2006年
8月
2007年

バルサ圧勝となるシーズンスタート
(06/08/30)

8月24日付のエル・パイス紙のインタビューでアリゴ・サッキはカペロ・マドリについて次のように語っている。
「監督としてのカペーロを特徴づけるとするなら、偉大な勝利者が常にそうであるように、敗北という結果を誰よりも嫌う監督であると言える。もちろんこの世界に敗北を良しとする監督なんているわけがない。だが内容の伴わない勝利を良しとしない監督が存在することも確かなことで、カペロはそういうタイプに入る監督ではない。もし、彼の中に負けなければ良しとする発想が生き続けているとするならば、残念ながらレアル・マドリが持つ歴史的文化とは共存するものではないと言うしかないだろう。第一次カペロ・マドリ政権が誕生した1996年のシーズン、彼の指揮のもとに展開されたマドリフットボールは相手チームにボール支配を許し、そのボールを奪ってからの精度の高いカウンターアタックという戦術だった。だが果たして今回もそのような内容でレアル・マドリを作り上げていくのかと聞かれれば、組織外にいる私にはわかるはずもない。ただ言えることは、ユベントスのようなフットボール展開ではマドリディスタは満足しないだろうし、インテリジェンス豊かな彼のことだから、なにか違いを見せるフットボールを目指す可能性もあると思う。」

そう、あのシーズンのことはよく覚えている。前シーズンにリーグ戦6位という結果に終わり、コパ・デ・ヨーロッパはおろかUEFAカップにも参加できなかった彼らは、国王杯とリーグ戦のみというラクチンなスケジュールのもとに一シーズンを戦っている。今より10歳若いロベルト・カルロスやシードルフ、27歳程度というプロ選手としては最高潮の時期を迎えていると言っていいミヤトビッチやスーケルが加入してきた年だ。イエロがカピタンを務め、若きクラックとしてスペイン代表にも選ばれ始めたラウル、そしてこのチームを動かす原動力となるレドンドというバランスのとれたチームだった。あくまでもカウンタアタック攻撃が基本となるチームでありながら、ボールを支配するセンスもなかったわけではない。それが可能となったのはレドンドという存在があったからだろう。

10年前のカペロ・マドリが若く才能ある選手を集めて構成されてスタートし、その後のレアル・マドリの“黄金期”を形成する基礎となるチーム作りとなったが、今回のカペロ・マドリは今シーズンすぐに結果をだすために集められた選手でスタートしている。この素晴らしくも決定的な違いは別として、これまでのプレステージの試合や開幕戦を見た限り、相変わらずカペロスタイルの試合内容に変化はない。まったく面白くもなんともない試合だ。したがってベルナベウでブーイングが聞こえるのも10年前と同じだし、引き分けを持ってしても良しとするカペロの試合後コメントも同じだ。

そうそう、このエル・パイス紙のインタビューでアリゴ・サッキはバルサの事に関しても触れている。
「現在のライカー・バルサはフットボールの合言葉と言って良いと思う。スペクタクルフットボール、アタックフットボール、いろいろな形容の仕方があるだろう。だがそれ以上に、各選手の持ち味を最大限にいかし、個人技だけではなくチームとして一つにまとまって試合を展開しているという意味で、フットボールの合い言葉と形容したい。ムンディアルの予選や本戦の試合でロナルディーニョやメッシー、あるいはエトーやプジョーなどがどれだけ活躍したと言えるだろうか。いや、決して彼らが代表戦でまったく活躍していないとは言わない。だがバルサでの活躍と比較すれば、まったく評価の対象とはならないだろう。ここにフラン・ライカーの素晴らしさがあると思う。」

マドリの選手は毎日の強烈なフィジカルトレーニングによる疲労が残り、そしてバルサの選手はアメリカマーケティングツアーの移動の疲れが消えないまま始まった開幕第一戦。前者がホームで0−0の引き分け、後者はアウエーでの勝利。両チームの選手の動きはどうしようもなく悪いところが共通している試合だったが、それほど強くないチームは勝利できず、相変わらず強いチームが勝利という、至極当然な結果で今シーズンがスタートした。


謙虚になれ!
(06/08/28)

チキート試合結果タイトル“謙虚になれ!と神が申しております
エスポーツ紙一面タイトル 謙虚になれ!
ムンド・デポルティーボ紙一面タイトル 謙虚になれ!
エル・ペリオディコ紙一面タイトル 謙虚になれ!

カタルーニャの三紙がUEFAスーパーカップの翌日にまったく同じタイトルを使っている。“謙虚になれ!”それがタイトルだが、それぞれまったく同じものを紙面に載せるというのは非常に珍しいことだ。だが、モナコ到着後のバルサを取り巻く様子を見れば誰しもが納得のいくタイトルではある。

モナコに到着したバルサは試合前日からモナコのホテルに宿泊している。いわゆるミニ合宿といってもいい状況であり、試合までの集中力を高めるためにいっさいの外出は禁止状態となっている。だが我れらが10番は特別な存在のようだ。試合当日の午前中に何と携帯電話会社のCM撮影をおこなっている。こんなことは前代未聞のことと言っていい。

そして試合直前のインタビューに答えるクラブ会長ジョアン・ラポルタ。
「我々の今シーズンの目標は7つのタイトルを獲得することだ。」
ラポルタが語る7つのタイトル、それはすでに獲得したスペイン・スーパー・カップ、もう獲得できないUEFAスーパーカップ、そしてクラブ・ムンディアリート、国王杯、リーグ戦、チャンピオンズ、そして、そして、何と昨シーズンから延期状態となっているカタルーニャ・カップを指す。この傲慢さというか謙虚心の欠片もない発言はかつてのレアル・マドリ会長のそれとまったく同じものだ。
「世界一のクラブと評価されている我々レアル・マドリは世界一の資本力をもって世界屈指の選手をそろえて今シーズンも戦うことになるが、我々の目標はもちろんすべてのタイトルを獲得することであり、それは世界一のクラブとして義務づけられたものだ。」

謙虚になれ!それはバルサの浮ついた選手やピノキオ・ラポルタだけに向けられたものではなく、その言葉を吐いたカタルーニャメディアそのものが腰を低くして受け入れなければならないものだ。シーズンが始まる前から“ヨーロッパ一番のクラブ”だとか、“アテネでの対戦相手はどこが良いか”とか、“バルサの目標は6つのタイトル獲得”とか、列挙したらきりがないほどのお祭り騒ぎ状態となっていたカタルーニャメディア。確かに今のバルサは他のチームを大きく引き離した存在であることは間違いない。クライフバルサをも超えた素晴らしい選手たちで構成されているライカーバルサであることも間違いない。だが、このチームを支えてきた一つの精神はその謙虚さにあると言える。大風呂敷を広げることを良しとしない謙虚さに彼らの成功の秘密があった。例え、クラシコやチャンピオンズの大事な試合が何週間後に控えていようと、彼らが語るのは常に“次の”試合のことせあり、それがサンタンデール相手であれマラガ相手であれ常に“次の”試合が最も重要なものとして語られていた。
「7つのタイトル獲得が目標」
そうではなくて、バルサの目標は常に“次の”試合に勝利することだ。

そのバルサにとって最も重要で大事な“次の”試合はセルタ戦。一部のファンから“笑う広告塔”と呼ばれ始めたバルサの10番はこの試合には出場しない。“クラブ公式ニュース“によればセビージャ戦中に負傷しておりその傷が完治していないからだという、なにかラテン的雰囲気を感じる理由となっている。そしてやはりセビージャ戦でスタメン出場したベレッティとシルビーニョという左右ラテラル選手も招集されていない。もともと計算外のサビオラはもちろんセルタ戦には行かないし、バイエルンに買われたバンボメルはミュンヘンに飛んでいる。と言うわけでビーゴに向かったバルサの選手は次の通り。
バルデス、サンブロッタ、プジョー、マルケス、ジオ、モッタ、イニエスタ、デコ、メッシー、エトー、ジュリー、ジョルケラ、オラゲール、トゥラン、エドゥミルソン、チャビ、グディ、エスケロ(順不同)の18人。

さて、いよいよ本番突入、気分を入れ替えてバルサ発進!謙虚に0−3ぐらいのスコアーで良し。ただしテレビ観戦するためには12ユーロ必要。


TV放映権
(06/08/26)

「己の原点を忘れずにこれからも会長として立派にやっていこうと思う。私の原点、それは、誰もが知っているようにクライフ主義者であり続けることだ。」
第二次ラポルタ政権が誕生し、多くのメディアを前にしての新会長ラポルタの第一声がこれだった。そう、彼がクライフ主義者であることは誰もが知っていることだ。

フラン・ライカーがバルサの監督になるのではないかと、メディアの間で囁かれ始めるよりも1週間以上前に、ラポルタ、ライカー、そしてクライフが一緒に食事をしていることはサンドロ・ルセーの本を読んだ人なら知っている事だ。チキ・ベギリスタインがクライフをバックボーンとして、スポーツ・ディレクター就任交渉をルセーとおこなった際、チキはスポーツ方針の話など一切せず、希望年俸額のことにしか触れなかったことも、ルセー本を読んだ人なら知っている。今回新たに就任したバルサドクターの親分が(ドクター・プルーナではない)、クライフのかつての担当医師であったことも、スポーツ新聞を読んでいる人なら知っている。そして今シーズンから驚くべき金額を提供し、バルサ関係の試合のTV放映権を獲得したメディアプロという会社のジェネラル・マネージャーが、クライフとは親友以上の仲であることは、“ドリームチーム時代”を経験している人はすべて知っているだろう。常に一緒にいるところを映像としてとられていたし、友人と言うよりは家族の一員だとクライフが何回も語っていることを聞いているからだ。

バルサとメディアプロが結んだTV放映権の譲渡条件は次のようなものだ。今シーズン、つまり2006−07シーズンと来シーズンは年額1億2500万ユーロから1億3500万ユーロ、この金額の違いはタイトル獲得などのボーナス金額が含まれているからだ。そしてその後5年間は年額1億5000万ユーロから1億7000万ユーロという放映権料となっている。トータルすると、7年契約で約10億ユーロとなっている。TV3+ソゲカブレ社とバルサが結んでいた昨シーズンまでの放映権料が年額7500万ユーロであり、ヨーロッパにビッグクラブ多しとはいえ、これまでのTV放映権最高年額がユベントスとミランの1億2000万ユーロというのだから、この新たな契約がとてつもなく美味しいものだということがわかる。

