2006年
2007年
2

エトー復帰効果
(07/02/28)

「昨シーズンのエトーを100%だとすれば、ビルバオ戦での彼は50%か、あるいは60%か・・・はたまた70%か、いずれにしてもこれまで見てきた彼にはほど遠い出来であることは間違いない。ただ、それでも彼の特徴がはっきりと出た試合だったと思う。例えば、メッシーやロナルディーニョ、あるいはグジョンセン、サビオラ、ジュリーという選手がすべてショートパスを要求するのに対し、彼はショートであれロングパスであれそれに対応できる唯一の選手。したがって他の選手にはマンマークが通用するものの、彼の場合は意味のないことになる。」
そう語るペップ・グアルディオラ。個人的にもエトーの調子はそういう感じにうつった。50%か、あるいは60%か・・・はたまた70%か。

直線コースを走ればスピードはあるものの、彼の特徴の一つである瞬間的なスピードがない。小回りがきかないから相手デフェンサに微妙な動きをされるとまったくついていけない。一対一の勝負でこれまでだったらフェイントするところを、微妙な動きをする相手についていけない。負傷した右足で思いっきりシュートすることがまだできない。左サイドから斜めに放ったシュートは驚くことに左足からのものだった。あの角度ではいつも右サイドインテリオールでシュートしていたエトーにもかかわらず。

まだ自信がないのは明らか。そして、それは当然のことだろう。5か月ぶりに現場に復帰してきて、いきなり前のようにプレーしろというのが無理な話。練習に参加してきてからもうずいぶんと日にちがたっているが、練習と本番ではまったく違うことぐらい素人にもわかる。かつてのチャビのようにリズムが戻るのには時間が必要だし、負傷した右足と仲直りするにも時間がかかる。
「あの負傷で最も怖いことは空振りしたときに膝に与えるダメージ。」
手術を担当したドクター・クガット氏がかつて語っていたが、右足で強くボールを蹴り、何かの拍子で空振りしたときに大きなダメージが膝に加えられる。それを恐れることもあるだろうし、例え目的どおりボールを蹴ることができても膝に対する信頼感が不足しているから、以前のようになかなか思いっきり蹴れない。

それでも、やはり彼はエトーだった。フラン・ライカー・システムに欠かせない、最も前に陣取るデフェンサの1人としての役目をそれなりに、彼にとって可能な限り果たしていた。彼が11人のスタメンに入っただけで、バルサデフェンサ陣がいつもより15mは前に出てきたのが印象的だった。あの、トゥランがセントラルに入っていながら、ここしばらく見られなかった高いラインのデフェンサが登場した。エトー個人の出来ウンヌンカンヌンより、彼の存在そのものが大きくバルサというチームに好影響を与えていた。

国王杯はバルサがマジに狙っているタイトルだ。セビージャ戦、リバプール戦、そしてレアル・マドリ戦が目の前まで来ているとはいいながら、どの試合にもおとらないぐらいサラゴサ戦は重要な試合だ。したがって、ライカー・スタッフは真剣勝負を挑むことになる。それ以降の試合のことなど考えずに、全力を挙げて、この戦いに相応しい選手を選抜して戦う。だが、”相応しい選手を選抜”するということは、エトーやメッシーの90分間のプレーを意味しない。すでにメッシーに関しては以前触れたように、彼の場合1週間で90分の試合がフィジカル的に理想的であり、負傷上がりということも付け足さないとならない。エトーはやっと戻ってきたばかりだ。
「試合中に痛みがなかったわけではない。でも我慢できないほどのものじゃあなかった。たぶん、これから1年ぐらいはこうした状態が続くのだろうと思う。だが、いずれにしてもこの試合に出場することで負傷は過去のものとなり、スッキリした気分になっている。交代は自分から申し出たものではないが、フィジカル的にはあそこまでが精一杯。本当にクタクタになってしまったよ。」
彼の場合は厳しいスケジュールをこなすフィジカルは当然ながらない。したがってサラゴサ戦には招集さえされていない。

ビルバオ戦で気分が良くなってきたところでの第二戦。さらに良い気分で次の試合を観戦するためにも、ここは一つ、いや二つも三つも、スエルテ、バルサ!

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フェリシダーデス!
(07/02/26)

ここ何シーズンかのビルバオの低調ぶりを考えると、本来なら今回のビルバオ戦も大して注目に値する試合とはならない。バルサにとって地元カンプノウでの試合であり、大きく離れたリーグ戦の順位、決して好調の波に乗っているとは言えないビルバオ、したがってバルサにとっては確実に3ポイント獲得が計算できる試合であり、ピリピリとした緊張感が見られなくても不思議ではない試合だ。だが、いろいろな事情により、かなり重要な試合の一つとなってしまったと言える。わずか4日前のリバプール戦での痛々しい敗戦、そして“売らんかな”メディアによるロナルディーニョとバルデスに対する多くの批判が噴出した4日間。

ロナルディーニョの練習不足というのは今に始まったわけでもなく、このコーナーでも具体的な数字をだしてその練習回数の少なさを何回も指摘してきている。これまでバルサがおこなってきた練習回数の30%しか参加してきていない彼であり、別に昨日今日始まったことではない。だが、その手の批判は、選手やチームがうまく機能している時にこそおこなうもので、不調な選手や機能しないチームを励まさなければいけないこの時期におこなうものではない。過去と現在の彼の写真を比較し“太っているロナルディーニョ”としてさらけ出すのは、とてつもなく趣味が悪いことだ。多くの選手と多くのバルセロニスタが沈み込んでいるこの時期を選んだように、肉体的な問題をスキャンダルにだすのはじつに悪趣味だ。

リバプール戦以降、もう一人の主役となったバルデス。あの試合での彼の致命的なミスに対する批判があるのはしかたがない。同じように、マークミスをしたベレッティや、パス処理を誤ったマルケスや、決定的なゴールチャンスをいかせなかったサビオラや、チームを機能させるどころかほとんど消えていた感じのしたチャビや、普段以上に透明感いっぱいだったモッタなどが批判されるのと同じように、バルデスも批判されるのはしかたがない。

ただ、バルサのポルテロとして相応しいかどうかという議論にまで達すると、それは無駄な時間を過ごしていることになる。ウルッティ、スビサレッタ、ブスケ、ロペテギ、バイアなどをこの目で見てきたが、バルデスはこの中の誰にも負けない活躍を見せているポルテロだろう。チャンピオンズ決勝戦での活躍を持ち出すまでもなく、これまで多くの試合を彼のプレーで救ってきている。しかも、今シーズンのバルサ選手の中で最も期待に応えている選手であることを、たった1回のミスで忘れてしまうことの愚かさ。

この2人のプレーに、多くのバルセロニスタの視線が集中したビルバオ戦。メディアにいいように踊らされるのはどこのファンでも同じ。否定的な試合展開となれば、彼らにブーイングが飛ぶことはじゅうぶん想像できる。だから、ひたすら、ひたすら早い段階でのゴールが必要だった。そして、エトーが最初にボールに触った瞬間、カンプノウの一部アホファンからブーイング。バルデスが最初にボールを手にした時には一部良心的ファンから拍手。そしてロナルディーニョに対しては普段どおりの反応。

エトーの復帰が明日のバルサに対する希望を与えてくれる。メッシーが前の試合よりリズムが戻っているのが明るいニュース。ロナルディーニョの腹と顔に笑いが戻ってきた。レアル・マドリとセビージャ、そしてバレンシアが引き分けに終わったという結果、バルサにとって丸儲けとなった週末。だが、それでも相手がビルバオだったことも忘れてはいけない。これほど迫力のないビルバオを見たのは何年ぶりだろうか。相手はバレンシアでなければセビージャでもなく、ましてリバプールじゃない。でも、思い切ってここは欺されてみよう。かつてのバルサが戻ってきたかも知れない。


クラブ会長
(07/02/25)

どうでもいいっちゃあ、まったくどうでもいいことながら、あそこの家のおじさんの仕事はこんなんだってえ、というたわいもない話題。リバプール戦での“思わぬ敗北”にチョイと空気が抜けちまっている状態には、こういう話題がよろしい。スペイン一部リーグのクラブ会長となっている人々の本来の仕事について触れてみよう。

●ジョアン・ラポルタ(バルサ)弁護士
大企業関係コーディネート
●ホセ・マリア・デル・ニード(セビージャ)弁護士
芸能人、悪徳政治家などの弁護士
●ラモン・カルデロン(レアル・マドリ)弁護士
建設業関連、闘牛士関連弁護士
●アナ・ウルキホ(ビルバオ)弁護士
大企業関係コーディネート
●エンリッケ・セレッソ(At.マドリ)映画産業
映画制作プロデュース、映画館営業
●ダニ・サンチェス・リブレ(エスパニョール)缶詰業
スーパーに山となって並んでいるダニという缶詰会社社長
●フランシスコ・ペルニア(サンタンデール)元政治家
元カンタブリア州議員
●ラウル・フォン(ナスティック)政治家
タラゴナ市市会議員
●エドゥアルド・バンドレス(サラゴサ)元政治家
元アラゴン州議員
●セサー・レンドイロ(コルーニャ)元政治家・専業会長
24時間会長職
●ミゲル・フエンテス(ソシエダ)元選手・専業会長
24時間会長職
●カルロス・モウリーニョ(セルタ)運送業
なにやらメキシコで大儲け
●ジュアン・ソレール(バレンシア)不動産・建設業
バレンシアの大富豪家二代目お坊ちゃん
●アンヘル・トーレス(ヘタフェ)不動産・建設業
●フランシスコ・メンドーサ(レクレアティーボ)不動産・建設業
●フェルナンド・ロッチ(ビジャレアル)タイル製造業
●フランシスコ・イスコ(オサスナ)不動産業
●ホセ・レオン(ベティス)建設業
●フリオ・ロメロ(レバンテ)顧問業
●ビセン・グランデ(マジョルカ)不動産・建設業

