッチ体制崩壊だってあり得るかも知れない。

スタンフォード・ブリッジ、またの名をスタンフォード・ビーチ、つまりチェルシーの本拠地だ。このグランドについ先日おこなわれた砂入れ作業をザ・サン紙が問題にしていた。曰く、バルサの素早いボール回しを封じるための作戦とかなんとか。前回の試合でも試合開始直前まで水まき作業していたのを思い出す。いずれにしてもここの芝は冬が近づくとどうにもならない状態になるらしい。ロンドンにある他のクラブ、例えばトッテンハムとかアーセナルなどのグランド状況はいつも青いジュータンみたいだから、気候的な問題ではなさそうだ。それをクラブオフィシャルページでは、排水設備の問題だと説明している。2003年におこなった排水設備の改築工事でだいぶ改善されたものの、まだ一部の芝に悪影響を与えているという。そして今回の砂入れ作業は、ゴール前の一部に貯まっている水を処理するためにおこなわれたものであるらしい。監督がモウリーニョであるだけに疑いの砂入れ作業とされるのは致し方ない。だが、今回の件に限って言えば、適切で正しい作業であったようだ。18日水曜日20時45分、テレビ画面に写るグランドは限りなく青いジュータンとなっていることが予想される。

そして当たったことのないスタメン予想をば。


試合開始5分前
(06/10/17)

クライフバルサ時代にも、ロブソン時代にも、そしてバンガール時代にもセラフェレール時代にもレシャック時代にも見られなかった一つの光景、それがフラン・ライカー監督誕生と共に現れている。まだどこのメディアでも取り上げようとしない風景ながら、その瞬間を見逃さないために、試合開始5分前には必ず到着しようと個人的に努力させる魅力的なもの。それはスタメン選手だけによって作られる円陣。身体を温め終わった11人のスタメン選手が肩を組んで円陣を作る中、ロナルディーニョだけ一人が座り込むような形で輪に加わる。その輪に対し、まだ三分の二ぐらいしか席に着いていない観衆から熱い拍手が送られる。短くて5秒、長くて20秒、大事な試合であればあるほどその円陣は長く続き、観客席からの拍手も大きく熱いものとなる。彼らグランドに立つ選手と、勝つんだと願う観衆の心が一つになる熱い瞬間。このシーンに出会うためにだけでもカンプノウに来たかいがあるというものだ。

そしてバルサにとってとても大事と思われた試合ながら、彼らが作り出した円陣が解けるのは非常に早かった。まるでマラガ戦だとかサンタンデール戦のように早かった。何か拍子抜けする感じだったが、すぐにその理由がわかった。プジョーがいない、デコもいない、これでは檄を飛ばす選手がいないことになる。チャビやイニエスタではダメ、ロナルディーニョやメッシーやマルケスでもダメ、やはりこの輪にはプジョーとデコがいなくてはダメだと確認。

バルサ・セビージャ戦、カンプノウ19時試合開始。この時期でこの時間だとまだカンプノウ上空は明るい。最近では、照明を使用する必要がないくらい明るい環境のもとで試合を見ることができるのは、年に1回か2回ぐらいになってしまったから、その数少ないチャンスの試合観戦。時間的には非常に良いし、相手は最近調子の良いセビージャということもあるし、そしてテレビ中継もないということもあるからか、予想した9万弱という観衆よりは多そうだ。

試合内容に細かく触れることができるほど、いつも冷静に試合など見ていないから、そういうことはここでは触れない。結果的にはロナルディーニョの2ゴール、メッシーのゴールでバルサが3−1で勝利。ここのところ多くの疑問符がつき、批判の対象となっていたロナルディーニョであり、その彼の久々のゴールということもあり、翌日のメディアが“ロナルディーニョ復活”というタイトルで紙面を埋めるのは目に見えていた。そしてやはりそうなっている。フットボールというゲームが相手チームより多くゴールを入れることを争うスポーツである以上、彼がこの試合での主役となっても不思議ではない。しかも何と言ってもロナルディーニョだ。だが、この試合で目立ったのは彼でもメッシーでもなく他の選手だった。少なくても個人的にはそう見えた。2ゴールを決めたとはいえ、ペナルティーとフリーキックを担当するものだけに許されるゴール、そしてフィジカル的に最悪状態にある彼としては60%のできと言っていい。メッシーも決して満足できる内容ではなかったはずだ。

バルデス、イニエスタ、そしてモッタ、この三人の選手の活躍が特に目立った試合。いくつかのゴールチャンスを確実に防いだバルデス、中盤からドリブルで相手デフェンサを抜き去りゴール前で3回もファールを誘ったイニエスタ、そして彼の自然なポジションでないとはいえ、それなりの守備的ピボッテ選手になりつつあるモッタ。残念ながら彼らの活躍が紙面の一面を飾ったとしても売り行きが伸びるということはないから、ジミ〜に五面当たりで触れられる活躍。だが、カンプノウ9万1千人の人々は間違いなく彼らの活躍を正しく評価していると思う。それにしても、セビージャという今の段階で最強のチーム相手にカピタンであるプジョーや現場監督であるデコを外すことができるライカー・バルサ・・・恐ろしや。

