|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
背番号決定(2001年7月31日)
ボナノ1番、アンデルソン4番、サビオラ7番、そして、ドゥトルエルとアルナウは背番号なし。これはチャンピオンズリーグの3次予備選にも使われますが、ただし決定ではなく、正式な登録は9月15日が最終日となります。背番号一覧は以下に。 1 ボナノ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
真相はここだ!(2001年7月31日)
先日お届けしたクライハートの入れ墨事件。3番目の子供ルーベン君の名前の入れ墨はいったいどこにされているか。踵か腕か・・・正解は右の2の腕でした。証拠はここに! (ついでに肩にあるクインシーのもお見せしましょう) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ステージこぼれ話(2001年7月30日)
●Nyonから5キロほど離れた小さい町 Prangins というところにバルサの選手の泊まるホテル(こんなところ)がある。それはレマン湖のほとりに位置していて、そしてもう一つ近くにあるのが、マドリの選手の泊まるホテル。この2つ、なんと2キロも離れていないそうな。 ●ジダーンフィーバーで、練習を見学するファンが多く警備も増やさなければならない、ということで、見学者から1人5フラン見学料ととることにしたということ。それを聞いたバルサの練習場側も同じく見学料1フランを取ることに決定。しかし、スイスではサビオラはジダーン知名度には遠く及ばず、初日の見学人は20人だったとか。 ●昨シーズン、バルサの白嫌いを考慮して、長年はいていた白いシューズを金色にかえたアルフォンソ。スイスでの練習試合にはまた白いシューズでプレー。 ●ホテルにはジム施設がなく、初日の練習は2キロ離れたところにバスで移動。次の日は午後試合があるため、レシャックは、ホテルのすぐ裏にある小さいグラウンドで軽く練習することに。それを聞き逃したオーベルマースは、バスの前でしばらく待ちぼうけ。運転手や他の選手が来ないので、ようやくきがついて走っていたそうな。 ●このステージで使う用具などは選手より一足早くバスでホテルへ運ばれています。その量、なんと800キロ。その中には用具だけでなく、お食事につくリオッハワインも含まれているとのこと。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
同室はだれ?(2001年7月28日)
昨日から始まったスイスでのステージ。23人の選手たちはレマン湖のほとりにあるホテルに宿泊。昨夜はリバルドがまだついていないので、22人が11部屋のツインに。どういう組み合わせか見てみると・・・ 同国籍組み 「クリスタンバールとドゥトルエル」「コクーとゼンデン」「ジェオバンニとロッケンバック」「デブーとオーベルマース」「クライハートとレイジンハー」 同世代組み 「サビオラとチャビ」「アルフォンソとセルジ」「ガブリとジェラール」 ライバル組み 「ボナノとレイナ」 偶然組み 「アンデルソンとアルナウ」「ルイス・エンリケとプジョール」 そして、明日到着予定のリバルドは相方なし(昨シーズン同室だったシマオは、ステージ直前にベンフィカ移籍が決まって不参加)のシングル。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ステージ開始(2001年7月27日)
スイスで行われるステージに今日選手たちは出発しました。今年は、前年と違い戦列外を宣言された選手たちも全員参加(前年はヘスプ、ボガルデ、バイア、デブー、リトマネンは参加しなかった)。そのかわりといっては何ですが、2部からは一人も呼ばれませんでした。 入院中で同行しなかったのは回復途中のアベラルドと新規入院のダニ(今日手術予定で、回復に3か月)の2人。同行はしたが、軽いケガで昨日の練習に参加していないのは、クリスタンバールと、クライハート。ジェラールは大事をとって、一人特別メニューで練習しています。 ロッケンバックは昨日バルセロナに到着していますが、今日スイスでみんなに合流。またリバルドは日曜日に合流する予定です。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
10か月若返り(2001年7月27日)