いわゆる“フットボール会社”組織ではなく、ソシオ制度によって成り立っているクラブは現在のところ4つある。バルサ、レアル・マドリ、ビルバオ、そしてオサスナ。この4つのクラブはソシオの投票によって会長が選出されるが、残りの16のクラブは最大株主が会長になるのが普通。それでもその最大株主が誰々と会長を指定する場合もある。4人の弁護士、11人の実業家、4人の元・現政治家、1人の元フットボール選手、そしてこれらの会長の中で“有給会長”となって会長職専門で働いている人物が2人いる。デポルのレンドイロとソシエダのフェルナンデスだ。

19年前にデポルの会長となったレンドイロは、現役のガリシア州議員だった。二足のわらじを脱ぎ、会長職専門になったのは今から10年前ぐらい。彼の年俸はクラブ年間予算の1%と決まっており、年間予算は年ごとに増えていくから彼の年俸も自動的に上がっていく仕組みとなっている。例えば、今シーズンのデポル年間予算は約1億ユーロ、したがって彼の年俸は100万ユーロということになる。だが、黒字経営となれば問題はないものの、ここのところ赤字経営となるシーズンが重なってきたために少し問題となりつつあるようだ。
「赤字をだした張本人なんだから、自らの年俸から赤字を埋めていくべきではないか?」
そういう正しい疑問を持った人々がレンドイロ辞任運動を起こしている。

ソシオ制度の4つのクラブのうち、3つの会長が弁護士というのが興味深いところ。かつては土建屋が幅をきかせたものが、最近は弁護士業の人たちが顔を連ねている。もっとも弁護士といっても、裁判所に出廷して被告人の弁護をするというよりは、弁護士資格を持っているに過ぎない感じなのがラポルタとビルバオ会長ウルキホ。彼らの仕事の大部分は大企業の資金関係のコーディネートとか法律関係の相談役というのが主だという。もっともラポルタは会長になるまで多くのアルバイトをしていた人で、今から12、3年前には日本領事館で2年間仕事をしていたこともある。当時、領事館に勤めていた人と話した限り、彼の仕事は事務職のようなもの。それでも彼の肩書きは弁護士だったそうだ。

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情けねえ!
(07/02/23)

カンプノウでは200試合から300試合ぐらいは試合観戦していると思うが、こんな風景の観客席はたぶん初めてだろう。3階南ゴール裏とラテラル席の間に設置されたアウエーファン用のスペースに真っ赤なリバプールファンが陣取っているのは当然のこと。だが、ビール会社のロゴを付けた赤いユニフォームを着た酔っぱらいイングランド人が一般席のアチコチにバラバラと見られる。なんだあ、こりゃあ。さらに我々の隣の席にはその手の輩がいるではないか。これが、カンプノウか?

酔っぱらい共によ〜く聞いてみれば、ハハ〜ン、納得。彼らは“シエント・リブレ”方式でフリーとなった入場券を手に入れていた。イングランド人には売らないと宣言し、外国人にはパスポート提出を義務づけて販売していた窓口であるにもかかわらず、彼らはいとも簡単に“正式”な入場券を手に入れている。

試合観戦しませんという年間席所有ソシオがクラブオフィスに連絡をとり、彼らの席を一般開放し、売り上げの半分をソシオに、残りの半分をクラブの懐に入れることになる“シエント・リブレ”方式。もっとも、ひとシーズンすべてこの方式で自分の席を開放してもソシオが大儲けすることができるわけではない。年間席費用の半分までが最大限と決められており、その金額が当人の銀行に振り込まれるわけで、“シエント・リブレ”方式による収入が年間席費用の半分を超えるとすべてクラブ金庫に納まる仕組みとなっている。だが、いずれにしても、この方式を採用することにより、どんな試合であれ、そして枚数に限りがあるとはいえ、一般用チケット販売が可能となった。したがって良いアイデアと言えば、確かに良いアイデアではあるはずだ。

これまでの販売方式によると、最初は年間席を持っていないソシオを対象に売り始め、売り残りがでると一般のファン用に窓口が開くことになる。1人につき2枚まで、これが今まで採用してきている販売方式。だが、ヨーロッパ関係の試合では外国人にはパスポートを要求している。酔っぱらいアウエーファンを一般席に混ぜないようにし、ソシオと問題を起こさせないようにするためだ。だが、この2枚販売というのがチョイと問題だ。

「おまえが手に入れたチケットを倍額で買ってやる。」
ポパイをそのまま大きくしたような酔っぱらいイングランド人にそう声をかけられたという、窓口に列を作っていた知り合いの日本人。お小遣い稼ぎにもなるし、イヤだといったらカンプノウ三階席まで吹っ飛ばされそうだし、OK!と承諾した彼を責めることはできない。自分用のチケットだけを買うのも、2枚目も一緒に買うのも労力的には変わりがないし、じゃあ、あの大型ポパイに買ってやるか、それは自然な成り行きだ。こうしてカンプノウは、真っ赤なシャツを着て真っ赤な顔をした大型ポパイ共に支配されてしまったのであった。

ここ何年か、少しずつではあるものの若者の観戦が増えている。とはいうものの、年間席所有者の大部分は50歳を過ぎた人々や家族連れがほとんど。このスタディアムで観戦したことがある人なら気がつくだろうが、そりゃあ、静かな応援風景だ。1人の大型ポパイの応援パワーは100人のバルセロニスタに勝る。彼らが同点としたゴールを決めた瞬間、大型ポパイ共はカンプノウの主役と化してしまった。思わず失笑してしまうような失点風景も情けなければ、観客席の風景も情けない試合。ああ、ボイショス・ノイスさんたち、助けてくださいまし!と思わず言ってはいけないことを口走りたくなる。周りの気の弱いカタラン人とあたしらスペイン長期滞在組東洋人だけではどうにもなりません。

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いざ、勝負じゃ!
(07/02/21_2)

2月21-22-23 (Champions & UEFA)
Barca-Liverpool
Madrid-Bayern
Inter-Valencia
Sevilla-Steaua

2月24-25 (Liga)
Barca-Athletic
At.Madrid-Madrid
Getafe-Sevilla
Nastic-Valencia

2月28 (Copa)
Zaragoza-Barca
Betis-Sevilla

3月3-4 (Liga)
Sevilla-Barca
Madrid-Getafe
Valencia-Celta
Recre-At. Madrid

3月6-7 (Champions)
Liverpool-Barca
Valencia-Inter
Bayern-Madrid

3月10-11 (Liga)
Barca-Madrid
Nastic-Sevilla
Osasuna-Valencia
At. Madrid-Depor

2月22日のリバプール戦から3月10日のクラシコまで、18日間で6試合という強烈なスケジュールが待っている。もしバレンシア戦に勝利していれば、悲観的な人にもリーグ優勝が見えて来たかも知れないし、楽観的な人には残りの試合が消化試合と映ったかも知れない。だが、残念ながらそうはならず、バルサのリーグ優勝はとりあえずおあずけ状態となったため、その意味でも重要な18日間。

チャンピオンズ試合前日の夕方、両監督と代表選手が記者会見場に姿をあらわす。まずデコが登場し、彼が終わると交代にライカーが登場。ライカーのあとにはリバプールの選手が出てきて、最後にベニテス監督。ライカーはオランダ人だから、オランダ語はもちろんドイツ語もOKだし、当然ながら英語やイタリア語も流ちょうにしゃべる。フランス語も理解するし、スペイン語はもちろんカタランも理解できる。したがってこの手の国際的な記者会見には何の問題もない。だが、非常に気を使う人というのがこういう場面ではよく表れるようで、決して通訳の仕事に口を挟むようなことはしない。リバプールの監督になってからのベニテスの記者会見を初めて見たが、彼は通訳がいるにもかかわらず、英語の質問に対して英語で答えたあと、スペイン語に直して再び同じことをしゃべる。同じように、スペイン語の質問に対してスペイン語で答えたあと、英語に直してしゃべる。通訳女性の困ったような表情を無視して彼はひたすらしゃべる。こういう人は苦手だ。他人のプロの仕事をとるような人は苦手だ。

その彼が次のような印象的なことを語っていた。
「バレンシアのような戦い方は、バルサと対戦する95%のクラブがおこなってきている。ただ、バレンシアには良い選手がいるから効率的にカウンタアタックが展開されるが、普通のチームでは先日のような展開は無理だろう。」
もちろんベニテスチームもバレンシアのような戦い方をしてくるのだろう。リバプールの戦術を予想すれば、5人の大型バスを、それも二階建ての大型バスを配置し、彼らの前に4人のセントロカンピスタ、1人のプンタということになりそうだ。