カンプノウでの次の大試合は今月末のチェルシー戦。すでに冬時間に突入している季節におこなわれるこの試合、試合開始前5分に作られる円陣は大観衆の熱い拍手の中で20秒は続けられるだろう。


再びガッツ・ブロッグ
(06/10/15)

10月15日日曜日におこなわれるアムステルダムマラソン参加に備えて、4か月間にわたり調整していたガッツ・エンリケに思わぬ大敵があらわれた。ウイルス胃炎、それが彼を襲った大敵だ。

10月7日土曜日
“今週の水曜日(10月4日)から完全休養体制に入っている。これまで体調作りには超がつくほど完璧におこなってきたが、そういう時に限って襲ってくるのがウイルス系の病気らしく、ウイルス胃炎というタチの悪いヤツにひっかかってしまった。したがって明日参加予定していた地中海マラソンには不参加ということに決定し、15日までには完璧な体調に戻すことにすべてかけることにした。これまでの4か月間、ひたすらおこなってきた毎日のトレーニングはアムステルダムマラソンに参加するためのもの。こんなことで負けてはならぬ。”

10月8日日曜日
“ちょうど1週間後の今日がマラソン日。この4か月の準備期間でいったい何時間、そして何キロ走ってきたのだろうか。暇なときに計算してみよう。自分は不参加を決め込んだものの、仲間たちが地中海マラソンに参加するのでその手伝いをすることにした。気候的には理想的なマラソン日。曇りがちで暑くなく、しかも風がほとんどない状態。ただほとんどのコースが海沿いとなるので、景色としては単調となるのは仕方がない。それにしてもマラソンというのは己に厳しさを要求するスポーツだが、その反面、ドラッグみたいにやめられなくなるものだと最近実感している。明日から再び練習を開始する予定だが、とりあえず30キロ前後走ってみようと思う。”

10月10日火曜日
“16週間にわたる準備期間で、73回の走り込みをおこない、トータル906キロを走行、これが5日後に参加するアムステルダムマラソン用の練習内容であり、その内容自体には非常に満足している。だが、現在の体調にはとてつもなく不満足。今日も体調がスッキリしないので今日、明日と完全休養日とし、本番に備えようと思う。頼むから本番までに胃の痛みが消えますように!
アムステルダムマラソンが終了してから2週間は完全休養期間とトレーナーに言われている。その期間を利用して2007年のスケジュールを煮詰めようと思っている。”

10月11日水曜日
“4か月にわたってこの日曜日のために備えてきたにもかかわらず、最終的にアムステルダムマラソンには不参加という結論にたっした。なんと表現していいのかわからない。悔しい、空しい、情けない、残念。だが今の体調ではマラソン大会に参加することはできない。3時間を切ることが夢だった今回のマラソン参加だが、その目標は次の大会のためにとっておこう。これが最後というわけではもちろんないし、スポーツの世界に生きてきた自分だから、こういうことは何回も経験してきている。次回、次回を期待してまた準備に入ればいいのさ。でもアムステルダムには当初の予定どおり明日の木曜日に出発するんだ。走ることはできないが、仲間を助けることはできるかも知れない。”

10月15日アムステルダムマラソンに参加できなくなったガッツだが、バルサはカンプノウで予定どおりセビージャとの試合を戦う。サンタ・モニカとアウディオビスアル・スポーツ間でおこなわわれていた不可解な交渉が試合前日の段階になっても終わりを見ず、最終的にTV放映はされない可能性が大だという。もし生中継されないとすると録画放送の可能性もゼロとなるため、法律で決められている3分間のダイジェスト以外は見られないことになる。そして来週以降のセビージャの試合放映もまったく未定ということになりそうだ。

それではカンプノウ9万弱の人々だけが目撃するであろうバルサ・セビージャ戦スタメン予想。


ニュー・ゼネレーション
(06/10/13)

今年の夏、実に48人もの元フットボール選手がコーチングライセンスを獲得している。7月23日におこなわれた監督ライセンス取得の最後の試験を突破し、スペイン一部リーグでの監督という職業に就くことが許されることになった48人の人々の中に、元バルサの選手が13人もいる。そしてそのほとんどがクライフの“息子”たちだ。

ギジェール・アモール
セルジ・ベルジュアン
ルイス・センブラーノス
カルロス・ブスケ
クエージャー
チャッピー・フェレール
グアルディオーラ
ガッツ・エンリケ
ルイス・ミージャ
フリオ・アルベルト
ミゲランヘル・ナダール
フリオ・サリーナス
ミケル・ソレール

1年の間に3回の集中講座をおこない、各講座での試験にすべて合格した人だけに贈られるコーチングライセンス。元フットボール選手だけを対象とした特別コースだが、元フットボール選手なら誰でも参加できるというものではない。最低でも8年間にわたり一部リーグに在籍した選手で、最低5回の代表経験を持つ選手、あるいはオリンピックで金メダルを獲得した選手だけが対象となる超エリートコースとなっている。