クライフ家の一員でありメディアプロのジェネラル・マネージャーであるジャウメ・ロウラスは、厳しい交渉術で知られている人物であり、かつてのバルサ副会長ガスパーさえ彼にはかなわないという評価までされている。その彼がこれだけの金額でオファーをだしたということは、この数字をもってしても十分に採算がとれることを意味するのはもちろんだ。スペインの地方テレビ局、ヨーロッパ各国のテレビ局だけにとどまらず、世界各国のバルサの試合放映に興味を示すテレビ局への放映権販売によって、十分に採算がとれるということなのだろう。それは同時に、これまで以上に放映権料上昇がおこることになるのは間違いない。

クライフ主義者を自他共に認めるラポルタを影から操るクライフが、これまでどのくらいのコミッションを懐にしまいこんできたのか、そんなゲスの勘ぐりは時間のムダというものだ。“すべてバルサのために”というのがラポルタのモットーだとしても、クライフが“すべてバルサのために”といろいろなことを企てているとはとても思えない。が、いずれにしても、言い意味でも悪い意味でも、現在のバルサの“成功”の影には、偉大なマーケティングマン・ヨハン・クライフがいる。

1988年の夏、自宅から5分のところにあるホテルでおこなわれたバケーロ入団記者会見後に「スエルテ!セニョール、クライフ!」と言いながらクライフに握手してもらった際、日本でしか手に入らない何か珍しいものや彼が喜ぶようなものを“記念”として手渡しておけばサン・ドニの入場券などは50枚ぐらい(彼のことだからもちろん有料だろうが)送ってくれただろうに・・・後悔先に立たずの巻。


チャンピオンズ最優秀選手
(06/08/24)

UEFAが2005−06シーズンチャンピオンズにおける各ポジション最優秀選手を決定するにあたり、各ポジション3人の候補選手を発表している。常に背広をユニフォームとするUEFAオフィス関係者が選んだのか、はたまた各国ジャーナリストやフットボール関係者が選んだのか、そこら辺の知識はまったくないものの、いずれにしても彼らが発表した選手たちは次のようになっている。

●最優秀ポルテロ候補
ブフォン(ユベントス)
コウペ(OL)
レマン(アーセナル)

●最優秀デフェンサ候補
カンナバロ(ユベントス)
エボウエ(アーセナル)
プジョー(バルサ)

●最優秀セントロカンピスタ候補
デコ(バルサ)
ジュニーニョ(OL)
リケルメ(ビジャレアル)

●最優秀デランテロ候補
エトー(バルサ)
アンリ(アーセナル)
ロナルディーニョ(バルサ)

この選考基準はあくまでもチャンピオンズの試合関係だけのもであり、各国リーグ戦やムンディアルでの活躍度とは関係ないということから、それではそれらの試合をちゃんと見ていないフットボールファンにも一つの意見が言えるというものだ。

●ポルテロ
決勝戦までいった選手でありながらトータル5ゴールの失点しか許しておらず、しかも優勝に大きく貢献した選手の名が受賞候補選手の中にないということはどういうことか。ビクトル・バルデス、まさに彼こそこの賞に相応しい選手だと確信している。さらに言うならば、決勝のアーセナル戦だけではなくチェルシー戦、ベンフィカ戦、そしてミラン戦においても決定的なゴールチャンスを防ぎ、大活躍していることをまったく評価されていない。ムンディアルに出場していないから、あまりメディア的でない選手だから、スペインにはカシージャスがいるから、そういう理由は成り立たない。ブフォンがチャンピオンズにおいてどのような活躍を見せたか、あるいはまた決勝戦で決定的なミスで退場になったレマンなど問題外だ。

●デフェンサ
カンナバロが選出されていることほど理解に苦しむものはない。準決勝にまでも進めなかったチームの選手がなにゆえ選考されているのか本当に理解に苦しむ。もしイタリアの選手をどうしても候補にあげたいというのなら、ネスタが本命とならなければならないぐらい常識ではないだろうか。さて、バルサカンテラサイトをやっている当人としてはプジョーを選びたいものの、やはりここはマルケスの名をあげないと不公平というものだろう。リーグ戦のプレーに関しては参考外となるから、チャンピオンズがらみのみの試合として二人を見ても、やはりデフェンサの柱となるのはプジョーよりマルケスというのが正しい見方だと思う。

●セントロカンピスタ
リーグ戦でもそうであったように、昨シーズンのチャンピオンズの試合においてデコの活躍は、一昨年のそれに比べれば地味なものと言える。チェルシー戦での最優秀選手の一人に選出されることはあっても、大会を通じての候補者とはならないのは明らかだ。ジュニーニョ、リケルメ?いやいや、とんでもございません、ここでは是非イニエスタを選出するべきだ。リスボンにおけるベンフィカ戦での大活躍、サン・シロとカンプノウにおけるミラン戦での個人リサイタル、そして決勝戦後半から出場してチームそのものの雰囲気を変えることに成功した立役者、これらの試合での評価だけでも彼が選出されてしかるべきだろう。ただ試合出場時間が少なかったことや、あまりメディア的に騒がれる選手ではないこと、そして何よりも色白で目立たなかったことがマイナス面になったのかも知れない。

●デランテロ
決勝戦でも明らかになったように、大試合に弱いことが再び証明されたアンリは除外。したがってロナルディーニョとエトーの勝負となる。グループ戦での段階で活躍し、ミラン戦、カンプノウでのチェルシー戦には大活躍しながら、ロンドンでもリスボンでもパリでも彼らしいプレーが見られなかったロナルディーニョ。そしてミラン戦以外、つまりチェルシー戦、ベンフィカ戦、そしてもちろんアーセナル戦ではキーポイントとなったエトー。やはりここはエトーを選びたい。賞を受けるに相応しい活躍を見せたことと共に、受賞することで少しはメンタル面での余裕が生まれるかも知れない。前半のみで交代されてしまったことで頭に血が上ってしまう超瞬間湯沸かし器とサヨナラするためにも彼には賞が必要だ。

と言うわけで結論。
●最優秀ポルテロ賞・・・・・・・・ビクトル・バルデス
●最優秀デフェンサ賞・・・・・・・ラファ・マルケス
●最優秀セントロカンピスタ賞・・・アンドレス・イニエスタ
●最優秀デランテロ賞・・・・・・・サムエル・エトー
●最優秀選手・・・・・・・・・・・サムエル・エトー


ジョアン・ガンペル杯
(06/08/22)

シーズン開始直前に新チームのプレゼンテーションと親善試合がカンプノウで毎年おこなわれるが、それをガンペル杯と名付けてスタートしたのはいまから40年以上前のことになる。当時の正式名称は“Trofeo Joan Gamper”、つまりジョアン・ガンペル杯、そしてマーケティング時代に入っている現在の正式名称は“Trofeo Joan Gamper Estrella Damm”、言い換えればエストレージャ・ダム・ジョアン・ガンペル杯となる。エストレージャ・ダムとはバルサのスポンサーの一つであるビール会社の名前。だが、このビール会社の名前まで付けてこのガンペル杯を呼ぶのは関係者だけで、一般のファンの間でこう呼ぶ人は、もちろん一人もいないだろう。

1960年代の、バルサにとって暗黒の時代と呼んでいい時代を背景に、このガンペル杯が誕生している。1961年5月31日、後の世に“ベルナの悲劇”として呼ばれることになるバルサ対ベンフィカによるコパ・デ・ヨーロッパ決勝戦がおこなわたが、その決勝戦から1週間後に新たなクラブ会長が誕生した。新会長の名はアンリック・ラウデといい、その後7年間にわたってバルサ会長を務めることになる。彼が会長に就任している時期には、国王杯を1回、コパ・デ・フェリア(現在のUEFAカップ)を1回獲得しただけで、タイトル獲得という意味においては名が残るほどの会長でもない。だが、いまでも彼の名がクラブ史に残るのはガンペル杯を誕生させた会長だからだ。

ラウデが会長に就任した年、バルサはプレシーズンにカディスで毎年おこなわれるカランサ杯(ついこの間、マドリがビジャレアルに負けて最下位となった大会だ!)に参加している。ここでラウデ会長はクラブがおかれている厳しい現実を体験することになる。バルサに支払われるこの大会の参加料は50万ペセタ、だが、レアル・マドリには4倍の200万ペセタもの支払いがおこなわれていることを知るのだ。そしてこの大会に優勝したバルサは翌年にもカディス市長からのカランサ杯参加要請を受けることになる。参加料は前年と同じ50万ペセタということだった。
「いいですか市長、この料金ではバルサはどこにも動かないことに決めたんだ。もし我々にもレアル・マドリと同じかそれ以上の参加資金を提供しないなら、我々はどこの大会にも参加しない。」
それがラウデ会長の返答だったという。

実はラウデ会長にはこの時点で一つのアイデアがあった。カディスが開催するカランサ杯やコルーニャが開催するテレッサ・ヘレーラ杯のような格式ある大会を自ら主催すること、そしてその大会名をクラブ創設者を讃えるためにもジョアン・ガンペル杯とすること。だが、問題がなかったわけではない。ガンペルならぬガスパー時代のようにクラブ金庫の中はわずかなペセタしか入っていない時代だった。カランサ杯やテレッサ・ヘレーラ杯のカップのような立派なカップを作る資金さえない時代だ。そこに登場したのがクラブ理事会の一人であり宝石商を営むジョルディ・ソレールという人物だった。彼の個人財産と宝石デザイナーであるジョアン・デメニックによるデザインで小さいながらも立派なカップが誕生することになる。そして40年以上経過したいまでもそのカップは利用されている。

何年前までそうであったように、このガンペル杯は3チームを招待し2日間にわたって4試合おこなう方式でスタートした。そしてラウデ会長さえ予想しなかった成功が訪れる。カランサ杯参加では50万ペセタしか懐に収められなかったバルサだが、この最初のガンペル杯では何と9千万ペセタ(クラブの公式文書には掲載されていない数字だが、今は亡きラウデ氏の言葉によるものだという。しかしこの数字は信じられないほど多い)もの収益を上げているのだ。

ガンペル杯はソシオ・アボノ(年間席所有者)にとっても有料の大会となっている。このソシオ有料という発想はスタート時期から現在まで継続している。リーグ戦、国王杯、チャンピオンズ、スペイン・スーパー・カップ、これらのすべての試合がソシオ・アボノには“無料”となっているものの、ガンペル杯だけはいまでも有料となっている。したがって多くの一般ファンにとって、普段の試合ではチケットを入手するのに苦労する一般ファンにとって、カンプノウ観客席を訪れることのできる格好のチャンスとなる。しかもバケーションの時期でもありバルセロナ不在となる多くのソシオもいることだし、その逆の意味で多くの観光客がバルセロナを訪れている時期でもある。一度はカンプノウ観戦をしたいという一般のファンの人々や、他の国々からバルセロナに訪れてきた旅行者によって埋められたカンプノウで、第41回ガンペル杯はバイエルン相手におこなわれる。チケット収入見込みは、約300万ユーロ(5億ペセタ、4億5千万円)となっている。