味方のコーナーキックのみならず、相手のコーナーキックさえも最大のゴールチャンスになるような戦い方をするチームをバルサは苦手とするし、個人的にもどうもそういうチームはいただけない。非常に寂しい数字でしか年間予算が組めない弱小チームがそういう作戦をとるのはしかたがないとしよう。実力的に差がありすぎるのだから、まともに戦っては勝てるわけがない。だから引いて引いて、ひたすら引いて、いつかやってくるかも知れない相手のミスを待つ。そして、良い選手を集められる裕福クラブがこういう作戦をとると、見た目が悪いのに変わりはないが非常に効果的な戦術となる。質が高く強固なデフェンサ陣、ボール奪取に優れたセントロカンピスタ、そしてスピードとゴール嗅覚を備えた効率的なデランテロたちがそろえられるからだ。したがって弱小チームがおこなう亀の子作戦が、例えばバレンシアのような良い選手をそろえたチームがおこなうと、金色に輝く亀の子作戦となる。見ている方にとっては、とてつもなく魅力がなくつまらない試合となるが、フットボールの世界にはこのようなチームがいるから更に面白くなる、と、考えることにしよう。

これまでカンプノウでリバプール相手の試合で勝ったのを見たことがない。たぶん、ゴールさえ決めたことがないんじゃないだろうか。試合内容まで覚えていないが、ひたすらサンドバッグをぶち叩いてぶち叩いてぶち叩く90分で、そのうち打ち疲れてアヘ〜となってしまうような試合だったと記憶している。見ている方にとっては緊張感よりも疲労感の多い試合となるし、今回も再びそれが繰り返されるかも知れない。が、それでも見たい。金の亀の子を粉々に粉砕するところを見たい。何となく、正義が悪と戦っているような気がしてくる、こういう試合にはどうしても勝ちたい。

ただ、リバプール予行演習となったバレンシア戦を見る限り、果たしてバルサにサンドバッグをぶち続けるパワーがあるのかどうか、それが問題だ。くれぐれも、サンドバッグにぶちかまされないようにしよう。さあて、カンプノウへ行くべっち。

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マドリ・バイエルン戦をより楽しむために
(07/02/21)

レアル・マドリのスポーツ・ディレクターであるページャ・ミヤトビッチの言い分はこうだ。
「ガゴ、マルセロ、イグアインという3人の選手を獲得した冬のマーケット作戦は、クラブの将来の方向性を示したものであったにもかかわらず、なにゆえ彼らを信頼し起用し続けないのか? ベティス戦ではエメルソンではなく、なにゆえガゴをベンチに引っ込めたのか? ここ何試合かなにゆえイグアインを起用しないのか? なにゆえ彼らを信頼せず、グティとかラウルを信頼し続けるのか?」
その質問というか批判というか、それらに応じるカペロ。
「必要なポジションに必要な選手を配置するのが私の仕事。誰を選ぶか決めるのは監督の仕事であり、誰の干渉も受けるつもりはない。」
19日月曜日午前、マドリの総合練習場シウダー・デポルティーバで、多くの目撃者を伴ってやりとりされたミヤトビッチとカペロの怒鳴り声、と、AS紙は伝える。

そしてその日の午後、カデナ・コペというラジオ局のウエッブページが唸りを上げて、センセーショナルにカペロ辞任を発表。
“レアル・マドリ理事会はカペロ監督の解任を決意。厳密に言えばクラブ側からの一方的な更迭となったが、両者の話し合いで監督自らの辞任という形をとることにした。火曜日におこなわれるバイエルン戦を最後にカペロはクラブから去ることになる。後任にはマドリB監督のミッチェルが就任することも決定されている。”

19時、レアル・マドリ理事会は緊急記者会見を招集し、スポークスマンのミゲランヘル・アラヨがこのニュースを否定。
「我々クラブ理事会はカペロ解任の決意をしていないし、話し合いもおこなっていない。彼との契約はまだ2年半残っていることを忘れてはいけない。だが、週末の試合に彼がベンチに座っているかと聞かれれば、それは答えようのないものとなる。なぜなら、みなさんも御存知のように、フットボールの世界では明日のことなど誰にもわからないからだ。」
どこかで見たことのある風景。どこだったか・・・いつだったか・・・そうだ、あれは今からさかのぼること4年、我が家で体験した風景だ!

「今朝我々は彼とクラブとの間で交わされていた契約を解消することに同意を得た。契約期間はまだ2シーズン半残っていたが、お互いの話し合いの末、両者とも納得する形でその契約を解消することができた。結果的にソシオの期待に応えられる成績を残せなかったとはいえ、クラブにとって最も相応しい新監督として彼を選択した我々のアイデアに間違いはなかったと今でも信じている。」
いわゆる“出戻り”作戦が失敗したことを意味する。両者とも納得する形でその契約を解消することができたと説明するものの、残り2年半分にわたる“出戻り“監督との契約解除金額については触れられなかった。

クラブ会長とスポーツ・ディレクターに伴われて記者会見場に登場した“元・前監督”。当然ながら、その表情は厳しい。前夜はよく眠れなかったのか両目はどことなく腫れっぼったく見える。
「ガスパー会長をはじめクラブ関係者には一切の恨みなどないし、それどころか非常に感謝していることをまず伝えたい。」
この日の主役となった彼がこのように語り始める。そして前日の試合での敗北時には監督を辞任する気はなかったものの、会長との話し合いで最終的に考えを変えることにしたと言う。
「クラブはいかなる個人の存在を超えたところにある。したがって、選手たちがいかに私を支持しようと、そして私バンガールがこの危機状況を乗り切る力があると信じていようとも、クラブとクラブを取り巻く状況を考ええればこの結論が一番正しいと信じる。」

2003年1月28日
エル・パイス紙

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ミケル・アルテッタ
(07/02/20)

今シーズン、ミケル・アルテッタはエバートンでプレーしている。ラ・マシア伝統と言ってもいい4番ピボッテ選手として将来を大いに期待されながらも、残念ながらバルサで活躍するまでいかなかった。レイナ、バルデス、ババンジーダ、ナバーロなどとバルサBでプレーしていた時代、彼の前にはペップ・グアルディオラがおり、そしてチャビ・エルナンデスもまたバルサAチーム定着を狙っていた。そしてフベニルカテゴリーにはイニエスタという、すでに将来を注目されていた選手もいた。パリス・サンジェルマンからのオファーを自然に受けいれたアルテッタは、その後グラスゴー・レンジャース、レアル・ソシエダを経て、現在はエバートンファンのアイドルと呼んでいい選手に成長している。

あなたは今シーズンすでに2回リバプールと対戦していますが、バルサはどのように戦うべきだと思うか?

いつものバルサらしく戦うのが一番だし、バルサだから当然バルサらしく戦うと思う。何たってこの世界に唯一といっていいほど、自分のスタイルを貫くチームなんだから。特にカンプノウではいつものバルサらしい戦いが見られると信じている。リバプールのようにホームとアウエーではまったく違うスタイルで戦うのもいいだろうけれど、バルサはアウエーでもホームでも常にバルサらしく戦う。もっとも、チャンピオンズのこの段階での試合では、カンプノウでの結果を考慮しながらアンフィールドで戦うことになるだろうけれどね。

どんな試合になると思いますか?

いま言ったようにリバプールはホームとアウエーではまったく戦い方が違うから、カンプノウでの試合とアンフィールドでの試合はまったく違う感じのものとなることは確かだろう。でも試合展開までは予想できない。ゴールが早い時間に決まったり、退場者が出たり、考慮しなければいけないことが多くあるからね。ただ、レベルの高い試合になることは間違いないと思う。

パリス・サンジェルマンでのあなたのかつての同僚の出来が、バルサの運命を左右するでしょうか?

ロナルディーニョは突然現れて試合を決めてしまうことができる選手だから、そうかも知れない。でも、バルサは彼以外にも優れた選手がいるから、そうじゃないかも知れない。

バルサはリバプールの誰を特に注意しなければいけないか?

そりゃジェラードだよ。彼のシュート許容範囲内で絶対にフリーにしてはいけない。それは鉄則と言っていい。中盤からの上がりを特に気をつけて、しっかりとマークしなければならないと思う。彼の素晴らしさはシュートが強烈だということだけではなく、非常に効率の高いシュートを放つところにある。だから、何にも増して彼を注意しなければ。

デランテロたちは?

クラウチとカイトというデランテロがいるけれど、決してスペクタクルな選手ではない。だが、スペクタクルでないことと有効性は別の問題。クラウチは攻撃の最前線における重要な選手であり、彼を起点として中盤の選手たちが攻撃参加をしてくる。しかも彼がボールを持ったらそれを奪うのは容易なことじゃない。カイトは思ったよりも早くリバプールフットボールに馴染んできているインテリジェンスあふれる選手であり、ゴールの合い言葉と言ってもいい。

カンプノウでの少々のハンディーを持つ結果は、アンフィールドでの試合でじゅうぶん逆転できる。そうレイナは豪語していますが?

アンフィールドの雰囲気は、あそこでプレーした選手にしかわからないほど凄いものさ。12番目の選手と化したスタンドからのプレッシャーは恐ろしいものがあるし、選手自体もアウエーで見た同じ選手かと疑いたくなるほどモチベーションが高くプレーしている。もし、アウエーの試合でもう少し良い結果をだせるチームだったら、マンチェスターやチェルシーとプレミアを争っていると思う。

個人的な話になりますが、来シーズン当たりスペインリーグに戻ってくるという噂も聞きますが?