今シーズンの選手獲得は将来性重視で若手中心。その成果は、まずバルサ選手の平均年齢25.7歳で、昨シーズンの26.5歳から10か月若返りとなって表れました。思ったより若返っていない、と思うかも知れませんが、昨年からいた19人はみんな一つ年をとっているということをお忘れなく。 新規加入は6人で、うち2人はボナノ(31歳)、アンデルソン(29歳)とかなり上ですが、残り4人は、サビオラとロッケンバックが19歳、ジェオバンニ21歳、クリスタンバル22歳で、平均年齢23.6歳。 現在総数25人。うちカンテラ出身が7人(アルナウ26歳、レイナ18歳、セルジ29歳、プジョー23歳、ガブリ22歳、ジェラール24歳、チャビ20歳)、スペイン人4人(ダニ26歳、ルイス・エンリケ31歳、アベラルド31歳、アルフォンソ28歳)、外国人14人でうち10人はEU(ドゥトルエル28歳、レイジンハー28歳、デブール31歳、コクー30歳、クライハート25歳、ゼンデン24歳、オーベルマース28歳、ボナノ、アンデルソン、クリスタンバール)、4人がEU外(リバルド29歳、サビオラ、ジェオバンニ、ロッケンバック)。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
拾い集めた三面記事(2001年7月26日)
クライハート 昨日のプレゼンテーションにクライハートが右の二の腕に包帯をしてやってきた。ケガをしたわけじゃなくて、入れ墨をしたばかりで数日は太陽に当ててはいけないからだそうな。何の入れ墨かって? それは、3番目の息子、ルーベンの名前・・・ちょっと待てよ。だいぶ前に踵に入れ墨したというニュースをここで紹介したはず・・・真相はどちら? ゼンデン 試合中はコンタクト、試合以外の時はメガネをかけていたゼンデン。この休みを利用して、目の手術をした。もう何もつけなくてもいいそうだ。 ボナノ プレゼンテーションでガスパー会長が立ちならぶ選手一人一人に握手をして回ったとき。アルナウ、ドゥトエル、レイナ、ボナノのキーパー4人。全員手袋していたが、唯一ボナノだけが、手袋をとって握手。礼儀正しい方ですなぁ。 アンデルソン 契約のサインをしたあとユニフォームを着てグラウンドでカメラマンたちの前でボールを蹴ってみせる儀式。そのときアンデルソンはどうもボール裁きがうまくなかったと評判。でもそれには理由が。実は靴を忘れてきてしまって、ロッカールームにある靴を借りたけど、彼の大足に合うくつがない。結局一番大きなクライハートのを借りたが、それでも2サイズ小さい。痛みをこらえながらのボール裁きなので大目に見てね。 サビオラ バルセロナ空港でのすごい数のファンと記者の歓迎に驚いたサビオラ。でもその前に乗り換えたロンドンの空港でも驚かされている。細かく描かれた家系図を振りかざし、「オレは君の親戚だ!」迫ってきた人がいるんだそうな。世界のサビオラだからなぁ。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
500人に聞きました(2001年7月24日)
1 今回のバルサの新選手契約についてどう思うか 2 サビオラは別として、新たに契約した選手の中でだれが一番期待できるか 3 ガスパー会長の1年をどう評価するか 4 レシャックは新シーズンの監督として適任と思うか 5 サビオラのような若手を獲るのと、ジダーンのような年齢もプレーも熟練しているのを獲るのとどっちがいいか 6 01-02のシーズンでバルサにどのタイトルを獲って欲しいか 7 クライハートの移籍に賛成か |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
誰がキャプテン?(2001年7月24日)
グアルディオーラがいなくなった今、誰がキャプテンマークをつけべきか。ムンドデポルティーボがWeb上で行ったアンケートに約4万人が答えました。 1位 リバルド 61% |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
4人のセントロカンピスタ(2001年7月21日)
昨日サビオラのプレゼンテーションがおわり、バルサも役者はほぼそろいました。他のチームも続々と練習を始めており、いよいよ2001-2002年のシーズン始まりの雰囲気のなか、今一度昨年のデータあさり。セントロカンピスタと呼ばれる中盤の選手4人の比較をしてみました。 マドリの新高額選手ジダーン、マドリの旧高額選手フィーゴ、マドリの魔手を逃れたルイ・コスタ、そして我らが大聖人リバルド。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
どこもかしこも値上げ要求(2001年7月16日)