エスパニョール、ア・ラ・セグンダ!
(06/08/20)

17日におこなわれたエスパニョール対バルサのスペイン・スーパー・カップは、0−1でバルサが勝利。だが負けなれているわりには負け方を知らないエスパニョールは、この試合を“無効”としてスペイン競技委員会に訴えていた。その理由はアイスランドとの親善試合に招集されていたプジョーとチャビが負傷を理由に参加せず、そしてFIFAが定める“代表に招集されながらも辞退した選手はその試合から5日以内はいかなる試合にも出場できない”という規則に反しているからというもの。当初メディアが伝えた“3−0でエスパニョールが勝利”という要求ではなく“エスパニョールのスペイン・スーパー・カップそのものの勝利”を要求していたというから、はあ〜、図々しい野郎だ。そしてその訴えから半日もたたないうちに、スペインの組織としては珍しくもテキパキと、その訴えを退けている。当然だ。

「プジョーとチャビは日曜日の夜にマドリッドに飛んできた。すでにバルサのドクターであるプルーナ氏から報告を受けていたが、プジョーは腰の痛みを訴えており、我々スペイン代表ドクターによる精密検査を受けるためだ。プジョーに関してはたいした負傷ではないものの、2日後のアイスランド戦に出場するには危険が多すぎる可能性もあると我々は判断した。チャビのケースはプジョーと違い長期負傷から戻ってきた選手だし、クラブドクターのメニューのもとに慎重に最終的なリハビリ状態にある選手。プレステージでの試合でもほとんど出場していないこともあり、彼も無理して代表戦に出場する必要はないと我々は判断した。と言うわけで我々は彼らをアイスランド戦には招集しないことに決定した。だがこの日曜日から4日後におこなわれるエスパニョール戦に、彼らが出場できないということを意味するわけではない。つまり医学的に見れば彼らのリハビリ次第で可能となることだってあるだろう。」
18日の金曜日、スペイン代表ドクターのヘナロ・ボラス氏がエスパニョールの訴えを聞いてこのように公式発言をしている。つまりプジョーとチャビはアイスランド戦に招集さえされていなかったのだ。招集されていない選手がその後自分のクラブの試合で出場するかどうか、それはあくまでもクラブ監督が決めることであり、しかも何事にも束縛されずまったく自由に決定することができるというものだ。

前回にも触れたがこのスペイン・スーパー・カップという大会はどう考えても超三流のものだが、そうさせている責任の一つにこの大会を主催しているスペインフットボール連盟がある。彼らが予定を組んだアイスランド戦は当初15日ではなく16日と設定されていた。つまり、同じく彼らが予定を組んだスペイン・スーパー・カップ初戦の前日に代表戦が組まれていたことになる。当然ながらこれでは代表の試合に出場した選手はカップ戦に参加できなくなる。誰一人として選手が招集されていないエスパニョールは沈黙を守るものの、多くの選手が引っ張られてしまうバルサは当然ながら抗議した。その結果、アイスランド戦は予定より1日早めて15日となった。だが、それでも他の国の代表戦に招集されているバルサの選手はカップ戦に出場できないことには変わりがない。そこでスペインフットボール連盟が持ち出したアイデアは“各国代表関係者と話し合い、できる限り招集選手を少なくするようにしたらどうだろう”そういうことだった。あくまでもスペイン・スーパー・カップの日付変更は認めない彼らだ。

バルサ関係者はブラジル、オランダ、アイスランド、イタリア、カメルーンなどの親善試合を予定している代表関係者と連絡をとり、多くの選手が代表招集を避けることに成功。だが一つだけ失敗に終わった代表チームがあった。それがスペインだ。アメリカ遠征の試合で負傷のため2試合続けて欠場したプジョーと、すべてのプレステージの試合で合計30分程度してか試合出場していないチャビを招集するアホな監督ルイス・アラゴネスが率いるスペイン代表だけが、バルサの選手を自由にしていなかった。だが、代表ドクターのコメントにもあるように、最終的には招集しないことに変更している。そのことを見逃したエスパニョール側の訴え、ケースこそ違うがこんな風景は昨シーズンもあったような・・・。

我らがメッシーを生意気にも“無効選手”扱いとし、いろいろなところに訴えていたクラブがあった。そう、今シーズンはもう一部リーグにはいないアラベス。最終的には彼らの論理は根拠のないものとして却下され、時間の経過と共に忘れさられていく事件となった。今回はシーズンが開始される前から同じようにバルサにイチャモンをつけるクラブが登場し、そしてもちろんメッシー事件の時と同じように中央メディアが大喜びで騒いでいるが、バルサにケチをつけるクラブの行く末は決まっているのだ。つまりエスパニョールもアラベスと同じような運命をたどることになる。

“エスパニョール、ア・ラ・セグンダ!”
その絶叫がカンプノウ観客席から飛び出すのは第37節バルサ・エスパニョール戦。すでにリーグ優勝が決定しているバルサはBの選手を中心に戦い、5−0でエスパニョールを沈め、彼らの二部落ちが決定されることになる。
“エスパニョール、ア・ラ・セグンダ!”
これでバルセロナの街も平和になるというものだ。


スペイン・スーパー・カップ
(06/08/18)

イングランドでは“コミュニティー・シールド”、オランダでは“ヨハン・クライフ・カップ”、スペインでは“スペイン・スーパー・カップ”、ドイツやイタリアやフランスあたりでは何と呼ばれているか知らないが、早い話がリーグ戦制覇チーム対カップ戦制覇チームによる“さて、どちらが強いか!”を決める試合であり、普通はどこでもリーグ戦が始まる前に開催されるようだ。もちろんスペインでもシーズン開始前の時期を選んで開催されるが、そこはピレネー山脈を越えたところにあるヨーロッパの国スペイン、ひと味だけ他の国と違いを見せてくれる。どこでも一発勝負の試合であるのに比べ、ここではホーム・アンド・アウエー方式で2試合もやってしまうのだ。まずカップ戦優勝クラブのスタディアムで1試合、そしてリーグ戦優勝クラブのスタディアムで1試合となる。

なぜピレネー山脈のあちら側の国々のように1試合クッキリにしないのか。その理由はふたつあるようだ。まず、1試合方式にして中立スタディアムで開催したとしよう。例えば今回の場合はサラゴサかバレンシアあたりで開催とする。そうすると、観客席はガラガラとなってしまう。なぜなら、自宅から近くにある地元スタディアムならまだしも、遠くの街にあるスタディアムまではせ参じて見ようというほど興味のある試合ではないからだ。サラゴサやバレンシアの人々も、バルサ対エスパニョールの試合なんかに興味があるわけがないから、当然ながら行く人は少ない。

それでは、リーグ戦制覇チームに敬意を払ってそのクラブの地元スタディアムで一発勝負にしたら良いではないか、という意見はかなり前からあるが、それはこの大会の主催者であるスペインフットボール連盟が認めない。彼らにしてみれば試合数が多ければ多いほど入場料やテレビ放映権の収入が懐に入ってくる。だが、さすがに同じチーム同士で4試合も5試合もできないから、一応それらしくホーム・アンド・アウエー方式にして一試合の倍の収入を狙おうという魂胆だ。と言うわけで、ピレネー山脈のこちらでは相も変わらずシーズン開始前の忙しい時期に2試合もやることになる。

このスーパーカップは“スペインどうでもいいカップ”という別名を持つ。20年以上の歴史を持つ大会でありスペイン公式タイトルとして認められていながら、タイトル自体に大した魅力はないし、もちろん威厳があるものでもない。その証拠に、レアル・マドリはここ3シーズンにわたって何のタイトルも獲得していないと、カタランメディアはもちろん首都メディアも例外なく語っているが、実はそれでもレアル・マドリはこのスーパーカップはとっているのだ。だが、さすがにそんなことは声を大きくして言えない。
「ここ3年間でスーパーカップだけは獲得しました。」
というように胸を張って自慢するタイトルではなく、
「リーグ優勝と、チャンピオンズと、え〜と、それから、スーパーなんとかというカップもとったなあ。」
と、こういうように斜めに構えながらサラリと語るカップなのだ。

シーズンが始まってしまえば誰からも忘れられてしまうタイトルであり、シーズンが終わる頃にはそんなタイトル自体思い出せないものとなってしまうが、それでもペリーコと呼ばれるエスパニョールファンを楽しませてやるのも気分がよろしくない。どちらかが勝たなければいけないのだったら、やはりペリーコには勝たせたくない。どちらかが優勝しなければいけないのだったら、やはりバルサに優勝してもらおう。

 ※人気のないこの大会を少しでも盛り上げようと、サンブロッタに対し乗車拒否をしたペリーコ・タクシー運転手の話題を、メディアが面白おかしく書きまくっている。この運転手に始球式のボールを蹴らせるべきだとか、乗車拒否したことによる罰金はペリーコ・ペーニャが支払うべきだとか、はたまたペリーコの鏡だとか、まったくもってバカバカしい話。もしこの“事件”をもってスペインらしさを特徴づけるとすれば、こういう単なる目立ちたがりやを“ライバル意識’だとか“チームカラー”だとか、そういうものに結びつけて新聞を売らんかなとするスペインメディア、特にここ2年のムンド・デポルティーボ紙とかエスポーツ紙のレベルの低さということになる。


トゥラン・インタビュー
(06/08/16)

1993−94シーズンのコパ・デ・ヨーロッパの戦いでクライフバルサと対戦したのがリリアン・トゥランにとって最初のバルサ戦となっている。当時のモナコの監督はベンゲル、そしてペティ、ジョカエフ、クリンスマンなどが活躍しているチームだった。この試合、バルサは2−0で勝利しているがゴールを決めたのは今回トゥランを獲得したチキ・ベギリスタイン、そしてウリスト・ストイチコフだった。そしてあの13年前の試合のことをまるで昨日のことのように覚えていると語り始めるトゥラン。

それほど印象的な試合でしたか?