エバートンが簡単に自分を自由にしてくれるとは思わないし、自分の希望としてもクラブを離れる気はない。少なくても今のところはね。自分にチャンスを与えてくれたこのクラブに非常に感謝しているし、プレミア自体も好きなリーグだし。

レイナとかチャビ・アロンソとか、リバプールにはあなたの友人がいます。今回のバルサ・リバプール戦ではどちらを応援しますか?

それはとてもバカげた質問。自分はどんな試合であれ、バルサが勝利して欲しいと思っているし、今回の試合でも例外じゃないさ。そして自分の希望どおり、バルサが勝ち抜いて行くと思う。

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ケルメ
(07/02/18)

「最近おこなわれたオラゲール・プレッサス選手の各種メディアをとおしての政治的な発言を考慮した結果、ケルメは彼との契約を解約する結論に達した。」
オラゲールが“例の”論文を発表した翌日、総合スポーツグッズ会社ケルメがこうメディアに発表している。

さらに、
「我々はすべての人々の言論の自由と思想の自由を認めるものである。」
としながらも、
「我々と彼の関係はあくまでもスポーツメーカとスポーツ選手というものであり、当社のイメージ戦略を考慮した際、オラゲール選手とは相違入れないと判断した。」
ということになるらしい。まあ、ようするに、あまり受けの良くない政治的な発言をする選手とは契約を続けません、というように理解してみよう。

バレンシア州にあるアリカンテという大きな町の近くにあるエルチェがケルメの発祥地であり、現在もここに本部が置かれている。スポーツシューズ専門会社として1960年代にスタートしたこの会社が、時代の要請と共に総合スポーツグッズ会社と変身していった。そしてその名が一躍有名になったのは自転車ロードレースのスポンサー兼チームとなったり、レアル・マドリのユニフォームスポンサーとなってからだ。だが、企業努力が足りなかったのか、他のスポーツメーカの躍進があったためか、その理由は知らないものの倒産寸前にまで追い込まれたのが2002年のこと。消費税未納容疑で本部の家宅捜査を受ける羽目にもなり、絶体絶命の危機に陥ることになる。そして、倒産を救ったのがバレンシア州政府だった。

バレンシア州は歴史的にPP(民衆党)が根強い縄張りを持つ地域であり、アスナールが党首を務めていたあのPP保守党が、バレンシア州政府の政権を握っていた。なにゆえ彼らがケルメ救済に入ったのか、それは地元で各種のスポーツイベントを開催するためにどうしても強力なスポーツメーカー、それも自由に動かすことができるスポーツメーカーが必要だった、という説が一般的らしい。まあ、理由はともかく、とにかく州政府がケルメの救済に入った。ケルメという会社はディエゴ・キレスとペペ・キレスという2人の兄弟が作り上げたもの。その会社の倒産を防ぐために、やはりPP系の銀行をとおしてバレンシア州政府が約1千万ユーロの融資をおこなった。そしてケルメの危機は回避された。

危機は回避されたものの、ケルメ創設者である2人の兄弟には実権がまったくなくなってしまったらしい。特にここ2、3年はPP関係者によって会社が動かされているという。
「したがって、今回のオラゲール解約処置は、非常に政治的な臭いがするものだ。」
と、バレンシア州政府の野党であるIU(左翼連合)が告発している。何やら政治的発言が政治的な動きを呼んでしまったようだ。

“オラゲール支持、ケルメ商品不買運動促進!”
このような垂れ幕が先日のカンプノウの試合で見かけられた。言論の自由があれば、契約を無効にする自由もあり、そして不買運動をする自由もある。
「言論の自由があるとは言うものの、彼の論文主旨は我々と契約を結んでいるスポンサーに悪影響を与えてしまい、不愉快に感じているスポンサー関係者もあらわれている。」
批判の的となった選手を守るのではなく、スポンサー代弁者となる情けないラポルタにも“情けない会長”となる権利がある。

さて、バルサの試合相手はバレンシア。エトーからの批判が功を奏してか、今シーズン初めて練習出席皆勤賞を獲得(ジムでの調整という公式発表ゼロ週)したロナルディーニョ。それでは久しぶりにスタメン予想をば。


一つの推論
(07/02/16)

シーズン中に放たれた1人の選手からの“告発”としては、あまり例を見ないほどのメガトン級のものだ。
ズド〜ン!監督の試合出場命令に背いただけではなく、その監督を密告者として批判し悪者扱い。
ズド〜ン!余計なことをしゃべるなとしてチームの第二カピタンまでを批判し、やはり彼を悪者扱い。
ズド〜ン!同僚であるすべての選手に対し「リハビリ中に誰も激励の連絡をよこしてこなかった」として暗黙の批判。
アフリカ基金関係のキャンペーン中のことであり、怒鳴り散らすようにしゃべる彼の周りには多くの子供たちがいた。そんなことを無視して品のない汚い言い回しの言葉を使っての言いたい放題。これほど醜いことはない。子供たちを引率している女性の困りはててしまっている表情が印象的なシーン。

選手間に何らかの問題が起きたときには、どこのチームもそうだろうがバルサにも掟というものがある。まず最初にチームのカピタンに相談すること、そのあと監督に入ってもらい、最終的にクラブ会長の判断に任せること。だが、ここでもサムエル・エゴーは大きな、そして致命的な誤りを犯している。彼は会長に直接連絡を取り話し合いを持ってしまった。
「彼が出場しなかったのは体を温める時間が短かったため。」
エチェベリアと共に、バルサにあって唯一の援護者であるラポルタがこのように詭弁を使ってサムエルを守る。本来であるならば、会長は監督側につかなければならないにもかかわらず、ラポルタはサムエル擁護についてしまった。唯一監督のみが選手たちの親分であり、その親分が孤立しそうになった。当然ながら、選手たちは親分擁護の行動に走る。

「選手間には二つのグループがある。」
と告発したバルサ9番の発言は、これまでの様子を見る限り正論と言っていいだろう。カンテラグループとブラジルグループ、ジェラールが抜けたあとは孤立状態の彼であるから、どちらのグループにも属していないはずだ。だが、会長と彼の発言がこの二つのグループを一つにまとめてしまったようだ。カンテラグループ親分プジョー、ブラジルグループ親分デコの2人が今回の事件を解決しようと動き回ったのがその証拠といえる。

「誤解が生んだ産物」
こうしてカピタン・プジョーが記者会見で語り、その誤解が溶けたことにより問題が解決したという。だが、誤解という言葉を聞いて思わずクスクスと笑い出してしまったジャーナリストがいたように、誤解という言葉はあてはまらない。ロナルディーニョは確かにエトー批判をしたのであり、エトーもまたロナルディーニョ批判をしている。スッキリクッキリとビデオに収録されているのだから、これは弁明の余地がない事実。だが、いずれにしても問題が解決すれば良い。例え一時的なものであれ、大事な試合が何試合も控えている時期なのだから、選手たちや監督はそう考える。

すべての障害物は、ゴールによって除去されることをライカーは知っているのだろう。ゴールが決まり勝利という結果がついてきてくれさえすれば、すべての障害物は消えてなくなることを知っているのだろう。チームに必要なのはいつかは戻ってくるであろうサムエルのゴールであり、彼に何らかの制裁を加えることではない。ここら辺の発想がクライフやカペロと異なるとところだ。かつてウリストが選手仲間を批判したことにより、翌日から練習はおろかカンプノウ敷地内にも足を踏み込むことを禁じたクライフ。
「俺をとるかヤツをとるか」
と会長に迫り、最終的にウリストはバルサを去ることになった。バルサには彼のゴールがどうしても必要であったにもかかわらず、クライフは己の、そしてチームのプライドを優先した。

「許すことはできても忘れることはできない。」
と、いみじくもサムエルが語っているが、それはロナルディーニョにしてもライカーにしても同じだろう。最終的に罰則を加えない処置をとったが、試合出場拒否やその後の発言の釈明は受けていないというライカー。悪者扱いされたロナルディーニョにしてもエトーからの釈明を受けていないという。プロ選手、プロ監督である彼らがそのことを思い出すのは、シーズンが終了してからだ。この瞬間から4か月間にわたってフタをされていたものが再び外にだされる。

明日の試合より今日の試合、これが監督に就任してきてから何十回何百回と口を酸っぱくしてライカーが語ってきたこと。例え今日の試合がナスティック戦であれ、明日のクラシコより重要な試合だと考えるライカー。この発想は同時に“来シーズンより今シーズン”が最も重要なシーズンとして置き換えられる。そして今このつまらない騒動の結果、ライカーはこれまで以上のエネルギーを獲得している。選手間が一つの固いグループとして結束し始めたこと。批判を受けたロナルディーニョをはじめブラジル組が毎日の練習に出てくるであろうこと。その練習もこれまでのようなチャラチャラしたものではなく、かつてのように一致団結したものとしておこなわれるだろうこと。そして何よりも、ライカーバルサ最後となるかも知れない残りの4か月に選手たちはすべてのものを出し切ろうとするだろうこと。

バルサのリーグ優勝に疑問符を持っていた人は、その懐疑心を捨てるべし。そしてバレンシア戦のキニエラを1Xとしていた人はX2とすべし。かつての強いバルサが戻ってくる。


エゴー事件、一時的解消
(07/02/15)

朝の8時45分という、いつもよりはかなり早い時間にカンプノウにやって来たプジョーだが、それでも一番乗りではなかったようだ。すでに何人かの選手がロッカールームで着替えをしており、その中にサムエル・エトー(本名サムエル・エゴー)もいたという。