さて、13人もの元バルサの選手が最高級ライセンスを取得したことになるが、それではそのライセンスを有効にいかして現場で働いている人がいるかと言えば、2006年10月現在まだ一人もいないのが現状だ。アモールはラポルタ政権誕生と共にバルサ・シウダー・デポルティーボ最高責任者として働いているし、ブスケはバルサ・インフェリオールカテゴリー・ポルテロコーチを続けているし、ミージャはバレンシア・インフェリオールカテゴリー・コーチとして3年目を迎えている。テレビやラジオ、あるいは新聞社の協力者としてコメントや実況放送の解説者として働いているセルジ、フェレール、ナダール、サリーナスなどは今シーズンもその職を続けることになるらしい。

監督といえば、今週末バルサと対戦するセビージャの監督は御存知フアンデ・ラモス。かつてラージョ・バジェカーノを二部から一部リーグへと引き上げたかと思えば、エスパニョールの監督に就任してたったの5試合でクビになったこともある監督。そして多くのバルセロニスタにとっては、バルサBを二部Bカテゴリーに落とした張本人として忘れられない監督でもある。

1996年、ヌニェス会長のたっての願いでバルサBにやって来たと語っていたフアンデ・ラモス。1996−97シーズン、二部AカテゴリーにいたバルサBはポルテロにアルナウ、デフェンサにキケ・アルバレス、セントロカンピスタにジェラール・ロペス、そしてデランテロにハビ・モレーノやルフェテがプレーしていたそれほど悪くないチーム。だが結果はでなかった。試合内容も好きになれるものではなかった。守備をガッチリ固めてからカウンタアタックで攻めようという特徴の試合内容は、ミニエスタディにかようバルセロニスタにはもちろん評判が悪かった。バルサBを二部Aカテゴリーから二部Bカテゴリーに落として彼はクラブを去っていったが、その後何回かバルサの対戦相手のチーム監督としてカンプノウを訪れている。そして今回の試合もこれまでと同じように、負け監督となって地元に帰ることになることは間違いないでありましょう。


15万人ソシオ
(06/10/11)

バレンシア戦の前日におこなわれたソシオ審議会に招集されたソシオは3600人、そして実際に参加した人たちは600人弱。はほぼ例年どおりの参加人数と言っていい。例えば手元の資料によれば、2003年は570人、2004年は719人、そして昨年の2005年は323人となっているから、まあ、毎年こんな参加人数しかないのがバルサソシオ審議会。クラブがつい最近発表したソシオの数は15万人、だからそのソシオ総数の1%にも満たない人々によって、多くの重要なことが決められていることになる。

会長選挙があるたびに、このソシオ審議会システムをどうにかしなければならないという“選挙公約”が新立候補者によってぶちあげられる。だが、それが実現した試しがない。ラポルタは今回の会長選挙ではこのシステムに関しては何も触れていなかったが、最初の選挙戦では“多くのソシオの意見が反映するようなシステムに改善すべきだ”とほざいていた。だが、一度権力の座に居座ってしまうと、これほど彼らにとって都合の良いシステムはないようだ。

抽選で選ばれ参加権を得たソシオの人々が必ずしもバルセロナに住んでいるとは限らないし、週末の貴重な午後をこんなことに使いたくないという人々もいるだろう。いっそのこと、抽選などというチョコマカしたことなどぜず、すべてのソシオに参加権を与えてしまえば良いのだ。例えば今回のソシオ審議会の例をとれば、参加権を持っている人の6分の1しか来ていないことになる。このパーセンテージが一つの普遍性を持っているものだとすれば、15万人ソシオすべてに参加権を与えれば9千人は集まることになる。これだけ集まれば年間予算3億ユーロというビッグクラブに相応しいソシオ審議会となるというもんだわい。

さて、17時に始まったこの審議会は実に延々と6時間もかけておこなわれ、終了したのはなんと23時。今回もお呼ばれしなかったため、テレビ映像を通し勝手に自主参加してみた。いくつかの興味ある報告があったものの、その中にソシオ数15万人突破というのがあった。ガスパー政権崩壊時には11万チョイだったという記憶があるからこれは異常とも言える増加数だ。

ソシオ数増加の一つの理由に、バルサの好調さから来るファンの増加現象があげられるだろうと語るラポルタ。確かにファンの増加現象という観点から見れば彼の言うとおりで、好調だったクライフバルサの一時期にも多くのバルサファンを生み出していた。だが、当時もソシオ数が伸びたかというと、決してそんなことはない。では、なにゆえにラポルタ政権誕生と共に異常な数のソシオが誕生したのか、それはスポーツ面での活躍により一時的と思えるバルサブームが誕生したこととは別に、373ユーロというソシオ初年度入会金という制度を取り払ったことが、最大の理由だと思う。この支払い義務がなくなったことにより、1年間の会費分だけでソシオになることができるようになった。子供たちや未成年者の入会が増えていることに見られるように、ソシオになるための経済的な壁を取り除いたことが大きな理由ということだろう。ソシオが多いことに何らかの意味があるとするなら、このシステムを思いついたラポルタ政権のヒット商品と言える。