まだ自分が20歳か21歳程度の若者の頃の試合だったこともあるが、バルサという当時ヨーロッパ最強チームとの対戦ということもあり、今でも強い印象として残っている。自分がマークした相手はロマリオ、そうあのロマリオさ。彼は凄い選手だったがラウドゥルップやクーマン、そしてグアルディオラなどという凄い選手がゴロゴロしているチームだった。試合の途中であるにもかかわらず、彼らがどのようにボールを回していくのかをじっくり見たくて一時的に立ち止まってしまったのも覚えているさ。さすがにベンゲルはそれが気に入らなかったようですぐにベンチに下げられてしまったけどね。そして試合が終了してから自分自身に問いかけたんだ。
『この試合で彼らがフットボールというスポーツを楽しんでいるのは理解できたが、果たして自分のやってきたスポーツはいったい何だったのだろうか?』
それ以来、自分も本当のフットボール選手になりたいと思い始めた。

ユベントスの選手としてもバルサと対戦していますね。

2002−03シーズンのチャンピオンズ準々決勝でバルサと対戦している。バルサは我々と対戦するまで一敗もしていないチームだったような記憶がある。トリノで1−1,そしてカンプノウでは1−2で我々が勝利し、次のラウンドに進むことができた。でも決して我々にとって内容の良い試合ではなかった。引き分けにもつれこんでPK戦になってもおかしくなかったし、バルサが勝っても不思議でもなんでもない試合だった。だから、試合後にドーピング検査で一緒になったチャビに言ったんだ。
『アンラッキーだったね。こんなこともあるさ。』
そう、フットボールの試合は内容の良かったチームが必ず勝つとは決まっていないスポーツなんだ。

そして今あなたは因縁というか何というか、バルサの選手となってしまった。

プロの選手として、そして個人として、素晴らしいことだと思っている。実はパリでおこなわれた決勝戦に子供を連れて見に行っているんだ。子供たちはバルサのファンだから当然ながらバルサを応援していた。そして試合内容も素晴らしかったと思う。今シーズンからバルサの選手となれたことで一番喜んでいるのは子供たちだろう。彼らのアイドルであるロナルディーニョやエトーなどの練習風景が間近で見られるのだからね。自分としても二年連続リーグ優勝、チャンピオンズ優勝という輝かしい成績を持つチームに来られてこれほど幸せなことはない。

バルサというチームでの役割は?

自分ぐらいの年齢の選手をとるということは、これまで蓄積してきた経験を役立てて欲しいということだと思っている。それが監督の希望でありクラブの狙いでもあると思うんだ。その経験をチーム内でどのようにいかしていくか、それが監督の希望でもあるだろう。だが、自分としてはデビューしたての若い選手のつもりで11人の選手の中に入り込んでいくために必死になってやるだけだ。しかも自分が入団したクラブはそんじょそこらに転がっている普通のクラブではない。素晴らしい選手がゴロゴロしているチームなのだから“隙間’を見つけるのは難しいかも知れない。だが、いずれにしても一生懸命やるだけさ。

あなたと一緒に入団してきたサンブロッタはあなとのことをクラックと呼んでいますが・・・

彼こそチームを支えるクラックさ。無口な人間だけれど、彼から発散されるエネルギーは凄いものがある。しかもそのエネルギーを周りの選手にも注いでしまうのさ。チームが苦しい状況を迎えたとき、我々を奮い立たせるようなエネルギーを発散させるのは常に彼だった。常に勝利者であり精神的に非常に強い選手でもある。彼の存在が強いバルサを更に強固にしていくだろうと思う。

今シーズンの目標は?

普通のチームであれば『できる限り努力して勝利を勝ち取り、タイトル獲得を狙いたい』というところだけれど、自分が入団したクラブはバルサだ。これだけの歴史を持ち、そして素晴らしい選手を抱えているチームなんだから『タイトルを狙いたい』では済まされないことも知っている。そう、可能な限りの勝利とタイトルを勝ち取る、それを実現するこだ。

最後に、まだバルサの練習に参加してからわずかな日にちしかたっていませんが、これまで経験してきたチームとの違いはありますか?

みんな楽しそうにやっている。それは練習でも試合でもそう感じている。今まで経験してきたイタリアのチームとはまったく違うことは間違いない。練習中に笑顔を見せたりジョークを飛ばし合うなんて、ユベントスでは考えられないことだし、ロンドの練習もあまりしたことがない。自分の年齢を考えればこのクラブがプロ選手として最後の働き場所となるだろうが、最後の最後にフットボールを楽しむことができそうだ。


サンブロッタ・インタビュー
(06/08/15)

2006年ドイツ・ムンディアルが盛り上がっている中、トリノを本拠地とするユベントスは深刻な状況に陥っていた。いわゆる“モジー・ゲート”と呼ばれる審判買収などを含めた不正行為に対する裁判が進められていたからだ。最終的にユベントスは二部リーグ降格という処分がなされた。必然的にクラブとしては年俸の高い何人かの選手を放出することなしには、クラブそのものの延命が不可能な事態にまで追い込まれることになる。多くのクラブからオファーが来るであろうサンブロッタとクラブ責任者は、電話で何回も話し合いを持つことになった。クラブとしてはできる限り彼の意思を尊重した形で移籍クラブを決めたいという意向だったという。レアル・マドリ、ミラン、チェルシー、マンチェスタ、そしてバルサなどからのオファーを受けてサンブロッタは最終的にバルサを選ぶことにした。

なぜバルサを選んだのか?

もしユベントスを離れることになるのなら、できればイタリア国内のクラブに移籍するのが、自分としては自然なことだと考えていた。この年齢になってまだイタリアのクラブ以外でプレーしたことがないし、故郷のコモからできる限り近い場所で働きたいという願望もあったし・・・。でもフットボールのプロ選手として考えた場合、今の段階において世界最高のクラブであるバルサでやるのは素晴らしいことではないかという結論に達したんだ。今回のワールドカップでは幸運にも優勝することができたけれど、クラブ単位でのヨーロッパタイトルはまだ1回も経験したことがない。それがバルサでは可能となるのではないかとも思った。しかも、見知らぬ土地で、見知らぬ人々がつくる新たな環境のもとでプレーするのも悪くはないとも思ったしね。ユベントスがこんな状態になってしまったので、自分の意見も大事だが、クラブの意向も尊重したいと思っていた。それが偶然にも自分の意見とクラブのそれが一致して、バルサに来られるようになったというわけさ。

イタリアのクラブ以外での初めてのシーズンを迎えることになるわけですね。

そう、それを誰よりも悲しく思っているのは自分の祖母ブルーナだろうね。彼女は自分がどこでプレーしていても誰にも負けない最高のインチャなんだ。地元のスタディアムで試合がある時は必ず観戦に来てくれていたし、アウエーの試合ではテレビの前に座って一試合も逃さず応援してくれていた。つい先日も電話で話したばかりだがまったく元気がなかった。人生そのものが変わってしまったと嘆いていた。でも、まあそれも時間が解決してくれるだろうと期待している。バルサの試合をテレビ中継で見るのは難しいようだが、ラジオでは毎試合可能だと言っていた。飛行機は苦手な人だから、そのうち親戚の連中に頼んで車で連れてきてもらおうと思っている。バケーションのつもりで何週間かバルセロナに滞在するのもいいだろう。いま女房のバレリアがバルセロナに行って家探しをしている最中なんだ。できれば海が見える一軒家が良いと思っている。

バルサの選手仲間と合流して1週間ぐらいになりますが。

カピタンのプジョーをはじめ、みんな温かく迎えてくれて非常に満足している。練習に合流した初日に個人的な軽いランニングメニューをこなしてから練習に加わったんだが、あんな大きな輪を作ってのロンドは初めての経験でビックリした。これまでどこのイタリアのクラブでも体を温めるという意味で練習前に軽くロンドをやてきたが、あんな真剣にやるロンドは初めてだ。しかも輪の中に4人も5人も入ってやるあのシステムは経験したことがない。それにみんな楽しそうにやっているのにも驚いた。叫び合ったりジョークを飛ばしたり、いままで自分が経験してきた練習というのは、決して禁止事項ではないんだが、笑ったりすふざけ合ったりすることは・・・まあ、そういうことは考えられない雰囲気だったからね。楽しそうにやっているからと言って、決して不真面目にやっているわけではないこともすぐにわかったし、これから新しいスタイルの練習を楽しむことができそうだ。そうそう、そのロンドの練習で偶然ながらロナルディーニョの隣の位置に入ってしまったんだが、もう自分が情けなくなってしまった。いまから千年練習し続けたとしても、彼のようなボール扱いはできないだろうという結論に達した。

それほどロナルディーニョのテクニックは凄いですか?

テクニックもさることながら、彼から発散されるエネルギーそのものが凄い。これまでデル・ピエロとかジダンとか、いわゆる超がつくほどのクラック選手と一緒にプレーしてきたが、ロナルディーニョは唯一と言っていいと思う。彼から発散されるエネルギーと、あの絶え間ない笑顔に周りの連中がつられてしまうんだな。彼が楽しそうに練習すれば、みんなも楽しく練習することができる。そういう雰囲気が子供たちのアイドルとなり、フットボールを愛するファンたちのアイドルともなるんだろうな。自分もすでに何人かの友人や親戚の連中から、ロナルディーニョのサインをもらってくれと頼まれているぐらいだからね。まだ1週間しか一緒に生活していないが、人間的にも素晴らしいと感じている。でも、プジョーのことにも触れておきたい。このチームのカピタンであるプジョーにもね。彼ともまだ1週間程度の付き合いしかないが、彼が何でカピタンに選ばれたかそれを知るにはじゅうぶんな時間だと思う。練習の時だけではなくグランドを離れても常に仲間のことを考えている人間、こちらが何か困ったことがあったりすると、一番にそれを察して近づいてきてきてくれるタイプ、そいう感じを受けている。いずれにしても期待通りの良い雰囲気のチームに来れて嬉しく思っている。


アメリカ遠征ツアー
(06/08/13)

長距離移動による肉体的疲労に加え、度重なる時差の影響により快適な睡眠が不可能となる選手が出現、そして各地での多くのセレモニー参加が義務づけられていたことにより、休憩時間が少なく、精神的疲労が生じたり肝心の練習時間がプレステージ期間としては非常に少ないことなど、今回のアメリカ遠征はプラス面よりマイナス面の多いプレステージとなっている。昨シーズンおこなったアジア方面でのプレステージよりは、肉体的にも精神的にも楽と予想された今回のアメリカ遠征だが、実際はその逆となっているようだ。一か所にとどまる日数が少ないこと、3、4日の移動ごとに時差が生じていること、そして移動の際のプランニングの悪さがあげられる。