「カピタンの名において、まずサムエルと話をし、その後、ライカー監督とロナルディーニョとそれぞれ個人的に話をし、最終的にすべてのメンバーが集まったところで10分程度のミーティングをした。たったこれだけのことだけれど、それですべての誤解は解消した。話し合えばわかることだったんだ。」
午前の練習を終わってから記者会見場でそう語っているカピタン・プジョー。かつてガッツ・エンリケがカピタンを務めている頃にも、こんなことがあったのを思い出させてくれるシーン。選手間の問題でナンダカンダとメディアが騒ぎ、それを沈めるために消防士カピタン・ガッツが出てきて鎮火していった。

練習中でのロナルディーニョとサムエルの抱擁シーンは、まさにラポルタとルセーの“深夜の密会”での抱擁シーンのリメーク版。すでにこの2人の人物が二進も三進もいかない状況になっていたにもかかわらず、メディア向けに“世界は平和です”とばかり抱き合い、すべての問題が解決したような猿芝居を披露してくれた。ルセー本によれば、2人の関係が良好化したわけでもなんでもなく、いや、それどころかあの会合以来、さらにひどい状態になったとまで語っているが、果たしてリメーク版の方はどうなるのでありましょうか。写真だけではシナリオは読み取れないが、10秒程度の“動く2人”を見てみると、いかにもシナリオどおりという臭いがプンプン。それでも、表面的にでも仲良くするのが大人というもんだから、これはよいことに違いない。

サムエル・エゴー単純細胞爆弾が炸裂したのは13日火曜日の午前。13日火曜日っちゃあ、スペインでは何か悪いことが起きることが多い不吉な日とされている。ライカー監督とロナルディーニョを悪者扱いしただけではなく、ルセーにまでその火の粉を飛ばしてくれたが、その単純細胞爆弾は夜のラジオ番組でも再爆発。ライカー監督悪者発言は否定したものの、ロナルディーニョとルセーの悪者扱いに関してはキッパリと肯定している。それからわずか12時間後、ロナルディーニョとサムエルの抱擁シーンがメディアに流れるが、まあ、この日は愛の日・バレンタインデーだからそれらしくてよろしい。

普通の“常識”で判断できないサムエル・エゴーの言動や行動だから、いつ、どこで、何が起きても不思議ではない。この単純細胞爆弾が勝手に自爆したのか、あるいは誰かが意図的に点火したのかさえわからない。だが、一つだけ明らかなこと、それはこの爆弾炸裂事件には勝利者がいることだ。それも大勝利者と呼んで言い。バルサの監督にしてチームまとめ役の天才フラン・ライカー、この人が今回の事件が生んだ勝利者。これで今まで以上にパワーを得たライカー、ひょっとしたらラポルタの望むクリスティアン・ロナルド獲得案を闇に葬るためにほんのちょっと前進したかも知れない。


エトー問題
(07/02/14)

カメルーンの、とある田舎町。その町の最大の広場と思われるだだっ広いところに白いテントが二つ、三つと張ってある。空は抜けるように青く、とてつもなく強烈な直射日光が広場に突き刺さる。日陰となる場所は唯一、この白いテントの下だけだ。各テントには10個ぐらいの椅子が置かれ、軍服を着込んだ偉そうな軍人さんや、背広にネクタイという政治家組、そして白いマントのようなアフリカ民族服を着こんだサムエル・エトーも、にこやかな表情を浮かべて座っている。直射日光が当たらないとはいえかなり暑いらしく、氷の入った飲み物を手にしている人々が見られる。最前席に陣取るエトーは氷入りのオレンジジュースを右手に持っていた。

テントの前には空間ができており、その空間を囲むように何百人もの子供たちや若者、そして老人たちが汗ダラダラで立ちつくしているのが見られる。そしてその中から民族衣装と思われるものを着こんだ15人程度のグループが、テントの前の空間に集まり民族舞踊と思われる踊りを始める。踊りは5分程度のものでそれほど複雑なものではない。どちらかというと、この日のために3日前から準備したような単純な踊りという感じだ。そして踊りが終了し、グループの代表と思われる1人の女の子がテント前に腰を低くして近寄る。エトーの前で笑顔を作りながら何かを待つ女の子。

エトーの後ろに座る背広を着た人物はどうやらエトーのマネージャーのようだ。そのマネージャー氏は机の引き出しのようなものを持っており、その中には札束がゴッソリと並べられている。座ったまま後ろを振り返り、その引き出しから札束を無造作にガバッとつかむエトー。すでにエトーの前で膝を折った姿勢になっている女の子の手に、エトーの右手から札束が渡される。その右手に頬ずりし、去っていく女の子。そして次のグループの踊りが始まり、その踊りが終わると同じシーンが繰り返されていく。魔法の引き出しの中身がなくなるまで、それこそ延々と続けられていく。

カタルーニャの地元局が放映したドキュメンタリー番組での一場面。サムエル・エトーがバルサに入団してきた年だったか翌年だったか忘れたが、このシーンだけは忘れられない。これは、ちょっとショックなシーンだった。ごく“普通”の人々よりはかなりの数の国や町を訪ね、多くの文化に触れる機会があった人間にも、こういう文化を理解しろというのは難しい作業だ。この番組を見た日から、サムエル・エトーという人物を、我々が持っている“常識”や“感性”などで判断することは間違いだろうと思うことにしている。

ピチッチ賞なんてまったく興味なくチームの勝利が一番大事、と発言しながらもワガママ選手ここにありという感じで、無理矢理ゴールを狙おうとしたリーグ残り何試合かのプレー態度も、エトーだならではのものであると理解しよう。スーペル・コパ優勝後に1人どこかに消えていってしまったミッシングも、やはりエトーだからこそと理解しよう。ある日気がついてみれば空を飛んでいたとしてもそれはやはりエトーだからこそであり、突然のごとく透明人間になったとしても、それはエトーだからだ。

そしてサンタンデール戦で残り5分間の出場を拒否したことから始まったエトー問題。普通の“常識”と“感性”を持った人々には理解に苦しむエトーの発言や行動によって、予想されるドラマチックなエトー問題が展開されようとしている。まあ、これはバルサのお家芸みたいなものだし、これが初めてでなければ終わりでもあるわけがない。

これまで彼の行動と発言が一致したためしなど一度もないし、ひたすら目立ちたがり屋でエゴイストでガキ精神をいまだに引きずっているクラック選手だから、どんな発言が出てどんな行動にでようと不思議ではない。ただ、必要以上に問題をややっこしくしてしまって、クラブを出なければならい状況が誕生したとしたなら、次のデランテロを獲得できるような移籍料をキッチリと支払っていって欲しいものだ。大量の札束をガバッと、気前よく置いていってくれればよろしい。


バルサ・デー
(07/02/13)

●日曜日12時 ミニエスタディ
今年の夏は何世紀かぶりの暑さになると予想されているバルセロナだが、冬自体も普段のそれと比べて寒くないものとなっている。昼間の街角ではTシャツ組も目立つし、このミニエスタディにもTシャツ半ズボンという若者たちが多く見られる。ポカポカ陽気の下で始まったバルサBとレイダの試合。ボージャンの大活躍を拝見することができて満足。

●日曜日16時半 ミニエスタディ
フベニルAチームのエスパニョール相手のデルビー戦。普段の試合ならシウダー・デポルティーボでおこなわれるが、デルビー戦とあって今シーズン初めてミニエスタディを使用。この試合の目玉商品はカデッテAカテゴリー所属のガイがスルスルとカテゴリーを上げてきてフベニルAチーム選手としてデビューすること。そして後半に入って予想どおりデビュー。

●日曜日19時 カンプノウ
試合開始25分ぐらい前から練習を始めるのが慣習となっているが、エトーがそのグループに混ざろうとして姿をあらわしたのは試合15分ぐらい前。ひたすら目立ちたがり屋でエゴイストでガキ精神をいまだに引きずっているこのクラック選手は、とにかくお山の大将とならなければ気が済まないようだ。試合終了5分ぐらい前に出場せいという指示がライカー監督から出されたにもかかわらず、それを拒否したのはそのひたすら目立ちたがり屋でエゴイストでガキ精神をいまだに引きずっているからに違いない。もし監督がカペロであったなら今日の練習から単独行動となるだろうが、エトーと同じように監督が好き勝手に扱えるような普通の選手ではなかったライカーだから、時間の経過と共にそれなりに問題を解決してしまうだろう。

この試合での盛り上がりは4回あった。最初の2回はロナルディーニョのゴール。そして3回目はメッシーの登場。4回目、この日最大の盛り上がりとなった4回目、それは後半35分、カンプノウから1000キロ離れたマラガでおこなわれていたバスケ国王杯決勝戦でバルサが勝利した瞬間だ。相手は御存知レアル・マドリ、リーグ戦では圧倒的な差をつけられているバルサだが、奇跡と言ってもいい優勝をとげる。

“カンペオ〜ン カンペオ〜ン オエ オエ オ〜エ〜!”
“カンペオ〜ン カンペオ〜ン オエ オエ オ〜エ〜!”
“カンペオ〜ン カンペオ〜ン オエ オエ オ〜エ〜!”