一度サインした契約なのに、選手から給料もっとあげてくれと見直しを要求されるクラブは大変、と同情していたら大間違い。クラブだって、もっと金くれと、契約見直しの要求をしているんです。 ここ数年で、フットボール界自体が、違約金・給料の急騰など、ずいぶん変わってきている。1998年に、当時のヌニェス会長とナイキと結んだ10年契約、総額で約200億ペセタ、毎年17〜18億ペセタという数字は現状にあっていないとガスパー会長。そして何よりもナイキがこのほどマンチェスターと結んだ13年契約の約900億ペセタ、毎年70億ペセタという桁の違いがバルサを刺激し、金額見直し要求を。ナイキもこれに応じる姿勢を見せていますが、もちろんそれにはバルサ側からも新たな譲歩を要求されます。 バルサとくらべて、マンチェスターの知名度や商品売り上げは、ずっと上。ですから、この900億という数字にはとうてい張り合うことができないまでも、年間40億くらいまでは引き上げたいのがガスパーの意向。 ちなみに、ユニフォームが売れるとバルサにはいってくるお金は10%。バルサのユニフォームは1万ペセタ弱ですから、1枚売ると1000ペセタ入ってくる計算。一方マドリとアディダスの契約は、フィフティフィフティ。しかもマドリのユニフォームは12000ペセタもしますから、1枚売れると6000ペセタも入る・・・はずですが、たしかこの権利、以前借金のかたに数年分をどっかに譲ったということを聞いたことが・・・。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
夏休みは終わり(2001年7月15日)
昨日ビルバオがプレゼンテーションをし、01-02シーズンの幕開け第1陣を切りました。休み明けが遅いのは、国王杯を最後まで戦ったセルタとサラゴサ。その後、各チームがステージと呼ばれるキャンプをはります。がスペイン国内が12チーム、国外8チーム。バルサはクライフ以来ずっとオランダでキャンプをはっていましたが、今年はスイスになりました。なお、マドリも同じくスイスでキャンプをはっており、ホテルこそ違うものの、施設などは同じところを使うということです。また、いくつかのチーム(*の注意書き)は、それとは別にツアーを組んでいます。 (選手集合日)(チーム)(ステージ期間・場所) (*A)7/31-8/12 イングランドツアー |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
プレゼンテーション(2001年7月14日)
クライフ最後のシーズン、95-96までのプレゼンテーションは、会長、監督、キャプテンがそれぞれファンの前で挨拶し、その後選手同士で短い試合を行うのが恒例でした。しかし、96年は、オリンピックスタジアムで、選手一人一人にカタルーニャの民族衣装を着た2人が付き添ってグラウンドに登場するというショーまがいのもの採用。次の年97年は、会長選挙と同じ日だったこともあり、会長の挨拶はなし。そして98年から昨年の3シーズンはガンペル杯の試合前にプレゼンテーションをしていました。 そして今シーズン、2001年7月23日に予定されているプレゼンテーションは昔ながらの形に戻りそう。ガスパー会長の挨拶、レシャック監督の挨拶、キャプテン(未定)の挨拶、そして試合。ここでファンは初めて新規加入選手をその目で見ることができます。ただ、23日は会員総会の日でもあるため、プレゼンテーションを24日に変更するという案も出ており、この段階では日程はまだ未定。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
続・ガンペル杯(2001年7月13日)
今日のニュースによると、ガンペル杯の相手はパルマに、ほぼ決定ということ。昨日のニュースでもグレミオ・デ・ポート・アレグレに「ほぼ決定」でした。移籍情報のようにころころ変わる相手チーム。日程は17日に決定ということですが・・・。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ガンペル杯(2001年7月12日)
今年のガンペル杯の相手はブラジルのグレミオ・デ・ポート・アレグレにほぼ決まったようです。試合日はまだ確定していませんが、8月17日か18日に行われるということ。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
若いモンには負けられん(2001年7月12日)
シーズン終了と共に引退していった、かつてバルサにいたロベルトやマドリのサンチスなどをしりめに、まだまだ若いモンには負けんわい、というのは、来シーズンもう1年デポルティーボと契約更新をしたドナート、38歳(12月には39歳)。そして同じくもう1年バジャドリと契約更新したのはこの6月に37歳になったエウセビオ。 ドナートは1988年にアトレティコに入団、93年にデポルティーボに移籍し現在にいたっています。一方エウセビオは83年にバジャドリでデビューし、87-88の1シーズンをアトレティコで過ごした後、88年にバルサに入団、ドリームチームの一員として活躍。その後95年から2年間セルタに在籍した後、故郷のバジャドリに帰っていました。 エウセビオ500試合達成のときにも、取りあげた話題ですが、彼の1部リーグでの出場試合数は、現在までに517試合。サンチスが引退したことにより、現役選手としては1位ですし、スペインリーグ歴史上では4位。