ちなみにドイツの“スポーツ・マーケット”という、企業用マーケティング関係促進アンケート会社が、各フットボールクラブのファン人数に関してのアンケート結果を発表している。それによるとバルサの国内人気は、レアル・マドリのそれと同じでファン数は580万人となる。だがヨーロッパ各国での人気となると別で、例えばイギリス、フランス、イタリア、ドイツには総数3600万人のバルサファンがおり、レアル・マドリファンはその半分しかいないという。そして世界的には7500万人のバルサファンがいるだろうと予想している。

今シーズンが終了した段階か、あるいは来シーズンが始まる前のプレステージ期間か、いずれにしても今シーズン終了後から来シーズン開始前の間にバルサは日本に金稼ぎ興業をおこなうようだ。それはかつてのフロレンティーノ政権と同じように、バルサマーケティング路線にアジアは決しておろそかにできない地域だからだ。すでに日本からやって来ているオファーは、1試合300万ユーロというもので2試合のオファーが来ているという。合計600万ユーロの美味しいビジネス興業、1試合で300万ユーロというのは、これまでのバルサの試合で最高金額というからこれを見逃すはずはないだろう。

そしてもし可能なら、プレステージではなくシーズン終了後のビジネス興業となれば良い。いくらマーケティングが大事とはいえ、マルケスをはじめ多くの選手から批判がでている今シーズンのプレステージスケジュールを繰り返すことはない。


今でもガッツ・エンリケ
(06/10/08)

 

ルイス・エンリケ、5年間のメレンゲ生活に終止符を打ちバルサにやって来たのは1996年のこと。すでにクラブを去っていたクライフの置きみやげと言っていい選手でもある。バルサに入団後、超ごく一部の日本人ファンにガッツ・エンリケとして親しまれ、ファイトあふれるプレーで多くのバルセロニスタの心をつかんだ選手だ。デランテロ出身でありながら、ロブソン監督のもとでは右ラテラルというポジションが多く、それでもこの最初のシーズンのリーグ戦だけでも17ゴールを決めている。相手ポルテロから離れたポジションで、これだけのゴールを決めた選手を知らない。クラブを去ったあともバルセロナに住み続けている元選手の一人だ。

さて、現役引退後彼は何をしているのだろうか。ビジネスに関しては何も伝わってこないものの、彼のパッションであるサーフとマラソン人生については事細かに彼が書き続けるブロッグに報告されている
「何かを達成したいと本当に願うなら、決して戦うことを放棄してはならない」
それが彼のブロッグの紹介文だ。このブロッグのスタートとなった2005年11月11日の内容をほんの少しだけ紹介しよう。彼にとって初めてのフルマラソンとなるニューヨークマラソン参加について触れている。目標としたタイムは3時間15分前後としている。

“3キロ地点を過ぎたあたりから急に胃が痛み出した。それもかなり激しい痛みだ。なんてこった、何か月もこの日のために練習し続けてきたというのに、こんなことになるなんて! でも、我慢しながら走り続ける。5キロ地点に到着、時間は21分34秒。だが痛みが消えない。水を飲んでみたが更に痛みが激しくなってしまう。もしこのまま水を飲むことさえできないなら、完走することは不可能だ。それでも痛みに耐えながら10キロ地点通過。時間は42分44秒。まあまあの記録だ。ブルックリンに入るとスペイン人のグループと一緒になった。お互いに励まし合いながら走る。胃の痛みが完全に消えたわけではないが、次第に痛みを感じる回数が減ってきているようだし、そのうち水も飲めるようになりそうだ。15キロ地点、1時間3分58秒。この地点を過ぎたあたりで道路脇にいる観衆の中に女房の顔が見えた。約束した地点より離れたところにいたが、彼女の姿を見てエネルギーが復活してきたようだ。笑顔を送り笑顔が返ってきた。次に合う地点はゴール近くと約束してある。”

“25キロ地点1時間48分22秒。その後、このチャレンジの最大の難関となるファースト・アベニューに入る。かつてこのコースを走った仲間から聞かされていた最大の山場となるこの通りは、5キロにわたって坂を上がったり下ったりするやっかいなコース。すでに胃の痛みは消えていたものの、強い直射日光からくる強烈な暑さが嫌になる。あまりの暑さのために身体が弱ってきて、しかも精神的に参ってしまっているのがわかる。街の人々から発せられる騒音が気になるし、道路に落ちているコップにまで八つ当たりしたくなってきた。もう、何もかもが邪魔な存在に思えてきた。ここまで一緒に走ってきたチャビに先に行ってくれと頼む。もう彼のペースにはついていくことはできない。だがチャビは一緒に行こうと何度も声をかけてくる。だが無理だ、もう今までのペースでは走れない。頼むから先に行ってくれ。チャビはようやくあきらめて前に走っていった。いや彼だけではなく、多くのランナーが自分を追い越していく。もうタイムなんかどうでもよくなってきた。何キロ地点を走っているのかも気にならなくなった。知らないうちに立ち止まっていた。体力の限界、だが思い切って走りなおす。よろけそうな感じだが再び走ることができた。今の唯一の願い、それはゴールに到着すること、それだけだ。”