そしてバルセロニスタ大好きコール“カブロン!”の名曲()がカンプノウを包み、楽しかったバルサデーも終わりに近づいたのでありました。

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MINIESTADI
(07/02/11)

バルサ元会長ジョセップ・ルイス・ヌニェスが、ソシオに残していってくれた財産は計り知れないものがある。将来の練習場として買い上げたいくつかの土地だけではなく、当時としては画期的な契約として高く評価されたテレビ放映権販売、あるいはユニフォーム提供会社などの多くのスポンサーの獲得。そして忘れてならないのはラ・マシア寮をはじめ、ミニエスディやパラウ、バルサ博物館といった各施設だ。

いつの時代の会長であれ、「これはあの会長が残していってくれたものなんだ」とソシオに語り継がれるような物理的なものを会長就任中に残したいと思うのは当然だろう。ガスパー会長のように、悲しみと怒りと借金をしっかりと残してくれたことで思い出の会長となることもあるが、できるならば良いことで思い出して欲しい。残り4年で終わるラポルタ政権が就任中に残していこうと思ったもの、それはカンプノウの改装・モダン化であり新しいパラウの建設だ。そしてそのための犠牲となるのはクラブ所有の土地と、そして、そして・・・ミニエスタディ。

カンプノウは今年で50歳を迎える。時期的にはそろそろ時代に沿ったモダンなスタディアムに改装すべきなのだろう。9万8000人収容席を更に1万5000人分増やす案もあるようだし、すべての観客席の上に屋根を取り付ける案もあるようだ。いずれにしても改装案のコンペティションが始まったばかりで、年内には具体的なことがわかるかも知れない。そして一つだけすでにはっきりしていること、それはミニエスタディをぶっつぶしてその土地の売却を図り、その資金によってカンプノウ改装と新パラウの建設がおこなわれること。ミニエスタディが陣取る土地を“住宅用途土地”とバルセロナ市が変更してくれれば、想定3億5000万ユーロの価値と専門家は査定している。もちろんヌニェスが買っておいた土地も売られて資金の一部となる。

カンプノウ及びその周辺のモダン化案は、今から7年前の2000年にもあったのを思い出す。“バルサ2000”というタイトルで発案された当時会長ヌニェスの改装案は、今回のラポルタ案とほぼ同じと言っていい。だが、唯一異なることはミニエスタディ売却や所有する土地を売っぱらって資金を捻出するのではなく、クラブ金庫に眠る分厚いペセタ札束を頭金として銀行からクレジットを譲り受ける案だった。
「クラブが所有する財産はいっさい売ることはない。」
それがヌニェスの基本的な、そして絶対譲れないモットーだったゆえ、ミニエスタディを売却することなど考えられなかった。そしてこの“バルサ2000”が最終的に闇の中に消えていったのは、周辺住民の反対運動があったからだ。この反対運動を指揮したのはエレファンブルー、ヌニェス理事会のすることは何でも絶対反対組織エレファンブルー、そしてこの組織の親玉は奇しくも今回新たに改装案を提出したラポルタだった。

1982年にお披露目されたミニエスタディだから、今年でちょうど25周年を迎えることになる。1万6000人収容で全椅子席という、二部Bあるいは二部Aチーム用としてはまことにもって立派なスタディアムだが、ここ何年かバルサBチームの不振ということもあり、観客性を埋めるのはせいぜい1000人か1500人という悲惨な状態。しかもカンプノウから4キロほど離れたところにシウダー・デポルティーボという、ガスパーが残してくれた唯一の功績と言っていいインフェリオールカテゴリー用の練習場兼グランドも存在する今日。そいうい事情もあってか、このミニエスタディ消滅という案に反対する声は起きない。というか、そもそも多くのバルセロニスタにとって、このスタディアムの存在自体彼らにとってどうでもいい対象のようだ。

メッシーがバルサAチームに登場するまで彼の存在を知らなかったバルセロニスタは星の数ほどいる。最近メディアを騒がせ始めたボージャンをいまだに見たことのないバルセロニスタも同じ数ぐらいいる。ましてガイの存在などほとんどの人々が知らない。“普通”のバルセロニスタがカンテラ選手の成長に目を細めて見守っているということはなく、カンプノウに登場してきて初めてその存在を知る人々がほとんどと言っていい。したがって、ミニエスタディがどうなろうが、彼らとってどうでもいいことになる。

だが、それでももちろんカンテラ育ちの選手たちに明日のバルサを託している人々もいる。そういう彼らにとってミニエスタディは“我が家の庭”みたいな存在であったことも確かだ。数少ないながらも、そういう人々にとって、ラポルタはカンプノウ改装をおこなった会長としてではなく、ミニエスタディを崩壊させた人物として記憶されることになるだろう。


ウッ、ウッ、ウ〜、ドジったか!
(07/02/10)

オラゲールの政治的な発言が問題となっている。どういうことかを説明するには、よくわからないスペイン刑法にまで触れなければならないので面倒くさい気もするが、できる限り簡潔にぶっちぎって単純にわかりやすくしてみよう。まず、最初にバスク武力解放戦線ETAメンバーの1人に関して触れなければならない。

1985年から1987年にわたり、マドリッドを中心としてETAによる爆弾テロが盛んにおこなわれ、多くの犠牲者をだした時期があった。そして警察の必死の捜査により1987年の末、ETAマドリ部隊隊長のホセ・イグナシオ・デ・フアナ・チャオスというテロリストが逮捕される。11回にわたる自動車爆弾や各種の爆弾テロにより、合計25名の死者をだした一連の事件の主犯とされ、裁判の結果懲役3000年の刑に処されている。3年でも30年でも300年でもなく3000年。この国は累積刑とでもいうのか、例えば1人殺せば懲役5年、10人殺せば懲役50年というように、すべての犯罪行為を足していく方式なので、25人の死者と何百人という犠牲者をだした犯罪行為をトータルすると懲役3000年という判決となったようだ。

このテロリストは逮捕されてから11年後の1998年、セビージャでETAのテロにより死者が出たとき、刑務所の中からETA色の強いあるバスク新聞にコラムを発表している。
「葬式に出席している死者の家族の悲壮な表情が、我々に大いなる喜びを提供してくれる。この刑務所の中からテレビ画面を通じて見る彼らの不幸は、同時に我々にとって何にも変えられない幸福でもあるのだ。セビージャの作戦は完璧だったようだ。この作戦の成功は我々に1か月間の幸福を与えてくれるだろう。」
そう、思わずヒィーヒィー言ってしまうほどとても恐ろしい人物なのだ。

そして先月、逮捕されてから20年たったこのテロリストの話題がスペインのメディアを騒がしていた。なにゆえ騒いでいたのか、それは彼が刑務所の中でハンガーストライキに入って2か月近くたっており、死にそうな健康状態になっていたからだ。では、なにゆえハンストをしていたのか、再び面倒なことを説明しないとならない。

スペイン刑法には死刑制度もないし無期懲役というのもない。裁判で有罪となり刑務所行きとなると具体的に“懲役○○年”として刑務所生活の年数が決められる。だが、それが何年であろうと、例えば懲役50年であろうが50万年であろうが、最高の刑務所暮らしは30年までと決まっている。しかも刑務所の中で“再犯”を犯さない限り、どんなに長くても18年というのがほぼ最高収監年数となるらしい。つまり懲役30世紀のこのテロリストもすでにシャバにでている時期になっていたのだ。

確か何年か前に刑法が改正され、政治犯やテロリストの場合のみ30年間満期の拘留を義務づけられたような記憶がある。あるいは10年伸びて40年だったかも知れない。だが、この処置がとられるのは新刑法以降の裁判によって有罪となった犯罪者のみということだから、彼の場合はいずれにしても旧刑法によって判断されている。したがってこれまでの慣習どおり、18年経過すれば他の犯罪者と同じようにシャバに出られることになる。だが、このETAのテロリストはすでに20年も収監の身となっている。これはおかしいとばかりにETAシンパが騒ぎ出し、当人もハンガーストライキに入ってしまった。

ここで、やっと我らが主役オラゲールが登場してくる。つい先日、彼は一つの短い論文を発表している。カタルーニャ地方のオスピタレ地元週刊誌でカタルーニャ語による2ページ程度のコメントだが、それを2行でまとめてしまうと次のようなる。
「他の一般犯罪者や政治犯と同じように、彼もまた釈放されるべき時期が来ている。自分は彼のハンガーストライキを支持したいと思う。」
国家権力が何らかの形で司法に介入し、圧力を加えているいくつかの例の一つとして、このETAテロリストにまで触れてしまったオラゲール。

フットボール選手の中には一般の世界と同じように、政治に無関心な選手もいれば大いなる感心を持つ選手もいる。マドリのレジェスのようにスペイン首相の名を知らなかったり、レバンテに移籍したばかりのサルバのように“ファシスト宣言”をした選手もいれば、オラゲールのように“カタルーニャ独立”を強く希望する選手もいる。彼らもフットボール選手である前に普通の人間であるのだから、政治や経済に関して自らのアイデアを公表することも間違いではない。ただ、ETAに触れるのはプラスよりも圧倒的にマイナスの方が多い。これまでのETAテロリストによる多くの爆弾テロで多くの人々が犠牲者となり、そしてその犠牲者数の何十倍何百倍何千倍という数の親族や友人などがおり、そして被害者と実際の関係を持たない人の間でも、当然ながら多くのアンチテロの人々がいる。そして彼らもまたフットボールを観戦に行く人々だったりするのだ。これからしばらく、オラゲールは各地で注目の選手となるかも知れない。自らまいたタネだからしかたがない。

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ロマリオ・デ・ソウサ
(07/02/08)