今回の移動に関しては、午後あるいは夜におこなわれる試合が終了次第、次の目的地に向かうようにプランニングされている。試合をおこなった都市で休憩するよりも移動地にできる限り早く到着してそこで休養しようとするアイデアから、このプランが組まれていた。だが、試合が終了しそのまま空港に向かい長い待ち時間と厳しいボディーチェックを済ませた後、次の都市での宿泊ホテルに到着するのは夜中というか早朝というか、いずれにしても4時とか5時という、普通なら寝ている時間となってしまっている。そしてこの日の午後には練習、あるいはセレモニー参加というプランがすべての移動地で組まれていたが、当然ながらまともな睡眠ができない選手も続出したようだ。

しかもムンディアル後のシーズンとなっているため、すべての選手が同時にスタートすることができないプレステージとなっている。そしてアメリカ遠征中に何人かの選手が珍しくも、遠征そのものに疑問符を付ける発言をしている。例えば、ロスでの興業が終了した時にエトーは次のように語っている。
「睡眠薬を飲んでも4時間しか眠れない。睡眠時間もない練習時間もない、そして休憩する間もないステージだが、その中で体調を作っていくのが自分の仕事だと割り切るしかない。悪条件のプレステージとはいえ、もっとも重要なことは本番の試合までに体調を100%にしていくこと。」
そしてオラゲールも黙っていない。
「クラブにとってこういう遠征が必要なことは誰でも理解しているさ。バルサというクラブの名を売り歩き、バルサグッズが売れるように世界中を走り回らなければならないこと、そういうことはみんな理解している。だが、それでももちろん理想的なプレステージではないことも明らかだ。例えば、現地時間の早朝5時にホテルに入り、時差の問題を抱えながらベッドに入り午後の1時に起こされる。体の方は今いったい何日で何時なのかということさえわからないまま練習が始まるわけだ。肉体的な疲労はもちろん、精神的におかしくなってしまう。フィジカルトレーナーとドクターだけが頼みの毎日さ。」

バルサのフィジカルトレーナーはパコ・セイルロとアルベルト・ロカ。彼らが理想とするプレステージでのセッション数は最低35回としている。ムンディアル不参加組選手は7月18日から練習開始、そしてその1週間後の24日からはチャビ、プジョー、イニエスタ、マルケス、ジオ、バンボメルが参加、さらに彼らより1週間以上遅れてロナルディーニョをはじめメッシーやデコ、トゥラン、サンブロッタなどがそれぞれ練習に参加してきている。午前と午後に練習がある日は2回、午前、あるいは午後だけの日は1回と計算して、最初から練習に参加してきた選手がおこなったセッション数は30回弱としかなっていない。したがって途中から参加してきた選手の回数は、20回にも満たないケースとなっている。しかもすべての選手が一緒に練習し始めたのは8月最初の週でありながら、この月には公式戦が4試合、ガンペル杯を含めた親善試合が5試合という過密スケジュールとなってしまった。

ここ何年か前から始まったマーケティング作戦によるビッグクラブの宿命、と言ってしまえばそれまでとなる。アジアやアメリカという、フットボール的にではなく、マーケティング的な意味で重要となる地域を訪ね、各地域の企業との接触やファンサービスに走ることでクラブ金庫を豊かにしようというアイデアを実現するには、このプレステージ時期しかない。もちろんバルサだけではなく他のヨーロッパの多くのビッグクラブも違いこそあれ、同じようなプレステージをおこなってきている。幸いにも、レアル・マドリも同じような感じだ。彼らのアメリカ遠征では2万キロの移動、2試合の親善試合で200万ユーロの売り上げ、そしてバルサの場合は2万6千キロ、4試合の親善試合、ガチャン、ガチャンとレジの売り上げは400万ユーロとなったぐらいの違いとなる。

バルサの名を世界に売り歩くのも良しとしよう。クラブ金庫を少しでも重たくする努力も良しとしよう。企業・個人を問わず各国に散らばるバルサビジネスをしている人々の懐を暖めてやるのも良しとしよう。宇宙飛行士や政治家と親交を暖めるのも良しとしよう。だが、プレステージはあくまでも9か月という長いシーズンを戦い抜く強固なフィジカルを作ることが最優先であり、シーズン中に練習不足からくる負傷を避けるためのものであるはずだ。バルセロナから600キロ離れたところにあるクラブがかつて犯した誤りを、バルサが再び犯す必要はない。


グディ・インタビュー
(06/08/12)

グディのバルサ入団というニュースが彼の国アイスランドを駆け回ってわずか2日で、バルサのユニフォームはどこのスポーツショップでも品切れとなってしまったという。アイスランドの星グディがバルサに入団し最初のインタビュー(7月23日)で次のように語っている。

アイスランドの英雄であるあなたにとって、バルサ入団は何を意味することになるだろうか?

次につながるジェネレーションに対する責任感、アイスランド出身の人間として、そしてフットボール選手として彼らの目標あるいは見本となれば素晴らしい。もう自分はかつての自由奔放に好き勝手なことをしていた若者ではないし、大人となった自分を見て欲しいと思う。3人の子供をもち、ファミリーを最も重要なものと考えている自分がいまカタルーニャのクラブでプレーすることになったが、すべての行為がアイスランドの若者の見本となれば最高だ。

あなたは父親と一緒にプレーする機会があった数少ない選手と聞きますが?

自分が17歳で父が34歳の時アイスランド対エストニアの国際試合で父親と交代してグランドに出場したことがある。したがって、正確に言うならば一緒にプレーしたことにはならないだろう。父親と一緒に招集された試合はこれ1回きりだったから、残念ながらこれが最初で最後のことになってしまった。なぜならこの試合から2週間後に右足かかとの大負傷をおってしまったからさ。当初はリハビリ期間4か月と言われながら実際は2年かかってしまう大負傷だった。

4か月が2年間?

当初言われたリハビリ期間が過ぎてもいっこうに良くならず、精密検査を何回もおこなうことになった。そこで担当医師が出した結論がもうプロ選手としてはダメではないか・・・そういう、世界がひっくり返ってしまうような結論だった。それからアイスランド各地の医者やドイツ、北欧諸国の医者を訪ね、回復の可能性を探し歩いてようやくローセンボルグの医者が解決策を見つけてくれた。非常に痛みを伴う回復法で、あれ以来痛みに強くなったと思う。どんな逆境であれ、人間は何かを学ぶことができると信じるようになった。

モウリーニョ監督からは何かを学びましたか?

メディアとの対応は別として、我々選手との関係は文句のつけようがない監督だった。彼から学んだことはいろいろあるが、非常に論理的であり、しかもその論理を1人1人の選手にわかりやすいように説明する能力を持ち、そして何よりもプロ精神豊かな監督だと思う。ただ時によっては非常に怖い監督であったことも確かだ。例えば、もし前半に負けているような時には控え室での檄は尋常ではなかったし、試合そのものに負けでもしたら・・・想像できるだろ!

スタンフォード・ブリッジでのバルサ戦でメッシーが芝居じみたことをしたとしてあちらでは批判していましたが・・・

そう、ロンドンではそういう感じで批判していた。でもこちらでは明らかなファールと言っていたと聞いている。そしていま自分はこちら、つまりバルセロナでプレーする選手、だから、そう、あれは明らかなファールだ、うん。

“こちら”ではどんなポジションを予想、あるいは期待していますか?

セントロカンピスタというよりはデランテロセントロ、あるいはメディアプンタというポジションが自分に合っていると思っている。エストレーモであれインテリオールであれ、ライン沿いに張りついているサイドのポジションも好きだ。自分は決して足の遅い選手ではないと思っているが、最も大事なのは頭の回転の速さ、つまり判断力の速さ、それに関しては自信がある。しかもそれが良い選手とそれほどでもない選手に分ける基準の一つになるだろうとも思っている。いずれにしてもポジションは監督が決めるものだし、自分はどこで起用されようともそれなりに期待に応えられるだろうと思う。周りの仲間との信頼感を得るのもそれほど時間がかからないだろう。ただ心配なのはこの暑さと試合時間の遅さだ。夜の10時に試合をしているのをテレビで何回か見ているが、イングランドでは寝る時間だ。

どうしてもラルソンと比較してしまう傾向がファンの人々にはあると思いますが。

自分はラルソンの代わりとして来たわけではないことを知って欲しい。なぜなら我々に共通するところはほとんどないからね。でも彼と比較されようとされまいと、このチームでスタメン選手となるのは非常に難しいことも知っている。本当に素晴らしい選手だらけだし、何と言ってもチャンピオンズの優勝チームなんだから。とにかく自分のしなければいけないことは毎日の練習を100%以上の力でやっていくこと、そして少しでもチームを構成する重要な選手の1人になることさ。バルサというチームの特徴であるボール支配、あの楽しそうなボール回しに参加できるようになるなんて最高のことじゃないか。


メレンゲ会長選挙(下)
(06/08/10)

選挙管理委員会の手によって投票結果がわかったのは午後の10時とされている。だがその結果が発表されたのは5時間後の夜中の1時だった。クラブの新会長が決まる重大な日だというのに、マドリのオフィシャルページは午後の7時からいっさい選挙関係のニュース更新をストップ、さらにクラブの専用テレビ局であるマドリテレビは朝から選挙関係のニュースを中心に番組を組んでいたにも関わらず、23時を過ぎたあたりから別の番組(レアル・マドリ対どこかのチームの試合の録画番組)に変更してしまっている。そしてそのテレビ局長アルフォンソ・ビジャールの突然辞任発表というハプニングまで誕生。なにゆえこういう滅茶苦茶な事態が生じてしまったのだろうか。

ビジャール・ミルの背後にフロレンティーノがいたことはすでに既成の事実なっていたが、選挙管理委員会のメンバーもフロレンティーノシンパによって構成されていることも同じように既成の事実だった。選挙管理委員会メンバーのほぼすべてが、フロレンティーノが会長となってからクラブ内に入ってきた人物たちだからだ。したがって彼らが“ボス”の命令を受けてビジャール・ミル側であったことは十分予想されることでもある。会長選挙の戦いが徐々に不利な状況にあることが判明してきた選挙当日の21時頃、ビジャール・ミルはメディアを相手に次のように発言している。
「クラブ会長はソシオによる投票の最高数を獲得した候補者がなるもの。今日の直接投票だけではなく、8千票あると言われている郵便投票を開票してから会長を決め任命すべきだ。」