“セントラル・パークの近くに来ている。ここまで何とか走り続けてこれたが、登りが延々と続く厳しいコースに再び挑戦しなければならない。多くのランナーが立ち止まっては走りなおすということを繰り返している。倒れたまま起きあがってこれない人々も何人かいるようだ。自分も本当にゴールに到着できるんだろうか、その思いだけが脳裏をかすめる。もう時間なんかどうでもいい。とにかくゴールすることだけを目指して走り続ける。突然、女房の顔が見えた。その瞬間身体を駆けめぐった思い、それはゴールが近いこと、と同時に自分への勝利が見えてきたことだった。笑顔を彼女に送ったが、前と違って彼女の表情は厳しかった。自分と同じように苦しんでいることがわかった。そして女房の周りには一緒に走っている仲間の奥さんたちも大勢いることがわかったが、彼女たちの表情も固い。みんな同じような精神状態なのだろう。40キロ地点を通過し3時間3分22秒。残りのコースは下りだ。ペースを上げる余裕が戻ってきた。ゴールが彼方に見えてきた。だが、走っても走っても永遠に届かないかのようにゴールが近くならない。調子に乗ってペースを上げすぎたせいか、左足がつりそうになり痛みが襲ってきた。もう少し、もう少し、ゴールまでもう少し、ゴールを切るときは両手を広げよう。この貴重な経験に感謝するためにも、笑顔で、そして両手を広げてゴールを切ろう。そして自分にとって最初のマラソンが終了した。タイムは3時間14分9秒”

ニューヨークマラソンを経験した彼は2回目のマラソンに挑戦するためにすでに何か月もトレーニングに励んでいる。2回目のマラソン、それは15日におこなわれるアムステルダム・マラソン大会だ。目標は3時間を切ること、スエルテ、ルーチョ!


ナショナリスト親善試合
(06/10/07)

スペインの数多くある州の中で、最もナショナリズムが強い傾向を持つバスク地方とカタルーニャ地方、そのそれぞれの代表チームが、8日午後6時半からカンプノウを舞台として親善試合をする。最後にこのカードの対戦がおこなわれたのは、今から35年前の1971年のことであり、しかもその試合は市民戦争が終了してから初めてのものだったという。そして今回カンプノウでおこなわれるこの試合は、バスクチームにとっては1939年以来の地元を離れての試合ともなる。

カタラン・バスコ試合が決定されたのは9月の中旬。一部の保守的政治家やスペインフットボール協会の何人かが、この親善試合開催に反対しているのをメディアが取り上げていた。彼らの言い分はこうだ。この試合の前日にスペイン代表チームはスウェーデンとの試合をおこなう。もしカタルーニャ代表監督がスペイン代表より先に招集メンバーを発表し、その中にスペイン代表チームにも呼ばれる可能性がある選手がいた場合どうなるのか、もしオラゲールのようにナショナリズム意識が強い選手が両方に招集されてしまった場合、再び政治問題となるのではないか、簡単に言ってしまうとそういう内容だ。だが、幸か不幸か、招集メンバーを発表したのはルイス・アラゴネスチームの方が先だった。そして常識あるカタルーニャ監督ガラタコスはスペイン代表に呼ばれた選手をのぞいた形で招集選手を選択している。

バルサカンテラ育ちだけの選手を上げてみると次のようになる。
ビクトル・バルデス、アルベル・ジョルケラ、オラゲール・プレッサス、ジョアン・ベルドゥ(現コルーニャ)、フェルナンド・ナバーロ(現マジョルカ)、アントニオ・ピニージャ(現ナスティック)、カルラス・ドミンゴ“ミンゴ”(現ナスティック)、ルジェー・ガルシア(現アヤックス)、ジェラール・ロペス(現モナコ)、そして現ニューキャッスル所属のアルベルト・ルケ。

セスク、チャビ、プジョー、ルイス・ガルシアなどはスペイン代表組となっているので招集されていないが、気がついてみればグアルディオラが呼ばれていない。ガラタコスはあくまでも“現役選手”のみを招集したかったから、とその理由を語っている。だがそれに気を悪くしたのかどうか、グアルディオラは試合主催者の“貴賓席ご招待”サービスを拒否したという。そしてタムードも招集されていない。その理由を“戦術的”としているガラタコスだが、タムードはカタルーニャ代表にはまったく興味を示さない選手として知られているし、その証拠にこれまで3回連続不参加、これで4回連続となる。ちなみにガブリは体調不全を理由に招集前に断っている。そして当初招集されていたセルヒオ・ガルシアも体調不全のため、そしてオスカー・ロペスは負傷のため代わりにミンゴが呼ばれている。