ロマリオ逸話を一つ。

夜遊びが好きで“夜は恋人”という洒落たセリフまで残してバルサをあとにしたヤツだが、決して酒は口にしなかったようだね。パブで彼の姿をよく見かけたけれど、いつもビリヤードをやっていた。それも水のボトルを台の縁に置きながら一心不乱に玉を突いている彼をよく見たもんさ。玉突きに飽きると若い女の子と一緒にサンバを踊っていることが多かった。酒もたばこもやっているところを一度も見たことはないが、しらふで踊り狂っている彼を何回も見たことがある。そして店終いの時間になると、知り合った女の子とどこともなく消えていく。たぶん、朝まで楽しんでいたんだろうね。そう、そう、こんな話を知ってるかい?ある日、練習に出てきた彼にクライフが声をかけたそうだ。
「何だか疲れ切っていそうだな。」
「うん、実は朝まで女の子と運動しっぱなしで、腰がゆうことをきかないんだ。」
「そうか、そんなに下半身を使っていたのなら今日は走り込み必要はないだろう。ジムで軽く汗を流してシャワーでも浴びて休憩しろ。その変わり、明日の試合にはハットトリックを決めろ。」
そしてロマリオは約束どおりその試合でハットトリックを決めたそうな。

一昔前、知り合いのベテラン・ソシオ氏から聞いた話。クライフとロマリオの間で交わされた約束による“ロマリオハットトリック逸話”はこれ以外にも2つほど聞いたことがあるが、どれも似たような内容のもので、そこら辺が怪しいと言えば怪しい。もっとも、実話かどうかはともかく、ロマリオらしさが伝わってくるから逸話となる。

ロマリオはバルサに1年半近くいたが、不思議なことに練習をさぼったことが一度もないどころか遅刻したこともないという。プロ精神の塊みたいな選手と言えばそうなのだろうが、やはり一番好きなことがフットボールだったのだろう。
「マドリであろうがどこが相手であろうが自分にとっては同じこと。モチベーションが相手チームによって変わることなんかないさ。とにかく自分の仕事をすればOK。もちろん、それはゴールを決めることさ。」
こんなインタビューをバルサ選手時代に何回聴いたことか。そう、彼の仕事はゴールを決めること、これしかない。

彼の持つ公式ゴール数は987となっている。夢の1000ゴールまであと13。それを達成するまでは、13回のゴールを決めるまでは、決してユニフォームを脱がない41歳現役選手ロマリオ。そしていまバスコ・ダ・ガマに入団してその目標に向かってボールを蹴りまくる。

FIFAの規約によれば、12か月以内に2つ以上のクラブを渡り歩いてはいけないことになっている。この12か月、彼はマイアミFCというチームと、アデライダというオーストラリアのチームに在籍していた。したがって3つめのクラブとなるバスコ・ダ・ガマには、FIFA規約どおりに判断すれば不可能なことだった。だが、FIFAの背広組は粋な計らいをしてくれた。
「実は、アデライダでは“特別招待選手”という扱いでプレーしていただけで、別にクラブに在籍していたわけではないんです。したがって、正式に入団するクラブは我がクラブで2つめとなるわけでありまして、そこら辺をどうにかご理解いただければ・・・。」」
という、わけのわからないバスコ・ダ・ガマ側の申し入れを認めてしまうのだ。

日曜日にはカリオカの浜で友人たちとフットバレーを楽しみ、月曜日にはバスコ・ダ・ガマでの初の練習に、そして水曜日にはアメリカFC相手に試合出場しているはずのロマリオ・デ・ソウサ。彼の背番号はお馴染みの11,そして袖にはとりあえず13の数字がついているユニフォームを着込むことになる。ゴールを獲得していくごとにこの数字が減っていく仕組みだ。


5ポイント差
(07/02/07)

2月1日、マドリッド裁判所において、前回のレアル・マドリの会長選挙における郵便投票の有効性に関する判決が下りた。ミラグロス・アパリシオ裁判長が判決を言い渡す。
「前回の会長選挙における郵便投票はいっさい無効とする。」
会長候補の1人だったラモン・カルデロンが会長選挙中に郵便投票の無効を訴えていた裁判だが、この判決によっていちおう終わりを見たことになる。そしてこの瞬間、それまで“臨時会長”として認識されていたラモン・カルデロンがレアル・マドリの会長に“正式”に就任したことになる。

その判決を受けて、レアル・マドリ正式会長が胸を張りまくって多くのメディアに登場したのは、これまでの彼の言動や行動を見れば大いに想像がつくことだ。
「これで我々はやっと何のプレッシャーもなしに仕事に打ち込むことができる状態となった。前々から約束しているように、我々がシベーレス広場で優勝祝賀会を少なくても1回、あるいは2回おこなうことも可能となった。」
そして判決が下りてから3日後、晴れの正式会長となって初めてベルナベウ・パルコにドスンと陣取るラモン・カルデロン会長。相手は二部落ちに片足を突っ込んでいるレバンテだ。この試合を契機に快進撃を走ることを夢見るカルデロン。だが、試合が始まって90分後、彼の座るパルコに向かって“会長辞任!”の叫び声と共に多くの白いハンカチが振られることになる。
「まさか、そんなあぁぁぁ・・・」
そう嘆いたかどうか、そこまではわからない。

その日の深夜、カルデロンは正式会長として初の臨時会議を招集している。カペロを辞任させるべきかどうか、テーマはこういう辛い内容のものとなったのはしかたがない。だが、更迭には金がかかる。年俸手取り620万ユーロ3年契約のサインをしている彼を更迭させるには恐ろしいほどの資金が必要となる。金はない、はっきり言って金はない。カペロマドリチーム作りにすでに1億ユーロ浪費しているクラブだ。もちろんカペロが自ら辞任してくれれば金はかからない。もしバルサが勝ち続けてくれて救いのないようなポイント差となれば、メディアからのカペロ辞任キャンペーンも起こるというものだが、その肝心のバルサが勝ってくれない。相変わらず微妙なポイント差。う〜ん、意地悪なバルサ。

今から1年前、フロレンティーノ・ペレス元会長が辞任を発表した際、彼は次のような言葉をソシオにおくっている。
「2000年、レアル・マドリは多くの問題を抱えていた。どん底のクラブ経済状態、結果を出せないチーム、マドリディズムというアイデンティティーの欠如、それらの否定的な状況からくるクラブそのものの悪いイメージを、どうにかして以前のような誰にも愛される世界一のクラブとして再建する必要性があった。そして今、それらの目的がすでに達成された今、会長としての私の役目は終わったと言っていいだろう。そして会長職を辞任するにあたって唯一の要望、それは決して2000年の時のようなクラブ状況を再発させないで欲しいと言うことだ。」

数年間にわたっておこなわれてきた“パルコ・ビジネス”の効果があってか、会長辞任時には就任前より4倍(いわゆる日本で言うところの確定申告によれば、1999年1億5千万ユーロ、そして2005年には6億8千万ユーロ)もの私財が増えたフロレンティーノ。そのお方が自らの“役目”を終了してから、クラブに対して“要望”なるものを残すのも図々しい話だが、いずれにしてもそれはかなえられないものとなった。

カルデロン・ミヤトビッチ・カペロ体制は、すべてのギャラクシー選手を放出し、結果的にかつてのサルガード、ラウル、グティ坊ちゃんなどが主役となるチーム作りをしてしまった。それでもアイデンティティーのあるチームであれば救いはある。だが、そのアイデンティティーもない、結果もでない、スペクタクルももちろんない、ないないづくしのチームとなったレアル・マドリ。かつてのガスパーバルサがそうであったように、問題はチーム以前のところにある。フロレンティーノが危惧したようなクラブの存在そののもが問われるところまで来てしまった。600キロぐらいの距離は何の問題ともせず、場所は異なっても歴史は繰り返される。そう、ゆっくりとした時間で、たっぷりとした内容で、我らバルセロニスタが味わった苦々しい歴史を思いっきり体験してみよう。


オサスナ
(07/02/06)

ナバラ州の首都にあたるパンプローナを本拠地とするオサスナ。別にオサスナという名の町が存在するわけではなく、カステジャーノでサルー(健康)、あるいはフエルサ(力)と訳される“オサスナ”というバスク語をクラブ名としている。そしてなぜか、バルサはオサスナやソシエダ、あるいはビルバオというスペイン北方に位置するクラブと仲がよろしい。それも歴史的に仲がよろしい。中でもオサスナとは非常に仲がよろしいときている。

なにゆえ仲がよろしいのか。中央文化やスペイン言語と異なった、独自の文化と独自の言語を持つ地域にあるクラブだからという説や、あるいは大金持ちの持ち物とならずいまだにソシオ制度を保っているクラブ同士であるという説がある。だが理由がどうであれ、エル・サダル(現在ではレイノ・デ・ナバラと名が変わっているが、やはりエル・サダルがよろしい)でのバルサ戦には、地元バルサペーニャをはじめ多くのバルサファンが集まるし、カンプノウでの試合では多くのオサスナペーニャやファンが集まってくる。しかも、例えばカンプノウの試合であるならば、普通の相手ならアウエー専用の観客席に閉じこめられるのに、オサスナファンは地元バルセロニスタに混じって、それもオサスナのユニフォームを着込んで観戦している風景に出会う。