なお3位のサンチスには7試合差、2位のブーヨには25試合差で、今シーズンこの2人を抜いてスビサレッタ(622試合)に続く2位に躍り出ることも夢ではありません。 現役選手2位は34歳のロレーン(ソシエダ)で、474試合。彼はエウセビオより40試合以上少ないとはいえ、プレー時間でみればエウセビオを上回っています。そしてもらったカード数も多く、黄色101枚、赤色10枚。ただし、これには上がいて、イエロが、122(黄)・14(赤)。アグアード、105(黄)・17(赤)、フェレイラ102(黄)・8(赤)。一方3位につけるソレールは1度も退場処分をもらったことがないという記録持ち。また、かれは所属チームの多さの記録も持っており、その数7チーム(エスパニョール、バルサ、アトレティコ、セビリア、R・マドリッド、サラゴサ、マヨルカ)。この対極はイエロのマドリ一筋12年間。(下の表は、現役選手の出場試合数順)
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
スポンサーが付くものは・・・(2001年7月11日)
年々跳ね上がる移籍料、それに加えて、高い給料、経費やらなにやらで、どんなに稼いでも稼いでも追いつかないクラブ経営。なにか新しい収入源はないものかと考えるバルサに今持ち上がっている話は、カンプノウ、パラウ・ブラウグラナ(バスケット場)、ミニ・エスタディ(2部のフットボール場)などの名前にスポンサーを付けるというもの。カンプノウにつけることはほぼないでしょうが、残り2つへの可能性は十分考えられる。 TVニュースなどでスタジアムの名前が言われるたびにスポンサー名が呼ばれれば、スポンサーにとってかなりいい宣伝。前例もいくつかあり、その一つは、PSVの球場のフィリップス・スタジアム。名前は明らかにされていませんが、すでに3つのスポンサーが名乗りを上げているということ。そのうちの一つは、マドリのベルナベウにも話を持っていたといわれており、マルカ紙によれば、フロレンティーノは見返りに30億を要求したといわれています。商売上手! |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
若くてもしっかり者、ジェオバンニ(2001年7月9日)
ジェオバンニ君は21歳とはいえ、もうロベルタという奥さんがいるし、ジェオバンナという娘もいる。ジェオバンニ君は9人兄弟というにぎやかな環境で育ったからか、自分も子どもがたくさん欲しいと思う。ジェオバンニ君は、奥さんと「少なくとも自分たちの子供が3人、そしてもう一人養子をもらいたいね」と話している。ジェオバンニ君は、保護を必要としている子供にそれを与えてやれたらと思っている。ジェオバンニ君はクルゼイロにいる間にすでに2回養子縁組の申請をした。でも自分の家を持っていないということで2回とも却下されている。もちろん望みは捨てていない。ジェオバンニ君はまだ21歳だ。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大人のパトリック(2001年7月8日)
入団発表の記者会見前にバルサのネクタイを貸して欲しいと頼み、それを結んで登場したパトリック・アンデルソン。会見の第一声を「Bon dia」(カタラン語で、おはよう)で始めたパトリック・アンデルソン。会見後に、カンプノウのバルサショップに寄り、自分の子供たちにバルサのユニフォームを買ったパトリック・アンデルソン。う〜ん、やることがどこかのパトリックとひと味ちがう、大人のパトリックは気配り上手。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
めでたい結婚式(2001年7月7日)
その1 その2 その3 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
笑えるCM(2001年7月6日)
グラウンドからロッカールームへ向かう通路を、ベッカムが一人歩いてくる。通路の壁に寄りかかっている一人の少年。ベッカムが、その少年の持つ缶ペプシに目をとめ、「坊や、ちょっとくれないか?」 缶を差し出す少年。一口ぐいっと飲んで、「ありがとう」と返す。行きかけるベッカムに、今度は少年が、ユニフォームを指して「それをくれない?」 ニヤリと笑い、脱いで少年に。少年はそのユニフォームで、ベッカムが口を付けた缶の部分をふき、「ありがとう」と返すと、グラウンドに向かって歩いていく。彼のシャツの後ろには、エスパーニャという文字が。苦笑いするベッカム。 数か月前から流れているペプシのCM。最近気がついたのは、まだグラウンドで試合が続いている設定だということ。ということは、ベッカムは退場になったのか・・・。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