この意向を受けて選挙管理委員会が動き出している。すでに最終的な投票結果が明らかになった22時、ビジャール・ミルと選挙管理委員長は投票率2位のホアン・パラシオスに一つの提案をおこなっている。
「どうだろ、ソシオの権利の一つである郵便投票が一時的に無効になっている今、郵便投票の内容が明らかになるまでこの選挙を一時的に無効として、裁判所扱いとしては?」
ビジャール・ミル1人で無効宣言するより2人のほうがソシオの受けは良いしインパクトも強いに決まっている。だがホアン・パラシオスはこの提案を拒否しメディアにその旨を伝えている。フロレンティーノ・ペレス、ビジャール・ミル、彼らは孤立状態となってしまった。選挙委員会内部で深夜まで討論が続く。

最終的に、選挙委員会は「新会長の任命をしなければクラブは二進も三進もいかなくなってしまう。」という当然の結論を出している。何週間、何か月、いや何年かかるかも知れない“郵便投票は有効か無効か”という裁判所判断を待っていたのでは、いつまでも会長席は空席となり、ベンチに座る監督もいず、そして何よりも放出選手・補強選手のプランニングもできないことになる。したがって、一刻も早く新会長任命をしなくてはならない。選挙がおこなわれた翌日の午後3時、ついに選挙委員会が記者会見を開き、レアル・マドリ新会長任命の発表をおこなった。もちろんその人物はラモン・カルデロン、直接投票で最高数を獲得したラモン・カルデロンだった。

今回の会長選挙の投票権を持つソシオは6万6千人、そしてラモン・カルデロンに与えられた票は8千票強であり、2位のホアン・パラシオスが獲得した票と250票程度しか差がない。したがって“圧倒的なソシオの支持”を受けて誕生した会長とは言えないだろう。多くのマドリディスタに慕われているカマッチョ、デル・ボスケというクラブ生え抜きの連中が敗北したことが注目される選挙となったが、その理由がどうであれ、彼らを支持する野党が誕生したことも事実だ。しかも、いつ結論がだされるかわからない郵便投票問題もある。もしそれが有効とされた場合、現在のラモン・カルデロン政権の崩壊ということもあり得る。

フロレンティーノ・ペレスの完敗となったこの会長選挙、だが個人の敗北とは関係なく、彼が作り上げてきたその路線が一人歩きしてカルデロンに引き継がれたというイメージが強い。もともとフロレンティーノ政権に加わっていた人物であるし、フロレンティーノ批判など一回たりともしたことがない人物だ。暗黒のガスパー時代に終焉を告げ、バルサのケネディーとして登場したジョアン・ラポルタ政権に対する熱いソシオの希望とは比べものにならない中途半端なメレンゲ政権が誕生した。マドリ会長選投票がおこなわれてから約3週間経過した7月24日、選挙管理委員会はビジャール・ミルの申し出を認め、郵便投票の是非が裁判で明らかになるまでこのカルデロン政権を臨時的なものであると発表している。

そして8月9日現在、カルデロン臨時政権が誕生してから5週間経過した。数多くの公約の中で実現を見たのはカペロの監督就任だけとなっている。ロベン、セスク、カカはもちろん獲得不可能となりつつある。カペロ軍団がすでに本格的なプレステージに入ろうとしているこの時期において入団が決まったのは、合計年齢90歳を超える3人のベテラン選手、あと2、3年トップレベルでプレーできれば良しとする3人の選手のみとなっている。もちろんシーズン開始が近づくにつれ何人かの選手が加入してくるだろう。だがそれらの選手は“絶対必要選手”であったというよりは“獲得可能選手”だったから、という傾向の方が強いことが予想される。

すでに会長としてのカルデロンに対する能力に疑問符を付ける人々が登場してきているし、スポーツ・ディレクターとしてのミヤトビッチの交渉能力そのものを疑う人々も存在する。フットボール選手としての能力とディレクターとしての交渉能力はまったく別なものだと言うことは、これまで多くの人々が暴露してきた。フトレ、パルデッサ、スビサレッタ、カルボーニ、そしてチキ・ベギリスタイン、エトセトラ、エトセトラ。カルデロン臨時会長の道が厳しいと共に、ミヤトビッチの将来もとてつもなく厳しい。


メレンゲ会長選挙(中)
(06/08/09)

選挙運動期間中に会長候補の一人であるラモン・カルデロンが裁判所に一つの訴えをしている。それは“郵便投票の無効”という訴えだった。選挙会場となるサンティアゴ・ベルナベウまで当日足を運べないソシオを考慮して“レアル・マドリ選挙規律”の一つに定められている郵便投票だが、前々回の選挙やその前の選挙でもそうであったように、非常に胡散臭い方式であった。この郵便投票は、選挙本部宛に送られるのではなく、各候補者宛に送られるようになっている。メンドーサはこの郵便投票でフロレンティーノをやっつけ、そしてフロレンティーノは同じ方法でロレンソ・サンスを負かしているのは有名な話だ。今回の選挙でもフロレンティーノはビジャール・ミル用にすでに5千票の郵便投票を用意していたと言われている。フロレンティーノ政権の内部にいたカルデロンだからこそ、この方式のいい加減さを認識していたのだろう。そして選挙日となる2006年7月2日の2日前、裁判所はカルデロンの訴えに対し“最終的な判決がでるまで郵便投票の一時的無効”という判断を下し、とりあえず直接投票のみを有効にするべきだとしている。最終的な結論がでるまで早くて2か月、遅ければ2、3年後だというのだから、ひょっとしたらもう新会長は辞任しているころかも知れない。

選挙投票日直前に大ショックを受けたのは大本命と言われたビジャール・ミルだ。アス紙のジャーナリストが関係者のふりをして彼の選挙オフィスに入り込んだところ、確かに5千通ほどの郵便が見つかったというシャレにならないニュースが流れていた。だがそれでも直接投票だけでも勝利できるという自信があったのだろう。今でも多くのフロレンティーノ派のソシオがいるのだから、彼らからの票が集まるに違いない、そう予想していたとしても不思議ではない。だが現実は彼の思いとかなり違っていたようだ。

“裏切り者!卑怯者!”
“裏切り者!卑怯者!”
“裏切り者!卑怯者!”
投票日の午後、4人の私設ガードマンを従えてノソリノソリとやってきたフロレンティーノ・ペレスを囲んだ多くのソシオから彼に罵声が送られていた。マルカ紙が投票後のソシオ一人一人に「誰に投票しましたか?」というアンケートをして、その結果を1時間おきにウエッブページにて発表していたが、フロレンティーノがやって来た午後の時点では、すでにラモン・カルデロンとホアン・パラシオスの一騎打ちとなっていた。多くのソシオは、もはやフロレンティーノを見捨てていたことがこの時点ではっきりしている。そして午後の8時に投票所が閉められ、早ければ2時間後、遅くても3時間後には選挙管理委員会からの投票結果が発表されると報告されている。だが、この奇妙なるメレンゲ会長選挙では投票結果は発表されたものの、新会長誕生の報告はされずじまいとなる。これまでその百年のクラブ歴史において投票結果がわかっているのに会長任命がされなかったことは、さすが奇妙なクラブとはいえこれが初めてのことだ。

投票締め切りから2時間後でも3時間後でもなく、その結果が発表されたのは5時間後の夜中の1時だった。
●ラモン・カルデロン・・・・・8344票
●ホアン・パラシオス・・・・・8098票
●ビジャール・ミル・・・・・・6702票
●ロレンソ・サンス・・・・・・2377票
●アルトゥーロ・バルダサノ・・1581票
●無効票・・・・・・・・・・・・492票
●白紙票・・・・・・・・・・・・404票
選挙管理委員会の下っ端が、記者を前にして淡々と投票結果を発表していく。そしてこれらの数字を読み上げたところで「したがって新会長は・・・ラモン・カルデロン」となるのが普通だが、この下っ端職員は「以上が投票結果です」として姿を消してしまうのだ。   ----続く---


メレンゲ会長選挙(上)
(06/08/08)

メレンゲ会長選挙がおこなわれてからちょうど一か月たった日に、“メレンゲ会長誕生から1か月”というタイトルでだそうと思っていたこのコラム。でも何だかんだとずれ込んでしまい、何の記念にもならない今日まで来てしまった。今回のラポルタ再選確実バルサ会長選挙とは違い、選挙運動スタート時からかなりの接戦が予想されていたし、汚らしい選挙戦として話題ともなった。現在のメレンゲ・クラブ状況がいかに混沌としたものであるか、それを知ることができる。

レアル・マドリの会長選挙には5人の候補者がいた。これまで何らかの形でクラブ内にいた人物が4人、そして会長選挙となると立候補が趣味のようにいつも登場してくる人物が1人、この5人によってクラブ会長席が争われた。そしてどいつもこいつも滅茶苦茶な選挙戦を展開している。他のクラブに在籍中の“名のある選手”を勝手に“獲得”、それを持って選挙戦を有利に戦おうという思いがすべての候補者にあったものだから、まだ会長も決まらず、“獲得“選手が在籍するクラブとの交渉もなされない段階で、メレンゲ監督や選手と決められた人々がいた。それを当然のように“某候補獲得選手”として発表するマドリメディアも恐ろしいが、各候補者の今後のクラブ方針なるものの論議が一切なされなかったことも恐ろしい選挙要因の一つとなっている。個人的にはこれまで3回のメレンゲ会長選挙をメディアを通して楽しんできたが、今回のほどスペクタクルで面白いものはなかった。ラモン・メンドーサ対フロレンティーノ・ペレス、ロレンソ・サンス対フロレンティーノ・ペレス、フロレンティーノ・ペレス対ロレンソ・サンス、そして4回目となった今度は、ビジャール・ミル対4人の候補たちの醜い選挙戦。もっとも、会長選挙はどこまでも汚らしく、そして醜ければ醜いほど外側から眺めている第三者には楽しい。

バルサと同じように今のところマドリもソシオ制度のクラブなので、前政権の継続とならなければそれぞれの会長候補には多額の“見せ金”が必要となる。シーズン開始当初に組まれるクラブ予算が、1年後のシメの段階で赤字決算となった場合の保証金としての意味での“見せ金”だ。今回の会長選挙の場合は4千万ユーロとされていたから、バルサの会長選挙と同じように1年以上のソシオ歴を持つものなら誰でも立候補できるとはいえ、やはりゼニがなければ誰もが候補者となれるわけではない。

■ビジャール・ミル
ラモン・メンドーサが会長をしていた時代に副会長を務めており、5人の候補者の中では最高齢の75歳。副会長にカーレーサーのカルロス・サインスを任命、監督にはベンゲル、選挙中に“獲得”した選手としてはクリスティアーノ・ロナルド、リカルド・カルバーリョなどがいる。
フロレンティーノ自らの公式発言として発表されたわけではないものの、彼がバックボーンとして押していた候補者であり、選挙運動が始まる前から大本命とされていた。前回のバルサ会長選挙とダブらせるとするとバサット候補となるだろう。そして奇妙にも大本命だったバサットが選挙戦に失敗したように、このビジャール・ミルも見事に失敗している。テレビ番組に一切出場することなく、しかも選挙前々日におこなわれた“候補者全員集合しての討論番組”にさえ欠席している。その理由が「選挙にはすでに勝利している」という、恐れも知らぬ大胆なものだった。