カタルーニャ代表の試合が近づくと必ずメディアの間でテーマとなる一つのことがある。
「スペイン代表参加を選ぶか、カタルーニャ代表参加を優先するか?」
この嫌らしい質問に対してキッパリとした返答をした選手を知らない。そりゃそうだ、どちらかを選んだとしても、あとで問題になることは間違いないからだ。だが、オラゲールだけはチョイとふくみある返答をしたことがある。ドイツ・ムンディアルの前のグループ予選試合で、招集の可能性がほんの少しだけあった時だ。
「まだ招集もされていない段階で、もしという、仮定のことについて触れるのはバカげている。」
これがマドリメディアを中心として、スペイン代表拒否発言というようにねじ曲げられて報道されてしまった。一度として「行かない」と発言したわけではないのに、それからは代表招集拒否選手扱いに近い存在として知られることになった。カタルーニャでのオラゲールの人気は(もし人気があるとすればの話だが)、この“事件’がもとになっていると言っていい。

スペイン代表入りを拒否した(といっても代表に呼ばれたわけではない)選手が一人だけいる。少なくとも個人的に知っているのは一人だけ。その選手はバルサ・ロブソン監督時代に一部リーグにいたコンポステーラというクラブのナッチョという選手だった。彼は何かの時にテレビインタビューを受け、その際に「もしスペイン代表に呼ばれることがあっても自分は行かない。自分の代表チームはガリシア代表だけだ。」というようなことを語っていた。彼はガリシア独立色の強い政治党派に属していた選手として当時知られていたが、彼だけはキッパリとスペイン代表参加を拒否した選手だった。

まあ、そんなことはともかく、カタルーニャ代表にもバスク代表にもまったく興味がないので、カンプノウでの観戦はもちろんテレビでも見ることはないだろう。約8万人前後の観衆が見込まれるというこの試合、カタルーニャ独立旗とバスクの旗で埋め尽くされるであろうカンプノウ、普段とはまったく違う政治色満載のカンプノウ風景となる。


コネッホがどこからともなく現れた
(06/10/05)

バレンシア戦で途中出場してきたサビオラに、多くの人々がスタンディングオベーションをしていた。一種の驚きと共に彼に対する懐かしさがそうさせたのだろうが、彼の出現に我々以上に驚きをもってその瞬間を迎えた人がいるという。カンプノウパルコ席に陣取っていたチキ・ベギリスタインだ。

あの試合から何日かたち、ようやく“おかしな”現象の事実究明がされてきている。彼の出場を最も要望し続けた人、それはエウセビオだったということが明らかにされている。試合の状況次第ではサビオラの出場も考えようということが、すでに試合前からライカーを含めたコーチングスタッフの間で話し合われていたらしいが、チキはまったくそのことを知らされていなかったようだ。彼の方針に逆らってクラブに居残ることを決めたサビオラに対する最大の褒美はせいぜい試合招集どまり、間違っても試合出場ということは考えていなかったチキのようだから、ファンの間での自然なスタンディングオベーションと同様、彼にとっても超自然な驚きだったに違いない。

バルサのシーズン開幕戦となったセルタとの試合後も、チキはまだサビオラ側と移籍交渉をしている。ライカー監督が“計算外”とする選手をメンバー登録することをどうしても避けたかったからだ。まあ、それは当然のことだろう。すでにクラブ間では同意が得られているサンタンデールへの移籍交渉。だが、バルサでの年俸より低いものしか準備できないサンタンデールであるからサビオラ側は首をたてにふらず、いつものことながら成功を見ない“未遂事件”となったまま9月に入ってしまった。最終的にチキの努力は実らなかった。だがそれにもかかわらず、失敗が成功にと変貌してしまう強い幸運の持ち主であることを忘れてはいけない。チキ・スポーツ・ディレクターは偉大なのだ。

ヨハン・クライフがサビオラに関して触れているコメントが手元に3つある。すべてバンガルディア紙に掲載されたコメントだが、最初のが昨シーズンの途中に、二番目がエトーが負傷する先々週の月曜日に、そして最後がエトー負傷後の今週月曜日のもの。昨シーズンのはだいたい次のような内容だ。
「サビオラという選手が持つ特徴を最大限にいかすとすれば、それはセグンダ・プンタ(9番の斜め後ろに位置するデランテロ)としてプレーさせることだろう。例えば、リーベル時代にはパブロ・アンヘルという9番のセグンダ・プンタであり、バルサ時代にはクルイベルのセグンダ・プンタであり、アルゼンチン代表ではクレスポのセグンダ・プンタであり、そしてセビージャではカノウテとかファビアーノのセグンダ・プンタとして成功をおさめている。それが彼の最も活躍しやすい自然なポジションだからだ。だが、チキをはじめライカーも彼を必要なしとしているのはなぜか、それは簡単なことだ。つまり、バルサにはセグンダ・プンタという、そのポジションそのものが存在しないからだ。」
さすがヨハン、わかりやすく説明してくれている。