話題のCM(2001年7月5日)
公園で一人、サッカーボールで遊ぶブランキアスール(白青・エスパニョール)のユニフォームを着た少年。蹴ったボールが木に当たりベンチに一人で座っている少年の足下に。睨み合う2人。どうする? やがて2人は一緒にボールを蹴り始める。最後はお互いのユニフォームを交換。そう、ベンチに座っていた少年は、アスールグラーナ(バルサ)のユニフォームを着てたんです。そして、2人肩を並べて歩いていく後ろ姿。 これは、今年のエスパニョールの会員募集のCMで、今日からTVで放映が始まります。この新たな主人公、ルーベン君は9歳。7歳の時からエスパニョールの少年部に入団し、昨シーズンの成績は親善試合も含めると71ゴールを決めているデランテーロ。 エスパニョールの会員募集のCMは、ここ数年はブランキアスールのインコを使ったものが好評を博していましたが、それに続く第2弾。ルーベン君のすばらしいテクニックとかわいい表情でこれも大成功間違いなし。ただ、このCMで話題になっていることがもう一つ。それは、最後にユニフォームを交換して去っていく後ろ姿、もらったエスパニョールのユニフォームはちゃんと着ているのですが、バルサのユニフォームをもらったルーベン君は、それを肩にかけているだけ。制作者の弁は、「別に他意はない」。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
元は取れたか?(2001年7月4日)
毎日変わる移籍情報に一喜一憂。こういう話は無責任に楽しめるので、気が楽。しかし、こんなに高い移籍料を払って、本当に我がチームで活躍してくれるんだろうか、と心配になりませんか? そこで、昨シーズンの夏にスペインチームが獲得した選手で、移籍料上位20人の活躍状況を見てみました。
総額544億ペセタを費やしてのこの20人の選手たちの獲得。このうち全試合の半分以上を、ベンチか客席で過ごした選手は9人。彼らの移籍料総額は202億ペセタにのぼります。そして、これらはすべて、バルサ(3人・84億)、R・マドリ(3人・75億)、バレンシア(2人・28億)、デポルティーボ(1人・20億)の4チームの選手です。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
新ユニフォーム(2001年7月2日)
今日からバルサの新しいユニフォームがメガストアで売り出されました。実は数日前からいくつかの店では販売が始まっており、なんでメガストアでは手に入らないのかと、抗議の声が挙がっていました。責任者の返答では、旧ユニフォームの在庫があるので、それをさばくまではと、ちょっと納得いかないものでした。 それも今日からは大々的に・・・ではなく、新ユニフォームを販売はするが、展示などはせず、お客さんが欲しいと言えば、棚から取り出して売ります、ということ。これから始まる夏休みの観光客が旧ユニフォームの在庫を一掃してくれるまでは、ひっそり売るのだそうです。昨年のチームの成績不振が売れゆきに影響してるんでしょうね。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2部だって中継(2001年7月1日)
昨シーズンの1部リーグのTV視聴率の記事を載せましたが(6月22日の記事)、今回は2部のAリーグについて見てみましょう。2部のAは土曜日の午後に地方局で1〜2試合、日曜日の昼にカナルプラスで1〜2試合中継されます(1部の試合と違って、2試合中継されることもあります)。 昨シーズンの総視聴者数は、3千万人。うち、地方局が67試合中継し、2258万人で1試合平均33万7千人。一方カナルプラスは40試合中継していますが、契約TVというハンディの上に、放送が日曜日の正午ということもあって、総視聴者数750万人で1試合平均18万7千人と少なくなっています。 では、一番中継の多かったチームは(皆さんのお察しの通り)、アトレティコ・マドリで22試合(地方局12試合、カナルプルス10試合)。次はセビリアの20試合(各10試合ずつ)、3位はベティスで18試合(11試合/7試合)。1部にあがったテネリフェは5位で14試合(7試合ずつ)でした。少ないチームは、なんとサラマンカが0試合。ウニベルシダが3試合。 一番視聴者の多かった試合は、地方局で、アトレティコとセビリア戦で170万人。2位はエストラマドゥーラとアトレティコ戦で138万人。3位、アトレティコとエイバル戦が135万人と続きます。10位以内に入っている試合のうち、7試合がアトレティコがらみ、残り3試合がベティスがらみです。またカナルプラスでは、アトレティコとフェロール戦が1位で50万5千人。次いでアトレティコとベティス戦が34万人。ついでセビリヤ-テネリフェ戦が33万人。10位以内でアトレティコがらみが6試合、セビリアがらみが4試合、でそのうち2試合がベティスとのダービー戦した。 |