■ホアン・パラシオス
ラモン・メンドーサ会長時代の理事会員で、その次の政権となったロレンソ・サンス時代には副会長を務めている。スポーツ・ディレクターにカマッチョ、監督にデル・ボスケ、勝手に“獲得”した選手としてパブロ(At.マドリ)、レージェス、ホアキン、そしてイニエスタ(違約金の6千万ユーロを用意したと発言)など。

マドリ生え抜きの人物たち、つまりカマッチョやデル・ボスケ、ガルシア・レモン(あのレモンちゃん!)、ミッチェルなどを構成員に加えているところが特徴だ。フロレンティーノ政権以前に戻ろうという臭いが感じられるが、いかんせん懐古趣味的なイメージが強い。

■ラモン・カルデロン
フロレンティーノ政権時における理事会員を務めており、今回の会長選挙候補者としては唯一の前政権経験者となる。スポーツ・ディレクターにミヤトビッチ(あのポマード・ミヤトビッチ!)、監督にカペロ、勝手に“獲得”した選手としてロベン、カカ、そしてセスクなどがいる。

前政権に加わっていた人物とはいえ、フロレンティーノ路線を継続していないことが彼の選挙主張。うまくいっている財政部門はともかく、多くの誤りを犯してきたスポーツ部門の改善を訴えている。ラポルタがヌニェス政権時代に野党を組んだように、彼もまたメンドーサ時代に長い間野党を形成していた。そしてラポルタと同じように弁護士を本職とする。だがメレンゲのラポルタかというと、そういうイメージとはほど遠い感じがする。

■ロレンソ・サンス
元会長、そして2000年、2004年の会長選挙でフロレンティーノの前に敗北を喫している。スポーツ・ディレクターにモンチ(セビージャのスポーツ・ディレクター)を勝手に“獲得”、監督にデル・ボスケ、そして勝手に“獲得”した選手にはアドリアーノ、リベリー、エメルソン、ザンブロッタ、フェルナンド・ガゴ、ミハエル・カリックと大風呂敷を広げてくれた。

会長時代には多くのタイトルを獲得しながら、フロレンティーノ相手の選挙には負けてしまった人物。いまだにペセテロフィーゴをバルセロニスタ以上に憎んでいる人物だろう。だがペセテロ問題は別として、ソシオには人気がないのも確かなことだ。クラブ財政をどん底状態にしてくれた元会長であるし、彼から受ける物理的イメージそのものが良くない。

■アルトゥーロ・バルダサノ
これまで1回たりともクラブ内で実務を経験していない唯一の候補者であり、前回の選挙では500票ぐらいしか獲得できず大敗を喫している人物。スポーツ・ディレクターにデル・ボスケ、監督にエリクソン、勝手に“獲得”した選手としてレージェスとホアキン、ディアラがいる。

選挙に出馬するのが好きなのだろう。しかもそれだけの時間とゼニはありそうな人物でもある。今回の選挙目標は前回の500票を超えるかどうか、その一点にあったに違いない。
  ----続く---


ブレザーマン
(06/08/06)

臨時役員会会長と訳すのか、役員会臨時会長と訳すのか、あるいはもっと大胆に選挙管理員会会長とするのか、そこらへんがスペイン語の勉強不足で正確にはわからないものの、新会長が任命されるまでのクラブ最高責任者という感じで理解してくれればよい。サラ・マルティンというのがその人物だ。前ラポルタ政権時に理事会員を務めていた人だが、2003年の会長選挙にはラポルタには投票していない。いや正確に言うならば誰にも投票していない。なぜならバルサソシオではなかったからだ。ここらへんからして少々謎の人物となる。

1963年、カブレラ・デ・マルというカタルーニャ地中海沿いの町で生まれている。1985年、バルセロナ自治州大学経済学部を卒業し、1990年にはハーバード大学院博士号を取得、その後エール大学、ハーバード大学で教鞭を執り、現在はニューヨークのコロンビア大学経済学部主任を務めている。と言うわけでニューヨーク在住の身ということになるが、それでありながら忙しい職務であろうバルサ理事会員もやっていけるというのがよくわからない。でも、まあ、それはどうでもいい。とにかくエコノミストとしては世界の中でも十本指にはいるほど優秀であり、多くの賞を受けているらしい。そして強烈なカタラン主義者であり、リベラルでもあるようだ。

その彼が尊敬する人物は三人ほどいるという。一人がサルバドール・ダリであり、二人目がアインシュタイン、そして三人目が元アメリカ大統領ロナルド・レーガンだという。どうも三人目が良く理解できないが、インテリ中のインテリであるから、常人には理解できないことがあっても不思議ではない。日本食が大好きと語るサラ・マルティンだが、納豆にソースとケチャップをかけてうまそうに喰っていても不思議ではない人物だ。

実はこの人、ニューヨークでもバルセロナでも超優秀なエコノミストとしてよりは“ブレザーマン”というあだ名で有名になっている。下の写真を見ればそれが明らかになるだろう。次の会長選挙に立候補する気があるのなら是非応援してみたい。


ジョアン・ラポルタ(下)
(06/08/05)

バルサのクラブ規律によれば会長の任期は4年となっている。ラポルタが正式に会長に就任したのは2003年6月22日。そしてすべてのシーズンは6月30日の年間収支決算のシメをもって終了する。つまりラポルタ政権はわずか8日間だけではあるものの、2002−03シーズンに関係をもっており、彼らの手によって6月30日にシメの報告がなされている。クラブ規律によれば、それが例えば8日間だけであろうと、あるいは8週間のみであろうと、はたまた8か月間であろうと、いずれにしても1年間の政権と認識されることになる。つまり2002−03シーズンに始まったラポルタ政権は2005−06の昨シーズンをもって終了してしまっていることになる。

すべての規則や規律と名が付くものが完璧ではないように、バルサのクラブ規律もその例に漏れない。この8日間だけの政権期間をもって1年分とするクラブ規律を“常識的におかしい”とするラポルタの発想もそれなりに理解できるが、そのおかしいクラブ規律を知りながらそのままにしてしまったのはラポルタ政権の誤りだろう。それをせずにクラブ規律を無視してしまう過ちを犯してしまった。ラポルタ理事会初期構成員の1人であり、辞任することになる昨シーズンまでクラブ内の法律関係責任者であったトニ・フレイチャは、次のように語っている。
「クラブ規律によれば、2005−06シーズンの終わりをもって新会長選挙をおこなわなければならないことを、理事会内で2年前から彼には忠告してきた。だが残念なことに、彼と彼を取り巻く副会長たちは我々専門家の意見を無視してきた。本当に残念なことだと思う。」

正式な任期が切れる今シーズン終了時に、なにゆえラポルタは現政権を解散しクラブ規律に従って会長選挙に打って出なかったのか、それは誰もが持つ疑問だ。なぜなら彼の圧勝は間違いないというのは誰もが予想することだし、圧勝も圧勝、記録的な圧勝となると思われるバルサ会長選挙だからだ。それをおこなわなかったのは彼のエゴ以外には考えられない。“己が法律”だと信じた彼の傲慢さ故としか考えられない。そしてその傲慢さはこれまでの多くの会長に見られたことも確かなことだ。かつてのヌニェスもそうであったし、ガスパーもそうだった。At.マドリのヘスス・ヒル元会長もしかり、ベティス元会長のルイス・デ・ロペラしかり、セビージャのデル・ニード会長もしかり、ラモン・メンドーサやロレンソ・サンス、そしてフロレンティーノ・ペレスなどの元マドリ会長たちもしかり、つまりほとんどの会長たちが“己が法律”と信じた人々だった。

それでも、つまりラポルタが多くの批判を受けても仕方のない会長であることは間違いないとしても、同時に、これまでラポルタ政権がおこなってきた多くの賞賛に値する成果も、正しく評価しなくてはならないだろう。魔のガスパー政権時代に沈みきってしまった多くのバルセロニスタに、明るい将来を提供したこと。それは2年連続リーグ優勝やチャンピオンズ優勝という素晴らしい結果だけにとどまらず、クラブを取り巻く環境さえも一新し、これまでとは違う雰囲気を作ることに成功した。そしてサンドロ・ルセーなどの才能ある人物を中心にスペインリーグだけではなく、ヨーロッパの中でも強固なブロックを形成する魅力あふれるチームを作り上げたこと。これらのことは誰も否定できないことだ。

どこまでも自信過剰で傲慢とさえ感じるラポルタなれど、今のバルサには彼以外に会長を務める適切な人物は見あたらない。そして、多くのバルセロニスタは、会長が誰であろうと今の旬の時期を迎えているライカー・バルサを楽しめれば良いと思っている。カンプノウ観戦にはせ参じるバルセロニスタにとって、会長席に誰が陣取っているかなどということより、バルサというチームがいかに楽しい午後を提供してくれるかということが、最も興味あることだ。会長が誰であろうと主役は常にグランドを走り回る選手であり、バルサは一時的に就任している会長などを遙かに超えたことろに存在している。これからも多くの批判を浴びることになるであろうラポルタ政権だが、彼らは彼らなりに“人生最高の日々”となるであろう4年間を過ごせばよい。それは同時に、バルサとバルセロニスタにとっても最良の日々となることを意味するからだ。バルサのクラブ規律によれば会長の任期は2回が最高数となっている。つまり彼にとってこれからの4年間は会長としての最後の任期期間となる。もちろん彼の会長就任中にクラブ規律が改正されなければの話だが・・・。いずれにしてもこれまで以上の誤りを犯さず、メディアの前にやたらと出てくることを避け、ひたすら地味にやってくれることを期待しよう。


ジョアン・ラポルタ(上)
(06/08/04)

「今回の裁判沙汰は我々の誤りから始まったものではない。それでも民主主義の国に住んでいる以上、裁判所が下した判断のもとに我々は行動しなければならない。来週中には会長を辞任し新会長選挙に出馬することになるだろう。」
バルセロナの地方裁判所が下した“バルサは緊急に会長選挙をしなければならない。なぜならラポルタ政権の任期は6月30日をもって終了しているからだ。”という判決を受けて、ラポルタが緊急記者会見で語った言葉がこれだ。