そして先々週のコメント。
「サビオラという選手は、たぶん、コーチングスタッフに計算外と宣告されながらもそのクラブに残ることを選んだ唯一の選手だろう。20代半ばという若さで、プレーすることより経済的なことを優先してしまった。だがバルサというクラブに、プレーすることもない選手に対して常識外の年俸を支払う余裕などないはずだ。」
さすがクライフ、歯に衣を着せずキッパリと語る。

今週のコメント。
「エトーの負傷ということから新たなデランテロを獲得するべきだという声を聞くが、私はその意見に反対だ。バルサにはグジョンセンという選手とサビオラという選手がいるではないか。そう、サビオラのおかれている状況は180度変わったと言っていい。」
さすがヨハン・クライフ、調子がいい。

セグンダ・プンタの選手がなにゆえエトーの代わりとなるのか、そんな“どうでもいいこと”に疑問を持ってはいけない。クライフが必要と言えば必要なわけで細かいことに一々疑問を持ってはいけない。この“大岡判決”によりサビオラは30分間要員のデランテロとなり、好漢エスケロは列の最後方に並ぶことになった。まあ、それはしかたがない。つまるところバルサというクラブにプラス材料となればよい。芝喰いウサギからかつてのコネッホに復帰。スエルテ、コネッホ!そして何よりも・・・スエルテ、バルサ!


セビージャ会長
(06/10/03)

かつてAt. マドリの会長であったヘスス・ヒルが市長を務めていたアンダルシア地方にあるマルべージャ市。ここで、当の市長をはじめ多くの役人たちがぐるとなって詐欺行為や公金横領を働いていたことが大問題となったのは、今から3年ぐらい前のことだ。70件前後の裁判沙汰を抱えていたヘスス・ヒルはすでに亡くなってしまったため、容疑者からはずされることになったが、彼のあとを継いだ市長フリアン・ムニョス容疑者を中心として、いまだに裁判が延々とおこなわれている。そして彼らにまつわる多くの容疑、例えば、汚職、業務違反、詐欺行為、公金横領などのカギを握る一人の人物として、当時市長ヘスス・ヒルや元市長フリアン・ムニョスなどの法律顧問として働いていた(そして現在も働いている)ホセ・マリア・デル・ニードという人物がいる。つまり、現在のセビージャ会長だ。

ホセ・マリア・デル・ニード、1957年8月6日セビージャ生まれの弁護士。彼がセビージャ・フットボール・クルブの最大株主であった1995年、当時一部リーグに在籍していたセルタとセビージャが選手給料未払い事件などを起こし、赤字経営を理由としてスペインフットボール協会から二部落ち処分を喰らう事件が起きている。だが両クラブのファンや一般市民の反対運動にあい、最終的にフットボール協会は折れ、そのまま一部リーグ残留ということになった。そしてその後、ファンからの会長批判が起きると共に辞任し、忘れっぽいスペイン人がその事件を忘れかけた2002年には再び会長職に復帰している。もちろんこの時点ではすでにマルべージャ市長の法律顧問として働いており、その年俸が300万ユーロというのが当時でもスキャンダルな話題となっていた。そして現在おこなわれている裁判で容疑者の一人となっている彼だが、もちろんこの異常な高さの年俸も裁判テーマの一つとなっている。でも、ここでは裁判についてはこれ以上触れない。あくまでもセビージャ会長としてのデル・ニードがテーマだからだ。

どこまでもドス黒い噂がまとわりつくデル・ニードだが、言い換えればどこまでもやり手の会長ということになる。選手移籍交渉などはすべて彼が直接担当するようで、その交渉の厳しさは有名だ。昨シーズンはバルサからサビオラをレンタル移籍させているが、彼の年俸の半分以上はバルサもちということもそれを証明している。そしてサビオラとバルサとの契約が切れることになる来シーズンから、すでに5シーズンにわたる仮契約が成立しているという噂もある。この会長とサビオラの代理人のことを考えると、単なる噂とは思えないところが恐ろしい。

先週の土曜日、つまり9月の最後の日、デル・ニードはサンタ・モニカ・エスポーツという会社と試合放映権売買に関して合意に達している。3年契約で年間2800万ユーロと噂されるこの契約、もちろんセビージャというクラブにとって歴史上最高額の放映権料だ。シーズンが開始されてからすでに5節が消化されているが、これまでセビージャの試合はいっさいテレビ放映されていない。テレビ会社には多くの収入が見込まれるバルサ戦のギリギリのところまで交渉を長引かせ、放映権料の引き上げを狙っていたデル・ニードの勝利に終わることになった。あとはこのサンタ・モニカ・エスポーツという会社がどこかのテレビ屋さんに販売さえすれば、バルサ・セビージャ戦はテレビ放映が可能となるところまできた。