仲が非常によろしいこのオサスナとバルサに共通する一つのはっきりとした傾向、それは強烈なアンチマドリの精神だ。

1992−93シーズン、バルサは“再び逆転優勝”を目指してリーグ最終戦の前の試合となるエル・サダルでのオサスナ戦を戦っている。もしこの試合に負けるようなことがあれば、最終戦を待たずにレアル・マドリのリーグ優勝が決定してしまう大事な試合だ。5千人近いバルセロニスタを結集したエル・サダル、そしてこの試合、ウリストの放ったシュートをデフェンサが弾いてゴールとなる、いわゆるオウンゴールでバルサが勝利する。そしてそのゴールが決まった瞬間、5千人のバルセロニスタだけではなく、なんとエル・サダルの観客席を埋めた多くの人々からバルサコールが起こるという信じられない現象が発生している。オサスナファンにとって地元チームが勝とうが負けようが順位的には何の問題もなかったこの試合、できるならば、そう、もし可能ならば、彼らの勝利によってレアル・マドリ優勝が決まってしまうことを避けたかったのだ。

そして2007年2月オサスナ・バルサ戦。オサスナベンチには、約14年前にバルサの選手としてここでプレーしたゴイコが、コーチとしてベンチに座っている。同じように14年前このスタディアムでプレーしたチキは観客席に、エウセビオはバルサベンチに座っている。サリーナスやチャッピーはラジオ解説者としてこの試合を実況中継している。

試合はと言えば、パンプローナから500キロ離れたところで2時間前に試合開始となったベルナベウでのマドリ・レバンテ戦に比べれば、明らかにスペクタクルに欠けるものだった。“ア・ラ・イタリアーナ”バルサがかろうじて1ポイントを獲得した試合、だがそれでも、14年前の試合と同じように、明日に望みを持たせてくれるものとなった。4か月強ぶりのエトーの復帰、そして1週間後にはメッシーを伴って、短い時間かも知れないが再びREMトリオがカンプノウに登場する。


メッシー、バルセロナ到着
(07/02/04)

2月2日金曜日の午後、予定到着時間より約1時間半の遅れながらも、レオ・メッシーは久しぶりにバルセロナに戻ってきた。彼と仲の良いロナルディーニョやデコが1日半の遅れでクリスマス休暇から戻ってきたことを考えれば、このアルゼンチン発の飛行機の遅れはたいしたことはない。空港から自宅に寄ることなくカンプノウに直接向かった彼は、まず15分程度の記者会見を済まし、そしてその後、ラ・マシアの練習場で軽く汗を流している。テレビ画面を通して久しぶりに見る彼の顔が、何かすごく大人の顔となっているのにビックリ。そして、彼の故郷であるロサリオからバルセロナに向かう直前、アルゼンチンジャーナリストによるインタビューを受けているレオ・メッシー。

試合に出場してプレーすることは別として、一人のバルサの選手として懐かしく思うことがあるとすれば、それは何ですか?

試合が開始される1時間半ぐらい前から始まる楽しい時間帯かな。試合に招集された仲間たちとああだこうだとどうでもいい話をしたり、つまらない冗談を言い合ったり、あるいはボールを蹴ったりして遊ぶあの時間帯が大好きなんだ。

具体的には誰と一緒のことが多い?

ロナルディーニョ、デコ、そしてモッタ。

ブラジル人ばっかりじゃないか?

そう、困ったもんだ(笑)。

ロナルディーニョとは試合前何をしているの?

サンバかなんかの曲を聴いていることが多いから、自然と自分もその曲を聴くことになる。だって、いつも隣同士にいることが多いからね。そうだ、サンバを聴くこの瞬間も懐かしく思うね。またその瞬間がやって来るかと思うと楽しみだ。

つまり試合開始前にはサンバを聴いたり、仲間としゃべったりして集中力を高めるようにしているということ?

集中力を高める?他の選手のことは知らないけれど、自分はそんなことをしたことがない。試合前に相手チームや選手のことを考えたこともないし、自分がどうプレーするかも考えたこともない。そんなことはグランドの芝を踏んでからすべて始まることさ。

ユニフォームは貯まりましたか?

ユニフォーム?ああ、試合後の交換するユニフォームのことだったら、もうたくさん貯まっている。特別なものは2枚。最も大事なのはアイマールのそれさ。もうバルサAチームでプレーする前から欲しいユニフォームだった。もちろん今でも特別大事にしている。そしてもう一枚はジダーンのもの。自分にとって最初のクラシコとなった試合で手に入れた。これも大事なユニフォーム。

クラシコでの思いではそれだけ?

ロナルド。何と言ってもロナルド。
「オラー、レオ!」
試合前の練習で彼とすれ違った時、笑顔でこう声をかけてきてくれた。自分のことなど知らないだろうと思っていたからビックリしたよ。笑顔を絶やさない感じのいい人だった。

でも、今では誰もがあなたのことを知っている。

そう、でも自分は昔どおりのレオ・メッシー。感謝の気持ちを絶対忘れてはいけないとしつけられて育ったレオさ。しかもバルセロナの街では私生活の時間に介入してくるファンはほどんどいないから生活しやすい、アルゼンチンは別の話で、どこに行ってもサインや写真を頼まれる。家族や友達とどこかで買い物でも楽しもうなんてことはほぼ不可能なことになってしまった。でもバルセロナは違うんだ。旅行者以外は誰も介入してこない。そこがあの街のいいところだと思っている。


メッシーの復帰
(07/02/02)

2000年の夏にバルサにやってきたレオ・メッシーという少年を初めて見たのは2002年、ようやくカデッテカテゴリーでプレーするようになってから。明らかに周りの選手より10センチは小さく、しかも線の細い少年だった。今で言えば、そう、セバージョスみたいな感じと言える。あれ以来メッシーを見続けているが、ライカーチームに加わってくるまでほとんど負傷がない選手だった。その彼が昨シーズン、今シーズンと何回かの負傷をし、そしてようやく2月の2日に戻ってきて合同練習に参加できるまでリハビリが進んでいるという。順調にいけば1週間程度でドクター許可が下りる可能性があるというから、早ければラーシング戦での出場もあるかも知れない。だが、それでも。メッシーのフィジカル的な問題が解決したわけではないようだ。

メッシーを最もよく知る人物の一人にバルサAチーム医師のドクター・プルーナ氏がいる。
「誰もが知っているように、メッシーは何年間かにわたってホルモン注射が必要だった少年。その治療のおかげで彼の骨は順調に成長することが可能となり、現在のようにエリートスポーツ選手の一人として生活できるようにまでなった。だが、普通の生活をしている人には問題とならないことが、エリートスポーツ選手には問題となってしまうことがある。それは骨の成長と筋肉の成長がピッタリとバランス良くとれていないため、無理をするとどちらかに疲労が必要以上にたまってしまう恐れがあるからだ。今回の足指の骨折も疲労蓄積という現象から来ている。これからも何らかの筋肉問題などが起こらないようにするためには、普通の選手以上に細心の注意をしながら練習メニューをこなしていく必要があるだろう。」

だが、どうしても変えられないものがあるという。それはメッシーの持つ筋肉質だ。彼が持って生まれた筋肉繊維は典型的な陸上短距離選手のそれだという。
「デランテロ選手の中でも瞬発力を武器とする、典型的な筋肉繊維を持っている選手といえる。そういう意味では非常に恵まれた筋肉繊維を持っていることになる。だがその反面、こういうタイプの選手は他の筋肉繊維を持っている選手よりも疲労がとれにくい特徴がある。例えば、普通の選手が週2回の試合が可能だとすると、彼のようなタイプの選手は週1回が理想的といって良い。もちろん週2回の試合をこなすことはできるだろうが、2試合目の効率性はかなり低いものとなるのはしかたがない。」

そして結論づけるドクター・プルーナ氏。
「フィジカルトレーナーとはもちろん、物理療法士などと共にメッシー専用の特別練習メニューを作成し、筋肉の増強と回復運動を綿密におこなうこと。理想的には30試合のスタメン出場と15試合の45分だけの試合、つまり年間トータル45試合出場となれば常に100%のフィジカルでプレーできることになる。」
そう言うことらしい。もっとも、こういう“問題”は別にメッシーだけが抱えているものではないようだ。ジュリーにしても1試合70分がベストタイムだということはバルサ入団時から言われてきている。

年間トータル45試合が理想的、そしてこの試合数は決して少ないものでもない気がする。リーグ戦38試合、決勝戦までいけばチャンピオンズ13試合、合計51試合。国王杯などはどうでもいいとして、リーグ戦とチャンピオンズに出場を絞れば9割近い試合に出場することが可能となる。したがってメッシーの問題(問題だとすればの話だが)解決は、それほど複雑なことではないと思う。練習メニューを着実にこなし、オーバーワークによって生じる余計な疲労を避けること、それだけ。常にメンタル面の問題を抱え残念ながらバルサで成功できなかったオーベルに比べれば、まあ、なんだ、メッシーの将来はピカピカ明るい。

そのピカピカ明るい将来をつまずいたものとしないように、ここはじっくりと姿勢を低くし、すでに人生を悟ってしまったエドゥミルソン牧師の言葉に耳を傾けるべし。
「我々はできる限り夜遊びを避け,明日の練習のために体を休ませることを心がけなければいけない。もしフィジカル的に満足できる状態でないと感じたのなら、5人もいるフィジカルトレーナーと相談すれば良いし、ジムで体調を整えることもできるし、練習時間以外でもラ・マシアの練習場は使用できる恵まれた環境だ。我々はもっとプロ精神を持つべきだと思う。」
誰と誰と誰に向かって吐かれた言葉か、それは一目瞭然。


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