ラポルタ、あるいはラポルタ政権と言った方がいいのかも知れないが、彼、あるいは彼らはこれまで多くの誤りを犯してきている。まるで小さい子供が立派な大人に成長するまでに誤りを何回も繰り返すように、彼らもまた多くの誤りを犯して現在に至っている。そしてこの言葉もまたそれらの多くの誤りの一つだ。2003年のバルサ会長選挙に出馬した若き売れない弁護士ジョアン・ラポルタはその選挙中にいくつかの公約を掲げていた。例えば、“クラブ内の不透明さをすべて明らかにする。特にこれまでガスパー元会長時代におこなわれてきたクラブ資金の不透明な運用を徹底的に調べソシオに報告する”としながらも残念ながらこれまでのクラブ内の不透明さはいっさい明らかにされず、ガスパーがどのような誤りを犯してきたのかはまったく公表されていない。例えば、“土地などのクラブ所有財産にはいっさい手をつけることはあり得ない”とカッコつけながらもカンテラ練習場用にと元クラブ会長ヌニェスが買い占めたカン・リガーの土地の三分の一をあっさりと売ってしまったのは記憶に新しい。例えば、“ソシオ会費値上げなどでソシオに経済的負担をかけることはあり得ない”と約束しながら、これまで物価上昇率以上に値上げされたことのないソシオアボノ(年間指定席)をなんと40%以上も値上げするという暴挙にでている。

義理の兄にあたるエチェベリア氏が理事会構成員になる際に必要だったソシオ審議会での承認にあたり、1人のソシオがおこなった「エチェベリア氏はフランコ基金のメンバーだと聞いているが・・・」という質問に対し「そういう事実はまったくない」という大嘘をつき、その後メディアによってフランコ基金内の重要メンバーであったことをすっぱ抜かれたこともあった。怪しげな中国スポンサー問題に始まったユニスポンサー関係の問題でも細かい交渉内容はいっさい明らかにされていないし、気がついてみればユニセフなどという広告料無料どころか毎年バルサ側から金を払ってユニを汚すというとんでもない状態となってしまっている。完成約束期限をとっくに過ぎていながらもまだ惨めな状態となっているサン・ジョアン・デスピの練習場のことや、思い出したくもない“パリチケットネコババ事件”には触れないが、いずれにしても書いたらキリがないほどの不透明さと嘘と誤りに満ちていたラポルタ政権、そしてその政権が解散する際にも再びラポルタは誤りを犯すことになる。

「今回の裁判沙汰は我々の誤りから始まったものではない。」
ラポルタを訴えた何人かのソシオのせいではなく、アンチラポルタ派と称する人々のせいでもなく、会長任期を定めているクラブ規律を甘く見たうえに、己をクラブ規律以上の存在と傲慢にも信じ切ってしまったラポルタと彼の仲間がおこした不祥事に過ぎない。いずれにしてもこうして第一次ラポルタ政権は幕を閉じ、間違いなく再選されるであろうラポルタ新会長による第二次ラポルタ政権の“プレステージ”がスタートした。  ----続く---


サビオラ、バルサBへ!
(06/08/03)

毎年この時期になるとラ・マシアの練習場にかつて見た“新人選手”がやって来る。サビオラだ。彼とバルサとの契約は2007年6月30日までとなっている。したがって当然サビオラにはクラブに残る権利があるというものだ。契約が切れるまでの1年間をどうするかは彼の問題として、契約切れの身となる来シーズンには“移籍料ゼロ”という特権を武器にし、一番高い年俸オファーを提供してくるクラブを待つのは彼の権利でもある。いかに元クラブ会長がサビオラに対し信じられないような江戸っ子契約をしてしまったとはいえ、そのこと自体はサビオラ側には罪はない。そして、バルサとの契約が切れる前の最後のシーズンとなったかつてのダニ・ガルシアが、他のクラブからのオファーをすべて断ったうえでどこよりも高額な年俸を約束してくれているバルサに残ろうとしたのと同じように、契約期間が残っている以上それは彼の自由というものだ。

ただ、サビオラを雇っているバルサにももちろんいくつかの権利がある。彼を“お気に召さない選手”として監督が考えている以上、そしてその理由がどうであれ、監督が必要ナシとしている以上、売れるうちに売ってしまおうというのも当然のことだ。契約期間の残りはわずか1年、この機会を逃してはかつての投資を取り戻すことはできない。いくつかのクラブからオファーが届き、それでもクラブから動かないというなら、約束した年俸をしっかりと支払った上で1年間試合にも招集しないという自由もクラブ側にある。

サビオラのバルサ入団交渉の瞬間から現在に至るまで、彼の代理人であるアルフレッド・カブレラという人物に関して、メディアの間でまったくもって良い噂を聞いたことがない。と言うよりは悪い噂しか読んだ記憶がない。入団時の多額のコミッション問題に始まり、毎年レンタルされるたびに噂されるコミッション問題。そして今回もまたその例外ではない。クーマン率いるPSVが彼の獲得を試み代理人カブレラと交渉を持っている。そしてその交渉でとんでもない要求をしたようだ。

移籍料なし、それがPSVが要求した基本的な条件だという。それに対しバルサ側はあっさりとOKを出している。投資した資本を取り戻すことは不可能になるとはいえ、今シーズン支払わなければならない彼の年俸“税込み600万ユーロ手取り300万ユーロ”は免除されることになるからだろう。PSVの提示したオファー額は基本額そのものは低いものの、試合出場数やタイトル獲得数によるボーナス付きのもので、最高額のケースだとバルサが支払い続けたそれと同じような額となるらしい。もちろんPSVの選手内ではエリート中のエリート年俸だ。ここまではそれぞれ関係者一同が合意に達したという。だが、最後にカブレラが一つの条件を出した。
「入団ボーナスとして700万ユーロちょうだい!」
移籍料ナシなのだからボーナスをよこせということなのだろう。だがこれではPSVにとって700万ユーロの移籍料を支払うことと同じになる。それをバルサが受け取るか、選手が受け取るかだけの違いであり、支払う方としては同じだ。そしてクーマンは最終的にノーと言い、この交渉は終わりを見ることになる。

すでに25歳となっているサビオラだから、当然ながら代理人が何をし何をしようとしているのか理解しているはずだ。したがって宙ぶらりん状態になっているサビオラだからと言って同情の対象となるものでもないし、まして不幸な事情が生んだ犠牲者でもない。もしどうしても彼がバルサに残りたいと願うのなら、それが高額な年俸のためであれ、あるいはバルサカラーを愛しちゃったからであれ、もし1年間バルサに残りたいと言うのであれば、是非バルサBにお貸し願いたい。ミニエスタディには多くのファンが訪れるようになるだろうし、念願の二部Aカテゴリー復帰への近道となることは間違いない。契約上無理というのなら、そこら辺をどうにかするのがラポルタの得意技だ。サビオラ好きバルサファンは大喜び、難しい仕事から解放されたチキも大喜び、ライカーも余計な心配をすることもなく大喜び、そしてキケ・コスタス・バルサB監督も大喜び、さて、良いアイデアだと思うが・・・どうだろう。


グディ、トゥラン、そしてサンブロッタ
(06/08/01)

ホルヘ・メンデス、ポルトガル人にして多くのメディアチックな選手の代理人を務めるFIFAエージェント。例えばバルサ関係ではデコやマルケス、あるいはモッタなどの選手代理人を務め、チェルシー関係では監督のモウリーニョの代理人を務めている。その彼が“グディ”グジョンセン獲得の功労者となった。本来であるならばスポーツ・ディレクターのチキ・ベギリスタインが活躍する場なれど、グディ獲得の交渉には幸か不幸かチキはいっさい関わっていない。クラブ間の交渉や選手や代理人との交渉にはいっさい関わっていないものの、その仕事をする適切な人物の選出をおこなったのはチキだから、ある意味で言えばグディ獲得の影の功労者と言えるかも知れない。

少なくても今回の件に限っていえば、ホルヘ・メンデスFIFAエージェントが最適の人物であったようだ。チェルシーのスポーツ・ディレクターであるピーター・ケニオンとは顔見知りの関係であり、そして何よりもモウリーニョとは“ツーと言えばカー”の間柄であることは予想される。ホルヘ・メンデスのネゴシエーターとしての素晴らしさは、グジョンセンの獲得交渉が90%ぐらいまで煮詰まるまで秘密裏に進めてきたことにある。メディアが“フォルラン獲得狙い”と騒いでいた時期に、グジョンセン獲得交渉をすでに90%近くまで終わらせている。したがってメディアが騒ぎ始めた時期にはほぼ仕事を終了していたことになる。当人のグジョンセンはもとより、彼の父親であり同時にマネージャーであるアルノウ、そしてピーター・ケニオンとモウリーニョ相手の交渉は、ほぼメディアが気がつかない所でおこなわれ、すべての関係者に箝口令を敷いていた。それが交渉をスムーズに進めることができた理由であり、獲得成功に終わった原因でもあるようだ。

チキの幸運はグディ獲得に成功しただけにとどまらない。なぜならトゥランとサンブロッタの二人までも獲得してしまう運命にあったからだ。予告なしの突然のトリノ訪問、それもクラブ金庫番ソリアーノを伴っての訪問は、異常な風景とメディアが紹介する。なぜなら、バルサ金庫番の登場はあくまでも交渉の最後の最後となるのが普通だからだ。つまり両クラブと選手が移籍に関する基本的な一致を見たあと、細かい部分の調整をおこなう場面になって初めてソリアーノが登場することになる。だがユベントスとの交渉では、この一日きり、一回きりの交渉で必ず終わりを見る可能性があったからこそ、金庫番の登場となったのだろう。したがってこの交渉そのものはユベントスがすでに“お膳立て”していたものと理解するのが普通だ。

カペロがメレンゲ監督に就任して以来、イタリアメディア、カタランメディア、そして一部の中央メディアで共通して語られていた一つの事柄がある。それは“沈みかけた船から一番先に逃げ出した船長”に対し、ユベントス会長ジオバンニ・コボーリが何らかの形で復讐するのではないかという予測だった、サンブロッタのバルサ優先移籍、それがコポーリ会長が用意していたカペロに対する“ささやかな復讐”だったのかも知れない。少なくともマドリやカルッチオライバルクラブのミランに売ることなく、しかも移籍料として1900万ユーロも手に入れることができたのだから、ユベントスとしても良いビジネスとなったのだろう。

グディとメッシーの補強でこれまで以上に“勝利するバルサ”が充実し、そしてトゥランとサンブロッタの加入で“負けないバルサ”が強固になった。


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