それにしても弁護士という肩書きがつくクラブ会長がなんと多くなったことか。我がバルサの会長ジョアン・ラポルタ、レアル・マドリ会長ラモン・カルデロン、アスレティク・ビルバオ元会長フェルナンド・ラミキスに新会長アナ・ウルキッホ、コルーニャ会長アウグスト・レンドイロ、そしてこのデル・ニード胡散臭い弁護士。つまり、することが荒っぽくて単純でわかりやすい土建屋会長が減り、怪しげなインテリジェンスを武器に、やたらと美味しいことを機関銃のようにしゃべりまくる、口が恐ろしくも達者な会長が増えてきたということか・・・。


ビルバオ、カンテラ政策の失敗
(06/10/01)

ビルバオが低迷している。4節を終了した段階でまだ勝ち知らず、そして引き分けによる2ポイントしか稼いでいない。だが彼らの低迷は今シーズン始まったことではなく、ここ何シーズンか繰り返していることであり、クラブ創設以来の二部落ちという驚愕的な出来事が起こっても不思議ではない状態だ。

開幕戦がおこなわれてからしばらくして、クラブがソシオに対してあるアンケートをおこなっている。
「バスク人以外の選手を加入させることにイエスかノーか?」
それが唯一の質問となるアンケートだった。そしてソシオから帰ってきた答えは圧倒的にノーだったという。つまりこれまでの伝統を守りバスク人選手のみとしなければならないということであり、そういう思いのソシオが圧倒的に多いことを証明したアンケート結果となった。だが、それでも21世紀という時代に突入しても相変わらず地元の人間しか入団させないというクラブ方針は超時代錯誤と感じる人もいるらしい。まあ、それは当然だ。

ビルバオの低迷の初期的状況が見られたのは、ボスマン判決後だと言われている。ビッグクラブとは呼べないところで活躍する西側の選手を安い移籍料で獲得したり、東側の国のリーグでそれなりに活躍する“名もなき選手”をスカウトが発掘して連れてきたり、多くのクラブが外国籍選手を中心に補強作戦を取り始めたのはボスマン判決以来だ。そう、多くのクラブが、それも大した年間予算を組めない小さいクラブまでが、こうして補強作戦を組んでいったのに対し、ビルバオは相変わらず百年前と同じスタイルで生き続けようとしている。他のクラブとは違う条件で生き続けてることに意味を見いだす彼ら。だが純粋にスポーツ的な観点から見た場合、外国人選手はおろか他の地区のスペイン人選手さえ獲得できない彼らにマイナス面はあってもプラス面はない。それでもカンテラ政策が順調に進んでいれば、常にUEFA戦ぐらいは狙えるチームであったにもかかわらず、それさえうまくいっていないようだ。

今シーズンのチームを形成する23人のビルバオ選手の中で、カンテラ育ちではない選手が7人もいる。つまり約三分の一は他のクラブで育ったバスク人選手ということになる。サリアギ(アラベス)、ティコ(オサスナ)、ガビロンド(ソシエダ)、オルバイス(オサスナ)、エチェベリア(ソシエダ)、ウルサイス(あまりにも移動が多くてどこのカンテラ育ちかも不明)、ハビ・マルティネス(オサスナ)、アレックス・ガルシア(サンタンデール)、10年以上前には考えれらない状況だが、これもボスマン判決の影響と言える。なぜならボスマン判決を彼らなりに“解釈”してしまったビルバオ関係者が、10年くらい前から、他のクラブでプレーするバスク人選手の獲得作戦にでたからだ。この発想がカンテラ政策をおろそかにしてしまったのかも知れない。

カンテラ政策に最も重点をおかなければならないビルバオだが、バルサのカンテラ政策と比較してみると、いかに彼らのそれがうまくいっていないかということがわかるというものだ。彼らに“レイナ”や“バルデス”というポルテロはあらわれていない。“プジョー”という偉大なカピタンも登場してない。“チャビ”や“イニエスタ”というどこのクラブでもスタメンをはれる若手セントロカンピスタも登場していない。まして“メッシー”という一つの国の代表を背負って立つであろうクラックも誕生していない。そして個人的なことで言えば、カンテラという概念の位置づけもバルサの方が気に入っている。ビルバオというクラブにとってカンテラ選手は当然ながらバスク人に限られる。これを“伝統を守る格式高いクラブ”とするか、“時代遅れの閉ざされたクラブ”とするか、それは人の考え方次第だからここでは触れない。一方、バルサのカンテラ概念には、カタラン人とかスペイン人とか外国人とかいう発想はない。カタラン人優先という発想はあったとしても、他の地方や国から来た少年たちを拒絶する発想はない。どこの生まれであろうと己のクラブで育ち、一人前の選手としてだけではなく一人の人間としも成長していった選手は、クラブの財産であり息子たちだとする発想だからだ。

さて、危機を迎えているビルバオだが、バルサ戦を前にしてクラブ会長が突如辞任し、新たな会長を誕生させている。それもクラブ誕生以来108年の歴史上初の女性会長だ。わずか30年前まで女性ソシオを受け付けなかったビルバオに、アナ・ウルキッホという弁護士を本職とする女性会長が誕生した。


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